「一人ひとりの自己実現を教育の目標」とする できるかな?
今日は令和2年7月4日。
2020年7月3日朝日新聞朝刊に、
「新型コロナ オンライン 学べるもの 耕論」
という記事で、3人の方の意見が載っていました。
その中から、鈴木大裕さんの意見。☟
重視されているのは、受験をゴールととらえた「お勉強」ばかり。
そんな教育に疑問を抱き、12年前に公立中の教員を辞め、研究者
の道を歩みました。
僕は最初、教育で多くの人が学校のありがたさに気付いたことは、
教育のあり方を根本から見直すチャンスだと期待していました。子
どもたちが待ち望んだのは、友達と会うことだったり、学校行事だ
ったり、部活動だったり、授業以外のことが多かったのではないで
しょうか。「学校は授業だけじゃない」。そんな当たり前のことを
大切にする教育に変わるきっかけになるのではないか、と。
学校から授業だけを抽出してしまえば、教育は商品化し、合理化
が進みます。受験勉強も、オンライン学習も、特化してやってきた
塾や民間企業の方がノウハウがあります。効率化を突き詰める中で
学校は存在意義を失い、「塾のカリスマ教師の授業をオンラインで
一斉配信すればいい」という意見もでてくるでしょう。
学校の目的が「点数」になったとたんに、子ども一人ひとりの違
いは序列化され、競争社会にのみ込まれてしまいます。そうではな
く、多様な幸福の形を示し、一人ひとりの自己実現を教育の目標と
とらえる。それが「勝ち組」「負け組」という社会から脱却する道
なのではないでしょうか。
私は現在特別支援学級の担任です。
もちろん生徒は進学を考えていて、そのための学習は必要です。
しかし、幸いにも少人数であるために、
通常学級よりも一人ひとりを見ることができます。
声をかけること、雑談することも多くできます。
何が得意で、何が苦手なのかを、より理解できると思います。
生徒を序列化せずに、並列にして見ることができます。
その気になれば、一人ひとりの生徒のために、
いろいろな手を尽くせます。
それは効率的ではないと思います。
一人ひとりの反応がダイレクトにわかるからです。
反応によって手を変えて行けば、
生徒の数だけ指導が違ってきます。
たいへんです。
今、私はいい立場にいます。
その気になれば、
「一人ひとりの自己実現」に少しでも近づけるかもしれません。
自分の能力が伴えば。
鈴木さんの記事を読んで、こんなことを考えました。
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