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2023年12月

2023年12月18日 (月)

「おでんおんせんにいく」から始まって干支の話まで

    

今日は令和5年12月18日。

   

おでんに関する絵本を2冊、図書館で借りてきました。

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「おでんおんせんにいく」(中川ひろたか作/長谷川義史絵/

佼成出版社/2004年)

  

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「おでんしゃ」(橋本やすし作/集英社/2013年)

  

今回、本の発行年も記しました。

なぜか?

実は、両方の本に「おでんしゃ」が出てくるからです。

塚本さんの本はタイトルからして「おでんしゃ」ですが、

中川さんの本にも「おでんしゃ」が出てきます。

どっちが先なのだろう?と疑問に思って調べました。

中川さんが先でした。

  

  

今日はこの絵本を使っての社会科の授業を考えています。

おでんについては、先日、大根の授業をしたので、

第2弾です。

まずは読み聞かせ。

「おでんおんせんにいく」ですね。

  

絵本には、いろいろなおでんの具が出てきます。

「おでんおんせんにいく」の表紙には、

おでんの親子が載っています。

お父さんがさつまあげ。

お母さんがたまご。

子どもがばくだん。

まずはここで社会科の勉強ができそうです。

  

「さつまあげ」

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楽天

「さつまあげ」は、地元愛知では「さつまあげ」とは言いません。

「はんぺん」ですね。

愛知県から北陸にかけて「はんぺん」と言うそうです。

「さつまあげ」は油で揚げます。

魚のすり身をゆでるものも、

愛知県では「はんぺん」と言いますね。

 

さつまあげの主な材料は何か?と問いたいですね。

魚か?肉か?の選択でもいいかも。

正解は魚のすり身です。

    

すり身といってもわからないだろうから、

ここで動画を使いたいです。

さつまあげの作り方動画の多くが、

いきなり市販のすり身が出て来るものが多し。

できたら、魚からすり身を作るシーンも見せたい。

探しました。ありました。


YouTube: ふっくら!プロの本格さつま揚げの作り方【下処理~揚げ方】

   

江戸時代の終わりに、薩摩藩で作られて、

それが広まったので「さつまあげ」という名前がつきました。

薩摩藩は、現在の何県か聞きたいです。

鹿児島県です。

地図で確認します。

  

「さつまあげ」は薩摩藩が創作したものかというと違います。

薩摩藩は、琉球の「チキアギ(チキアーギ)」が伝わってきて、

それで「さつまあげ」が作られたそうです。

薩摩藩では「さつまあげ」とは言わずに、

「つきあげ」と言うそうです。

「チキアゲ」が転化して「つきあげ」となったと予想できます。

さらにルーツがあります。

油で揚げるというのは、中国から伝わった料理方法です。

魚を生のままにせず、揚げることで、保存ができるので、

「さつまあげ」は喜ばれたと思います。

※参考:まごころケア食 魚肉練り製品 さつまあげの発祥は薩摩藩じゃなかった?

ここまで地図を片手に勉強できます。

  

  

  

「ばくだん」

この名前はインパクトが強いです。

ゆで卵とはんぺん(さつまあげ)の合体食品。

お父さんのさつまあげ、お母さんの卵、

その子どもがばくだんというのは、納得です。

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東京おでんだね バクダン(龍眼)という名のおでん種

面白い地図があります。

紀文 玉子巻・竜眼・バクダン(ゆで玉子をさつま揚で包んだもの)の喫食率・地域分布図

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この地図を見て、地元愛知県ではよく食べられていること、

その他、どんな県がよく食べられているかを確認したい。

社会の勉強ですから。

愛知県、多いんですね。

美味しいネタなので、文句ないです。

  

長崎県では「竜眼」と言います。

長崎県の場所を確認します。

竜の絵が欲しいですね。

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龍神伝説 龍の天井画を楽しめる 京都のお寺6選

これは京都の建仁寺の天井画です。

   

ここで脱線。

来年は辰年。竜の年です。

年末でもあるので、ここで干支を確認しておきたい。

今年は何年?

卯年。うさぎでした。

干支を並べます。

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パナソニックキッズスクール

そしてこのお話を見せたいです。


YouTube: 【ほのぼの】まんが日本昔ばなし「十二支の由来」(高画質)

  

  

今日はこんな流れで社会科の授業をしたいです。

2023年12月17日 (日)

本「きみはスゴイぜ!」② ブロンテ姉妹

 

今日は令和5年12月17日。

  

前記事に引き続き、

「きみはスゴイぜ!」(マシュー・サイド著/竹中てる実訳/

飛鳥新社)

より引用します。

  

著者はイギリス人。

懐かしい人たちのことが紹介されました。

   

