2018年1月28日 (日)

横浜を往復した日でした2018/来年は遠慮せずに発表しよう

今日は1月28日。

  

昨日はわらしべ実践交流集会に参加してきました。

会場は横浜市のウィリング横浜。

昨年に引き続き2回目の参加です。昨年のことはここに↓

ここでも道草 横浜を往復した日でした(2017年2月12日投稿) 

このタイトルが気に入ったんで今年もこのタイトルにしました。

朝6時半過ぎに出て、帰宅は午後10時半過ぎ。

横浜は近くない。

  

今回持参した教材は「みんなで文字探し」

以前ここに載せた教材です。↓

ここでも道草 11月6日の授業その2/ことわざの切り貼り(2017年11月11日投稿)

  

今回のわらしべ実践交流集会の展示の写真です。

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展示コーナーに置かれた紹介文です↓

Epson807 今回は発表をしなくて、

今年から始まった「展示オンリー」での出品でした。

私としては今一つと思った教材だったので、

発表をしませんでした。

しかし、会場で見てくれた人たちの声を聞いて、

発表すればよかったと思いました。

弱気になり、遠慮した自分自身を反省。

遠慮するメンバー、交流集会ではないのです。

来年は発表にもっと積極的になろうと思いました。

 

直接感想を言ってくれた人もいましたが、

付箋に書いて伝えてくれた人もいました。

ここに書き留めておきます。

  

1枚のカルタを3人グループで完成させるところに、

コミュニケーションの力が育つ要素が盛り沢山。

カッターで切る、貼る、文字を見つける!

楽しい作業の中に、沢山の力を伸ばせるステキな教材ですね。

  

個別の学習で取り扱うのではなく、

子どもたち同士の学びの場と設定して行うことで、

子どもたちがお互いに認め合えることができているのが、

良かった点であると思います。

  

勉強していて、楽しそうだし、結果も出るし、いいですね。

感謝です。自信をもらえました。

  

  

それでも・・・少なくとも今年も参加したのは大きい。

特別支援教育に真剣に携わっている人たちとの交流は、

エネルギーをもらえます。

また1年工夫をして、この交流集会に教材を持ってきて、

この熱心な人たちに見てもらおうと思えました。

昨年は教材が大きかったので、運ぶために自動車で出向きました。

そのため懇親会ではリンゴジュースなどのノンアルコールでした。

今回は電車だったので、ビールが飲めました。

それもよかった。

 

  

今年のわらしべ実践交流集会で参考になったことは、

また後で書き留めておこうと思います。

2018年1月25日 (木)

浜松に行ってきました その4/堀川城跡

 

今日は1月25日。

  

前投稿の続きで、1月21日に浜松に行った時のことを書きます。

  

獄門畷から「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」の

駐車場に戻って、次は堀川城跡に自動車で向かいました。

 

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堀川城跡の写真です。

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「直虎紀行」の映像↓と、卒塔婆を比較してみます。

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もう卒塔婆の白さは失せていました。

  

  

再び私が現場で撮った写真。

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説明板の最後にある文・・・

  

家康の生涯における戦さの中でも、もっとも残虐な戦場となりました。

  

が印象に残りました。

「おんな城主 直虎」では、この戦いの命令は徳川家康ではなくて、

家来の酒井忠次の命令で行ったことになっています。

ドラマの家康像にそぐわなかったのでしょう。

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大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放映されたことで、

比較的身近な地域の歴史を知り、現場に行くこともできました。

まだまだ「おんな城主 直虎」関連で行きたい場所はあります。

私にとって影響力の高い大河ドラマでした。

  

  

これで21日の報告は終了。

 

※関連:BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)虐殺も行われた堀川城の戦い

※関連:戦国武将列伝Ω 堀川城の戦いと刑部城の戦い~徳川家康のなで斬り?

