2018年12月 3日 (月)

キリマンジャロの標高は5895m?

今日は12月3日。

  

忙しくても道草。

  

今日は授業で、キリマンジャロの標高を生徒と調べました。

ズレがありました。

資料集や地図帳には5892mとあり、

教科書は5895mでした。

Wikipediaを調べたら5895mでした。

このズレは、どうしてなのか?

 

資料集の標高の出典は「理科年表など」とありました。

他のものは出典がわかりません。

  

さあ困った。

そんな時、キリマンジャロ登山を報告しているブログに出合い、

読みました。このサイトです↓

daiki55.com 見たら絶対行きたくなる!5895mキリマンジャロ頂上の絶景!

 

記事のタイトルに「5895m」が書かれています。

標高を記事のタイトルにしたのは、

キリマンジャロの頂上にある看板のためでしょう。

上記ブログの写真を掲載します。

  

Photo  

この看板に「5895M」とあるのです。

  

2015年1月の写真です。

頂上にそう書いてあるのなら、まあ5895mでいいのかなと思います。

  

グーグルアース キリマンジャロ

↑ これを見ると、キリマンジャロが火山だとよくわかります。

先ほどのWikipediaによると、

山脈に属さない独立峰では世界で最も高いそうです。

看板にある

WORLD HIGHEST FREE STANDING MOUNTAIN

は、そのことを書いているのでしょう、きっと。

  

2018年12月 2日 (日)

マゼランとマゼラン雲との関係は?

今日は12月2日。

  

いかんなあ、マゼランのことで道草が止まらない。

前投稿に引き続き、マゼランのこと。

  

授業で、「太平洋記念日」「マゼラン」のことを

紹介した後に、生徒から

「マゼラン雲ってありますよね。

マゼランと関係があるんですか?」と尋ねられました。

「きっとあると思うよ」

「ぜひ調べてきてよ」と言いました。

  

その子に調べることを任せたいところですが、

私も、好奇心に負けて調べてみました。

  

マゼラン雲はアニメ「宇宙戦艦ヤマト」で登場しています。

宇宙戦艦ヤマトが目指したのは、

「大マゼラン星雲」にあるイスカンダル星であり、

それを阻止しようとするガミラス帝国の主星ガミラス星も

大マゼラン星雲にありました。

 

マゼラン雲としてWikioediaに次のように書いてありました。

  

銀河系の近くにある2つの2銀河、

大マゼラン雲 と 小マゼラン雲 の総称である。

(中略)

希に、マゼラン星雲 、マゼラン銀河 とも。

(中略)

ヨーロッパ人に知られるようになったのは、

1519年から1522年のフェルデイナント・マゼランによる

世界一周航海に参加したヴェネツイアの

アントニオ・ピガフェッタが記録してからである。

世界一周の航海においては夜も航行しつづけるわけで、

夜間でも進行方角や自船の位置を確認する必要があるわけであるが、

(北半球では北極星を見つければよいのだが、

南半球で緯度が低くなるにつれて北極星は見えなくなるので)

マゼランらは夜空の星々の中に白っぽい星雲(マゼラン雲)を

見つけることでそれを行った、と記されているのである。

ただし、当時は無論「マゼラン雲」とは呼ばれておらず、

この逸話にちなんでその星雲に「マゼラン」の名が

冠されるようになったのはかなり後のことである。

  

111129_m NATIONAL GEOGRAPHIC 天の川と彗星とマゼラン雲

写真の右側、上にあるのが大マゼラン雲。

下にあるのが小マゼラン雲。

  

マゼランとマゼラン雲は関係があるとは思っていましたが、

このような関係であったのかは、予想外でした。

面白かった。

  

明日は生徒の調べを聞いてみよう。

 

今朝は朝からマゼランで道草しました。

Ferdinand_magellan マゼラン Wikipedia

  

  

 

2年後の11月28日が楽しみ/「マゼランの未知なる大陸への挑戦」

 

今日は12月2日。

  

前投稿に続いてマゼランのこと。

 

11月28日「太平洋記念日

マゼラン海峡から太平洋に出た

1520年11月28日にちなんだ記念日。

よく年数を見てください。

あと2年後・・2020年11月28日。

それはちょうど500年!

