2023年12月17日 (日)

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑦ 日本国憲法は改正ではなく廃棄を

   

今日は令和5年12月17日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

  

WGIPによる施策の一つとして三十項目の報道規制 (プレスコード)が

あります。その中に、七十年を経た今でも日本人の中に自主規制とし

て残っている項目があります。

先ず第三項の「GHQが、日本国憲法の草案を起草したことに対する

批判の禁止」。 禁じたということは、それが事実であり、触れられ

たくないということを意味しています。憲法は国会で決めたと言って

も、当時の国会には言論の自由がありませんでした。 分かり切った

事実があるのに、改憲派の人達は、なぜここを突かないのでしょう。

第八項の「朝鮮人への批判禁止」、第九項の「中国への批判禁止」は、

一般人はともかく、政界や官界の、それも地位の高い人ほど、未だ

に自己規制として残しています。 中韓に対して腰の引けたことしか

言えない、それどころか「慰安婦問題」に対し必要のない謝罪まで

して、日本人の名誉と尊厳をないがしろにする、という状況に見ら

れる通り、影響は色濃く残っています。

第十六項の「戦争擁護の宣伝禁止」、ここで言う戦争とは、日本が

行った戦争のことです。最近でこそ、日米戦は、日本ではなくアメ

リカが悪くて起きたという本が堂々と出版されるようになりました

が、それでも、閣僚など国会議員がこの種の発言をするとバッシン

グされる「閉された言語空間」が存在します。

第二十二項の「戦争犯罪人の正当化及び擁護の禁止」は、近代法の

大原則を破って行われ、裁判管轄権も怪しげな極東国際軍事法廷で

有罪にされた「戦争犯罪人」 が、 本当の犯罪者であるはずがあり

ません。靖国神社にA級戦犯が祀られているから首相は参拝しては

ならない、という理不尽がまかり通っています。特に、反日・左翼

の人々の論の多くは、東京裁判が正当であることを前提に成り立っ

ているものが多く、その正当性が否定されれば総崩れになります。

三十項目の規制項目には入っていませんが、当時の日本政府が正式

呼称とした「大東亜戦争」は使用禁止になり、「太平洋戦争」と呼

ばなければならなくなりました。学問的な理由で「太平洋戦争」と

呼ぶほうが良いという人がいても構いませんが、権力をもって戦争

の呼称を押し付けるのは許しがたいことです。

いずれにしても、権力をもって規制したということは、彼らも理に

合わないことを知っていたからです。禁止された行為こそが、実は

正しいことであった、と見て間違いありません。

(111〜113p)

    

自主規制してますよね、日本人。

前にも書きましたが、これから戦争の名前をどう教えようか。

「太平洋戦争」と教えることが、当たり前ではなくなりました。

「大東亜戦争」と教えたくなりました。

  

  

ハーグ陸戦条約四十三条に違反して押し付けられた「日本国憲法」こ

そ、WGIPが考えた日本人洗脳の道具としては最高傑作だと思います。

「報道規制」 三十項目の三番目にあるような言論統制下、主権を持た

ない国会議員に採択させた「日本国憲法」に合法性はありません。

「日本国憲法」にノーベル賞をなどと言う人の頭の中はどうなってい

るのでしょう。 もうブラックジョークの域です。

自民党は、「憲法改正」を唱えていますが、「改正」という命題設定

は、何か実務的に不便なことを解消しようと言う矮小化された目的の

ものに見えます。ここは、非合法憲法を廃棄する、という基本から論

じないと、「九条堅持論」などに出る幕を与えてしまいます。また、

何のために改憲するのかという方向に議論が行ってしまい、 国民的盛

り上がりを欠き、失敗に終わることを危惧します。「現行憲法は国際

法違反か」という原理原則の議論から始めるべきと考えます。

(114p)

   

「日本国憲法」を守ろうとするのも、WGIPの影響でしょうか。

改正ではなくて、廃棄。う〜ん、でもここまで考えるのはなかなか

ハードルが高いと思います。

日本国憲法を維持している日本をノーベル賞に申請することが、

かつてあったようです。

2014年。

その申請に批判している文章を載せます。

JP press 世界に恥を晒した「憲法9条ノーベル平和賞」申請

日本国憲法が必ずしも優れたものではないようです。

外国には、もっと現実的に戦争放棄を謳っている憲法が

あるようです。

井の中の蛙にならないようにしないといけません。

  

   

