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2025年2月

2025年2月17日 (月)

どうして水死体のことを「土左衛門」というか?

   

今日は令和7年2月17日。

  

日々、動画を見て勉強をしています。

この動画より。


YouTube: 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第5回「蔦に唐丸因果の蔓」雑談

 

21分25秒から「土左衛門」が話題になります。

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子どもの頃、時代劇が好きだったので、テレビでよく見ていました。

その影響は今も残っています。

子どもに向かって「お前さん」という言い方をよくします。

「土左衛門」が水死体だということも当然のように

知っていました。が・・・なぜ水死体のことを

「土左衛門」というかは知りませんでした。

それを知ることができました。

  

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水死体が、体に水を含んで、白く太っている状態なので、

まるで成瀬川土左衛門みたいだという例えから、

水死体を「土左衛門」と言うようになったそうです。

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そうだったんですね。

  

こうやって、動画で知ることはほぼ毎日です。

それらを全部、ブログに書き留めることができたらいいなと

思いますが、無理だなあ。書いているのは10%くらいかな。

サークルで教えてもらった「教訓コップ」「針金アメンボ」/断水時でも大丈夫“水洗トイレ“

    

今日は令和7年2月17日。

  

昨日はサークルでした。

報告したのは、次の記事でした。

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今回は7本にしました。

前回10本では多かったので、厳選して7本です。

7本くらいがちょうどいいです。

実践を伝えて、ご意見をいただきました。

  

いろいろ教わりました。

  

こんな理科の実験があるよと教えてもらったのが、

「教訓コップ」と「針金アメンボ」

  

「教訓コップ」がサイフォンの原理を利用したもの。

「針金アメンボ」が表面張力を利用したものです。

ネットで調べるといいよとアドバイスされました。

調べるとちゃんとありました。

それも、1本の動画で、「教訓コップ」「針金アメンボ」

両方の作り方が入ったお得な動画でした。


YouTube: 【Mr.カガックの科学で遊びまSHOW】教訓コップ&針金アメンボ

  

「教訓コップ」の仕組みを利用したのが、

水洗トイレだそうです。

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ほぼ4分の頃の写真です。

    

ここが気になります。

水洗トイレの構造を調べてみます。

この動画がいいです。


YouTube: 水洗トイレが流れる仕組みと下水からの臭いが上がってこない構造をくわしく解説!

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排泄物をトイレにした後に、タンクから水を便器内に入れます。

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排水管が、先ほどの実験のストローに当たります。

水がたくさん入ることで、水が排水管を通って流れるのです。

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水は残ります。

水が残る理由は、排泄物が便器にこびりつかないため。

そして排水管から悪臭がトイレ内に入ってこないためです。

  

つまり断水した時でも、水さえあれば水洗トイレは流れるのです。

風呂の水を捨てないでおけば、便器内に水を入れればOK。

そのことは、この動画の冒頭にもありました。


YouTube: 便器に水を注ぐと自動的に流れる理由とは

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これはいいことを知りました。

  

現在、風呂の水は、入浴後にすぐに抜かずに、

翌日の夕方まで湯船に溜めたままです。

災害時に備えてです。

この風呂の水さえあれば、水洗トイレは利用できるのです。

仕組みを知って、ほっとしました。

これも授業でやってみたいですね。

幸い、勤務校には、男女兼用トイレがあるので、

男子でも女子でも教えることができます。

「断水でも水洗トイレが使える体験」です。

  

  

「針金アメンボ」の写真です。

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ティッシュペーパーを水に浮かべて、その上に針金アメンボを置きます。

そして棒を使ってティッシュペーパーを沈めます。

そうすると「針金アメンボ」は浮きます。

サークルで教えてもらったことです。

実際に動画で見ることができました。

  

表面張力について調べたら、きっと面白いことがあると思います。

でも今回はここまで。

2025年2月15日 (土)

20250211本城山登山⑥ 本城山頂上 

   

今日は令和7年2月15日。

  

13日の記事の続きで、2月11日の登山のことを

書いていきます。

  

白滝を見た後に、本城山(ほんじょうざん)を目指しました。

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「あと3段」という案内板があります。

城址である本城山。頂上に向かっていく時に、

平らな場所が6段ありました。

これは曲輪の跡と思われます。

  