ブロンテ姉妹

世間の見かた

三姉妹のそれぞれがすぐれた文学作品を残したのだから、きっと何か特

別な遺伝子を共有していたにちがいない。

事実

三姉妹が育った 19 世紀イギリスのヨークシャー農村部では、テクノロ

ジーらしき物は何もなかった。 インターネットもテレビもない暮らしの

なか、シャーロット、エミリー、アンは、自作の短編小説をたがいに読

み聞かせるのを娯楽にしていた。

3人は架空の人物がたくさん登場する空想の世界を創りあげ、いっしょに

書いた台本を演じ合った。そして必ず、作品にたいする正直な感想を言

い合った。 姉妹は強いきずなで結ばれていたので、おたがいの力作を前

向きに批評し合えたんだ。このことは、作品の向上に大いに役立った。

そのうちに姉妹は、マッチ箱くらいの大きさの手帳に物語を書きためて

いった。 大人にのぞかれたり、 台なしにされないために。

3人が書きあげた小説の数は数百におよぶ。 ひたすら書くことで姉妹の

想像力はいっそう高まり、文章力や創作技術も磨きあげられていったん

だ。

姉妹が大人になってからのある日、長女のシャーロットはエミリーが書

いた詩を見つけた。 感心したシャーロットは、 3人で協力して詩集をつ

くろうと妹たちにもちかけた。 仲がよかった姉妹は、このときもまた

有意義な批評をし合い、助け合うことができた。その詩集はついに出版

され、 三姉妹が作品を書き続けるうえでとても励みになった。

そしてとうとう姉妹は、のちに大きな意味を持つことになる文学作品を

書いた。 それは 『ジェーン・エア』 (シャーロット)と「嵐が丘』 (エ

ミリー) で、どちらも今日にいたるまで広く読まれ、愛されている最高

傑作だ。

3人は歴史に名を残した。 だけど姉妹の作品は、たまたまできたものじ

ゃない。名作を生みだすまでの長い年月、 ブロンテ姉妹は協力しながら

小説を書く練習を重ねていたんだ。

(130〜131p)

  

「ジェーン・エア」も「嵐が丘」も読みました。

特に「嵐が丘」ですね。

すっかり筋は忘れていますが、面白かった、

大作だったというイメージが残っています。

本の表紙も覚えています。

私が読んだ頃の表紙の写真はネットにないか調べました。

  

ありました。

ネットは素晴らしいですね。

こんなこともできてしまう。

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日本の古本屋

旺文社文庫でした。

懐かしいな、この表紙。

  

「きみはスゴイぜ!」を読んで、

久々、ブロンテ姉妹を思い出させてくれました。


 

本「きみはスゴイぜ!」① J・K・ローリング、伊藤美誠さんの失敗

   

今日は令和5年12月17日。

  

この本を読みました。

  

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「きみはスゴイぜ!」(マシュー・サイド著/竹中てる実訳/

飛鳥新社)

  

この華々しい人生のいったいどこに失敗が?

じつは、ローリングは「ハリー・ポッター」第1巻をコーヒー・ショ

ップで書いた。すぐ横のベビーカーにはまだ赤ん坊の娘がねむってい

た。彼女はそのころ失業していて一文無し。のちに手にする資産や

名声のかけらさえなかったんだ。さらに驚くべきことに、完成した

原稿は12もの出版社から断られた。 あの『ハリー・ポッター』をは

ねつけたなんて!

でも、ローリングはあきらめなかった。 まだだれも 『ハリー・ポッ

ター』の世界観を受け入れようとしていないときでも、作品の魅力を

信じていた。 そしてついに、この小説に魔法のような魅力を感じた

ある編集者からささやかなオファーがあり、ローリングの不屈の意志

はようやく報われた。 それからの成功はきみたちが知ってるとおりだ。

失敗は、 私自身について、

ほかの方法ではけっして学びえなかった

多くのことを教えてくれた。

失敗のおかげで、 私には強い意志と、

思っていた以上の自制心が

あることに気づいた。

J・K・ローリング

(109p)

   

この本では、「有名な失敗」として、

さまざまな有名人の失敗が書かれています。

その一つ。

大事なのは「諦めない」ことですね。

次の失敗は、伊藤美誠選手。

イギリスの人ですが、日本人を登場させています。

  

伊藤美誠

世間の見かた

小さいころから大会で勝ち続けていたエリート中のエリート選手。

事実

2歳から卓球を始めて、4歳から8歳までのあいだは、なんと毎日7時

間練習をした。 そのおかげもあって、実際に小さいころからいろい

ろな大会で勝っていた。小学校6年生のときに書いた作文は、タイト

ルが「オリンピックに出て優勝したい」というもので、どうやったら

オリンピックに出られるか(「まず日本の大会で上位に入ると海外の

試合に出られるようになる。海外の試合に勝って世界ランキングを

上げると、オリンピックに出られる」) まで書いてあった。

中学生のころから、コーチといっしょに毎日ノートをつけていて、

その数はもう80冊を超えている。 試合前には対戦相手の分析、試合

後にはどんな戦法が効いたかを記録しているんだ。

それでも、負け知らずなわけじゃない。というか、一番大事な試合で


「私は2016年には

オリンピックに出場して、

2020 年には団体と個人戦

で優勝したい」

伊藤美誠

(小学校6年生のとき書いた作文)

(126〜127p)

   

