2024年1月21日 (日)

死ぬ前に後悔すること5選

   

今日は令和6年1月21日。

  

TikTokからダウンロードした動画です。


YouTube: TikTokからダウンロード 死ぬ前に後悔すること5選

  

  

  

昨晩、NHKで放映していた番組「100カメ 余命と向き合う人」を

見ました。

いろいろな病気で余命があと何ヶ月、何年といわれた人たちの様子を

伝えてくれました。

家族と一緒に過ごす時間を大事にしていました。

結婚3年目で記念のディナーを食べている夫婦。

結婚してから奥さんの病気が発覚。

結婚生活は、病気との生活でした。

旦那さんは、「きっと治る、頑張ろう」と

奥さんに声をかけてきました。

でも、それって、自分に言い聞かせるためのものであって、

根拠のないものでした。

奥さん自身は、もう助からないと思っていて、

旦那さんの声かけはちょっと違うなと思っていたと、

正直に言っていました。

旦那さんは謝り、奥さんはお礼を言っていました。

奥さんは、この晩、調子が悪くて、

ディナーの食事は、ほとんど食べられませんでした。

しかし、レストランが、結婚3年目と知って、

サービスでデザートのケーキを出してくれました。

それは3年前と同じメニューでした。

(結婚式場にあるレストランなのかな?)

奥さんは感動。「今日は来てよかった」と言います。

ディナーの食事を食べられなかった奥さんは、

このケーキは完食しました。

奥さんは、ケーキを食べながら言います。

「また来年も来れるかな。」

旦那さん「来れるよ。頑張ろう」

また頑張ろうと言ってしまう旦那さん。

でもこの言葉しかないんだよね。

奥さん「頑張ろう」

奥さんも、自信なさげでしたが、「頑張ろう」を言いました。

2人がまたここに来れたらいいのになと、

その場面で思いました。  

 

食後、車椅子の奥さんと旦那さんは、

レストランの玄関前のイルミネーションの前で記念撮影。

旦那さんの車で、レストランを後にします。

カメラマンは、レストラン前に残って、

去っていく自動車のバックを映していました。

しばらくしてテロップが入り、

奥さんは、2週間後に息を引き取ったと出ました。

   

2人にとっては、とても大事なディナーになったんだと

思いました。

 

  

最初に示したTikTokの動画。

  

生きていることが奇跡なんです。

なのであなたらしさを全面に出して

思いっきり生きましょう

  

と励ましの言葉をくれます。

そしてこうも言います。

  

後悔:もっと大切な人との時間を過ごせばよかった。

  

そう後悔しないように過ごそうと思いました。

やっぱり家族かな。

一緒に連続ドラマを見たり、大相撲中継を見てますが、

他にも一緒に過ごしたいですね。  

 

 

2024年1月20日 (土)

20231120綿向山登山 展望のいい山頂 でも今回はゆっくりできませんでした

    

今日は令和6年1月20日。  

   

昨年の話。

昨年11月20日に、奥さんと、鈴鹿山脈の滋賀県側にある

綿向山(わたむきやま)を登ってきました。

この地図が参考になりました。

綿向山ガイドマップ

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駐車場から表参道コースを上がり、もし体力的時間的に余裕があったら、

竜王山経由で下りてこようと決めて出発しました。

  

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駐車場にあった看板です。

この看板を出している「綿向山を愛する会」が、

綿向山の保全のために頑張っているようです。

本宮山にも、本宮山の保全のためにボランティアで活動している

方たちがいます。

おかげさまで、私たちは、安全に山登りができます。

  

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この標識が「十合目」になったらゴール(頂上)です。

  

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マムシグサ。

  

  

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なんで黄色の葉っぱが幹に貼り付いているのかなと思って、

近づいたら、わかりました。

木の皮のささくれに引っ掛かっていたのです。

  

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綿向山を愛する会の皆さんが造ってくれた小屋です。

この小屋は、後でとっても助かりました。

  

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七合目には行者コバと呼ばれる場所があります。

祠が祀られています。

コバの意味は?

