2018年1月19日 (金)

夏木陽介さん亡くなるのニュース

今日は1月19日。

 

今朝のニュースで、夏木陽介さんが亡くなったことを知りました。

1月14日のことだったそうです。

 

最近、夏木陽介さんのことを調べました。

映画「野盗風の中を走る」(1961年)について調べたからです。

主人公役を演じていたのが夏木陽介さんでした。

この映画が見たいと思って、レンタル店に行ったり、

ネットで調べていました。

その時に、夏木陽介さんのことも調べていました。

夏木さんが出ていたテレビ番組はたくさん見てきました。

夏木さんのブログを見たのは、この時が初めてでした。  

夏木陽介さんのブログの名前が、

夏木陽介、風の中を走る」でした。

もちろん主演した映画から取った名前でした。

夏木さんにとっても、思い入れのあった映画なのかなと想像します。

今朝、ブログは更新されていました。

Photo 夏木陽介、風の中を走る

友人代表の山川健一さんが、夏木さんの死を知らせる文章を寄せていました。

 

  

もしかしかしたら、夏木さんの追悼番組で、

夏木さんの出演した映画が放映されないだろうか。

不謹慎にも今そう考えています。

手に入らなかった「野盗風の中を走る」が放映されたら、

私は録画したいです。そしてじっくり見たい。

夏木さんは怒る?   そんなことないですよね。

 

※参考:ここでも道草 新しい絵本との出会い「泥かぶら」「くろねこのニャンデ」(2017年12月7日投稿)

・・・「野盗風の中を走る」が見たいと書いた記事

 

 

※関連記事を書きました。(2月8日記)

ここでも道草 毎日リクエスト(2018年2月7日投稿) 

2018年1月18日 (木)

焼き鳥屋跡地今昔/面白そうな「今昔写語」

今日は1月18日。

  

ドラマ「科捜研の女」が今晩久しぶりに放映されます。

昨年の12月14日以来。

「毎週木曜日」と言いながら、4回木曜日がスルーされました。

待ってました。

今日はまた1日頑張って、晩はゆっくり「科捜研の女」を楽しみたい。

  

  

1月3日に焼き鳥屋跡地のことを書きました。

ここでも道草 2018年の初日の出と焼き鳥屋跡地(2018年1月3日投稿)

以前通ってた焼き鳥屋さんが閉店して、他の建物ができたという内容。

最後に、今の跡地の写真を載せますと書きながら、

実行していませんでした。

ここに載せます。

2018年1月4日の写真です。

Rimg1633  

もう1枚載せます。

2017年1月4日(偶然1月4日!)の同じ場所の写真です。

Rimg2158  

焼き鳥屋さんが閉店して間もなくの写真です。

2枚の写真の右端にある電柱が、共通しています。

1年でこのように変わりました。

  

   

このように、昔の風景と今の風景を比較するサイトを発見しました。

ここです↓

今昔写語(こんじゃくふぉとがたり)

Photo_2

Photo  

またゆっくり見てみたいです。

2018年1月17日 (水)

「仏像ミステリー 運慶とは何者か?」その3/また行きたい瀧山寺

今日は1月17日。

  

前投稿に引き続き、昨年10月7日放映の番組

NHKドキュメンタリー  仏像ミステリー 運慶とは何者か?」より。

テレビ番組を読み物に変換することをやっていきます。

 

この番組で、1月3日に行った岡崎市の瀧山寺(たきさんじ)も紹介されました。 

ここでも道草 瀧山寺に行きました その1 三門(2018年1月5日投稿)

ここでも道草 瀧山寺に行きました その2 宝物殿(2018年1月5日投稿)

 

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中学校の写真が写っています。

常盤中学校と思われます。

Photo Yahoo!地図

常盤中のHPを見ると、瀧山寺とつながりがあることが、

うかがえます。

1・3年滝山寺清掃ボランティア(2017年1月)

瀧山寺節分会での土鈴販売(2016年1月)

 

番組に戻ります。

Rimg1690  

1月3日は、この本殿には行っていません。

次回は行ってみよう。

  

そして宝物殿の運慶作の3体の仏像です。

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ナレーターとか住職の言葉を聞き書きしてみます。

  

