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2019年7月

2019年7月12日 (金)

また特別な「木曜日」が始まった/巽橋が新しくなっていた

今日は令和元年7月12日。

  

1ヶ月あまり続いた平凡な「木曜日」が、

昨晩は久々に特別な「木曜日」になりました。

6月6日(木)の放映を最後に、

しばらくお休みをしていたドラマ「科捜研の女」が始まりました。

※参考:ここでも道草 1年間(断続)放送(2019年6月11日投稿)

 

夏シリーズの第1話の中の場面。

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京都の祇園、巽橋付近でのロケシーンです。

  

むむ、巽橋が新しくなっていることに気がつきました。

3月に放映した「京都ぶらり歴史探訪 歩いて楽しむ路地7選」では

もっと古かったです。

その写真を転載します。

Rimg1956 ここで道草 巽橋からの石畳の辻子がいい(2019年6月13日投稿) 

  

こうなると興味は、いつ架け替えたのだろうです。

調べました。

京都新聞 京都・祇園のランドマーク「巽橋」風情新た 木製高欄を改修(2019年3月17日)

 

一部引用します。

 

京都市東山区の祇園地区で白川に架かる

「巽橋(たつみはし)」の木製高欄が改修され、

(3月)16日に完成式典が催された。(中略)

高欄は長さ7・5メートル。

祇園新橋伝統的建造物群保存地区のため、

以前の形をそのまま復元した。

高さも、防護柵設置基準では1・1メートルにする必要があるが、

景観に配慮して前と同じ60センチにした。

市内産のヒノキを使い、

くぎや接着剤を使用しない木組み工法で仕上げた。(中略)

巽橋は1957年に架設された。

今回の高欄は4代目で、改修は98年以来。

事業費約970万円は、昨年10月に市が始めた

宿泊税の税収を充てる。

 

3月に改修されていたのですね。

ここも行ってみたいところです。

 

2019年7月11日 (木)

銀閣その10/今度は「ブラタモリ」で銀閣

  

今日は令和元年7月11日。

  

また銀閣のことを書きます。

このブログ史上、最初に「銀閣」が登場したのは、

2007年でした。

ここでも道草 足利義政も同じ月を見ていた(2007年12月2日投稿)

☝ この記事では、2007年11月24日に放映された

美の巨人 銀閣寺」を見ての感想が書いてありました。

 

そして2010年にも書いていました。

ここでも道草 修学旅行5  金閣/陸舟の松/さらに銀閣(2010年10月11日投稿)

☝ ビックリしたのは、この時に、

2010年10月9日放映(記事を書いた2日前)

「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 の感想を書いていました。

9年前の自分は、この番組がよっぽど衝撃的だったようで、

放映されてから2日しか経っていないのに、

番組の写真も載せながら感想を書いていました。(異例の早さ)

白土+ミョウバン説を支持していました。

いまだにその衝撃は残り、9年後に再び記事にしました。

  

  

2019年

次に取り上げるテレビ番組は、2018年4月21日放映の

ブラタモリ 101 京都・銀閣寺」です。

今回の案内役の方は、次の2人。

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梅林秀行さん。

「ブラタモリ」で京都だと、必ず?登場する方。

☟ この記事で、登場しています。

ここでも道草 「ブラタモリ 京都 完全版」(2015年3月31日投稿)

  

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久山哲永さん。

見覚えがあるでしょ。

昨日の記事で載せました。

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」

(2018年12月6日放映)でも案内役をされていました。

「ブラタモリ」が同じ年の4月放映ですから、

「ブラタモリ」の方が、8か月ほど早いです。

そのせいか、「ブラタモリ」の時はすごく緊張しておられましたが、

比較的「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」

の時は、余裕を感じました。

つづく

いい買い物をした ベッド用にもなる机

今日は7月11日。

  

診察を受けに行く日ですが、

この1週間は不安定になることが少なかったので、

薬が4回連続の増量ということにはならないでしょう。

今の薬の量が、今の自分の病状には適量と考えていいのかな。

  

父親のこと。

現在はほぼ歩けなくなって、

家の中でも車いすでの移動です。

我が家のあちこちの敷居には、スロープがついて、

父親が移動しやすい環境になっています。

  

困ったのは事務机。

父親が新聞を読んだり、日記を書いたり、

時には食事にも使っていた机が使いづらくなりました。

なぜなら、机の脚の幅が狭くて、車いすに乗ったままだと

車いすの幅の方が大きくて、机に近づきにくいのです。

少し離れていて、書きにくい、

読みにくい、食べにくい状態でした。

   

