2016年8月 9日 (火)

写真あれこれ/今年の「秋味」の発売は23日(火)

 

今日は8月9日。

  

デジカメのSDカードの写真を整理していたら、

いろいろな写真がありました。

  

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↑2015年9月4日撮影

昨年の秋のビール類です。

右端のピオーネの味のチューハイもおいしかったです。

もちろん秋のビールの横綱はキリンの秋味。

今年はいつ発売か調べてみました。

8月23日(火)だそうです。

さらに今年はこんなのがある↓

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キリンのサイトによると・・・・

同日(8月23日)に「キリン 秋味」ブランドから

初のエクステンション商品として

「秋味 堪能」を数量限定で新発売します。

品種は、305mlびんです。(中略)

麦芽をたっぷり1.5本分(当社比)使用し、

アルコール7%の濃密な味わいで、

飲むほどに広がる華やかな香りと麦の甘みが特長です。(中略)

パッケージ 凛とした秋夜の静けさに色めく

紅葉のコントラストが映える、

秋の夜のひとときを堪能するデザインです。

引用:KIRIN 発売26年目の秋の定番ビール「キリン 秋味」を発売

 

毎年8月下旬の楽しみである「秋味」の発売。

もうじきだ。

  

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↑2016年1月22日の撮影。

後続車の緑色のヘッドライトが気になりました。

どうやって緑色にしているのだろう?

これって違反?

  

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↑2016年6月8日撮影

時々昆虫が私の教室に入ってきます。

写真に撮っては、子どもたちと図鑑で調べます。

これは「モンキアゲハ」でした。

翅がボロボロになっていますが、逞しさを感じました。

なぜ白い紋なのに「モンキ(紋黄)」?

次のサイトが答えてくれました。

http://www.geocities.jp/sat0b1/monkiageha.html

  

羽化したては画像のように白いが、

日にちが経つにつれ黄色味を帯び、

標本にするとさらに黄色くなることから名づけられたそうです。

  

 

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↑2016年7月11日撮影。

これも教室に入ってきた昆虫。

同定に苦労しました。

図鑑で見ると、翅のつけ根の模様から

私は「ベッコウトンボ」だと思いますが・・・・。

インターネットで見ると、胴体の色が違うなあ。

まただれか教えてください。

   

  

以上です。

今朝の投稿はここまで。今日と明日は東京です。

タブレット端末と特別支援教育の勉強をしてきます。

とた

2016年8月 8日 (月)

やまゆり園に寄り添う一筆/金澤翔子さんの記事

 

今日は8月8日。

  

8月5日の朝日新聞夕刊に次の記事がありました。

  

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金澤翔子さんも障害者。

2014年には、津久井やまゆり園に行って書を書いているのですね。

金澤翔子さんが書を書いているのを見ていた人たちの中にも、

きっと犠牲者はいたでしょう。

金澤翔子さんにとっても心痛な事件となったことでしょう。

19人が死亡したこの事件。

特別支援学級担任としては、

障害者は死んだ方いいという発言には憤りを感じます。

障害者であっても、一生懸命に生きていることには

変わりないのです。

  

犯人がナチスのことを出してきたことにビックリです。

2015年11月7日に放映された

【ETV特集 それはホロコーストの”リハーサル”だった

~障害者虐殺70年目の真実~】が思い出されます。

ブログにこの番組について6本の投稿で書きとめました。

ここでも道草 「それはホロコーストの”リハーサル”だった」より1.「優生学」(2016年1月4日投稿)

  

今晩の8時、もうすぐこんな番組があります。Eテレです。

ハートネットTV 緊急特集『障害者施設殺傷事件』」

相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件。

番組では障害のある人や家族から

事件で感じた事、伝えたい事を募集。

命の尊厳を大切にする社会を実現するため何が必要か考える。

※引用:http://tv.yahoo.co.jp/program/19363103/

  

さっそく見ます。

  

※参考:ここでも道草 金澤さん親子の講演会(2016年6月17日投稿)

今日の午後、大給城に行く予定です

  

