2019年3月10日 (日)

ヒトラー最後の映像を参考につくられたシーン

今日は3月10日。

  

前投稿のつづき。

映画「ヒトラー~最期の12日間~」の中で、

ヒトラーが、ヒトラー・ユーゲントの少年たちに

声をかけるシーンは、以前見たことがありました。

それは、NHKの「映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た」の中で

見ました。この番組は、戦後50年の1995年に制作されました。

実際の映像をつないでその時代の様子を紹介してくれた番組です。

今回は、2015年9月20日放映の

デジタルリマスター版の写真を掲載し、

聞き書きします。

  

ナレーター:1945年3月、ソ連軍はドイツの首都ベルリンに

  迫りました。首都防衛のために、15歳から18歳の

  少年たちからなるヒトラー・ユーゲントも、

  兵士として集められました。

  これは生前のヒトラー最後の映像です。

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実際の映像では、ヒトラーは頬ではなく、

耳をつまんでいました。

その後、頬を手のひらで軽くたたいています。

映画の写真を比べて見ると・・・

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似ているでしょ。

明らかに、映画は、ヒトラー最後の映像を参考にしています。

そんなことに気がついて、思わず書き留めました。

映画「ヒトラー~最期の12日間~」を見る/以前見たことがあるシーン

今日は3月10日。

  

3日かけて、映画を見ました。

2017年2月10日にテレビ放映された

ヒトラー~最期の12日間~

(2004年ドイツ・オーストリア・イタリア)です。 

  

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ヒトラー役のブルーノ・ガンツさんは、先月亡くなったことが

ニュースで流れました。

そのニュースが、この映画を見てみようと思ったきっかけでした。

  

映画のタイトルは「ヒトラー」とありますが、

ヒトラーだけではありません。

ヒトラーと共に、敗戦まで地下壕にいた人たちの様子が、

描かれた映画でした。

生き残った人たちの証言にもとづく映画だと思います。

敗戦まで、狭い空間でどのようなことがあったのか。

やはり戦争は酷なものだとあらためて思わせる映画でした。

ゲッペルス夫妻と6人の子どもたちの死も克明に描かれていて、

母親が子どもたちに死を予感させる睡眠剤を飲ませるシーンとか、

寝込んだ子どもたちに毒薬を飲ませるシーンは、辛かった。

   

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ヒトラーの秘書役を演じたアレクサンドラ・マリア・

ララさん。魅力ある女優さんでした。

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この映画の中で、印象に残った場面の一つが、

ヒトラーがヒトラー・ユーゲントと呼ばれる少年たちに

声をかけるシーンです。

映画の写真を並べます。

 

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彼は敵の戦車2両を破壊しました。

 ペーター・クランツ。

 だと紹介されたヒトラーは、

 ペーター・クランツ少年にこう言います。

ペーターか。

 君の勇気は将軍以上だ。」 

 そう言って、頬をつまみます。

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さらにヒトラーは、少年たちに言います。

歴史に残るぞ。

 ”ゲルマニア”が廃墟から復活した時、

 諸君は英雄だ

栄光あれ 

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ヒトラーは左腕を背中に回していました。

その左手は小刻みに震えていました。

何らかの病気を患っていたのでしょうか?

  

このヒトラー・ユーゲントに声をかけるシーンは、

以前見たことがありました。

どこで見たか?

ヒントは、少年たちの後ろにいるカメラマンです。

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この時のヒトラーは映像として残っているのです。

それを見たことがありました。

 

次の投稿で書きます。

   

2019年3月 9日 (土)

日めくりより サランラップの由来にビックリ!

今日は3月9日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

今回は特にインパクトが強かった1枚。

きっと他の人に話したくなるネタです。

私はもう十分話しました。

  

「サランラップ」の誕生は発明者の妻のおかげ?

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ねえ、面白いでしょ。

サラさんとアンさんの、英語の綴りを知りたいと思いました。

旭化成のHPに載っていました。

旭化成HP「豆知識② サランラップ®歴史

少し引用します。日めくりより少し詳しいです。

  

