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2020年3月

2020年3月11日 (水)

入学・進学祝い/黒板アートに挑戦①

  

今日は令和2年3月11日。

  

復職プログラム2週目です。

先週は2時間勤務。

今週は午前中勤務です。

最初に頼まれたのは、教室の黒板を

入学祝いバージョンにすることです。

特別支援学級で、入学式の日には、新入学の生徒とともに、

進学した中2、中3の生徒もいます。

どんな黒板にするか。

  

黒板アートもいいなと思いました。

一度もやったことのない黒板アートですが、

頭に浮かんだのは、少し前に見たこの番組。

「所さん!大変ですよ なんでもかんでも”動画”時代」

(2月20日NHK放映)です。

番組の内容は、この方がまとめてくれています。☟

おひとり様TV 【NHK】の「所さん!大変ですよ」の情報

この番組の中で、動画で大谷翔平選手や千賀滉大選手の

投球フォームを見て、真似をして、硬式野球の経験のないのに

時速150kmの速球を投げられるようになった大学生が紹介されました。

 

黒板アートも、どうせ自分にはできないものと思い込んでいましたが、

動画で描き方を見て、その通り真似したらできるんじゃないかと思いました。

「所さん!大変ですよ」を見てたから浮かんだ発想です。

動画を探しました。

桜を描きたいと思いました。

ありました。


YouTube: チョークアートで春を楽しむ!黒板に描く桜の描き方(chalkart:how to draw SAKURA)

なるほど!

コツは指の先でこすることだなと思い、

動画を真似して描いてみました。☟

Img_0737_2

どうでしょう。

黒板アート風にはなっているでしょ?

  

試しだったので、この桜は右の片隅に描きました。☟

Img_0738_2

  

残りのスペースはどうするか?

 

続きは次の記事を。

  

「独ソ戦」② 「大祖国戦争」 報復感情を正当化

  

今日は令和2年3月11日。

  

昨日「次の記事に書きます」としたのに、

書かなかったことです。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)より

引用していきます。

     

独ソ戦で「絶滅戦争」を目指したヒトラーに対して、

ソヴィエト側はどうだったか。

  

 

そうした意図を持つ侵略者に対し、ソ連の独裁者にして、ソヴ

ィエト共産党書記長であるヨシフ・V・スターリン以下の指導

者たちは、コミュニズムとナショナリズムを融合させ、危機を

乗り越えようとした。かつてナポレオンの侵略をしりぞけた

1812年の「祖国戦争」になぞらえ、この戦いを、ファシス

トの侵略者を撃退し、ロシアを守るための「大祖国戦争」であ

ると規定したのだ。

これは、対独戦は道徳的・倫理的に許されない敵を滅ぼす聖戦

であるとの認識を民衆レベルまで広めると同時に、ドイツ側が

住民虐殺などの犯罪行為を繰り返したことと相俟(あいま)っ

て、報復感情を正当化した。戦時中、対独宣伝に従事していた

ソ連の作家イリア・エレンブルグは、1942年に、ソ連軍の

機関紙『赤い星』に激烈な筆致で書いている。

  

ドイツ軍は人間ではない。いまや「ドイツの」という言葉は、

もっとも恐ろしい罵(ののし)りの言葉となった。(中略)

もし、あなたがドイツ軍を殺さなければ、ドイツ軍はあなたを

殺すだろう。ドイツ軍はあなたの家族を連れ去り、呪われたド

イツで責めさいなむだろう。(中略)もし、あなたがドイツ人

一人を殺したら、つぎの一人を殺せ。ドイツ人の死体にまさる

楽しみはないのだ。

 

このような扇動を受けて、ソ連軍の戦時国際法を無視した行動

もエスカレートしていった。両軍の残虐行為は、合わせ鏡に憎

悪を映したかのように拡大され、現代の野蛮ともいうべき凄惨

な様相を呈していったのである。

(ⅴ~ⅵp)

  

  

ある程度戦って、和平交渉をするような戦争ではありませんで

した。相手を同じ人間として扱わない、やったらやり返す終わ

らない戦争になっていきました。

  

  

独ソ戦争は、ソヴィエト軍がベルリンを陥落させるまで続きます。

そのあらましが読めてしまう本です。

人の命が何と軽い戦争だったのでしょう。

 

  

43pにソヴィエト軍の戦車の名前が出てきます。

  

「新型のT-34戦車」

  

