「大人のための昭和史入門」/第一次世界大戦は「国家総力戦」だった。しかし日本は・・・
今日は令和2年6月30日。
学校が本格的に始まった6月。
たくさんのことを思いつき、
できる限り実行してきたと振り返ります。
まだ1カ月しか経っていないんだと思いました。
自分で自分を忙しくしすぎたと反省します。
ちょっとペースダウンしよう。
この本を読みました。
「大人のための昭和史入門」(半藤一利、出口治明他著/
文芸春秋)
半藤一利さんの発言を引用。
そもそも日本は第一次世界大戦というものをよく理解できなかっ
たのではないでしょうか。要するに、第一次世界大戦はそれまでの
戦争と質的にまったく変わってしまったわけです。それまでは主戦
場に投入される軍隊の能力と規模が勝敗を決していました。戦争は
軍隊同士がやるもので、一般の国民は直接被害を受けることもなか
った。限定的な局地戦のイメージしかなかったのです。
ところが第一次世界大戦は、人類が初めて遭遇した「国家総力戦」
でした。飛行機、タンク、機関銃などの近代兵器が登場し、軍事力
のみならず、経済力、科学技術力をはじめ国力を総動員して、4年
余りに及ぶ持久戦になったのです。死傷者数も桁違いに膨れ上がり、
戦場となったヨーロッパは甚大な打撃を受けました。それによって、
国家像や戦争観そのものが変わってしまったのです。
ところが、日本にとって第一次世界大戦は、アジアで局地戦に参
加したり、輸送船団の護衛などをやって、ドイツの南太平洋の委任
統治領や青島をもらえた、と従来の帝国主義的戦争に過ぎなかった。
死傷者も陸海合わせて500人ほどでした。
(13~14p)
日本が乗り遅れたという考え方を、初めて知りました。
なるほどです。
日本は帝国主義的戦争を継続していきます。
この本で特に印象に残っているのはあと2か所。
(1933年/昭和8年)2月24日、対日避難勧告が42対1(棄権1)で
採択されると、松岡は「連盟よさらば!」と決別の演説をおこなった
のち、代表団を従えて「堂々と」退場した。松岡のパフォーマンスは
内田(康哉外相)の訓令どおりだった。松岡は議場を立ち去りながら、
ひとりごとをつぶやいた。「失敗した。失敗した。失敗した」。
(95p)
有名な、国際連盟脱退のシーンで、
松岡洋右代表はこうつぶやいていました。
松岡洋右は、日本の国際連盟脱退を阻止しようとしましたが、
うまくいきませんでした。それがこのつぶやきです。
またいつか、このことについては書いてみたい。
昭和10年8月、軍務局長として人事を牛耳ってきた永田(鉄山)を、
相沢三郎中佐が惨殺する。
(104p)
この本では、永田鉄山のことは詳細に書いていますが、
その最期は、この2行です。
相沢三郎中佐は唐突に出てきて、どんな人だろう?
どんな事件だったのだろう?
興味を持ちました。
このこともまたいつか書いてみたい。
以上で、あっけないけどこの本からの引用は終了。
次の本を読むぞ。
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