2020年7月 5日 (日)

天声人語「ヘビににらまれたカエル」

 

今日は令和2年7月5日。

  

昨日の「天声人語」がよかったです。

ここに書き写します。

2020年7月4日朝日新聞朝刊より。

  

 俗に「ヘビににらまれたカエル」と言う。恐怖で身がすくみ動け

なくなることを指す。絶体絶命の哀れなカエルが浮かぶ。だが最新

の研究によれば、実はあの不動の姿勢こそ最善の防御策だという▼

動物学者の西浦望(にしうらのぞみ)博士(33)は、シマヘビと

トノサマガエルの駆け引きを屋内外で撮影した。解析してわかった

のは、カエルが先手をとって跳躍すると、空中では進路を変えられ

ないため、ヘビに動きを読まれるおそれが高くなること。ヘビがし

びれを切らして攻撃に出るのを忍耐強く待っていたらしい▼捕まえ

る側にとっても、先手は必ずしも上策ではなかった。ヘビは折り曲

げた体をバネのように伸ばして突進する。もし最初の攻撃が空振り

すると、再攻撃の前にまた体を曲げる時間が要る。その間に、田や

川、池など水場に逃げられるリスクが高まるそうだ▼研究には300

時間以上を要した。在籍していた京都大周辺のほか、滋賀や三重、

徳島でもカメラを回した。不審者かと思った住民が木刀を手に迫っ

てきたこともあったという▼ふいに浮かんだのは、昭和の大横綱双

葉山の立ち合いである。後手をとるかに見せて優位に立つ「後の先

(ごのさき)」を理想とした。だれに教わったわけでもないのに、

カエルたちが双葉山顔負けの知略を備えていたのは驚きである▼カ

エルの鳴き声が列島に響く季節である。研究に触れ、どうしてもヘ

ビよりカエルの方を応援したくなる。古池や蛙(かわず)逃げ切れ

水の音!?

  

「ヘビににらまれたカエル」の新解釈になるほどと思いました。

カエルの手法と双葉山をつなげるところが愉快でした。

やっぱり知識豊富だと、いろいろつながって面白いことになりそう。

そんなことを思った「天声人語」でした。

  

「目くじら社会の人間関係」④ 「いろいろな人がいてもよい」

  

今日は令和2年7月5日。

  

前記事に引き続き、

「目くじら社会の人間関係」(佐藤直樹著/講談社+α新書)

から引用していきます。

  

  

 もともと「世間」は1000年以上の歴史を持つが、そこでは行

動の基準として、西欧にあるような神に対する「罪」の意識は希薄

で、「世間」に対する「恥」の意識のほうがきわめて強い。

 すなわち、「世間」には「呪術(じゅじゅつ)性」のルールがあ

り、そこでの原理は多神教であるが、神が数限りなくいるために、

一つの神が行動の基準となることはない。そのために「世間」への

「恥」の意識が行動の基準となる。

(65~66p)

  

「恥」というのは、確かに行動の基準の

一つになってきたと思います。

こうやって分析する人がいるのですね。

  

  

う~ん、結露を急ぎます。

 

 ニッポンが「目くじら社会」になったのは、近代に新たに生成さ

れた「きびしい世間」が、1990年代末になって復活・強化され

たためである。とすれば、この「目くじら社会」に対抗しうる原理

は、近代以前にあった「渡る世間に鬼はなし」であろう。

 生き心地がよく、風通しのよい「やさしい世間」の復権。これが

喫緊の課題である。

 最後に本書の結論として、そのために一人一人ができることを、

箇条書きにまとめておこう。

  

①「いろんな人がいてもよい」と考える。「みんな同じ」とは考え

ず、個人を生かすということである。

②「なんであいつだけが」と考えない。他人との身分差をねたまず

に、「他人は他人。自分は自分」と考えるということである。

③「つき合い残業」をやめよう。職場で「共感過剰シンドローム」

に陥って、過労死しないようにということである。

④「お返し」はほどほどに。お中元・お歳暮、香典返し、返信メー

ルなど、お互いに過剰な心理的負担にならないようにということで

ある。

⑤あまり「聖地」とか「前世」とか「パワー・スポット」にこだわ

らない。こだわらなくとも、不幸になったり、世の終わりが来たり

はしないということである。

⑥「いえ」意識にとらわれない。「いえ」は差別の根源であるし、

子どもに対する「親の責任」をあまり過剰に考えるなということで

ある。

(202~203p)

