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2022年9月

2022年9月16日 (金)

39年後を楽しみにしている同志がいた/次のハレー彗星

       

今日は令和4年9月16日。

  

私と同じことを考えている人がおられました。

楠田枝里子さんです。

Yahoo!ニュースで、「109歳まで生きたい」

と言っていることが報じられていました。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6438878

その理由が、もう一度ハレーすい星が見たいという願いでした。

同じです。

  

私は現在61歳。

ちょうど100歳で、ハレーすい星と再会できます。

楠田さんは70歳。

109歳というのは、計算が合います。

私の方が、ちょっと可能性が高いです。

でも寿命はままならぬもの。

どうなるか。

 

でもこうやって39年後のことを

考えている同志がいることを知って、うれしかったです。

  

ハレーすい星と言えば、思い出すのがマーク・トウェイン。

ここでも道草 タイムスクープハンター彗星大接近その1/1910年(明治43年)(2019年5月1日投稿)

☝ この記事に書いています。

再引用します。

  

1910年、ハレー彗星が75年ぶりに地球に到来。

マーク・トウェインの生まれた年(1835年)にも

ハレー彗星が観測されており、

彼が「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、

ハレー彗星と共に去っていくだろう」と周囲に吹聴していたとおり、

ハレー彗星が現れた日に亡くなった。

  

格好がいい話です。

私も100歳まで生きて、格好よく死にたい。

2022年9月15日 (木)

「北の麦酒ザムライ」③ ラガー・エールの違い 生・熱処理の違い

   

今日は令和4年9月15日。

   

この記事では、本からの引用はしませんが、

本から派生した内容なので、

タイトルは「北の麦酒ザムライ」としました。

  

サッポロラガービール赤星【国防をかけたビール造り】

☝ 前々記事で紹介したこの動画。

13分6秒から聞き書きします。

  

中川清兵衛が学んだのってラガービールなんだよ。

ラガービールっていうのは、低温発酵、低温熟成だから、

東京だと温(ぬる)すぎるのよね。

今はラガービールが主流です。

世界的にもそうだし、

日本で飲まれている、特に大手が作ってるのも、

全てラガービールです。

当時(明治初め)って、主流はエールビールだった。

だけど中川清兵衛が学んできたのは、ラガービール。

のどごしが良くて爽快感があるラガービール。

東京はラガー作りには不向きだなとなった時に・・・

   

日本で初めての麦酒醸造所を東京に造るという計画に、

村橋久成と中川清兵衛は反対します。

北海道に造るべきだと主張しました。

その理由は、低温発酵、低温熟成のラガービールだったからでした。

  

今までたくさんビールを飲んできたけど、

ラガービールがどんなビールか確認したことがありませんでした。

ましてやエールビールって何?状態です。

  

これを機会に、調べてみました。

きっとネットで説明してくれている方がいると信じて。

ビール女子 【入門ガイド】「エール」と「ラガー」って?

読んだぞ。

ラガーとエールの違いはここを読めば大丈夫。

  

ついでに「生ビール」と「熱処理ビール」の違いも勉強。

たのしいお酒.jp 「生ビール」と「熱処理ビール」の違いとは?

これも読んだぞ。

熱処理は、酵母の活動を止めるためにやるそうです。

熱処理をしていないのが生ビール。

ただ、最近は、ろ過によって酵母を取り除くことができるようになり、

日本のビールの多くは、熱処理をしていない生ビールだとわかりました。

なるほどです。

  

話題のサッポロラガービールは、ろ過と熱処理を施したビール。

熱処理ビールです。

上記動画では、次のように評されています。20分16秒から。

  

熱処理ビールなので厚みのある味わい。

ボディ感がしっかりしていて、

生ビールに比べると少し苦い感じ。

  

私にも、この味の違いがわかるかどうか。

一度真剣にサッポロラガービールを飲んでみようかな。

2022年9月14日 (水)

「火怨 北の英雄アテルイ伝(後編)」を明日見せます

        

今日は令和4年9月14日。

   

前記事のビールの話の続きは、ちょっと置いといて、

明日の授業に備えて、9年前のドラマを見ました。

2013年3月30日放映の

「火怨(かえん)北の英雄アテルイ伝(後編)」です。

Rimg1389

9年前に見た覚えがありますが、

おおかた忘れていました。

画像はきれいでした。

見ごたえのある内容でした。

アテルイ(阿弖流為)役は大沢たかおです。

 

歴史の教科書にはアテルイについて

下のように掲載されています。

Epson159

「新しい社会 歴史」(東京書籍)47p

  