大谷翔平さんもそうでしたが、将来の目標を記して、

そこに向けてできることを精一杯にやることはすごいことだと

思いますね。

現在は2023年。

伊藤美誠さんの今の目標はなんだろう。

昨晩も頑張っていましたが・・。

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スポーツ報知

  

  

続く。

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑧ 創氏改名は強制ではなかった

  

今日は令和5年12月17日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

   

創氏改名で、朝鮮・韓国人の名を奪ったという嘘

創氏改名で、日本が朝鮮・韓国人の名を奪ったという人がいますが、

とんでもない誤解、ないし為にする捏造話です。

創氏改名を論じる前に、まず姓と氏の違い、及び日本人と朝鮮人の、

姓と氏に関する違いを基礎知識として知っておく必要があります。

日本人の武将は姓と氏を持っていました。たとえば、足利尊氏の足

利は氏 (ファミリーネーム)であり、姓(クランネーム) は源です。

かなりインチキですが、織田信長は平氏、豊臣秀吉は藤原氏、徳川

家康は源氏と称していました。 少なくとも武将は姓と氏を持ってい

ました。

一方、韓国・朝鮮人は、姓しか持っていませんでした。今の韓国人

の姓の種類が少ない一因かもしれません。創氏と言う字をよく見て

ください 「氏」を創るのであって、姓を変えたり作ったりするわけ

ではありません。その「氏」は新たに (日本風でもよいし、韓国・

朝鮮風でも良い)届け出なさいということであり、元々の「姓」を

そのまま氏に使っても良かったのです。 「改名」の方は、新たに

変更する場合は手数料を払わねばならず、もちろん義務ではありま

せんでした。正確に言うと、「創氏改名」ではなく、「創氏」と

「改名」だったのです。 元の「姓」と「名」を、そのまま使った

人も大勢いました。たとえば、日本陸軍で中将になった半島出身

者は洪思中将と中将の二名いましたが、二人とも元の姓名と同じ

で、改名はしていません。もとの名前のまま日本の国会議員になっ

た人や、朝鮮の地方行政組織の高い地位に就いた人も何人もいます。

それなのに、なぜ、日本の悪行でもあるように宣伝されたのでしょ

う。 それは、日本は韓国・朝鮮人にひどいことをしたと決めつけ

なければならない、という東京裁判史観=自虐思想のせいです。韓

国・朝鮮にとって、反日思想の宣伝に好都合だったからです。 大

韓民国は、自力で独立したのではありません。 そこに負い目があ

ります。政権の正当性を反日に求め、反日のネタを見つけてプロパ

ガンダをする必要があるのです。お気の毒な面もありますが、政権

のダシに反日が利用されるのは迷惑な話です。

(132〜133p)

  

う〜ん、日本は朝鮮を併合して、名前も日本風にさせた・・・と教

えてきましたね。いかんなあ、勉強不足でした。

強制ではなく、喜んだ朝鮮人もいたし、反対する日本人もいたそうです。

参考:産経新聞 海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり (2)創氏改名は「強制ではない」 是々非々貫いた朝鮮人検事

  

前記事に引き続き、日本国憲法のこと。

  

「日本国憲法」はハーグ陸戦条約第四十三条に違反して日本に押しつけ

られました。 そもそも「日本国憲法」を採択した国会議員は、独立国

としての主権を持たない国民の中から選ばれました。厳しい言論統制下

に(報道規制三十項目の三) 採択した非合法、非民主主義的に採択され

た憲法であるにもかかわらず、日本は独立後六十年以上も放置してきま

した。また、常識的には「日本国憲法」と矛盾する自衛隊を保持してき

ました。自衛隊は軍隊のようでもあり、軍隊ではないようであると言う

摩訶不思議な状態が生じているのです。

イギリスは不文憲法の国です。 法律の中から憲法に相当するものを選択

し、憲法とみなします。 解釈改憲が盛んにおこなわれる日本は、実質的

には、すでに不文憲法の国と見ることも可能です。いっそ「不文憲法」

を採用するのも一つの選択肢であるかもしれません。問題は、「日本国

憲法」が、ハーグ陸戦条約四十三条に違反して占領軍が押し付けたもの

であること、その事実を多くの日本人が知らないことにあります。

押し付けられた憲法であるという議論は有りました。 しかしハーグ陸戦

条約を引き合いに出した議論は、ほぼ聞いたことがありません。押し付

けだと言うだけでは説得力がありません。

「ハーグ陸戦条約四十三条違反」とはっきり言わねばだめです。 この国

際法は、 明治四十五年条約第四号第三款「敵国の領土における軍の権力」

として日本の国内法にもなっています。

占領した国の法律を、勝手に変更してはならないという規定です。 現憲

法を日本の国会が正式に承認、採択しているという説は、当時、日本が

占領下にあり、一人として主権を持たず厳しい言論統制下にあり、前に

述べたように報道規制の第三項で、日本国憲法を占領軍が起草したこと

の批判が禁じられた状態であった、という前提がすっぽり抜け落ちてい

ます。議論に値しない、誤った認識に基づくものです。日本国憲法は、

日本人を洗脳する道具として最大の効果を発揮し続けています。野党は、

何かにつけ「憲法違反」とか「立憲主義」だと言って政府を攻撃します

が、彼らは、この日本国憲法自体が非合法なものであることを知らない

のか(無知は罪です)、知らない振りをしているのか、です。

(137〜138p)

