2023年1月 1日 (日)

「無人島のふたり」⑤ 知床半島 だって一緒に行きたかった。

      

今日は令和5年1月1日。

   

昨日の記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

   

2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。

  

7月7日の日記です。

  

今生で後悔していることがあるとすれば、語学を勉強しなかったこ

とかもしれない。せめて日常会話くらいできたら旅先でもっと楽し

めたと思うし、一人でも旅ができただろう。一応努力はして、英語

学校に通ったこともあったのだが、目先の仕事に時間も気持ちも持

って行かれてしまった。

仕事はそれなりに頑張って充実感はあったのだけれど、来世は仕事

などしない人生がいい(人間でないかもしれないし)。

来世も夫とたくさん旅行に行きたい。スイスや南仏やイタリアやギ

リシャ、ニュージーランドやフィジーやタイへ行きたい。知床半島

だって一緒に行きたかった。

(79p)

   

後悔のない人生はないと思うけど、

後悔を減らしておきたいですよね。

今日届いた年賀状で、同年代の先生が退職旅行で、

夫婦で九州に行った写真が載っていました。

私も、退職したらどこか行こうとは奥さんに言っていましたが、

町内会長を引き受けたことで、1年延ばしになっています。

ここで死んだら、悔いが残るだろうな。

知床半島は、興味を持っていました。

ヒグマは怖いけど、知床半島の山には登りたいですね。

「仕事などをしない人生」という表現は意味深です。

仕事は大事だけで、仕事だけで埋められた人生はよくないのでは。

退職した自分が、今、考えなくてはならないことだと思います。

  

 

7月8日の日記です。

  

東京に4度目の緊急事態宣言が出た。

この病気になって夫とふたり無人島に流されているような日々を送

っているけれど、世の中に全く興味を失ったわけではなく一応ニュ

ースはチェックしている。

コロナから解放された世の中を私は見ることはないだろうけれど。

(81p)

  

コロナから解放された世の中は、やっぱり見てみたいですよね。

マスクをしないで人と会うことができる世の中。

2023年になったけど、まだ実現していません。

私もコロナで死にたくないし、コロナ後の世の中を見たいというか、

体験したい。

余命を宣告されてニュースを見ることはできるだろうか。

死んでいく私には関係ないことと思ってしまうだろうか。

  

  

7月15日の日記

 

別れ際20年以上付き合いがあり私の本をたくさん作ってくれたG氏

の手をつい握って、不覚にも泣いてしまった。G氏も堪えきれず泣い

ていた。

わたし、彼女が泣いたのは初めて見たと思う。

「この家が建ったのはG氏のおかげだから」なんて言ってしまったけ

ど本当は「一緒にたくさん本を作ってくれてありがとう。本当に長年

ありがとう」と言いたかった。

人が私のために泣いてくれると、その人の中に私が生きている気がし

てジーンとする。

(88~89p)

  

やっぱり、他の人の中で生き続けるんですよね。

そして、自分のことを知っている人が亡くなると、

自分は消滅していく。それが世の習い。

G氏の中に、自分がいることを感じられた山本さんは

ちょっと幸せだったろうな。

  

   

58歳の夏、私は腹水が溜まってお腹が苦しい。

腹水が溜まるなんて、なんと言うか末期感がすごい。

(91p)

  

さらりと書いていますが、絶望感があっただろうな。

印象的な表現です。山本さんだから書ける表現かな。

1991年の著作権改正は大事件

    

今日は令和5年1月1日。

   

前記事の続きです。

1980年代になぜ洋楽を私は聴くようになったのか。

40年ほど前のことですが、理由を思い出しておきたいです。

その頃は、全米チャートと言うのが気になっていました。

小林克也さんが、ラジオで「ベストヒットUSA」を始めたのは、

1981年だったそうです。

よく聴きました。

どの曲が上位を占めているのか気になっていたし、

少しだけ聴かせてくれるサビの部分によって、

この曲は手に入れたいとか考えていました。

MTVというのが始まったのが、やはり1981年。

音楽を、ビデオを見ながら楽しめるのがよかったです。

それぞれの曲が、映像とマッチして、

印象に残っていきました。

当時「ロッキンオン」という音楽雑誌も定期購読していました。

文字からも、洋楽の情報を得ていました。

以上、洋楽情報はふんだんに入ってきていました。

  