この戦車が登場する映画を見ました。

2018年のロシア映画「T-34 ナチスが恐れた最強戦車」です。

この映画は、独ソ戦争開戦前の出来事をもとに映画化していました。

今年公開されている映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」は、

まさに独ソ戦争最中の映画のようです。

レンタルが始まったら、見てみたいです。

こんな悲惨な戦争をどう描いているのか。

もう1本気になる映画がありました。

フィンランドとソヴィエトとの戦いを描いた映画です。

ここでも道草 「フィンランドの教育」③ ロシアとの国境線がヨーロッパでは一番長い(2020年2月14日投稿)

今回の本にも出てきましたが、☝この記事でも触れた

「冬戦争」「継続戦争」です。

映画の名前は「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場

2020年3月10日 (火)

「ひきこもり支援 石川清」⑤ 取材者から支援者になった

  

今日は令和2年3月10日。

  

前記事の続きで、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

石川さんは小さい時から、みんなで一緒に何かをすることが

苦手だったそうです。

学校ではひどいいじめ受けて、人間不信となります。

石川さんは大学を休学して、逃げるように国外へ。

何とフィリピンのマニラ、貧困のスラム街に住みつきます。

ビックリです。

その行動力に驚きました。

   

ここで石川さんは転機となる体験をします。

石川さんは高熱を出して寝込んでしまいます。

そこに周囲の人たちが貴重な食料を持って、

次々に見舞いに来てくれました。

最初は、自分のところにあるものを盗みに来たのかと

疑ったりもしましたが、

彼らの行為は見返りを求めてのものではなく、

どこまでもやさしかったそうです。

  

「人はそれほどひどいものではないかもしれない」

石川さんの心にそんな思いが宿ります。

人をもっと掘り下げたいと、大学卒業後テレビ局に入社して

記者になります。

しかし、組織になじめない石川さんは3年で退職。

フリーで活動するようになります。

そして34歳の時・・・・・ 以下は聞き書きしたものです。

  

ナレーター:家にひきこもる人たちの存在を知る。

  何気なく取材を始めたが、膝をつき合わせて話を聞くうちに

  慄然(りつぜん)とした。

石川:その苦しみたるや、僕が思ったのは

  「フィリピンのスラムの人たちよりも全然苦しんでいるぞ」

  て思いました。

Rimg2123

  物質的には極めて豊かなこの国で、

  しかもそれだけの苦しみを感じている人たちが

  しかも周りの人に気づかれずに暮らしているわけですよね。

ナレーター:周囲から助けもなく絶望する人たち。

  自分に重なるものがあった。

  すい寄せられるようにひきこもる人に次々に会った。

  そんな時、一人のひきこもりの男性と出会った。

  医療機関や支援団体からも見放され、死にたいと訴えていた。

  見て見ぬふりはできなかった。

石川:「どうせ死ぬんだったら、死んでもいいから、その前に

  東南アジアの奥地に行こうか」

  「楽しいよ、おもしろいよ」

  「そういうことを見てから死んだ方がいいじゃないの?」

  みたいな話とかして・・。

Rimg2124

ナレーター:旅に出て3週間ほどたった頃、石川さんの何気ない言葉に

  男性が反応し、突然笑い始めた。

石川:何かが楽しくなっちゃって、

  「笑いの止め方がわかりません」とか言って

  寝っ転がって笑ってみたいなことをやって、

  それで我に返った瞬間、

  「生まれて初めて笑いました」

  「初めて笑ったので、どうやって笑っていいかも分からなければ、

  笑いの止め方のわかりませんでした」

  みたいなそんなこと言っていましたね。 

Rimg2125

ナレーター:その日を境に男性はみるみる変わっていった。

  自分と関わることで、人が死ぬのを止めて、

  生きる希望を見出してくれた。

  自分自身も救われた思いがした。

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  気がつけば、取材者から支援者になっていた。

  専門知識はなく、ただ向き合うのみ。

  「俺で商売するんじゃねえ!」「偽善者野郎!」

  心ない言葉を幾度となく浴びせられた。

  でも彼らを憎む気にはなれなかった。

石川:僕自身もまだまだ元気になりたいと言うか、

  僕自身も決して人に施しを与えるとか

  そういう立場では全然ないですからね、まだね。

  やっぱり一緒に元気になりたいっていう気持ちはすごくありますね。

  突き詰めて言うと、自分も元気になって、できることをやって、

  ひきこもりの子が同時に元気になって、

  これを両立できるから、この瞬間が最高ですよね。

  

