2022年12月12日 (月)

「ミャンマー現代史」⑥ 日本のパイプ 渡邊秀央氏 丸山市郎氏

     

今日は令和4年12月12日。

  

12月6日までに5本書いた記事の続きです。

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

この本、明日、図書館に返さなくてはなりません。

手元に残しておきたい文章は、

ブログにできるだけ書き留めておこうと思っています。

   

日本には、軍との「パイプ」があると報道されていました。

そのパイプは、具体的には3人です。

1人は、先に書いた笹川陽平氏です。

あと2人とは。

元衆議院議員で日本ミャンマー協会の会長の渡邊秀央氏。

駐ミャンマー大使である丸山市郎氏。

  

2人に関する記述を引用します。

  

 渡邊は衆議院議員、参議院議員として長く日本・ミャンマー友好

議連の一員を務め、1987年、官房副長官時代に、かつて秘書と

して仕えていた中曽根康弘からミャンマー支援を任された。軍事政

権時代のミャンマーを訪問した際、当時、北東部にあるシャン州で

軍管区司令官だったテインセインと知り合う。外国人議員がミャン

マーの地方に赴くことなどまずない時代のことだ。歓待を受けたと

いう。そのテインセインが大統領に就任したことで、渡邊は政権と

親密な関係を築いていく。ミンアウンフラインとも最高司令官就任

直後から交流を深めた。(中略)

 民政移管時の野田政権、その後の安倍政権と、対ミャンマー政策

の転換に際して影響力を発揮した。日本が主導してヤンゴン郊外で

進めたティラワ経済特区の開発では、ミャンマー政府との交渉、日

本政府内の調整で、渡邊の力がいかんなく発揮されたという。

(243p)  

    

渡邊氏は88歳。

元気な88歳です。

渡邊氏は、確かに軍とのパイプは持っているようです。

ただ、それがどう働いているのか。

  

 この「パイプ」が軍の行動を変えられるという期待、あるいは逆

に、この「パイプ」がミャンマー軍を支えているかのような話も広

がった。

(242p)

  

これはどういう意味だろうかと思いました。

そんな時に、次の記事を読みました。

東京新聞 在日ミャンマー人の間で評判悪い日本の元国会議員は何をしたのか

8月の記事です。

この記事では、渡邊氏の行動は、ミャンマー軍のやったことに

お墨付きを与えるようなことをしていると指摘しています。

そして笹川陽平氏も仲間であるとしています。

 

東京新聞の記事の引用です。

  

「渡辺氏や笹川氏は自分たちの利益や事業を守るため、国軍の意向

に沿って動いているようだ。日本政府も国軍とつながりたい本心が

ある」。ソーバラティンNUG駐日代表は、権益確保を目論もくろむ日本側

の思惑を指摘し、負の側面を懸念する。「関係維持を図る渡辺氏ら

と国軍は面会し、『日本が統治を認めた』とプロパガンダに利用し

ている」

  

NUGとは、民主派が国軍に対抗して樹立した挙国一致政府のことです。

民主派にとって、渡邊氏と笹川氏は嫌われています。

2人の本意はどこにあるのでしょうか。

   

  

もう一人の丸山氏。

  

渡邊と笹川がミャンマー軍との近さ、同時にアジア主義的な志向を感

じさせる一方で、丸山は、スーチーとも親しいことで知られた職業外

交官である。ビルマ語専門の外交官として現地での長い駐在経験があ

り、その間にミャンマー政財界に広く人脈を築いた。軍事政権とも民

主化勢力とも付き合う日本のミャンマー外交を体現する人物だろう。

その能力を買われて2018年にミャンマー大使に就任している。

(245p)

    

この丸山市郎氏はどうなのだろう。

おそらく67歳。

笹川氏と渡邊氏に比べて若い。

先月の日本人ジャーナリスト解放にも尽力されたようです。

この人は期待できるのか。

2022年12月11日 (日)