そして、最も洋楽を聴くようになった大きな理由が、

レンタルレコード店です。

レンタルCDの歴史とジャニス

☝ この記事によると、1980年ごろから

レンタルレコード店が始まり、1984年以後

急速に店舗数を増やすことになったようです。

まさに私が洋楽を聴き始めた1985年と一致しました。

私は愛知県の山奥で勤務して、住んでいましたが、

車で1時間の新城市には、立派なレンタルレコード店がありました。

週1で通って、当初はレコードを借りていました。

情報で知った洋楽はかなりそろっていて、

手に入らないものは、購入していました。

  

こうして私は洋楽にはまっていきました。

チャートを追いかけ、話題になりそうなアーチストの曲も

聴いていました。

当時は、私だけではなく、

多くの日本人が洋楽にはまっていたと思います。

今に比べて、洋楽のアーチストの来日公演はもっと多かったと思うし、

ニュースにもなっていたと思います。

マイケルジャクソン、プリンス、カルチャークラブ、ワム!など、

挙げていけばキリがないほど、洋楽アーチストのことが、

ニュースになっていたと思います。

  

 

そんな私が、洋楽から離れていった転機も覚えています。

当時はレンタルレコード屋が、レンタルCD店へと移行していましたが、

ある時、すごくショッキングなお知らせがありました。

洋楽のアルバムは、発売1年間はレンタル禁止と言うお達しです。

常に最新を追いかけていた私にとって、

これはとても痛手でした。

洋楽は購入するしかなくなってしまい、

満足するラインナップを手に入れることは困難になってしまったのです。

チャートを追いかけていた私の興味は失われ、

志向が邦楽へと移っていったのです。

あの転機は何年だったのか? 

レンタルCDの歴史とジャニス

それも、この記事に書いてありました。

  

1991年の著作権法改正により、洋楽の新譜は1年間レンタルが禁止

になってしまった。当時3~4割ほどを占めていたとされる洋楽レン

タル市場のうち、新譜の貸出が禁じられてしまったことは、当然レ

ンタルCD店にとって大打撃であったようで、1991~1992年のたっ

た1年間で1割以上にあたる600店舗以上が閉店・閉業し、その後も

レンタルCD店は減少の一途を辿り続けている。

   

すごいでしょ。当時洋楽のレンタルは3~4割を占めていたのです。

洋楽は流行っていたのです。

それが1991年の洋楽1年間レンタル禁止で、

レンタルCD店が大打撃をうけ、閉店が相次いだのです。

そして私も洋楽を聴かなくなりました。

1991年の著作権法改正は、とても大きな出来事だったのです。

   

かくして、私の洋楽情報は1985年~1991年の6~7年間に

絞られてしまいます。

その後知った、洋楽アーチストは数えるほどです。

年末年始の生活のBGMにしているロッド・スチュワートも

1985年~1991年で聴き込んでいた人です。

  

以上、昔話にお付き合いいただき、ありがとうございます。

思い出した、昔聴いていたロックシンガー

    

今日は令和5年1月1日。

  

また新しい年が始まりました。

どんな年になるか。

きっといい年になると思って臨みたい。

一生懸命やれば、どうにかなる。

もう高齢者である。

今さら悪い年を作りたくないです。

  

このブログが通算8437本目の記事です。

2022年は490本の記事を書きました。

今年も500本ぐらいの記事を書きたいです。

そうすると、1年後には9000本に近づきます。

どうなっているかな。

  

 

昨年末にイギリスのデザイナー、

ヴィヴィアン・ウェストウッドさんが亡くなったと

ニュースや新聞で見ました。

この方、私は全く知らない方ですけど、

名前から、私が昔よく聴いていた歌手の名前が連想され、

なかなか正確な名前が思い浮かばずに、モヤモヤしていました。

ところが、2023年になって、ふと浮かびました。

ウィンウッド・・・・この名前で検索したら、

スティーブ・ウィンウッドの名前が出てきました。

そうだ、この人だと思って、調べました。

イギリスの歌手で、現在74歳。

1986年に「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」という

アルバムを出しています。就職して2年目。

思い出しました。

私はこのアルバムを手に入れて、聴き込んだはずです。

そして、このアルバムからシングルカットされて、

全米で1位になったのは「ハイアー・ラブ」です。


YouTube: Steve Winwood - Higher Love (Official Music Video)

とっても懐かしい。  

モヤモヤが解消してよかったです。

   

1985年から何年間か私は洋楽をしっかり聴いた時期です。

私だけでなく、日本で洋楽が流行っていたと思います。

なぜか?

