「フィンランドの教育」③ ロシアとの国境線がヨーロッパでは一番長い
今日は令和2年2月14日。
2月9日の記事の続きで、
「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか」
(岩竹美加子著/新潮新書)より引用します。
フィンランドの歴史に関する記述が印象に残りました。
フィンランドでは、愛国教育も行われている。最も顕著なもの
の一つは、高校の卒業式後、各地で「英雄墓地」を訪問、花輪
を置くことだろう。フィンランドの国旗の色、ブルーと白の花
輪で、やはりブルーと白の大きなリボンをつけて、捧げられる。
フィンランドには、戦死者を集合的に祀る機関はない。遺体は
それぞれの出身地に送られ、出身地の境界の一角に埋葬された。
各地の主要な教会には、普通の墓地とは別に「英雄墓地」と呼
ばれる一角がある。そこには、大きな石碑が立ち、その近くに
小さなお墓が並んでいる、個性を排して、画一化されたお墓に
は、名前と生年月日、死亡年月日のみが刻まれている。多くは
20代前半の若者だが、中には10代、30代、40代の人も
散見される。卒業式の後、その墓地を表敬訪問するのである。
(148~149p)
その墓地には、どのような人が埋葬されているのか?
埋葬されているのは、第2次世界大戦(冬戦争と継続戦争)の
戦死者が主である。冬戦争は、1939年11月から1940
年3月にかけての3カ月半、単独でソ連の侵攻に対して戦った
戦争である。継続戦争は1941年から1944年にナチス・
ドイツの同盟国として戦った戦争である。また、最近まで、あ
まり語られてこなかったが、1944年9月から1945年4
月にドイツ軍との間で戦ったラップランド戦争がある。英雄墓
地には、1918年の内戦で命を落とした人のお墓があるとこ
ろもある。
(149p)
フィンランドがナチス・ドイツの同盟国であったことを、今頃
知りました。しかし、1944年4月からはドイツ軍と戦って
います。複雑な国際情勢が予想されます。
調べてみたところ、冬戦争のみならず、継続戦争も対戦国は
ソ連でした。
さらに内戦に注目します。
フィンランドは、1809年から1917ねんまで、ロシアの
自治大公国だった。1917年12月の独立後すぐの1918
年1月から5月、白軍と赤軍に分かれて内戦がおきた。ただし、
内戦の死者の場合、埋葬されているのは政府軍である白軍の死
者のみで、共産主義の赤軍の死者のお墓はないことが多い。
赤軍は、政府に対する叛逆者であり、教会の墓地に葬られるこ
となく、打ち捨てるように少し土をかぶせただけのケースも多
々あった。内戦から100年を経た2018年は、内戦に関す
る多くのテレビ番組や催しなどがあった。内戦の記憶は、現在
も多くのわだかまりをかかえる問題である。
(149p)
フィンランドは、ロシア帝国が崩壊してソ連になった時に独立。
しかし、内戦状態になってしまったのです。
毎年、12月6日の独立記念日が近づくと、テレビ・雑誌が戦
争特集を始める。中心になるのは、冬戦争と継続戦争である。
特に冬戦争は重要だ。内戦は、国を二分した。しかし、冬戦争
はソ連という共通の敵に対して皆の心が一つになったことは、
内戦の苦い記憶を忘れさせてくれる。独立記念日の近くには、
退役軍人が高校など、学校に招かれ、生徒全員がその話を聞く
催しもある。第二次世界大戦時に兵隊だった高齢者から、直接
話を聞く。語られるのは、極寒の冬、小国フィンランドが、大
国ソ連に勇敢に立ち向かって国の独立を守ったという物語であ
る。
(150p)
フィンランドはNATOに不加入です。
その理由の一つは、隣国ロシアとの関係への配慮であると
著者は書いています。
現大統領のサウリ・二ーストは、フィンランドはロシアとの国
境線がヨーロッパで一番長いので、兵役が必要だと言ったこと
がある。
(183p)
フィンランドには、1901年に徴集兵から成る軍隊をロシア
によって解散させられた過去がある。軍隊がないのは、国家と
して屈辱的なことだと感じられる。軍隊がなければ、主権国家、
独立国家とは言えないのだ。小国意識も強い。
(184p)
隣国であるソ連、そしてロシアとの関係が、
フィンランドにとって重要な政策の要因であることが
わかりました。
ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国の位置は、
時には混乱します。しかし、このような歴史を知ると、
フィンランドの位置は揺るぎません。
(社会科教師としては情けないですが)
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