アメリカバイソンをバッファローと言っていたケビン・コスナー

    

今日は令和4年12月11日。

  

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を授業で見せたことで、

疑問が湧きました。

私が見せたのは、先住民が狩りをするところ。

Rimg1538

Rimg1539

この動物を私はバッファローだと言いました。

なぜなら、このシーンの前に、

主人公のケビン・コスナーが「バッファロー!」と叫んで、

先住民にバッファローの群れを見つけたことを

報告するシーンがあるからです。

Rimg1537

でも4クラスの学級に順番に見せていく中で、

これはバッファローではなくて、

アメリカバイソンだと気がつきました。

  

バッファローは、アフリカの勉強で、

ンゴロンゴロ自然保護区の映像で見せました。

Buffalo395781_6401

https://america-info.site/america-bison-buffalo

  

これがバッファローです。

私はちゃんと見せているのです。

映画の動物は明らかに違います。

でも間違いなく、映画の中で「バッファロー」と言っています。

  

なぜ、アメリカバイソンをバッファローと呼ぶのか?

こんな疑問に答えてくれるサイトがありました。

とてもうれしかったです。

アメリカバイソンと水牛、バッファローの違いは?

 

このサイトによると、バッファローというのは

水牛のことだそうです。

したがって、ベトナムの授業で見せた水牛も

バッファローでした。

Vi073534

ここでも道草(2022年10月10日投稿)

   

そしてアメリカ人が、アメリカバイソンをバッファローと呼ぶ理由。

引用します。

 

アメリカバイソン(学名:Bison bison)は、

北アメリカに分布する野牛です。

バッファローとも呼ばれますが、これは通称

  

アメリカには水牛がいないので、野牛のバイソンを

バッファローと呼ぶようになったから。

だから正確に言うと間違いですが、アメリカではバイソンを

「バッファロー」と呼んでいます。

   

なんと、間違いなのですが、通称で、

アメリカバイソンをバッファローと呼んでいるのです。

アメリカ人は。

そしてアカデミー賞をいくつも獲得した

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でも、

通称でバッファローと呼んだようです。

実にまぎらわしい。

でも、アメリカ人の実際のところが知れてよかったです。

  

映画を見せながら、バッファローだと教えたことは、

修正しなくてはなりません。

アメリカ人さん、困りますよ。

   

映画の中で、先住民がバッファローのことを

「タタンカ」と言っていました。

それについて調べました。

Wikipedia タタンカ

そこには次のように書いてありました。

  

北米インディアンのラコタ族の言語で、

アメリカバイソンを意味する言葉。

  

おう!インディアンは間違えていなかったです。

正確でした。

通算8400本目の投稿/東京エレクトロンのCM

    

今日は令和4年12月10日。

  

明日は久々に山仲間との登山。

おなじみの鳳来寺山。

朝早いのに、まだ寝ていない。

もう1本記事を書いて踏んでおきたいことがあります。

この記事で、通算8400本目を踏みたいと思っていました。

  

その内容は・・・

土曜日の晩は、午後10時から、

「情報7days  ニュースキャスター」を見ています。

総合司会の三谷幸喜さんのおしゃべりを楽しみにしています。

この番組を見ていると、必ずこのCMに出合います。

いつもは30秒編ですが、ネットには60秒編がありました。


YouTube: LOVEクロニクル(60秒)

  

先日のオンデーズのCMとおなじ種類の疑問です。

このCMに出てくる男性女性は同一人物か?

どうも私には、人を見る目がないようです。

オンデーズは同一人物だと判明しましたが、

このCMはどうなんでしょう?

だれか知ってたら教えてください。

  

このCMは黒電話から始まり、プッシュ式の電話になり、

ファックスになり、ポケベルになり、

パソコンでのメールになり、ガラケーの携帯になり、

スマホになっていきます。

そして未来。

私は全てを体験しています。

でも黒電話は懐かしいなあ。

誰がでるか。

父親が出たら困るなあと思う気持ちは忘れられませんね。

最初の黒電話で「お付き合いしていただけないでしょうか」と

プッシュ電話の「あら、よろしくお願いします」はいい会話です。

2

1

誰が出るか?