   

また書いてみたいです。

今晩は寝ます。

  

いい年にしましょうね。

2022年12月31日 (土)

「無人島のふたり」④ 承認欲求万歳ですよ

   

今日は令和4年12月31日。

  

前記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

   

2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。

   

そして思うのは、この文章のこと。

私はこんな日記を書く意味があるんだろうか、とふと思う。

こんな、余命4カ月でもできる治療もないという救いのないテキス

トを誰も読みたくないのではないだろうか。

これ、『120日後に死ぬフミオ』のタイトルで、ツイッターやブ

ログにリアルタイムで更新したりするほうがバズったのではないか。

でもそれは望んでいることからはずいぶん遠い。そんなことだから

作家としてイマイチなのかもしれない。

だったら何も書き残したりせず、潔くこの世を去ればいいのに、ノ

ートにボールペンでちまちま書いてしまうあたりが何というか承認

欲求を捨てきれない小者感がある。

せめてこれを書くことをお別れの挨拶として許してください。

(38~39p)

  

人間がもつ承認欲求はすごいエネルギーになると思います。

余命4カ月と宣告されても、日記を生産するエネルギー。

それを小者感と謙遜しているけど、そんなことはないです。

承認欲求万歳です。

私は、死の直前までこのブログを書くと思います。

それは、こんな人間が存在したんだよと、

証を残したいからだと想像します。

これは承認欲求です。

人間の、死の直前でも、最後に振り絞るエネルギーの源は、

承認欲求なのではと、この文章を読んで思いました。

  

医療用ウィッグは、ネットで検索していろいろ迷った末に、大手の

かつらメーカーで高いものを作った。

ウィッグそのものよりも、大手で作ると店に個室の美容室がついて

いて、抗がん剤で抜けた髪について研修を受けている美容師さんに

髪を整えてもらうのが何度か無料で出来ていいと思ったからだ。

(中略)

病気の時は、お金を払うから詳しい人に優しくされたい、というの

が本音だ。

その大手のお店では、ウィッグを作ったとき髪のことだけではなく

て、抗がん剤の症状の対処法なんかもいろいろ教えてくださり、と

ても嬉しかった。

(41~42p)

  

「お金は払うから詳しい人にやさしくされたい」

という本音が知れてよかったです。

そう思うのですね。

  

Sさんは、おそらく新潮社の山本さんの担当編集者。

  

この日記を手書きで書いていることをSさんに打ち明けた。

活字にしてほしい気持ちがある反面、こんなの誰が読むのだろう、

誰かが読んで面白いって思う?と自分でもまだ懐疑的で、何だかあ

やふやなことを言ってしまった。(中略)

Sさんとは30分くらいのつもりが楽しくなって2時間くらいおし

ゃべりをしてしまった。

6月の終わりに食べるとお祓いになると言う「水無月」という和菓

子を一緒に食べた。

また会いましょう。夏のうちに会いましょうね、絶対に会いましょ

うと言って別れた。

駅で別れた途端に目の前が歪んだ。

(63~64p)

  

6月29日の日記です。

余命は1カ月過ぎて、残り3カ月。

夏の間に絶対に会いたいと思う気持ちは共感できます。

秋には命がどうなっているのかわからないわけだから。

 

6月30日の日記です。

 

余命を宣告された時、もうこれで勉強のための読書をしないでいい

のだと思ったことは事実で、実際に家にあった未読本をたくさん手

放した。

未来のための読書がなくなったらもう何も読みたいものはないのか

もと思ったけれど、私の枕元には未読本が積んであるコーナーがあ

って毎晩その中からその日の気分に合わせて本を選んでいる。未来

はなくとも本も漫画も面白い。とても不思議だ。  

(65~66p)  

  

「読む」という行為は、中毒性があると思います。

活字中毒と言う言葉を、ずっと以前に聞いて、

頭にこびりついています。

椎名誠さんがそうでした。

文字を見たら読まざるを得ない。

文字がないと探してしまう。

日本語がわからない人が見たら、

何が書いてあるか全くわからない文章を読んで、

頭で想像することができるのは、きっと面白い。

私も、活字中毒になるように心がけ、

死の直前でも、本やマンガを楽しめるようになりたい。

「無人島のふたり」③ アルカイック・スマイルなんて無理

    

今日は令和4年12月31日。

  

前記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

   

2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。

  

寝ても寝ても眠い。

お昼前に一度起きたが、倦怠感半端なく午後もまた寝る。

夜になって少しマシになり、起き上がって夕食。

食後、夫と録画してあった「アメトーーク!」を見る。

アッハッハと笑って全部見終わったら気持ちが無防備になったのか

「あー、体だるい。これいつ治るんだろう」と思ってしまい、「あ、

そういえばもう治らないんだった。悪くなる一方で終わるんだった」

と気が付いてだーっと泣いてしまった。

(33p)6月6日の日記です。

  