  

特に①②はしっかり頭に置いておきたい。

いろいろな人がいるのがあたりまえだということ。

ねたんでいるようなときは正常な状態ではないこと。

  

  

以上で「目くじら社会の人間関係」からの引用を終えます。

次の本を読み始めます。

「目くじら社会の人間関係」③ 何か突き抜けた杭になってみたいな

   

今日は令和2年7月5日。

  

前記事に引き続き、

「目くじら社会の人間関係」(佐藤直樹著/講談社+α新書)

から引用していきます。

  

 日本では「出る杭は打たれる」のかもしれない。しかし「出すぎ

た杭は打たれない」という言葉もある。いま必要なのは、この「出

過ぎた杭」になる勇気である。

(61p)

    

これは最近、この動画で同じ答えを聞きました。


YouTube: イチロー、「結婚はギャンブル」「嫌われるの⼤好きです」名言連発でみんなの悩みを解決! SMBC日興証券「おしえて!イチロー先生」

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自分のやってきたことで、突き抜けたことってあるかな。

思い浮かびません。

これからでもいいので、何か突き抜けることをやってみたいなあ。

  

  

 要するにニッポンという国は、第6章で詳しく触れるように、先

進工業国のうちで犯罪率は非常に低いが、自殺率は高いし、ギャン

ブル依存症も非常に多いのだ。きわめて治安がよく安全な国なのだ

が、おそらく人々のかかえるストレスは半端ではない。半端でない

から、ギャンブルに走ったり、自殺に追い込まれたりする。

(63p)

  

その第6章からの引用です。☟

 

 現在、日本では年間2万2000人の自殺者がいる。

 この数は殺人事件で死ぬ人間の数(年間約300人)よりも、交

通事故で死ぬ人間の数(年間約4000人)よりも、はるかに多い。

まさに後期近代に突入した「再埋め込み」の時代といえる1998

年に、自殺者数が3万人を超え、それが2011年まで続いた。少

し減っているとはいえ、日本の自殺率は、先進国のうちで最悪であ

る。(中略)

 ところが犯罪率を国際比較すると、まったく逆の結果となる。

(中略)

 先進国に限らず、日本はおそらく世界で一番安全で治安が良い国

である。

 つまり日本は、危害のベクトルが、他人ではなく自分に向いてい

る。要するに、他人を殺す代わりに自分を殺す。アメリカなどはま

ったく逆で、自分を殺す代わりに他人を殺す。危害のベクトルが他

人に向かうのである。

(193~194p)

  

  

 日本人は家庭で親から、「他人に迷惑をかけない人間になれ」と

いわれて育つ。これは「他人とは違う個性的な人間になれ」といわ

れて育つ西欧社会の家庭とは、まるで違う。

「他人に迷惑をかけない」ということは、法律に違反するような犯

罪行為をするなという意味ではない。犯罪行為にいたる以前の、「

世間」のルールを遵守せよという意味である。西欧社会においては、

「世間」が存在しないから、日本では「世間」のルールに反するよ

うな行為であっても抑止されない。ところが日本では、「世間」の

ルールに反する行為は強く抑制される。

 きわめて強い自己コントロールが働くのだ。

(194p) 

  

  

危害のベクトルが自分自身に向くというのは、

確かにそうだと思います。

それは日本独特のものなのですね。

自殺者の多さには驚きます。

どうにかしなければいけないことだと思います。

  

自分のことを客観視できる状況にしてあげるのがいいのですが、

心療内科に積極的に行って、

客観視できるまでの時間をかせぐのがいいと思います。

私は今回うまくいきました。

  

  

つづく

2020年7月 4日 (土)

