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2019年10月7日

2019年10月 7日 (月)

「いだてん」/小松勝と山下勝

今日は令和元年10月7日。

  

昨日放映の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」を

見ていて、もしやと思ったことがありました。

  

金栗四三の弟子で、マラソンで1940年の東京オリンピックに

出場を目指して練習に励む青年。

しかし、戦争でそれどころではなくなった東京は、

オリンピックを返上。

青年の夢は破れた。

そして青年にはさらに過酷なことが降りかかる。

学徒動員。

妻と幼い子を残して、戦場に行くことになる。

残念ながら青年は日本に帰ることはない。

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その青年の名前は小松勝(こまつまさる)(演:仲野太賀)

脚本家が生み出した架空の人物です。

しかし、「勝」で思いだすのは、山下勝選手です。

ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)

☝ 詳しくはここを読んでください。

  

1万mで好成績をおさめ、東京オリンピックを目指していた選手。

オリンピック返上で夢は破れ、その後戦地へ。

昭和17年に24歳の若さで戦死。

その死を伝える記事の見出しは、

長距離の至宝 山下勝選手 河北で壮烈な戦死

 

脚本家は山下勝選手をイメージしたと勝手に思っています。

「小松」も誰かをイメージしたかもしれません。

昨晩、もしやと思ったことです。

  

  

  

  

ここでも道草 「いだてん」で嘉納治五郎の最期が描かれた(2019年10月3日投稿)

☝ ここで書いたことですが、オープニングの曲の時に、

五輪の輪の中の名前がどうなるか関心がありました。

嘉納治五郎(演:役所広司)亡き後、誰の名前がそこにあるか?

結果はこの写真。☟

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昨日は、嘉納治五郎(回想)でした。

次回は?

 

 

台風19号の中心気圧が915hPaになりました。

(午後6時現在)

尋常ではありません。

おいしい焼き鳥学その9/竹串 皮の残している理由

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

永井製竹で焼き鳥の串を作っているところです。

スポンサーの広告が映っていて見えにくいと思いますが、

竹を割っているシーンです。☟

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竹を薄く削っています。☟

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削っているところをアップで見てみます。☟

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右の刃によって、竹が削られ薄くなっています。

刃の下にある方が製品になります。

その時にこだわりがあります。

必ず竹の皮の部分を下にして削り、皮を残すのです。

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なぜか?

それは後で書きます。

次は竹を細くする作業の写真です。☟

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刃によって2つに分割されているのがわかりますか。

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こうして薄く細く削られた竹は、必ず皮が残っています。

その理由は2つあります。

 

①折れにくい

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②燃えにくい

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なぜ折れにくい、燃えにくいのかというと・・・・

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☝ 身が詰まっているために燃えにくく、

そして折れにくくなっているのです。

  

 

本当に皮が残った串を使っているかどうか、

焼き鳥屋さんに行って確かめたくなったでしょ。

 

タレ壺についても書こうと思ったけど諦めました。

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番組ではこの奇妙な?模様について説明していました。

  

  

これで「二代目 和風総本家 おいしい焼き鳥学」の読み物化完了。

  

おいしい焼き鳥学その8/永井製竹 今年6月から新体制

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

焼き鳥の串を作っている永井製竹。

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湯釜に生竹を入れている職人さん。☟  

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☝ この写真の、興味をひいたのは、職人さんの職人歴と年齢。

64歳で職人歴3年とくれば、他の仕事を終えた後に、

第2の人生で勤めていると想像しました。

気になって、「永井製竹」で検索したら、いろいろヒットしました。

永井製竹さんにとって、今年は大きな変革の年だったようです。

  

J‐Net21 存続を望んだ他社が経営に参加「永井製竹株式会社」

☝ ここに書いてあることを大雑把にまとめてみます。

 

〇経営者の高齢化と後継者不在で存続が危ぶまれていた

 永井製竹の事業は、卸業者と竹細工組合の共同出資による

 M&Aが成立し、今年6月から新体制で継続している。

〇永井製竹は、永井家が代々引き継いできて、

 2010年から4代目社長は永井貴美代さんだった。

 年齢89歳。

〇新社長には昨年3月に東京から転居し、従業員として

 「湯釜」の仕事を担当していた茶重之さん(57)が就任し、

 前体制から引き継いだ平均年齢73歳の職人集団を束ねている。

〇新社長の茶さんについて書かれた文章を引用する。☟

 