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「頂上まで100m」の案内板。

もう頂上は見えています。

  

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頂上の直前、井戸跡石垣跡の案内板。

頂上に行った後に行くことに、

まずは頂上を目指します。

  

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頂上直前。気持ちよさそうな頂上です。

  

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大きな岩のある頂上。

太陽光で温まった岩の上で昼食。

贅沢な時間でした。

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本郭(ほんぐるわ)

当時はおそらく6合目以上の樹木を切り倒して裸山とし、

60余の全ての曲輪の輪郭にはノボリを立てて虚勢を張りました。

(後略)

  

この説明で、イメージが浮かびます。

6合目以上にたくさんの旗がはためく城が浮かびます。

壮大だっただろうなと思いますが、

城を守る人たちは真剣、命懸けだったのでしょう。

私たちは同じ場所を、のんびりと登山。

幸せな時代を感じます。

  

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(前略)

1535年ころに築かれたこの山城の城主は、斉藤八郎左衛門宗雄と

言われます。美濃国の守護土岐頼芸(よりのり)と斉藤道三に対して、

土岐頼純(よりずみ)を支援して最後まで戦った武将で、この山城は

その本拠地=本城であったと考えられます。(後略)

  

土岐頼芸と斎藤道三は手を組み、一度は美濃国を治めました。

その後頼芸は道三によって美濃国から追い出されます。

そんな歴史を思い出します。

頼純は頼芸の兄。

大河ドラマ「国盗り物語」(1973年放映)の、

頼芸(金田龍之介)が、道三(平行幹二朗」に追い出されるシーンが

浮かぶんですよね。

ちなみに頼芸の読みは「よりのり」と読む可能性高し。

次の動画を参考にしました。


YouTube: 土岐頼芸の読み方について

  

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温度計は10度でした。ちょっと高くないか?

  

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2025年2月14日 (金)

暴風が吹いた翌日に風の授業「コアンダ効果」

    

今日は令和7年2月14日。

  

昨日は風が強かったですね。

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ウェザーニュース

  

この天気図のように、低気圧が発達したことで、

風が強かったようです。

  

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ウェザーニュース

 

今日は愛知県のあたりは風が弱まるかな。

  

  

風が強いことから、

今日からの勉強は風の授業をしたくなりました。

この気まぐれ。

 

参考にした動画はこれ。


YouTube: ドライヤーをつかった空気実験!【工作・科学実験】

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丸いものに風を当てると、曲面に沿って風が流れます。

これを「コアンダ効果」というそうです。

また新しいことを知りました。

このコアンダ効果のおかげで、

ドライヤーの風によって、球体は浮き、

ドライヤーを傾けても、ドライヤーを移動させても、

球体は浮き続けます。

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球体が落ちない理由は、この動画がわかりやすいです。


YouTube: 【科学実験】風の力でボールを操ろう【あっとほうむ】

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面白いでしょ。

    

さっそく我が家にあるドライヤーでやってみました。

う〜ん、ちょっと馬力が弱い。

でも大丈夫。

ペットボトルを、送風口に取り付けることで、

風に勢いを増すことができます。

  

電動エアダスターを注文してしまいました。

今日、届きます。

来週はそお電動エアダスターを使っての実験になります。

  

「気まぐれ」「思いつき」と言われますよね。

でもね、自分が知っていることをやるのではなく、

ついでに自分も知らなかったことを知る体験をしながら、

授業をするようにしています。

その方がドキドキします。

  

その他、今日やってみたいのは、

ウメ、モモ、サクラ、カキ、アーモンドの枝を切断して、

教室の花瓶にさすこと。

教室で促成栽培をします。

冬芽の観察ができます。

  

今日もいい日にするぞ。

2025年2月13日 (木)

20250211本城山登山⑤ 白滝で氷柱(つらら)を見る 

   

今日は令和7年2月13日。

  

前記事に続き、2月11日の登山のことを書いています。

  

大仏山頂上から、本城山(ほんじょうざん)を目指します。

木にも寿命があります。

枯れ木を必ず見かけます。

見上げたら、気持ちの良い空でした。

思わず撮影。

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こんな平らな場所もあります。

快適に歩けます。

    