私はなぜこの本を読んだのか。

いつかは自分の身に起こると考えて、

疑似体験したいと思っているところがまずあります。

あるいは、達者な作家さんならば、

死を達観して、うまく死を納めているかなと期待したところも

あるかもしれません。

でも、死を達観するなどできないことです。

山本さんも何度も泣いています。

死と対面した時には、たくさんの涙が必要なようです。

ふだんの生活で涙はぐっと我慢しよう。

死に直面した時に、しっかり泣いて、心を落ち着かせたいです。

  

昨晩は「アメトーーク!」の特番があり、

うちの娘はお笑いが大好きなので、しっかり見ていました。

家中に、娘の笑い声が響いていました。

私もつられていっとき見て、しっかり笑いました。

お笑い番組は、やっぱり必要ですよね。

笑わされることは、大事なことです。

死をも忘れさせてくれる笑いの力、すごいです。

私が昨晩特に笑ったのが「運動神経が悪い芸人」です。

  

6月6日の日記はまだ続きます。

  

どんないい人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか遅

いかだけで一人残らず誰にでも終わりがやってくる。

その終わりを、私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配

もなく迎えることができる。

だから今は安らかな気持ちだ・・・・、余命を宣告されたら、そうい

う気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。

死にたくない、なんでもするから助けてください、とジタバタすると

いうのとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなん

て浮かべることはできない。

そんな簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気持ちがする。

(34p)

  

「アルカイックスマイル」とは?

コトバンク

 

ギリシャのアルカイック彫刻に見られる、口元に微笑みを浮かべた表情。

  

なるほど。アルカイック・スマイルだったんだ。

  

死は達観できないのです。

みんな死ぬんだからなんて考えられません。

みんなはともかく、自分の死は大問題なのです。

2022年12月30日 (金)

「無人島のふたり」② 今だけを見つめる技が習得できないものか

     

今日は令和4年12月30日。

  

前記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

  

緩和ケアの先生に、山本文緒さんが、

初めて話をした時の文章です。

  

私の長い話を、AクリニックのO先生は遮らずに聞いて下さった。

そして1時間余り、今後のことなどをあれこれと相談させて頂いた。

私は家族以外の方とこんなに病気のことをフラットに話せたのは初

めてだったし、夫も自分の気持ちを口に出したのは初めてだったと

思う。

よかった。本当によかった。私はクリニックの方々に助けてもらう

だけではなくて、私の経験が、彼らや彼らがこれから出会う患者さ

んの役に少しでも立ちますようにと思った。私、うまく死ねそうで

す。

(18p)

  

緩和ケアの効果は大きいんだなと思いました。

「私、うまく死ねそうです」という気持ちになったのがすごい。

私にとって、緩和ケアは未知のことですが、

こんなところなんだなと想像させてくれます。

  

私の膵臓がんはスティーブ・ジョブズがかかったような特殊なもの

ではなくて、ごく平凡なものだった。なので標準治療も複雑なもの

ではなくごくシンプル。

セカンドオピニオンの医師はすごく頭の切れそうな方だった。説明

が上手で感じが良く、我々の反応をよく見ていた。そして私本人が

まだ迷っているのを察して、道筋を見つけて、選択肢を明確にして

くれ、押しつけがましくない誘導をしてくれた。

そしてB医療センターの先生と違った点は、余命の時間だった。そ

の先生は私の予後を4カ月、化学療法を行って効いたとしても9カ

月と言った。

(27p)

  

スティーブ・ジョブズも膵臓がんだったのですね。

もうだいぶ昔の「ためしてガッテン」で、もっとも厄介ながんが、

膵臓がんであると紹介された時から、私にとって膵臓がんは、

耳にしただけでも、ゾクッときます。

   

2021年6月1日に、こうして山本さんは、

余命4ヶ月を宣言されます。

   

帰りの新幹線のホームで、それまであまり言われたことにピンとき

ていなかったのが、「4カ月ってたったの120日じゃん」と唐突

に実感が湧いて涙が止まらなくなった。(中略)

しかし泣きながらも、『120日後に死ぬフミオ』って本を出した

らパクリとか言われるかなとも考えた。

帰宅してシャワーを浴びる気もせず、パジャマに着替えてベットに

入った。もうすぐ死ぬとわかっていても、読みかけの本の続きが気

になって読んだ。

金原ひとみさんの『アンソーシャル ディスタンス』、死ぬことを

忘れるほど面白い。

(28p)

   

