銀閣その7/金閣にならってではなく、苔寺にならって造った
今日は令和元年7月10日。
銀閣シリーズ、まだまだ続きます。
今回は、2018年12月6日放映の
「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!
【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」の読み物化です。
番組前半では、「祇園」のおなまえ中心。
その部分は今回は省略。
銀閣寺のことを書いていきます。
もう一度おさらい。
銀閣寺は通称で、正式名は東山慈照寺。
銀閣は通称で、正式名は観音殿。
教えてくれるのは、このおふた方。
中尾さんは、9年前放映の「ワンダー×ワンダー」でも
出演していました。
2007年からの修復の責任者であり、
その後も研究調査を続けておられるようです。
中尾さんは、修復の時に、銀箔の痕跡がないか
隅から隅まで調べたそうです。
その結果・・・☟
銀は全くなかったそうです。
次のことも予想しています。
そうそう、私もそう思います。
私の頭の中は、「ワンダー×ワンダー」を見て以来、
白土+ミョウバンで、銀閣は輝いていたと思っています。
そして番組のテーマは、これ。☟
銀箔もはった痕跡がなく、
そもそも銀をはる予定もなかった銀閣が、
なぜ「銀閣」と呼ばれるようになったか。
それがテーマでした。
この番組の結論は、
白土+ミョウバン説ではありませんでした。
そのことは後で書くとして、
もうひとつ、打ち消された説がありました。
足利義満の金閣にならって、足利義政が銀閣を造ったという説。
中尾さんが言うには、義政は、苔寺(西芳寺)にならって、
銀閣を造ったのだそうです。
番組では次のような結論。☟
「銀閣」は間違ってつけられたあだ名(通称)だというのです。
教科書すら間違っていました。
銀箔をはる予定はなかったそうです。
この文章は見たことがあるなあ。
さらにもうひとつ。☟
金閣にならっていないのです。
やぱっり、この文章は見たことがあります。
では実際はどうなんだ?
修復責任者だった中尾正治さんの説は、次の投稿に書きます。
つづく
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