今のスマホ全盛時代では、ありえない心配ですよね。

もう出る人は決まっているのだから。

これはつまらないね。

それともっとつまらないのは、未来の世界。

こんなスマートな未来は、これまたつまらない。

そう思ってしまう私は、古いのでしょうね。

  

おやすみなさい。

2022年12月10日 (土)

今日公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」/もう風化する心配はいらない

      

今日は令和4年12月10日。

  

今日から公開が始まった映画「ラーゲリより愛を込めて」

絶対に映画館で観たいと思っています。


YouTube: 映画『ラーゲリより愛を込めて』予告【12月9日(金)公開】

  

この映画の原作を読んでいます。

ここでも道草 「収容所から来た遺書」1/山本幡男(はたお)(2019年6月20日投稿)

3年前に、この原作のことで10本記事を書いています。

  

原作本は「収容所(ラーゲリ)から来た遺書

(辺見じゅん著/文藝春秋)です。

  

今回、3年前に書いた記事を読み直してみました。

シベリアの収容所で、生きる望みを失わず、

周りを鼓舞していた山本幡男さん。

しかし、病魔が山本幡男さんを襲います。

死を覚悟した山本幡男さんは、

家族に宛てて遺書を書きます。

そして山本幡男さんは亡くなります。

残された遺書。

日本に帰還する時には、

日本語で書かれたものは持ち帰れない規則。

同僚たちは、遺書を暗記します。

そして、何年かして帰還した時には、

山本幡男さんの家族にそれを伝えるのでした。

ラストの10本目の記事の最後には

次のように書いていました。

  

本当にたくさん引用しました。

山本幡男さんのことを書き留めておきたいという気持ちで、

けっこう集中して文章をうちました。

 

本も映像も20年ほど前に入手したものばかりでした。

でも20年も経って、少し風化し始めた今頃に、

こうやってブログで大騒ぎ?するのは価値があるかもしれません。

断続的に誰かが大騒ぎして、それで出来事をつないでいく。

将来誰かが興味を持って、ここに来てくれたらいいなと思います。

   

  

風化を心配していました。

でもその心配はなくなりました。

映画になったのですから、もう大丈夫。

山本幡男さんのことは、多くの人たちの記憶に残ることでしょう。

私も、映画館に行くという行為によって、

この映画が特別なものになって、

一生忘れないでしょう。

   

1998年の「驚きもものき20世紀」は

あらためて名作だったと思います。

山本幡男さんの書いた遺書を暗記したメンバーが、

奥さんのもとへ現れるシーンは忘れられません。

涙なしでは見られませんでした。

そのシーンが映画でどう描かれるか。

泣くだろうな。

2022年12月 9日 (金)

追悼/志垣太郎さん 江原真二郎さん

       

今日は令和4年12月9日。

  

昨日の新聞で志垣太郎さんが亡くなったことを知りました。

何と3月に亡くなられていました。

享年70歳。心不全とのこと。

凛とした顔と声が印象的でした。

  

そして今日、ヤフーニュースで、

江原真二郎さんが亡くなったことを知りました。

享年85歳。

パーキンソン病を患い、晩年はたいへんだったようです。

覚えているのは歯磨きのCM。

【なつかCM】ホワイト&ホワイト(中原ひとみ 江原真二郎)③ライオン 1973

4

もう50年前のCMなんですね。

でも覚えています。

こんな家庭はいいなと思いました。

一緒に歯磨きする家庭なんて、滅多にないです。

  

私のブログは、これからきっと追悼の内容が増えていくんだろうな。

同じ時代を過ごした人たちが、少しずつ亡くなっていきます。

こうやって一人一人見送ることで、新しい時代が来るのかな。

北アメリカの農業の教材研究をネットで

        