WGIPは大変手が込んだ精妙な計画ではありますが、日本人は、あま

りにも見事に引っかかりました。未だにWGIPの効果は続いているの

は、日本人側に以下の要因があったからです。

①事実や実態を知らずに悪意ある他人の宣伝を簡単に信じてしまった

り、 非現実的な理想論に走ったりする日本人の性格があります。 「

振り込め詐欺」もこの型の一つでしょう。

②外国人の考え方や振る舞い、法(特に国際法)を知らないため、間違

った考え方に誘導される。

③一旦、東京裁判史観=自虐思想を刷り込まれると、それが先入観と

なり、思考停止して誤った判断をする。

④外交や軍事に関する国際標準を知らず、それが原因で、誤った考え

に陥る。

農耕民族の日本人は状況対処型で、狩猟民族の欧米人や中国人は状況

作為型 (自分に好ましい状況を作り出そうとする)だという説がありま

す。つまり、日本人は相手の土俵に引っ張り込まれやすいと言うこと

です。

さらに、中国人やアメリカ人は、あまりに堂々と嘘をつくので、まじめ

な日本は、つい本当だと思ってしまうということがあると思います。堂

々と嘘をつくこと、そして嘘を百遍でも繰り返すことによって、嘘が本

当になるのです。だから、国際的な場ではフランス人のように、何でも

いいから、まずノンと言うほうが安全なのです。

(115〜116p)

   

状況を見極めるのは、難しいことだと思います。

動画で、さまざまな政治的YouTuberを見始めたことで、

テレビを見て鵜呑みにしていたことが、

待てよというふうに感じられるようになりました。

世の中は難しいと思います。

騙されずに、正しい道を進むには、

いろいろな人の意見を耳にするという地道なことを

していかなくてはならないんだなと思う最近です。

  

続く

洗濯場の遺構にあったのはミント(ハッカ)でした

    

今日は令和5年12月17日。

   

昨日の「洗濯場踏切」の話の続き。

洗濯場の遺構に繁茂していた植物。

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この植物はなんだろう?

アプリ「バイオーム/Biome」で聞いてみました。

今朝、答えが戻ってきました。

 

ミントorハッカです。

  

2つの答えが返ってきました。

ミントとハッカの違いは?

調べました。

金扇(きんせん)ミントとハッカの違いについて

このサイトの文を引用します。

薄荷(ハッカ)の漢字についても、書かれています。

  

日常でなじみの深いハーブの一つであるミントは、シソ科ハッカ属の

総称です。ミント全般をさして「薄荷(ハッカ)」ということもあり

ますが、厳密にいうと「薄荷(ハッカ)」はミントの品種のひとつで、

日本で自生している和種のものをさすようです。ガムやキャンディー

などのお菓子以外にも、歯磨き粉、医薬品など、清涼感ある香りは、

生活の様々な場面 で利用されています。

沢山の品種がありますが、 主に「ペパーミント系」「スペアミント

系」等に分ける事ができます。 ちなみに、ペパーミントの和名は「西

洋薄荷(セイヨウハッカ)」、スペアミントの和名は「オランダ薄荷

(オランダハッカ)」又は「緑薄荷(ミドリハッカ)」になります。

薄荷(ハッカ)は、乾燥した葉を水蒸気で蒸留させて作られるのです

が、200kgの葉から採れる精油はたった2%の4kgだそうです。 した

がって、葉から油を採ると、運ぶ時に荷が少なくて済むことから「薄

荷」という名前がついたそうです。

主成分はエルメントールと呼ばれる成分で、この成分が独特のスーっ

とする香りのもとになります。漢方薬(生薬名:薄荷葉(はっかよう)

)としても清涼、解熱、発汗、健胃などの目的で用いられています。

繁殖力が旺盛なため、畑地などに地植えすると駆除が容易ではなくな

り、しばしば雑草扱いされるほどのようです。

 

ミントの一種がハッカと考えていいようです。

つまりミントにしておけば無難です。

洗濯場のミントは、雑草扱いなのかな。

12月でも青々としていました。

  

  

昔、ハッカについて調べていました。

ここでも道草 6月20日 ちょっとハッカにくわしくなった日(2013年6月21日投稿)

ハッカ油なるものを買っています。

10年前に買ったハッカ油。

納戸の本棚にちゃんとありました。

匂いを嗅いでみました。

10年ぶりでしたが、ちゃんとハッカの香りがしました。

2023年12月16日 (土)

7年ぶり「洗濯場踏切」が解決しました

   

今日は令和5年12月16日。

  

今日は嬉しいコメントが届きました。

7年前の記事に対してのコメントです。

ここでも道草 洗濯場踏切・枯れススキはどうなる?(2016年8月8日投稿)