  

日本国憲法が、法律違反でできたものであることは、

この本で初めて知ったことですが、忘れないでいたいです。

  

以上で「日本人を狂わせた洗脳工作」からの引用を終了。

次の本について書きます。

  

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑦ 日本国憲法は改正ではなく廃棄を

   

今日は令和5年12月17日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

  

WGIPによる施策の一つとして三十項目の報道規制 (プレスコード)が

あります。その中に、七十年を経た今でも日本人の中に自主規制とし

て残っている項目があります。

先ず第三項の「GHQが、日本国憲法の草案を起草したことに対する

批判の禁止」。 禁じたということは、それが事実であり、触れられ

たくないということを意味しています。憲法は国会で決めたと言って

も、当時の国会には言論の自由がありませんでした。 分かり切った

事実があるのに、改憲派の人達は、なぜここを突かないのでしょう。

第八項の「朝鮮人への批判禁止」、第九項の「中国への批判禁止」は、

一般人はともかく、政界や官界の、それも地位の高い人ほど、未だ

に自己規制として残しています。 中韓に対して腰の引けたことしか

言えない、それどころか「慰安婦問題」に対し必要のない謝罪まで

して、日本人の名誉と尊厳をないがしろにする、という状況に見ら

れる通り、影響は色濃く残っています。

第十六項の「戦争擁護の宣伝禁止」、ここで言う戦争とは、日本が

行った戦争のことです。最近でこそ、日米戦は、日本ではなくアメ

リカが悪くて起きたという本が堂々と出版されるようになりました

が、それでも、閣僚など国会議員がこの種の発言をするとバッシン

グされる「閉された言語空間」が存在します。

第二十二項の「戦争犯罪人の正当化及び擁護の禁止」は、近代法の

大原則を破って行われ、裁判管轄権も怪しげな極東国際軍事法廷で

有罪にされた「戦争犯罪人」 が、 本当の犯罪者であるはずがあり

ません。靖国神社にA級戦犯が祀られているから首相は参拝しては

ならない、という理不尽がまかり通っています。特に、反日・左翼

の人々の論の多くは、東京裁判が正当であることを前提に成り立っ

ているものが多く、その正当性が否定されれば総崩れになります。

三十項目の規制項目には入っていませんが、当時の日本政府が正式

呼称とした「大東亜戦争」は使用禁止になり、「太平洋戦争」と呼

ばなければならなくなりました。学問的な理由で「太平洋戦争」と

呼ぶほうが良いという人がいても構いませんが、権力をもって戦争

の呼称を押し付けるのは許しがたいことです。

いずれにしても、権力をもって規制したということは、彼らも理に

合わないことを知っていたからです。禁止された行為こそが、実は

正しいことであった、と見て間違いありません。

(111〜113p)

    

自主規制してますよね、日本人。

前にも書きましたが、これから戦争の名前をどう教えようか。

「太平洋戦争」と教えることが、当たり前ではなくなりました。

「大東亜戦争」と教えたくなりました。

  

  

ハーグ陸戦条約四十三条に違反して押し付けられた「日本国憲法」こ

そ、WGIPが考えた日本人洗脳の道具としては最高傑作だと思います。

「報道規制」 三十項目の三番目にあるような言論統制下、主権を持た

ない国会議員に採択させた「日本国憲法」に合法性はありません。

「日本国憲法」にノーベル賞をなどと言う人の頭の中はどうなってい

るのでしょう。 もうブラックジョークの域です。

自民党は、「憲法改正」を唱えていますが、「改正」という命題設定

は、何か実務的に不便なことを解消しようと言う矮小化された目的の

ものに見えます。ここは、非合法憲法を廃棄する、という基本から論

じないと、「九条堅持論」などに出る幕を与えてしまいます。また、

何のために改憲するのかという方向に議論が行ってしまい、 国民的盛

り上がりを欠き、失敗に終わることを危惧します。「現行憲法は国際

法違反か」という原理原則の議論から始めるべきと考えます。

(114p)

   

「日本国憲法」を守ろうとするのも、WGIPの影響でしょうか。

改正ではなくて、廃棄。う〜ん、でもここまで考えるのはなかなか

ハードルが高いと思います。

日本国憲法を維持している日本をノーベル賞に申請することが、

かつてあったようです。

2014年。

その申請に批判している文章を載せます。

JP press 世界に恥を晒した「憲法9条ノーベル平和賞」申請

日本国憲法が必ずしも優れたものではないようです。

外国には、もっと現実的に戦争放棄を謳っている憲法が

あるようです。

井の中の蛙にならないようにしないといけません。

  

   