ナレーター:運慶は、3体の仏像を、源頼朝の死後、

  その依頼で造りました。

  中央に立つのが、聖観音菩薩立像(せいかんのんぼさつりゅうぞう)。

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ナレーター:(源頼朝の)等身大で、豊かな肉づき。

  つややかな肌が美しい仏像です。

  観音に厚い信仰を寄せていたと伝えられる頼朝。

  その思いに応えるかのように、運慶は観音を華やかに表しました。

住職 山田亮盛さん:木彫でありながら、彫りがたいへん柔らかい。

  特に中心部のところの腰に巻いている布なんか、

  下に垂らした感じが、とても柔らかいというところが

  見てとれるわけですね。自然に絡んでいっている。

  そのあたりの、運慶の表現力の豊かさというか

  技術の高さというのを感じます。

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ナレーター:向かって左側に立つのが、帝釈天立像(たいしゃくてんりゅうぞう)です。

  端正な顔立ちに、憂いを帯びた表情。

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Rimg1697  

ナレーター:梵天立像(ぼんてんりゅうぞう)です。

  4つある顔は、優れた能力の証と言われています。

  いずれの仏像も、いつまでも見ていたくなるような、

  不思議な魅力に満ちています。

 

梵天立像の絵は、「見仏記6 ぶらり旅篇

(いとうせいこう・みうらじゅん著/角川文庫)の

表紙になっていました。

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この本からの引用。

宝物殿には狛犬が置いてありましたが、そのことに触れた記述。

 

いかにも鎌倉時代の狛犬があった。

体を低い姿勢に保ち、獅子というより犬のリアリズムを

強調した像である。 (250p)

 

見る人が見ると「いかにも鎌倉時代」なのですね。

私にわからなかった。

  

さらに引用します。

  

運慶作と言われれば、確かに三尊は腰のひねりや

指の動きのしなやかさで、群を抜いていた。

しかも重要なのは、江戸期に全面を塗り直してあるために、

作られた当時の色合いで見られることである。

そこにあるのはわびさびのあらわれた仏像ではなく、

顔や体が艶めかしく白い、あるいは金一色であるような、

ただ動きとすればきわめて人間に近い仏だった。

 

衣はむろん細やかな柄で塗られていた。

梵天など、その衣を腰にひっかけ上半身を白い裸にしている。

無防備といえばあまりに無防備で、

仏と拝む人間との距離がひどく近いことがわかる。

例えば動物に乗って移動していない、降りたたずむ姿である。

言ってみればカジュアルな一面をあらわしていうように思える。

(250p)

 

梵天を調べると、確かに動物に乗った姿が多い。

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東寺の梵天です。今日も、こんなん見ました

瀧山寺のは、カジュアルな梵天なのですね。

  

当時、運慶は息子の湛慶とともに、それらを作ったのだと伝わる。

東寺講堂の密教仏を修復などする過程で、

慶派は多くのことを平安仏から学んだのだった。

その上で彼らは瀧山寺の三尊のような仏像を成したのではないか。

事実、東寺のそばにあった工房で、

それらが作られたと宝物殿の説明書にはあった。

とすれば、あの東寺の梵天、帝釈天の双子が、

着色豊かに山中に残っているのである。

彩色のおかげでむしろ人めいた印象を濃くする仏像の前で、

我々は何度もため息をつき、

なぜこれがここにあるのかという歴史ロマン的なものにも思いをはせた。

遠くまで来ているからこそ、なおさらその思いは強かった。

(250~251p)

  

東寺との関係を知ることができました。

瀧山寺の仏像の双子を見に行きたいですね。

  

以上のような番組や本からの知識を踏まえて、

再び瀧山寺に行って、仏像を眺めていたいですね。

  

  

これにて今朝の仏像の勉強は終了。

1時間半以上かかってしまいました。

出勤まではお仕事、お仕事。焦る。

  

2018年1月15日 (月)

「仏像ミステリー 運慶とは何者か?」その2/いつかは行きたい願成就院

 

今日は1月15日。

 

前投稿に引き続き、昨年10月7日放映の番組

NHKドキュメンタリー  仏像ミステリー 運慶とは何者か?」より。

テレビ番組を読み物に変換することをやっていきます。

  

昨年3月に、すぐ近くの韮山反射炉に行ったのに、

その時点で知らなかったことから行かなかった

願成就院(がんじょうじゅいん)。

※参考:ここでも道草 病院の待合室で「運慶」の作品に出会う(2017年11月8日投稿)

この番組で紹介されていました。

  

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いずれこの門をくぐって、この寺院を訪れるぞと思って見ました。

  

この寺は、源頼朝の義理の父が建立しました。

つまり、北条時政ですね。

 

