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2022年9月 3日 (土)

「定本納棺夫日記」④ 親鸞の教え

       

今日は令和4年9月3日。

  

また消えた。

9月2日の晩に、「定本納棺夫日記」のまとめをうったのが

消えてしまった。

ショック。

今から同じことをうつことは、ちょっと辛い。

  

引用するのはやめて、大事なことをここにうっておこう。

  

親鸞は、念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることで、

成仏すると教えた、と社会科の授業では教えています。

人は生と死の狭間に揺れ動くと、

人は周囲が光り輝いて見えるのだそうです。

青木新門さんは、自らの体験からそう思うし、

先人の遺稿集や詩集から、それを示します。

その光に出合うと、人は生死を超越した境地になり、

その光に癒され、周囲のものに対して感謝の気持ちがあふれるそうです。

そして死を迎える。

したがって、死者の多くはやすらぎの顏で亡くなっています。

親鸞は、誰にでも死ぬ間際には、その光に出合うことができ、

安らかに死を迎えることができることを、

何らかの理由で知っていました。

でも民衆にその光のことを説明するのは難しい。

だからジタバタせず、念仏を唱えていればいいと説いたのです。

親鸞は死即仏の考え方。

死ぬ瞬間に、光を浴びて、すべてを悟り、仏になるのです。

霊魂の存在を認めていません。

  

「定本納棺夫日記」の後半の難しい部分は、こんなふうに解釈しました。

間違っているかも。

 

8月上旬に、著者の青木新門さんは、

肺がんのために86歳で亡くなっています。

青木さんは、光に包まれて、安らかになくなられたんだろうな。

 

私も、死ぬ間際には、光を見ることができ、

安らかに死ぬことができるのだろうか。

できると思いたいです。

きっと死ぬ直前までジタバタしていると思うけど、

最後はそうありたいです。

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