« 2019年5月 | メイン | 2019年7月 »

2019年6月

2019年6月14日 (金)

「ドン・キホーテ」完読/床屋と帽子

今日は令和元年6月14日。

  

 

ドン・キホーテ」(ミゲール・デ・セルバンテス作/

草鹿宏訳/スズキコージ絵/集英社)

昨日完読した本について、もう少し引用します。

  

この本は、親切にも、ページの上下の余白に、

本文中の意味や、その時代の解説などが書いてあり、

じっくり読むと、とても勉強になる本でした。

  

例えば、サンチョのセリフ。

おらは、*からきし学問がきれえで、

あたまもかなりいかれてるらしい。」

(99p)  

次のような意味説明がありました。

 

*からきし=まったく

  

 

ドン・キホーテのセリフ。

  

「なんと、姫おんみずからこのわしに?

*よもや、わしを*かつぐのではあるまいな。」

(175p)

次のような意味説明がありました。

 

*よもや=まさか

*かつぐ=だます

 

私ぐらいの年代なら、この意味説明は不要ですが、

子どもたちが読むなら、適切な意味説明だと思いました。

  

  

ドン・キホーテとサンチョが雨をさけて

木かげで休んでいると、

向こうから駄馬にのった男が、

なにやらキラキラ光る物をかぶってやってきました。

それは村の床屋であって、かぶっていたのは

*しんちゅう金だらいでした。

頭が雨に濡れないように金だらいをかぶっていたのです。

(*しんちゅう=銅や亜鉛の合金。細工がしやすいので、

いろいろなところに使われる。)

でもドン・キホーテには、床屋は騎士に、

駄馬は優れた馬に、しんちゅうの金だらいは、

金のかぶとに見えました。

馬とかぶとを手に入れるために、

ドン・キホーテは、勝負を挑みます。

この話が語られているページの上の余白には、

次のような「床屋」の解説がありました。

解説の写真を載せます。

Epson025_2

 (73p)

これで、なぜ床屋が金だらいを持っていたかがわかります。

グッドな解説、図絵です。

ちなみに、映画「ラマンチャの男」(1972年イタリア)でも、

床屋は出てきます。映画の写真です。

Rimg1995

Rimg1996  

金だらいが欠けているのは原作通り。

床屋から奪い取ったドン・キホーテが

こう言っています。

「その男(床屋)は金に困り、純金のかぶとの半分を、

売ってしまったのじゃ。情けないご時勢よな。

わしが鍛冶屋を見つけて、もとの由緒あるかぶとに

作りかえるとしよう。」

(75~76p)

  

これを知っていると、映画の中で床屋がかぶっている

不思議な帽子の意味がわかって楽しいですよ。

 

 

ついでに、床屋の「あめんぼう」の青が静脈、

赤が動脈は覚えていましたが、

白は包帯だったんだと思いました。

Hairdressing2142482_1920 pixabay

6月12日は「日記の日」でした

 

今日は令和元年6月14日。

  

6月12日(水)は「日記の日」でした。

なぜ日記の日であるか?

今日は何の日~毎日が記念日~には次のように書いてあります。

 

Anne20frank THE UNKNOWN ANNE FRANK

1942年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって

「アンネの日記」が書き始められた。

アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、

アムステルダムの隠れ家に身を隠した。

日記は隠れ家に入る少し前の、

この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。

1944年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、

ポーランドのアウシュビッツに送られたため、

日記はこの日で終わっている。

そして、1945年3月に

ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。

 

 

アンネ・フランクさんのことは、誰もが知っていて当然。

そう思っていますが、時代が進むと、だんだん目に触れなくなるのでしょうか。

こうやってアンネ・フランクさんのことを書き、写真を載せておくことで、

ささやかに風化を避けたいと思います。

 

  

私にとって、日記は2つあります。

手書きノートの日記と、このブログです。

なぜ日記を書くか?