ある日、フィルム製造メーカーの職長を務めていた

ラドウィック、アイアンズの二人は、

妻を伴って近所の人々とピクニックに出かけました。

ラドウィックの奥さんは、たまたま夫が会社で作っていた

フィルムにレタスを包んで持っていきました。

すると「このラップとてもきれい。どこで手に入れたの?」

「私も欲しい。どこで売っているの?」と

大変な評判になってしまいました。

そこでラドウィック、アイアンズの二人は驚き、

早速翌日上司に報告し、クリング・ラップ・カンパニーを

設立して開発に着手し、ダウケミカル社から取り寄せた

樹脂のロールを紙管に巻き付けて箱詰めし、

サランラップ第1号が完成したという訳です。

完成すると近郊の都市でも試験的に販売され、結果は上々でした。

名前もラドウィック、アイアンズの二人の妻

サラ(Sarah)とアン(Ann)にちなんで

「サランラップ」と決定されました。

   

SarahとAnnだったのですね。

  

さらに上記サイトを見ると、次のこともわかりました。  

  

日本では、昭和35年から発売を開始。

当時冷蔵庫の普及率が10%であり、

サランラップも高価だったため、

あまり売れなかったそうです。

しかし、昭和40年代になって冷蔵庫が普及し始め、

昭和50年代にはレンジも普及し始めたので、

それに伴って、サランラップは売れたようです。

  

以上です。

おやすみなさい。

20190223報告 キミヤーズ塾終了後に閉門後の六波羅蜜寺へ

今日は3月9日。

  

ご無沙汰です。3日間、空きました。

 今日と明日は、どんどん投稿したいなあ。

 

3月3日以来の「20190223報告」です。

キミヤーズ塾が終わったのが、

確か午後5時20分くらいだったと思います。

村上公也先生も執筆されている

新刊本「ユーモア的即興から生まれる表現の創発

(赤木和重編著/クリエイツかもがわ)に、

赤木先生と村上先生のサインを頂いて、

会場を後にしました。

 

向かった場所は、六波羅探題跡です。

そこには跡地であることを示す石標があるそうです。

参考:ここでも道草 BS歴史館最終回/尊氏が鎌倉幕府を裏切った決定打 六波羅探題跡(2019年3月5日投稿)

残念なのは、その石碑は六波羅蜜寺というお寺の境内にあり、

その境内に入れるのは、午後5時までということです。

しかし、前投稿でも紹介した写真を見ると、

境内の囲いは柵になっているので、

道路から見ることが可能かなと期待し、向かいました。

Photo

フィールドミュージアム京都 六波羅探題府址

     

  

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やっと六波羅蜜寺にたどり着いたのは午後6時30分過ぎでした。

門は閉ざされ、境内内も静まりかえっていました。

 

柵に設置されたお寺の説明板も、暗くて読みづらかったです。

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柵の外から、六波羅探題跡の石標を探しました。

 

あった、あった。

  

柵の間から写真を撮りました。

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↑背後から見て左側面(南面)と背面

 

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↑右側面(北面)

ここには次のように彫られているそうです。

   今出川

寄付者 田中

※「田中」の下は埋没していて見ることができません。

 上記サイトでは、「富子」と書かれていると予想しています。

 寄付者の名前です。

 さらに、石標はもともとは六波羅蜜寺にはなく、

 洛東中学校校内にあったそうです。

 中学校移転に伴い、ここに移されました。2011年のこと。

 洛東中学校にあった時の様子は、ここに書かれています。

  

Rimg1776 ↑背面(東面)

ここには次のように彫られているそうです。

大正四年十一月建之   京都市

※「京都市」の下は埋没していますが、上記サイトによると  

 「教育会」と書かれていると予想しています。 

 移転したのだから、埋没された部分もきっと公になったはずです。

 どこかに記録はないか探しましたが、わかりませんでした。

上から40cmのところに切断された痕跡がありと

上記サイトにはありました。

写真でもしっかり確認できました。

 

残念ながら、柵の外からでは正面を

撮影することはできませんでした。

  

  

目的を達成して帰ろうと思ったら、

ふと目にとまったものがありました。

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むむ、この案内で紹介されているものは何だ?

柵の外にいるので、近づいて見ることはできません。

フラッシュをたいて撮影しました。

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何と、教科書でおなじみの

平清盛と空也上人の像ではありませんか!