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本城山は、小野城の城址があります。

このような案内板があるのは、本城山が近づいてきた証拠。

  

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この分岐は、本城山の頂上から下りてきたら、

右へ下っていくところ。藤谷経由高澤観音。

  

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この分岐で右に曲がり、白滝を目指す。

往復してこの場所に戻ってきて、頂上を目指す。

 

白滝。

雪のある時には、道がよく分からず、急な道なので、

スムーズには目的地まで行けませんでした。

下の写真は、急な下り道を慎重に下りて行くところ。

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本当はつららがもっと長く、そして落下した水が凍った場所と

つららがくっつくくらいだと迫力があるらしい。

車をとめた駐車場にあった大きな地図の傍に

写真がありました。

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例年より雨が少なかったので、川の水量が少なかったか、

あるいは、今回は寒波が来たけど、それまで暖かかったためか、

今年はこんなものでした。

でもつららも、岩にはりついた氷も良かったです。

ここまで歩いてきたから見ることができた、

普段では味わえない世界ですからね。

ここで動画を1本。

私がこの白滝の場所で撮影したもの。

元気なSさんの声が入っています。


YouTube: 2025年2月11日 岐阜県関市本城山 白滝


  

2日前の2月9日に登った人の報告を見ました。

白滝はこんなものでしたが、私たちが行くのをやめた神滝の

つららはなかなか大きかったようです。

ヤマップ 本城山※氷柱を見に 2025年2月9日

このサイトから1枚転載。

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「太い」とコメントが書いてありました。

確かに太い。


   

20250211本城山登山④ 大仏山頂上を通過 

                                                                                                                              

今日は令和7年2月13日。

    

前記事に引き続き、2月11日の登山のことを書きます。

  

高沢山頂上を通過。

雪道を進みました。

雪は深くなく、凍っていない状態。

アイゼンを使う必要もなく、快適に歩けました。

展望がいい場所がありました。

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見坂峠には向かわず、右後ろ方向、大仏山方面に向かいました。

「大仏」は「おおぼとけ」と読みます。「山」は「やま」「ざん」?

  

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また展望のいいところに来ました。

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恵那山方面。

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いるんだなあと、ありがたく思います。

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また雪道を歩きます。

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木漏れ日のある雪道。

「これはいい道だ」と思うと、飽きずに撮影します。

  

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大仏山頂上。

ここには大きな反射板がありました。

ちょっと興醒めしてしまう状態。

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地元の人が言うには、合併前には関市の最高峰だったとか。

434.5m。

合併後は、高賀山でした。1224m。

合併前は洞戸(ほらど)村に高賀山はありました。

もともとこの付近の町村は武儀(むぎ)郡でした。

武儀郡の5つの町村が関市に合併して、

V字の新しい関市が誕生しました。

2005年2月7日のことでした。

ほぼ20年が経過したんですね。

  

  




















  

20250211本城山登山③ 飛騨千光寺に行きたい

    

今日は令和7年2月13日。

  

前記事の続きで、2月11日に登った山のことを書いていきます。

  

前記事で調べた飛騨千光寺(高山市)は、俄然行きたくなりました。

円空作の両面宿儺像は、魅力的です。

しかし、現在、この像は千光寺にはありません。

東京にお出かけしています。

この動画で知りました。


YouTube: ここに注目!「円空展」(三井記念美術館)

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三井記念美術館にあるわけです。

  

両面宿儺像のことを書いた本を、

動画のYouTuberの田中ひろみさんが書いています。

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この本、さっそく図書館に予約しました。

東京はなかなか行けませんが、

岐阜県はお隣の県。

登山も兼ねて飛騨千光寺に行きたい。

4月以降ですね。

   

それでは登山の続き。

高澤観音本堂のすぐ裏から登山道がスタートでした。

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「龍神の池」

この案内板には、両面宿儺と北条政子にまつわる

故事が書かれています。

  

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高多山頂上を目指します。

  

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むむ、これが頂上なのか?