789年、たくみな作戦で、6000人の朝廷軍をはね返しました

この部分が、ドラマでは描かれていました。

生徒に見せたいですね。

蝦夷や大和朝廷軍がどんな服装をしていて、

どんな武器で戦ったのかが、一目でわかります。

  

802年、ついにアテルイは降伏し、捕虜として都に連れていかれました。

田村麻呂は、朝廷にアテルイの命を助けるように強く訴えましたが、

アテルイは河内(大阪府)で処刑されました。

これもドラマで描かれていました。

坂上田村麻呂は、桓武天皇に命乞いをしますが、

受け入れられません。そしてアテルイらは処刑されます。

この場面も見せたい。

近藤正臣演じる桓武天皇まで見せることができます。

  

私の授業らしい授業になりそうです。

文章だけ、写真だけでなく、映像で紹介します。

映像は、私にとって宝物です。

いつかは役に立つことがあるだろうと思って

録画したものです。

今回は9年ぶりに役立ちます。

録画した当時の自分に感謝です。

 

ちなみにアマゾンで、

このドラマを購入するとなると、

22000円の値がついていました。

とっても節約です。

2022年9月13日 (火)

「北の麦酒ザムライ」② サッポロビールの星マークの歴史

      

今日は令和4年9月13日。

     

前記事に引き続き、

「北の麦酒(ビール)ザムライ 日本初に挑戦した薩摩藩士」

(池永陽著/集英社文庫)より。

   

村橋が作った麦酒醸造所は、サッポロビールの前身である。サッポロ

ビールには星のマークがあるが、これは麦酒醸造所が製造した麦酒に、

開拓使のシンボルとして使われた「北極星」を意味する北辰旗(ほく

しんき)を受け継いだものである。

(310p)

  

この文章は、巻末の末国善己さんの「解説」からの引用です。

サッポロビールの星のマークはお馴染みです。

見たいのは北辰旗です。

ネットで探しました。

1

北海道ファンマガジン

青地に赤い星。青地が意外でした。

青地なんだ。

サッポロビールの星は、今は黄色ですが、

最初は赤い星だったようです。

  

この動画が勉強になりました。


YouTube: サッポロラガービール赤星【国防をかけたビール造り】

 

この動画には、この本の主人公の村橋久成が出てくるし、

黒田清隆、中川清兵衛、青木周蔵が出てきます。

低温で発酵させるのが、ドイツ式のビール製造で、

ラガービールと呼ばれること。

常温で発酵させるのが、イギリス式のビール製造で、

エールビールと呼ばれること。

整理できました。

今は、ラガービールが主流だそうです。

この本の、本文の中でも、低温で発酵させるために、

北海道は向いているという記述がありました。

今晩はもう遅いので、明日引用しようと思います。

 

ロシアが、不凍港を得るために、

北海道に南下しようとしていたのを、

日本は極度に恐れて、

開拓使を使って北海道の近代化を進めた話もよかった。

  

ビールを自国で製造できないのは、

外国と対していくと時に、

馬鹿にされてしまうようです。

そうならないためにも、ビール製造は急務でした。

動画のタイトルにあるように、国防をかけたビール造りだったのです。

  

ビールを造るきっかけになったのは、

アメリカ人技師が北海道で野生のホップを発見したことです。

それはこの本にも書いてありました。

  

村橋久成と中川清兵衛との出会いは、

この本の方が緊迫感がありました。

村橋としては、途中で技術者の中川清兵衛が

仕事放棄をしないように約束させたかった。

そこで小刀を使って脅します。

史実はどうだかわかりませんが、

当時の明治時代の初めなら、あり得た話かなと思いました。

   

本を読んだことで、この動画に出合い、

また勉強できました。

こういう連鎖が面白い。

この動画については、もう少し書きたいな。

明日だね。

2022年9月12日 (月)

「北の麦酒ザムライ」① ビールは、労働者の酒になりました

    

今日は令和4年9月12日。

   

この本を読みました。

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amazon

「北の麦酒(ビール)ザムライ 日本初に挑戦した薩摩藩士」

(池永陽著/集英社文庫)

  

この本を読むきっかけはマンガの一場面。

ここでも道草 「ゴールデンカムイ 第6巻」札幌のビール工場を作った村橋久成(2022年8月3日投稿)

ちょっとしたきっかけで、道草していくのが楽しい。

   

北海道に、日本初のビール醸造所を造った村橋久成。

成功した後に、11年間放浪生活をして、

神戸の路上で発見。3日後に死亡という生き方。

そこがどういう事情なのか知りたいという気持ちがありました。

  