Wedlio辞書 

このサイトで見ると、いろいろ意味があります。

「木端」と書いて、材木の切れ端の意味。

「木場」と書いて、切り出した木材を、一時集めておく山間の平地。

他には、靴底の外縁。

古代中国の胡の国に産した馬。

実際の場所の様子からして、山間の平地が適当だと思いました。

  

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頂上です。

2時間20分ほどかかりました。

最後のまっすぐな階段はきつかったですね。

  

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右奥に御在所岳。中央に雨乞岳。

いつか、いや今年中に登りたいと思っている雨乞岳です。

  

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頂上でお湯を沸かして、昼食を食べようとしましたが・・・・

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雲行きが急に悪くなり、雨が降り出しました。

急きょ、登ってきた表参道コースを下りました。

  

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五合目の小屋まで下りて、雨をしのぎ、

昼食となりました。小屋があってよかったです。

  

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雨は止み、天気は良くなりました。

山の天気は急変するので怖いです。

  

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駐車場に戻ってきました。

サザンカが咲き始めていました。

  

いろいろなコースで登ることができる綿向山。

頂上も展望があって、いい山でした。

また他のコースで登ってみたいですね。

  

※最新情報によると、4月から、登山道の工事のために、

3年ほど多くの登山道が閉鎖されるようです。

竜王山経由のコースのみだそうです。

勉強「雨夜の品定め」「庚申待」「藤原斉信」

    

今日は令和6年1月20日。

  

大河ドラマ「光の君へ」に並行して、

YouTube動画「かしまし歴史チャンネル」を見ると、

すごく勉強になります。

このブログに書き留めておきたいネタが、

たくさん登場します。でも全部は無理です。

  

とっておきのネタを書き留めておきたいです。

この動画の内容です。


YouTube: 視聴者様のコメントに返事をする 追って沙汰する!-Vol.25‐

9分38秒付近からの話です。

源氏物語の「夕顔」の中で、

「雨夜の品定め」という場面があるそうです。

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「雨夜の品定め」の説明で「庚申待(こうしんまち)」が出てきます。

「庚申待」とは?

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「庚申待」は、昔、ブログで扱いました。

意味はこの記事で書いています。

ここでも道草 青面金剛でよかった/三尸虫の面白い話(2011年12月31日投稿)

この記事から引用します。

「庚申待」=

人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、

寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、

庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会

などをする風習である。

    

庚申待で、寝ることができない貴族たちが、

女性の品評をするのが雨夜の品定めです。

どうも2日後の「光の君へ」第3回の予告映像を見ると、

この雨夜の品定めのシーンがあるようなのです。


YouTube: 第3回 「謎の男」| 大河ドラマ「光る君へ」予告 | NHK

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右に座るのが柄本佑さんが演じる藤原道長。

左は“はんにゃ“の金田哲さんが演じる藤原斉信(ただのぶ)。

  

ここで藤原斉信について調べました。

戦国BANASHI 藤原斉信とは?スーパーエリートなのに遅刻魔?人物像を紹介!

このサイトで記事を読むのも勉強になりますが、

YouTube動画もあります。


YouTube: 『藤原斉信とは?』道長の右腕・スーパーエリートなのに遅刻魔!?ご本人に解説!【はんにゃ金田SHOWコラボ】


「戦国BANASHI」もチャンネル登録している動画です。

  

大河ドラマで、平安時代が1年間、勉強になります。 

2024年1月19日 (金)

8140人の中に入りたい/黒部宇奈月キャニオンルート

  

今日は令和6年1月19日。

  

ここでも道草 映画「黒部の太陽」を見たことで始まった黒三ダムの勉強(2024年1月14日投稿)

この記事の続き。

  

今年から一般開放されることになった

黒部宇奈月キャニオンルート。

6月30日〜11月29日が開放期間。

ただ訪れる人数には制限があります。

最大人数は、ガイドも含めて8140人。

どうやったらその人数に入ることができるのか。

それは次のホームページで紹介されると聞きました。

黒部宇奈月キャニオンルートHP

当初の予定では、1月29日に販売が始まると伝えられていました。

でも今日、ホームページを見たら、販売延期を伝えるお知らせが

表示されていました。

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どうなるかな。

  

とりあえず注目は、明日の「ブラタモリ」

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NHK HP

  

一歩お先にキャニオンルートを見ることができます。

20240114本宮山登山④ 登山道と新東名がクロスする場所

   