  

話しているものを聞き書きしているため、

わかりにくいところもあると思いますが、

番組を見た時にジーンときたシーンです。

自分がかかわったことで、相手がよい方向に進みだすことは、

教師としてはとてもいいことです。

「癒やす」というのがいいです。

究極、人は癒されたいのだと思います。

  

また教壇に立つことができます。

教壇に立つ決心をしました。

できることをやって、

「人を癒やし、人に癒やされる」を体験したい。

 

 

石川清さんの風貌は、向山洋一先生を思い出します。

話し方も似ているかな。

「ひきこもり支援 石川清」④ 「解決は容易ではない」「人は、人に癒される」

今日は令和2年3月10日。

  

昨日の記事の続きで、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

ナレーター:一人の人と心を通わせるには、

  想像を絶するほどの時間と労力を要する。

  たとえひきこもり対策の予算を倍に増やしたとしても、

  解決は容易ではないと石川は言った。

  

それだけひきこもりの人たちの人数が多いということ。

どのような人たちや団体が、ひきこもりに対して動いているのか

私はまだまだ知りません。

この番組をきっかけに勉強をしていきたいです。

私の身近にもひきこもりの子はいます。

何かしてあげたい。

  

  

Rimg2121  

石川さんは言います。

 

石川:ひきこもりの人は、他の人にとって普通と思われることが

  できないんですもん。

  やっぱり情けなくなるし、自分なんて消えてしまいたくなるっていう、

  心理的には飢餓状態となります。

  そういう人たちに必要なのは癒されることなんですね。

  いろんな人と接する機会を持ってもらって、

  その中にいろんな人間いますし、いいことたくさんありますからね。

  それを肌で実感してほしいです、

  五感六感で全部。

  シャワーのように受け取ってほしい気はしますね。

Rimg2122

  

番組では、石川さんは、4年をかけて言葉を交わすことができた

ひきこもりの男性を、沖縄に連れて行きます。

そして石川産の知り合いとの飲み会に出席させます。

そこで、ひきこもりの男性は、優しい言葉をかけてもらいます。

「人は、人に癒される」

男性は、一人沖縄に残って旅を続け、

新しい出会いを楽しむことができました。

彼は癒されて、前進を始めることができたようです。

  

  

なぜ石川さんは、ひきこもりの支援者になったのか。

番組では、石川さんの過去にさかのぼって紹介しています。

次の記事で。

 

 

「独ソ戦」① 空前絶後の第二次世界大戦の主戦場

今日は令和2年3月10日。

  

次の本を読みました。

71fpfpirgl amazon

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)

  

冒頭部分を引用します。

  

1941年6月22日、ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊は、

独ソ不可侵条約を破って、ソヴィエト連邦に侵攻した。以後、

1945年まで続いた、この戦争は一般に「独ソ戦」と呼ばれ

る。ドイツ、ないしは西欧の視点から、第二次世界大戦の「東

部戦線」における戦いと称されることが少なくない。いずれに

せよ、この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、

まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろ

う。

独ソ戦においては、北はフィンランドから南はコーカサスまで、

数千キロにわたる戦線において、数百万の大軍が激突した。戦

いの様態も、陣地に拠る歩兵の対陣、装甲部隊による突破進撃、

空挺作戦、上陸作戦、要塞攻略等々、現代の陸戦のおよそあら

ゆるパターンが展開され、軍事史的な観点からしても、稀な戦

争であった。

(i P)

 

「独ソ戦」というと、映画でも見た「スターリングラードの

戦い」をうを思い出します。

でもこの本を読んで、独ソでのたくさんの戦闘のなかでの、

ひとつにすぎないことがわかりました。

それはそれは、ドイツもソヴィエトも多くの死傷者を出した

過酷な戦争だったことを知りました。

  

  

独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大き

さだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼ

されるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、

それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の

本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイ

ツとソ連とのあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代

以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ

思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。

(ⅱ~ⅲp)

  

  

なぜこのような惨酷な闘争が行われたのか。

まずはドイツ側。

  

こうした悲惨をもたらしたのは何であったか。まず総統アドル

フ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に

優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するため

の戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争と

規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世

界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなけれ

ばならないとした。

1941年3月30日、召集されたドイツ国防軍の高級将校た

ちを前に、ヒトラーはこのように演説している。

  

対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等し

いボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は

未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識

を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかった

し、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題とな

る。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なる

ほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義

いう敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしてお

くことになる戦争などしない。

(ⅳ~ⅴp) 

  

ヒトラーがめざしていたのは「みな殺しの闘争」すなわち

絶滅戦争でした。

それではソヴィエト側はどうか?