今日は8月8日。

  

今日は大給城(おぎゅうじょう)に行きたいと思っています。

※参考:ここでも道草 大給城に行ってみたくなりました(2016年7月22日投稿)

こんなのを作りました。

  

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「三河大給城縄張り再考」

(高田徹/愛城研報告第14号/

愛知中世城郭研究会編 2010年8月発行)を参考にして

作成しました。

大給城址の地図に、上記論文の記述を書きこんでみました。

やっぱり研究者はしっかり観察しているなと思うとともに、

城をつくった人たちの工夫もわかってよかったです。

実際に行くことで、たくさんのことに気がつきたいです。

  

場所はこのサイトが便利です↓

攻城団 愛知県 大給城

近くにある豊田市立松平中学校を目標にして行こうと思います。

午後からですね。

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その1/2枚だけの写真

  

今日は8月8日。

  

いつかやりたいと思っていたら、1年経ってしまったことを実行。

昨年の8月6日に放映された

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

をこのブログに書きとめておきたいです。

できるだけ聞き書きをし、写真も載せていきたいです。

 

ナレーター:1945年8月6日、アメリカが投下した原子爆弾。

    上空、およそ600mで致死量の放射線を放ちながら

    炸裂しました。

    直後に発生した熱線で、爆心地の地表温度は

    3000℃以上に達しました。

    さらに、秒速440mの爆風が発生。

    その後、火災が街を焼き尽くします。

    爆心地から2㎞圏内は、いわば壊滅地帯となりました。

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    しかしここで人々がどのように亡くなったのか

    詳細はわかっていません。

    それを知る手掛かりになる写真が、

    世界で2枚だけ残されています。

    投下の3時間後、人々を写した写真です。

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    人々の服は破れ、髪の毛はひどく縮れています。

    投下直後の人々を記録した貴重な写真ですが、

    これまで詳しく検証されたことはありませんでした。

    撮影されたのは、爆心地から2.3㎞。

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    壊滅地帯のすぐ外側でした。

    今、この写真から壊滅地帯で起きていたことを、

    明らかにできないか、今回写真に写る人たちや、

    当日その場所を通った人を探し、31人から話を聞きました。

    (中略)

    さらに写真を最新の映像技術で解析しました。

    アングルを変えたり、拡大することによって、

    人々の姿が初めて浮かび上がってきました。

    横たわる人、うずくまる人、瀕死の状態で逃れてきた人々たち。

    また医学的な分析のよって、けがの状態もわかってきました。

    通常では起こりえない原爆特有のやけどを負っていたのです。

    (中略)

    証言者が語る地獄とはどんなものなのか。

    写真に写る人々の姿を、取材で得られた事実をもとに、

    再現します。

    原爆が投下されてから70年。

    写真に焼きつけられた、きのこ雲の下の真実に迫ります。

  

  

ここまでナレーターが話して、番組タイトルが出ました。

2枚の写真から真実に迫っていくこの手法に注目です。

1年前に見て、いい番組だと思いました。

私は録画しましたが、ネット上でも見ることができるようです。


YouTube: きのこ雲の下で何が起きていたのか

通算4900本目の投稿/洗濯場踏切・枯れススキはどうなる?

  

今日は8月8日。

  

こんな名前の踏切がありました。

  

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「洗濯場踏切」です。

 

8月6日の自転車通勤で、別コースで帰宅したら出会いました。

この付近の地名でしょうか?

以前にブログに書いた人がいました。

豊川、おっさんの輸入雑貨屋さん 洗濯場踏み切り (2014年5月31日投稿)

地名の謂れ(いわれ)については、解明していません。

踏切の写真を一覧しているサイトもありました。

関西の踏切 JR・飯田線(1) 豊橋-豊川

”地図”をクリックすると、場所がわかるようになっていました。

私も真似をしてみます。

地図

この地図を見た限りでは、「洗濯場」の地名はありません。

より詳細な「住宅地図」で確かめたくなりました。

勤務校にあるなあ。

  

場所的には河岸段丘の上がった場所。

川のようなものは見当たらず。

井戸でもあったのかな。

  

  

以前、ススキを観察した場所が近くにあります。

久々撮影してみました。

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枯れススキはどうなる?という課題。

昨年の枯れススキはそのまま残っています。

ほっとけば枯れススキはそのまま残る?