WGIPは大変手が込んだ精妙な計画ではありますが、日本人は、あま

りにも見事に引っかかりました。未だにWGIPの効果は続いているの

は、日本人側に以下の要因があったからです。

①事実や実態を知らずに悪意ある他人の宣伝を簡単に信じてしまった

り、 非現実的な理想論に走ったりする日本人の性格があります。 「

振り込め詐欺」もこの型の一つでしょう。

②外国人の考え方や振る舞い、法(特に国際法)を知らないため、間違

った考え方に誘導される。

③一旦、東京裁判史観=自虐思想を刷り込まれると、それが先入観と

なり、思考停止して誤った判断をする。

④外交や軍事に関する国際標準を知らず、それが原因で、誤った考え

に陥る。

農耕民族の日本人は状況対処型で、狩猟民族の欧米人や中国人は状況

作為型 (自分に好ましい状況を作り出そうとする)だという説がありま

す。つまり、日本人は相手の土俵に引っ張り込まれやすいと言うこと

です。

さらに、中国人やアメリカ人は、あまりに堂々と嘘をつくので、まじめ

な日本は、つい本当だと思ってしまうということがあると思います。堂

々と嘘をつくこと、そして嘘を百遍でも繰り返すことによって、嘘が本

当になるのです。だから、国際的な場ではフランス人のように、何でも

いいから、まずノンと言うほうが安全なのです。

(115〜116p)

   

状況を見極めるのは、難しいことだと思います。

動画で、さまざまな政治的YouTuberを見始めたことで、

テレビを見て鵜呑みにしていたことが、

待てよというふうに感じられるようになりました。

世の中は難しいと思います。

騙されずに、正しい道を進むには、

いろいろな人の意見を耳にするという地道なことを

していかなくてはならないんだなと思う最近です。

  

続く

洗濯場の遺構にあったのはミント(ハッカ)でした

    

今日は令和5年12月17日。

   

昨日の「洗濯場踏切」の話の続き。

洗濯場の遺構に繁茂していた植物。

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この植物はなんだろう?

アプリ「バイオーム/Biome」で聞いてみました。

今朝、答えが戻ってきました。

 

ミントorハッカです。

  

2つの答えが返ってきました。

ミントとハッカの違いは?

調べました。

金扇(きんせん)ミントとハッカの違いについて

このサイトの文を引用します。

薄荷(ハッカ)の漢字についても、書かれています。

  

日常でなじみの深いハーブの一つであるミントは、シソ科ハッカ属の

総称です。ミント全般をさして「薄荷(ハッカ)」ということもあり

ますが、厳密にいうと「薄荷(ハッカ)」はミントの品種のひとつで、

日本で自生している和種のものをさすようです。ガムやキャンディー

などのお菓子以外にも、歯磨き粉、医薬品など、清涼感ある香りは、

生活の様々な場面 で利用されています。

沢山の品種がありますが、 主に「ペパーミント系」「スペアミント

系」等に分ける事ができます。 ちなみに、ペパーミントの和名は「西

洋薄荷(セイヨウハッカ)」、スペアミントの和名は「オランダ薄荷

(オランダハッカ)」又は「緑薄荷(ミドリハッカ)」になります。

薄荷(ハッカ)は、乾燥した葉を水蒸気で蒸留させて作られるのです

が、200kgの葉から採れる精油はたった2%の4kgだそうです。 した

がって、葉から油を採ると、運ぶ時に荷が少なくて済むことから「薄

荷」という名前がついたそうです。

主成分はエルメントールと呼ばれる成分で、この成分が独特のスーっ

とする香りのもとになります。漢方薬(生薬名:薄荷葉(はっかよう)

)としても清涼、解熱、発汗、健胃などの目的で用いられています。

繁殖力が旺盛なため、畑地などに地植えすると駆除が容易ではなくな

り、しばしば雑草扱いされるほどのようです。

 

ミントの一種がハッカと考えていいようです。

つまりミントにしておけば無難です。

洗濯場のミントは、雑草扱いなのかな。

12月でも青々としていました。

  

  

昔、ハッカについて調べていました。

ここでも道草 6月20日 ちょっとハッカにくわしくなった日(2013年6月21日投稿)

ハッカ油なるものを買っています。

10年前に買ったハッカ油。

納戸の本棚にちゃんとありました。

匂いを嗅いでみました。

10年ぶりでしたが、ちゃんとハッカの香りがしました。

2023年12月16日 (土)

7年ぶり「洗濯場踏切」が解決しました

   

今日は令和5年12月16日。

  

今日は嬉しいコメントが届きました。

7年前の記事に対してのコメントです。

ここでも道草 洗濯場踏切・枯れススキはどうなる?(2016年8月8日投稿)

豊川市を走る飯田線には「洗濯場踏切」という名前の

踏切があります。

その頃、自転車通勤をしていて、いろいろな道を走っては、

通勤していました。

その時に見つけた「洗濯場踏切」というユニークな名前の踏切。

なぜこんな名前がついたのだろうと疑問に思ったことを記事にしました。

その後、踏切が校区にある小学校の先生に聞いたり、

踏切の近くに住む中学生に「家の人に聞いてみてよ」と

頼んだりしましたが、わからずに今に至っていました。

  