今日は令和6年1月19日。

  

本宮山登山のお話もラスト。

  

天狗岩で眺望を楽しんだ後、また下り始めました。

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登山道から、下の方に不動尊があるのがわかりました。

赤い幟が目立ちました。

  

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今度は、不動尊を下から見ました。

この砂防ダムの左手から、不動尊に上る道がありましたが、

今回は行きませんでした。

  

注目の場所が近づいてきました。

登山道が、新東名とクロスする場所です。

地図では、ループしています。

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このループがどんな感じなのか楽しみでした。

そして見ました。

これが実際のループです。

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地図通りのループでした。

もっと新しい道かなと思っていましたが、

もう年季が入った道になっていました。

新東名を設計した人は、登山道の高さを誤ったので、

ループを造ったのかな。

そんなことはないよね。

新東名はこの高さにするしかなく、

登山道をループにしたのでしょう。

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施工年月が「2011年3月」とあります。

このトンネルは2011年に造られたのかな。

思ったよりも昔です。

  

過去が知りたいと思い、ネットで探しました。

2013年の写真がありました。

FC2HP 本宮山から写真転載。

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新東名は工事中で、ループは舗装されていません。

きっとこの時、トンネルはできていたのでしょう。

この新東名が開通したのが2016年2月でした。

もう8年かあ。

つい最近のことのように思えるのになあ。

  

下山したのは午後3時20分。

ほぼ7時間、歩きました。

心地よく疲れました。  

  

  

20240114本宮山登山③ 16年ぶりのコースで下山

   

今日は令和6年1月19日。

  

前記事に引き続き、本宮山登山の話。

  

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今日はいい天気だから、きっと富士山も見ることができる、

そう思って富士山遥拝所へ。

やっぱり見えました。

冬のこの時期が、空気も澄んでいるし、

富士山も雪化粧をしているので、

富士山を見るのには、最適な時期です。

とは言っても、見られないこともあるので、幸運です。

  

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今回、下山で選んだコースは陽向滝不動尊コースです。

「陽向滝」は何と読むのか?

本宮山の滝

ここに読み方が載っていました。

「ようこうたき」と読むようです。

  

このコースは、以前、下ったことがあります。

このコースを下りて行って、

登山口近くに大きな田んぼがあって、

キリ(桐)の木がある、そんな記憶がありました。

それは何年前のことか?

ブログを書き始める前か、後か?

調べてみました。

判明しました。

2008年春のことでした。

16年前。ブログを書き始めた翌年でした。

ここでも道草 「大きな葉っぱで、薄紫色の花が咲く木」は「桐」(2008年5月24日投稿)

この時に、キリ(桐)を知ったのです。

これが花札でお馴染みだったキリ(桐)なんだと。

もうあれから16年かあ。

今回、田んぼは確認しました。

キリはわからなかったです。

   

  

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脇道に入って、天狗岩に行きました。

16年前は行かなかった場所です。

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ここは展望のいい場所でした。

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新城市方面が見渡せました。

この天狗岩付近で、不思議なことがありました。

天狗岩に到着した時からずっと縦笛の音が聞こえたのです。

縦笛を吹きながら登山をする奇特な人もいるのかな、

今にこの天狗岩にやってくるかなと思いましたが、

縦笛の音は近づいてきません。

ずっと同じ音量で聞こえてきます。

いろいろな曲を吹いていました。

聞いたことがある曲もありました。

音のする方を見ましたが、木立のために人間らしき姿を

見ることができませんでした。

山に来て、遠慮なく笛の練習をしているのかな。

でも、ここまで登ってくるのは大変だぞ。

もっと低いところでもいいのでは。

もしかして、この音が聞こえているのは自分だけ?

