上杉謙信の死因について、テレビ番組で勉強
今日は3月3日。
寝る前にもう1本投稿したい。
「コミック版 日本の歴史59 戦国人物伝 上杉謙信」
(ポプラ社)を読みました。
1月11日が「塩の日」でした。
永禄10年(1567年)、今川氏との同盟を破棄して
東海方面へ進出を企てた武田信玄ですが、
それに怒った今川氏が北条氏とともに、
武田側に塩が入らないようにしました。
領民が塩を取ることができず困っていたところに、
長年敵対関係にあり武田信玄のライバルとして知られる
上杉謙信から越後の塩が送られ、1月11日に武田信玄の
領地である松本藩領(現在の松本市)に到着したことから、
このことを記念して、この日に塩市(現在のあめ市)が
開かれるようになったといわれています。
この出来事は「敵に塩を送る」という言葉の由来ともなっており、
敵対関係にある相手でも相手が苦しい時には助ける
という意味で使われています。
引用:なるほど統計学園
授業で「今日は何の日」クイズで「塩の日」をやった時に、
次の映像を見せました。なかなかいい映像でした。
手取川の戦い(1577年9月)で、
柴田勝家率いる織田軍を破った上杉謙信。
次の出陣は1578年3月15日と決めて準備をしていましたが、
その6日前の3月9日に突然倒れ、13日に亡くなります。
上の映像では、このように表現されていました↓
厠(かわや)で倒れたそうです。
死因は何でしょう?
上記の本では、こう書いてありました。
天正6(1578)年3月15日、
謙信はついに関東進攻の出陣を予定した。
(中略)
北条氏康もすでにこの世になく、
彼の行く手の関東をはばむ者はいなかったろう。
だが、出陣の二日前、3月13日未刻(ひつじこく)
(午後2時頃)、謙信は脳出血で死去。享年は49。
大酒が死期を早めた、ともいう。
脳出血とあります。
もうじき謙信の命日です。
もう441年前のことですが。
こんな番組が明日の晩7時から放映(BS11)されます。
謙信の死因について、この番組で勉強してみたいと思います。
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