「4カ月」よりも「120日」とすると

カウントダウンが始まってしまう感覚になるのでしょうか。

1か月は漠然と長いけど、1日は短い。

そんな短い1日が120回で死を迎える。

涙を流すことに共感できたつもりです。

 

「100日後に死ぬワニ」は本で読みました。

ここでも道草 「100日後に死ぬワニ」を読みました(2021年7月11日投稿)

そのパクリと言うわけですね。

大きな違いは、本人が120日後に死ぬことを知っていることです。

その状況に、私は耐えられるだろうか。

 

死ぬとわかっていても、読みかけの本の続きが気になった山本さん。

読書で味わえる没入感は、差し迫ってくる死を横に置いておく効果は

あるのかもしれません。

この日記には、この後も、読書が出てきます。

私も読書に助けられたいです。

  

  

何も考えたくない。

過去のことも未来のことにも目を向けず、昨日今日明日くらいのこと

しか考えなければだいぶ楽になれるのにと思いつつ、気が付くと過去

の楽しかったことや、それを失う未来のことで頭がいっぱいになって

苦しくなっている。

今だけを見つめるという技は、宗教を極めた高僧のような人にしか出

来ないことなのかもしれないと思う。あとすごい職人さんとかは無意

識にできそう。

(32p)

 

6月4日の日記です。

「それを失う未来のこと」に考えがいかないようにできたら、

楽でしょうね。山本さんの考えに共感します。

今だけを見つめる技。習得できないものか。

2022年12月29日 (木)

「無人島のふたり」① 膵臓がんでステージ4と告知

    

今日は令和4年12月29日。

  

この本を読みました。

81jfhvfb1vl

amazon

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)

ここでも道草 「自転しながら公転する」の著者が死をどう書いたか(2022年11月23日投稿)

☝ この本を読むきっかけはここに書きましたが、

アマゾンで注文して、すぐにでも読もうと思っていましたが、

今年ぎりぎりになってしまいました。

   

2021年3月に膵臓がん、ステージ4と診断され、

同じ年の10月13日に亡くなってしまった山本文緒さん。

本によると、6月1日に余命4ヶ月と宣告されています。

私にとって、思い浮かぶ最も酷な死に方です。

いつか自分の身にもやってきそうで萎縮してしまいます。

山本文緒さんは、どんなことを書いたか。

じっくり読みました。

  

日記は2021年5月24日に始まっています。

  

5月25日の日記。

 

突然髪が抜け始めた。

朝起きてパジャマを脱ぐと裸の背中に何か触るような感触があって

振り向くと床に大量の毛が落ちていた。指でひっぱると束になって

抜けて青くなった。昔見た「太陽を盗んだ男」という映画で被爆し

たジュリーの髪がごそっと抜けていたシーンが頭を過る。洗面所へ

走り、ブラシで梳かすと引くほど抜けた。

抗がん剤は一度しかやっていないし、それも3週間ほど前に終わっ

ていたので脱毛はもうしないものだと思っていたのでショックが大

きかった。

夫を呼んで伝えようとしたら、言葉より先に涙が出てしまった。床

に抜け落ちる髪を見て事態を察した夫は、「大丈夫だよ、大丈夫」

と自分に言い聞かせるように呟きながら、もらい泣きをしていた。

髪は引っ張れば引っ張るほどいくらでも抜けて、洗面所に座り込ん

で狂ったように髪を抜いた。その間、夫は私の寝室の床に掃除機を

かけ、毛だらけになったシーツも洗濯してくれた。

しかし人間の頭には驚くほど髪の毛が生えていて、いくら抜いても

傍目にはまだどこも脱毛しているようには見えない。頭皮が痛くな

って呆然(ぼうぜん)としているうちに、そうだ、まだ自分の髪が

あるうちに外を歩きたいと思いつき、夫に頼んで車で少し行ったと

ころにあるカフェに連れて行ってもらった。(中略)

明日は緩和ケアをやってくれるクリニックへ初診に行く。

ちょっと前までは重病患者は大きな病院の主治医の先生に頼り切り

の印象だったけれど、今は様々な相談先があるようで有り難い。う

まく死ねますように。

(11~12p)

  

さっそく印象に残る文章です。

「人間の頭には驚くほど髪の毛が生えていて」

そうなんですね。人間の髪の毛はけっこう生えているんだ。

土壇場でも冷静になった瞬間です。

  

今は様々な相談先があることを、アドバイスとして読みました。

「うまく死ねますように」は勇気ある言葉です。

でもこういう気持ちになるのかな。

  

 

膵臓がんで、ステージ4と告げられた時の話です。

腫瘍の位置が悪いことで手術はできず、転移していなければ放射線

治療も考えられたそうなのですが既に転移もあり、残された道は抗

がん剤しかありませんでした。しかし抗がん剤でもがんが治るわけ

ではなく進行を遅らせるだけだということでした。

そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ちでした。

私は毎年きちんと人間ドックを受けてきたし、煙草とお酒は13年

前にやめて一度も飲んでいないし、食生活だってそう無茶をしたも

のだとは思いません。

膵臓がんってそんなに見つからないものなの?