同行者に聞いたら、聞こえているよと教えてくれました。

自分はすごく気になったのに、同行者の方たちは、

それほど関心がないようだったので、

思わず聞いてしまいました。

いろいろ付近を歩きましたが、その音を出している人を

見ることはできませんでした。

天狗岩から離れたら、その音は聞こえなくなりました。

不思議な出来事でした。

  

帰宅して検索してみました。

「本宮山 笛の音」「本宮山 笛の音 天狗岩」

同じような体験を見かけませんでした。

続く   

  




   

  

20240114本宮山登山② 初めて馬の背平に立つ

   

今日は令和6年1月19日。

  

1月14日の記事の続きです。

1月14日に今年2回目の本宮山に登ってきました。

その報告。

  

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今日のコースで2ヶ所、こんな可愛い標識がぶら下がっていました。

  

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本宮山に何度か登ってきましたが、

今回のコースは初めてであるし、

この「馬の背平」という場所も初めてです。

  

ここを少し登った場所から、遠くの雪山が眺められました。

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望遠レンズがあれば、雪山のアップが撮れたであろうに。

今現在の自分のカメラはスマホのみ。

この写真を部分的にアップします。

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何という山なのでしょう。

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こちらの山もしっかり雪が載っています。

けっこう高い山かな。

 

でも今日はきっと富士山が見えるぞと思わせてくれた好天気でした。

  

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この冬、初めて見た雪です。

登山日前日に降ったと思います。

  

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岩戸神社。

かつて、ここに向かって上がってくるコースで登ったことがあるな。  

  

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頂上下の広場。今日の目的地です。

3時間半かかりました。

今回のコースは、表参道に比べて、

なだらかだけど、長いコースでした。

快適に歩けました。

  

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風もなく、日向ぼっこをしながらの昼食でした。

贅沢な時間でした。

  

この広場から、奥宮に行くのには、

普通、回り込んでいくのですが、

今回は谷を降りて、上がるコースでした。

これも初体験。

そんなコースはあるんだろうなとは思っていましたが、

ありました。

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谷底には、こんな貯水槽がありました。

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そしてここに出てきます。

なるほど、なるほど。

本宮山のまた新しいことを知りました。

  

続く

2024年1月18日 (木)

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」⑤ コーダが主人公のドラマ・映画

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

〈それでは、あくまで、聴者はもちろん中途失聴・難聴者はろう者の

ことは理解できない、とおっしゃるんですね>

石黒はなおも食い下がっていた。

〈そうですね。ただ、一つだけ、例外的な存在がいます。「コーダ」

の場合です>

その言葉に、荒井はハッとして壇上の素子を見つめた。

〈コーダ、つまり「両親ともにろう者である聴こえる子」の場合、音

声日本語より前に、日本手話を自然に習得します。ろう文化も同様に

自分のものとします。たとえ音声日本語を話す「聴者」であっても、

本質的に彼らは「ろう者」であると言えます>

Children of Deaf Adults (ろう者の親の子ども)の略である

「Coda コーダ」 という呼称は、十四、五年前に米国から入ってきた

言葉だった。

それまで、「ろう者を親に持つ聴こえる子」のことを指す言葉はなか

った。言葉がないということは、存在しないも同じだ。ろう者の親か

ら生まれる子の多くは「聴こえる子」であるから、そういう存在は珍

しくないはずだった。 しかし荒井自身、自分以外のそういう子と接し

た経験がなかった。

(128p)

  

ここで出てきた「Coda」(ろう者の親の間に生まれた聴こえる子)

実はこのCodaが主人公の映画を、12月末と1月初めに2本見ました。

フランス映画「エール!」(2014年フランス)と

アメリカ映画「コーダ あいのうた」(2021年アメリカ)です。

「エール!」のリメイク版が「コーダ あいのうた」です。

それを比較した動画がありました。

これはありがたい。


YouTube: フランス映画『エール!』とリメイク映画『コーダ あいのうた』を比べてみた

概ね賛成意見です。

ただ。両方に出てくる音楽の先生に触れられていません。

両方とも個性的な俳優さんでした。

主人公の女子高生を羽ばたかせる重要な役。

クライマックスの歌の試験で、

慌ててやってきて楽譜を持ってきていない主人公。

伴奏者が楽譜がなくてはピアノを弾くことができないと言い、

試験官は、主人公にアカペラで歌うことを告げます。

そこに駆けつけてくれたのが、音楽の先生。

弾いてくれるんですね。

主人公のために。

緊張している主人公を落ち着かせるために、

最初はわざと引き間違えます。

主人公に合図して、「もう一度最初から弾きます」と言って

弾き始めます。

  