2年後はきっと太平洋が(ヨーロッパ人に)発見された日から

ちょうど500年ということで、

今年以上に世間が大騒ぎしている気がします。

その頃はきっとまだ社会科教師。

授業で熱く語っているだろうなあ。 

次の曲を流しながら・・・ 

 

  

マゼランについて調べていて出合った曲です。

 海上自衛隊東京音楽隊 Tokyo Band マゼランの未知なる大陸への挑戦
YouTube: 海上自衛隊東京音楽隊 Tokyo Band マゼランの未知なる大陸への挑戦

  

参考:吹奏楽マガジン BAND ROWER 富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史

「吹奏楽曲でたどる世界史」・・・魅力的なタイトルです。

「1812年」を思い出します。

ここでも道草8年ぶりの「1812年」/私にとって縁のある曲(2018年11月10日投稿) 

上記「吹奏楽マガジン」から一部引用します。

  

 

近年、これほど中学・高校の吹奏楽部を中心に、

絶大な人気を得ている曲はない。

各地のコンクールで演奏されているようだし

(すでに全国大会にも2回、登場している)、

さるアンケートでも「邦人吹奏楽作品・人気ランキング」で、

堂々1位を獲得しているほどだ。 

演奏はなかなか大変だが、とにかくカッコイイ曲である。

おおむね急~緩~急~緩/終結部の4~5部構成。

まるで写真集のページを次々とめくるように、

場面が変化して行く。

予備知識なしで、ハリウッド歴史大作映画のサントラとして

聴かされたら、誰でも信じてしまうだろう

(私見だが、≪パイレーツ・オブ・カリビアン≫より

ずっとカッコイイと思う)。中間部の優しげな部分も、たいへん美しい。

文字通り、マゼランの魂が地球のあちこちを飛び回るような

ムードがある。アイリッシュ・ダンス風の部分もある。

クライマックスでも、ケルトの味わいが一瞬見え隠れするので、

もしかしたら作曲者は、マゼランをアイルランドの地へ

行かせたかったのかもしれない。

終結部の盛り上げ方なども、見事のひとことに尽きる。
 
作曲者・樽屋雅徳は、武蔵野音大作曲科卒業。

作曲・編曲のほか、吹奏楽指導も手がけている。

この≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫のほか、

≪マリアの七つの悲しみ≫≪ラザロの復活≫≪絵のない絵本≫

≪星の王子さま≫≪民衆を導く自由の女神≫など、

歴史・文学を題材にした作品が多く、若手注目株ナンバーワンである。

  

作曲をした樽屋雅徳(たるや まさのり)さんは、1978年生まれ。

40歳かな。 

またこの曲について、勤務校の音楽の先生と話してみよう。

 

この1曲で出合った「富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史」

はじめに」にこのようなことが書いてありました。

 

なぜか吹奏楽曲には、有名史実を題材にした曲がたくさんあります。

それらがどんな出来事だったのか、なぜ吹奏楽曲になったのか、

そして、演奏する際にどんな気持ちになるべきなのか…

そんなことが、少しでも皆さんの参考になればと思い、

このような連載を始めることにしました。 

また、この連載は、吹奏楽を知らない方々にこそ、

ぜひ読んでいただきたいと思います。

世界中の作曲家たちが、「吹奏楽」なる表現形態で、

これほどたくさんの有名史実を音楽化していることに、

きっと驚かれるでしょう。

 

中には「こんな作曲家、聞いたことないぞ」

「こんな曲、CDになってるの?」

「いったい、どこで演奏されているんだ?」

と感じる方もおられるはずです。

しかし、どれも、楽譜が発売され、CD化され、

コンクールやコンサートなど、

様々な場所で演奏されている曲がほとんどなのです。

つまり「吹奏楽」とは、これほど貪欲に広範に、題材を求め、

次々と新作を生み出している、パワー溢れる楽しい世界なのです。

そんなことを、ぜひ多くの方々に知っていただきたいと思います。

  

なお、私は単なる「吹奏楽好き」な「道楽者」の

音楽ライターでして、専門の音楽教育を受けたわけでもなく、

ましてや世界史の専門家でもありません。

よって、この連載で真面目に世界史を勉強しようなどとは、

くれぐれも考えないで下さい(そんな人、いないか)。

  