運慶作の5体の仏像にいよいよお目にかかります。

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貴重な仏像があるのに、ガラスの開き戸が意外でした。

ガラガラっと、いい音がしていました。平和だなあと思いました。  

  

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5体は、全て運慶作の国宝。

中央にあるのが、本尊阿弥陀如来坐像(ざそう)。

ここからしばらく聞き書き。

  

ナレーター:極楽浄土へと人を導く仏です。

  はち切れんばかりの肉体。まるく張った頬(ほお)。

  運慶は重量感あふれる印象を作り出しました。

 

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ナレーター:向かって右側に立つのは、阿弥陀如来を守る毘沙門天立像。

  堂々とした肉体。精巧な鎧。全身に力がみなぎっています。

  手に持つ細長い棒は、「戟(げき)」と呼ばれる武器。

  手のひらに載せているのは、宝塔。

  釈迦の遺骨を納めるものです。

  全身に動き出しそうな緊張感がみなぎっています。

  

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ナレーター:阿弥陀如来をはさんで、反対側には、

  不道明立像(りゅうぞう)と仕える2体の童子。

  不動明王は怒りの形相(ぎょうそう)で、向かってくる悪や、  

  仏教の教えを信じない者を威嚇します。

  手に「羂索(けんさく)」と呼ばれる救済の道具を持ち、

  それを掲げることで、上半身の逞しさを強調しています。

 

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ナレーター:2体の童子のうち、躍動感のある動きを表すのが、

  制吒迦童子(せいたかどうじ)。

  強情そうな顔つきをしています。

  それに対して、静かに遠くを見つめたたずむのが、

  矜羯羅童子(こんがらどうじ)。

  運慶は、どの仏像にも人間らしさを前面に押し出し、

  静と動を使い分けながら、それぞれの魅力を生き生きと描きました。

   

 

特に制吒迦童子は生で見たい!その次は毘沙門天立像!

このお堂で、見とれていたいなあ。その夢はいつ果たせるか?

  

  

「羂索」が気になりました。

コトバンクには次のように書いてありました。

 

5色の糸をより合わせ、一端に環、

他端に独鈷杵(とっこしょ)の半形をつけた縄状のもの。

衆生救済の象徴とされ、不動明王・千手観音

・不大空羂索観音などがこれを持つ。

   

また難しい言葉が出てきました。

衆生救済(しゅじょうきゅうさい)」

また後日の宿題。

  

2018年1月14日 (日)

「仏像ミステリー 運慶とは何者か?」その1/無著・世親菩薩立像

今日は1月14日。

  

昨年10月7日放映の番組「NHKドキュメンタリー  仏像ミステリー 

運慶とは何者か?」を見ました。

今回も1月7日に書いたように、

テレビ番組を読み物に変換することをやってみます。

 

1300年の歴史を誇る奈良の興福寺。

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興福寺の北円堂。

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ふだん一般に公開されていない北円堂内部を見せてもらいました。

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中央に位置するのが、国宝「弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)」

運慶作。ナレーターの説明を聞き書きします。

 

ナレーター:「弥勒」は、遠い未来に地上に現れ、人々を救うとされる仏。

  法相宗(ほっそうしゅう)と呼ばれる興福寺の宗派で大切にされている。

 

その弥勒菩薩坐像の両脇にあるのが、運慶の最高傑作と呼ばれる

無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)」(向かって右)

世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう)(向かって左)です。

番組では、この2つの仏像の紹介に冒頭から時間をかけていました。

ナレーターの説明を聞き書きします。

  

ナレーター:2人は弥勒の教えを大成させた兄弟の僧侶だ。

  弥勒如来に向かって右に立つのが兄の無著。

  古代インドに実在した2人を、運慶は身近な日本人のような風貌にして

  訪れた者がその教えを受けとめやすくした。

  年老いた無著は、人々を慈しみ、見守る姿に造った。

  弥勒如来に向かって左に立つのが弟の世親。

  両手に動きをつくり、指を深く曲げ、確固たる意志で

  悟りを求めている。

  仏の教えを大切にする心。

  運慶はそれを無著と世親の姿を借りて、語りかけたのだ。

 

Img_1 「仏像愛好の集」 の コミュニティ 掲示板的な 孤思庵ブログ

左が世親、右が無著。

2つの仏像の目は玉眼と呼ばれる技法で造られたものです。

まるで生きていてこちらを見ているような眼になっています。

   

