当然ドレーク海峡を知らず、マゼラン海峡で太平洋へ
今日は12月2日。
11月28日は「太平洋記念日」でした。
次のように書いてありました。
1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、
後に「マゼラン海峡」と命名される
南米大陸南端の海峡を通過して太平洋に出た。
天候が良く平和な日が続いたため、
この海をPacific Ocean(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名附けた。
マゼラン自身はフィリピンで原住民に殺されたが、
彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。
先日の授業で、このネタで「今日は何の日」クイズをしました。
今回注目したいのは、マゼラン海峡とドレーク海峡の位置です。
マゼランの世界一周コースは、下の地図を参照。
マゼランは、1519年に5隻237人で
ポルトガルを出港して、大西洋を横断。
南米大陸ブラジルの海岸沿いに南下しながら、
西側に抜ける水路を捜しました。
広大なラプラタ川河口ではその水路を発見したと喜びましたが、
遡っても河であったことが判明しました。
青い印が、ラプラタ川河口です。
そして、マゼランは後のマゼラン海峡を発見して、
太平洋に出ます。
水色の点線がマゼランの航路。マゼラン海峡です。
面白いのは、マゼランがもう少し頑張って南下したら、
南米大陸は終わりであって、ぐるっと回りこんで
太平洋に出れるということです。
なぜそうしなかった?
それは南米大陸の地図を見ているから言えることです。
マゼランの時代、そんな地図はありません。
まだ大陸は続くと考えていて、
発見した水路で西側の海に出ることを
必死に目指しました。
そりゃそうだ。
南米大陸の南端と南極大陸の間は、
ドレーク海峡と言います。
マゼランは、ドレーク海峡まで行かずに、
マゼラン海峡を通解したのは、正解だったかもしれません。
ドレーク海峡は世界一の幅を誇る海峡ですが、
危険たっぷりの海峡だそうです。
「世界で最も危険な水域」のワースト2がドレーク海峡でした。
ドレーク海峡を通過する船は、
いたるところに出現する氷山、
130km/hにまで達する暴風。
流れの早い海流、そして視界不良といった
様々な試練を乗り越えなくてはなりません。
パナマ運河を使用する以前のマゼランの時代から、
ドレーク海峡は船を転覆させ続け、
文字どおり船の墓場となっているんです。
正確に言うと、「マゼランの時代」は違うかな。
「マゼラン」がマゼラン海峡を通過したのが、
1520年の11月28日。
イギリス人の探検家ドレークが、
海峡を発見したのは1578年。
50年以上のズレがあります。
マゼランは太平洋を横断して
フィリピンまでたどり着きますが。
その地で、戦死してしまいます。
しかい、部下が航海を続け、
1522年にポルトガルに戻ってきました。
その時に船は1隻、人数は18人でした。
ほとんどの生徒は、マゼランを知りませんでした。
マンガ「ワンピース」に出てくるマゼランを知っていました。
私たちの世代とは、知る順番が逆でした。
つづく。
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