※関連:戦国武将列伝Ω 山村修理と竹田高正の堀川城の話と~堀江城での中安兵部も

※関連:大澤寺 七百人もの処刑となると・・・堀川城残党 獄門畷

 今回の報告で使った地図は、この大澤寺のサイトで「場所はここ」を

 クリックしたら出てきた地図です。

浜松に行ってきました その3/獄門畷

 

今日は1月25日。

  

前投稿の続きで、1月21日に浜松に行った時のことを書きます。

  

「犬くぐり道」の説明板から、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」の

駐車場に戻ってきました。

資料館の後ろ側も犬くぐり道になっていて、

そこを写真の矢印のように歩いて、

獄門畷(ごくもんなわて)に向かいました。

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道を下っていく途中で、変わったデザインのマンホールに出会いました。

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町の花の桜と、旧町で数多く発掘された銅鐸がデザインされているそうです。

※参考:進め!マンホールの蓋調査隊

  

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大通り(国道362号線)まで下りて右折。

 

バス停「呉石」バス停の向こうに、目的の獄門畷が見えます。

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「直虎紀行」で紹介されていた獄門畷に実際にやって来ました。

※参考:ここでも道草 「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句(2018年1月21日投稿)

「直虎紀行」での説明をここに再び載せます。

 

堀川城の北に、地元の人たちに大切に守られてきた供養塔があります。

捕虜となった人々がのちに処刑された場所です。

ここには多くの首がさらされ、獄門畷(なわて)と呼ばれました。

  

獄門畷の写真です。

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「直虎紀行」の映像では、国道に面しているとは思えませんでした。

映像だとわからないことが、実際に行くとわかります。

しょせん、映像は一部分しか映していないのです。

その映像から、想像するのも面白いけど、

いつかは実際に行くことをめざしたですね。

今回でまた思いました。

 

2018年1月24日 (水)

浜松に行ってきました その2/犬くぐり道

 

今日は1月24日。

  

前投稿の続きで、1月21日に浜松に行った時のことを書きます。

  

今回行くことにしたきっかけは、この「直虎紀行」です↓

ここでも道草 「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句(2018年1月21日投稿)

  

「直虎紀行」で紹介された場所を中心に見てきました。

 

自動車を駐車したのは、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」の

駐車場です。

ずっと以前、姫街道ついて調べていた時に、

ここに来たことがありました。

その時には、気賀の中で、この資料館しか見ていませんでしたが、

今回は資料館ではなく、その周辺を探索しました。

 

駐車場のすぐ近くに「犬くぐり道」の説明板がありました。

事前の調べで、このことは知っていたので、さっそく見に行きました。

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説明板の文章です。

  

犬くぐり道

気賀関所を通行するためには、この町の人々でさえ

通行手形が必要でした。

しかも、夕方六時には門が閉められ、

朝は六時にならないと開けられなかったため、

大変不便でした。

そこで犬くぐりと呼ばれる抜け道が作られ、

犬が通る道として黙認されたのだそうです。

この道は、正明寺の付近から気賀の町並みの

北側の山の裾を通り、東は清水の北のはずれまで通じていました。

犬くぐりは正明寺の境内にありました。

むしろを垂らした門があり、

犬ならばくぐることができるけれども

人は立ったまま通ることができないので、

むしろの下をくぐって通ったそうです。

(参考・・白柳秀湖「関所のぬけ道」)

細江町教育委員会 細江町観光協会

  

面白い道です。

次のサイトが参考になりました。

豊橋心霊散歩 【民話】静岡県浜松市 犬くぐり道【史跡】

どうやらこのサイトの方も、今年になって出かけて行ったようです。

 

説明板にはない話が載っていました。

引用します。

  

話では、 関所があまりにも融通が利かなかったため、

そこに住む村人たちが殿様にお願いしにいったところ、

法令には逆らえないが・・・、、 粗末な道に粗末なむしろで、

この犬くぐりを作って 「犬なら通っていいぞ」 と言ったそうです。

村人たちはこれを殿様の慈悲と受け取ったそうです。

日々の暮らしに問題ない範囲として、妥協点とも言えるのですが、

あまりにもひどいような気がします。

この犬くぐり道、 使用するのは殆ど村人たちだけで、

武士はまったく使用しない。 旅人はほとんど使用しない。

もしも旅人が使っているところを見つけたら、

村人たちは旅人を関所破りとして関所に突き出していたそうです。

  