今日は令和4年12月9日。

   

地理の授業で北アメリカの農業を教えました。

ここでは、アメリカ合衆国の適地適作の様子を

教えなくてはなりません。

これがなかなか難しい。

  

高校地理の動画ですが、これを見て勉強しました。

166 アメリカ合衆国の農業 地理の羅針盤第18話

これくらい知識を得ておいて、授業づくりです。

  

どうしてもアメリカ合衆国の地図が必要です。

なにかいいものはないかとネット上で探しました。

あるものですね。

無料で使える中学学習プリント 北アメリカ州

1

高校地理はもっと詳細でしたが、中学地理ならこの程度で十分。

カリフォルニアの地中海式農業を加えることにしました。

このプリントのサイトは、北アメリカの工業でも使えそうです。

いいサイトに出合うことができました。

   

センターピボット式のかんがい設備を説明しなくてはなりません。

畑の中央部で地下水を汲み上げて、

長い腕でスプリンクラーによって散水します。

畑は円形状になります。

教科書に写真があるので、その写真を使って説明ができます。

規模が大きく、高校地理の動画が言うには、

アメリカの中央部には南北に無数あると言っていました。

そうなると、グーグルアースでも見つけることができると判断。

探してみました。

見つけました。容易でした。

検索には「アメリカ ネブラスカ レキシントン」とうちます。

そうするとグーグルアースはこの画面に導いてくれます。

2

この画面で、生徒たちは騒然としました。

センターピボットだらけです。

さらにこの画面から、右下に移動すると(南東に動く)、

この画面に出合います。

3

収穫前の青々としたセンターピボットです。

これでアメリカでは、センターピボットが大々的に行われていることが

伝わったと思います。

     

教科書にはフィードロットという聞き慣れない

牛舎の名前が書いてありました。

教科書にはほとんど説明がありません。

困ったものです。

写真は載っていました。

Epson240

「新しい社会 地理」(東京書籍)105p

   

こういう時には、英語の意味で迫ります。

フィードロットは英語で書くとfeedlotでした。

feedは「餌をやる」「餌」の意味でした。

lotは「囲い込む」の意味でした。

牛を囲い込んで、餌を与えることでしょうか。

Wikipedia 肥育場(ひいくじょう)

日本語では「肥育場」と言うようです。

ここの説明を引用します。

  

食肉用として出荷する直前の家畜を囲い込んで運動量を減らした上で、

飼料を与えて太らせる(肥育する)ための施設である。

  

これでおおよそどんなものかわかりました。


YouTube: 農場から食卓までを体験するバーチャルツアー第3弾 カナダビーフフィードロット事業

  

この動画を見て、教材研究は終了しました。

  

ネットのおかげで、教材研究ができました。

2022年12月 7日 (水)

今昔物語/映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」

     

今日は令和4年12月7日。

  

地理の授業で、北アメリカを教えています。

ちょっと違和感を感じたことがありました。

「先住民」という言葉です。

北アメリカの先住民と言えば、

「インディアン」ですが、教科書には全く出てきません。

先住民を教えるために、

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)がいいと思って、

2019年10月24日に

テレビ放映されたものを見せました。

その時に、映画の中では、

「インディアン!」と叫んでいるのに、

字幕には「先住民だ!」となっていました。

Rimg1530

何とも間が抜けたセリフになっていました。

  

ここまできて、さては「インディアン」は差別用語とされ、

使われなくなったのかと思いました。

 

31年前に2万2千円かけて買ったビデオテープを出してきて、

同じ場面を再生してみました。

Rimg1531

やっぱり「インディアンだ!」になっていました。

  

この30年で、変わってしまいました。

いやすでにだいぶ前から変わってきているのでしょう。

  

今日の生徒の反応です。

「インディアン」という言葉に反応が薄いのです。

すでに中学生の世代では、

「インディアン」は死語になっているようです。

  