 

Pastedimage012 見仏入門

Pastedimage09 見仏入門

  

初めて知りました。

このとても有名な像は、六波羅蜜寺にあるのですね。

 

  

また来たい。

今度は開門している時に来たいと切に思いました。

 

  

ありがたことに、再訪の機会は、思ったより早く来ました。

それは昨日(8日)のこと。

そのことについては、また後で書きます。

 

今から部活動に出向きます。

今日は1年生大会があります。

2019年3月 5日 (火)

BS歴史館最終回/尊氏が鎌倉幕府を裏切った決定打 六波羅探題跡

 

今日は3月5日。

  

前投稿に引き続き、2014年3月13日放映の

BS歴史館(最終回)疾走!足利尊氏 南北朝の扉を開く!?」  より。

  

足利尊氏が、鎌倉幕府を裏切ったきっかけについて

番組では次のように紹介していました。

聞き書きします。

  

ナレーター:近年の研究で、(尊氏)裏切りの決定打は、

  (後醍醐)天皇の腹心楠木正成の奮戦だったという説が

  出てきました。

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  尊氏が(後醍醐天皇軍討伐のため)出立する一月ほど前から、

  楠木軍は千早城で籠城。

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  数万の幕府軍にわずか一千の兵で応戦していたのです。

  「太平記」によれば、藁人形をおとりに、

  幕府軍を急な斜面におびきよせ、岩や大木を落としたり、

  熱湯をあびせたり、奇想天外な戦術を次々に繰り出しました。

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  千早城が落とせない。

  消耗した武士たちは続々戦線離脱。

  そのリアルな厭戦(えんせん)気分が逆に尊氏の背中を押したと

  中世史を研究している(神戸大学大学院)市沢哲(教授)さんは、

  言います。

市沢:尊氏が西に向かっている間に、千早城から離脱していた

  武士たちに、かなり会っている可能性がある。

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  おそらく尊氏は、そういう人たちから、

  幕府に対する不満とか聞いたり、西側で起っている事態の

  深刻さとか逐一知りながら、西へ西へ向かっている。

  その中で「時代が変わる」潮目が今なんじゃないか、

  潮目が見えてきたというか、幕府を見限る判断をさせる

  きっかけになった。

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ナレーター:尊氏の決意を示す貴重な資料が京都近郊の

  篠村八幡宮(亀岡市)に納められています。

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  「後醍醐天皇が世の中を救うために

  綸旨(りんじ)を発せられたので、

  勅命に従い、正義の兵を挙げる」

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  幕府を裏切り、後醍醐天皇を選んだ尊氏。

  数日後、尊氏は幕府の西国防衛の拠点、六波羅探題を攻略。

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  それをきっかけに全国の御家人たちが雪崩打つように

  討幕へと鞍替えった。

  北条一族は鎌倉の山奥で集団自決します。

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  こうして150年近く続いた鎌倉幕府はもろくも滅亡。

  尊氏が裏切りを決意してからわずか2週間のことでした。

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楠木正成の奮戦が、足利尊氏の裏切りを促した説は

面白いです。有名人が結びついた可能性は楽しい。

 

亀岡市にある篠村八幡宮。

半年前に亀岡市には行っています。

ここでも道草 20180901報告その1 獨鈷抛山千手寺の参道を自動車で走る(2018年9月10日投稿)

その時出向いた獨鈷抛山千手寺篠村八幡宮、

そして六波羅探題跡を地図上で示してみました。

Photo Bing地図

篠村八幡宮。ついでに寄れた場所ですね。

でも半年前には全く知りませんでした。

  

気になるのが尊氏が襲った六波羅探題

5文字の漢字の面(つら)もいいし、

「ろくはらたんだい」という響きもいいです。

今はどうなっているのでしょう。

調べたら、今は石標が立っていて、跡地を示しているそうです。

このサイトを参考。

フィールドミュージアム京都 六波羅探題府址

六波羅蜜寺という寺の境内に、石標はありました。

上記サイトの写真を転載。

Photo_2

境内の黒の格子柵の中にあるのがわかると思います。

2月23日のキミヤーズ塾が済んだら寄ってみようと思いました。

  

それでは次は再び「20190223報告」

2019年3月 4日 (月)

BS歴史館最終回/戦前は足利尊氏は逆賊だった

今日は3月4日。

  

現在、毎週木曜日に放映されている番組「英雄たちの選択

その前にやっていたのは「BS歴史館」という番組です。

2011年4月にスタートした番組でした。

最終回は2014年3月13日でした。

ほぼ5年前。

今回はその最終回の内容を書き留めておきたいです。

  

BS歴史館 疾走!足利尊氏 南北朝の扉を開く!?