「あまりにひどい」とは思えませんでした。

知恵のように思えました。

殿様もきっと一生懸命考えたことでしょう。

この地図に「犬くぐり道」の撮影場所が示されています。

Photo

この地図は、次のサイトの中の「場所はここ」をクリックしたら出てきた地図です。

(私が「獄門畷」と打ち込みました)

大澤寺 七百人もの処刑となると・・・堀川城残党 獄門畷

  

  

寒い日でした。

晩7時くらいから雪が舞い始め、うっすら積もっていました。

明朝は雪化粧かな? おやすみなさい。

2018年1月22日 (月)

浜松に行ってきました/「WC」の元になった英語とは?

今日は1月22日。

  

前投稿の続き。今回は昨日好奇心で行動したことを書きます。 

 

浜松市の「あらたまの湯

そこでの写真です。

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トイレのことは「WC」で表現されますが、

「WC」は何の略なのかあまり意識していませんでした。

「多目的WC」のことを英語でこう書いてありました。

  

Multipurpose water closet

 

 

「Multipurpose」が「多目的な」

そしてwater closet」(水の小部屋?)

「水洗トイレ」を意味する英語というわけです。

う~ん、このことを私は昔は知ってた?

自問してみて、やっぱり私は今初めて知ったと思いました。

さんざん目にしてきた「WC」ですが、

「あらたまの湯」の表示を見て、やっと元になる英語を意識しました。

  

 

ただ「water closet」が本当に英語か?となるとあやしい。 

YAOYOLOG トイレの「WC」とはどういう意味?なんの略?

↑このサイトでは、「water closet」は和製英語としています。

日刊ニュージーランドライフ トイレのWCって何の略?そもそも英語?

↑このサイトでは、以前のポットントイレと水洗トイレを区別するために、

water closet」という英語ができたけど、もう古い言い方なのだそうです。

共通して言えるのは、現在、海外では「WC」は使われていないそうです。

(ドイツでは日本同様使われていると、上記の「YAOYOLOG」には書いてありました)

 

  

ちなみに現時点で英語でどう表現するか?

「YAOYOLOG」にはこう書いてありました。

 

「トイレ」の語源である「トイレット(toilet)」は、

便器そのものを意味する為、あまり使用されず、

お風呂と一緒に設置させることが多い為、

「bathroom(バスルーム)」や、

休憩室との意味の「rest room(レストルーム)」と言うのが一般的だそうです。

  

「日刊ニュージーランドライフ」によると、

ニュージーランドでは「Loo(ルー)」と呼ばれることがよくあるそうです。

 

 

 

 

登山に行くと、女性が「花を摘んできます」と言って姿を消す時があります。

女性が用を足すときに言う言葉。

男性版もあるそうです。

「キジを撃ちに行ってきます」と言うそうです。

使ったことないなあ。  

  

登山はやめて、父親と浜松の温泉に行く

今日は1月22日。

  

1月20日に授業参観がありました。

翌日の1月21日は、雪の大川入山に登る予定でした。

実際に20日の晩、21日の朝は3時起きで準備をしていました。

新しい和かんをザックの左右につけて、悦に入っていました。

  

しかし、気が変わりました。

20日の晩の娘の言葉がひっかかっていました。

私の86歳の父親が、娘に「生きていてもしょうがない・・・」などと

ネガティブな発言をしたと聞いていました。

昨年から父親は、物忘れ度が急速に高くなり、明らかに認知症です。

現在、どうにかしたいと役場に相談し、いろいろ動いてます。

父親自身も、そのことに気がついていて、

自分への自信が失いかけています。

足腰も衰えて、歩くのも杖がなければ危なっかしいです。

弱気になっています。

元気を出させたいです。

  

