タイムスクープハンター彗星大接近その1/1910年(明治43年)
今日は令和元年5月1日。
前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の
「タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近」
について書きます。
本年度の支援学級での社会科では、
明治時代について多く扱おうと決めています。
その中で、見せたいと思ったけど、
当時録画していなかった番組でした。
結局、シーズン2に引き続き、
シーズン3も買ってしまいました。
参考:ここでも道草 最後の授業で見せたのは「タイムスクープハンター」(2019年3月21日投稿)
1910年5月19日に最接近した
ハレー彗星絡みのお話です。
以前何かで読んだ自転車のチューブが売れたとか、
息を止める訓練をしたとかが、
ドラマの中に織り込まれていて、
相変わらず巧みなドラマでした。
こういうドラマの制作に関わりたいと
あたらめて思いました。
どのような内容であったか、ここに記録しておきます。
タイムスクープハンターの沢嶋雄一がやってきたのは、
1910年5月17日。
明治43年でした。
1910年の出来事をピックアップしてみます。
3月:伊藤博文暗殺犯の安重根処刑。
6月:幸徳秋水検挙。
8月:日韓併合条約調印。韓国併合。
11月:不二家開業。
これらのことがあった年でした。
(不二家開業については、また書きたいです)
マーク・トウェインが4月に亡くなっています。
amazon (持ってます!)
マーク・トウェインとハレー彗星は関係深いです。
ここから引用。
1910年、ハレー彗星が75年ぶりに地球に到来。
マーク・トウェインの生まれた年(1835年)にも
ハレー彗星が観測されており、
彼が「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、
ハレー彗星と共に去っていくだろう」と周囲に吹聴していたとおり、
ハレー彗星が現れた日に亡くなった。
私も、マーク・トウェインを見習って、
「100歳になって、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と
吹聴しておきたいです。
ちなみに2年後の1912(明治45)年が、
金栗四三等が、日本人として初参加したオリンピック、
ストックホルム大会があった年でした。
参考:ここでも道草 「いだてん」次回はストックホルム大会/オリンピックの歴史を少々(2019年3月16日投稿)
金栗四三さんは、ハレー彗星騒ぎには巻き込まれなかったのかな?
沢嶋雄一が1910年にやってきたのは、
過去に落としてきてしまったマイクロカメラ回収のため。
カメラは回収できましたが、その後が簡単ではなかったです。
つづく
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