引用します。

  

「ビールはいい。味がいい、色がいい、喉の滑りがいい」

久成は歌うようにいってから、

「いちばんいいのは原料が麦だというこつです。米ではなく麦、何と

なく嬉しくなりませんか、堀田さん。最初は高価になるでしょうが、

大量にできるようになれば、必ずや値段は下がって安くなるはずです。

正に労働者の酒です。やがて日本の、みんなの居酒屋にもビールが溢

れ、仕事帰りの人たちで大賑わいになるはずですけん」

上機嫌で久成はいった。

(102p)

   

村橋久成はサッポロビールの元を造った人です。

その後日本には、たくさんのビール工場ができ、

ビールは安価になり、まさに労働者の酒となりました。

頑張って働いた後のビールは、気持ちがいいです。

  

島津斉彬も北海道のことは常に念頭に置いていたようで、ある幕府の

重臣がロシアに対抗するためには早急に彼の地に兵を置くべしと口に

したことに対し、こんな言葉を発したという。

「兵よりも民。まずは多くの民を蝦夷地に入植させ、蝦夷地を実効支

配しているのは我が日本国であることを、ロシア側にはっきり認識さ

せねばならん。それが、喫緊の課題でござる」

これが、島津斉彬の北海道に対する見方だった。

「おいも、そう思う。斉彬様のいう通りばい。まずは北海道の確実な

実効支配。そんためには人をふやさねえと。現在の北海道の人の数は

あまりに少なすぎるばい。じゃけん、産業をおこして、みんなが食っ

ていけるようにせんとのう。農業、漁業、畜産業・・・・北海道は大

自然の宝庫じゃ、みんなが食っていく手段は、いくらでもあるはずじ

ゃけん、その地ならしを我々の手で何とかせんとのう。ロシアとの大

戦(おおいくさ)はそのあとじゃ」

自分にいい聞かせるように黒田(清隆)はいった。

(110~111p) 

  

まだ明治が始まった頃の話です。

北海道は、危うい場所であったことがわかります。

ロシアが狙っていたのです。

現在は、北海道があって当たり前ですが、

明治の初めには当たり前ではなかったのです。

いや、太平洋戦争終了時においても、

ソビエト連邦は北海道を狙っていました。

北方領土だって、ソ連の侵攻がなかったら、

当たり前のように、日本の領土と思っていることでしょう。

日本の北は、危うい場所なのです。

実効支配というのは、外交的戦略として、

有効なのだなと思いました。

2022年9月 8日 (木)

「遺留捜査7」第9話/今日の名言は?

      

今日は令和4年9月8日。

   

今晩放映のドラマ「遺留捜査シーズン7 第9話」で、

糸村刑事が、村木さんに言った名言は・・・

   

うまく使えば時間は常に十分ある

  

と、だれかが言っていました。

  

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良いことを言うなあと思いました。

今までの名言の中でも、心に刺さった名言です。

この「だれか」はわかりました。

ゲーテ(1749~1832)です。

Wikipediaによると、ドイツの詩人、劇作家、

自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲学、汎神論)

政治家、法律家。

すごい肩書です。

時間を有効に使ったゲーテだからこその肩書なのでしょう。

   

今日は1日出勤日でした。

明日から3日間の休みです。

しかし、町内会長の仕事、サークル、

教材研究、テストづくり、

2クラス分のノートにコメント書きand so on.※

この3日間はハードです。

3日間では足りないとも思っていました。

その矢先に、突きつけられたこの名言。

  

うまく使えば時間は常に十分ある

   

これを頭に入れて、3日間を乗り切りたいです。

今晩だってまだ使える。

  

※and so on  「~など」の意味で使う英語だと

最近調べて知ったので、使ってみました。

2022年9月 6日 (火)

村瀬先生の楽しい雑学/工事現場から生まれたミネラルウォーター

     

今日は令和4年9月6日。

   

昨晩放映の『ネプリーグSP』を少し見ました。

少し見たけど、収穫がありました。

村瀬哲史先生の雑学がよかったなあ。

村瀬さんは、実に楽しそうに雑学を語ります。

私も社会科教師として、幸いにも生徒の前で話をする機会を

堂々と得ているのだから、もっと楽しく教えないとね。

そのためには、教師自身が面白いと思うネタを

収集しておかなければなりません。日々勉強。

ちなみに、昨晩のネタは、ここに書き留めておきたいです。

フジテレビュー このサイトがちゃんと記録してあるので、

ここに転載します。

  