そんな父親のネガティブな発言が気になって、

1日、一人で雪山を歩くことは難しい。

そこで、父親と温泉に入りうまいものを食べたいと思いました。

少し歩いて高台に登って、いい景色を見せたいと思いました。

計画を変更。

  

子どもの世話が済んだら、次は親の世話。

そう言うそうですが、実感です。

まだまだ子どもも心配ですが、今は父親が最優先です。

 

  

どこに行くかを考えました。

その時に浮かんだのが、前投稿の「直虎紀行」でした。

ここでも道草 「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句(2018年1月21日投稿)

  

出かけるなら、かねてから行きたかったところもついでに見てこよう。

好奇心のウズウズは止められません。

浜松に決定。

その付近で景色のいい場所はないか、

いい温泉はないかと探しました。

ありました。

天気は快晴。暖かい。

朝、起きてきた父親にいきなり提案して、出かけました。

  

 

「少し歩いて高台に登って、いい景色を見せたい」

行ったのは、浜松市の細江公園です。

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すぐ横には、以前宴があった「国民宿舎奥浜名湖」があります↓

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駐車場から少し歩いたら、2階建ての展望台がありました↓

今の父親には、ちょうどいい歩行距離でした。

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展望台の1階からでも、十分見晴らしがよかったです。

私だけ2階に登って、景色を写しました。

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気賀の街々、そして奥浜名湖が見渡せて、いい展望台でした。

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父親も喜んでおりました。

  

「温泉に入りうまいものを食べたい」と思って出向いたのは、

あらたまの湯です。

パンフレットの写真です。

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ゆっくりできました。

70歳以上だと割引してもらえるのに、

年齢を証明するものを持参していませんでした。

明らかに70歳以上に見える父親でしたが、

割り引いてくださいと言えませんでした。

そこがささやかに後悔。

父親が食べたのはうな丼でした。

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帰りに新東名浜松SAに寄って、

浜松餃子を家への土産で買いました。

その代金は父親が払ってくれました。  

   

好奇心で出向いた場所の報告はまた後で。  

2018年1月21日 (日)

「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句

 

今日は1月21日。

  

昨年8月27日に放映された「おんな城主 直虎 34 隠し港の龍雲丸」より。

  

この時の「直虎紀行」を読み物にします。

ナレーターの言葉を聞き書きします。

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浜名湖の北。田園風景が広がるこの地に、

堀川城がありました。

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永禄12年。遠江(とおとうみ)制圧遠江制圧を狙う徳川家康は、

この城を攻めます。

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抵抗する今川方の土豪たちは村人たちとともに、城に立てこもります。

しかし、わずか1日で落城。多くの命が失われました。

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村人たちを先導していた土豪の一人、山村修理(しゅり)は、城から脱出。

小高い丘の上から燃え落ちる城を見て、自害したと伝わっています。

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堀川城の北に、地元の人たちに大切に守られてきた供養塔があります。

捕虜となった人々がのちに処刑された場所です。

ここには多くの首がさらされ、獄門畷(なわて)と呼ばれました。

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当時の住民の半数が犠牲になったともいわれる堀川城の戦い。

今も人々の心に忘れられない記憶として刻まれているのです。

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徳川家康が気賀にあった堀川城を攻めたことは全く知らないことでした。

おんな城主 直虎」を見たことで知りました。

無残な戦いだったようです。

とても興味をもちました。

  

 

山村修理の辞世の句が次のサイトで紹介されていました。

戦国武将列伝Ω 山村修理と竹田高正の堀川城の話と~堀江城での中安兵部も

  

「安穏に、くらせる人は、幸せよ」

  

死ぬ時の素直な気持ちだったと思います。

無念な死だったと想像します。

 

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」その3/プロ入団までのキャリア

今日は1月21日。

  

前投稿に続いて「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」

(テリー伊藤著/角川oenテーマ21)より引用します。

  

弱みを見せまいとする落合監督は指示されない・・・・ 

  