あっけない頂上でした。

  

続く

20250211本城山登山② 両面宿儺(りょうめんすくな) 

   

今日は令和7年2月13日。

  

昨日の記事の続きです。

  

この地図は、一緒に登ったKさんが用意してくれた地図です。

この地図を見ながらの登山でした。

右手の日竜峯寺を出発。反時計回りで高沢山ー大仏山ー白滝ー本城山

ー藤谷集落ー日竜峯寺コースでした。

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上のにメモした時間は、Kさんが予想したコースタイム。

今回は、予想を少し上回るペースでした。  

   

  

高澤観音本堂の写真を載せます。

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名古屋鎮台は陸軍の部隊です。

明治22年(1988年)に廃止され、第3師団に移行されたらしいです。

この絵がどういう場面なのかは、わかりませんでした。

  

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今回はその第3師団の絵。

これらの絵は「奉納絵」と呼ばれるそうです。

日本陸軍の奉納と思われます。

    

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びんずる様。

自分の調子が悪い場所をさすると、

治ると言われる像です。

頭を触りました。ボケたくないですからね。

  

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本堂は、京都の清水寺を思い出す建物。

「美濃清水」と呼ばれているそうです。

本堂から見下ろした景色です。

雪によって、一層神秘的な景色を見ることができ、

澄んだ空気を感じました。

  

高澤観音日龍峯寺は、両面宿儺(すくな)という飛騨の豪族が、

開いたお寺と言われます。

この両面宿儺。

今、教えている子どもが知っていました。

アニメに出てくるとのこの。

「呪術廻戦」

私は見ていないので、全く知りませんでした。

ピクシブ百科事典 

ここから引用・転載。

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漫画『呪術廻戦』の登場人物。史上最強最悪の呪いの王にして本作に

おけるラスボス。

  

これがアニメに出てくる両面宿儺。

これは2つの顔、4本の腕と足といった

そんな異形の人物ではありませんでした。

とにかくこのアニメで有名となり、両面宿儺ゆかりの場所として、

この高澤観音日龍峯寺を訪れる人もいるそうです。

  

では元の両面宿儺はどうなんだ。

この動画が参考になります。


YouTube: 両面宿儺は実在した!?飛騨に残る宿儺伝説の謎!

  

仁徳天皇即位六十五年

飛騨の国にひとりの人がいた

「宿儺(すくな)」という。

その姿は、一つの体に二つの顔

顔はそれぞれ反対を向いていた。

頭は合わさりうなじはなく、

それぞれに手足があり、

膝はあるが膝裏とかかとがなかった。

力が強く、身軽で素早く、左右に剣を帯びて、

4つの手で、弓矢を用いた。

そうして天皇を命令に従わず、

人民から略奪して楽しんでいた。

それゆえ和ニ(わに)の先祖、

難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わせ

殺させた。

ー『日本書紀』現代語訳ー

  

300年代後半ごろに実存したという両面宿儺。

全国を従えようとしていた大和朝廷にとっては、

邪悪な存在として語られていました。

大和朝廷に服従しようとしなかったことが

うかがわれます。

  

飛騨地方の伝承では「民を救う英雄」と

されています。

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顔が2つ、腕と足が4本といった人間離れした姿は、

朝廷に仇なす怪物として描かれる傾向があったようです。

他にも、「土蜘蛛」と呼ばれた反勢力もありました。

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参考:Wikipedia 土蜘蛛

両面宿儺が生きていたのは、仁徳天皇の治世の時代。

(313〜399年)

ずっと後の729年に編纂された「日本書紀」に、

上記のような記述がありました。

高山市丹生川町の伝承によると、

両面宿儺は武術に優れた飛騨の豪族であり、

神祭の司祭者、農耕の指導者という面もあったそうです。

飛騨の山地を開拓し、弱き者を守った人であったようです。

中央集権から守ろうとしたと言われます。

飛騨千光寺は両面宿儺が古代信仰の祈りの場として

開いたお寺。

377年に両面宿儺が開山しました。

800年ごろ弘法大師の弟子の一人の真如親王が寺を建立。

1598年 開祖の両面宿儺を祀った宿儺堂が建立。

高さ2メートル20センチの両面宿儺像安置されています。

  