(前略)この「湯釜」に黙々と取り組んでいたのが、

東京で25年間のファンドマネージャー・証券アナリストを経て、

建築大工として現場で働いていた茶氏だった。

「別府竹細工東京教室に7年通っていたが、

伐採や湯釜の担い手が不足して教室で使う材料が

手に入り難くなっていた。

自分が転居して伐採から湯釜まで担えば、

この先5年か10年ぐらいは産業が続くだろうと思った」

と転身の理由を語る。

  

社長就任は、今では共同経営者となった竹苑の向社長と

組合の岩尾理事長の強い要請だった。

「社長になろうと思って転居してきたわけではなかったが、

運命だと思って引き受けた。

一番きつい湯釜に取り組んでいた私の姿を見ていた

古くからの職人たちが認めてくれた。

会社を買収しただけのよそ者では、

伝統産業の承継など認められなかっただろう。

事業を引き継ぐということは、人を引き継ぐということだ」

と事業承継の難しさを強調する。

 

 

永井製竹にはドラマがあり、新社長の茶さんにもドラマがありました。

調べてよかったと思います。

残念ながら、番組「二代目総本家」で紹介された神さんのことは

わかりませんでしたが、きっと3年前に何かドラマがあったのでしょう。

後継者がいないと知って、立候補したのでしょうか。

そのドラマがいつかわかる時があるかな。

おいしい焼き鳥学その7/なぜ竹串なのか? 生竹を湯釜に入れる?

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

焼き鳥に欠かせない串について書いていきます。

 

串を使った料理は、古くからあったそうです。

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江戸時代、スズメの串焼きが人気だったそうです。

今も、伏見稲荷大社の参道では、スズメの串焼きを売っているそうです。

マイナビニュース 伏見稲荷になぜスズメの丸焼きがあるのか--

☝ このサイトで紹介されていたお店 ☟

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ひさしの「国産すずめ」に注目。店名は「稲福」です。

ちょうど、上のスズメの串焼きの写真を提供している店でした。

  

皿や箸が必要がない串料理は広がり、

以前にも書きましたが、焼き鳥屋は江戸時代に生まれました。

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焼き鳥屋では竹串が使われます。

なぜ竹串なのか?

それにもちゃんと理由がありました。

 

鳥繁さんによると、金串だとすぐに熱くなって良くないそうです。

焼き鳥の場合、外側は炭火で直接焼きますが、

内側は、竹串を通してゆっくり焼き上げるのだそうです。

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そこまで考えているのですね。驚きです。

  

その竹串を作っているところも、番組で見せてくれました。

場所は大分県別府市。

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永井製竹です。

ここで竹串が作られます。

その作業にビックリです。

 

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切り出してきた竹を、職人さんが、長いままどんどん突っ込んでいました。

私も「これは?」と思いました。

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生の竹の6mの長さの湯釜に入れていました。

何のために?

湯釜の中で煮沸することで、余分な油が浮き出て、

それを拭きとるのです。

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油を抜く前 ☟

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油を抜いた後 ☟

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油を抜かないとどうなるか?

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☝ 職人さんが教えてくれました。カビが生え、腐ってしまうそうです。

大事な作業です。

 

気になったのが、この職人さんの年齢と職人歴。

部分アップします。

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64歳で職人歴3年でした。

他の仕事を終えて、第2の人生でこの仕事に就いたと予想しました。

予想すると確かめたくなります。

調べました。

そしたら興味深いことがわかりました。

そのことは次の投稿で。   

 

おいしい焼き鳥学その6/鶏皮 肉の厚みが等しい

  

今日は令和元年10月7日。

   

10月5日の記事の続きで、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

今日で読み物化を完了させたい。

  

メニュー名の続き。

鶏皮(とりかわ)

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「鶏皮」はどこの部位の皮だと思いますか?

最も動くところの部位だそうです。

 

  

  

首周りの皮だそうです。

鶏繁さんが言うには、「旨味も違うし、肉の厚みも違うし、

繊維質もちょっと違う」そうです。

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「違う」の3連発。

この違いは、やっぱり食べてみないとわかりませんね。

  

  

 

おいしい焼き鳥は肉の厚みが等しいのだそうです。

「肉の厚み」とは?

実際に、串うち(串をさすこと)作業を見させてもらうことに。

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「肉の厚み」とは ↕ ↕ ↕ のことです。

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なぜ肉の厚みが等しいとおいしい焼き鳥になるか?