それでも、落合は自分の信じた道を突き進む。

「あいつがいなくなった」とか

「あいつさえいてくれたらなあ」という未練などまったく持たない。

そんな情緒的なことを言う男ではない。

「彼らの役目は終わった。いま、うちのチームには必要としない。

周りが彼らを過大評価しているだけだ」

戦力ダウンについて報道陣に聞かれても、そう言ってのける。

「落合監督。じゃあ、どうやって戦力強化するんですか?」

「何の強化もいらないんじゃない」

だれが考えても、強化がいらないはずはないのに、そう答えてみせる。

しかし、その言葉だけ聞くと、「また落合は」と誤解されてしまうが、

その後、真意をこう語っている。

(72p) 

  

え、その後、真意を語っているの?

そう思って続きを読んでみました。

  

「去年はウッズと中村紀の2人で149点取ったけれど、

彼ら2人の守備でどれだけ失点したか。

得点は減るのは事実だが、守備のマイナスが解消される。

それこそが最大なる強化だ」

ファーストのウッズ、サードの中村、センターの森野将彦。

08年の中日は、この3つが「守備の弱点」として

落合監督の頭痛の種だった。

「この守備陣では、点を余計に取られることはわかっていた。

5点、6点を取られても打線でひっくり返す野球をするしかなかったが、

その打線が機能しなかった」

本来、サードに置くべき森野をあえて外野に回したのは、

打線を重視したからだったが、

その3つの穴のおかげで「守り負け」した試合が数々あった。

中村が抜けたことで森野をサードに戻し、

守備のいい選手をセンターに配置できる。

ブランコはウッズより数段、守備がいい。

つまり、守備の穴はなくなる。

それを見越して「強化はいらない」という言葉を使ったのだ。

「いやあ、今年も守備がボロボロで、

おまけに打って返すはずの打線もさっぱりで、

まいっちゃったよ」

お笑い芸人なら、そう言ってファンに弱音を吐くところだろうが、

落合監督は静かにこう言った。

「点を与えず、どうやって1点をとるかという簡単な野球に戻すだけ」

(73p) 

 

落合監督の頭の良さというか、選手をしっかり見ているというか、

驚きです。

「その後」に説明したのはわかります。

勝負ですから、手の内を見せないのでしょう。

でも3選手を失っても、次が考えられる落合監督なのでしょう。

  

  

自分が正しいと思ったことは、どんな軋轢が生まれようとも主張する人間。

周囲との折り合いや前例なんか気にせず、信念を貫く人間。

常に有言実行、保険もかけず、退路も断って、勝利を目指す人間。

そういう人間がいないことが日本の活力を低下させているのだ。

そういう人間が、この国には必要なのだ。

つまり、いま、日本人にいちばん必要なのは「落合力」なのである。

(111p)  

「俺って、世間の人にどう思われているのだろう」とか

「好感度が下がらなように気をつけよう」などという姿勢が、

見ている人に悟られてしまうようなタレントには魅力がない。

そんなことは気にもとめていないように見える人ほど魅力的なのだ。

たとえば、所ジョージや高田純次のように、

自由で身構えていないタレントのほうが、

媚びるタレントよりも支持される。

だから、落合監督も、あのままでいい。

媚びず、はしゃがず、人目も気にせず。

それでこそ、落合監督なのである。

マスコミに嫌われたら、それを自分のパワーにする。

ファンにブーイングを浴びたら、またそれをパワーにする。

「なにくそ」というパワーこそが「落合力」の源泉なのである。

(125p)

  

この本で私が一番見習いたいのはここかもしれない。

少しぐらい批判されても、くよくよしない。止まらない。

「なにくそ」と思って、さらに動く。

実は今はその実践中。

懇談会できついことを言われて、少々くじけていました。

でも冬休みで充電。動き出しました。

成果が出てきています。

そして、この本。

「なにくそ」と素直に思って、さらに加速しそう。

タイムリーな本でした。

    

  

落合博満のプロに入団するまでのキャリアを、

この本で初めて知りました。

その部分を最後に引用します。たっぷり書き留めたい。

  