(16~17p) 

  

急に言われるものなんだろうな~。怖いです。

私も人間ドックを受けてきたし、

内科でも1カ月おきに診てもらっているし、

食事も注意するようにしています。

がんにならない食事のトップであるニンニクは、

毎日食べています。

もしがんと言われたら、すぐに納得できないだろうな。

  

 

山本文緒さんは、抗がん剤に、告知の翌々日から挑んでいます。

  

やるしかないと勇んで挑んだ抗がん剤だったのに、私はけちょんけ

ちょんにやられました。もう二度と体に抗がん剤を入れないと決意

を固めただけのつらい一週間でした。

(17p)

  

抗がん剤は、抗がん剤で死ぬんじゃないかと思うほど

辛いと聞いた事があります。

山本文緒さんの文章からも、その辛さが伝わってきます。

自分もやりたくないな。

  

そうなると、待っているのは緩和ケアにあるのです。

もう助からないのを前提に、日を過ごしていくのです。

なんと無慈悲な病気なんだと思います。   

続「週刊新潮」12月22日号

     

今日は令和4年12月29日。

  

それでは、

ここでも道草 「週刊新潮」12月22日号/予防接種と死亡の関係は「評価不能」(2022年12月17日投稿)

この記事の続きで、「週刊新潮」12月22日号の

印象に残ったことを書いていきます。

  

京都大学の名誉教授、福島雅典氏の解説によると、

ワクチンを打ち続けると、コロナに対応した抗体ばかり

作るようになり、様々な病気に対応するための免疫力が

落ちてしまうのだそうです。

体が”コロナ特化型”になってしまい、

違う病気には弱くなってしまうのです。

この解説は印象に残りました。

とにかく、私は次のコロナワクチンは打たないことにしました。

  

「芦田愛菜さんが持て囃されるワケ」

CM女王になった芦田愛菜さん。

その理由を書いた記事がありました。

理由を列挙します。

・スキャンダルがない。

・学歴がある。

・アンチがおらず、熱狂的なファンもいない存在。

・SNSをやっていなくて、炎上の心配がない。

・広告業界のメインターゲットのF1層、

 つまり20~34歳の女性にとって、

 愛菜さんは、十数年慣れ親しんだドラえもん並みの親近感。

そして今は学業があるので、拘束時間が短いCMで稼ぐ賢さ。

将来、芦田愛菜さんはどうなっていくのでしょう。

読書をたくさんしている面があるので、応援したくなります。

  

X JAPANのYOSHIKIとToshiは不仲だそうです。

以前は一緒に音楽活動をやっていたのにね。

  

創価学会の池田大作名誉会長は、2010年を最後に、

表舞台には登場していないとのこと。

現在94歳。

選挙に強い力を発揮する池田大作氏が長年の不在。

どうされているのだろう。

遠い昔の時代を想像します。

すでに元気がなくなっているのに、

それを公開できず、影響力を利用するパターン。

まさか死を隠しているということはないと思いますが。

  