豊川市を走る飯田線には「洗濯場踏切」という名前の

踏切があります。

その頃、自転車通勤をしていて、いろいろな道を走っては、

通勤していました。

その時に見つけた「洗濯場踏切」というユニークな名前の踏切。

なぜこんな名前がついたのだろうと疑問に思ったことを記事にしました。

その後、踏切が校区にある小学校の先生に聞いたり、

踏切の近くに住む中学生に「家の人に聞いてみてよ」と

頼んだりしましたが、わからずに今に至っていました。

  

今日、届いたコメントをコピーします。

さくもとさんのコメントです。

  

以前、近所に住んでいました。

洗濯場踏切の崖側の所に草が沢山生えていて線路側のところに細い歩

道があります。それを下って行くと四角く区切られた場所があるので

すが、昔の人はここで洗濯をしていたんです。

ここは洗濯場の遺構になります。

すぐ近くにある牛久保のナギのある古い神社は昔、池があったのです。

行ってみると分かりますが、橋があって、水があった事が分かります。

この神社と洗濯場は同じ水だったと思います。

それから暫くして、下水道工事が始まり、この地区からは貯水槽やボ

ットン便所が消えましたが、その代償に今まであった水(湧水かと思

います)が出なくなってしまい枯れてしまったそうです。

その流れで池も洗濯場もダメになってしまったと聞きました。

(後略)

  

このコメントを読んで、7年ぶりにこの踏切に行きたいと思いました。

もちろん遺構を見たいと思いました。

実行しました。

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この線路沿いの道を下りていきます。

道は下りながら、左に曲がっていきます。

そしてそこにありました。

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わかりますか?

線を入れてみましょう。

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別角度から見てみます。

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中央部分が洗濯場だったのだと思います。

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右手が、踏切から下りてくる道です。

雨降りだったせいか、洗濯場の下にある土管からは、

水が流れ出ていました。

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向こう側にあるのが線路から下りてくる道です。

さくもとさんが使った「洗濯場の遺構」という言葉が気に入りました。

まさに「遺構」です。

ここで洗濯をしていた人が思い浮かびました。

発見して嬉しかったです。

7年ぶりの課題が解決しました。

ブログの良さを、また体験することができました。

さくもとさんに感謝です。

  

この機会に、「洗濯場踏切」をネットで検索してみたら、

面白いことがいろいろありました。

  

本が出ていました。

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amazon

「ゆかいな珍名踏切」(今尾恵介著/朝日新書)

この本の表紙に「洗濯場踏切」がありました。

どんなふうに書かれているのかな?

  

東愛知新聞 踏切巡り特色など本に

この記事で、笑顔で写っている方。

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社会科教員の先輩です。

先輩も洗濯場踏切を調べたり、そのほか地区のことを調べて、

本を作っていました。

びっくりです。久々に連絡をしちゃおうかなと思いました。

洗濯場踏切をネタに、久々に飲み会をしたいです。

  

今日の現場観察で、植物も気になりました。

洗濯場の遺構の中でたくさん繁茂していたこの植物。

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なんという植物だろう?

さっそくアプリ「バイオーム」で質問をしました。

今晩は遅いので、答えは明日、どなたから届くかな。

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑥ 東京裁判

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

   