「エール!」をベースに、より感動的にしたのが

「コーダ あいのうた」だと思います。

  

   

おさらいです。

  

12月にドラマ「デフ・ヴォイス」の前編再放送の一部を見る。

ドラマの評判がいい。

原作を読みたいと図書館に予約。

「デフ・ヴォイス」の主人公のようなCodaが主人公の映画が

あると知る。

映画「Coda あいのうた」を観る

映画「Coda あいのうた」は映画「エール!」のリメイクだと知る。

映画「エール!」を観る。

図書館で本「デフ・ヴォイス」を借りて読む。

2月にNHKのドラマ「デフ・ヴォイス」(前後編)を観る予定。

本「日本手話とろう文化」(木村晴美著/生活書院)を読む予定。

  

勉強の面白い流れができてきました。

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」④ ろう者は二つの言語を持ちもち二つの文化を知る存在

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

う〜ん、長いけど引用します。

とにかく今まで知らない世界、

勝手にこうだろうと思っていた世界のことが

書かれた本です。

そんな役割をこの本で感じます。

では引用。

  

「Dコム」と素子がなぜ、ろう者を語る上で欠かせない存在になった

のか。

その理由は、数年前に素子が日本手話研究会理事長の宇津木と共同で

思想誌に掲載した、

「デフ文化宣言」

なる一文にあった。 そこで素子は、

「日本手話は『Deaf (デフ) = ろう者』の母語であり、ろう者とは、

日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」

と宣言するとともに、「Dコム」を結成し、「Deaf (デフ) =ろう者」

と「日本手話」の存在を世間に知らしめるべく運動を始めた。

ここで、ろう者を表す英語のスペルの頭文字が、小文字ではなく大文

字の "D" であることには意味がある。

素子たちが模範とするのは、一九七〇年代にアメリカのろう者たちが

起こした「デフ・コミュニティを言語的少数者、文化的集団と捉える

運動」だった。彼らは、自分たちの集団を「耳が聴こえない」ことに

よってではなく、言語(手話) と文化を共有することによって成り立つ

社会とした。その際、英語で耳の聴こえない人のことを表現するdeaf

という単語の頭文字を大文字にし、Deafという言葉を、新たに彼らの

コミュニティのメンバーを指すものとした。

素子たちもそれに倣い、自分たちはdeaf (単に耳が聴こえない者)では

なく、 Deaf(ろう者)なのだと主張するに至った。

その主張の中心は、それまで「障害者」という病理的視点からのみし

か語られていなかったろう者を、「独自の言語と文化を持つ集団」と

してとらえ直したところにある。

つまり、ろう者にとっての言葉とはあくまで「日本手話」のことであ

り、「日本語」は「第二言語」に過ぎない。 文化もまたしかり。 従

って、日本手話と同時に日本語も解し、日本文化も受容するろう者は、

二つの言語を持ち二つの文化を知る「バイリンガル・バイカルチュラ

ル」な存在として定義される。

それらの主張には、これまで障害者として健常者より劣った存在とさ

れてきたろう者に、誇りと自信を取り戻させる、いわば「民族独立宣

言」としての意義があった。

だがその急進的な主張は、聴者・ろう者の両方から、激しい異議と批

判を巻き起こすことにもなった。

真っ先に異議を唱えたのは、同じ聴覚障害者仲間であったはずの中途

失聴・難聴者たちだった。Dコムの主張によれば、ろう者の言語は日

本手話のみであり、日本語と同じ文法を持つ日本語対応手話や、手話

に日本語の発声を交えて行うこと――それは「シムコム」と呼ばれた

は排除される。日本語対応手話は言語的には手話ではないので「手指

(しゅし)日本語」と表記するのが正しい、という向きさえあった。

すなわち、それらの言語を用いる中途失聴・難聴者は「ろう者ではな

い」と定義されることになってしまうのだ。 彼らが怒るのは当然だっ