最終回は足利尊氏特集でした。

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番組冒頭の4人の会話が面白かったので、

聞き書きします。

最終回はこんなメンバーだったというのもわかると思います。

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渡辺:足利尊氏、そして南北朝時代です。

  足利尊氏という方は、戦前の世代の皆さん方にとっては、

  朝廷に弓引く逆賊という印象がおありでしょうし、

  もっと若い世代の方は、何となくつかめないというような

  印象をもつかもしれないんですけど・・・

  

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清水:おっしゃる通り、戦前はもう、この人の名前を口にする事体が、

  タブーと言われるような大悪人なんです。

  逆賊です。

  中島久万吉(くまきち)という大臣がいたんですけど、

  そういうけどもけっこう(尊氏は)立派な人間

  じゃないのかということを書いたらしいです。

  そしたら大臣たるものが足利尊氏をほめるなんてどういうことだ

  っていうことで、結局その大臣は首になっちゃうんです。

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  私が取材で現在の足利に行ったことがあるんですけど、

  かつて戦争中は徴兵を受けて軍隊に足利の人が入ると、

  何!逆賊の生まれた場所か!

  それだけで往復ビンタをくらったという人がいるんですよね。

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  戦前はとにかく全くこの人についてはタブーになっていて、

  戦後になってようやく人間像がわかってきたという感じです。

  

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平野:僕の頃はさすがに尊氏を逆賊でみたいな教育でもなくて、

  その分、無色透明になって印象に残らなくなっていたんですけど。

  今回、予習がてら清水さんの「足利尊氏と関東」を読んでみて、

  パーソナリティーにものすごく興味がわきましたね。

  一言で言うと、変わってるなんでしょうけども。

  

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呉座:一言で言うと、リーダーシップなきリーダーみたいな、

  どちらかと言うと、部下たちが、俺たちが頑張って支えてあげなくては

  いけないんだと思う、それを尊氏は計算してやっているんじゃなくて。

渡辺:それは天然ということですか?

呉座:ある意味、天然ですよね。愛されキャラですよね。

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平野:かなり若い時から、勅撰和歌集に和歌が収録されていたりして、

  繊細な歌を詠んでいて、梅の花が咲いているところも

  咲いていないところもあるのだけど、最近の風には

  どこの風にも梅の香りが含まれているというような

  歌を詠んでいるんですよね。

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  梅が咲いていて香りがいいという和歌とは、ちょっと違う

  彼の歌を見ていてすごく思います。

清水:面白いですね。

  我々はやはり政治家としてのところしか見ないので、

  アーチストとして考えたことないですね。

  逆に意外です、今の話。  

   

  

足利尊氏は、戦前は逆賊であって、口にするのもタブーだったというのは、

興味深い話です。

そして、戦後は無色透明で印象に残らないというのも共感できます。

以前、北条義時について書いた時がありました。

ここでも道草 「北条義時」より・・・六波羅探題の場所・義時の死(2013年1月3日投稿)

そこにこう書いてありました。

 

北条義時が悪者扱いされていた明治時代の方が、

今よりも義時が有名だったと思います。

今はその時に比べて、義時に対する関心が低いと思います。

 

承久の乱で天皇に弓を引いた北条義時。

天皇を裏切った足利尊氏。

戦前戦後と同じような扱いを受けていたと知りました。

今では2人とも、社会科のテストで問題になるくらい

復権されています。

  

続きは今晩書こう。

六波羅探題のことまで書きたい。

  

さあ、今週もいい日にしたい。

明日は勤務校で卒業式あり。

今日は予行や準備が中心の日です。

2019年3月 3日 (日)

上杉謙信の死因について、テレビ番組で勉強

 

今日は3月3日。

  

寝る前にもう1本投稿したい。

  

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コミック版 日本の歴史59 戦国人物伝 上杉謙信

(ポプラ社)を読みました。

 

1月11日が「塩の日」でした。

 

永禄10年(1567年)、今川氏との同盟を破棄して

東海方面へ進出を企てた武田信玄ですが、

それに怒った今川氏が北条氏とともに、

武田側に塩が入らないようにしました。

領民が塩を取ることができず困っていたところに、

長年敵対関係にあり武田信玄のライバルとして知られる

上杉謙信から越後の塩が送られ、1月11日に武田信玄の

領地である松本藩領(現在の松本市)に到着したことから、

このことを記念して、この日に塩市(現在のあめ市)が

開かれるようになったといわれています。 

この出来事は「敵に塩を送る」という言葉の由来ともなっており、

敵対関係にある相手でも相手が苦しい時には助ける

という意味で使われています。

引用:なるほど統計学園

 授業で「今日は何の日」クイズで「塩の日」をやった時に、

次の映像を見せました。なかなかいい映像でした。

手取川の戦い(1577年9月)で、

柴田勝家率いる織田軍を破った上杉謙信。

次の出陣は1578年3月15日と決めて準備をしていましたが、

その6日前の3月9日に突然倒れ、13日に亡くなります。

上の映像では、このように表現されていました↓

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厠(かわや)で倒れたそうです。

死因は何でしょう?