奥さんに言われました。

「やっぱり古い人が教えとっちゃいかんだに」

  

先日は「アルプスの少女ハイジ」を生徒がほとんど

知らなかったことで、ギャップを感じました。

そして今回の「インディアン」です。

え~、「インディアン」が消えていってしまうのか。

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」では、

「インディアン」と俳優たちは言っていますが、

この映画も古くなって、観る人が減ってくれば、

「インディアン」は本当に消えていくんだなと思います。

  

逆らいたい。

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を抱えたまま、

人生の最後までジタバタしたいです。

決して私はインディアンを馬鹿にしていません。

差別もしていません。

この映画に出てくるインディアンは尊いです。

2022年12月 6日 (火)

アフリカの奇跡と呼ばれるルワンダ

    

今日は令和4年12月6日。

  

今日はミャンマーのことばかり書いてきましたが、

今回はアフリカのルワンダ。

  

ルワンダと言えば、1994年のルワンダ大虐殺です。

恐ろしい国のイメージがあります。

ところが!今はぜんぜん違っているそうです。

それを伝えようとして、生徒に見せたのが、

この2本の映像です。

  


YouTube: 【ルワンダ虐殺】分かりやすく解説

ルワンダ大虐殺について、中学生に紹介するなら、

この映像がいいなと思いました。

3カ月で、100万人が、残虐な殺され方をした大事件。

  

それから30年。

現在のルワンダはどうなっていると思う?

と、生徒に聞くと、内戦が起こっているのではという声。

  

ところが違うんだな。

「アフリカの奇跡」と呼ばれる発展をしていることを

次の映像で紹介しました。

JICAの映像です。  


YouTube: アフリカ開発教育用教材「みんなが知らないルワンダのこと」

  

ネットでは、「アフリカの奇跡」ルワンダについて、

くわしくレポートをしてくれている人がいました。

授業がすんでしまった後ですが、読んでみました。

鮫島弘子のアフリカビジネス入門2017

5年前の記事ですが、読まなきゃ損です。

  

大虐殺をどう乗り越えたのか?

ヒントが書いてありました。

引用します。

  

社会面では、虐殺の原因となった「2つの民族」という考え方を否定

し、国民全体の和解を図ることで、2度と同じような悲劇が起きない

ことを目指しています。ジェノサイドが起きたときはフツ系政権で、

多数派のフツ系が少数派のツチ系を一方的に虐殺しました。カガメ大

統領はツチ系で、3歳のときに迫害を受けてウガンダに難民として逃

れて育ちました。彼は、国内で復讐の連鎖が起こる構造を断ち切るた

めに「フツ」「ツチ」という区別を否定し、すべての国民が「ルワン

ダ人」であるというアイデンティティを持つよう導いています。結果、

ルワンダ国外には依然として反対勢力はいるものの、ルワンダ国内は、

2000年以降、平和であり続けています。

カガメ大統領は、半ば独裁ともとれるほど強烈なリーダーシップを発

揮し、国の目標を明確に掲げ、改革を進めてきました。

ジェノサイドと国内紛争で徹底的に傷ついた首都キガリを中心に、街

をきれいにする政策をとりました。さきほどお話ししたプラスチック

バッグ廃止と掃除の奨励はその一環です。街並みがきれいなので、キ

ガリを訪ねる外国人に対して、新しいルワンダのポジティブなイメー

ジを伝えることができるようになりました。

    

なるほどです。

カガメ大統領は、2000年に就任したそうです。

調べると、現在も大統領在任中。

1957年10月生まれの65歳。

Wikipedia ポール・カガメ

☝ 反対派を弾圧する面もあるようです。

政治家は評価が難しい。

  

残念ながら、アフリカの勉強は終わってしまいました。

そもそも、中学校の時間数では、

ルワンダのことを詳しく教えるのは難しいかな。

でも、次の機会・・・・あるかな?

