20180203観音山報告その4/丸太の奇妙な模様
今日は3月14日。
前投稿に引き続き、2月3日に登った観音山の報告。
少年自然の家下から出発して、観音山登頂。
その後は、久留女木方面に向かいました。
前投稿の蛇紋岩もその途中で出会いました。
こんな看板に出会いました。
どちらに行っても「みち」
まあここが登山道であることはよくわかります。
山中で皆目わからなくなって、
斜面を這い上ったりしていたら、
この看板を見て少しは安心することでしょう。
しかし、この道がどこに至る道なのか不明。
こんな丸太橋に出会いました。
なんの変哲もない丸太橋に見えるかも。
特徴があるから3枚も写真を撮りました。
この丸太の表面の模様がとっても面白い。
なぜこのような模様ができるの興味あります。
もし知っている人がいたら教えてください。
石碑とお地蔵さんがある交差点に着きました。
この看板のアップ写真。
昔の道標
江戸時代から、明治、大正時代の頃は、
この場所は重要な交差点でした。
昔は山岳信仰があり、観音山を霊山として仰いでいたので、
東久留女木や西久留女木の人達は、
ここを通り観音山の山頂へお参りに行ったのです。
また、火防の神様を祭ってある秋葉山へ参拝するにも、
ここから中代(なかしろ)を通って阿多古へ出て行きました。
浜松市の宮口や引佐町の伊平への買い出しの折には、
地元の人達は、背負い籠を背負ってこの道標を頼りに
歩いて行ったのです。
静岡県立観音山少年自然の家
観音山の頂上から下ってきて2時間弱。
登りなら、この交差点から2時間以上かかると予想します。
村落からならもっとかかります。
昔の人はこんなに時間をかけてお参りに行くのですね。
昔の人の脚力は強し。
昔を思い浮かべながら、南に下っていきました。
3回目の久留女木の棚田が迫ってきました。
つづく
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