テレビで勉強「一の谷の戦い」
今日は12月15日。
前投稿のつづき。
12月5日放映の「歴史ヒストリア 源義経VS平家のプリンス~最終決戦!壇ノ浦への道~」を見て知ったことを書きます。
一の谷の戦いは、源氏の福原攻めの戦場の一つです。
福原の東方から源範頼が攻め、平知盛・重衡が率いる軍と戦いました。
生田の森の戦いです。
福原の西方からは源義経が攻め、平忠度(ただのり)軍と戦いました。
(平忠度は、清盛の末弟です)
これが一の谷の戦いです。
一の谷の戦いで、あの有名な「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という奇襲がありました。
これは「平家物語」に書かれていることです。
番組では、最近の研究で、この奇襲を行ったのは義経ではないという説があると紹介していました。
同時代の公卿である九条兼実の日記『玉葉』によると、
義経が一ノ谷を落としたことは書いてありました。
しかし、奇襲のことは書いてありませんでした。
その代わり、義経の部下の多田行綱が山から福原を攻めたことが書いてありました。
これが「鵯越の逆落とし」の実際ではないかという説なのです。
なるほど~!
義経が下ったとされる場所は、今では「義経道」とされて整備された道になっています。
それでも急な下り坂だそうです。
しかし、多田行綱が下った道は、無理なく下りられる道だそうです。
この映像を見たら、すごく行きたくなりました。
「義経道」そして「多田行綱が通ったとされる道」を実際に見てみたくなりました。
実は行動してしまいました。
1月に兵庫県で行われる講座を申込みました。
そのついでに、一の谷の戦いゆかりの場所に行ってみようと思います。
番組から行動が始まりました。
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