「目くじら社会の人間関係」② 「他人は他人、自分は自分」が苦手な日本人

 

今日は令和2年7月4日。

  

前日の記事に引き続き、

「目くじら社会の人間関係」(佐藤直樹著/講談社+α新書)

から引用していきます。

  

 さらに「世間」では、前にも説明したように、「みんな同じ」と

いう「人間平等主義」のルールと、「身分制」という上下関係のル

ールとの間に「ねじれ」がある。つまり、「みんな同じ」と心のな

かでは思っているのだが、厳然と「身分」という上下関係の序列が

存在するという現実の間の矛盾である。そのために、強い「ねたみ」

意識が生まれる。

 実は、この強固で執拗な「ねたみ」意識は、日本独特のものであ

る。

(58p)

  

最後の一文が印象に残りました。

「ねたみ」に関する文章を他にも引用してみます。

  

 この強い「ねたみ」意識は、「世間」の人々の日常的な相互監視

に結びついている。「世間」を騒がすような事件や不祥事が起きた

ときに、その報道を見て、自分にはとりあえず何の関係もないのに、

「迷惑をかけられた」と思い込み、わざわざ行政にチクったり、職

場に抗議電話をかけたり、ネットで叩いたりする人間がかなりいる。

「世間」には、お節介な人が多すぎるのである。

 私が徹頭徹尾、卑怯だと思うのは、こうした人々のほとんどが匿

名であることだ。「世間」のウチは「顔見知り」の実名の世界だが、

そのソトは「赤の他人」や「ヨソ者」の匿名の世界である。

 いったん匿名の世界に入ると、日本人は「旅の恥はかき捨て」状

態となり、「世間」のウチでは考えられないほど傍若無人にふるま

う。日本人は、この意味で「世間」のウチとソトで二重人格者にな

る。ネット上での特定個人への匿名のバッシングで、聞くに堪えな

いような言葉があふれるのは、そのせいである。

(69p)

   

 日本の宝くじの高額当選者は、場合によっては「身内」にも、当

選したことを明かさない。明らかになったとたんに、「なんであい

つだけが」と考える「世間」からのねたみを受けるからだ。

 明かしたとたんに、「奢れよ」くらいは当然のこととして、返す

つもりのない借金を申し込まれるだろう。ねたまれるのはメンド―

だから、本人もなかなか断りきれない。そうなることが火を見るよ

り明らかだから、当選したことがゼッタイに明かさないのだ。

 こうなるのは、「人間平等主義」があるために、「世間」の人々

は高額当選者に対して「不平等」だと考えるからである。

 (中略)

 これがアメリカだと、ニコニコ顔の宝くじの高額当選者が堂々、

実名と顔出しでメディアの取材に応じているのはよく見る。

 (中略)

 これは、アメリカ社会には、少なくとも宝くじの高額当選者に対

する「ねたみ」意識は存在しないことを意味している。理由は明確。

「他人は他人。自分は自分」と思っているからだ。

 つまり、アメリカの人間関係は社会から構成されていて、日本に

あるような「人間平等主義」や「身分制」というルールを持つ「世

間」が存在しないのである。

(106~107p)

  

  

「身分制」について書かれている文章をもう一つ引用します。

  

 「世間」のなかに、年上・年下、先輩・後輩、格上・格下など、

無数の上下関係のルールがあるということ。日本人は、自分が存

在するその場その場の状況に応じて、この上下関係のどこに自分

が属しているかを常に意識している。

 (中略)

 では、西欧社会にはこうした「身分制」は存在しないのか?