上記の本では、こう書いてありました。

  

天正6(1578)年3月15日、

謙信はついに関東進攻の出陣を予定した。

(中略)

北条氏康もすでにこの世になく、

彼の行く手の関東をはばむ者はいなかったろう。

だが、出陣の二日前、3月13日未刻(ひつじこく)

(午後2時頃)、謙信は脳出血で死去。享年は49。

大酒が死期を早めた、ともいう。

 

脳出血とあります。 

もうじき謙信の命日です。

もう441年前のことですが。

こんな番組が明日の晩7時から放映(BS11)されます。

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Photo_5 ↑クリックして拡大して見てください。

謙信の死因について、この番組で勉強してみたいと思います。

金曜日の待合室は、患者さんがいっぱいでした

今日は3月3日。

  

最近はよく病院に行きます。

父親を連れて行く病院が2つ。

私自身のコレステロール高めの治療で内科病院に通っています。

病院ではありませんが、整体にも通っています。

どれも4週間に1回の頻度。

さらに2月8日の自転車事故で、通う病院が増えました。

 

先週の金曜日は、内科に行きました。

午後7時に受付を終了してしまい、

1秒でも遅れを許されない病院。

以前は、待合室の鳩時計が鳴っている最中に、

待合室に入ったのに、アウトでした。

今回は10分前に到着。

しかし、駐車場がない。いっぱいでした。

傍らにある薬局の駐車場がひとつ空いていました。

ラッキー!そこに自動車をすべりこませて、

病院の待合室に。ほとんど座る場所がないくらいの盛況?

一つだけ空いていた場所に座ることができました。

 

これからが長かったです。

少しずつ患者さんが診てもらい、

会計を済ませて帰っていくのですが、なかなか減らない。

読書をしようと本を持参しましたが、

一週間の疲れのためか、眠くて集中できず。

ボウっとしていると、さらに待ち時間の長さを感じます。

  

それでも午後7時40分ごろになると、

たくさんいた患者さんも8割がたいなくなり、

すいた待合室になってきました。

ここで気になったのが、私と右隣の男の方。

同じくらいの年齢の方でした。

すいてきたのに、右隣の方はなかなか呼ばれません。

私はギリギリに待合室に来て、その後誰も来ないので、

おそらく最後に名前を呼ばれるでしょう。

右隣の方はいつ呼ばれるのかな?

  

最初の満員状態で座った場所であり、それ以来右隣の人とは

ずっと肩を並べた状態で座っていました。

混んでいる時なら不自然ではないのですが、

待合室が空いてきて、他の人たちがバラバラに座っているのに、

私たち2人だけ肩を並べて座っているのが、変な感じに思えてきました。

 

知り合いでもないのに。

でも、今さら離れて座るのも相手に悪いなあと、

変に心配して、肩を並べていました。

 

ついに待合室は2人だけになってしまいました。

右隣の男の人は、私が来る直前に待合室に来たのでしょう。

人がいなくなると、広い待合室です。

2人だけが肩を並べた状態でした。

 

ついに右隣の人が呼ばれ、診察室に向かいました。

ホッとしました。

1人待合室に残されました。

時刻は午後7時55分。

しばらくして私が呼ばれました。

お医者さんから、「今日は血液検査だったね」と言われました。

そうだった!(4回に1回ほど、血液検査あり)

すぐには帰れず。

看護婦さんのところへ行って、血を抜かれました。

「今日は混んでて大変だったね。1時間以上待ったんですよね。

お疲れ様」と声をかけられました。

本当に疲れました。

すでに病院内のいろいろな片付けが、

看護婦さんや事務さんの手によって進められていました。

病院を出たのは午後8時15分。

私が最後の患者でした。遅く来てすみませんでした。

  

すぐ傍らにある薬局へ。

閉まる時間が午後7時30分と扉には書いてありましたが、

(おそらく)私を待っていてくれました。

薬をもらって薬局を出たのは、午後8時半近く。

私が出た後、薬局も閉店。1時間超過勤務。  

これまたすみませんでした。

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20190223報告その5/キミヤーズ塾 素数は数の中の結晶 遊び心・創造性・反骨精神

今日は3月3日。

  