この動画が参考になります。


YouTube: 【呪術廻戦】両面宿儺の生まれた地 寺に「指」も奉納 岐阜県高山市、関市 【#聖地@現在地】

丹生川町の千光寺が前半に出てきます。

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これが宿儺堂。

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千光寺には、宿儺堂のこの石像だけでなく、

他に3体の両面宿儺像があるそうです。

4月〜11月の期間なら、土・日・月・祝日に見られるそうです。

千光寺にも行きたくなりました。

円空作の両面宿儺がいい。

この動画にも出てきます。

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円空らしい彫刻だと思います。

  

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アニメ「呪術廻戦」の両面宿儺に興味を持って訪れるが、

アニメのようなラスボスではなく、飛騨の人たちの守護神であった

両面宿儺を学んで帰るのはいいことだと住職は言っています。

  

この動画の後半は、私たちが行った日龍峯寺が出てきます。

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日龍峯寺では、11月に両面宿儺の像を拝めるようです。

賑やかだろうけど、行きたいなあ。

  

  

両面宿儺。

いい勉強ができました。

山に行ったおかげで、勉強ができたとも言えます。

2025年2月12日 (水)

冬芽・葉痕を楽しむことを始めます

   

今日は令和7年2月12日。

  

この時期だからできることを授業でやってみたいですね。

冬芽・葉痕観察は今ならでは。

勤務校で観察できるのはなんだろう。

今日は探してみようかな。

この動画が参考になります。


YouTube: 冬芽・葉痕ウォッチング

ここの木ならあるぞ、たくさん。

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何であるかわかりますか。

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イチョウでした。

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積み重なった葉痕がいいですね。

  

これを生で見たいですね。

  

やっぱりこの本でしょう。

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この本に出てくる木が、校庭にはないのが残念。

でも葉痕の楽しさがわかる本です。

  

我が家のモクレンを教室に持って行こうと思います。

いまいち成長が鈍く、小さめの花が咲くモクレンですが、

教室で冬芽(花芽)が大きくなるのを観察したいです。

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冬から春。

日が日々長くなる季節。

前向きになれる季節ですね。

20250211本城山登山① 高澤観音本堂

   

今日は令和7年2月12日。

  

昨日の登山は雪山でした。

雪山の良さは、別世界感が味わえるのがいいです。

ふだんの生活環境とは全く違う場所を、

歩いて味わう。

あらためて登山の、それも雪山登山の魅力を味わうことができた日でした。

写真をどんどん並べていきます。  

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行きは美濃加茂SAに寄りました。

寒いと思ったら、氷点下でした。

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これが今回の駐車場。高澤観音日龍峯寺(にちりゅうぶじ)の駐車場。

岐阜県関市です。

ここまで上がってくる道は細く、雪道でした。

轍の部分が解けていた道でした。

フォレスターの4駆とスタットレスタイヤが活きた道でした。

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わかりやすい地図でした。

よく整備された登山道なんだろうなと、

この看板を見て思いました。

今回歩いたコースは、後の記事で載せます。

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歩き出したのは午前8時16分でした。

  

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千本桧(ヒノキ)。

この案内板を読むと、この寺院を造るきっかけになった人物の

両面宿儺(すくな)という人が絡んだ桧でした。

ヒノキの漢字は2つ。「檜」「桧」でした。

その千本桧の向こうに見えるのが本堂。

登山が始まった直後に、もうすごい場所に来てしまいました。

  

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左手の階段を登って本堂へ。

もうワクワクする体験でした。

日本はまだまだ知らない場所があります。

お隣の県に、こんな建造物がありました。

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本堂内にある大きな絵に注目しました。

「清国海城縣大激戦之図」

明らかに日清戦争の絵。

どのような戦いだったのか。

描かれた日清戦争

このサイトで、この戦いの記述がありました。

引用します。

  

明治27年(1894年)12月13日、奉天方面に向かっていた日本軍は

天府内の海城を攻撃しこれを占領しました。しかしその後、交通の要

衝でもあるこの海城を奪還しようと清国軍もたびたび反撃を繰り返し、

両軍の間では冬の厳しい寒さの中での戦闘が続きました。

  

「海城」についてさらに引用します。

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日清戦争。

知らなかったことを知りました。