ナレーターの説明は続きます。

 

ナレーター:運慶が生まれのは平安時代末期の奈良。

  興福寺を拠点とする仏師集団の跡取りとして、

  注文に応じて工房で仏像を製作していた。

  運慶が30代の頃、大変なことが起きた。

  当時、全盛を誇っていた平氏と興福寺をはじめとする奈良の僧侶たちが衝突。

  平氏は、興福寺や東大寺に火をかけて焼き尽くした。

  いわゆる「南都焼討(なんとやきうち)」である。

  運慶たち仏師は、立ち直ろうと、興福寺の復興に乗り出した。

  まず手掛けたのは、かつての西金堂(さいこんどう)の本尊、釈迦如来像。

  運慶がリーダーとなって造ったと記録されている。

  現在(釈迦如来像の)一部しか残っていないが、

  頭部だけでも高さは約1m。

  巨大な仏像だったことが、推測される。

  それから、およそ30年かけて行われた興福寺の復興事業。

  その最後に造られたお堂が、北円堂だった。

  北円堂を任されたのは、十分に経験を積み、円熟期に入った運慶。

  長い歳月を費やし、数々の仏像を造った。

  中でも力を注いだのが、無著と世親だと考えられている。

      

病院の待合室で出会った本「永久保存版 運慶完全カタログ」(「サライ」~小学館~ 

2017年10月号別冊付録)には、2体の仏像についてこう書いてありました。

※参考:ここでも道草 病院の待合室で「運慶」の作品に出会う(2017年11月8日投稿)

  

【無著菩薩立像】

5世紀頃のインドに実存した無著は、

弟の世親とともに法相宗の教理を大成した学僧。

憂いを帯びた視線が、崇高な理念を叶えんとする深い精神性を物語る。

 

【世親菩薩立像】

眉根を寄せて遠くを凝視する世親の表情には、

憂いを帯びた無著とはまた異なる強い意志を感じる。

未来を見据えたかのような眼差しの表情に

玉眼が一役買っている。

 

 

いつか生で見ることになったら、この記事を見てからにしよう。

2体の表情はリアルで素晴らしい。

2018年1月13日 (土)

今朝から日の出は6時57分/「へっちゃらさ、ベイビー」

今日は1月13日。

  

この記事を読んで思い出しました。

楽餓鬼 明日から日の出時間が早くなります (2018年1月7日)

  

私も以前、年末年始の日の出時刻を調べたことがありました。

ここでも道草 日の出(最遅)日の入り(最早)時刻調べ(2012年12月29日投稿)

 

その時の調べによると、私が住んでいる場所では、

1月2日から1月12日までの日の出時刻は6時58分。

そして秒単位で見ていくと、

1月7日が1年で最も日の出時刻が遅い朝である。

1月13日から日の出時刻は6時57分になる。

分単位でも、今日から日の出時刻が早くなるのです。

  

実際は山などがあり、太陽が顔を出し、

日が当たり始めるのは、7時過ぎです。

寒い朝、日が当たることで、ぐっと暖かさが増します。

ホッとします。

  

  

昨晩もレンタル店に行って、竹原ピストルのコーナーに行きましたが、

アルバム「BEST BOUT」は、誰かがレンタル中でした。

これで3度目。レンタルで借りるのをあきらめて、ネット上で購入しました。

2000円。

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昨年12月20日から聞いてきたアルバム「youth」は終了。

ここでも道草 2017年最後の生活のBGM(2017年12月22日投稿)

いい曲が多かった。

3番目の曲だけは跳ばして聴いていたなあ。

気になっていた歌詞。

お気に入りの曲「へっちゃらさ、ベイビー」の歌詞です↓

 

♪ トンネルを抜けた先には、

きっとただトンネルを抜けた先があるだけだよ

  

え、そうなの?

少し拍子抜けした歌詞です。

音楽ナタリー 竹原ピストル「youth」インタビュー

このサイトに、この歌詞のことが書いてありました。

引用します。竹原ピストルさんの言葉です。

 

「トンネルを抜けた先には、きっとただトンネルを抜けた先があるだけだよ」ですね。

このサビのフレーズ、すごい気に入ってるんですよ。

「その先には道が開けている」とか「止まねえ雨はねえ」とか、

バカじゃねえか?と思ってるので。

実際はもっと過酷だし、現実があるだけというか、

「いや、これが続くだけだぜ」っていう。(中略)

──無責任に前向きなことを歌いたくない、と?