今日、届いたコメントをコピーします。

さくもとさんのコメントです。

  

以前、近所に住んでいました。

洗濯場踏切の崖側の所に草が沢山生えていて線路側のところに細い歩

道があります。それを下って行くと四角く区切られた場所があるので

すが、昔の人はここで洗濯をしていたんです。

ここは洗濯場の遺構になります。

すぐ近くにある牛久保のナギのある古い神社は昔、池があったのです。

行ってみると分かりますが、橋があって、水があった事が分かります。

この神社と洗濯場は同じ水だったと思います。

それから暫くして、下水道工事が始まり、この地区からは貯水槽やボ

ットン便所が消えましたが、その代償に今まであった水(湧水かと思

います)が出なくなってしまい枯れてしまったそうです。

その流れで池も洗濯場もダメになってしまったと聞きました。

(後略)

  

このコメントを読んで、7年ぶりにこの踏切に行きたいと思いました。

もちろん遺構を見たいと思いました。

実行しました。

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この線路沿いの道を下りていきます。

道は下りながら、左に曲がっていきます。

そしてそこにありました。

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わかりますか?

線を入れてみましょう。

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別角度から見てみます。

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中央部分が洗濯場だったのだと思います。

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右手が、踏切から下りてくる道です。

雨降りだったせいか、洗濯場の下にある土管からは、

水が流れ出ていました。

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向こう側にあるのが線路から下りてくる道です。

さくもとさんが使った「洗濯場の遺構」という言葉が気に入りました。

まさに「遺構」です。

ここで洗濯をしていた人が思い浮かびました。

発見して嬉しかったです。

7年ぶりの課題が解決しました。

ブログの良さを、また体験することができました。

さくもとさんに感謝です。

  

この機会に、「洗濯場踏切」をネットで検索してみたら、

面白いことがいろいろありました。

  

本が出ていました。

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「ゆかいな珍名踏切」(今尾恵介著/朝日新書)

この本の表紙に「洗濯場踏切」がありました。

どんなふうに書かれているのかな?

  

東愛知新聞 踏切巡り特色など本に

この記事で、笑顔で写っている方。

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社会科教員の先輩です。

先輩も洗濯場踏切を調べたり、そのほか地区のことを調べて、

本を作っていました。

びっくりです。久々に連絡をしちゃおうかなと思いました。

洗濯場踏切をネタに、久々に飲み会をしたいです。

  

今日の現場観察で、植物も気になりました。

洗濯場の遺構の中でたくさん繁茂していたこの植物。

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なんという植物だろう?

さっそくアプリ「バイオーム」で質問をしました。

今晩は遅いので、答えは明日、どなたから届くかな。

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑥ 東京裁判

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

   

格調高い戦犯無罪論

弁護団副団長であった清瀬弁護人の冒頭陳述は、ウィキペディアなど

で、いくつも紹介されていますが、彼の事実に基づく反論と、日本人

の伝統的なものの考えに基づく格調高い弁論は、いま読んでも胸を打

つものがあります。

その陳述は、白人中心の世界観に対する痛烈な批判であり、そのまま

A級戦犯の擁護論となっています。つまり、あとにつづく次世代の日

本人への熱い応援メッセージでもありました。

WGIPの肝は、日本を戦犯国と規定し、そのことを日本人の頭に、子

々孫々まで刷り込むことにありましたが、そのためには、具体的には

満洲事変以来の日本国の行為を、すべて侵略行為であるとして、それ

に関わった人々をA級戦犯として処断したのです。日本の反日派は、

この流れに悪乗りして、日清、日露の両戦争まで、侵略戦争であると

する人もあります。

また、ユダヤ人絶滅という思想の下に、多くのユダヤ人を殺害したナ

チスドイツと日本を同一視する考えを論破し、満洲事変については、

日本の立場を弁じ、日本が国際連盟を脱退する切っかけとなったリッ

トン報告書の中にも、日本の立場に理解を示す部分があることに触れ、

また、或る時期までは、イギリスやアメリカも、日本が満洲に対して

持つ特殊権益を認めていた事実を明らかにしています。

さらに、いわゆる日中戦争は、日中両国のどちらが起こしたのかにつ

いても、中国側の責任であることを明確に言い切っています。

また、日米開戦にいたるアメリカ側の行動が、日本を戦争に追い込ん

だ経緯を説明し、さらに、真珠湾攻撃が奇襲ではなかったと、すでに

東京裁判が行われた時期に言っています。

これだけのことが、終戦直後に言えた清瀬一郎には、すごみすら感じ

ます。 清瀬が言ったことを、独立国のはずの今の日本でも、閣僚や政

治家が発言し、 或いは歴史教科書に書くと、朝日新聞のような反日メ

ディアや言論界、それどころか、 国会や文科省の一部からさえも、バ

ッシングされますが、日本の現状は、占領直後より悪化していると言

っても過言ではありません。

清瀬の東京裁判における冒頭陳述は、あたかも明治維新から日米開戦

にいたるまでの、日本史の名講義を聞いているようでもあり、本当は

全文を載せたいところですが、紙数の関係もあり、かなり絞って記載

します。 WGIPに対する強力な解毒剤としてお読みください。

(86〜87p)

