「目くじら社会の人間関係」① 日本人は「空気を読む」ことを要求されている
きょうは令和2年7月3日。
この本を読みました。
「目くじら社会の人間関係」(佐藤直樹著/講談社+α新書)
引用したい文章がたくさん。
つまり近代以降の「世間」がやっかいなのは、比較的明瞭だった
「共同体の掟」とは異なり、またそのルールが法律のように明文化
されているわけではないから、「みんな」という、きわめてフワッ
とした不安定な基準に依拠しなければならなくなった点である。
滝川(一廣)さんはいう。近代の「世間」においては〈「ここま
でなら規範に触れない」という安全域が不明確で、これが心理的な
負荷性を高め〉ており、〈「安全域」の客観的な基準ラインがない
ため、たえず互いにまわりの様子を窺い合いチェックし合うことで
心理的な安全感を得るほかない〉と。
日本人がつねに「世間」の「空気を読む」ことを要求されるのは、
現在の「世間」の基準ラインがどうなっているのかを、その都度、
確認しておかなければならないからである。
(22p)
この本を読んでみて、いかに今の日本が生きづらい状況に
なっているのか見えてきました。
よく59年も生きてきたなと思います。
(4回も休職したけど)
心は疲れるよなあ。
つまり、お中元のようなモノにせよ、モノとはいえないメールに
せよ、贈与を受けることは、それだけで心理的負担を伴う。これを
日本人は「義理」と呼ぶ。その心理的負担から逃れるためには、た
だちに「お返し」をするしかない。「お返し」によってのみ、やっ
とその心理的負担から解放されるのだ。メールのやり取りなどの贈
答行為が、往々にして「やめられない、止まらない」状態になるの
は、このためなのである。
(28~29p)
この局面では、それほど心の負担は感じていないかなと思います。
う~ん、今晩はここまで。
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