そういうことを歌っている人を否定しているわけではなくて、

「俺に言われてもしょうがないだろうな」っていう考えが働くんですよね。

そんなことを俺ごときが歌うなよって自分で否定してしまうというか、

全然身の丈に合ってないですから。

ただ、「トンネルを抜けた先には~」というフレーズは、

なるようになるというニュアンスでもないし、

安心感も含まれている気がしていて、我ながら絶妙だなって思ってるんですよ。

そういう言葉が浮かんできたときが一番うれしいんですよね。

特にこの曲は気に入ってるんですよ。なんか優しいじゃないですか。

 

「前向きなことを歌いたくない?」と聞かれて、

「俺ごときが歌うなよって自分で否定」「身の丈にあっていない」と

答えています。なるほどです。

こういうスタンスの歌手もいるんですね。

歌詞は拍子抜けしていても、優しいですよ、この曲。

曲調がそうなんだよなあ。

「へっちゃらさ、ベイビー」という歌詞を繰り返すところなんて、

癒され、口ずさんでいました。

 

  

トム・ジョード」という曲があります。


YouTube: 竹原ピストル・佐藤洋介 トムジョード

「トム・ジョード」って誰?と思っていましたが、

上記のインタビューに答えがありました。

スタインベックの小説「怒りの葡萄」の主人公の名前でした。

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さあ、もうじき日の出時刻です。

今日もいい日にしよう。 

2018年1月11日 (木)

昨晩から今朝にかけて触れた言葉その3/大晦日にたくさんの人が撃たれた

  

今日は1月10日。

  

「昨晩から今朝」というのは、

新学期が始まる直前の1月8日晩から9日の朝にかけてです。

その時に、いろいろな言葉に触れました。

その話をしています。

飢えていたんでしょうね、

心の支えになってくれるような言葉に。

いくつになっても、始まる時には期待もあるけど、

不安があります。

  

  

サントリーのBOSSの広告のことがネット上で話題になっていました。

それは、12月31日の新聞にうたれた広告で、

竹原ピストルのアップ写真でした。

見た覚えがありましたが、アップ写真に目を奪われたのか、

そこに書かれていた言葉に気づきませんでした。

 

 

撃て

竹原ピストル、今夜、心を撃ってくれ

歌え

竹原ピストル、今夜、弾丸のように

   

  

竹原ピストル。 今夜はじめて彼を知る人がいる。

いいなあ。きっと驚くよ。 心を撃ち抜く、その歌に。

  

 

紅白歌合戦に出る日の新聞広告。

こんな素敵な言葉が書いてあったのですね。

よく見ておけば良かった。

 

※以上が1月8日の晩の話。以下は後日談

 

この記事を生で見たくて、この数日、我が家で探したけど、

なんと12月31日の新聞がない!

12月30日と31日がない。

何かに使われた?

それじゃあと、勤務校で新聞を探したけど、

ここもなし。12月下旬がごっそりなくなっていました。

残念。

生ではないけど、ここで見ることができます↓

竹原和生 A.K.A. 竹原ピストル‏ こんなに粋で、ありがたいとことあるかよ。。😭 

   

紅白での「よーそこの若いの」は良かった。

CDで何回も聴いていたけど、紅白での歌いっぷりがまた良かった。

撃たれてしまった一人です。

撃たれた人が多いのか、次の生活のBGM候補である

竹原ピストルのアルバム「BEST BOUT」が、

レンタル店でなかなか借りられません。

誰かがレンタル中でした。

竹原ピストルの他のアルバムも全てレンタル中。

  

  

こんな動画がありました。

公開日は2017年12月31日です。紅白のあった日です。

 

  

この動画から一部引用。

  

ソロに転身した竹原は、年間300本を超えるペースで、

本人が「ドサ周り」と称する全国行脚を開始。

観客が20人に満たない小さな箱から、

居酒屋やバー、ライブハウスで歌いまくった。

竹原が2度ライブをしたキャパ15人の

東京・板橋のレストランバー「Out the blue」マスター、

降矢幸雄さんが述懐する。

「2度目のライブをしてもらったとき、

僕はプライベートでいろいろあった時期で、

彼の『オールドルーキー』という歌を聴いた瞬間、

嗚咽して泣いてしまったんです。

カウンターの中で膝から崩れ落ちて、立てなくなって・・・。

そんな経験は人生で初めて。

それも彼の持つ歌の力ならではだと思います」

  