  

清瀬一郎さんに興味を持ちました。

Img_3424

FRIDAY DEGITAL

映画「東京裁判」(1983年製作・公開)というのがあるそうです。

これを見たらいいのだけど、227分の長さ。

また機会があったら、気合を入れて見てみたいです。

清瀬一郎さんについては、またその時に書きたいです。

   

自虐思想とは、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログ

ラム)によって、東京裁判を中心とする諸々の手法を使って日本人に刷

り込まれた思想であり、従って東京裁判史観とも呼ばれます。 その核

心部は、満洲事変以降の日本の行動は、すべて侵略であり、連合国は

すべて正しかった、悪いのは日本だったという思想であり、それが拡

大されて、日韓併合、極端なケースは日清戦争まで含めて、とにかく

日本がやったことはすべて悪く、さらに、日本の文化は、中国や韓国・

朝鮮から学んだものばかりだというところまで繋がるものです。

(98p)

  

日本は悪い国だった。

日本は外国に謝らなければならない。

日本は自国の文化がないそんな国だったんだ。

この自虐思想は、いまだに影響が残っているのを感じます。

  

東京裁判の勉強の必要を感じました。

  

  

本「日本人を狂わせた洗脳工作」⑤ 戦後、修身・国史・地理が禁止

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

   

CIEとは?

  

GHQは、民間情報教育局(CIE)を作り、WGIPの推進を担当させました。

(32p)

WGIPとは?

  

WGIP(War Guilt Information Program)を直訳すると、

「戦争犯罪情報計画」、少し意訳すると、

「日本人に戦争犯罪意識を刷り込む計画」となります。

(25p)

  

 

教育の問題について、CIEがどのように関わったかを知るために、CIE

文書(原資料)を随分調べましたが、 “Education" という単語は、ここ

かしこで見るものも、メディア戦略のような根本的役割から、具体的な

実施にいたる基本戦略を書いたものは、「学校における軍事教練の禁止」

のような一部の施策を除いては、今までのところ見つかっておりません。

じつは、日本の教育に関する占領軍の工作は、CIEを通してではなく、

GHQから、日本政府に直接働きかけて行われたのです。GHQが、占領が

始まった昭和二十年の秋から年末にかけて、日本政府に対して発した

「四大教育指令」が、その歴然たる証左です。

アメリカから派遣された米国教育使節団は、日本の教育刷新委員会(南原

繁委員長)の協力をえて報告書を作成、マッカーサーに提出しました。

その報告に基づいて、戦後の日本の教育を左右する諸施策が決定されたの

です。

もっとも基本的なものが、昭和二十年十月二十二日に出た第一指令で、

当時の文部省はGHQの指令に従って政策を実施するように命じられまし

た。総理大臣ほか公職にある人が、靖国をふくむ神社に真榊を奉納したり

する際は、私費で行うことなどという、日本の教育への明白な管理政策

でした。

同年十月三十日の第二指令は、GHQの政策に反対する教職員や官僚を解

雇するよう指示し、テストで三千人が失格、二十万人は自発的に辞職し

ました。 悪名高い公職追放の一環でした。

同年十二月二十五日の第三指令は「神道指令」と呼ばれ、国家神道や神

社神道に対する政府の保証や支援、保全、などを廃止しました。 日本の

歴史、伝統の素晴らしさを教えることも禁止しました。 この指令は、い

まだに禍根となっています。

同年十二月三十一日の第四指令は、修身・国史・地理の授業の停止を指

示しました。 修身とは道徳教育ですが、日露戦争に日本が勝利すると、

ヨーロッパ人のあいだで、その勝因は「教育勅語」にあったという噂が

広がりました。ケンブリッジで数学と物理を学び、東大と京大の総長、

文部大臣などを歴任した菊池大麓博士は、イギリスを皮切りに、二年に

わたり欧米で「教育勅語」を英語で解説してまわり、喝采をあびました。

その当時の欧米指導層の賛嘆と警戒心が、修身教育の廃止へとつながっ

たと考えられます。国史と地理の禁止は、明治以後の日本が、白人国家

から植民地を奪回するまでに成長した発展を、次世代の記憶にとどめな

いための厳命でした。

世界にアメリカの民主主義を広めることが、神からあたえられた使命だ

と信じるアメリカ人にとり、天皇を中心とした日本の伝統・文化などは、

未開で野蛮だとしか思えず、彼らの理念を日本人に押しつける結果とな

ったのです。

第一次安倍内閣で教育基本法の改正が行われましたが、GHQが残した

指令は、現在の歴史・公民教科書の製作に、いまでも大きな悪影響を

残しています。GHQによるマインドコントールから、早く日本人が覚

めないと、混乱はまだ続くことでしょう。

(79〜81p)

  

修身、国史、地理の授業の中止。

この教科が、日本を戦争に招いたものと判断されたのですね。

地理については、地政学的内容だったようです。

PRTIMES. 戦時中の小学生は地理の授業で「地政学」の基礎を学んでいた。『初等科地理』発売

このサイトから引用します。

  