 たとえば、英語の一人称と二人称の単数形はIとYOUだけで

ある。(中略)だが、日本語の一人称、二人称は、「俺」「私」

「あちき」「我が輩」「あなた」「君」「てめえ」「お前」など、

数限りなくある。

 これらの言葉は一つ一つニュアンスが異なる。つまり上下関係

を前提としている。日本でこれらの使い分けをしなければならな

いのは、その都度形成される人的関係において、相手がどんな「

身分」なのかで言葉遣いを変える必要があるからである。

(31~32p)

  

たくさん引用しましたが、

結局「他人は他人、自分は自分」という発想が日本人には苦手。

目立たないように「みんなと一緒」になることに気を使い、

それなのに現実には上下関係のどの位置に

自分がいるか意識しなくてはなりません。平等ではないのです。

厄介な暗黙のルールです。

そんなしがらみの中で、自分よりも出世する人を見たり、

宝くじを当てた人を知ったり、きれいな奥さんをもらったりると、

「他人は他人、自分は自分」とは思えずに、

「ねたみ」の感情が出てしまうのでしょう。

  

  

昨日も書きましたが、日本は生き辛い国に思えてきました。

つづく

「一人ひとりの自己実現を教育の目標」とする できるかな?

  

今日は令和2年7月4日。

  

2020年7月3日朝日新聞朝刊に、

「新型コロナ オンライン 学べるもの 耕論」

という記事で、3人の方の意見が載っていました。

その中から、鈴木大裕さんの意見。☟

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 重視されているのは、受験をゴールととらえた「お勉強」ばかり。

そんな教育に疑問を抱き、12年前に公立中の教員を辞め、研究者

の道を歩みました。

  

 僕は最初、教育で多くの人が学校のありがたさに気付いたことは、

教育のあり方を根本から見直すチャンスだと期待していました。子

どもたちが待ち望んだのは、友達と会うことだったり、学校行事だ

ったり、部活動だったり、授業以外のことが多かったのではないで

しょうか。「学校は授業だけじゃない」。そんな当たり前のことを

大切にする教育に変わるきっかけになるのではないか、と。

  

 学校から授業だけを抽出してしまえば、教育は商品化し、合理化

が進みます。受験勉強も、オンライン学習も、特化してやってきた

塾や民間企業の方がノウハウがあります。効率化を突き詰める中で

学校は存在意義を失い、「塾のカリスマ教師の授業をオンラインで

一斉配信すればいい」という意見もでてくるでしょう。

  

 学校の目的が「点数」になったとたんに、子ども一人ひとりの違

いは序列化され、競争社会にのみ込まれてしまいます。そうではな

く、多様な幸福の形を示し、一人ひとりの自己実現を教育の目標と

とらえる。それが「勝ち組」「負け組」という社会から脱却する道

なのではないでしょうか。

  

  

私は現在特別支援学級の担任です。

もちろん生徒は進学を考えていて、そのための学習は必要です。

しかし、幸いにも少人数であるために、

通常学級よりも一人ひとりを見ることができます。

声をかけること、雑談することも多くできます。

何が得意で、何が苦手なのかを、より理解できると思います。

生徒を序列化せずに、並列にして見ることができます。

  

その気になれば、一人ひとりの生徒のために、

いろいろな手を尽くせます。

それは効率的ではないと思います。

一人ひとりの反応がダイレクトにわかるからです。

反応によって手を変えて行けば、

生徒の数だけ指導が違ってきます。

たいへんです。

  

  

今、私はいい立場にいます。

その気になれば、

「一人ひとりの自己実現」に少しでも近づけるかもしれません。

自分の能力が伴えば。

   

   

鈴木さんの記事を読んで、こんなことを考えました。

  

2020年7月 3日 (金)

「目くじら社会の人間関係」① 日本人は「空気を読む」ことを要求されている

 

きょうは令和2年7月3日。

  

この本を読みました。

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「目くじら社会の人間関係」(佐藤直樹著/講談社+α新書) 

  

引用したい文章がたくさん。

  

 つまり近代以降の「世間」がやっかいなのは、比較的明瞭だった

「共同体の掟」とは異なり、またそのルールが法律のように明文化

されているわけではないから、「みんな」という、きわめてフワッ

とした不安定な基準に依拠しなければならなくなった点である。

 滝川(一廣)さんはいう。近代の「世間」においては〈「ここま

でなら規範に触れない」という安全域が不明確で、これが心理的な

負荷性を高め〉ており、〈「安全域」の客観的な基準ラインがない

ため、たえず互いにまわりの様子を窺い合いチェックし合うことで

心理的な安全感を得るほかない〉と。

 日本人がつねに「世間」の「空気を読む」ことを要求されるのは、

現在の「世間」の基準ラインがどうなっているのかを、その都度、

確認しておかなければならないからである。

(22p)