膝から崩れ落ちる・・・

体験はないけど、竹原ピストルの歌にはその力があるなと感じます。

でもこんな文章を見ると、

当然ながら「オールドルーキー」が聴きたくなります。

  

聴いてみました。


YouTube: オールドルーキー  竹原ピストル

 

歌詞が驚きでした。

一部引用します。

  

♪(前略)あの頃は。。あの頃は。。

ってやってりゃあ 

そりゃあ酒も旨くなるさ

だけど俺はやめたんだ

そういうものはもうやめたんだ

オールドルーキー

  

積み上げてきたもので

勝負したって勝てねぇよ

積み上げてきたものと

勝負しなきゃ勝てねぇよ

 

(中略)

  

いやはや丸くなったよ。。

って笑ってりゃあ そりゃあ酒もやさしくなるさ

だけど俺はやめたんだ

そういうのをもうやめたんだ

オールドルーキー

  

何度でも立ち止まって

また何度でも走り始めればいい

必要なのは走り続けることじゃない

走り始め続けることだ (後略)

 

 

積み上げてきたものと勝負?

積み上げてきたものと勝負するの?

積み上げてきたものは大事でしょ?

驚きの歌詞でした。

  

でもこれは・・・・

積み上げてきたものの上で安住するなということだと

思います。

「あの頃は良かった」「俺も丸くなった」なんて言ってないで、

積み上げてきたものの上で、さらに挑戦しろという

メッセージだと判断しました。

  

先日書いた星野仙一さんの生き方とダブります。

金大竜さんも言っていました。

「みんな頑張っているなあ。先生も昔は頑張った」では、

子どもたちへの影響力は少ない。

チャレンジし続けているところを見せることが大事。 

 

   

 

  

今も頑張っている!そうありたい。

つぶれない程度に。

  

2018年1月10日 (水)

昨晩から今朝にかけて触れた言葉その2/スバルXV編

 

今日は1月10日。

  

新学期スタート前に触れた言葉シリーズ第2弾。

「スバルXV編」

(第3弾は「竹原ピストル編」の予定)

  

このCMがいい。

  


YouTube: SUBARU XV:TVCM「好奇心」篇 30秒

  

このCMで出会った言葉。CMの写真を載せます。

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Photo_4  

好奇心と生きていく

 

こういう言葉をよくぞ生み出してくれました!

  

  

新学期初日の朝、ビックリしたことがありました

何とCMで見たXVが、勤務校に表れたのです。

同僚の先生で、休みの間にXVに乗り換えた方がおられたのです。

「XVの乗り心地はどうですか?」

そんな談義をしました。

 

  

さあ、今日も頑張ろう。

2018年1月 9日 (火)

昨晩から今朝にかけて触れた言葉/星野仙一さん編、金大竜編

今日は1月9日。

  

新学期が始まりました。

さっそく忙しくなってきましたが、

どうにかこなしてきました。

  

昨晩から今朝にかけて次のようなサイトを読んでいました。

教材・教具のネタ帳 星野仙一さん逝く

ここを読むと、4日に亡くなった星野仙一さんに関するコラムが

いくつか一度に読めます。

心に残る文章があります。

引用します。

 

中日のエース時代、星野仙一さんはけがに苦しんだ。

痛めたひじが、あるとき赤くはれ上がっていた。

聞けば、ハチにわざと刺されたのだという。

ミツバチの針に刺されたら血行障害が治る。

そう聞いてハチをピンセットでつかみ、ひじに当てたのだと。

投げて勝つことに命をかけた男の執念だろう。

本人からの告白談を、野村克也さんが後に明かしていた。

(神戸新聞 正平調 1月7日)

  

この執念!そうまでして成し遂げたいことがある。

ずっと積み上げてきたから、そう思えたのだろうな。

  

 

