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2012年12月

2012年12月15日 (土)

テレビで勉強「一の谷の戦い」2

今日は12月15日。

 

前投稿のつづき。

 

12月5日放映の「歴史ヒストリア 源義経VS平家のプリンス~最終決戦!壇ノ浦への道~」を見て知ったことを書きます。

 

「義経道」「多田行綱が通ったとされる道」も見てみたいですが、

兵庫県の次の場所も行ってみたいです。

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一の谷の戦いで、平重衡(しげひら)が捕らえられました。

平重衡は、南都焼き討ちで有名な人です。

先日調べました。

今晩大仏殿が炎上する(12月9日投稿)

その重衡が捕らえられた場所がちゃんとわかると知って驚き。

ここにも行ってみたいです。

 

「平家物語」では、捕らえられた重盛に、

北条政子千手(せんじゅ)という女性を世話係につけたとあります。

千手について調べました。

 

「ビジュアル 源平1000人」(世界文化社)からの引用。

 

(前略)一の谷で捕われ、鎌倉に護送された平重衡の世話をした。

南都焼き討ちの罪を問われた重衡は、

千手と引き離され奈良に送られた。

重衡が斬罪に処せられると、恋慕と悲哀のあまり病死したとも、

善光寺に入り、重衡の菩提を弔ったともいう。

 

Wikipediaにはさらに興味深いことが書いてありました。

 

鎌倉での重衡と千手との関わりは『平家物語』の一節になっており、

これをもとに能の演目に重衡と千手の一夜を描く『千手』がある。

また、静岡市駿河区手越の少将井神社には千手の像がある。

 

能の「千手」も見てみたいし、静岡県にある「千手の像」も見たい。

次のサイトに写真がありました。

夜桜能公演・雙ノ会公演のご案内 千手

鎌倉街道 手越少将井神社・・・千手の像の写真あり

 

 

テレビで勉強「一の谷の戦い」

 

今日は12月15日。

 

前投稿のつづき。

12月5日放映の「歴史ヒストリア 源義経VS平家のプリンス~最終決戦!壇ノ浦への道~」を見て知ったことを書きます。

 

一の谷の戦いは、源氏の福原攻めの戦場の一つです。

福原の東方から源範頼が攻め、平知盛・重衡が率いる軍と戦いました。

生田の森の戦いです。

福原の西方からは源義経が攻め、平忠度(ただのり)軍と戦いました。

(平忠度は、清盛の末弟です)

これが一の谷の戦いです。

一の谷の戦いで、あの有名な「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という奇襲がありました。

これは「平家物語」に書かれていることです。

 

番組では、最近の研究で、この奇襲を行ったのは義経ではないという説があると紹介していました。

同時代の公卿である九条兼実の日記『玉葉』によると、

義経が一ノ谷を落としたことは書いてありました。

しかし、奇襲のことは書いてありませんでした。

その代わり、義経の部下の多田行綱が山から福原を攻めたことが書いてありました。

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これが「鵯越の逆落とし」の実際ではないかという説なのです。

なるほど~!

 

義経が下ったとされる場所は、今では「義経道」とされて整備された道になっています。

それでも急な下り坂だそうです。

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しかし、多田行綱が下った道は、無理なく下りられる道だそうです。

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この映像を見たら、すごく行きたくなりました。

「義経道」そして「多田行綱が通ったとされる道」を実際に見てみたくなりました。

 

実は行動してしまいました。

1月に兵庫県で行われる講座を申込みました。

そのついでに、一の谷の戦いゆかりの場所に行ってみようと思います。

 

番組から行動が始まりました。

 

 

 

テレビで勉強「水島の戦い」

 

今日は12月15日。

 

今日は朝から学校へ行って、午後3時まで頑張って、

大きな宿題をすませました。ふ~。 

 

そこで書きたかったことを書きます。

 

12月8日に腰痛で寝込んでいた時に見た番組について。

12月5日放映の「歴史ヒストリア 源義経VS平家のプリンス~最終決戦!壇ノ浦への道~」です。

平清盛の息子、平家のプリンスの中の平知盛(4男)、重衡(5男)に注目していました。

 

この番組で知ったことを書きます。

 

源平の戦いの中の、水島の戦いに興味をもちました。

1183年のこと。

ここに知盛も重衡も参戦しているようです。

海の戦いに強い平家が、源氏を倒した戦いです。

この戦いで金環食があったようです。

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ストップのマークで消されていますが、

「平氏は日食が起こることを知っていた」とありました。

都での生活が平氏をダメにしたと言われますが、

都での生活で教養を得た平氏は、日食が起こることを知っていて、

源氏のようにパニックにならずに攻撃を続けたとのこと。

面白い話だなあと思いました。

 

このことは「源平盛衰記」に記述があったそうです。

引用します。

 

平家の輩は、舟軍自在を得たりければ、乱入て散々に切。面を向る者はすくなし。

舟耳に近付者をば取て海に入、底にある者をば冑の袖をふまへて頸を掻、

城の中よりは勝鼓を打て■り懸る程に、

天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成たれば、源氏の軍兵共日蝕とは不知、

いとゞ東西を失て舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行。

平氏の兵共は兼て知にければ、いよ/\時を造り重て攻戦。

「源平盛衰記 巻第三十三 源平水島軍事」より

 

引用元:観測所雑記帳 水島の戦い

 

 




 

 

 

 

2012年12月14日 (金)

流れ星を見ることができた/今朝の空の模様

  

今日は12月14日。

   

ふたご座流星群の見られた昨晩(13日~14日未明)。

皆さん、流れ星は見ましたか?