  

やっと4900本目の投稿。

8月31日までに5000本はキツイなあ。  

ここでも道草 現在4859本目「ここから、ここから」5000本をめざす(2016年7月16日投稿)

2016年8月 7日 (日)

人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?/山田哲人選手

  

今日は8月7日。

  

このブログは将来使うかもしれない資料の保存庫でもあります。

先日見かけたニュースは、読んだだけでは終えたくない、

できたら身近に保存しておきたいものでした。

  

デイリーニュースオンライン 2016.8.1.

 

8月。間もなく、甲子園本大会が幕を開ける。

今年の地方大会は例年以上の接戦、

番狂わせのゲームが多く、見どころに尽きなかった。

そのなかの大きなトピックスとして上げられるのが、

「名門・PL学園最後の夏」ではないだろうか。

春夏合わせて7度の全国制覇、甲子園歴代3位となる通算96勝、

プロで活躍した卒業生たち……。

様々な視点から、改めてPL学園のこれまでの功績に

スポットが当たった。

PL学園が果たした功績にひとつつけ加えることがあるとすれば、

その存在がPL学園以外の球児たちにも大きな影響を与えたことだ。

「打倒PL」を目指して日々の練習に励み、

プロ入りを果たした野球人は実に多い。

その中のひとりが、今をときめく球界スター、山田哲人(ヤクルト)だ。

 

今ひとつ目立たない選手・山田哲人

史上初の2年連続トリプルスリー。

さらには三冠王どころか、盗塁王もあわせた

4冠王も狙える位置につける山田哲人。

球界を代表する、どころか、

球史を代表する選手への道をひた走っている。

球界屈指のスーパースターとなった山田。

だが、大阪・履正社時代、2年秋頃までの山田は、

のちにスターになるどころか、

プロに入れるほどの選手だとは思われていなかったという。

確かに運動神経はよかった。野球センスも抜群。

強豪・履正社でも1年夏からベンチ入りを果たし、

2年夏にはクリーンナップも務めた。

強豪校のレギュラーとして、まぎれもなく「いい選手」だった。

でも、「今ひとつ目立たない選手」と評価されることも多かった。

「今ひとつ目立たない選手・山田哲人」。

その姿に誰よりも不満を抱いていたのが

履正社の岡田龍生監督だった。

「なんてもったいない選手だろう。もっとやる気を出せば、

もっとすごい選手になれるのに」といつも思っていたという。

 

PL戦でのエラーもたらした、山田の意識改革

そんな山田が変わるキッカケが、2年秋の大阪大会、

準々決勝でのPL学園戦だった。

この試合で山田はフライを落球。

チームの敗戦につながる痛恨のエラーとなってしまう。

当然センバツ出場には届かず、試合後、

涙が止まらないほど悔しがる山田の姿があった。

山田がチームの誰よりも練習するようになったのは、

この敗戦の後からだった。

この頃から「プロに行きたい」と口にするようになったという山田。

目的意識が芽生えたことで、

野球に対してはじめて本気で取り組むようになったのだ。

その成長スピードは、岡田監督が

「人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?」と驚くほど。

3年春になる頃には、大阪では誰もが認める評判の選手になっていた。

 