以前の記事を、読み直しておこうと思います。

得意の「たぐる」ことをします。

ここでも道草 後押しされてブログをやり切りたいです(2015年11月29日投稿) 

↑ここに書いてあることは、折に触れて読みかえし、

自分の血や肉になってほしいと思います。

「好奇心の筋肉みたいなものを、

素振りで練習していくには、書いていくことですね。」

糸井重里さんのこの言葉は、素晴らしい。

 

  

最後に、pixabayで「日記」関連の写真を並べます。

Manuscript203465_1920

Blog1027861_1920

2019年6月13日 (木)

「ドン・キホーテ」完読/ヒツジ飼いと石

  

今日は令和元年6月13日。

  

久々に本を完読。(最近は拾い読み多し)

31m98j6r18l Amazon

ドン・キホーテ」(ミゲール・デ・セルバンテス作/

草鹿宏訳/スズキコージ絵/集英社)

 

今年度は、授業で扱いました。

有名な話ですが、215ページの長編として読んだのは、

おそらく初めてだと思います。

最後は、ドン・キホーテさんはお亡くなりになります。

 

印象に残った場面・・・・・

砂煙をあげて移動するヒツジを群れを、

軍隊と勘違いして、果敢に突撃をするドン・キホーテ。

 

おどろいたのはヒツジ飼いたちで、

「危ねえからやめろ、やめろ。」

と、どなったが、ききめがあるはずがない。

とうとうヒツジ飼いたちは怒って、

腰につけていたこぶしほどの石を、

雨あられとドン・キホーテに投げつけた。

それにもかれは目もくれず、

砂ぼこりにまみれて、かけめぐりながら・・・

(中略)

そのとき、風をきってとんできた石の弾丸が、

ドン・キホーテの横っ腹に命中し、

あばら骨を二本へし折ってしまった。

(54~55p)

  

今回読んでい、石が武器になって、

ドン・キホーテは、何度か痛い目にあっています。

石が武器・・・今は滅多にありませんが、

日本でも、太平洋戦争の時代まで、

石を投げ合って争うことがありました。

「印地(いんじ)」「石合戦」と言ったそうです。

この記事で、そのことを書いたのを思い出しました。たぐります。

ここでも道草 初めて「タイムスクープハンター」を見る/印地(2010年7月21日投稿)

きっと、「ドン・キホーテ」の舞台であるスペインでも、

石は武器だったのでしょう。

  

ここで注目は、次の文章。

 

腰につけていたこぶしほどの石を、

雨あられとドン・キホーテに投げつけた。

 

石を拾って投げたのではなく、

腰につけていた?

それもたくさん?

 

これが疑問です。

 

「ヒツジ飼い 石」で検索すると興味深いことに行き当たります。

聖書の中に、ヒツジ飼いが投石で巨人を倒す話があったのです。

ヒツジ飼いは、ヒツジがオオカミやハイエナに襲われないように、

石を常備していたようです。

※参考:聖書の時代と風物 パレスティナの羊飼いの装備

  

  

調べていて、「スリング」という言葉に出合いました。

遠心力を利用した紐状の投石機のことです。

こんな映像がありました。

Photo_7

Photo_8

Photo_9

Photo_10

Photo_11

Photo_12  

ヒツジ飼いが、このスリングを使ったなら、

ドン・キホーテはもっと大変だったでしょう。

  

  

 

いい道草ができました。

京都市 あじき路地

今日は令和元年6月13日。

  

前投稿に引き続き、3月5日放映の

京都ぶらり歴史探訪 歩いて楽しむ路地7選」より。

  

今回は「あじき路地

Rimg1962

Rimg1963

Rimg1964

Rimg1965

Rimg1966  

いい感じじゃないですか。歩いてみたいですね。

  

Rimg1967  

レポーターの2人が歩いていたら初老の女性と

あいさつを交わしました。

 

原田龍二:こちらでお住まいなんですか?

安食:住んでいるのは違うところなんですけど、

  ここの路地を守っているお母さんです。

(路地の大家さんでした!)

ナレーター:この路地に連なる長屋の大家さん。

  安食弘子さん。

原田:ここはどういった場所なんですか?