  

いやいや、ここに、社会科の授業で使えないかと

思っている人がいますよ。

富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史」の連載は、

64回!ここで一覧を見ることができます↓

Photo_9 「吹奏楽曲でたどる世界史」

当然ドレーク海峡を知らず、マゼラン海峡で太平洋へ

今日は12月2日。

  

11月28日は「太平洋記念日」でした。

今日は何の日~毎日が記念日~11月28日には、

次のように書いてありました。

 

1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、

後に「マゼラン海峡」と命名される

南米大陸南端の海峡を通過して太平洋に出た。

天候が良く平和な日が続いたため、

この海をPacific Ocean(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名附けた。

マゼラン自身はフィリピンで原住民に殺されたが、

彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。

  

先日の授業で、このネタで「今日は何の日」クイズをしました。

今回注目したいのは、マゼラン海峡とドレーク海峡の位置です。

 

マゼランの世界一周コースは、下の地図を参照。

Photo コトバンク 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

  

マゼランは、1519年に5隻237人で

ポルトガルを出港して、大西洋を横断。

南米大陸ブラジルの海岸沿いに南下しながら、

西側に抜ける水路を捜しました。

広大なラプラタ川河口ではその水路を発見したと喜びましたが、

遡っても河であったことが判明しました。

Photo_2 Yahoo!地図

青い印が、ラプラタ川河口です。

参照:世界史の窓 マゼラン

 

そして、マゼランは後のマゼラン海峡を発見して、

太平洋に出ます。

Photo_3 講師のネタ帳365

水色の点線がマゼランの航路。マゼラン海峡です。

 

面白いのは、マゼランがもう少し頑張って南下したら、

南米大陸は終わりであって、ぐるっと回りこんで

太平洋に出れるということです。

なぜそうしなかった?

 

それは南米大陸の地図を見ているから言えることです。

マゼランの時代、そんな地図はありません。

まだ大陸は続くと考えていて、

発見した水路で西側の海に出ることを

必死に目指しました。

そりゃそうだ。

 

南米大陸の南端と南極大陸の間は、

ドレーク海峡と言います。

マゼランは、ドレーク海峡まで行かずに、

マゼラン海峡を通解したのは、正解だったかもしれません。

ドレーク海峡は世界一の幅を誇る海峡ですが、

危険たっぷりの海峡だそうです。


YouTube: 世界で最も危険な水域ワースト10

「世界で最も危険な水域」のワースト2がドレーク海峡でした。

Photo_4

Photo_5

Photo_6

Photo_7

Photo_8  

ドレーク海峡を通過する船は、

いたるところに出現する氷山、

130km/hにまで達する暴風。

流れの早い海流、そして視界不良といった

様々な試練を乗り越えなくてはなりません。

パナマ運河を使用する以前のマゼランの時代から、

ドレーク海峡は船を転覆させ続け、

文字どおり船の墓場となっているんです。

  

正確に言うと、「マゼランの時代」は違うかな。

「マゼラン」がマゼラン海峡を通過したのが、

1520年の11月28日。

イギリス人の探検家ドレークが、

海峡を発見したのは1578年。

50年以上のズレがあります。

 

 

  

マゼランは太平洋を横断して

フィリピンまでたどり着きますが。 

その地で、戦死してしまいます。

しかい、部下が航海を続け、

1522年にポルトガルに戻ってきました。

その時に船は1隻、人数は18人でした。

 

ほとんどの生徒は、マゼランを知りませんでした。

マンガ「ワンピース」に出てくるマゼランを知っていました。

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私たちの世代とは、知る順番が逆でした。

 

つづく。  

 

2018年12月 1日 (土)

視力の復活/今日は落語を聞いてきます

今日は12月1日。

  

11月末はあわただしく、”道草”を後回しにしていたら、

4日間も間が空いてしまいました。

今日は”道草”する!

