「北の麦酒ザムライ」① ビールは、労働者の酒になりました
今日は令和4年9月12日。
この本を読みました。
「北の麦酒(ビール)ザムライ 日本初に挑戦した薩摩藩士」
(池永陽著/集英社文庫)
この本を読むきっかけはマンガの一場面。
※ここでも道草 「ゴールデンカムイ 第6巻」札幌のビール工場を作った村橋久成(2022年8月3日投稿)
ちょっとしたきっかけで、道草していくのが楽しい。
北海道に、日本初のビール醸造所を造った村橋久成。
成功した後に、11年間放浪生活をして、
神戸の路上で発見。3日後に死亡という生き方。
そこがどういう事情なのか知りたいという気持ちがありました。
引用します。
「ビールはいい。味がいい、色がいい、喉の滑りがいい」
久成は歌うようにいってから、
「いちばんいいのは原料が麦だというこつです。米ではなく麦、何と
なく嬉しくなりませんか、堀田さん。最初は高価になるでしょうが、
大量にできるようになれば、必ずや値段は下がって安くなるはずです。
正に労働者の酒です。やがて日本の、みんなの居酒屋にもビールが溢
れ、仕事帰りの人たちで大賑わいになるはずですけん」
上機嫌で久成はいった。
(102p)
村橋久成はサッポロビールの元を造った人です。
その後日本には、たくさんのビール工場ができ、
ビールは安価になり、まさに労働者の酒となりました。
頑張って働いた後のビールは、気持ちがいいです。
島津斉彬も北海道のことは常に念頭に置いていたようで、ある幕府の
重臣がロシアに対抗するためには早急に彼の地に兵を置くべしと口に
したことに対し、こんな言葉を発したという。
「兵よりも民。まずは多くの民を蝦夷地に入植させ、蝦夷地を実効支
配しているのは我が日本国であることを、ロシア側にはっきり認識さ
せねばならん。それが、喫緊の課題でござる」
これが、島津斉彬の北海道に対する見方だった。
「おいも、そう思う。斉彬様のいう通りばい。まずは北海道の確実な
実効支配。そんためには人をふやさねえと。現在の北海道の人の数は
あまりに少なすぎるばい。じゃけん、産業をおこして、みんなが食っ
ていけるようにせんとのう。農業、漁業、畜産業・・・・北海道は大
自然の宝庫じゃ、みんなが食っていく手段は、いくらでもあるはずじ
ゃけん、その地ならしを我々の手で何とかせんとのう。ロシアとの大
戦(おおいくさ)はそのあとじゃ」
自分にいい聞かせるように黒田(清隆)はいった。
(110~111p)
まだ明治が始まった頃の話です。
北海道は、危うい場所であったことがわかります。
ロシアが狙っていたのです。
現在は、北海道があって当たり前ですが、
明治の初めには当たり前ではなかったのです。
いや、太平洋戦争終了時においても、
ソビエト連邦は北海道を狙っていました。
北方領土だって、ソ連の侵攻がなかったら、
当たり前のように、日本の領土と思っていることでしょう。
日本の北は、危うい場所なのです。
実効支配というのは、外交的戦略として、
有効なのだなと思いました。
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