そこで、買うことにしたのですが、

将来ベットでも使えるような机にしようと決めて、

奥さんといろいろ物色しました。

そして買ったのがこれです。☟ 

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Rimg2279 amazon

天板の奥行きが45cmです。ちょうどいいサイズでした、

スタンドを置いても、邪魔にはなりません。

この種のテーブルは、奥行き40㎝が多かったけど、

この5cmの差は大きいと思います。

これだけ幅があれば、車いすでも深く入れます。

食事も、しっかりテーブルの上で食べることができ、

床にこぼれる心配はなくなりました。

父親は、ニコニコして使っていました。

  

1万円ほどしましたが、いい買い物をしたと思いました。

2019年7月10日 (水)

銀閣その9/実際に座ってみたい板敷きの縁

 

今日は令和元年7月10日。

  

前投稿に引き続き、2018年12月6日放映の

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」より。

 

 

観音様の写真が紹介されました。

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「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」でも

闇に浮かぶ観音様が映りました。

ここでも道草 銀閣その5(2019年7月9日投稿)

いつか、何かの機会に、実物を拝みたいなあ。

あの階段をのぼって、2階に上がって・・・

将来の楽しみのひとつですね。

  

 

一行は、銀閣の1階の板敷きの縁に座りました。

正面の池はライトアップされて、素晴らしい景色でした。☟  

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一行が座っている板がすごい。

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創建当時、つまりざっと540年の板ということになります。

それは古い。

さらに1枚の板が大きい。

合板ではない、1枚板です。

やっぱり、この板に座って、庭を見たい。月を見たい。

  

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アナウンサーが、銀閣が月見を楽しむために造られた説を

紹介していました。

大森正夫先生の研究していた分野です。

参考:ここでも道草 銀閣その4(2019年7月9日投稿)

  

  

テレビ番組は、実際にそこに行ってみたい、実際に見てみたい、

実際に触ってみたいと思わせてくれます。

思っただけでなく、少しでも実行したいなあ。

  

以上で、「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」の読み物化完了。

  

 

銀閣その8/黒漆が劣化して白くなった!?

  

今日は令和元年7月10日。

  

前投稿に引き続き、2018年12月6日放映の

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」より。

  

中尾正治さんは、9年前の「ワンダー×ワンダー 

銀閣 幻の”月の御殿”」にも出演しているので、

白土+ミョウバン説だと思っていたら、違いました。 

 

 

では、説明をしていきます。

  

前投稿のように教科書にも間違った記述が載ってしまったのは、

次の文献があったからです。

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ムム、この文献は以前も出てきました。

ここでも道草 銀閣その1 (2019年7月9日投稿)

ガイドブックのような本です。

1658年の文献です。

こんな意味です。私が意訳。

「銀箔にいろどられているため、

 銀閣寺と言っている。

 北山の金閣にならって造られた。」

文献上で「銀閣寺」と初めて表記されたものだそうです。

この文献が出発点で、間違ってついてしまったのが「銀閣寺」

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ではなぜ、銀箔でいろどられているように見えたか。

中尾さんはこう言いました。

 

中尾:もともとは、漆、黒漆があったんですよね。

  ところが、漆は劣化すると白くなるんですよね。

  江戸時代の方は、白い銀閣を見た。 (聞き書き)

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なぜ「銀閣」の名前が定着したのか?

間違っているなら、消えていきそうなものです。

当時のお寺は、訪れる人たちの参拝料で、

経営をしていたので、ガイドブックに銀閣寺と書かれたことで、

訪れる人たちが多くなったので、積極的に間違いを正そうとは

慈照寺の人もしなかったのでは、という説があります。

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さらに、江戸時代は銀が、金と同等位に人気があったそうです。

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庶民の憧れの「銀」がついた名前は、

そのまま今の時代まで残ったというわけです。

  

う~ん、ちょっとややこしかったと思いますが、

わかってもらえましたか?

 

中尾さんの口から、1回も「ミョウバン」は出ませんでした。

白土+ミョウバン説はどうなってしまったのだろう?