書きたいこと、書き留めておきたいことはたくさんあり。

その中から・・・

そうだ、うれしかったこと。

昨日は人間ドッグに行って、いろいろ検査を受けてきました。

うれしい結果が出たのは、視力検査。

かつては、両目とも視力2.0を記録したのですが、

老眼が進み、老眼鏡なしではすまない生活になってから、

視力もがた落ち。

近くだけでなく、遠くも見えないなあ~

年だからしょうがないかと思っていました。

  

ところが、昨日は「視力検査表」の下の方が、

最初はボケていましたが、ス~とピントが合って、

見えるようになってきたのです。

一番下のランドルト環の切れ目が見えて、少々興奮しました。

全く期待していなくて、

どうせ加齢現象を突きつけられるとおもっていたのに、 

予想外の展開。

結果は右目が1.5・

左目が2.0!

やったね。

衰える一方だと思っていましたが、復活がありました。

 

自分の体の可能性を知って、うれしくなりました。

なぜ視力が復活したのか理由がわかりませんが、

ふだんの生活がプラスになったのでしょう。

よかった、よかった。

3485300x225 ちなみに、ランドルト環の「ランドルト」は、

考案者のフランスの眼科医エドマンド・ランドルトの名前にちなみます。

1909年に発表されたそうなので、

すでに100年以上使われている検査方法なのです。

   

  

自分の体が衰える一方ではなく、

もしかしたら改善されるかもと思えることは貴重。

身体を鍛え、もっと勉強もしたい。

  

今日は朝から部活動でしたが、

主顧問にお願いして抜けさせてもらいました。

今から名古屋に行って勉強してきます。

「教育と笑いの会」に参加してきます。

落語を教育に活かそうという会です。

どんな話が聞けて、体験ができるか楽しみです。

 

2018年11月26日 (月)

「バンコ」とは何だ?

 

今日は11月26日。

  

ひとつ調べ忘れをしていました。

「バンコ」です。

この記事の中に登場します。↓

ここでも道草 JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その4(2018年11月25日投稿)

その写真を載せます。

Photo_28  

「バンコ」とは?

コトバンクによると、九州地方で使われる言葉で、

「腰掛け」や「ベンチ」の意味。

でも今回はこの意味ではおかしい。

 

いや、長い机や長い椅子の意味ならいいのか。

映像を見ると、確かにそのようなものである。

 

Wikipedia 縁台には次のように書いてありました。

  

九州各地に縁台を意味する「ばんこ」という方言形がある。

この語は、ポルトガル語 banco(英語のbench、bankと同語源)からの

借用語と見られ、縁台が外来であることをうかがわせる。

  

何と、BANK(銀行)の語源になったbancoから生まれた

「バンコ」が九州で使われているようです。

今回のJICAの動画に関わった人が、

きっと九州出身者であり、「バンコ」に慣れた人なのでしょう。

翻訳で、「ベンチ」ではなく「バンコ」を使った可能性あり。

もちろん、ニジェールで使われている言葉に「バンコ」が

あった可能性もあり。

真相はどうなのだろう?

  

 

「バンコ」を日常で使っている方、

このブログを見たら、ご意見ください。

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その6

 

今日は11月26日。

  

前投稿に引き続き、この動画↓の読み物化をしていきます。

  

  

動画の最初に出てきたハリマトゥ・ハディ(25歳)が、再登場です。

  

Photo_12

リマトゥ・ハディ:私は学校に入学した頃、

  ミミズが這ったような線しか書けませんでした。

  でも、学校で様々なことを学び、

  名前が書けるようになり、

  足し算を覚え、本も読めるようになって、

  どんどん世界が広がっていきました。

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  そして私は、ひとつの「夢」を持ちました。

  それは学校に行く前には

  考えもしなかった「夢」でした。

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  私は、そのために一生懸命勉強し

  名前も書けなかったあの頃から10年経ち、

  

  

  「夢」を実現しました!

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  私は・・・教師になりたかったのです!

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子どもたち:先生!

ハリマトゥ・ハディ:次は、この子たちの番です。

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  さあ!授業を始めましょう!

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子どもたち:はい!先生!