  

次の記事で書きます。  

2020年3月 9日 (月)

「ひきこもり支援 石川清」③ 「心の”鏡”になる」「自分から見捨てない」

 

今日は令和2年3月9日。

  

前日の投稿に引き続いて、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

ナレーター:(ひきこもりの人の)背中を押す時、石川は自らに

  ひとつのことを課す。

  「心の”鏡”になる」

Rimg2157  

石川:鏡ですね。

  鏡のように話し相手になって、本人が自分の気持ちを

  整理するっていうことを手伝うっていうのがすごく大事です。

  整理すれば、自分が何をしたいか、何をするかっていうことを

  再確認できますからね。

  あくまで本人が自分で自分の人生のことを決めるっていうことが

  大事なので。

  それを強制しないっていうことが、僕と彼の間の、

  彼が感じる安心感の源になっていますからね。

  

「心の”鏡”になる」というのはいい言葉ですね。

ひきこもりの人は、自分の言った言葉を石川さんが受け入れてくれて、

そして石川さんの鏡で跳ね返ってきた自分の言葉を耳にして

考えを整理する。

こういう教育手法はあります。

素晴らしい。

  

  

石川:ひきこもりの当事者の一番悲しいところは

  いろんなところから相手にされずに

  見捨てられちゃうってことですから、

  解決しないんですよね。放置しているとね。

  となると関わるしかないですからね。

  解決しようとしたら、

  「自分から見捨てない」っていうこと。

  まあ諦めちゃったら終わりですから。

  できれば、こんな仕事、無くなったほうがいいんですけれども、

  残念ながら当分の間はなきゃいけないかなっていうふうな気は

  しています。

Rimg2158

  

10年通ってまだ出会っていない件があるとのこと。

そこまでやらないと出会えない。

でも諦めずに通っている。

親にとってもありがたい存在だろうなあ。

教育で何ができるのだろう。

  

  

つづく

  

  

さあ出勤です。

今週は午前中勤務。

  

「ひきこもり支援 石川清」② 共に過ごした時間が信頼を生む

  

今日は令和2年3月9日。

  

前日の投稿に引き続いて、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

教育のヒントがあると思います。

  

ひきこもりの人と部屋の扉を挟んで話す時がありました。

石川さんが話しかけても、部屋からは応答はありません。

でも石川さんは話し続けます。

ここでナレーターが入ります。

  

ナレーター:心を閉ざしひきこもる人と向き合う時、

  石川には大切にする信念がある。

 

 「共に過ごした時間が信頼を生む」

Rimg2154  

石川:一緒に同じ時間を過ごして同じ場所にいて

  それで信頼関係を築くことができるんですよ。

  それを積み重ねていって、それで本人の方が

  「どうしても会って話したいから」っていう状況になった時に

  会えるわけですね。

  誠意という言い方をすればいいのかな。

  「ちゃんと自分をみていてくれるか」っていう安心感は、

  すごく大事だと思うんですね。

  単純なテクニックとか、言葉だけではなくて、

  無駄な覚悟で1年でも2年でも通って

  その積み重ねっていうものは、結構大きな信頼感、安心感に

  なると思いますよ。

Rimg2155

Rimg2156

  

  

1~2年どころか10年通ってもいる石川さんならではの言葉です。

教師が、担任している期間、家庭訪問するのとは違うんだよなあ。

短い期間だと、うっとうしい奴、面倒な奴ですんでしまう。

だから頻繁に家庭訪問するのは良くないイメージがあります。

でも石川さんの実践は、その上を行きます。

長期間の訪問になると、どんな人なのだろうと興味を持ったり、

この人はずっと相手をしてくれる人なんだと思うようになるのだろうか。

教育の限界を感じますが、何かアイデアはないだろうか。

ヒントになります。

2020年3月 8日 (日)

「人はなぜ・・・許せないのか」⑦ 同調圧力/一人一人に丁寧に/30年かけて成熟

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

周囲の行動に合わせなければいけない(逆らうと恐ろしいこと

が起きるかもしれない)と感じさせる環境要因のことを「同調

圧力」と言います。いわば、集団のなかで少数意見を持つ人に

対して、多数派の考えに従うよう暗黙のうちに強制してしまう

ことです。

(126p)

