20180304報告その2 村上先生の最終陳述
今日は3月11日。
前投稿に引き続き、3月4日に行われたキミヤーズ塾のことを
書き留めます。少しでも自分の血や肉になってほしいと願って。
↑キミヤーズの会場、花園大学拈花館(ねんげかん)。
訴えられた村上公也先生の最終陳述。
引用します。
最終陳述(被告人)
私は、反射的に丁寧な挨拶や返事を強制する指導は大嫌いです。
そこには指導の義務感はあっても、
子どもたちに対する敬意が感じられない。
色袋は、数の保存性を言葉ではなく
行為をもって伝えるための指導教具です。
また、数えるというのは、数えないと分からないぐらい
多い数を把握するための手段です。
数概念の形成ではない。
そして、初めて文字と出会うことを考えたら、
平仮名は音声を表わすので抽象度が高い。
具体物を表す漢字の方が発達認知の上で先といえる。
指し棒については、反復練習の退屈から逃避する子どもの
心理的免疫をうまく騙(だま)して回避する方法。
(中略)
今のユニバーサルデザインにしても、厳格な学習規律を
マニュアル化・標準化しているだけで、
子どもたちの心情に基いていない。
結果、落ちこぼれを量産しているだけです。
だいたい「正しいこと」ほどしょーもないものはない。
高度成長期の経済じゃあるまいし、できるようになることばかり
目指している現在の教育は、人として最も大切なものを見失っている。
指示棒、漢字先習、数えない指導は、
実際にやってみて効果があるので、
村上先生に賛成です。
今まで村上先生がユニバーサルデザインについて
批判的な発言をするときはありました。
今回、その理由が見えてきました。
あいさつについても、「ハイ」は大事だと思っていましたが、
ここで村上先生の心情がわかりました。
村上先生の実践は考えさせられます。
今までそうすべきと思っていたことを揺さぶられます。
でも村上先生のおかげで枠を破ったことが
できるようになったのも事実です。
私が、ザリガニの着ぐるみを着て授業をするなんて、
村上先生に出会う前の私だったら、想像できないでしょう。
特別支援学級の担任になった頃は、
子どもたちを通常学級の子どもたちに近づけることに
私の視点がいっていました。
でも違うんだよなあ、今は。
そういう視点もあるけれど、
目の前の子どもたちのもっている良さを
伸ばそうという発想が強くなってきています。
障害を持っていようが、なかろうが、
その子の良さを伸ばし、その子の自己肯定感をアップさせることが
教育の重大事になってきています。
特別支援学級は、通常学級よりは人数が少ない分、
しっかり子どもとつきあえます。
そのつきあいの中で教師が気がついた、
あるいは感じたその子のよさを、
いかに本人にも「私の好きなこと」「私の得意なこと」
と認識させて、労を惜しまず取り組めるようにするか。
今の私の教育の視点はこれですね。
つづく。
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