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40度の高熱に負けず放った、PL戦・意地の同点打

PL学園戦でのエラーをキッカケに自らを見つめ直し、

急成長を遂げた山田。

迎えた最後の夏、甲子園を目指した

大阪大会4回戦で対戦したのがPL学園だった。

試合は8回を終えて5対7と、履正社が2点を追う展開。

9回表、最後の攻撃は1アウト二、三塁。

一打同点の場面で、打席には山田。

ここで山田は見事に同点タイムリーヒットを放ち、

延長戦で履正社が逆転勝利を果たした。

実はこの試合、山田は40度近い高熱に耐えながらプレー。

チームの主軸として、甲子園、そしてその先のプロに進むため、

意地で放った一発だった。

PL学園戦での勝利によって勢いに乗った履正社は、

激戦区・大阪大会を勝ち上がり、

13年ぶりとなる悲願の甲子園出場権を獲得。

大阪大会での山田は打率4割を超え、13打点を記録した。

その活躍がフロックではないことを証明したのが

甲子園でのプレーだ。

山田は1回戦でホームスチールを成功させて

野球センスの高さを見せつけると、

2回戦では聖光学院の歳内宏明(現・阪神)から、

同点に追いつく2ランホームラン。

勝負強さとパンチ力も披露した。

試合には敗れてしまったものの、

この甲子園での活躍によって、秋のドラフトで1位指名を果たしたのだ。

 

群雄割拠の高校野球

以降の活躍ぶりはあらためて記すまでもないだろう。

強調しておきたいのは、PL学園戦でのエラー、

そして起死回生の同点打。

このふたつのプレーが今の山田哲人を形成する上で

欠かせない要素だった、ということだ。

そしてあらためて思う。

これからの高校球界で、「打倒PL」と誰もが目標にするようなチームは

どこになるのだろうか? と。

例年であれば、平成最強横綱・大阪桐蔭や

昨夏の覇者・東海大相模、昨春のセンバツ覇者・敦賀気比などが

その第一候補。

だが、今年の夏はそろって敗れ、甲子園には姿を見せない。

まさに群雄割拠。新たな時代を迎えようという高校野球と甲子園大会。

球児たちの一投一打から目が離せない日々が、間もなく始まる。

文=オグマナオト

  

  

以上です。

山田哲人選手には、このようなことがあったのですね。

Photo Web Sportiva

「人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?」

という監督の言葉が印象に残りました。

悔しい体験は人を変える可能性があることを示す例ですね。

道徳で使える可能性のあるニュースだと思いました。

ニュース元はいつか消えてしまいますが、

ここに保存したぞ。

  

  

今日から甲子園での高校野球が始まりました。

高校生の頑張りを見て、元気をもらおう。

「キャプテンシー」からの引用/人気は抜群、強さはない阪神

  

今日は8月7日。

  

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)より。

  

「鳥谷はよく練習をする」と言われるし、

自分でも人よりやっているという自負はあるけれど、

正直に言えば、やりたくないときもある。

たとえば朝、ランニングに行きたくなくて、

「走ろうかな。それともやめようかな・・・・」と迷うことがある。

でも、僕は決めている。

「迷ったら、行く」

「走らなくてもいい」と迷わず思えたときは行かないけれど、

少しでも「どうしようかな」という気持ちがよぎったら、

仕事と割り切って絶対に「走る」と決めている。

そうしないと、どうしても怠けてしまいたくなるからだ。

(126~127p)

  

「迷ったら、行く」は大事な考え方。

でも今朝は止めちゃったなあ。

本当は朝、本宮山に行きたいと思っていましたが、

昨晩は宴会で飲み過ぎて、今朝はダウンしていました。

この時間になって「行っておけばよかった」と後悔。

  

  

座右の銘にしている言葉がある。

「ピンチと思うな、チャンスと思え」

たとえピンチに見えるときでも、

それは「次のステップを踏み出すチャンスである」

という意味だ。

調子が悪いときは、どうしても「まずいな・・・」と思ってしまい、

焦りが生まれがちだ。

でも、そういうときでも、僕はこう思うようにしている。

「これは、もう一段うまくなるための、野球選手として

大きくなるためのチャンスなんだ」  (130~131p)

 

ピンチだと思ってしまうと、「どうしよう、どうしよう」と焦るだけで、

結局何もしないまま終わってしまうことが多い。

それでは何の解決にもならないし、進歩も成長もない。

けれども、自分を成長させるチャンスだととらえれば、

「こうしたらどうだろう」「こうしたらああなるのではないかな」と、

そこから次のステップを踏み出すための方法を考えるようになる。

(132p)