格調高い戦犯無罪論

弁護団副団長であった清瀬弁護人の冒頭陳述は、ウィキペディアなど

で、いくつも紹介されていますが、彼の事実に基づく反論と、日本人

の伝統的なものの考えに基づく格調高い弁論は、いま読んでも胸を打

つものがあります。

その陳述は、白人中心の世界観に対する痛烈な批判であり、そのまま

A級戦犯の擁護論となっています。つまり、あとにつづく次世代の日

本人への熱い応援メッセージでもありました。

WGIPの肝は、日本を戦犯国と規定し、そのことを日本人の頭に、子

々孫々まで刷り込むことにありましたが、そのためには、具体的には

満洲事変以来の日本国の行為を、すべて侵略行為であるとして、それ

に関わった人々をA級戦犯として処断したのです。日本の反日派は、

この流れに悪乗りして、日清、日露の両戦争まで、侵略戦争であると

する人もあります。

また、ユダヤ人絶滅という思想の下に、多くのユダヤ人を殺害したナ

チスドイツと日本を同一視する考えを論破し、満洲事変については、

日本の立場を弁じ、日本が国際連盟を脱退する切っかけとなったリッ

トン報告書の中にも、日本の立場に理解を示す部分があることに触れ、

また、或る時期までは、イギリスやアメリカも、日本が満洲に対して

持つ特殊権益を認めていた事実を明らかにしています。

さらに、いわゆる日中戦争は、日中両国のどちらが起こしたのかにつ

いても、中国側の責任であることを明確に言い切っています。

また、日米開戦にいたるアメリカ側の行動が、日本を戦争に追い込ん

だ経緯を説明し、さらに、真珠湾攻撃が奇襲ではなかったと、すでに

東京裁判が行われた時期に言っています。

これだけのことが、終戦直後に言えた清瀬一郎には、すごみすら感じ

ます。 清瀬が言ったことを、独立国のはずの今の日本でも、閣僚や政

治家が発言し、 或いは歴史教科書に書くと、朝日新聞のような反日メ

ディアや言論界、それどころか、 国会や文科省の一部からさえも、バ

ッシングされますが、日本の現状は、占領直後より悪化していると言

っても過言ではありません。

清瀬の東京裁判における冒頭陳述は、あたかも明治維新から日米開戦

にいたるまでの、日本史の名講義を聞いているようでもあり、本当は

全文を載せたいところですが、紙数の関係もあり、かなり絞って記載

します。 WGIPに対する強力な解毒剤としてお読みください。

(86〜87p)

  

清瀬一郎さんに興味を持ちました。

Img_3424

FRIDAY DEGITAL

映画「東京裁判」(1983年製作・公開)というのがあるそうです。

これを見たらいいのだけど、227分の長さ。

また機会があったら、気合を入れて見てみたいです。

清瀬一郎さんについては、またその時に書きたいです。

   

自虐思想とは、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログ

ラム)によって、東京裁判を中心とする諸々の手法を使って日本人に刷

り込まれた思想であり、従って東京裁判史観とも呼ばれます。 その核

心部は、満洲事変以降の日本の行動は、すべて侵略であり、連合国は

すべて正しかった、悪いのは日本だったという思想であり、それが拡

大されて、日韓併合、極端なケースは日清戦争まで含めて、とにかく

日本がやったことはすべて悪く、さらに、日本の文化は、中国や韓国・

朝鮮から学んだものばかりだというところまで繋がるものです。

(98p)

  

日本は悪い国だった。

日本は外国に謝らなければならない。

日本は自国の文化がないそんな国だったんだ。

この自虐思想は、いまだに影響が残っているのを感じます。

  

東京裁判の勉強の必要を感じました。

  

  

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑤ 戦後、修身・国史・地理が禁止

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

   

CIEとは?

  

GHQは、民間情報教育局(CIE)を作り、WGIPの推進を担当させました。

(32p)

WGIPとは?

  

WGIP(War Guilt Information Program)を直訳すると、

「戦争犯罪情報計画」、少し意訳すると、

「日本人に戦争犯罪意識を刷り込む計画」となります。

(25p)

  

 

