トンボ鉛筆100周年でした
今日は10月19日。
8月15日にプロ野球巨人VSDeNA戦。
バックネットの広告が気になりました。
おかげさまで100周年
Tombow
トンボ鉛筆
今年はトンボ鉛筆100周年です。
春に、本屋で100周年記念で出版された「トンボ鉛筆完全ブック」を購入していました。
この記念本にトンボ鉛筆の新城工場のことが書いてありました。
前任校で社会見学で見に行った場所。もう5年前のことです。
(ブログの素晴らしさ。検索することで短時間で昔の投稿を呼び出せ、復習ができる)
地元に、子どもにとって身近な工場があることがとても幸運に思えた見学でした。
本には黒芯や鉛筆ができるまでの工程が写真で説明されていました。
黒鉛と粘土を混ぜて鉛筆の濃さや硬さが調節されているなど、
見学したときのことが思い出されました。
その見学の時に、なぜ「トンボ」かと教えてもらっていました。
トンボは「勝ち虫」と呼ばれる縁起物であるとのこと。
トンボは前にしか進まず退かないことから、不退転の精神を表し、
特に武士に喜ばれたことからです。
この記念本には、より詳しく書かれていました。
引用してみます
トンボマークの始まりは1927年(昭和2年)、
当時の小川春之助商店がトンボ印を商標登録したときであるが、
トンボ鉛筆とトンボの関係の起源はさらにさかのぼる。
1884年(明治17年)、トンボ鉛筆の創立者小川春之助のおじ
杉江鉦三郎が設立した鉛筆製造会社の名が「蜻蛉(とんぼ)社」であった。
明治以前、武家として佐竹藩に仕えていた杉江は
「蜻蛉」が刻印された武具を維新前夜まで守り続けた。
ここに、トンボとトンボ鉛筆の深い繋がりの原点がある。
古くから蜻蛉は、上向きの縁起のいい虫であるとされ
佐竹藩のように武将達が兜の正面につける装飾としても選ばれていた。
「勝ち虫」とも呼ばれ、勝負事に強く、決して後退しない虫として愛されていた。
さらに、かつて日本のことを秋津島(あきずしま)と呼んでいたといわれることから
「あきず/あきつ=秋津、蜻蛉」という古名を持つトンボは、日本を代表する虫と言われていた。
ゆえに、縁起が良く小川家とも縁深いトンボに、
日本を代表する会社となるようにとの願いがたっぷり込められたのだ。(88p)
ちなみに、トンボ鉛筆のロゴマークは、長くこれでした。
そして100周年の今年から下記のロゴマークになりました。
↑記念本のコピーです。(88p)
バックネットの広告もこのロゴマークです。
トンボ鉛筆新城工場は、地元の社会見学最適な場所です。
また見に行きたくなりました。
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