安食:15年ほど前に空き家がいっぱいできたんで、

  主人と一緒に、ここをちょっときれいにして、

  若いアーティストを募集させてもらいました。

  住んで、ものを作っています。

  

そのような通りがあるのですね。

何人かの職人が紹介されました。 

☆帽子職人 

Rimg1968

Rimg1973

☆革職人

Rimg1972   

☆三味線職人

Rimg1971  

 

☆手作りノートを製本する職人

Rimg1970  

  

安食弘子さんも、アーティストを目指していた方でした。

今は若いアーティストを応援しているのだそうです。

いずれここから巣立っていくのでしょう。

いずれ大成しようと頑張っている人たちの住む

この路地の雰囲気を味わいたいですね。

  

やっぱりグーグルアースで出向きます。

グーグルアース あじき路地

Photo_5

やっぱり行き止まりになっているようです。

路地ですね。

ストリートビューで下ります。

ストリートビュー あじき路地入口  

Photo_6 

番組でもそう思いましたが、とっても地味な入口です。

  

   

ずっと忙しかった日々。

行きたい場所が、このブログ上で

どんどん積み重なっていきます。

一覧にしたら、すごいことになるだろうなあ。

100、200、もっとかな?

リストアップした時に、最新なのがこの「あじき路地」です。

京都市 巽橋からの石畳の辻子がいい

今日は6月13日。

  

前投稿に引き続き、

3月5日放映の「京都ぶらり歴史探訪 歩いて楽しむ路地7選」より。

2時間番組です。

すべてをここに書き残したいけど、割愛します。

  

番組の旅人は、最近お騒がせの原田龍二さんでした。

聞き書きをします。

Rimg1957

Rimg1958  

ナレーター:ここ白川南通は、初めて京都に訪れる人に

  お薦めの通り。ゆったりと流れる白川沿いには、

  趣のある建物が軒を並べます。

  川にかかる巽橋は、京都らしい風景を求める観光客が

  数多く訪れる場所。

Rimg1959

Rimg1956

Rimg1960  

石畳のいい小路だと思います。

この道は行き止まりにはならないようなので、

「辻子(すし)」と考えていいのでしょうか。

 

グーグルアース出動です。

グーグルアース 巽橋

Photo  

ストリートビューで下りてみます。

巽橋から石畳の道を南下してみます。

巽橋から奥へ1

Photo_2  

巽橋から奥へ2

Photo_3  

巽橋から奥へ3

Photo_4

歩いてみたいですね。

次は「あじき路地」のことを書きます。

10年前のあじき路地の様子は、

昨晩紹介したサイトに、写真が載っていました。

◆Akira's Candid Photography

2019年6月12日 (水)

京都市の「路地」「小路」「辻子」

 

今日は令和元年6月12日。

  

4月18日放映のドラマ「科捜研の女」の一場面です。

Rimg1943

キミヤーズ塾に通うようになって、

京都市に行くことが多くなりました。

京都市についていろいろ感じることがありますが、

この写真のように、細い道が多いなあと思います。

ただ細いだけでなく、景色に歴史を感じます。

  

  

そんな京都市の細い道に興味があったので、

3月5日放映の「京都ぶらり歴史探訪 歩いて楽しむ路地7選」を

録画して見ました。 

この番組の冒頭で、ナビゲーターの中村芝翫(しかん)さんが

次のように話していました。

聞き書きです。

  

芝翫:京都の町は、碁盤の目と言われるように、

  通りが縦と横に整然と並んでいます。

  そこから少し入ると、入り組んだ路地(ろうじ)や

  小路(こうじ)がたくさんあります。

  そして、そんな道を歩くと、それぞれの町の魅力を

  色濃く感じることができるんです。

  今回は、そんな路地や小路を歩く旅に出かけてみましょう。

Rimg1961  

「路地」を「ろじ」と読みたくなりますが、

「ろうじ」と言っています。

「小路」はあまり目にしない熟語です。

読むなら「こみち」と読むかな、

でも「小道」だよなと思いました。

「こうじ」という読み方に驚きです。

  