  

  

こういう理由です。☟

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言われてみれば、なるほどです。

焼き鳥屋さんに行ったら、肉の厚みをチェックしましょう。

厚みが等しい店は、おいしい可能性が高いそうです。

  

つづく

  

川村たかしさんは「サーカスのライオン」の作者でした

  

今日は令和元年10月7日。

  

川村たかしさんの「新十津川物語」シリーズの第5巻である

朝焼けのピンネシリ」(偕成社)を読み始めました。

全10巻のシリーズなので、半分までやってきました。

 

「川村たかし」さんの名前を聞くと、

私のように愛知県に住む身ですと、

名古屋市市長の河村たかしさんが思い浮かびます。

Face_side 河村たかしHP

  

でも「川村たかし」さんの名は、実はもっと私にとって身近でした。

東京書籍の小学3年国語の教科書に、

教材として載っている「サーカスのライオン」の作者が

川村たかしさんだったのですね。

「新十津川物語」を4巻まで読んで、初めて気がつきました。

  

「サーカスのライオン 川村たかし 作・・・・」

と、子どもたちと一緒に速音読を何度もしたと思いますが、

思い浮かびませんでした。

  

 

サーカスのライオン」(ポプラ社)から名場面を引用します。

炎に包まれたアパートから、ライオンのじんざが男の子を助けるシーン。

 

へやの中で、男の子は気をうしなってたおれていた。

じんざはすばやくだきかかえて、外へでようとした。

けれども、おもてはもうほのおが

ぬうっとたちふさがってしまった。

石がきの上のまどから、首をだしたじんざは、

おもわずみぶるいした。

高いのでさすがのライオンもとびおりることはできない。

じんざは力のかぎりほえた。

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その声で気がついたしょうぼう車が

下にやってきて、はしごをかけた。

のぼってきた男の人にやっとのことで子どもをわたすと、

じんざは両手で目をおさえた。

けむりのために、もうなんにもみえない。

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見あげる人たちが、声をかぎりによんだ。

「早くとびおりるんだ。」

だが、風にのったほのおは、まっかにアパートをつつみこんで

火のこをふきあげていた。

ライオンのすがたはどこにもなかった。

やがて人びとのまえに、ひとかたまりのほのおがまいあがった。

そいて、ほのおはみるみるライオンのかたちになって、

空高くかけあがった。

ぴかぴかにかがやくじんざだった。

もう、さっきまでの、すすけた色ではなかった。

金色にひかるライオンは、空をはしり、

たちまちくらやみの中にきえさった。

(30~33p)

 

「サーカスのライオン」について、川村たかしさんは、

あとがきで次のように書ています。

  

町にサーカスがやってきたのは、3~4年前の冬の初めのことです。

わたしはもうわくわくして、小屋がけのときから、

あたりをうろつきました。

  

無造作においた鉄格子のはまった箱には、

動物たちがはいっていました。

上にかぶせたシートをそうっとめくると、

古びた一つの箱にぼろぞうきんをつくねたように、

ライオンが眠っていました。

  

やがて、いよいよサーカスが始まると、年とったライオンは

点火した火の輪の中を何回もとびました。

調教師が合図をしないうちから、もうジャンプをするのです。

鉄のわくを組み合わせた檻の中で、調教されているのは

まるで人間のようです。

演技が終わると、ライオンはまたごろりと横になっていました。

  

そのすがたから、

「ああ、こうして年をとっていく」

と、いうライオンの声がきこえました。

  

その倦怠(けんたい)にふしぎに心を魅かれました。

まるでそれは、この全体に年とったサーカス団の

象徴のようでもあり、わたしたち人間に通じる

やりきれなさにみちていました。

  

この絵本はそのときから小さな芽を育てていました。

そしてわたしにとって、おいぼれたライオンは、

やはり燃えて天翔(あまが)ける一塊(かい)の

炎でなければならなかったのです。  (36p)

 

  

このあとがきを読んで、川村たかしさんが

どのような気持ちで「サーカスのライオン」を書いたのか

今さらながらわかりました。

 

このまんま年をとって朽ちていってはダメなんだ。

言われたことだけやっていて、

あとはのんべんだらりとしていては

ダメなんだ。

そんな生き方をしてはいけない。

せめて最後は輝いてほしい。

  

川村さんは昭和6年生まれ。(おっと私の父親と同じだ)

「サーカスのライオン」が発行されたのが昭和47年。

およそ40歳の意気盛んな川村さんは、

サーカスのライオンに象徴される倦怠感を嫌い、

ドラマチックにしたかったと思います。

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