私は幸運にも見ることができました。

昨晩(13日)、午後11時過ぎに、家の庭で観察開始。

ふたご座とオリオン座のあたりを中心に広めに眺めていたら、

15分間ほどで、流れたかなと思えたのが2つ、確実に流れたのを3つ見ることができました。

地球が、宇宙空間に浮かぶ残骸群に突入しているいだなと思って見ました。

残骸をスーッと消滅させてくれる大気に感謝。

  

   

その大気と太陽がつくる模様を、今朝も楽しむことができました。

出勤途中で目にしたものです。

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青空もいいけど、雲も面白い模様を作ってくれることがあって、

それはそれはありがたいです。

2012年12月12日 (水)

地球照状態の月と水星・金星の競演

 

今日は12月12日。

前投稿の最後に書いたこと。

細い月と水星・金星の競演の観察は無事できました。

写真を載せます。

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やっと月が昇ってきました。

自宅の2階からの撮影。

地球照状態の月と、左手に水星。そして上には金星。

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水星と月のアップ。

三脚を使って撮影したら、月がきれいに写りました。

うれしくなっちゃいました。

 

 

追記:同じく前投稿に書いたことですが、

12日晩、国際宇宙ステーションの移動を、

職場の人たちと校舎の屋上で観察しました。

とても寒く、午後5時54分~59分がとても長く感じました。(13日晩 記)

 

雪を頂いた本宮山/天体ショー情報

 

今日は12月12日。

 

昨日の朝、本宮山がよかったです。

前日の雪を頂(いただ)いて、朝日で光っていました。

出勤時に気がついて、職場の3階に急いで駆け上がって撮影しました。

 

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もう11時には、表面の雪はほとんど解けていました。

でも樹の下の雪はしばらく残ることでしょう。

雪を楽しめる山がすぐ近くにあるのは魅力です。

頑張って仕事をすませて、今週の土曜日には登りたい、そう思いました。

 

 

天体ショー情報。

hot teaさんが、国際宇宙ステーションがみられることを教えてくれました。

今日の夕方です。

この辺りでは、午後5時54分頃に南西の空に出現して、

5時59分頃に北北東に消えるようです。

沈んでしまった夕日に照らされて、輝きながら移動します。

職場の人たちにも声をかけて一緒に見てみたいです。

 

そうそう今朝も天体ショーがあります。

夜明け前の夜空に、細い月と水星・金星が並びます。

もうそろそろです。見に行ってきます。(午前5時32分記)

 

 




2012年12月11日 (火)

3年ぶりのふたご座流星群の観察をめざす

今日は12月11日。

 

今朝は、庭に残飯を捨てに行ったら、東の空にある月に目が止まりました。

細い月で、またもや地球照(ちきゅうしょう)が見られました。

 

時刻は朝の5時。

残飯+地球照状態は、前にもありました。

いつのことだったかと調べてみると・・・・

ほぼ1ヶ月前の11月12日のことでした。→残飯を捨てに行って、月に見とれる(11月12日投稿)

月の満ち欠けが一巡りしたんだなと思いました。

 

月はこれでもっと細くなって、新月を迎えます。

12月13日の晩です。

新月で、月明かりがなく、星が見やすくなった夜空で天体ショーがあります。

ふたご座流星群 がよく見られる晩なのです。

 

ピークは14日の午前8時頃だそうですが、明るすぎて見ることができません。

だからその前の13日の晩から~14日の明るくなる前が、

新月でもあって絶好の晩なのです。

 

 

明日、子どもたちにも紹介しようかな。

 

2009年は私にとっては天文に力を入れた年でした。

その時にふたご座流星群を見ています。

※参考:12月14日の夜明け前に流れ星(2009年12月10日投稿)

     5時17分、流れ星を目撃(2009年12月14日投稿)

     夜、再び流れ星を見る(2009年12月14日投稿)

     今晩もまたふたご座流星群(2009年12月15日投稿)

あの年以来の観察でしょうか?