教育の問題について、CIEがどのように関わったかを知るために、CIE

文書(原資料)を随分調べましたが、 “Education" という単語は、ここ

かしこで見るものも、メディア戦略のような根本的役割から、具体的な

実施にいたる基本戦略を書いたものは、「学校における軍事教練の禁止」

のような一部の施策を除いては、今までのところ見つかっておりません。

じつは、日本の教育に関する占領軍の工作は、CIEを通してではなく、

GHQから、日本政府に直接働きかけて行われたのです。GHQが、占領が

始まった昭和二十年の秋から年末にかけて、日本政府に対して発した

「四大教育指令」が、その歴然たる証左です。

アメリカから派遣された米国教育使節団は、日本の教育刷新委員会(南原

繁委員長)の協力をえて報告書を作成、マッカーサーに提出しました。

その報告に基づいて、戦後の日本の教育を左右する諸施策が決定されたの

です。

もっとも基本的なものが、昭和二十年十月二十二日に出た第一指令で、

当時の文部省はGHQの指令に従って政策を実施するように命じられまし

た。総理大臣ほか公職にある人が、靖国をふくむ神社に真榊を奉納したり

する際は、私費で行うことなどという、日本の教育への明白な管理政策

でした。

同年十月三十日の第二指令は、GHQの政策に反対する教職員や官僚を解

雇するよう指示し、テストで三千人が失格、二十万人は自発的に辞職し

ました。 悪名高い公職追放の一環でした。

同年十二月二十五日の第三指令は「神道指令」と呼ばれ、国家神道や神

社神道に対する政府の保証や支援、保全、などを廃止しました。 日本の

歴史、伝統の素晴らしさを教えることも禁止しました。 この指令は、い

まだに禍根となっています。

同年十二月三十一日の第四指令は、修身・国史・地理の授業の停止を指

示しました。 修身とは道徳教育ですが、日露戦争に日本が勝利すると、

ヨーロッパ人のあいだで、その勝因は「教育勅語」にあったという噂が

広がりました。ケンブリッジで数学と物理を学び、東大と京大の総長、

文部大臣などを歴任した菊池大麓博士は、イギリスを皮切りに、二年に

わたり欧米で「教育勅語」を英語で解説してまわり、喝采をあびました。

その当時の欧米指導層の賛嘆と警戒心が、修身教育の廃止へとつながっ

たと考えられます。国史と地理の禁止は、明治以後の日本が、白人国家

から植民地を奪回するまでに成長した発展を、次世代の記憶にとどめな

いための厳命でした。

世界にアメリカの民主主義を広めることが、神からあたえられた使命だ

と信じるアメリカ人にとり、天皇を中心とした日本の伝統・文化などは、

未開で野蛮だとしか思えず、彼らの理念を日本人に押しつける結果とな

ったのです。

第一次安倍内閣で教育基本法の改正が行われましたが、GHQが残した

指令は、現在の歴史・公民教科書の製作に、いまでも大きな悪影響を

残しています。GHQによるマインドコントールから、早く日本人が覚

めないと、混乱はまだ続くことでしょう。

(79〜81p)

  

修身、国史、地理の授業の中止。

この教科が、日本を戦争に招いたものと判断されたのですね。

地理については、地政学的内容だったようです。

PRTIMES. 戦時中の小学生は地理の授業で「地政学」の基礎を学んでいた。『初等科地理』発売

このサイトから引用します。

  

内地篇では、記述は産業地図の俯瞰が続くかと思うと、さりげなく源

頼朝が幕府に選んだ土地の地政学的重要性を挿入している。なかなか

の工夫である。戦略上、河川、橋梁、道路、鉄道、そして発電所は国

防上重要なポイントであるが、そうした背景も自然なかたちで表記さ

れている。つまり戦略的発想を植え付ける教育が巧みに施されていた

のだ。

戦後の地理教科書で、本書に見られる「国防上非常に大切なところ」

という記述にお目にかかったことはない。いや、文科省の教科書検定

官はこういう記述を不合格の口実にしかねないほど現代の文部行政は

怪しくなっている。

外地篇では西欧列強の植民地支配の残酷さ、その桎梏を取り払った日

本の勇敢さと今後の使命が語られている。これらの地域のほとんどを

筆者は取材した経験があり、端的に戦略的資源分布を、戦時中の教科

書がしっかり教えていたことに驚きを禁じ得ない。

  

今の地理とは違う内容でした。

GHQが禁止した理由がわかります。

  

多くの教員が辞職したことも注目です。

辞職した人員を補充するために、

社会主義的な考えを持った教職員が多数就職し、

日教組ができていく過程になっていきます。

   

本「日本人を狂わせた洗脳工作」④ 数少ないメディアを使った洗脳工作

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

  

CIEに与えられた具体的な役割は、以下の二つでした。

①日本人を洗脳するために、日本人に与えたい情報を、各種メディアを

使って、日本人に与える。

②戦勝国にとって都合が悪い事象(具体的には、原爆投下と東條元首相

の東京裁判における陳述)を中和し解毒する報道の仕方を考え、日本の

メディアに実行させる。

(55〜56p)

   

微に入り細に入りです。

GHQは表に出ずに、日本人のメディアを使って、

日本人を思うようにしていったのです。

メディアが限られるといいうのは、GHQには好都合だったのでしょう。

  

  

CIEと東京裁判の裁判長などの関係者は、頻繁に緊密な連絡をとりあっ

ています。東京裁判は、単に被告を処刑することではなく、そこから日

本人に多くのことを見せて学ばせる目的で遂行されたのです。

CIEは、東京裁判の過程から判決言い渡しまで、どのようにメディアに

情報を流すか、つねに視野にいれて実行していました。

彼らが発行した文書では、東京裁判について美辞麗句を並べていますが、

要は、占領軍の圧倒的な武力を背景に、傍聴席の日本の指導層や、法廷

内の被告人と弁護人の反論を、徹底して無視し黙殺したお蔭で成立しえ

た、プロパガンダにすぎません。

大前提は、日本だけが「議論の余地なく悪い」、「被告人は悪い奴で有

罪に決まっている」ということでした。 被告人たちは、衆人環視の中で、

戦勝国に都合の悪い発言は制止され、反論を封じられました。まさにシ

ョーウィンドーのマネキン人形でした。

占領軍は東條元首相を、侵略戦争の元凶に位置づけようとしましたが、

判事の一人だった、オランダのレーリンク (Bernard Victor Aloysius

Röling) は、晩年の著書で、東條元首相が「この裁判は勝者による復讐

劇だ」と反論した言葉は正しい、と記していたそうです。

(62〜63p)