またアフリカを教える時には、

この記事に戻ってきて教材研究をして、

特にルワンダのことをメインにアフリカを教えたいな。

「ミャンマー現代史」⑤ 停戦合意を仲介した笹川陽平氏

     

今日は令和4年12月6日。

  

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

12月2日の朝日新聞朝刊に、

ミャンマーのことが記事になっていました。

(紙面をクリックして拡大して読んでみてください)

Epson239

2021年2月にクーデターによって政権を奪取した

ミャンマー軍の最高司令官ミンアウンフラインと、

少数民族のアラカン軍の両方から頼まれて、

日本財団の笹川陽平氏が停戦合意を仲介したという記事です。

 

本「ミャンマー現代史」の中に何度も登場するミンアウンフライン。

記事に登場しました。

現在も、ミンアウンフラインが、実質ミャンマーのトップに

君臨しているというわけです。新聞記事で確認です。

  

笹川陽平氏も「ミャンマー現代史」に登場します。

日本とミャンマーのパイプになる人物が3人挙げられていた、

その一人です。

  

 「パイプ」である笹川が会長を務める日本財団とミャンマーの関

りは、1970年代にさかのぼる。日本財団が力を入れるハンセン

病対策が最初だった。笹川本人はシャン州での学校建設がきっかけ

でミャンマーと関わり、この国の困難に個人的な思い入れを持つよ

うになった。個人的な熱意なため、笹川の活動は人道支援を超えて、

軍事政権指導者との接触にも発展する。軍事政権の指導者タンシュ

エとの会合は二度。一度目は橋本龍太郎、二度目は森喜朗という首

相経験者とともにヤンゴンで会合を持った。会合前に米国から中止

の要請もあったというが、民間人の交流だと押し切った。(中略)

 少数民族武装勢力との全国停戦合意(NCA)交渉にも笹川は関

与する。交渉を支えた国民和平センター(NPC)の施設建設や交

渉上の旅費の支援といったかたちで側面から支援した。日本政府も

、長年の人道支援と軍との関係、さらに日本の政界にも広くネット

ワークのある笹川を頼った。2013年2月には「ミャンマー国民

和解に関し、関係国政府等と交渉するための日本政府代表」に就任。

ミンアウンフラインからも信頼を寄せられ、最高司令官が会談中に

メモをとる数少ない人物として、その名はミャンマーでも知られる。

(244~245p)

  

アメリカが会合を中止要請したのは、

スーチーを監禁している軍事政権への制裁中だったからだと思います。

本の中に出てきた笹川陽平氏が、記事に登場しました。

  

お父さんの笹川良一さんはCMで有名でした。


YouTube: 1980年代CM 日本防火協会 一日一善 「すいすい水曜日」篇  笹川良一 高見山

その息子さんの笹川陽平さんも活動的な方のようです。

1939年1月生まれの83歳。

他国の停戦合意をしてしまうなんてすごい人です。

  

ただ、ミンアウンフラインと民主勢力との仲介は頼まれていないとのこと。

引用した文章にあったように、

ミンアウンフラインから見たら、民主勢力は、

欧米にそそのかされた連中に見えてしまうのでしょう。

この新聞記事からも、ミャンマーの軍事政権はまだ続くと感じました。

「ミャンマー現代史」④ スーチーの父親アウンサン

      

今日は令和4年12月6日。

   

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

 スーチー政権には、多数派の意思を政治に反映させる意味での民

主化を進める意思はあっても、それと少数派の包摂を両立させるバ

ランス感覚には欠けていたといえる。スーチーの民主主義とカリス

マに依存した民主化運動が抱える限界だったのかもしれない。

(162p)

  

スーチー政権下で、少数民族との武力衝突が増えた理由です。

「包摂」とは?