た。また、他の障害者運動に関わる者たちから、「自分たちは障害者

ではない」と主張することは障害者を差別することにつながる、とい

う批判がなされた。

さらに、長年ろう教育に携わってきた人たちからは、Dコムが掲げる

「日本手話至上主義」に対し、強い懸念が表明された。一つには、ろ

う児の親の多くは聴者であり日本手話が話せない人たちであることを

踏まえ、親子関係、家族間を断絶させるものにならないか、という危

惧。第二には、聴覚口話法やトータルコミュニケーションの可能性を

否定することで、ろう児が「日本語習得」の機会を逸してしまうこと

にならないか、という憂慮だった。さらに、先天性の失聴者の中でも

最近は日本語対応手話を使うことに違和感がない、むしろそちらの方

がコミュニケーションをとりやすいと感じている者もいる、という意

見もあった。

それらの異議・批判に、素子たちはことあるたびに応えてきてはいた

が、噛み合わないまま議論は平行線をたどっていた。そこで、ろう者

の問題に関わる者たちが一堂に会し、「ろう者とは何か」をはっきり

させようではないか、と催されたのが今日の集まりだったのだ。

(122〜125p)

  

これは小説の中での架空の話ではないと考え、調べてみました。

Wikipedia ろう文化

ここが参考になります。

小説では「D文化宣言」とありましたが、

Wikipediaの記述では「ろう文化宣言」のようです。

そしてこの宣言を出した一人が木村晴美さんです。

もしかしたら、この人が素子のモデルでしょうか。

  

木村晴美さんは著作があります。

その中で、この本が、上記の引用文の内容に近いと考えます。

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amazon

「日本手話とろう文化」(木村晴美著/生活書院)

この本、幸いにも地元図書館にあったので、

先ほど予約しました。

  

ろう者はこんなに考えて、世の中に働きかけていることを

知りたいと思いました。

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」③ 家族の中で唯一のろう者の苦しみ

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

そんな彼らを見ていて、再びあの感情が蘇る。

兄たち家族とて、この手のレストランに来るのが初めてということは

ないだろう。その際にも、今のように意思の疎通に不自由を感じる場

面はあっただろうが、自分たちだけで何とか切り抜けたはずだ。

だが、自分がいると「聴こえるろう者」である荒井がいると、何のた

めらいもなく彼らは自分に頼る。通訳をさせ、交渉事を任す。

親とて、そうだった。

荒井は、幼いころから嫌というほど 「家族と世間」との間の「通訳」

をしてきたのだった。 買い物や遊びに行った先で。 学校の親子面談

では教師と親の間に入って。 銀行や役所に連れて行かれたこともた

びたびあった。

だが、一番つらかったのは、と思い出す。

母と一緒に病院へ、父の検査の結果を聞きに行った時だった。最初は

筆談でそれを母に伝えようとしていた医師だったが、走り書きの悪筆

を母がなかなか読めず、 結局荒井が医師の言葉を母に伝えることにな

ったのだ。

荒井ははっきりと覚えている。 医師が困ったように、だが、仕方がな

い、という顔で口にしたその言葉を。

お父さんは、末期の肺ガンです。 もって半年。おそらく今年いっぱい

もたないと思います。

荒井は、それを母に伝えた。母は、信じられないという顔で、医師に

もう一度確かめるようにと言った。そしてそれが本当のことだと悟ると、

顔を覆ってその場で泣きだした。

荒井は泣けなかった。

しっかりしなければ。自分がしっかりしなければ、とそれだけを思っ

ていた。彼はまだその時、十一歳。今の司とほとんど同じ年だったの

だ。

(97〜98p)

  

まだ小学生なのに、家族のために「家族と世間」の通訳をしなくては

ならない立場。

そして父親の末期ガンを伝えなくてはならなかった体験。

今まで知らなかった立場の人です。

  