前投稿に引き続き2月23日の報告。

  

キミヤーズ塾で勉強になったことを書き留めます。

  

〇村上公也先生は、「素数は数の中の結晶」で、

 数字の中で輝いて見えると表現していました。

 ※なるほどと思いました。

〇村上先生の国語。

 言葉をもてあそび、その言葉に体臭をつけていくこと。

 ※創作熟語などの学習で、漢字の意味について調べ、

  他の漢字と組み合わせて、新しい熟語を作ったりすることで、

  その漢字に親しみが出てきます。身近な漢字になってきます。

  テストの時に覚えるだけの漢字ではなくなります。

  そういうのが「体臭をつける」ということだと思いました。

 ※これは社会科でも言えます。

  絵画作品や彫刻作品も十分に見ていないのに、

  作者名を覚えても、身につきません。

  作品を見て、その人の生涯を知ったりすることで、

  その人物が身近になってくるのです。

  地理でも同じです。

  場所を地図に確認し、生活の様子を写真や映像で見ると、

  だんだん身近になってきます。

  一番いいのは、そこに実際に行って、見てくること。

  授業で、時間的に空間的に制約がある中で、

  生徒にどこまで事象に関わらせるか。課題ですよ。

      最近、私は後醍醐天皇が身近になりました。

〇教師の大事なことは子どもを「その気にさせること」

 ※懐かしい。最初に村上公也先生の講座に出た時に

  印象に残ったこと。

  ここでも道草 11月24日の講座4/「その気」になりにくさが障害の本質(2013年12月1日投稿) ・・・村上先生との最初の出会いは2013年11月でした。

  「その気」が「やる気」になっていくのです。

〇赤木先生:教師って、個別指導が効率的でいいと

 思っていませんか。

 ※思っていますね。実際、今年度支援級で10人~11人で社会科の

  授業をやってきましたが、きつかったですね。

 赤木先生:学習だといつも効率的なのに、行事になると

 「みんな一緒に仲良く」という雰囲気が作られます。

 ※村上先生は、学習でも「みんな一緒」を

  できるだけ実行しようとします。

  

〇キミヤーズの3本柱を復習。

 ・笑顔

 ・考える

 ・つながる

 ※学習でも、メンバーに役割をふったりして、一緒に行うことで、

  「つながる」のです。

 ※でも人数が多いと一斉授業中心になってしまいます。

  もう少し人数が少ないと、1人1人が見えて、

  その子にあった学習ができるのになあと思っていた1年でした。

  

〇赤木先生:できたことほめると、自己肯定感は上がる。

 しかし、これでは、できないとほめられない。

 子どもが自分のやりたいことや表現したことを、

 「そうきたか」と損得抜きで面白がってくれる大人がいるのがいい。

 そうすることで、アイデアが湧いてくる。

 役に立つことをほめたら、だんだん先細りになる。

 しょうもないこともOKを出していくと、

 やはりアイデアが湧いてくる。

 

村上先生が著者の一人として名を連ねる本が、

久々に出版されました。

7176vkqwpl amazon 

ユーモア的即興から生まれる表現の創発

(赤木和重編著/クリエイツかもがわ)

  

さっそく購入しました。

  

その中で、奈良女子大学の麻生武先生が

村上先生について書いている部分から引用します。

  

村上先生のどこがすごいのか。

私は、村上先生に卓越している点が三つあると思っている。

一つ目は、「遊び心」である。

二つ目は、「創造性」である。

三つ目は、「反骨精神」である。

それらを三つ持っいること自体は、それほど特異なことではない。

それらは、「教育」にかかわる人には必須のものである。

先生が並外れているのは、それぞれの質というか、そのパワーである。

一般的に言うと、「子育て」に必要なのは、「遊び心」と「創造性」。

「反骨精神」は必要ではない。

「学問(研究)」に必要なのは、「反骨精神」と「創造性」。

「遊び心」はスパイスになるが、必ずしも必要ではない。

「芸術(アート)」に必要なのは、「創造性」と「反骨精神」と

「遊び心」。

「学問(研究)」と似てはいるが、「遊び心」が必要な点が異なっている。

「教育」に必要なのは、まず「遊び心」と「創造性」。

その点は「子育て」と共通である。

少し違うのが「反骨精神」も必要だという点である。

教育される側の「創造性」を高めようとするならば、

教える側の「反骨精神」が不可欠だからである。

(120~121p)

 