  

最近、「同調圧力」という四字熟語をこの本を含めて、

何度か見ました。こういう意味なんだよと確認です。

実際にこのような雰囲気になった時に「同調圧力だ」と

つぶやいてみたい。何か波紋を起こせるかもしれない。

  

  

ある集団にとって、グループ外の人々をあれこれ細かいことを

考えず一元的に処理できるというのは、脳がかける労力という

観点からは、コストパフォーマンスが高い行為です。「あの人

たちはああだから放っておけ」とひと括りにしてしまうことで、

余計な思考や時間のリソースを使わずに簡単に処理することが

できるわけです。本来は、韓国人にもフランス人にも、関東人

にも関西人にも、男性にも女性にも当然、個々にさまざまな違

いがあり、その人の歴史や独自の考えもあるわけで、本来はそ

の一人一人に対して、丁寧に判断していく必要があります。し

かし、このバイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できる

のです。

(134~135p)

  

これは、自分の仕事でも注意するべきことだと思っています。

特別支援学級こそ、一人一人をよく見て、

その子に合った教育をしてみたいと思っています。

この文章を読んで再確認。

  

   

どのような相手に対しても共感的に振る舞い、人間として尊重

し、認めていくという機能はとても高度なもので、前頭葉の

眼窩(がんか)前頭皮質という領域で行われています。

ここは25~30歳くらいにならないと成熟せず、さらに、し

っかり発達させるためには、相応の刺激(教育)も必要になり

ます。また、重要な部分なのに、アルコール摂取や寝不足とい

った理由で簡単に機能が低下してしまいます。しかも、その機

能が得られるまでには人生の3分の1近い長い時間がかかるの

に、衰えてしまうのは早いのです。

(146p)

 

※眼窩=眼球の収まる頭蓋骨のくぼみを指す  

だから老人は頑固であるわけです。気をつけよう。

  

    

う~ん、ここまでにしよう。

「人は、なぜ他人を許せないのか?」からの引用は終了。

この本は買った本なので、読み直したい時には手軽にできます。

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑥ 夫婦を長続きさせる秘訣

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

  

長い時間をかけて徐々に人を許せなくなる事例もあります。そ

の典型は、いったんは愛し合って結婚したはずの夫婦が、「性

格の不一致」を理由として離婚していくことです。

(中略)

結婚したからには、当初は何らかの惹かれ合うものが存在した

はずですが、脳科学的には、実は惹かれる理由も「互いが不一

致だから」こそなのです。つまり合わないことこそが楽しかっ

たはずなのです。

なのに、結婚するとかえって不一致を憎むようになってしまう

のは、皮肉にも、恋人だった頃より互いの距離感が近くなって

しまうことが、かなり有力な理由と考えられます。

遠くから見ているときは、不一致が尊敬や愛情の対象なのに、

近寄ってみると、急に目を背けたくなるような部分があったこ

とに気が付いてしまうからです。結婚からまもなくして気づく

こともあるでしょうが、数十年後、夫がリタイアして一緒にい

る時間が急に増えたことで、それまでは見過ごしていた不一致

が問題としてどんどん浮上するケースも考えられます。

そもそも人間は、自分自身のことですら理解できず、自分を

100%好きになることも難しいものです。それが他人となれ

ばなおさらです。たとえ夫婦であろうと、適切な距離や愛着の

レベルが存在していて、そこに過不足があると、途端に不一致

が粗(あら)として感じられるようになってしまうのです。

(107~108p)

  

 

夫婦の長続きの秘訣は「適当な距離感」なのですね。

参考にします。

  

話は変って・・・

  

哺乳類のうち、かなりの種が、個体としての脆弱性をカバーす

るために、集団を形成するという方法をとります。特にヒトで

はその傾向が顕著となり、ともすれば、集団主義をとりやすく

なる性質を持っています。

そして、なぜかこうした別々の集団は、互いに対立しやすくな

ります。集団主義とは「自己の所属している集団が集団であり

続けることこそが正義」というもので、ことによってはその他

の倫理観がすべてオプションになってしまうくらい強い優先度

があります。

(中略)

集団の一因であることそのものが、生物としての安全性を高め、

生活の効率を高めるための武器になるため、集団への所属と、

所属した集団の持続そのものが最優先の目的となります。正義

という言葉を使うのであれば、何があろうと所属している集団

が続くこと、そして集団の存続を脅かすものから集団を守るこ

とこそが正義なのであって、それ以外に優先すべきことなどな

いというわけです。

(110~111p)