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ナレーター:これまで40000校にも及ぶ

  「みんなの学校」モデルを西アフリカ地域に普及させた

  「みんなの学校プロジェクト」

  地域住民、学校関係者、行政など学校を取り巻くみんなが一体となり、

  大勢の子どもたちに、学びの場を提供してきました。

  そして子どもたちは多くのことを学び、

  視野を広げ、将来の目標を見いだせるようになったのです。

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  「みんなの学校プロジェクト」は、教育へのアクセスや、

  質の改善によって、子どもたちに夢や希望を与えるとともに、

  学校を取り巻く人たちの信頼のネットワークを

  形作っています。

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Photo_27  

以上です。

12分12秒の番組を読み物化しました。

よく練られた構成の動画であったと思います。

少しアフリカの教育の実態が見えてきました。

もちろん、この動画だけでは不明な点があります。

より詳しく知りたくなりました。たとえば・・・

JICAは日本の団体です。

日本人がどのように関わっているのか知りたくなりました。

同じ頃に作られた動画があります↓

この動画は、今回読み物化した動画を補完していると思います。

日本人も登場します。

この動画も読み物化するといいのですが、

私には時間がないなあ。

 

 

小学校の教師をやっている間に、

疎くなっていたものは、世界情勢だと思います。

中学校の地理の内容です。

教材研究をしていて、それを痛感します。

私の知識や、ためてある録画番組は少々古いです。

  

今はアフリカの今を勉強中です。  

 

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その5

  

今日は11月26日。

  

今日は月曜日。

今日は期末テストで、社会科のテストがあります。

私が作成したテスト。何度も見直しましたが、

ミスがないといいな。

 

 

前投稿に引き続き、この動画↓の読み物化をしていきます。

 

Photo

ナレーター:そして住民による支援は、物だけにとどまらず、

  グループ学習や補習など学習体制に向けた取り組みも行われました。

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元学校運営委員会担当者 アブドゥッライ アリ:

  住民と学校の間に信頼関係が芽生えたことで、

  住民が関心を持って積極的に学校に

  関わるようになったのです。

  

  

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若い男性A:僕は今、ニアメ市のコカランタ高校に通っています。

  色々なことを学ぶほどに、

  勉強が楽しくなってくるんだ。

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  いつか医者になって、国のために働いて

  恩返しをするつもりなんだ。

  

  

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若い女性A:私は、診療所で看護婦として働いています。

  ニジェールの乳児死亡率は、まだまだ高いんです。

  小さな命を、少しでも救ってあげたい。

  そう思っています。

  

 

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若い女性Aの母親:娘は、看護師になりたいという夢を叶えました。

  今では、学校に行かせてやれて

  本当に良かったと思っています。

  娘は私の・・村のみんなの誇りです。

Photo_11  

次の投稿に続きます。次でラストですね。

  

前投稿の教師の笑顔もよかったけど、母親の笑顔もいい。

  

学校で子どもたちが勉強している姿がたくさん映りました。

あのシーンを見てうれしくなるのは、

私が教師だからでしょうか。

子どもたちが学んでいる姿は、いいもんだなあ。

自分を向上させようとしている姿は、

私の中にエネルギーを生み出します。 

この映像の良さは、そんなところにもあると思います。

  

さあ今日も、今週も頑張ろう。

2018年11月25日 (日)

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その4

 

今日は11月25日。

  

前投稿の続きで、この動画↓の読み物化をしています。

 

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ナレーター:「(みんなの学校)プロジェクト」ではまず、 

  委員選挙を民主的に行い、透明性の高い組織、

  学校運営に住民が参加しやすい土台を作りました。

  そして次に、住民が実際に学校運営に

  参加できるような活動計画を指導。

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  この活動計画では、住民によって選ばれた委員が中心となり、

  住民集会を開いて、よりよい学校を作るために、

  解決すべきことは何かをみんなで話し合いました。

  そして自分たちにできることから取り組んでいったのです。

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住民A:教室を新たに作ることや、文房具を揃えることなど、

  さまざまな意見が出る中、まず優先順位を決めました。

  そして、無理なく自分たちの力でできることから

  始めたのです。

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住民B:コンクリートは無理だけど、

  藁葺きの教室なら自分たちでも作れる。

  それを住民集会で言ったら、みんなが賛成してくれたんだ。

  

 

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住民C:誰かに言われたからじゃない。

  自分たちでアイディアを出し合って、

  みんなで学校を作ったのさ。

   