「燃える男」と呼ばれた星野仙一さんは倉敷市水島で生まれ育った。

「私の闘志を培ったのは、田舎者で、決して野球エリートでは

ないという自覚によるものではないか」。そう著書に記している。

工場の技師だった父は星野さんが生まれる前に病死した。

母は工場の寮母をしながら3人の子どもを育てた。

「周りの人を大事にしなさい」。それが母の口癖だったという。

負けん気や親分肌を示す逸話は子ども時代から事欠かない。

けんかの強さで知られ、理不尽な上級生には一人で向かっていった。

一方、後輩や仲間の面倒見はよく、

小学6年の時は難病で歩けない同級生を背負って登校した。

野球をするように勧めたのは母だった。体が大きく、

気の強い息子が横道にそれないよう、心配してのことだったという。

高校時代、甲子園出場はかなわなかった。

その悔しさが「今の自分をつくった」と語っていた。

野球人生を振り返り、自らを「幸運な男」としばしば称したが、

幸運は逆境に耐えてこそ手にしたものだろう。

中日の監督時代には、妻が白血病で亡くなる試練もあった。

昨年11月には帰郷し、野球殿堂入りの祝賀会で見せた笑顔を覚えている人も多かろう。

突然の訃報を信じられない思いで聞く。1年半前から闘病中だったという。

最後まで「星野仙一流」を貫いた、その強さを思う。

(山陽新聞 滴一滴 1月7日) 

この文章に星野仙一さんが積み上げてきたものが書いてありました。

辛いことがあっても、それを跳ね返してきた体験が、

星野仙一さんを輝かせたのでしょう。

ハチにわざと刺させて成し遂げようとしたものを手にしたのでしょう。

  

   

  

プロ野球にげきを飛ばしたことがある。「必死でやってくれたらいいの。

ホーム(本塁)でさ、バーンとぶつかって、けんかになるでしょ? 

それでいいっていうの」

何かと無理はせず、ほどほどに、角を立てず-と自制が重んじられる昨今、

必死でやれよと叫び、必勝を期して実際に勝ってみせる人の存在が、

今にしてずしんとくる。

楽天が日本シリーズを制したとき、大震災の被災地に必死の末の「V」をささげた。

燃え上がるほど熱いだけではない、苦しむ人たちの肩に温かな手を置く

“ほっかほかの人”でもあったろう。

(長崎新聞 水や空)  

「必死にやれよ」が今朝は効いたなあ。

「やってくるよ」とこの文に向かって言っていました。

  

   

  

もう一つ、読んでいたのは自前のサイト。

ここでも道草 2011高崎報告3・・・・迷った時には前を向く(2011年2月27日投稿) 

ここでも道草 2011高崎報告4・・・教師はやってきたことが全て(2011年2月27日投稿)

ここでも道草 2011高崎報告6・・・立腰、身心相即、物心相即(2017年12月27日投稿) 

ここでも道草 2011高崎報告7・・・叱られたらやめる(2011年12月28日投稿)

6年前の金大竜(キムテヨン)先生の講座の内容。

ふと読みたくなり、検索して行きつきました。

金さん、たくさんのいい話をしてくれました。 

 

  

迷った時には前を向く」(やる前に深く考えない)

今の小さな自分を突き抜ける」ためには、まずはやってみる。

仕事は選ばない」 

とにかく人に会い、とにかく聞き、そして実践してみる

「教師はやってきた仕事が全て。それも続けていることが大事」

 「みんな頑張っているなあ。先生も昔は頑張った」では、子どもたちへの影響力は少ない。

 チャレンジし続けているところを見せることが大事。 

「自分のための『学級』ではなくて、子どもが伸びるための『学級』へ」

「この程度の自分が教師をやっているのだと自覚すべし」

「見えていないと自覚することで、見ようとする」

「全ての子はできるはず。今の教師は妥協点が低いと思う」

「教師は24時間工夫する。方法は無限にある。掃除だって給食だって工夫次第」

「町もハッピーにするぞ。ハイタッチ。・・・交通当番の人たちにハイタッチ」

教師のために動いてくれる人は多い。味方は多い。」

「横着するな。近道はない。」

 東北地方の被災地。金先生は毎月行っている。

 被災地に対して・・・行動していない、実践していない。

 それは、「そうすること(困っている人たちに何もしないこと)を教えてしまっている。」

「知覚動考」

 知って、方法をえたら、まずこう。動きながらえる。動く前に深く考えない。

「知覚動考」を「ともかくうごこう」と読む!