でも「小路」が「大路」の対義語だと知ったら、

少々納得しました。

「朱雀大路」は「すざくおおじ」であり、

「おおじ」の対義語は、やはり「こうじ」でしょう。

細い道は全て「小路」のようです。

  

 

「路地(ろうじ)」は、もう少し調べました。

京都路地散歩には次のように書いてありました。

 

京都に多い路地、読み方は「ろじ」の他に「ろうじ」、

「ろーじ」とも読みます。

  

芝翫さんの言い方は「ろーじ」でしたね。

京都の突抜・辻子・図子・路地(ろうじ) - Alleys in Kyoto

↑ このサイトからも引用します。

 

家と家の間に通じた細い道のうち、

次の通りまで突き抜けているものを辻子(図子)、

行き止まりになりコの字型に家が並び、

通りの入口に家の数だけ表札が掛けられている所を

路地(ろうじ)と呼ぶ。

  

「辻子」「図子」は「ずし」と読むそうです。

でも、だんだんわかってきましたよ。

行き止まりになる小路が「路地」なんですね。

疑問は「通りの入口に家の数だけ表札が掛けられている所」です。

イメージができません。

  

でも調べればわかるものです。

次のサイトに、写真がありました。

◆Akira's Candid Photography

このサイトに行って、上から11枚目の写真を見ると、

「通りの入口に家の数だけ表札が掛けられている所」が

理解できます。

::追記::上のサイトの管理者さんから許可をいただいたので、

写真を転載します。(6月15日記)

Photo_4 表札によると、この奥には3軒あるようです...

 

 

今度、京都市に行ったら、見てみたいです。

  

今晩はここまで。

次の投稿では「京都ぶらり歴史探訪」のことを

もっと書きたいです。

4月1日の「雑学王」より/置き忘れを減らすための小物置き

 

今日は令和元年6月12日。

  

「4月1日の『雑学王』より」シリーズは、

何と4月18日以来です。

書きたいことが次々出てくるので、

やっと順番が回ってきました。

4月1日放映の「芸能人雑学王最強No1決定戦2019春!」より。

 

Rimg1944 

高速道路のSAで置き忘れを減らすため

 個室トイレのどこに小物置きを設置した?

  

この問いは気になりました。

私は以前、SAの個室トイレに財布を置き忘れ、

泡を食ったことがあるからです。

どこに設置したのだろうと想像しながら、

解答を見ました。

(想像しながら見たけど、結局浮かびませんでした)

解答を見て、すばらしいアイデアだと思いました。

  

 

解答の写真を並べます。

Rimg1945

Rimg1946

Rimg1947

Rimg1948

Rimg1949

Rimg1950

Rimg1951

Rimg1952

Rimg1953

Rimg1954

Rimg1955  

ね、素晴らしいでしょ。

これなら忘れる人はいない。

  

これは教育にも通じます。

生徒が忘れ物をしたことを注意することも大事ですが、

忘れないようにしてあげる工夫も必要だと思います。

  

 

私はまだこのドアのカギが小物置きになっている実物を

見た覚えがありません。

番組では「有珠山」SAでした。

北海道ですね。景色のいいSAのようです。

さっそくグーグルアースで行きます。

グーグルアース 有珠山SA

Photo

グーグルアースなら簡単に行けますが、

実際にはすぐには行けない場所です。

  

 

いつかどこかで小物置きの実物を見たら、

必ず写真に撮ってブログに載せます。

他にも何か考えてみようかなと思わせてくれる

素晴らしいアイデアだと思います。

今に当たり前になるのかな。

2019年6月11日 (火)

父親、ショートスティ初挑戦/1年間(断続)放送

今日は令和元年6月11日。

  

知ってますか?

沢口靖子さんの誕生日です。

4月から1年間、ドラマ「科捜研の女」があるので

喜んでいたら・・・・・

6月6日(木)放映の次回は、何と7月11日(木)!

1か月以上も間が空いてしまう。

2カ月放映して1か月休みのペースでは、

「1年間放送」と謳っていいのでしょうか?