  

東京裁判はプロパガンダ。

日本だけが議論の余地なく悪い、被告人は悪い奴で有罪に決まっている。

当時は、成功したのだと思います。

ドイツのヒトラー、日本の東條英機っていうイメージが、

昭和36年生まれの私にはありました。

でも違うなと思ったのは、いつ頃だろう。

  

  

日本国憲法成立の欺瞞性

一方で、検閲と焚書が、厳重に秘匿されていたことが、いまなお護憲

や憲法九条の擁護を言いたてる人々を育みつづけてきた根本原因では

ないでしょうか。

日本国憲法は、戦勝国は敗戦国の法体系を変えてはいけないとする、

ハーグ陸戦条約に明白に違反している非合法なものです。

日本の国会が自主的に議決したように見せかけていますが、完全な言

論統制下で行われたことは、プレスコードの③が、メディアに対し

「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」 を厳禁している

ことからも、笑えるほどに明白な事実です。

法的には無効なものなのに、護憲を叫ぶ人が絶えないのは、検閲など

の言論統制が、日本人の多くに、それと気づかれていないほど、じつ

に巧妙に行われたという証左です。この事実に気づかないか、認めよ

うとしない人々は、史実にうとく、国際法や近代刑法の原則に無知な無

教養な人であるとの誹りをまぬがれません。
  

(67〜68p)  

  

ハーグ陸戦条約のことを、この本で初めて知りました。

しっかり違反しているではありませんか。

日本国憲法を有難いものとして奉るのは、

これまたGHQの影響だと思えます。

  

続く 

本「日本人を狂わせた洗脳工作」③ 「日本出版法」ラジオ「真相はこうだ」

   

今日は令和5年12月16日。

   

いつ以来かな。

12月9日以来の、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

  

敗戦から一か月とたたない昭和二十年九月十日。GHQは、「新聞報

道取り締まり方針」を発し、九月十九日には「日本出版法」 (Press

Code for Japan) を制定しました。このプレス・コードは、主旨とし

て「日本に言論の自由を確立するため」ということを謳っていました

が、もちろん連合軍に対する批判を許さない条項が盛られたものでし

た。

しかし、なんと三十項目にも及ぶ「削除及び発行禁止対象のカテゴリ

ー」が定められていて、これに基づき、新聞、出版物の事前検閲が厳

重に実行されていたのでした。建前は言論の自由、実態は、「事前検

閲」という表面に出ない厳重な言論統制によって、日本人の洗脳工作

が行われていたのです。

①SCAP (連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判

②極東国際軍事裁判批判

③GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判

④検閲制度への言及

⑤ アメリカ合衆国への批判

⑥ ロシア(ソ連邦) への批判

⑦英国への批判

⑧朝鮮人への批判

⑨中国への批判

⑩その他連合国への批判

11 連合国一般への批判(国を特定しなくても)

12 満洲における日本人の取り扱いについての批判

13 連合国の戦前の政策に対する批判

14 第三次世界大戦への言及

15 冷戦に関する言及

16 戦争擁護の宣伝

17 神国日本の宣伝

18 軍国主義の宣伝

19 ナショナリズムの宣伝

20 大東亜共栄圏の宣伝

21 その他の宣伝

22 戦争犯罪人の正当化および擁護

23 占領軍兵士と日本女性との交渉

24 闇市の状況

25 占領軍軍隊に対する批判

26 飢餓の誇張

27 暴力と不穏の行動の扇動

28 虚偽の報道

29 GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及

30 解禁されていない報道の公表

(40〜43p)

  

この細かさに驚きます。

GHQは、日本を御し易くするために、これだけの項目を挙げたのだと

思います。

     

昭和二十年十二月八日、日本が対米戦に踏み切った日を選び、GHQは、

自分たちで記述した一万五千語の「太平洋戦争史』を、各新聞社に、

十回にわたり連載するように命じました。開戦前のアジアは、日本と

タイ国以外は、すべて白人の支配下にあったので、日本は植民地解放の

願いも込めて 「大東亜戦争」と命名していたのですが、以後、この戦

争名称の一切の使用を禁じられました。

その翌日の昭和二十年十二月九日からは、NHKラジオの『真相はかうだ』

がスタートしました。元軍人と民主主義者の親友が対談するという形で、

満洲事変から敗戦に至るまでの軍国主義者の犯罪や国民への裏切りを、

白日の下にさらす番組でした。

毎週日曜の午後八時という、当時のゴールデンの時間帯に、毎回三十分、

十回にわたり放送されると、ラジオはNHKしかない時代でしたから、真

相を知ったと思わされた国民から、当初の手紙が殺到、大反響を呼びま

した。ところが、脚本を書いたのはCIEで、戦勝国側の言い分を、一方

的に垂れ流したのです。

この成功に味をしめたCIEは、毎日のように再放送を流させ、翌年二月

からは、『眞相箱』「質問箱」という続編に形を変え、二年にわたりN

HKに放送させました。

(50〜51p)