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ナレーター:藁葺きの屋根。土を固めて作った机、椅子。

  文字通り、住民による手作りの学校でした。

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若い男性A:1年生の時は、机も椅子もなかったんだ。

  それを見かねて村の人たちが、

  机と椅子をバンコ※で作ってくれた。

  ちょっとデコボコしてたけど

  ノートをとるには十分だった。

  とても、嬉しかったよ。

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若い女性A:教室には、村中の子供が集まっていました。

  フランス語を話したり、文字を書いたり・・・・

  ほとんどの子にとって、初めての経験でした。

  

  

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先生A:村の人たちが、住むところや食べ物を提供してくれたので、

  生活を気にすることなく、

  授業ができるようになりました。

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  教具や文房具も充実してきて

  私もすごくやりがいを感じてきたのです。

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次の投稿に続く。

  

先生の発言に注目です。

生活を気にすることなく、

 授業ができるようになりました。」

私もすごくやりがいを感じてきたのです。」

 

子どもたちが勉強できる環境に目が行きがちですが、

教師が教えることことができる環境だって、

尊いのです。

その気になれば、明日だって思う存分教えることができる

私の状況をもっと大事にしないいけないと思いました。

明日は何を子どもたちに伝えよう!

「やりがいを感じてきたのです」と言っている

先生の笑顔がいい。

※「バンコ」の意味を調べました(11月26日記)

「バンコ」とは何だ?  

   

JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その3

 

今日は11月25日。

  

間が開いてしまいました。

13日のこの記事の続きです。

ここでも道草 JICAの活動「Dream~みんなの学校が開く未来」その2(2018年11月13日投稿)

 

動画を読み物化しています。

  

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ナレーター:西アフリカには、めぼしい資源もなく、

  開発が遅れた国々がたくさんあります。

  その中でも、世界最貧国のひとつと言われるニジェール共和国では、

  2004年当時、初等教育の就学率は52%。

  中でも女子は40%にも満たない状況でした。

  

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若い女性A:学校は男の子が通うところ・・・

  幼い頃、両親にそう教わりました。

  友だちも私と同じように

  毎日家の手伝いをしていました。

  

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若い女性Aの母親:女は家事をするだけが仕事じゃないんだ。

  畑仕事だってあるからね。

  1年中、休みなんかありゃしないのさ。

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ナレーター:さらに学校でも、教室が足りなかったり、

  教員が休みがちだったりといった問題があり、

  親や住民たちは学校教育への不信感を募らせていました。

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若い男性A:学校には行ってたけれど、机や椅子、ノートもなかった。

  それに、先生が学校に来ない日が多かったね。

  だから、勉強があまり好きじゃなかったよ。

  

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先生A:当時は、給料の支払いが滞ることがしばしばありました。

  休みがちだったのは、そのためです。

  とにかく住むところや食べ物にも困っていて

  授業どころではなかったのです。

  

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元学校運営委員会委員長 サビティ ダン グルム:

     住民と学校との信頼関係が失われ、

  子供を学校へ通わせてもしょうがないと考える保護者が

  多かったのです。

  学校の環境を改善しようとしても

  住民の協力はほとんど得られませんでした。

  

ナレーター:こうした課題を解決するために、

  ニジェール政府は、住民と教員が一緒に学校を運営できるように、

  それぞれの代表で構成された学校運営委員会の設置を

  教育改革の柱として押し進めました。

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  しかし・・・・

 

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元学校運営委員会担当者 アブドゥッライ アリ:

  委員会は村の権力者に独占されており、

  保護者や住民の意見は

  学校運営に反映されませんでした。

  そのため、住民の協力は得られず

  学校運営委員会はほとんど機能していませんでした。

  

ナレーター:機能する学校運営委員会を目指して、教師や保護者、

  地域住民など学校を取り巻くみんなで、

  学校を運営していくことを目指して始まったのが、

  「みんなの学校プロジェクト」です。

Photo_13   

次の投稿に続く。

  

ここで疑問は、学校運営委員会がうまくいかなかった理由です。

権力者によって独占されていたとは?

勝手に想像はできます。

政府から下りてきた資金を、権力者が都合良く使っていた?

でもわかりません。

  

    

  

  

  

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