  

ピンチの状況では「どうやって切り抜けるか」と

楽しむことを考えようとしています。

そうすると頭が動き出してアイデアが出てきます。

チャンスと思えたら、さらに頭が動くでしょう。

結局何もしないままにならないようにしたいです。

  

  

サインに何か言葉を添えてほしいと求められたとき

「向上心」と書くようにしている。

現役でできる期間残り少なくなってきたいま、

あらためてその言葉の大切さをかみしめている。

悔いを残さないよう、これからも、

いやこれまで以上に向上心を忘れず、

1年1年しっかりやっていきたいと考えている。

言い換えれば、向上心がなくなったとき、

結果を出すために準備をすることが億劫になったとき、

それがバットを置くときだ

そういう覚悟をもって試合に臨みたいと思っている。 (156p)

  

私も残り5年あまり。

向上心がなくなったからといって、バットを置けない身だけれど、

逆に最後まで向上心を持ち続けたいです。

  

今のチームは、優勝を経験している選手がほとんどいない。

「この一球で、この一打で優勝が決まる」

そういうしびれるような場面を経験するのは、

とくに若い選手にとっては大きな意義がある。

大きく成長を促してくれる。

だからこそ、優勝することが新しいタイガースの伝統を

つくっていくためには絶対に必要だ。  (185p)

  

  

阪神、優勝から遠ざかっているよなあ。

阪神について鳥谷選手はこうも言っています。

  

タイガースはたしかに歴史は長いが、

ほんとうの意味での伝統があるかといえば疑問だ。

人気は抜群にある。でも、はっきり言って、強さはない。

それがタイガースの歴史だ。

とすれば、人気だけでなく、強さを感じられるチームに

変えていかなければならない。

そういう方向に向かっている感覚を持てるような

チームにしなければならない。

それが僕たちに課せられた役割だ。 (184p)

  

  

やっぱり鳥谷選手から目が離せなくなりました。

ここまで書いてしまうんだとビックリ。

基本私は巨人ファンですが、阪神にも強くなってもらいたい。

ちなみに息子はなぜか阪神ファン。

以前は新井選手が好きで、

小学生の時の野球チームでの背番号は25でした。

今は鳥谷選手のファンです。

  

以上で「キャプテンシー」からの引用は終了。

  

「キャプテンシー」からの引用/運をつかむには準備

 

今日は8月7日。

  

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)より。

  

バッティングにしろ、守備にしろ、チームが苦しい場面で

打順が回ってきたり、打球が飛んできたりしたときに、

どんなプレーができるかで、その選手の価値が決まる。

僕はそう考えている。

不思議なもので、そういう場面で出番が回ってくる選手と

回ってこない選手がいる。

それは運なのかもしれないけれど、

その運をしっかりつかめる選手がいい選手なのは間違いない。

(中略)

運をつかめる人とつかみそこなう人の違いがどこにあるのか、

はっきりわからないのだが、ひとつだけ言えるのは、こういうことだ。

「運を味方にするためには、しっかりした準備が必要だ」

練習のときももちろんだが、試合をベンチから見ているときも、

ただ漫然と過ごしているのか、

それともいつ出番が回ってきてもいいように、

しっかり考えながら準備をしているのかで、

結果はずいぶん変わってくるに違いない。

僕はそう思うのだ。 (109~110p)

  

教師だって準備が必要。

実力を高めておきたいと、いい年になっても思います。

鳥谷選手はこうも言っています。  

  

「いま自分に運が来ている」なんて、

そのときは誰も気がついていないのではないか。

あとから振り返って、

「ああ、あのときは運がよかったんだな」とわかるものだと思う。

(110p)

  

その時その時を全力でやるのがいいんですよね。

後悔しないように。

 