俳優の三夏紳さんが、かつて交流のあった勝新太郎さんと

市川雷蔵さんのことを語る記事。

何と2人は「花の白虎隊」(1954年)で同時デビューでした。

勝さんにとって、雷蔵さんは、ライバルというか、

越えたい人物だったんだろうなと思います。

市川雷蔵さんはかねてから興味のある人だったので、

その人柄が表現されている文章は印象に残りました。

いつも赤坂の料亭にしか行っていなかった雷蔵さん。

三夏さんに頼んで、裏通りのバーに連れて行ってもらいます。

「小さなバーでいいんですか?」

「そういうところがいいんだよ」

そんなわけで、あるとき中野の裏通りにあるバーに案内したことが

あります。雷蔵さんであることはお店に隠してね。いくら「眠狂四

郎」でニヒルな剣客を演じる大スターでも、化粧を落とすと普通の

サラリーマンに見える。それで、ボックス席でウイスキーを飲んで

騒いでいると、ママが私に囁きました。

「あの人も俳優さん?」

それに気づいた雷蔵さんがすかさず割って入ります。

「僕は裏方の事務です!」

そのうち流しのギター弾きもやってきて、雷蔵さんに、

「お兄さん、歌わない?」

そう声をかけても、

「僕、歌はあんまり・・・・」

なんてね。ところが、やっぱりママの目は鋭いと言いますか、しば

らくして私にそっと聞くんです。

「横顔が雷蔵に似てる気がするんだけど、まさか違うわよね?」

雷蔵さんも、観念したという様子で正体を明かします。ママは驚い

て悲鳴を上げましたよ。流しは流しで震えてギターが弾けなくなっ

ちゃったりしてね。天下の市川雷蔵が来るとは誰も思わないですか

ら。

雷蔵さんにはそういう茶目っ気がありましたね。

この文章は楽しい。

次の文章もいいです。

さて、大映で”鬼”として知られた増村保造監督の「陸軍中野学校」

(1966年公開)の撮影の話です。主演は雷蔵さんですが、私は

このとき、俳優をやけようと思い詰めました。

たった一言、「はあ」というセリフだけのために、朝10時から夜

7時まで撮り直しをさせられたからです。

次の日の撮影は、私が中野学校の生徒に追いこまれて殺されるシー

ン。その日は全部1回撮りでオーケーが出ました。撮影後、雷蔵さ

んが飲みに誘ってくれて、新宿・歌舞伎町のバーに行きました。

「増村保造はたいしたもんだな。三夏、わかるか?昨日”はあ”をあ

んな風にやらせたのはな、今日の芝居のためなんだよ。昨日の”はあ”

で今日のキミは作られていたんだよ」

言われた瞬間、そんなところまで見ていた雷蔵さんはなんてすごい

人だろうと思いましたね。今では考えられない演出法ですよね。

公開されてから1週間ぐらいして、東京の撮影所に来ていた勝さん

とお会いしました。

「映画観たよ。よかったなあ。あの死んでいくシーン。あれだよ。

お前の目を観ていて、本当の恐怖感が伝わってきたよ」

あの勝さんに初めて褒められたのです。一生の宝物ですよ。

観たくなります、「陸軍中野学校」

三夏さんの殺されていくシーン。

どんな演技だったのか、どんな目をしていたのか。

市川雷蔵さんは、がんのため1969年7月17日に

37歳で亡くなっています。

   

五木寛之氏が「お世辞」について書いた文章です。

本当のお世辞とは、相手が自分で気づいていない美点をみつけて、

そこをしっかりほめることだろう。

相手が自慢したがっているところをいくらほめたところで、それ

は社交辞令というものだ。自慢の腕時計をほめまくっても、相手

は一応納得するぐらいのことである。

ご当人がこれまで自分で気づいてなかったところを指摘してほめ

る。ご当人は一瞬とまどうが、そうなのか、と意外な気がしつつ

も納得する。

難しいぞ、お世辞。でも言えたらいいなと思います。

  

「オカシナ記念病院」(久坂部羊著/角川文庫)

里見清一氏のエッセイを読んでいて、読みたくなりました。

理由は何だっけな。

きっと読めばわかる。

  

ドイツのゴールキーパー、オリバー・カーンが活躍したのは、

2002年の日韓共同開催のW杯だと、小林信也氏のエッセーを

読んで、思い出しました。

将来、首相になるのではと言われていました。

今はどうしているのかな。

  

今村翔吾さんが連載小説を書いていました。

「五葉のまつり」

今村さんは、朝日新聞でも連載を書いています。

すごいなあ。

  

岩間剛一氏が薦める本。

「エコファシズム 脱炭素・脱原発・再エネ推進という病」

(有馬純、岩田温著 育鵬社)

ダイオキシンや酸性雨で懲りています。

私は今、大衆に流されているのでは。

将来、自嘲するような行動をしているのでは。

自分でちゃんと情報を集めて、正しく動きたいです。

そのためには、この本はよさそう。

  

「佐藤優の頂上対決」という対談シリーズ。

タダノ代表取締役社長CEOの氏家俊明氏が登場。

1961年生まれ。一緒でした。

クレーンで世界一を目指しているとのこと。

世界中を渡って仕事をされた人のようです。

同年代でこんな人もいるんだと思いました。

  

神戸に遺された「廃墟の女王」

麻耶観光ホテル。

2021年に、国の登録有形文化財に指定。

こんなところもあるんだ。

立ち入り禁止のところを入らせてもらっての撮影。

中身も廃墟でした。

かつて人がいた頃を想像して、写真を見ました。

  

  

以上。

440円の情報量はすごい。

2022年12月28日 (水)

本を読むこととアウトプットすること

    

今日は令和4年12月28日。

   

