銀閣その1/発見、梁(はり)に文様の跡がある
今日は令和元年7月8日。
「銀閣寺」について、小学校でも中学校でも教える時に、
必ず利用したのが、2010年10月9日放映の
「ワンダー×ワンダー 銀閣 幻の”月の御殿”」 です。
この番組で、なぜ「銀閣」という名前なのか、
足利義政が何を楽しむために建てたのかを推測しています。
それがなるほど!と思える内容だったので、
授業で使いました。
よく利用した番組なのに、ブログに書き留めていなかったので、
今日は書き留めておきたいと思います。
銀閣寺と通称で呼ばれることが多いのですが、
寺の正式名称は東山慈照寺。
有名な建物は銀閣と呼ばれますが、これも通称。
建物の正式名は観音殿。
洛中洛外図屏風に銀閣が描かれています。
番組では、銀閣完成から60年後の京都が
描かれた図だと紹介されていました。
☝ 洛中洛外図屏風の銀閣は、今のように黒くなく、
白木で造られたように見えます。
洛陽名所集。
江戸時代の文献です。
この文献には銀閣は、
「銀箔でいろどられていたそうだ」(聞き書き)
という記述があるそうです。
創建当時の銀閣の真の姿はどうであったのか?
なぜ「銀閣」という名前がついたのか?
謎でした。
謎解明の進展のきっかけになったのが、
2007年秋に始まった銀閣修復工事です。
100年ぶり!の修復工事です。
壁や柱を取り外し、耐震補強や屋根の葺き替えを行います。
工事は4年をかけて、建物の隅々まで修復する大がかりなもの。
研究者や寺の関係者の間では、創建当時の姿について
貴重な手掛かりが得られるのではと期待が高まっていました。
(聞き書き)
そして実際に発見がありました。
工事が始まって1年後のこと、屋根の下の梁の部分に
文様のようなものあることが発見されました。
かすかに残る文様の上にトレーシングペーパーを置いて
なぞっています。☟
こういう作業、ワクワクするなあ。
その結果、次のような文様が写し取られました。
この記事はここまでで終わりですが、
この文様、覚えておいてくださいね。
また、後の記事で登場する予定です。
つづく。
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