「1年間(断続)放送」ですよ。

「木曜日」は特別だったのに、しばらくは平凡な「木曜日」です。

  

「科捜研の女」のHPを見たら、こんな写真がありました↓

Iq9lkxahhz 「科捜研の女」HP

昨日、ドラマのキャスト&スタッフに

お祝いしてもらったようです。

届かないと思いますが、おめでとうございます。

 

  

父親のことを書こうとして、

日づけにつられて、脱線してしまいました。

    

 

介護している父親が明日、ショートステイに初挑戦です。

ショートスティは、以前から

ケアマネージャーさんは勧めてくれていて、

準備を進めていました。

私が体調を崩したこともあって、

準備を早めて、明日となりました。

父親は、うんと久しぶりの外泊です。1泊です。

これからは、週に1回はショートスティを入れていく予定です。

 

何日もかけて、1泊することを父親に伝えてきました。

「追い出すんじゃないだろうな」と父親は笑って言いました。

辛いところです。

「追い出すわけないじゃん」「1泊だけだよ」

「次の日は、俺が迎えに行くからね」

などと話しています。

 

明日と明後日。

父親にとっていい2日間になってほしいです。

2016021515482501078 ヘルパーステーション アユート

テレビ番組で「トゥキディデスの罠」を知る

今日は令和元年6月11日。

  

テレビをボーっと見てていると、

おっ!これはいいぞと急きょ録画することがあります。

5月19日放映の「サンデーモーニング」を見ていたら、

中国とアメリカの覇権争いのニュースをやっていました。

覇権国と新興国は争うことになることを

何とかと言うと説明していました。

急きょ録画した映像の写真です。↓

Rimg1939

Rimg1942  

「トゥキディデス スパルタ アテネ」で検索したら、

ヒットしました。

トゥキディデスの罠(わな)」

 

そうそう、確かそう言っていました。

    

     

トゥキディデスの罠」とは?

次のサイトの説明がわかりやすかったので引用します。

学際知の地平 

 

紀元前5世紀、新興のアテネと、

それに対抗する既存勢力のスパルタとの間に

ぺロポネソス戦争が起きた。

ここから歴史家のトゥキディデスは

「新興の大国は必ず既存の大国へ挑戦し、

既存の大国がそれに応じた結果、

戦争がしばしば起こってしまう」との法則を見出した。

この法則を「トゥキディデスの罠」という。

トゥキディデスは、「戦争を避けられなかった原因は

強まるアテネの力と、それに対するスパルタの恐怖心にある」

と指摘した。アテネとスパルタの戦争は、

30年も続いた末に、両国とも滅びる結果となった。

これは歴史上15回起きたと言われているが、

そのうちの11回で戦争へと発展している。

近いところでは新興のドイツによる既存の

イギリス帝国への挑戦であった。

この時は1914年と1939年の2回にわたって

世界大戦を引き起こした。

イギリスの築いた世界秩序に対するドイツの挑戦であった。

  

 

あの2つの世界大戦も、罠にはまってしまった

戦いだったというわけです。

ちなみに、「トゥキディデスの罠(わな)」という言葉は、

トゥキディデス自身が言った言葉ではなく、

トゥキディデスの故事にちなんで、

アメリカ合衆国の政治学者グレアム・アリソンが作った造語です。

※参考:Wikipedia

  

  

 

本当にテレビ番組は勉強になります。

今回は情報を捉まえることができて幸運でした。

「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その5/映画「独裁者」の制作は批判された

  

今日は令和元年6月11日。

  

昨日の6月10日は、気になる日です。

こんなことを書いた年もあります。↓

ここでも道草 1913年・1944年6月10日(2013年6月10日投稿)

特に1944年6月10日は、フランスのオラドゥール村での

ドイツ軍による虐殺があった年でした。

6月10日になると思い出します。

そのドイツ軍の最高司令官がヒトラーでした。

  

チャップリンは、1年半の世界周遊の旅で、

ヨーロッパに台頭するファシズムを肌で感じました。

日本では、あわよくば暗殺されるような危機を脱しました。

世界が軍国主義に傾いていることに、

気づかざるを得なかったと思います。

  

  