本を読むことと、読んだ後にアウトプットすることを

両方やりたいと思っています。

アウトプットは、このブログに本のことを書くことです。

そうすることで、本を読んだことが、

少しは自分の血や肉になると信じています。

読みっぱなしができない、損な性分です。

  

だが・・・無限に時間があるわけではないので、

完璧にやろうとすると、困ったことになってしまいます。

本を読むことを重視すると、アウトプットする内容が溜まってしまう。

アウトプットを重視すると、読みたい本が溜まってしまう。

ああ困った。

私は、本を読んで印象に残った文章を引用するやり方が好きです。

これは時間がかかります。

今は文章を見ながら、キーボードで打っていますが、

引用したい文章をスキャンするなど工夫が必要かも。

でも、勉強するなら「書き写す」に匹敵するキーボード打ちが

やっぱりいいのではというこだわりもあります。

ああ厄介だ。

   

12月17日に「週刊新潮」12月22日号のことを打ち始めましたが、

停滞しています。

ここでも道草 「週刊新潮」12月22日号/予防接種と死亡の関係は「評価不能」

この本でアウトプットしたいことはたくさんあるのに、

なかなかアウトプットする時間がとれません。

今日、コンビニで見た「週刊新潮」の最新刊は興味ある記事が載っているのに、

12月22日号が突破できていないのに、次に進めない自分がいます。

他の人が見たら、馬鹿だなあと思うでしょうね。

  

今晩は遅いのでもう寝ます。

明日は、どうにか時間を作って、

「週刊新潮」12月22日号をアウトプットしたいです。

どわー!と短時間ですませたい。

そして「週刊新潮」の新刊を買いたいです。

  

2022年12月27日 (火)

ロシュ社/さいしょに病気とたたかう薬は、検査薬だ。

       

今日は令和4年12月27日。

   

またまた地理の教科書からの引用です。

ヨーロッパの学習をしている時に、

この文章で立ち止まりました。

  

(ヨーロッパの産業は)1980年代以降は自動車産業やコンピュ

ーター、航空機、医薬品などのハイテク産業が大きく成長しました。

(「新しい社会 地理」東京書籍 83p)

   

私が立ち止まったのは「医薬品」です。

ヨーロッパの医薬品というのは、具体的にどんなものなんだと思い、

調べました。

その結果、世界一の医薬品メーカーが

ヨーロッパにあることを知りました。

ロシュ社です。

スイスのメーカーです。

最新の情報によると、アメリカのファイザー社が首位を奪還し、

ロシュ社は2位になったそうです。

コロナワクチンによる売り上げ増が大きな理由です。

  

ロシュ社について調べてみると、

各種検査薬の分野が得意なようです。

生徒にいまいち伝えにくいと思い、

授業ではスルーしてしまいました。

授業では扱いませんでしたが、

ロシュ社のCMは印象に残るものでした。

そしたら、2日前、Yahoo!のトップ画面に、

ロシュ社のCMが登場。再会しました。

これがそのCMです。


YouTube: In-vitro Diagnostics is the first drug to fight diseases | Roche DIA Japan


確率の話です。

初恋の人と結婚する確率 1%

野球場でホームランボールをつかむ確率 0.026%

四つ葉のクローバーを見つけられる確率 0.01%

都内でタヌキに出会う確率 0.001%

隕石が直撃する確率 0.0004%

あなたが産まれてきた確率 0.00000000000007%

ここまで希少なパターンを並べておいて、

次にドーンと確率の高いものを持ってきます。

1

2

男性65.0%!

もうほとんどの人がなると考えてしまいます。

CMは続きます。

3

「さいしょに病気とたたかう薬は、検査薬だ。」

これがロシュ社のモットーではないでしょうか。

検査薬によって、早期にガンが発見できれば・・・

4

というわけです。

5

「検査薬で世界をリードするロシュ・ダイアグノスティックス」

  

接種することで、病気が治る薬に比べて、地味かもしれませんが、

病気を見つける検査薬も大事な薬だと思います。

  

授業ではスルーしてしまったけど、

いつか使える知識として、ここに置いておこうと思います。

  

最後にもうひとつ。

このCMも検査薬の役割を擬人化したものです。


YouTube: 検査薬はささえる、病気の前も後もずっと | フルバージョン | ロシュ・ダイアグノスティックス







    

最近の写真

  • Img_5869
  • Img_5868
  • Img_5866
  • Img_5864
  • Img_5863
  • Img_5795
  • Img_5849
  • Img_5848
  • Img_5765
  • Img_5785
  • Img_3607
  • Img_3126

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