昨年は皆既月食に夢中だったなあ~。

※参考:皆既月食を見てる(2011年12月10日投稿)

2009年も参考にしていますが、今年もアストロアーツのサイトを参考にしています。

AstroArts  特集 2012年ふたご座流星群

サイトの図をひとつ転載。

Chart_pln

 

2012年12月10日 (月)

今朝雪が少々、腰痛小康状態

 

今日は12月10日。

  

待ってましたのボーナス支給日。

でも使い道は決まっています。

自転車のヘルメットと、腰痛予防のコルセット。

  

腰痛と言えば、12月6日に発症した腰痛ですが、

今朝はウソみたいに痛くありませんでした。

土日曜日と、安静にしていたのが良かったのでしょう。

今日は絶対に整形外科に行くと思っていましたが、止めました。

うれしいことです。

でも調子に乗らずに、無理はしないように過ごしたいです。

おそらく2010年11月以来の腰痛→※参考:(前略)先の金曜日に、重い物を持った時に腰に痛み・・・

大事にしないように、そうっとそうっと。

  

   

今朝は雪が舞っていました。

雪が舞うのは、基本的に私はうれしくなります。

路面に雪がないのを見て、自転車で出勤しました。

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RIMG1928 RIMG1929 ちょくちょくブログに登場する大根畑

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三明寺の五重塔

一番上の屋根に雪がありますが、空の色と区別できませんね。

   

  

   

今年の冬はどんどん来る。





   

 

 

 

2012年12月 9日 (日)

今晩大仏殿が炎上する

  

今日は12月9日。

  

今晩の大河ドラマ「平清盛」で、東大寺の大仏殿が炎上し、大仏も溶けてしまう話です。

   

南都焼き討ちとは?次のサイトから引用します。わかりやすい。

侍歴史 平重衡南都焼き討ち

治承4年(1180年)12月28日。

平重衡(たいらのしげひら:清盛の子。24歳)、平通盛(たいらのみちもり:清盛の甥。教盛の子。)率いる平家軍が、

東大寺・興福寺の僧兵と戦ってこれを破り、その兵火で東大寺・興福寺が焼け落ちた。

東大寺・興福寺は挙兵に失敗した以仁王を支持して平家と敵対していた。

この年、清盛が福原遷都を強行したのも、これらの寺社勢力から逃れるためだった、と言われている。

しかし、強引な福原遷都の評判はすこぶる悪く、11月にはやむを得ず京都に戻っていた。

京都に戻った清盛は南都を攻めると盛んに吹聴し、

南都の僧兵らも鞠を清盛の首に見立てて踏んだり蹴ったりして挑発していたという。

この日、南都勢は奈良坂、般若坂に盾と逆茂木を並べて防塞を構築していたが、

平家の騎馬武者が僧兵もろともこれを蹴散らし、戦いは平家の勝利で幕を閉じた。

東大寺や興福寺が焼け落ちたのは、重衡が夜になって周囲を明るくするために、

民家に放った火が瞬く間に延焼したため、といわれている。

   

※以下は「ビジュアル源平1000人」(世界文化社)を参考にして書きます。

 

平重衡は清盛の5男。美男子で有名で、4男の知盛ともに平家の軍事面で活躍しました。

重衡が参戦する戦いは、この南都攻め、墨俣川、水島、室山と連戦連勝。

しかし不覚をとったのが、一の谷の戦い。

ここで重衡は生け捕りにされます。

重衡は鎌倉に連行されますが、頼朝の前で

「敵に捕われたことは恥ではない。早く斬罪にするように」と言い、

御家人たちを感動させたそうです。

重衡の器量に頼朝も心をうたれたそうです。

1年後、重衡は東大寺の大衆(だいしゅ=多くの僧の集まり)に引き渡され斬首。

焼き討ちの責任者として、首は奈良坂に晒(さら)されました。

   

    

   

平家の長男重盛、4男知盛、そして重衡。平家も人物は優れていました。

勝つも負けるも時の運。

次のサイトもいい勉強になりました。

平家礼賛 清盛を擁護する3~南都焼き打ちのこと

  

これだけ勉強して、今晩の「平清盛」を楽しみたい。

 

腰痛でも自転車は大丈夫

     

今日は12月9日。

     

今回、腰痛になったのは12月6日。

持久走大会に備えて、ラインをしっかり引くことになり、手伝いました。

その時にやっちゃいました。

たいしたことはないかなと思いましたが、どんどん痛みがひどくなりました。

明日は病院に行こう。

肉離れ→頸椎症→腰痛と同じ病院に厄介になります。

   

腰痛でも、自転車は乗れます。

(あぐらが良くないようです・・・あぐらから立ち上がる時は、もう尋常ではない痛み)

12月7日の自転車通勤で、初めて新しいヘルメットをかぶりました。

7年使ってきたヘルメットに比べて、大きさがひと回り小さくなっていたことに驚きました。

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これで頭も寒くなくなると思いきや、

ヘルメットの風通しが良すぎて、寒い寒い。

  

明日はこの辺りも雪らしい。

自動車 or 自転車?

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