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2020年3月10日 (火)

「独ソ戦」① 空前絶後の第二次世界大戦の主戦場

今日は令和2年3月10日。

  

次の本を読みました。

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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)

  

冒頭部分を引用します。

  

1941年6月22日、ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊は、

独ソ不可侵条約を破って、ソヴィエト連邦に侵攻した。以後、

1945年まで続いた、この戦争は一般に「独ソ戦」と呼ばれ

る。ドイツ、ないしは西欧の視点から、第二次世界大戦の「東

部戦線」における戦いと称されることが少なくない。いずれに

せよ、この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、

まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろ

う。

独ソ戦においては、北はフィンランドから南はコーカサスまで、

数千キロにわたる戦線において、数百万の大軍が激突した。戦

いの様態も、陣地に拠る歩兵の対陣、装甲部隊による突破進撃、

空挺作戦、上陸作戦、要塞攻略等々、現代の陸戦のおよそあら

ゆるパターンが展開され、軍事史的な観点からしても、稀な戦

争であった。

(i P)

 

「独ソ戦」というと、映画でも見た「スターリングラードの

戦い」をうを思い出します。

でもこの本を読んで、独ソでのたくさんの戦闘のなかでの、

ひとつにすぎないことがわかりました。

それはそれは、ドイツもソヴィエトも多くの死傷者を出した

過酷な戦争だったことを知りました。

  

  

独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大き

さだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼ

されるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、

それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の

本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイ

ツとソ連とのあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代

以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ

思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。

(ⅱ~ⅲp)

  

  

なぜこのような惨酷な闘争が行われたのか。

まずはドイツ側。

  

こうした悲惨をもたらしたのは何であったか。まず総統アドル

フ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に

優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するため

の戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争と

規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世

界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなけれ

ばならないとした。

1941年3月30日、召集されたドイツ国防軍の高級将校た

ちを前に、ヒトラーはこのように演説している。

  

対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等し

いボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は

未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識

を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかった

し、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題とな

る。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なる

ほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義

いう敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしてお

くことになる戦争などしない。

(ⅳ~ⅴp) 

  

ヒトラーがめざしていたのは「みな殺しの闘争」すなわち

絶滅戦争でした。

それではソヴィエト側はどうか?

  

次の記事で書きます。  

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