  

この本を読んでみて、いかに今の日本が生きづらい状況に

なっているのか見えてきました。

よく59年も生きてきたなと思います。

(4回も休職したけど)

心は疲れるよなあ。

  

  

 つまり、お中元のようなモノにせよ、モノとはいえないメールに

せよ、贈与を受けることは、それだけで心理的負担を伴う。これを

日本人は「義理」と呼ぶ。その心理的負担から逃れるためには、た

だちに「お返し」をするしかない。「お返し」によってのみ、やっ

とその心理的負担から解放されるのだ。メールのやり取りなどの贈

答行為が、往々にして「やめられない、止まらない」状態になるの

は、このためなのである。

(28~29p)

  

この局面では、それほど心の負担は感じていないかなと思います。

  

  

う~ん、今晩はここまで。

  

2020年7月 1日 (水)

新型コロナウイルス「世界の死者50万人」

  

今日は令和2年7月1日。

  

新しい月の始まり。

今年は1カ月生徒と向き合います。

夏休みは8月1日からです。

きっと痩せると思います。

暑いし、きっと頑張っちゃうと思うから。

ほどほどに・・・とは思っているんだけどなあ。

  

  

2020年6月30日朝日新聞朝刊一面です。☟

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記事本文は一部省略です。

でも3つのグラフを見たらわかります。

世界で見たら、新型コロナウイルスは終息していません。

増え続けています。

 

私の地元市では、感染者は今のところ数人です。

油断してしまいます。

100年前のスペイン風邪第1波のようです。

 

第2波で死者は急増します。

  

何か備えねばと思うのですが、何ができるのだろう。

明日は、社会科の授業で、

最近書いてきたスペイン風邪のことを教えようと思います。

100年前の歴史が今に活かせるかもしれません。

  

2020年7月1日朝日新聞夕刊でこの記事を見つけました。☟

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カレル・チャペック。

「白い病」

 

9月に刊行されたら、きっと読むだろうなあ。

勉強を始めたら止まらない。

あと2カ月後。

世界は、日本は、わが市はどうなっているのだろう?

私はどうなっているのだろう。

  

  

2020年6月30日 (火)

「大人のための昭和史入門」/第一次世界大戦は「国家総力戦」だった。しかし日本は・・・

   

今日は令和2年6月30日。

  

学校が本格的に始まった6月。

たくさんのことを思いつき、

できる限り実行してきたと振り返ります。

まだ1カ月しか経っていないんだと思いました。

自分で自分を忙しくしすぎたと反省します。

ちょっとペースダウンしよう。

  

 

この本を読みました。

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「大人のための昭和史入門」(半藤一利、出口治明他著/

文芸春秋)

  

半藤一利さんの発言を引用。

  

 そもそも日本は第一次世界大戦というものをよく理解できなかっ

たのではないでしょうか。要するに、第一次世界大戦はそれまでの

戦争と質的にまったく変わってしまったわけです。それまでは主戦

場に投入される軍隊の能力と規模が勝敗を決していました。戦争は

軍隊同士がやるもので、一般の国民は直接被害を受けることもなか

った。限定的な局地戦のイメージしかなかったのです。

 ところが第一次世界大戦は、人類が初めて遭遇した「国家総力戦」

でした。飛行機、タンク、機関銃などの近代兵器が登場し、軍事力

のみならず、経済力、科学技術力をはじめ国力を総動員して、4年

余りに及ぶ持久戦になったのです。死傷者数も桁違いに膨れ上がり、

戦場となったヨーロッパは甚大な打撃を受けました。それによって、

国家像や戦争観そのものが変わってしまったのです。

 ところが、日本にとって第一次世界大戦は、アジアで局地戦に参

加したり、輸送船団の護衛などをやって、ドイツの南太平洋の委任

統治領や青島をもらえた、と従来の帝国主義的戦争に過ぎなかった。

死傷者も陸海合わせて500人ほどでした。

(13~14p)