1

2

上越新幹線が正解だったクイズの後の雑学でした。

  

JR東日本の売店や自動販売機で扱っている「From AQUA 谷川連邦

の天然水」というミネラルウォーターが、上越新幹線と関係あると

いうのです。

上越新幹線には、1982年に開通した「大清水トンネル」という長い

トンネルがあります。このトンネルを掘っている際、工事現場の人

たちは大量の湧き水に悩まされました。

3

この湧き水のお陰で工事にも遅れが発生してしまったのですが、当

時の国鉄が水質を調べたところ、とてもいい水だったことが判明。

4

作業員の方々も「美味しい!」と言っていたことから、商品化が決

定し、今では「From AQUA 谷川連邦の天然水」という名前で販売

されているそうです。  

   

以上です。

災い転じて福となす。

素晴らしい出来事ではありませんか。

  

明日の授業は、大化の改新、白村江の戦いなどを教えますが、

内容が盛りだくさん。

それでも楽しくやる作戦を、今晩考えます。

通算8300本目の投稿/「遺留捜査7」第8話/今日の名言は?

    

今日は令和4年9月6日。

  

9月1日放映のドラマ「遺留捜査シーズン7 第8話」で、

糸村刑事が、村木さんに言った名言は・・・

  

早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け

  

て、だれかが言っていました。

Rimg1387

  

「だれか」を調べましたが、特定できませんでした。

アメリカのことわざのようです。

 

If you want to go fast, go alone.

If you want to go far, go together.

   

現在、町内会の仕事にいそしんでいますが、

この気持ちは忘れないようにしよう。

たった1年の任期で「遠く」はないかもしれませんが、

みんなでやることは大事です。

   

一昨日、昨日と、町内で訃報が続きました。

その場合、文書を作成して、町内会役員で分担して、

紙の回覧版で連絡します。

そして加入率が間もなく50%になる電子回覧板でも

発信します。

「〇〇組の◇◇◇◇様は、本日9月4日にご逝去されました。

 謹んでお悔やみ申し上げます。(享年☐☐歳)」

といった文面です。

ご遺族にとっても、亡くなった本人にとっても、

とても大事な連絡です。

丁寧な仕事をしました。

紙の回覧版と違い、電子回覧板は手元に記録が残ります。

我が町内で生きた証としていいことかなと思いました。

  

回覧板を組長さんに渡しに行った時に、

「会長さん、会長さん、これを持って行ってよ」と言って、

ペットボトルのコーヒーをいただきました。

こういうことがうれしいですね。

  

あ、決しておねだりしているわけではありませんよ。

2022年9月 3日 (土)

「定本納棺夫日記」④ 親鸞の教え

       

今日は令和4年9月3日。

  

また消えた。

9月2日の晩に、「定本納棺夫日記」のまとめをうったのが

消えてしまった。

ショック。

今から同じことをうつことは、ちょっと辛い。

  

引用するのはやめて、大事なことをここにうっておこう。

  

親鸞は、念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることで、

成仏すると教えた、と社会科の授業では教えています。

人は生と死の狭間に揺れ動くと、

人は周囲が光り輝いて見えるのだそうです。

青木新門さんは、自らの体験からそう思うし、

先人の遺稿集や詩集から、それを示します。

その光に出合うと、人は生死を超越した境地になり、

その光に癒され、周囲のものに対して感謝の気持ちがあふれるそうです。

そして死を迎える。

したがって、死者の多くはやすらぎの顏で亡くなっています。

親鸞は、誰にでも死ぬ間際には、その光に出合うことができ、

安らかに死を迎えることができることを、

何らかの理由で知っていました。

でも民衆にその光のことを説明するのは難しい。

だからジタバタせず、念仏を唱えていればいいと説いたのです。

親鸞は死即仏の考え方。

死ぬ瞬間に、光を浴びて、すべてを悟り、仏になるのです。

霊魂の存在を認めていません。

  

「定本納棺夫日記」の後半の難しい部分は、こんなふうに解釈しました。

間違っているかも。

 

8月上旬に、著者の青木新門さんは、

肺がんのために86歳で亡くなっています。

青木さんは、光に包まれて、安らかになくなられたんだろうな。

 

私も、死ぬ間際には、光を見ることができ、

安らかに死ぬことができるのだろうか。

できると思いたいです。

きっと死ぬ直前までジタバタしていると思うけど、

最後はそうありたいです。

2022年9月 2日 (金)

「定本納棺夫日記」③ 人の死へのイメージ

     

今日は令和4年9月2日。

   