  

つづく

 

銀閣その7/金閣にならってではなく、苔寺にならって造った

今日は令和元年7月10日。

  

銀閣シリーズ、まだまだ続きます。

今回は、2018年12月6日放映の

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」の読み物化です。

番組前半では、「祇園」のおなまえ中心。

その部分は今回は省略。 

 

銀閣寺のことを書いていきます。

もう一度おさらい。

銀閣寺は通称で、正式名は東山慈照寺。

銀閣は通称で、正式名は観音殿。

  

教えてくれるのは、このおふた方。

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中尾さんは、9年前放映の「ワンダー×ワンダー」でも

出演していました。

2007年からの修復の責任者であり、

その後も研究調査を続けておられるようです。

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中尾さんは、修復の時に、銀箔の痕跡がないか

隅から隅まで調べたそうです。

その結果・・・☟

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銀は全くなかったそうです。

次のことも予想しています。

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そうそう、私もそう思います。

私の頭の中は、「ワンダー×ワンダー」を見て以来、

白土+ミョウバンで、銀閣は輝いていたと思っています。

 

そして番組のテーマは、これ。☟

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銀箔もはった痕跡がなく、

そもそも銀をはる予定もなかった銀閣が、

なぜ「銀閣」と呼ばれるようになったか。

それがテーマでした。

  

  

この番組の結論は、

白土+ミョウバン説ではありませんでした。

そのことは後で書くとして、

もうひとつ、打ち消された説がありました。

足利義満の金閣にならって、足利義政が銀閣を造ったという説。

中尾さんが言うには、義政は、苔寺(西芳寺)にならって、

銀閣を造ったのだそうです。

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番組では次のような結論。☟  

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「銀閣」は間違ってつけられたあだ名(通称)だというのです。

教科書すら間違っていました。

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銀箔をはる予定はなかったそうです。

この文章は見たことがあるなあ。

さらにもうひとつ。☟

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金閣にならっていないのです。

やぱっり、この文章は見たことがあります。

 

  

では実際はどうなんだ?

修復責任者だった中尾正治さんの説は、次の投稿に書きます。

 

つづく

映画「ヒンデンブルク」を見た

今日は令和元年7月10日。

  

今日はウルトラマンの日。

1966年の今日、ウルトラマンが始まりました。

先日、番組「チコちゃんに叱られる!」でなぜスペシウム光線は、

あのスタイルだったのかが、紹介されていました。

興味深い内容でした。また今度書きます。 

 

やっぱり映画を見るのは面白いと思った映画の話。

映画は「ヒンデンブルグ」(1975年アメリカ)。

2018年12月5日放映されたものを見ました。

  

大きな飛行船が、映画の大きな画面に似合います。

ナチスの宣伝に使われていたヒンデンブルグ号。

選挙戦にも使われ、ベルリンオリンピックにも登場しました。

尾翼の鍵十字をみると、いやがうえにも時代を背負っていることが

わかります。

1937年のヒンデンブルク号の爆破については

いろいろな説があります。

映画では・・・・・けっこうスリリングで面白いので、

内緒にしておきましょう。

主人公を演じたジョージ・C・スコットは大好きな俳優さん。

彼の一挙手一頭足を楽しんでいました。

映画の写真を並べます。

事故当時の映像も使われていました。

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☝ この写真の右の人がジョージ・C・スコット

ヒンデンブルクについては、もう1本映画があります。

2011年のドイツテレビ映画。

2013年に劇場公開された映画です。

ヒンデンブルク 第三帝国の陰謀」(2013年ドイツ)  

※参考:ここでも道草 「ザ・テレビジョン」で見つけた楽しみ(2013年2月17日投稿)

これも見たいなあ。

2019年7月 9日 (火)

銀閣その6/月見第3ステージ 月と銀閣をともに楽しむ

  

今日は令和元年7月9日。

  

前投稿に引き続き、2010年10月9日放映の

「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 より。

  

月見の第3ステージの話を書きます。

  

2007年秋から始まった修復工事の時に、

銀閣北面に、埋められたほぞ穴が2つ発見されました。☟

(黄色の部分です)

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このほぞ穴は、北面に建造物があった証拠ということで、

次のような建物があったと考えられています。

修復責任者の中尾さんたちが考えたものと思われます。

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外階段で下に降りて、そこには渡り廊下がありました。☟

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廊下の先には、また建物がありました。☟

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大胆な推理です。

  

廊下の先にあった建物が第3ステージの場所です。

水面から出てしまった月を、

今度はこの建物から見ました。

上空を通り、銀閣の向こうに沈んでいく月を、

夜遅くまで楽しんだのです。

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第3ステージは、月だけでなく、

銀閣も見る景色の中に入れて楽しんだと思われます。

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午後6時から、午前3時まで。

月見を楽しむために造られたのが銀閣ではないかと、

大森先生は考えたのです。

  

