「独ソ戦」① 空前絶後の第二次世界大戦の主戦場
今日は令和2年3月10日。
次の本を読みました。
「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)
冒頭部分を引用します。
1941年6月22日、ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊は、
独ソ不可侵条約を破って、ソヴィエト連邦に侵攻した。以後、
1945年まで続いた、この戦争は一般に「独ソ戦」と呼ばれ
る。ドイツ、ないしは西欧の視点から、第二次世界大戦の「東
部戦線」における戦いと称されることが少なくない。いずれに
せよ、この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、
まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろ
う。
独ソ戦においては、北はフィンランドから南はコーカサスまで、
数千キロにわたる戦線において、数百万の大軍が激突した。戦
いの様態も、陣地に拠る歩兵の対陣、装甲部隊による突破進撃、
空挺作戦、上陸作戦、要塞攻略等々、現代の陸戦のおよそあら
ゆるパターンが展開され、軍事史的な観点からしても、稀な戦
争であった。
(i P)
「独ソ戦」というと、映画でも見た「スターリングラードの
戦い」をうを思い出します。
でもこの本を読んで、独ソでのたくさんの戦闘のなかでの、
ひとつにすぎないことがわかりました。
それはそれは、ドイツもソヴィエトも多くの死傷者を出した
過酷な戦争だったことを知りました。
独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大き
さだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼ
されるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、
それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の
本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイ
ツとソ連とのあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代
以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ
思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。
(ⅱ~ⅲp)
なぜこのような惨酷な闘争が行われたのか。
まずはドイツ側。
こうした悲惨をもたらしたのは何であったか。まず総統アドル
フ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に
優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するため
の戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争と
規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世
界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなけれ
ばならないとした。
1941年3月30日、召集されたドイツ国防軍の高級将校た
ちを前に、ヒトラーはこのように演説している。
対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等し
いボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は
未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識
を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかった
し、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題とな
る。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なる
ほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義
いう敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしてお
くことになる戦争などしない。
(ⅳ~ⅴp)
ヒトラーがめざしていたのは「みな殺しの闘争」すなわち
絶滅戦争でした。
それではソヴィエト側はどうか?
次の記事で書きます。
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