  

 

こんな言葉に再び触れて出勤した日でした。

6年前に時間を見つけてせっせとうってくれていた自分に感謝。

スタートの日に役に立ったよ。

2018年1月 8日 (月)

クリチェフスカヤと6年ぶりに再会できた/なぜ火山群ができるのか

今日は1月8日。

 

明日の準備もあるので、冬休みもラスト投稿。

休み中36本目。贅沢に投稿してきました。

 

昨年12月30日放映の「体感!グレートネーチャー 爆裂地帯と未知鉱物

~カムチャツカ半島 七色の大地~」を1月6日に見ました。

「1月6日」というのが実は大事です。

そのことは少し後に書きます。

  

この番組で懐かしい山を見ました。

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カムチャッカ半島最高峰のクリチェフスカヤです。活火山です。

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すごい山でしょ。山容がいいでしょ。

2017年の3月に噴火が始まり、今も断続的に噴煙を上げているそうです。

クリチェフスカヤは以前、他の番組で見ていました。

そのことをブログに書いています。

ここでも道草テレビで勉強・・・カムチャツカ半島の名峰クリュチェフスカヤ(2012年1月6日投稿) 

この時は「クリュチェフスカヤ」という山名でした。

いい山だと思い、引退したら登りたいとその時に書きました。

今回、番組名からしてきっとクリチェフスカヤと再会できると思って

録画しました。そしたら正解。

相変わらずすごい山でした。 

クリチェフスカヤに出会ったのが、2012年の正月早々。

記事を書いたのが、1月6日でした。

6年経って、同じ1月6日に偶然にもクリチェフスカヤを見ていました。

この偶然が楽しかったのです。

縁を感じました。

世の中にはものすごくたくさんの事象があります。

どの事象に出会うかは偶然であって、

その出会いの中には「縁」を感じさせてくれるものがあります。

縁を大切にしたいです。それは私の信条の一つ。

クリチェフスカヤは縁を感じます。

いろいろな障害はあると思いますが(現時点で想像がつかない)、

引退したら登ってみたいですね。

  

しかし、あの記事を書いてから6年が経つんだ。

50歳の私が、引退したら登りたいと書いたんだ。

引退を意識し始めた頃かな。 

  

ところで、この番組で、なぜカムチャツカ半島に火山が多いか

説明をしてくれていました。

それがわかりやすかったので、ここに書いておきます。

  

カムチャツカ半島の中心都市はペトロパブロフスク・カムチャツキー。

覚えにくい都市名です。

そこにあるロシア科学アカデミー、火山地震研究所の主任研究員、

火山学者のアレクサンドル・ベロウソフ博士が説明してくれました。

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Rimg1640  

この図は現在の火山の活動レベルを表している図だそうです↓

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24時間定点観測をしている火山が10を超すそうです。

オレンジは噴火中、黄色や緑もいつ噴火してもおかしくない状態だそうです。

この活発な火山群を生み出す大きな要因は、

半島の際(きわ)にあるプレートの動きであると、博士は言います。

2つのプレートが重なり沈み込む場所にカムチャツカ半島はあり、

沈み込むプレートの速さが早いために、

他の地区にはない火山群ができあがっているのです。

図で説明します。

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火山は半島の東側に多くあります。

 

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そこは大陸プレートである北アメリカプレートと、

海洋プレートである太平洋プレートの境目です。

 

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沈み込む海洋プレートの速度は、年間9cm。

これは日本にもぐりこむフィリピン海プレートの2倍。

世界最速です。

  

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プレートはもぐりこむ際に、水分をマントルへともたらします。

水に触れたマントルは、融点が下がり、マグマが発生。

 

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カムチャッカ半島の場合、もぐりこむスピードが速いために、

多くの水分がもたらされ、マグマ溜まりが大量に生まれます。  

  

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そのため、世界で最も活発な火山群ができていると考えられています。

  

  

日本に住んでいると、海洋プレートがもぐりこむ話はよく聞きます。

大陸プレート側にひずみができて、それが地震につながるという、

地震発生のメカニズムとしての説明でした。

火山群ができる説明には、海水が地中に運ばれて、

マントルがマグマになるという話が加わりました。

初めて聞く説明だと思います。

海水が流れ込む!面白いと思いました。

 

今回調べていてわかったのは、

カムチャツカの火山群は1996年に世界遺産に認定されていたこと。

さらに、2001年にはクリチェフスカヤを含むもクリュチェフスコイ自然公園も

追加登録されていました。

世界遺産なんだ。

私たち(きっと嫁さんは一緒に行くので)が行くまでには、

より安全なルートを整備しておいてほしいです。お願いします。

 

  

長くなってしまったけど、もう一つ。

こうやって番組を見た後に、読み物に変換することを進めていくと

きっと将来は役立つと思います。いかがでしょう?

ここでも道草 みんなでテレビ番組を読み物に変換することができるといい(2018年1月7日投稿) 

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楽餓鬼

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