だいたいからして、この人は、さかのぼってプロに入団するまでの

キャリアを見ても、実にタフに生きている。

東洋大学の野球部をやめて、学校も1年で中退。

ふつうの野球選手なら、そこでキャリアは終わっているはずだ。

「あいつは王さんにも負けないほどの素質があったけど、

先輩にいじめられて途中でやめちゃったんだよ。

もしあのままつづけていたら絶対にプロで成功していたはずだ」

そんなふうに「逃がした魚は大きかった」的な伝説というのは、

日本中の野球場に数えきれないほど転がっている。

(中略)

落合は、そういう「幻の天才バッター」で終わっていたとしても、

何の不思議もないところにいた。

大学をやめて実家の秋田に帰り、

ボウリング場でアルバイトをしていた落合は、

そこでボウリングに目覚め、本気でプロボウラーになろうとしていた。

たまたまプロテストを受けられなくなってしまったから、

プロボウラーにならなかっただけで、

もし無事に受験していたら、

まちがいなくずっとそこで生きていたことだろう。

その後、東芝府中に「臨時工」として就職し、

野球部に入った落合は、ここで再びバットを手にすることができた。

だが、そこは川崎市の名門チーム「東芝」とは似て非なるチームで、

非常にマイナーなノンプロ球団だった。

しかし、そのチームを落合のバットで初の都市対抗野球出場まで

もっていった。

この活躍が、日中はトランジスタラジオの基盤をコツコツ組み立て、

夕方から野球の練習をしていた臨時工員を25歳にして

プロ野球選手に出世させたのだ。

その東芝府中野球部もリストラのあおりで、いまはもうない。

落合物語の哀愁である。

「でも勝負の世界なんだから、実力がある者は、いずれちゃんと

そうやって頭角を現すものだよ」

そんなことを本気で思っている人は、

おそらくプロアマ含めて野球界には1人もいない。

実力があってもつぶれる選手はいくらでもいるし、

実力があってもつぶされる選手はいくらでもいる。

こうした落合博満という野球人の序章を見ると、

その後の落合があるほうが不思議なくらいなのだ。

この序章で、どこにいても生きていける力を磨いていったことが、

「落合力」の骨格となっていったことは想像に難くない。

アマチュア時代から名門チームで華やかな野球をしていた

エリート選手には到底、身につけることのできないマイナーのオーラ。

それがメジャーなステージでも不気味に輝いていた落合の源流にある。

そして、それこそが「落合力」として、

いま、まさに輝きを増しているのだ。

(141~143p)  

 

 

ビックリのキャリアでした。

人生、何がプラスになるかわからないんだ。

自分の今までのキャリアは、

自分の生きっぷりをどのような形にしたのだろう。

これからの私の人生をどこに連れていってくれるだろう。

なかなか自分では見えないし、予想できない。

その時その時は精一杯やってきたつもり。

後悔したくない。

これからも精一杯。

  

  

 

ブックオフで立ち読みして面白そうだと思い、

そこで買い惜しんで、図書館で借りた本。

出会えてよかった。2010年の本。

たっぷり引用しました。

また機会があったら読み直そう。

収穫あり。いまから図書館に返却に行きます。

午後6時に閉館してしまう!

2018年1月20日 (土)

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」その2/育つ者は見逃さず

 

今日は1月20日。

  

前投稿に続いて「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」

テリー伊藤著/角川oenテーマ21)より引用します。

  

ブルペンはふつう6~7人で投げるのだが、

落合監督はブルペンを広げて10人が並んで投げられるようにしました。

順番待ちせずに、投げたいときに投げられる・・・・・

 