前記事の続きで、

「定本納棺夫日記」(青木新門著/桂書房)より。

  

前記事で書いた「機縁」が心に残っています。

毎日、何かと出合っています。

その出合いを大切にして、

自分にとってプラスのことができるかどうか。

それには、このブログとか、日記帳が大事になると思うのです。

例えば、この本との出合いを、よりよいものにするために、

読みっぱなしではなく、こうやってブログに書き留める。

時間はかかるけど、その行為は有意義だと信じたいです。

  

引用していきます。

   

人の死へのイメージは強固である。それは死後のイメージにも連動

している。

最近中国の農村で、当局が土葬を禁止し、火葬に切り替えるとお触

れを出したところ、火葬されると天国に行けなくなると、老人が次

々に自殺したというニュース(AP電)が新聞に載っていた。ある

県で実施15日前に来月から火葬の完全実施の政令を出したところ、

これを知った老人の中には、大量の睡眠薬を飲んで棺桶の中に入っ

たり、川に身を投げたり、服毒や絶食をしたりして、15日間に

67人の自殺者が出たと報じてあった。

死後の死体の処理方法まで思い悩み、死を賭してでも己の望む死に

方に固執する人間の自我に、愕然とさせられる。

(52p)

  

先ごろ亡くなった島田陽子さんは、宇宙葬を選択しました。

自分が宇宙葬だと、地球から未知の空間に行ってしまうので、

怖いなあと思ってしまいました。

死んだ後のことなのに、そんなイメージを持ってしまいます。

中国の老人の行いに共感するところが、自分にはあります。

「葬」という漢字は、上下に草を意味する部分があります。

 

漢字ができた頃には、死者を葬る(ホフル)ということは、草の中

へ放って(ホフッテ)きただけだったのかもしれない。

(52p)

  

案外、死体はぞんざいに扱われていたのかもしれません。

それはそれで、済んでいたのでしょう。

  

美しい死のイメージもまた同じである。

美しい死のイメージと言っても、その人の世界観や美意識などで一

人一人違ってくる。その人を取り巻く風土や社会によっても違って

くる。だから普遍的な美しい死に方など、こうあるべきなどと簡単

に言えるものではない。

しかし、その時代、その社会で、美しい死の概念が一つの傾向を示

すことがある。

たとえば「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」という『葉隠』

の思想などが賛美される時代にあっては、おめおめ生きているより、

いさぎよく死を選ぶ方が善であり美であるとし、その死に方も切腹

や神風特攻隊に象徴されるような壮絶な死に方が最も美しい死に方

とされたこともある。

ところが敗戦による終戦とともに、一つの思想体系が崩壊すると全

てが逆転し、とにかく生きることが善であり、死はいかなる形であ

れ悪とされてゆく。

(53p)

  

ガンで死にたくない、長生きしたいと常々思っている私は、

今の雰囲気に飲まれているのかもしれません。

古谷一行さんが、78歳で亡くなったと知りました。

まだ若い。私は78歳では死にたくない。

そんなことを思うのは、自己中心的な考え方なのでしょう。

古谷さんは、きっと十分生きた人生だと思っているかも。

  

三島由紀夫の自殺に関する記述が印象に残りました。

 

生に絶対の価値を置く社会風潮の中で、昭和45年11月25日、

陸上自衛隊東部方面総監室で割腹自殺した三島由紀夫の死に方は、

当時の人々に大きな衝撃を与えた。

三島は自作の『憂国』を自ら解説して

「私の癒しがたい観念のなかでは、老年は永遠に醜く、青春は永遠

に美しい。老年の知恵は永遠に迷妄であり、青年の行動は永遠に透

徹している。だから、生きていればいるほど悪くなるのであり、人

生はつまり真っ逆さまの頽落(たいらく)である。(中略)」

と言っている。そして作品『鏡子の鏡』の中では

「もし人間の肉体が芸術作品だと仮定しても、時間に蝕まれ衰退し

てゆく傾向を阻止することはできないであろう。そこでもこの仮定

が成り立つとすれば、最上の条件の時における自殺だけが、それを

衰退から救うであろう」

と言って、作中の若者に情死をとげさせている。

三島由紀夫にとっての美しい死に方は、自殺しかなかったといえる。

(53~54p)

  

三島由紀夫の割腹自殺は、知ってはいたけど、

三島由紀夫の考え方を初めて知りました。

美しい死に方のこだわりがあったのですね。

自殺者の中には、このように考えている人は他にもいるのでしょうか。

私は、絶対に思い至らない考え方です。

  

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