  

以前にも書きましたが、「大東亜戦争」という名前に抱く

罪悪感。これは日本の戦争を正当化するよくない名前という

イメージを持つのは、GHQの影響を受けている証拠なのでしょう。

メディアが限られている戦後において、『真相はこうだ』を放映することで、

日本のリードしていた人たちを悪者にしてしまう。

これも影響を受けていたと思います。

東條英機がとっても悪人と思っていました。

しかし、調べていくと、そうは思えなくなってきました。

2023年12月15日 (金)

今年はスズメのカレンダーにしました

   

今日は令和5年12月15日。

   

2000年の秋に、オーストラリアで2週間ほど

ホームスティをしました。

勤務していた小学校の子どもたちの引率でした。

その時にお世話になったオーストラリアの方と、

毎年暮れには、クリスマスカードを送り合い、

近況を伝え合ってきました。

カードと一緒にカレンダーを送ってきました。

どんなカレンダーを送るか、毎年悩んできました。

今までは、日本らしい風景の写真のカレンダーが多かったです。

  

今日、本屋に行って、今年送るカレンダーを買いました。

たくさんあるカレンダーの中で選ぶのは、今年も難航しました。

が、決めました。

例年とは違った選択でした。

これです。

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毎月のスズメの写真がとても良かったです。

上記サイトからの転載です。

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スズメが、海外で人気があるというのを、

どこかで聞いたように思えました。

スズメは、日本のいいところなんだと思い、

このカレンダーを楽しんでくれる相手のことが想像できたので、

決めました。

  

帰宅して、不思議なことがありました。

いつものように、YouTubeを見始めたら、

この動画が目に留まりました。


YouTube: 「日本の動物おかしくない!?」日本に生息するスズメ達の圧倒的な可愛さに外国人が絶賛!【海外の反応】

え、なぜこの動画を、ラインナップに挙げてきたのだろう。

私はネットでスズメを検索したわけではなく、

本屋でスズメのカレンダーを選んだのです。

なのに、YouTubeはスズメの動画を、私の前に出してきました。

不思議だ。

なぜ私の行動が伝わったのか?

偶然?

今までも挙げられていたけど、私の関心がなかった?

  

さっそくこの映像を見ました。

動画の3分のところからの聞き書きです。

  

日本のスズメが海外で人気を爆発的に上げたきっかけは、

ある日本人写真家の手によって撮影された、

日本のスズメの写真集でした。

その写真家とは中野さとるさん。

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中野さんは「にっぽんスズメ楽園」、「にっぽんスズメ散歩」などの

著作を持っています。

  

中野さとるさんの写真集が、海外の人に好評だったのです。

予感がしたので、今日買ったカレンダーの写真家の名前を見ました。

やっぱり、中野さとるさんでした。

日本のスズメを海外で有名にした渦中の人でした。

  

繋がったのが面白かったです。

この土日曜日で、カードを完成させて、

月曜日には、郵便局から発送の予定。

でもオーストラリアは遠い。

きっとクリスマスには届きません。

毎年、もっと早く出さなくてはと思いつつ、

実行できていません。

今年もダメでした。

来年こそは。

うずらの雑学 うずらって飛ぶんだ

    

今日は令和5年12月15日。

  

12月13日にうずらのことを書いた続きです。

  

うずら.com. うずらの卵のトリプル百科

このサイトから転載します。

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日本に野生で生息するんですね。

うずらって飛べるのかな。

飛べないという先入観がありますが、調べました。

白鳥と昆虫と花などの自然観察 地面を走り回るウズラは、海を飛んでやって来る渡り鳥だった!