  

日本が乗り遅れたという考え方を、初めて知りました。

なるほどです。

日本は帝国主義的戦争を継続していきます。

  

   

この本で特に印象に残っているのはあと2か所。

  

 (1933年/昭和8年)2月24日、対日避難勧告が42対1(棄権1)で

採択されると、松岡は「連盟よさらば!」と決別の演説をおこなった

のち、代表団を従えて「堂々と」退場した。松岡のパフォーマンスは

内田(康哉外相)の訓令どおりだった。松岡は議場を立ち去りながら、

ひとりごとをつぶやいた。「失敗した。失敗した。失敗した」。

(95p)  

  

有名な、国際連盟脱退のシーンで、

松岡洋右代表はこうつぶやいていました。

松岡洋右は、日本の国際連盟脱退を阻止しようとしましたが、

うまくいきませんでした。それがこのつぶやきです。

またいつか、このことについては書いてみたい。

  

  

 昭和10年8月、軍務局長として人事を牛耳ってきた永田(鉄山)を、

相沢三郎中佐が惨殺する。

(104p)

  

この本では、永田鉄山のことは詳細に書いていますが、

その最期は、この2行です。

相沢三郎中佐は唐突に出てきて、どんな人だろう?

どんな事件だったのだろう?

興味を持ちました。

このこともまたいつか書いてみたい。

  

    

以上で、あっけないけどこの本からの引用は終了。

次の本を読むぞ。

2020年6月29日 (月)

「スペイン風邪」感染予防を呼びかけるポスター

  

今日は令和2年6月29日。

  

やっぱり2020年5月12日に放映された

「BS1スペシャル ウイルスVS人類3 スペイン風邪 

100年前の教訓」のことを書きたくなりました。

  

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「新しい習慣となった外出時のマスク」

日本人はマスクをすることにあまり抵抗はありません。

現在も学校では体育の授業以外では全員がマスクをしています。

新型コロナウイルスによるパンデミック前であっても、

給食当番は必ずマスク着用でした。

マスクを忘れたら、給食当番ができないくらいの徹底ぶり。

それが当たり前でした。

咳がひどければ、マスクをするのがマナーでした。

  

マスクに対するハードルを低くしたのが、

約100年前のインフルエンザ「スペイン風邪」の流行でした。

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「その原点は100年前」

 

1918年当時のポスターです。

Rimg2232  

このポスターがきっかけでいろいろな勉強ができます。

  

当時もマスクをすることが呼びかけられていました。

呼びかけというか、義務のような言い回しです。

番組で磯田道史さんが言うには、これ以後マスク着用の習慣は、

学校を中心に広められていったそうです。そして今につながります。

  

このポスターはすでに以前掲載しています。

ここでも道草 記事「スペイン風邪に学ぶこと」で勉強(2020年4月24日投稿)

マスクのことを今回より詳しく書いています。

  

  

なぜポスターか?

  

磯田道史さんは言いました。

ラジオもテレビもなかった時代。

新聞とポスターで感染予防が呼びかけられました。

  

テレビはなかったでしょう。

茶山(さやま)の関心事セット 日本でテレビが普及したのはいつごろなのでしょう

☝ ここを読むと、日本にテレビが普及したのは、

1961年(昭和36年)頃のようです。

日本の半数以上の人が白黒テレビを保有したようです。

私が生まれた年でした。

  

  

ラジオはなかったの?

大衆文化の発展(ラジオ放送の普及)

☝ ここを読むと、ラジオのスタートは1925年(大正14年)。

スペイン風邪の時には、ラジオはありませんでした。

 

  

ポスターでは、マスクとうがいが呼びかけられていますが、

現在と比較して、100年前には

呼びかけられていないものがあります。

何だと思いますか?  

  

  

わかりますよね。

  

  

手洗いです。

  

  

なぜ手洗いが呼びかけられていないか?