この番組で納得した私は、授業で紹介していました。

  

以上で「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 

の読み物化完了。 

通算6300本目の投稿 銀閣その5/月見第2ステージ 水面(みなも)に映る月

今日は令和元年7月9日。

  

前投稿に引き続き、2010年10月9日放映の

「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 より。

  

第2ステージは、階段を登って2階に上がります。

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昨年度、中学1年生の生徒から、「金閣とか銀閣は、

階段で2階に上がるんですか?」と聞かれました。

こういう素朴な質問、いいですよね。

特別な建物だから、もしかしたら階段、ないかも?と思ったかな。

入らせてくれない建物なので、

そんな当たり前のものが本当にあるのかないのか、

確かに疑問です。

幸運にも、銀閣の階段の映像はここにあります。

もちろんその生徒には、この映像を見せました。

 

  

階段を上って2階へ。

観音像が闇に浮かび上がっています。☟

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これまた貴重な映像です。

観音像は、南を向いています。

大森さんは、東に面している3つの花頭窓の中央に歩み寄ります。☟

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障子を開けました。☟

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池を見ることができます。☟

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池の中央には、月の形のような石が置いてあります。☟

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義政は、池の水面(みなも)に映る月を楽しんだと、

大森さんは予想していました。

水面のどのように映ったのか、計算して割り出した

1489年の仲秋の名月の起動がこれ。☟

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嘘でしょう!

と言いたくなるほどの軌道です。

こんなことまで考えて、銀閣を建てたの?

偶然なのか?

  

第1ステージで、ひさしに隠れてしまった月を、

すかさず、第2ステージで、水面に映る月として

楽しんだのです。

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大森先生、すごく贅沢です。☟

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一般庶民が入れない場所で、腰かけて池を見る!

いいなあ。

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それでは次の記事で第3ステージを書きます。

銀閣その4/月見第1ステージ 月待山からの月の出

  

今日は令和元年7月9日。

  

前日に引き続き、2010年10月9日放映の

「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 より。

  

番組の後半です。

銀閣は何を楽しむために造られたかという視点です。

  

銀閣を造ることを命じた足利義政は月をこよなく愛したそうです。

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銀閣と月との関係を調べている方です。☟

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大森正夫先生。

この先生の発見したことが面白い。

   

大森先生が銀閣で注目したのは、

建物が向いている方角です。

 

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☝ 銀閣の1階の正面は、庭や池に面した側だと思われます。

それは東を向いています。

東の先には、義政が「月待山(つきまちやま)」と名づけた

山があります。☟

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義政の時代に、月待山のどのあたりに月が出たのかを

大森先生は調べました。

年月日を入れると、月や星の軌道がわかるソフト。☟

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月見をするのに一番いいのが中秋の名月。

旧暦の9月13日です。

このソフトを使って、1485年~1495年、

11年分の旧暦9月13日の月の出を示したのが下の図。☟

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地球の軌道との関係で、同じ日でも月の出は

位置が変わっています。

そして銀閣が造られていた1489年の月の出だけにします。☟

(銀閣は1482年着工。義政は1483年に移り住む。

 義政が亡くなったのは1490年1月。

 義政は銀閣の完成を見ずに亡くなったと言われる。

 1489年の月が選ばれたのは、ほぼ完成した銀閣で 

 義政が見たであろう月を予想するためと思われる:いっぱい道草)

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何と、ちょうど銀閣の真正面から月が出るのです。

 

大森:正直、僕は、本当に鳥肌が立ちました。

  庭を造ろうとしたターゲットとして、

  彼(義政)は月をついに手に入れたのだと思います。

 (聞き書き)

  

1489年9月の中秋の名月は、

実際にどのように見えたのか、先ほどのソフトを

駆使して、大森先生が再現してくれました。

  

まずは、銀閣の1階正面の縁(えん)に座ります。

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「第1ステージ 正面からのぼる月の出」を見ます。

(第3ステージまであります) 

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午後6時頃に山の端からのぼる月を楽しみます。

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しかし、20分ほどすると、月はひさしで見えなくなります。

  

これで月見は終わりではなく、

第2ステージに移ります。

 

  

ここはじらして、次の投稿で書きます。

  

つづく。

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