タイムスクープハンター彗星大接近その5/1910年5月19日の様子 右から左に読む横書き カネボウのポスター
今日は令和元年5月1日。
前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の
「タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近」
について書きます。
1910年5月19日。
ハレー彗星最接近は午前11時22分。
ハレー彗星は太陽の前を横切り始めると言われていました。
チューブを使って、毒ガスを吸わずに呼吸する練習をしていました。
断食をして、全世界のために祈る老婆。
穴を掘ってわらをかぶり、
ハレーの毒が入って来ないようにしていました。
神社に来て安全祈願をする人々。
災難を逃れたければ、赤飯を食べて参詣(さんけい)するに
かぎるという迷信が広がっていたそうです。
浅草の仲見世通りでは、いつもはにぎやかなのに、
この日は人の往来がほとんどなかったそうです。
不安を抱えたまま、太陽面を通過するハレー彗星を
見てみたいという人もいました。
「今、ハレー彗星が太陽面を通過しました」
「通過したと、思われます」
そしてハレー彗星は1時間をかけて太陽面を通り過ぎました。
安堵の人たち。
翌日は尾が観察できました。
1986年にはこんなのは観察できませんでした。
2061年に、やっぱり見たい!
このシーンに注目。
「前原時計店」は右から左に読む横書きです。
明治43年は、こうだったのでしょう。
ではいつから、左から右に読む横書きになったのでしょうか?
そこを調べました。
太平洋戦争が終わった後、
占領軍の指示で変わったのではと思いました。
でも違いました。
このサイトを読んでください。
※gooいまトピ 戦後日本で右書きの横文字が左書きに変わった瞬間をさぐってみた
簡単にまとめると・・・・
もともと日本語には横書きはなかった。
例外は横長看板への文字。右から左に書いていた。
(正確には「1行1文字の縦書き」というようだ)
明治時代になって、横書きをするようになった。
最初は、英語などと同じように左から右に横書きをしていた。
江戸時代までの看板書きもあってか、右から・左からが混在していた。
しばらく混在していたが、これではいけないと、
1943年に文部省主導で左から右に書くことに統一しようとした。
敵国英語などと同じように書きたくない気持ちもあり広まらない。
戦後、新聞社が左から右に書くことに統一し始めた。
戦後、ガラリと変わったのではなく、徐々に変わっていきました。
タイムスクープハンターから、またいい勉強ができました。
1910年の76年後のことをひとつ。
1986年のハレー彗星到来に関係する商品ポスター。
ミドルエッジ 1986年、世間をにぎわせた【ハレー彗星】、覚えてますか?
沢口靖子がカネボウのポスターを
当時、席巻していたもんなあ。
以上で、2010年12月28日放映の
「タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近」
に関する記事は終了。
今回いろいろ調べていて、楽しい出合いがありました。
このサイトにビックリです。
※pour rien タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近(2010年12月28日)
撮っている写真が似ています。
やっていることが似ています。
最後にどきっとする文章がありました。
やーもー、なんか今回、期待以上でした!!
かなーり構成すごくなかったですか?
ハレー彗星によって引き起こされた混乱だけじゃなく、
電話とか自転車とか当時の状況含めて紹介。
しかも、無理なく展開に組み込んで進んでいくのが。Σ( ゚Д゚) スッ、スゲー!!
これホントに教材としても活用できると思うんだけどなー。w
今回は特に。
教材!?
もしかしたら同業者?
サイトにコメントを送りたくなりました。
コメントありがとうございました。
残念ながらご同業ではなく、こんな教材で勉強できたら楽しかったろうなぁ、という呟きでした。
でも、コメントいただき、実際に教材に使われている先生がいらしたことに感動しました。
番組の一ファンとして、これからも先生の広報活動に期待しております。( *´艸`)
投稿: プル | 2019年5月 2日 (木) 22:37
プルさん、はるばる?(そんなイメージです)コメントをありがとうございます。
同業者ではなかったのですね。失礼しました。
励みになるコメントでした。
そしてプルさんの記事は、似たことをやっていることで、
とても親近感を得ました。
いい番組に出合うと、写真を撮ったり、
記事にしておこうと思いますよね。
数がたくさんある「タイムスクープハンター」を、
一つ一つ吟味して、教材として利用していきたいです。
見ただけではもったいない番組です。
それではこれで。
投稿: いっぱい道草 | 2019年5月 3日 (金) 03:42