調べていたら「社会的包摂」という言葉に出合いました。

weblio辞書 社会的包摂

意味は次のように書いてありました。

「社会的に弱い立場にある人々をも含め市民ひとりひとり、排除や

摩擦、孤独や孤立から援護し、社会(地域社会)の一員として取り

込み、支え合う考え方のこと。」

つまり、スーチーは、少数派を取り込むという高度な民主主義では

なかったということです。

そりゃあ、難しいよ。

  

 クーデターに反対する市民の姿を目の当たりにして、大義は民主

化勢力にあると多くのひとは感じただろう。クーデターは失敗した

と思っているひともいるはずだ。ところが事態は、期待した成り行

きとは乖離したまま、現在にいたる。

 市民に暴力を振るってまで、軍はミャンマーの何をどうしたいの

か。スーチーはなぜクーデターを防げなかったのか。民主化勢力に

勝機はあるのか。国際社会は事態をなぜ収束させられないのか。こ

れからこの国はいったいどこに向かうのか。

 こうした疑問が浮かんでも、答えがなかなか見つからない。そん

な困惑する事態が、もう一年半以上も続いているのである。本書は

これらの疑問に答えたい。

(ⅲ はじめに) 

   

引用の順番がめちゃくちゃですが、

「はじめに」に書かれた文章です。

中学校の授業で、東南アジアを教えている時に、

「ミャンマーでは、軍がクーデターを起こして、

軍事政権が民主主義の政権を倒しました」

程度は話しましたが、

それ以上のことを知らない自分がいました。

そんな時に見かけたこの本。飛びつきました。

クーデターなんて、今の時代、成功するわけがないとも

思っていましたが、ミャンマーの状態は一向に変わりません。

どうなっているんだと思っていました。

この本では、軍事政権は5年以上、10年とか続くと予想しています。

この本を読むと、そうなのかなと思えます。

日本とは事情が違うのです。

その事情が見えてきました。

  

時代はイギリスの植民地だったころのミャンマーの話です。☟

  

 英領インド全体で進んでいた自治制度の拡大にともなって、ミャ

ンマーでも自治や独立を求める機運が高まった。しかし英国は、自

治についてはある程度認めても、独立を付与する気はなかった。独

立を求めるひとびとは不満を溜めていく。その結果、1930年代

に入って、若い政治活動家たちの運動が急進化、左傾化していった

のも不思議なことではなかった。彼らは暴力革命を通じてでも既存

の支配構造を変えることを目指した。その代表的な政治勢力がタキ

ン党(正式な組織名は「我らビルマ人協会」)である。タキン党の

若きリーダーがアウンサン。スーチーの父親だ。

(17p)  

  

独立の機運が高まったミャンマーでしたが、

問題がありました。

ビルマ人が多数を占めていましたが、他の民族が厳然といました。

さらにはインドや中国からの移民も多かったのです。

同じ国民だという国民意識が、広がらなかったのです。

  

 1942年に日本軍がミャンマーに侵攻した。日本軍は、英国の

統治下では抑え込まれていたナショナリズムの発露を許容し、とき

に煽って、自身の統治に利用しようとした。日本軍政下とその後の

対日抗争で高揚したナショナリズムは、日本の敗戦後に復帰した英

国が抑えきれるものではなく、また、大戦で疲弊した英国に、アジ

アの広大な植民地を維持する国力は残っていなかった。独立運動を

主導したアウンサンは、このチャンスを逃さず、一気呵成に英国政

府との交渉を進めた。そして、1948年1月4日、ミャンマーは

独立する。

 独立はナショナリストたちの長年の夢の実現ではあったが、まっ

たくの見切り発車だった。しかも、肝心のアウンサンが独立直前に

政敵によって暗殺されてしまう(1947年7月19日)。独立交

渉の牽引役で統合のシンボルになりえた指導者を、この新興独立国

は失ってしまった。

(19p)

   

スーチーが、民主化の先頭に立たされたのは、

父親のアウンサンの影響です。

そのアウンサンが、どんな人物で、どんな死に方をしたのかがわかりました。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