  

幸いにも私は、日本が戦争の時代に生きていません。

戦時中の日本人は、「日本」いやもっと身近な集団「家族」を

守ることが正義であり、命懸けで守ることだと思ったでしょう。

人間の脳はそういうものなのです。

  

そのような雰囲気に異を唱えることができた人は、

多くの人たち以上に知識を得ていて、

前頭前野を発達させていた人だと思いました。

   

  

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑤ フランスと日本の議論の違い

今日は令和2年3月8日。

  

昨日の記事に引き続いて

 「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

    

著者の中野信子さんは、フランスで学んでいました。

  

日本に戻ってきて考えるのは、日本で行われている議論のほと

んどが、フランスで私が見てきた議論とは異質のものだという

ことです。

(80p)

 

どう違うか?

  

あるテーマAに対して、Xという主張、Yという主張を持って

いる人がいるとします。

フランスであれば、一方が「Aについて話をしたい。私はXだ

と考える。その理由はかくかくしかじかだが、あなたはどうか

な?」と語り始めたら、もう一方は、「私はあなたと考え方が

違う。私はYだと考える。その意味するところはかくかくしか

じかで・・・」と応じます。そこからお互いが、より議論を掘

り下げていき、この部分はどう考えるか?とか、この部分は賛

成だがこの部分は理由になっていないのではないか?あるいは

この部分まではお互いに共有できる、などといった具合に発展

していきます。人と人が合うたび、大きなテーマが世間の話題

になるたびに毎日こんな調子で、はたから見ていると、みんな

とても楽しそうに意見を交わしていました。

(80p)

  

  

そして日本人の場合は・・・

  

同じように、あるテーマAに対して、Xという主張、Yという

主張を持っている人がいるとすると、だいたいこんな具合に展

開していくのです。

「Aについて、あなたはYだと主張しているが、その考え方は

いかがなものか?」「いやいや、Xなどと言い張っているあな

たこそ失礼千万だ!」「なんだその態度は!生意気な。人の顔

をつぶすのか?」「大した勉強もしていないくせに、何を熱く

なっているの。どちらもみっともないよ」

これもこれで、はたから見ている限りでは面白そうですが、日

本の議論は何だか様式美的で、深堀せずにステートメント(意

見)を争わせ、最終的には本質の探究ではなくて、喧嘩コント

のような戦いになってしまうのです。もっとも、これをプロレ

ス遊びのように捉えるのであればエンターテインメントとして

成立するのかもしれませんが、正直議論と呼べるのか、私には

疑問です。

(81~82p)

 

日本では主張と人格とが分離されず、容易に人格攻撃へとつな

がります。

(83p)  

  

議論の違いについてもう少し深く考えてみると、フランスでは、

議論のできる人が一人前であり、議論のできない人は未成熟で

ありバカにされるということになると言えるでしょう。

(83p)  

  

 

なぜこのような違いが生じるのか?

  

閉ざされていて自然環境の厳しかった島国の日本と、さまざま

な人種と文明の交差点として、多様性と議論が当たり前だった

ヨーロッパ大陸との違いかもしれません。彼ら(フランス人)

にとって意見の対立は、互いに意見を持つ人間同士として対等

だからこそ、立ちのぼってくる現象として捉えられているので

す。

ちがっていることは当然で、違いがどうあれ、その理由や背景

を議論しながら理解を深めていく社会と、同質なのが当たり前

で、違っているものがあれば排除しようとする力の働く社会。

そのどちらが良いのかは、環境・地理・社会条件により変化し

ます。個人的には、フランスにいたときの方が疲れはするけれ

ど、言いたいことを我慢しなくてよいのは楽だったという印象

があります。どのような考え方をもっていても、どんなスタイ

ル、どんな容姿でいても、「私はこうである」という考えさえ

説明できれば平然としていても誰も文句を言いませんし、許容

されないということは、そう多くはありません。

(86p)

    

   

日本もだんだんフランスタイプの議論を

するようになっていくのではないかと思います。

1997年に「みんな一緒」という時代が終わり、

「それぞれ一人一人」の時代が始まったという

藤原和博さんの説が思い浮かびました。

ここでも道草 「本を読む人だけ」① 「それぞれ一人一人」という時代に変わった(2020年1月7日投稿)

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