世界旅行を終えたチャップリンは、

新たな作品づくりに取り掛かりました。

その作品には、世界旅行で見聞したことが、

色濃く出ていた名作でした。

ここで年表を示します。

Rimg1903

モダン・タイムス」(1936年)

ナレーター:物語の舞台は、とある工場。

  チャップリン扮する主人公は、機械に翻弄されます。

  ある時は、歯車に機械ごと巻き込まれ・・・・

  またある時は全自動食事マシーンの実験台にさせられます。

  チャップリンは、幸せをもたらすとされた機械文明に

  疑問をなげかけ、本当の豊かさとは何かを問いました。

   

 

しかし、この頃、秘書の高野虎一とチャップリンは

袂を分ちます。

チャップリンの恋人ポーレット・ゴダードと高野が

対立したことでした。

彼女の浪費癖を注意したことで、

チャップリンと決裂してしまったのです。

女性が入ると厄介です?

高野虎一は、チャップリンのもとを去ります。

  

  

1938年3月 ナチスドイツ オーストリア併合。

ナチスドイツは、人種差別政策を掲げ、ユダヤ人迫害を

さらに強化します。

世界市民として、自由と平等を信念とするチャップリンには、

許しがたい行いでした。

1939年9月 遂に第2次世界大戦が始まります。

その8日後!チャップリンは新たな映画の制作を開始します。

Rimg1919

Rimg1920  

その映画は・・・

Rimg1921

独裁者」(1940年)

Rimg1922

Rimg1923  

ナレーター:チャップリン演じる主人公は、

  ヒトラーをモデルにした独裁者ヒンケル。

  そしてヒンケルにそっくりなユダヤ人理容師の

  一人二役でした。

  映画「独裁者」の制作は茨(いばら)の道となります。

  ヒトラーを風刺する内容に、厳しい批判が相次いだのです。

市民:「正義のためにだけに戦っている指導者に対し、

  ずうずうしく、心を突き刺す行い」

ナレーター:第1次世界大戦に敗れたドイツを、

  またたく間に強国に押し上げたヒトラーを、

  アメリカではその手腕を評価する声が少なくありませんでした。

  それでもチャップリンは、おのれの信念を決して曲げません。

   

Rimg1929

ヒトラーは、笑いものにされなければならないのだ

                 (チャップリン)

  

   

アメリカ国内に、ヒトラーの手腕を評価する声があったことが

驚きです。

その時代にいたとしたら、そう思えたのでしょう。

時代の雰囲気の怖さです。

チャップリンの世界旅行が、見誤らせなかったのでしょう。

見聞は大事なのです。

この背景は、映画「独裁者」を見せる時の解説に加えたいです。

  

「独裁者」のパンフレット?

制作は批判されましたが、

映画上映は多くのお客さんを呼びました。

Rimg1931

映画のシーンです。

Rimg1932

Rimg1933

Rimg1934

Rimg1935

Rimg1936

「私たちは皆、お互いを助けたいと思っている。

人間とはそういうものだ」

「他人の不幸によってではなく

お互いの幸福によって支えあって生きたい」

「私たちはお互いを憎んだり

軽蔑したりしたくない」

そう思う。人間は人助けをしたいと思っている動物だと

私も思いたい。

9年前の記事が思い出されました。

ここでも道草 まだやる「世のため人のため」(2010年2月24日投稿)

 

さらには次の記事までたぐってみたい。

ここでも道草 「鍛え・育てる」抜粋その3 行動してこそ「力」が付いていく(2009年9月4日投稿)

  

袂をわかったチャップリンと高野虎一のその後は、

ブログでは省略します。

2人ともいい人生を歩んでいます。

  

  

 

   

 

私の心の病は、自己嫌悪の穴に

落ち込んでいってしまう可能性のあるもの。

ブログを書くことで、知的好奇心が

私を地上に引き上げてくれます。

 

最近の写真

  • Img_5601
  • Img_4236
  • Img_4234
  • Img_5520
  • Img_5518
  • Img_5517
  • Img_3905
  • Img_3904
  • Img_3899
  • Img_3898
  • Img_3897
  • Img_3895

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