そして、それ以上に落合監督が狙っていることがある。

ピッチャー同士の対抗意識だ。

「あいつも投げてる。こいつも投げてる。その隣で自分も投げる。

いくら『自分のピッチングに集中してますから気になりません』

と口では言っても、いやおうなしに目に入るよ、

他のピッチャー連中のボールが。

この狭い間隔で、隣に投げてるヤツの息づかいまで

ハッキリ聞こえてくるから。

これがいいんだよ。

みんなして周りのピッチャーを意識して、

負けてたまるかっていう気持ちで投げてくれりゃあいいんだ」

これは、貧しかったころの日本のあちこちで見られた風景に

近いものがある。雑多な大部屋のダイナミズム。

そこで押し合い圧し合い(おしあいへしあい)、

揉まれて強い子になり、たくましい大人に育っていくという

古き良き大家族システムである。

親からして好き勝手な暮らしをしている核家族で

子どもは個室を与えられ、ぬくぬくと育てられて弱体化した日本人に、

ぜひこのブルペンを見せてあげたい。

(49~50p)

 

6~7人を10人にする、その裏には考えがある。

こういうのがすごいんだよなあ。

少し環境を変えることで、指導に有効な手段は、

私の身近にあると思うのです。それに気がつくかどうか?

マンネリに浸っていてはできない。

  

  

「去る者は追わず、育つ者は見逃さず」

そもそも2009年は「中日はBクラス」と

予想していた専門家が多かった。

なぜなら、エース川上憲伸、4番のタイロン・ウッズ、

2007年日本シリーズMVP男の中村紀洋、

この3人が一挙に抜けてしまったからだ。

かといって3人の穴を埋めるような補強をしているかといえば、

これまた「補強はしません」。

この戦力では、さすがの落合監督もBクラスに

沈んでしまうだろうという予想のほうが順当に見えた。

「就任6年目で、今年がいちばん厳しいシーズンになりそうですね」

そう記者団に聞かれた落合監督は、またもや強気な言葉を返して見せた。

「いや、いちばんおもしろいシーズンになるんじゃないかな」

そして、実際、おもしろいように、

彼らの穴を十分に埋める新たな選手がチームの中から台頭してきた。

入団4年目の吉見一起がリーグ最多の16勝を挙げ、

3年目のチェン・ウェインは防御率リーグトップに輝いた。

ホームラン35本、77打点のウッズの穴は、4番に据えたブランコが

39本110打点をたたき出して十分に埋めた。

6億円のウッズを放出して、3000万円でドミニカから連れてきた

「未知数」の外国人が、この働き。

なんと20倍の経済効率である。

落合監督の目には、それが見えていた。

彼らを育て上げる自信が、たしかにあった。

だからこそ、「おもしろい」と言えたのである。

こんなふうに、落合監督の「強がりに聞こえる言葉」の奥には、

常に根拠がある。

ただ、あまりにも先見の明がありすぎるから、

彼以外のすべての人たちには強がりにしか聞こえない。

それで、「素直じゃない」とか「かわいげがない」

などと思われてしまうのだ。

あとになって思えば、落合監督の言っていたとおりなのに、

そこを日本人は評価しない。

(68~70p)   

  

「育つ者は見逃さず」

身に着けたい力です。

身近にいる子の何が伸びて、その子の自信になっていくのかと

見ているつもりですが、なかなか見えない。

  

  

いま、お笑いの世界は「身の周り半径5メートルの笑い」が主流だ。

「きのう、こんなことがあってさ。もう、まいっちゃったよ」とか、

「ある、ある」というお笑い。そのほとんどが「ドジ話」だ。

自分がどんなにドジなことをしたかをおもしろおかしくしゃべって、

笑いをとる。

つまり、自分の弱みを世間にさらして、「こいつ、情けないヤツだな」

とか「バカだなあ」と思わせることによって、笑いを誘うのだ。

そして、それと対極にいるのが落合だ。

落合は、どんなときでも弱みを見せようとしないし、泣き言は言わない。

もし、落合が、お笑い芸人たちのようなマネをしたら、どうなるだろう。

「まいったなあ。川上はメジャーに行っちゃったし、ウッズもノリもいない。

これでどうやって勝てって言うの?」

そう弱音を吐く落合を見たら、きっと世間の人たちは

「かわいそうに」と同情したり、「落合も、俺たちと一緒で大変だな」と

共感したりするだろう。

自分の弱みを見せるお笑い芸人は支持され、

けっして弱みを見せまいとする落合は支持されない。

それがいまの日本であり、落合を取り巻く状況なのだ。

(70~71p)

 

まだこの続きがある。

それは次の投稿で。

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」その1/嫌われることを恐れない!