その時、 「ママ、 あっち、あっち」とはしゃいだ声とともに、荒井た

ちのテーブルの脇を三、四歳の子どもが駆け抜けて行った。

そんなに走ったら危ないぞ、と思わず目で追う。

案の定、子どもが転倒した。今までの元気はどこへやら、火がついた

ように泣きだす。すぐに母親らしき女性が駆け寄って抱き起こしたが、

子どもはなかなか泣きやまない。そんな子どもを、母親は懸命にあや

している。

その光景をぼんやりと眺めていた荒井の脳裏に、幼いころの記憶が蘇

った。

今の子どもと同じぐらいの年齢ではなかったか。道を走っていて、思

い切り転倒したことがあった。前を歩く母親に駆け寄ろうとしていた

のかもしれない。とにかく母親がすぐ前を歩いていたことは確かだ。

荒井は、泣いて、母親を呼んだ。だが母親は、振り向きも、立ち止ま

りもしなかった。荒井はさらに大声で泣き喚いた。それでも母親は気

づかず、歩いて行くだけだった。

ああ、お母さんは聴こえないんだ。

遠ざかっていく後ろ姿を見ながら、 荒井はそのことを思い知った。

同時に、学びもした。転んで泣いても、誰も助けてはくれないのだと。

それから彼は、転んでも泣かない子になった。

泣いて助けを求めても、その声は誰にも届かない。ただ我慢するしか

ないのだ。そして、立ち上がり、自分で歩きだすしかないのだ。

(102〜103p)

  

これも想像できない、想像したことがない状況だと思います。

大声で泣いても無駄であることを知った子どもは、

「自分で歩き出すしかない」と思うだろうな。

  

片貝のピッチは、さらに上がっていった。それにつれ、彼の手話も

饒舌になっていく。

荒井は、もっぱら聞き役に徹することにした。

〈私は〉〈三歳の時にかかったはしかが原因で〉 〈聴こえなくなっ

たんです〉

酔うにつれ、片貝は自分のことを語り始めた。

〈両親は〉〈私に〉〈あらゆる治療を試した〉 〈でも〉 〈治らな

いと悟ると〉〈今度は〉〈何とか近づけようとした〉 〈「聴こえ

る子」に〉

グラスに残ったビールを一気にあおり、再び手を動かす。

〈補聴器〉〈人工内耳〉 〈聴覚口話法〉 〈インテグレーション〉

次々と単語が出てくる。

<ご存知ですよね?〉

荒井は肯いた。人工内耳とは、内耳に電極などを埋め込み、直接

聴覚神経を刺激することで聴こえを補助するもので、中途失聴者、

特に子どものうちに手術をすればかなりの効果があると言われて

いる。

インテグレーションとは「統合教育」の意味で、ろう児がろう学

校に通わないで、地域の普通学校で学ぶことをいう。三十年ほど

前から盛んになった教育法で、片貝などはインテグレーションを

受けた最初の世代になるのかもしれない。

〈ろう学校で〉〈私の聴覚口話法の成績は〉〈トップクラスでし

た〉 〈でも〉〈普通学校にインテグレートした後は〉〈想像が

つくでしょう?〉

荒井が肯くのを見て、片貝は続ける。

〈いくら〉〈ろう者社会の中では〉 〈「話すのが上手」でも〉

〈聴者社会にあっては> <「変なしゃべり方をする子」でしかな

い〉〈特に子どもは正直だから〉

片貝はそこで寂しげな笑みを浮かべた。

〈それからです〉〈本気で〉〈死に物狂いで〉 〈勉強を始めたの

は〉〈負けたくなかった〉 〈聴者の子どもたちに〉〈日常の会話

では〉〈敵わなくても〉 〈机上の勉強では〉〈彼らに追いつき〉

〈追い抜くことができる〉〈いや〉〈絶対に追い抜いてみせる〉

少し目をすがめるようにしてから、再び続ける。

〈テストで一番をとった時〉〈両親はもちろん喜んでくれました〉

〈でも〉〈私には分かった〉 〈両親にとって一番嬉しいのは〉

〈私が成績優秀になることではなく〉〈「普通の子」になること〉

〈「聴こえる子」になってくれることだった〉

〈両親がありのままの私を受け入れてくれることは〉〈ついにあ

りませんでした〉 〈両親が手話を覚えることも〉〈なかった〉

〈私たちは〉〈結局一度も〉〈まともに会話したことさえなかっ

たんです〉〈私は常に〉〈「損なわれた子」だったんです〉

間断なく動いていた片貝の手が、ふいに止まった。

(107〜108p)

  

ドラマでこの片貝役の人の演技に注目したいです。

この場面、家族の中で唯一ろう者の立場の苦しみが、

酔った勢いで感情的に表現されることでしょう。

どんな手話なのか、どんな表情なのか。

  

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楽餓鬼

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