「もし自分が打てなくても、きっと次のバッターが何とかしてくれる」

たとえ自分が凡退しても、次のバッターがヒットを打てば、

チームは勝てる。

その代わり、人がダメだったときは、

「自分がなんとかしよう」と奮い立つ。

僕はいつもそう考えているし、

それが団体競技としてのいいところでもあると思う。

シーズンは長い。

いいときもあれば、悪いときもある。

悪いときは「なんとかしなきゃいけない」と気持ちばかり焦って、

自分を追い込みがちだ。

でもそうなってはかえって泥沼にはまっていく。

ひとりで何でも背負いこまず、ダメなときはほかの人にまかせて、

そのぶん、自分がいいときはフォローすればいい。

僕はそう考えている。 (114p)

  

「なんとかしなきゃいけない」と追い込みがちの自分にとっては、

大事な言葉です。

自分がやれるときは人のためにも頑張る。

時、人は力を発揮できると思います。

  

次の考え方もいいなと思いました。

  

「プレッシャーは人から与えられるものではないし、

状況が強いるものではない。自分自身が勝手につくっているんだ」

思うのだが、自分がプレッシャーだと感じているほど、

周囲は気にしていないのではないだろうか。

もちろん、そのとき打てなければ非難される。

罵倒されることもある。

でも1年も経てば、あのときはどうだったかなんて、誰も憶えていない。

妙なたとえだが、発車する電車に駆け込もうとして

急いで階段を駆け上がったら、つまづいてこけてしまったとする。

自分ではすごく恥ずかしいと感じる。

でも、じつは周囲の人たちはそんなに気にしていないはずだ。

こけた姿を見てそのときは笑っても、

次の瞬間にはもう忘れている。

それと一緒で、たとえチャンスで凡退しようと、

自分が思っているほど周囲は気にしない。

僕はそう思って打席に臨んでいる。 (116~117P)

  

そうなんだ、自分が思っているほど、

失敗は周囲は気にしていない。忘れてしまう。

そう思いながら、その場その場頑張ろうというわけです。

みんないろいろあるから、人のことなんか忘れてしまうんだよなあ。

そのことを自覚することでだいぶ行動に思いっ切りができると思う。

自然体験がなぜいいのか/親野智可等さんの意見

 

今日は8月7日。

   

親野智可等さんのことはこのブログに何度も書いてきました。

今回も書きとめたいことがありました。

  

このサイトが勉強になりました。

親力講座 夏休みは自然体験・アウトドア体験を。自由研究にもなる

 

テレビからの情報を、親野さんはこう書いています。

  

テレビなどの加工された情報は、

情報の作り手のフィルターを通した、

非常に限定的かつ意図的な情報です。

なので、みんな同じような受け取り方しかできないのです。

小動物の様子をテレビで見れば、

みんな「かわいい」と言って、それで終わりです。

  

なるほどと思いました。

確かにささやかに番組作りをしたことがありますが、

映像の取捨選択は「捨」が多いです。

そして自然体験についてこう書いています。

  

でも、本物の小動物を追いかけて捕まえたり、触ったり、

抱きかかえたり、エサをやったりすれば、

非常に多くの感想を持ちますし、

しかもそれが人によってかなり違ってきます。

「思ったよりくさい」「かわいいけどけっこう狂暴」

「毛がゴワゴワで触ると痛いくらい」

「抱っこすると目をつむってメチャかわいい」

「抱っこしていると温かくてほっこりする」

「エサを食べてるとき触るとうなり声を上げる」

「呼吸が荒くていつもハアハアしてる」

ですから、大人でもそうですが特に子どもは、

自然の中で過ごしているとき、

とてもたくさんの刺激を受け五感が全開になるのです。

さらに、「これは何だろう?どうしてこうなっているんだろう?

こうしたらどうなるだろう?」と考え始めます。

知りたいことや調べたいことがたくさん出てきて、

知識欲や探究心も育ち、好奇心も旺盛になります。

  

またまたなるほどと思いました。

さすが親野さん、この視点を教えてもらったのは大きい。

やはりテレビがきっかけであって、全てではない。

できたら、実物に会うことが大事だと思いました。

自然体験が多い子はどのようになるか?