内地篇では、記述は産業地図の俯瞰が続くかと思うと、さりげなく源

頼朝が幕府に選んだ土地の地政学的重要性を挿入している。なかなか

の工夫である。戦略上、河川、橋梁、道路、鉄道、そして発電所は国

防上重要なポイントであるが、そうした背景も自然なかたちで表記さ

れている。つまり戦略的発想を植え付ける教育が巧みに施されていた

のだ。

戦後の地理教科書で、本書に見られる「国防上非常に大切なところ」

という記述にお目にかかったことはない。いや、文科省の教科書検定

官はこういう記述を不合格の口実にしかねないほど現代の文部行政は

怪しくなっている。

外地篇では西欧列強の植民地支配の残酷さ、その桎梏を取り払った日

本の勇敢さと今後の使命が語られている。これらの地域のほとんどを

筆者は取材した経験があり、端的に戦略的資源分布を、戦時中の教科

書がしっかり教えていたことに驚きを禁じ得ない。

  

今の地理とは違う内容でした。

GHQが禁止した理由がわかります。

  

多くの教員が辞職したことも注目です。

辞職した人員を補充するために、

社会主義的な考えを持った教職員が多数就職し、

日教組ができていく過程になっていきます。

   

本「日本人を狂わせた洗脳工作」④ 数少ないメディアを使った洗脳工作

   

今日は令和5年12月16日。

  

前記事に引き続き、

「日本人を狂わせた洗脳工作」(関根通夫著/ハート出版)

より引用します。

  

CIEに与えられた具体的な役割は、以下の二つでした。

①日本人を洗脳するために、日本人に与えたい情報を、各種メディアを

使って、日本人に与える。

②戦勝国にとって都合が悪い事象(具体的には、原爆投下と東條元首相

の東京裁判における陳述)を中和し解毒する報道の仕方を考え、日本の

メディアに実行させる。

(55〜56p)

   

微に入り細に入りです。

GHQは表に出ずに、日本人のメディアを使って、

日本人を思うようにしていったのです。

メディアが限られるといいうのは、GHQには好都合だったのでしょう。

  

  

CIEと東京裁判の裁判長などの関係者は、頻繁に緊密な連絡をとりあっ

ています。東京裁判は、単に被告を処刑することではなく、そこから日

本人に多くのことを見せて学ばせる目的で遂行されたのです。

CIEは、東京裁判の過程から判決言い渡しまで、どのようにメディアに

情報を流すか、つねに視野にいれて実行していました。

彼らが発行した文書では、東京裁判について美辞麗句を並べていますが、

要は、占領軍の圧倒的な武力を背景に、傍聴席の日本の指導層や、法廷

内の被告人と弁護人の反論を、徹底して無視し黙殺したお蔭で成立しえ

た、プロパガンダにすぎません。

大前提は、日本だけが「議論の余地なく悪い」、「被告人は悪い奴で有

罪に決まっている」ということでした。 被告人たちは、衆人環視の中で、

戦勝国に都合の悪い発言は制止され、反論を封じられました。まさにシ

ョーウィンドーのマネキン人形でした。

占領軍は東條元首相を、侵略戦争の元凶に位置づけようとしましたが、

判事の一人だった、オランダのレーリンク (Bernard Victor Aloysius

Röling) は、晩年の著書で、東條元首相が「この裁判は勝者による復讐

劇だ」と反論した言葉は正しい、と記していたそうです。

(62〜63p)

  

東京裁判はプロパガンダ。

日本だけが議論の余地なく悪い、被告人は悪い奴で有罪に決まっている。

当時は、成功したのだと思います。

ドイツのヒトラー、日本の東條英機っていうイメージが、

昭和36年生まれの私にはありました。

でも違うなと思ったのは、いつ頃だろう。

  

  

日本国憲法成立の欺瞞性

一方で、検閲と焚書が、厳重に秘匿されていたことが、いまなお護憲

や憲法九条の擁護を言いたてる人々を育みつづけてきた根本原因では

ないでしょうか。

日本国憲法は、戦勝国は敗戦国の法体系を変えてはいけないとする、

ハーグ陸戦条約に明白に違反している非合法なものです。

日本の国会が自主的に議決したように見せかけていますが、完全な言

論統制下で行われたことは、プレスコードの③が、メディアに対し

「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」 を厳禁している

ことからも、笑えるほどに明白な事実です。

法的には無効なものなのに、護憲を叫ぶ人が絶えないのは、検閲など

の言論統制が、日本人の多くに、それと気づかれていないほど、じつ

に巧妙に行われたという証左です。この事実に気づかないか、認めよ

うとしない人々は、史実にうとく、国際法や近代刑法の原則に無知な無

教養な人であるとの誹りをまぬがれません。
  

(67〜68p)  

  

ハーグ陸戦条約のことを、この本で初めて知りました。

しっかり違反しているではありませんか。

日本国憲法を有難いものとして奉るのは、

これまたGHQの影響だと思えます。

  

続く