「遊び心」とは何か、簡単に説明しておきたい。

「遊び心」のルーツは、哺乳類の親が子どもを可愛がる心にある。

私はそう考えている。

子どもを可愛く思い、子どもの旺盛な探索活動を魅力に感じ、

攻撃性を抑制する心が「遊び」の原点だ。

ところが、人はその気持ちを子どもに投影して、

子どもを「遊ぶ」存在だと思ってしまうのである。

だが、実は、子どもが「遊んでいる」と思うのは、

大人の「遊び心」のなせるわざなのである。(中略)

「遊び」はそのような哺乳類の「心」から生まれた

特殊な心的態度だ。

よって、「子育て」や「教育」に「遊び心」が必要なのは

当然のことと言える。

ところが、残念なことにそのことを理解していないというか、

「遊び心」がやせ細ってしまった親や先生が増えているのである。

さまざまな折に、子どもを可愛く思うには、哺乳動物として

ヒトが培ってきた「力」が必要である。

なぜこの子は〇〇が分からないのだろう、

なぜこの子は〇〇が分かるのだろう。

どちらであれ、それを不思議に思う心が、

子どもを可愛く思う「遊び心」に他ならない。

(121p)

  

引用したけど、この文章で不明なところがあります。

「遊び心」がやせ細ってしまった親や先生は、

どういう行動をとってしまうんだろう?

結局子どもの反応を待てない、ゆっくり見られないと

解釈してもいいのだろうか。

思うように子どもが行動しないと、すぐに矯正してしまう。

子どもの反応を楽しめない大人ということかな?

こうしたら、子どもがどんな反応が返ってくるかを楽しむ。

そう考えたら、確かに教師には「遊び心」が大事だと思います。

口答えする子どもにだって、「遊び心」があれば、

怒ることなく楽しめます。

  

村上先生の「反骨精神」こそが、村上先生の並外れた

「遊び心」と「創造性」の起爆エンジンなのだ。

単なる、漢字の書き取りの反復学習なんて、

反吐が出るほど嫌いだ。

「せんせい、あのね、どうぶつえんに行ったよ。

ぞうは大きかった。とてもたのしかった。」といった

定型的作文指導なんて、子どもの豊かな発想を型にはめる

最悪の指導だ(ときっと思っているに違いないと、

私は勝手に想像している)。

村上先生はとにかくラディカルだ。

もっと子どもたちの主体性を尊重し、

彼らの豊かな創造性を発揮させて、

もっと授業空間を、創造的な協働作業の場に変える必要がある。

そう感じているからこそ、「うんち文字」「創作熟語」

「ローテーションカード」「見えない積み木」など、あっと驚く

「遊び心」に富んだ「創造的な」教育的な取り組みがどんどん

ひねり出されたのだ。

(122p)

  

疑問に思うことは、日々の指導でもあります。

こんな面白い歴史を、たった1時間で伝えなければならない。

無理!

じゃあどうするか?

現時点では、テレビ番組を巻き込んだ実践を

昨年春から実行中。

しょうがないと思わずに、村上先生の反骨精神を見習って、

これからももっともっと考えていきたい。

 

村上先生の反骨精神を示す、

村上語録から四つの語録を紹介しておこう。

「『正しい』ということほど『怪しい』ものはない」

「偉そうにしたら、それでもう人間終わりだ」

「権威、権力に逆らわず、徹底的に避難すべし」

「オリジナリティにこそ真価を見出すべきだ」

これが村上魂である。

(122p) 

  

特に4つ目の言葉がいいですね。

私が村上先生の元に通うようになった理由です。

  

  

今回がキミヤーズ塾10回目の参加。

5回目、10回目と言うように、

5回ごとに次回無料参加券をいただけます。

今回もらうことができました。

その時に「なぜ、そんなに参加するのですか?」と

みんなの前でF先生に聞かれました。

その時に思い浮かんだ言葉を言いました。

  

「クセになってしまったからです」

  

何度でもキミヤーズ塾の雰囲気を味わいたいのですね、きっと。

私以上に常連のH先生から、

「それではまた夏に」と言われました。

今年の9月に、無料参加券を使って参加しているでしょうね、きっと。

クセになっていますから。

  

以上でキミヤーズ塾の報告を終了。

   

  

   

   

 

20190223報告その4/キミヤーズ塾 教室に「生きやすさ」を創りたい

 

今日は3月3日。

  

前投稿に引き続き2月23日の報告。

  

キミヤーズ塾で勉強になったことを書き留めます。

  

〇少ない数の場合は、パッと見て数字が言えるようにします。

 数えないとわからない数字になって初めて「数える」。

 ※目の前にいる中1の子どもは、少ない数でも数えていることに

  最近になって気がつきました。

  パッと数が言える練習をしたいですね。

〇個別課題と一斉指導の両立

 ※村上先生の目指しているところです。

〇創作熟語 覚えるのではなく、意味を考える。

 教え込むのではなく、表現を引き出す。

 ※「表現を引き出す」は村上先生らしいところ。

 この点は真似してきたところだし、これからも真似していきたい。

  

危険だ!社会に役立つ人材育成

 可愛がられる労働者になんかなるな!