今日は1月20日。

  

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」(テリー伊藤著/角川oenテーマ21)を

読みました。

面白い本でした。引用します。

  

とくにシーズン中や勝負が佳境に入ったときなどは、

ますます(落合監督は)「寡黙な勝負師」に徹するから、

マスコミやファンに落合の真意がさっぱりわからないという

欲求不満がたまっていくのだ。

やがて、シーズンオフになり、そして本人の「しゃべる条件」を

満たすときがくると、本を書き、テレビの特番に出ていく。

これでは、落合にシンパシーのある人は「待ってました」

とばかりに食いつくが、そうでない人は知らずじまい。

結局、落合が好きな人は、もっと好きになるかもしれないが、

嫌いな人には落合の言葉が届かないから、

落合を評価する人は一向に増えないのだ。

きっと落合本人も、そんな構図はとっくにわかっているはずだ。

それでも黙るのはなぜか。

それは、落合は嫌われることを恐れないからだ。

これは、日本人にとって、最も難しいことである。

たとえ、みんなに嫌われても、自分の信念や理想を貫いて生きること。

それを実行してきたのが落合博満という人間であり、

嫌われることを恐れて自己主張もできないのが日本の国民性なのだ。

落合だって、何も好き好んで人に嫌われようとしているわけではない。

人の顔色を気にすることなく、

自分の信念のもとに目標に向かって突き進んでいるだけだ。

しかし、日本人は「協調性が大事」とか

「みんなの意見をよく聞こう」といって

周りの様子をうかがってばかりで、

自分1人では何もできなくなっていったのだ。

(34~35p)

  

嫌われることを恐れない!

できてないよなあ。

それより信念がないのか。

自問自答。

  

  

「指導者とは、教えるのが仕事じゃない。見るのが仕事だ」

落合監督がそう言っている。

「見て、判断する」「見て、決断する」のが、

監督の仕事なのだ。

「70人全員にチャンスがある」

その言葉どおり、このキャンプで基本的に一軍・二軍の枠を撤廃していた。

全員が横一線で再スタートできる新た競争が始まっていた。

その全員を落合監督が見ていた。

(44p)

 

ここで言う「指導者」はイコール「教師」と言えないことがあります。

教師は「教えるのが仕事」でもあると思います。

でも「見るのが仕事」と意識するのも大事です。

杉渕先生の言う「1%を見る」の発想。

この記事を再読しました↓

ここでも道草 1%を見る(2007年11月30日投稿)

3学期になって「一人コメント」を毎日書いています。

  

  

野手は1時間も2時間もぶっつけでノックの嵐を浴び、

3時間も4時間もぶっ通しでバットを振る。

こんなこと、同じプロ野球選手であっても、

やったこともなければやろうとしない「非常識」なことだ。

でも、「やっているうちに平気でできるようになる」と

落合選手も選手たちも口をそろえる。

「キツイことには変わりがないけどね」と。

「選手たちは何しに沖縄にきてるの?野球の練習のためでしょ。

休みをとるためじゃないでしょ?

このキャンプ1回に球団がいくら使うか知ってる?

2億だよ、2億。

何のためにそんな大金出すの?

明るいうちに練習を切り上げるなんて、

お金をドブに捨てるのと同じじゃないの」

そんな落合監督の考え方にも選手たちは音を上げない。

なぜなら、「やった者だけが生き残る。やらなければ落ちていくだけ」

ということを全員が胸に刻んでキャンプに臨んでいるからだ。

(48p)

  

「何しに沖縄にきてるの?」で始まる落合監督の言葉は鋭い!

ズシンと印象に残りました。

教師だって「練習(研修)」に時間を割く意識がいると思います。

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