なんと、飛べるのですね。

それも渡り鳥。

越冬のために、日本に来るそうです。

先入観は怖いですね。

  

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これは聞いたことがあります。

同じメスから生まれた卵の柄をチェックする機会があるといいなと

思います。

  

  

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うずらが歴史とつながりました。

どんな鳴き声がするのだろう。


YouTube: うずら達がけたたましく鳴きだして小屋がパニックに!【うずらの鳴き声】

パニック?とは思いました。

ここでうずらの鳴き声が聞けました。

  

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やっぱり、お隣の豊橋市が生産ダントツの一位であることは、

知らせたいですね。

  

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この記事の中の天狗缶詰は、地元の会社です。

天狗缶詰の三河工場、白鳥工場は、豊川市内にあります。

特に白鳥工場は、私にとって身近で、

よく工場を見ていました。

勤務校で先日の給食で、おでんに入っていたうずらの卵も、

きっとこの天狗缶詰のウズラでしょう。

2023年12月14日 (木)

タイヤ交換をした日/2023年難読漢字1〜10

  

今日は令和5年12月14日。

   

日曜日から寒くなるとのこと。

やっと来るぞ、寒波。

今日はスタッドレスタイヤに交換してきました。

溝の減り具合が大丈夫かと心配しましたが、

今回は何も言われませんでした。

もう何年目のスタッドレスタイヤだったかな。

そろそろ交換かなと思っています。

来年の3月か4月に、タイヤ交換した時に、

あとどれくらい持ちますか?と聞いてみよう。

タイヤは高いので、気になります。

  

来年のトイレに設置する日めくりを注文しました。

来年も「難読漢字」です。

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今年に続いて2年目になります。

今年、いい勉強ができました。

ただ、せっかく読み方を知っても、すぐに忘れてしまうのが残念です。

  

今年の日めくり「2023年難読漢字」(会社トライエックス)で、

忘れたくないものを、ピックアップしておきたいです。

   

1「発条仕掛け」

  

  

  

「ぜんまいじかけ」

発条でぜんまい!読めません。

  

2「徐に口を開く」

  

  

  

「おもむろにくちをひらく」       

 

3「形振り構わず」

   

  

  

「なりふりかまわず」

  

4「浅葱色」

  

  

  

「あさぎいろ」

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伝統色のいろは

このサイトから図を転載しました。

引用します。

  

浅葱色は幕末に新撰組のダンダラ模様の羽織の色として使用されたこと

が有名で、伝統色の中でも最も人気の色の一つといえるでしょう。ただ

し、実際は結成より1年ほどで廃止されており、映画やドラマで見るほ

ど浅葱の羽織は着られませんでした。

  

だそうです。

今回で思いましたが、色から入って社会科の勉強をするのもいいな。

  

5「憖腕に覚えがあるだけに」

  

  

  

「なまじうでにおぼえがあるだけに」

「憖」の意味「中途半端。無理に。」

  

6「定跡」

  

  

  

「じょうせき」

日めくりの説明:将棋で、ある局面において最善とされる決まった

指し方。囲碁の場合は「定石(じょうせき)」という。

将棋と囲碁で漢字が違うんだ。 

   

7「錻力のおもちゃ」

  

  

  

「ブリキのおもちゃ」

日めくりの説明:錻力=すずでめっきした薄い鉄板。

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トレファク
   

8「沈菜」

  

  

  

「キムチ」

日めくりの説明:朝鮮半島の漬け物の総称。

総称?つまり朝鮮半島で作られる漬け物は、全てキムチです。

丸岩松本商店 キムチの起源をご存知ですか?

このサイトから引用。

  


「キムチ」の語源については諸説ありますが、「沈菜(チムチェ)」とい

う言葉が音声変化してキムチになったという説が有力視されています。

「沈菜」とは、野菜を塩漬けしておくと水分が発生し、野菜自体が塩水

の中に漬かる様子から生まれた言葉。そのチムチェが朝鮮時代にティム

チェ、ディムチェと変化し、さらに時を経てチムチへ、そして現在のキ

ムチになったと言われています。

  

ここでもう一つ雑学を加えるなら、「かしまし歴史チャンネル」で

きりゅうさんが言っていたもの。

上記のサイトにも記述がありました。

朝鮮半島の漬け物に、唐辛子が入るようになったのは、

朝鮮出兵で豊臣秀吉が、唐辛子を朝鮮半島に持ち込んだからという話。

上記サイトには次のように書いてありました。

  

1592年に朝鮮半島に出征した豊臣秀吉は、武士の足が冷えないように

唐辛子を靴の中に突っ込んで持ち込んだようです。なんと唐辛子をはじ

めて朝鮮半島に持ち込んだのは、豊臣秀吉だったのです。

  

防寒のために唐辛子を使ったのは、このサイトで知りました。

  

9「土竜叩き」

  

  

  

「モグラたたき」

  

10「東雲の空」

  

  

  

「しののめのそら」

日めくりの説明:東雲=明け方。東の空がわずかに白むころ。

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GANREF. 夜の旅人 東雲(しののめ)

本栖湖の東雲だそうです。

2013年8月16日の撮影。  

  

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