親野さんはこう書いています。

  

私の教え子で、アウトドア体験・自然体験が

とても豊富な女の子がいました。

お父さんがアウトドアライフが大好きで、

しょっちゅう一緒に出かけていたのです。

その子は感性がとても豊かで、

何事においても人と違うことを思いつく子でした。

話も作文もユニークでしたし、

授業中もよくおもしろい発表をしてくれました。

工作はもちろん、日ごろからよくいろいろなモノを手作りしていて、

しかもユニークなものばかりでした。

私は、その子を見て、

「自然の中でオリジナルな本物体験をたくさんしていると、

自分自身の感性と発想で考えられるようになるに違いない」

と思いました。

  

自然体験させる意義がわかるサイトでした。

よかったら読んでみてください。

2016年8月 6日 (土)

日本初のポン菓子機を発明した吉村さん

  

今日は8月5日。

  

前投稿に引き続き、ポン菓子のことを書きます。

  

「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)

  

この本からの引用です。

ドイツ製の機械は重かったようです。

  

ただ重さは百キほどあって、持ち運びに不便である。

そのため女性でも持ち運びができる軽い機械にしようと、

タチバナ菓子機の吉村利子が昭和21年に鉄製に改良し、

国産ポン菓子機「吉村ポン菓子機」が全国に出回った。

戦後間もなくは、復員した元兵士や職を失った人が

行商で機械を持って販売した。

後にリヤカーや軽トラックで移動するようになった。 (114p) 

  

吉村さんについて調べたら、何とご存命でした。

フードコーディネーター取材特派員NEWS 日本初のポン菓子機を作った女性 吉村利子さんに聞く!

ここを読むと、吉村さんは大阪の八尾市出身。

戦時中は国民学校の教員でした。

食糧難でお腹を減らした子供たちを見て、

次のように思ったそうです。

  

あれ(穀類膨張機)を使えば

少ない原料でもお腹も満たせてやれる・・・。

しかし、第一次世界大戦後にアメリカ、

ドイツから入ってきた「穀類膨張機」は鋳物製で約100㎏もの重さ。

その為、普及していなかったのです。

そこで橘さん(吉村さんの旧姓)は、

「自分の手であの機械を作り、お腹いっぱい食べさせてやるんだ!」

と決意したのです。


それ以降、あらゆる努力をされ、

工学系教員の知人に手伝って貰いながら色んな実験をし、

小型で軽量な「ポン菓子機」(穀類膨張機)の図面を起こしました。
 

橘さんが考案された『総鉄製』の小型で軽量のポン菓子機・・・

これを作るには、戦時中の当時、

「鉄の街」と言われていた「福岡県八幡市(現 北九州市)」に

行くしか手段はなく、周囲の反対を押し切り、

図面と多額のお金をお腹に巻いて職人探しに行かれたそうです。

  

すごいですね、この行動力。

そして、吉村さんは北九州に住み、機械を完成させ、

そこでポン菓子づくりをしたようです。

完成は1945年の3月11日。終戦前のことなんだ。

  

前投稿の疑問が一つ解決しました。

こう書いてありました。

  

「お客さんが持参した材料(米や豆や雑穀など)を、

加工賃と引き換えに調理する」日本ならではのスタイル

  

材料は子ども(お客さん)持ちで、加工賃をもらっていたのですね。

  

吉村さんのことを紹介する動画もありました。

参考:JOY-Q ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け!キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)


YouTube: ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け‼キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)

1925年生まれだそうで、91歳になる年です。

長生きにもビックリですが、若い時に発明したことにもビックリ。

  

本からの引用。

  

昭和35年頃がもっとも売れた時代だったが、

大手菓子メーカーの既製品も出回り、

住宅も増えて大きな音が出せなくなったことから、

徐々にポン菓子の販売は減った。 (114p)

  

あの大きな音がすると、子どもたちは「ポン菓子ができた」合図で、

みんな機械の所に集まってきたそうです。

  

ポン菓子のいい勉強ができました。

  

  

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