7年ぶり「洗濯場踏切」が解決しました
今日は令和5年12月16日。
今日は嬉しいコメントが届きました。
7年前の記事に対してのコメントです。
ここでも道草 洗濯場踏切・枯れススキはどうなる?(2016年8月8日投稿)
豊川市を走る飯田線には「洗濯場踏切」という名前の
踏切があります。
その頃、自転車通勤をしていて、いろいろな道を走っては、
通勤していました。
その時に見つけた「洗濯場踏切」というユニークな名前の踏切。
なぜこんな名前がついたのだろうと疑問に思ったことを記事にしました。
その後、踏切が校区にある小学校の先生に聞いたり、
踏切の近くに住む中学生に「家の人に聞いてみてよ」と
頼んだりしましたが、わからずに今に至っていました。
今日、届いたコメントをコピーします。
さくもとさんのコメントです。
以前、近所に住んでいました。
洗濯場踏切の崖側の所に草が沢山生えていて線路側のところに細い歩
道があります。それを下って行くと四角く区切られた場所があるので
すが、昔の人はここで洗濯をしていたんです。
ここは洗濯場の遺構になります。
すぐ近くにある牛久保のナギのある古い神社は昔、池があったのです。
行ってみると分かりますが、橋があって、水があった事が分かります。
この神社と洗濯場は同じ水だったと思います。
それから暫くして、下水道工事が始まり、この地区からは貯水槽やボ
ットン便所が消えましたが、その代償に今まであった水(湧水かと思
います)が出なくなってしまい枯れてしまったそうです。
その流れで池も洗濯場もダメになってしまったと聞きました。
(後略)
このコメントを読んで、7年ぶりにこの踏切に行きたいと思いました。
もちろん遺構を見たいと思いました。
実行しました。
この線路沿いの道を下りていきます。
道は下りながら、左に曲がっていきます。
そしてそこにありました。
わかりますか?
線を入れてみましょう。
別角度から見てみます。
中央部分が洗濯場だったのだと思います。
右手が、踏切から下りてくる道です。
雨降りだったせいか、洗濯場の下にある土管からは、
水が流れ出ていました。
向こう側にあるのが線路から下りてくる道です。
さくもとさんが使った「洗濯場の遺構」という言葉が気に入りました。
まさに「遺構」です。
ここで洗濯をしていた人が思い浮かびました。
発見して嬉しかったです。
7年ぶりの課題が解決しました。
ブログの良さを、また体験することができました。
さくもとさんに感謝です。
この機会に、「洗濯場踏切」をネットで検索してみたら、
面白いことがいろいろありました。
本が出ていました。
「ゆかいな珍名踏切」(今尾恵介著/朝日新書)
この本の表紙に「洗濯場踏切」がありました。
どんなふうに書かれているのかな?
この記事で、笑顔で写っている方。
社会科教員の先輩です。
先輩も洗濯場踏切を調べたり、そのほか地区のことを調べて、
本を作っていました。
びっくりです。久々に連絡をしちゃおうかなと思いました。
洗濯場踏切をネタに、久々に飲み会をしたいです。
今日の現場観察で、植物も気になりました。
洗濯場の遺構の中でたくさん繁茂していたこの植物。
なんという植物だろう?
さっそくアプリ「バイオーム」で質問をしました。
今晩は遅いので、答えは明日、どなたから届くかな。
お久しぶりです。今朝は少し時間が合ってコメントします。
それにしても縁というかネットワークというか解れるように繋がるものですね。
飯田線の開業は、1897(明治30)年です。洗濯場踏切はこの時できたのでしょうかね。当時の人々の日常生活が想像できます。鉄路が洗濯場に通じる道を塞ぐということで、「踏切を設置せよ」と住民の声があがったのでしょうね。
今、鉄道会社は踏切を閉じることは積極的ですが、新設することは無いと言えます。
投稿: まこちゃん | 2023年12月17日 (日) 08:12
「(洗濯場に行きたいから)踏切を設置せよ」という
声があったかも知れませんね。
だから、踏切名もこの名になったかもしれません。
この踏切は、今の勤務校の校区なので、
3学期に子どもたちと行きたいと考えています。
投稿: いっぱい道草 | 2023年12月17日 (日) 13:05