番組の中で川名明彦さんが、水道が普及していなかったことが

考えられると言っていました。

なるほどです。

今のように清潔な水が蛇口をひねれば出る状態ではなかったと

考えられます。

Wikipedia 水道

☝ ここを読むと、結局戦後にならなければ、

水道は普及しませんでした。

上水道網の完備は1970年代でした。

最近のこと?なのです。

  

水道がなかったために、手洗いの意識が低かったと考えます。

ポスターには蛇口が描かれていません。

     

 

  

右から左に読む横書きの文章も気になります。

これについては以前書きました。

ここでも道草 タイムスクープハンター彗星大接近その5 右から左に読む横書き(2019年5月1日投稿)

☝ ここを読み直して、改めて頭にインプットしました。

   

  

以上。

このポスターを使えば、たくさんの勉強ができます。

授業で使えますよ。

2020年6月28日 (日)

歴史の教訓/軍艦「矢矧」でのインフルエンザによる大惨事

   

今日は令和2年6月28日。

  

2020年5月12日に放映された「BS1スペシャル 

ウイルスVS人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」

勉強になりました。

  

一部聞き書きします。

  

塚原愛アナウンサー:制限解除のタイミングの難しさを伝える象徴的

  な事件が、100年前に起こりました。

ナレーター:事件の舞台は、軍艦「矢矧(やはぎ)」。第1次世界大

  戦の際、インド洋、オセアニア方面の警戒と輸送船保護の任務に

  当たった軽巡洋艦です。

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  1918年。「矢矧」はオーストラリアのシドニーから、シンガ

  ポールへ移動する任務を受け、11月9日に到着しました。

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  艦長山口伝一は、他の軍艦で発生していた流行性感冒を警戒。

  最新の注意を払い、当初、上陸も現地人の乗り込みも認めず、状

  況を見極めていました。

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Rimg2248

  2週間の状況調査で、シンガポールの街では、感冒の流行はほと

  んど収束していると判断。仲間の船も上陸許可を出していたこと

  もあり、21日と22日、山口艦長は、乗員の半数ずつ、4時間

  に限って、上陸を許可しました。

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  しかし、2日後。

  上陸した乗員、4人が発熱。彼らを隔離したものの、28日には、

  10人に増加。船はそのままマニラに向かって出航します。

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  感染は広がり続け、12月、治療に当たっていた軍医、看護部員

  にも感染。ついには、乗員469人の9割以上が罹患し、船は病

  人であふれました。

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  かろうじてマニラにたどり着いたものの、48人が死亡する大惨

  事となってしまったのです。

Rimg2252   

  

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磯田道史:「矢矧」の姿は非常に象徴的ですね。島国日本とも重なり

  ます。やっぱり、水際対策、船内国内に(ウイルスを)入れない

  という、ニュージーランドのように、島国を利用した有効な感染

  対策をとっている国もあります。

  わずか4時間の上陸2回で。最初の感染者が出たときに、「風邪

  だ」と思って、そのまま出航しちゃったと。これが非常に危険で

  したね。

塚原アナ:この時、シンガポールでは流行が一旦おさまりかけていた

  時期。そういう状況を見て、艦長は判断したと思うんですけど、

  厳しい結果となってしまったんですね。

磯田:そうなんです。歴史の教訓として、おさまりかけた時の対処、

  行動制限の解除が非常に重要で慎重な判断が求められると。

  ちょっと早く解除したいなと思うのを、少しだけ慎重にするとい

  う方が、安全かもしれないというのが、今回に当てはまるかどう

  かはわかりませんが、私としては、教訓として読み取りたいと思

  っています。 

Rimg2254

    

このような事件があったことを、この番組で初めて知りました。

軍艦「矢矧」と島国日本が、確かに重なります。

これから日本がどのような過程で、海外との往来を始めるかが、

現在まさに問われているわけです。

  

人間、何も起こらないことを想定しまいがちですが、

この番組を見て、危機意識を高めることができました。

もう少し、この番組で勉強したことを書きたいなあ。

 

今晩はここまで。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

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がん治療で悩むあなたに贈る言葉