 役に立つ、立たないという基準は大きな危険性をはらんでいる。

 定型の社会に貢献することが「役に立つ」という意味の

 勘違いが起こるから。

 非定型の人も社会の一員として、

 自らの幸せを追求する存在であるべきである。

 (後略)

 ※中学校勤務になり、特別支援学級の担任になってみて、

  子どもたちが社会に出る時間が迫っていることを感じました。

  そのため、指導の中で、社会に「通用する」人に

  なってほしい気持ちが強く出てきました。

  言葉遣いや片付けなどなど、注意する回数が増えてきました。

  村上先生の書かれた上記の文章は考えさせられました。

  赤木先生の解説に救われます。赤木先生は次のように書いています。

 私たち(教師)のあふれんばかりの硬直した「正しさ」

 (=まじめに・ちゃんと)の押しつけが、彼らを生きづらく

 させているのではないだろうか。

 あふれんばかりの正しさをもつ教師

 「子どものために」とは思っている。

 でもどこか、自分の「正しさ(定型の価値基準)」を

 子どもにあてはめようとする。そして子どもを追いつめる。

 子どもの生きづらさは、障害のせいでも、

 ましてや能力の足りなさでもなく、

 「硬直した正しさ・ちゃんと・まじめに」を求める

 教育のせいにあると思う。

  

〇赤木先生は、村上先生がなんで、「遊んで、ふざけて、嘘ついて」

 学ぶことにこだわるのかという理由を3つあげています。

 ①楽しいから

 ②考えるから

 そして3つ目として 

 ③教室のなかに「生きやすさ」を創りたいから

 としています。例として、小2の高機能ASD児が、

 漢字のプリントで「雪」をまちがえて、体を震わせて

 「ごめんなさい」とあやまっている姿。

 これはそれまで漢字をまちがえて注意されてきた体験から

 来た反応だと考えられます。

 ※ここが難しいところです。

  教室が楽しく、考える場所であり、そして生きやすい場所であること。

  特別支援学級だけでなく、通常学級でも必要なことだと

  思います。でも、これらを二の次にして、「正しさ」に

  当てはめようとして、注意したり追いつめたりしています。

  (う~ん、している可能性があります)

  不登校の生徒が出てしまう理由になっているかもしれません。

  勤務校でも不登校の生徒のことが大きな課題になっています。

  村上公也先生の実践が、参考になると思いますが、

  実際にどのようにやったらいいかが見えてきません。

  思いついても、今の学校の雰囲気の中、

  こんなことまでやっていいのかと、自分でブレーキをかけてしまいます

  

 

〇キミヤーズスタッフによる実践発表が今回もありました。

〇漢字カードで2字を出して、どっちが好きなのか、

 好きな理由まで言わせる実践がありました。

 この実践に対して、村上先生は次のような解説をしていました。

 好きな理由は何でもOK。何を言ってもいい雰囲気の中で、

 子どもたちは考えます。今の学校は、記憶しておいて、

 正解を言わせることが多く、考えていないと。

〇評価札「すばらしい」「よかった」他を使った実践がありました。

 評価札という具体物でまずは自分の評価を発表しておいて、

 その後に話すのは言いやすい。   

〇F先生が特別支援学級小1で、数の概念(0はない、1はある)、

 数えないでパッと言える(1~6)を1年間繰り返し徹底的に

 やったという実践発表がありました。

 ここをおろそかにすると、将来どん詰まりになって

 進まなくなると思って、実践したそうです。

 さらには、数が目に見えていないと把握できない状態も

 ダメだと考えて、対処したそうです。

 ※教科にはそのような大基本みたいなところがあると思います。

  そこをおろそかにすると、将来にわたって子どもが困る内容が。

  目の前の中学生が困っているのには、

  何かあるのではという視点をもちたい。

  障害に理由を求めず、教育に理由を求めたい。

つづく。

    

  

    

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