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2017年11月23日 (木)

現役の浮世絵彫師さんのお話/4万円で版木が借りることができる

 

今日は11月23日。

  

浮世絵のことがマイブームになっています。

今回も浮世絵ネタです。

 

現役の彫師の話です。

進路のミカタ 【シゴトを知ろう】木版画 彫師 編

 

東京・新宿区にある「匠木版画工房 ふれあい館」で

浮世絵木版画の彫師として活躍しながら、

浮世絵の普及活動も行っている朝香元晴さんが紹介されていました。

朝香さんは仕事の内容を次のように紹介しています。

  

Q1. 仕事概要を教えてください

私の仕事は、江戸時代からの伝統を受け継ぐ浮世絵木版画の彫師(ほりし)です。

浮世絵木版画とは、浮世絵師が描いたデザインを木版に彫った作品のこと。

まず木版とは、木の板に絵や文字を彫って作られたものや、

それをもとに摺られた印刷物のことを指します。

浮世絵版画をはじめとした伝統木版画は、

「板目木版」と呼ばれる木版を用いて制作されます。

私は16歳の時から50年間、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎、

歌川広重、歌川国芳などの浮世絵木版画の復刻を中心に、

雪舟等楊、長谷川等伯などの国宝や日本画、現代作家の作品の復刻も手掛けています。

具体的には、原画やオリジナルの木版画を忠実に、寸分たがわずに、

彫りの技術によって復刻することが私の使命となります。

難度の高い国宝の復刻や、

美人画の髪の毛の生え際(1mmに、3本~4本の繊細な線を残す)の

彫りなどをしています。

また、私は木版画の彫りだけでなく、絵具を広げて和紙に摺(す)りこみ、

色を重ねて作品を仕上げる「摺り」も20年前より行っております。

  

 

今でもこういう人がいるんですね。

「1mmに、3~4本の繊細な線」は尋常ではないです。

次の番外編の参考になります。

進路のミカタ 【シゴトを知ろう】木版画 彫師 〜番外編〜

  

引用します。

  

――浮世絵木版画の彫師になるためには、

絵を描くための「デッサン力」なども必要になるのでしょうか。

浮世絵木版画の彫師に求められる能力などがありましたら教えてください。

木版画の彫りは、全て小刀で髪の毛を彫り上げる「毛割」をはじめ、

忍耐力や細かさが求められる技術です。

そのため、彫師になるには繊細な神経を持ち、根気よく、

目標に向かってあきらめない精神を持っていることが最も重要です。

よって、絵を描くためのデッサン力などは

そんなに必要ではないと考えています。

木版とじっくり向き合うことのできる精神力が必要なのです。

  

なるほどです。

このサイトは、次の文章で終わっています。

 

朝香さんが手がける浮世絵木版画は、

とても繊細な作業が繰り返し、繰り返し続く、

何よりも根気と集中力が必要な仕事です。

朝香さんの仕事の様子、また実際に手掛けてきた作品は、

「匠木版画工房 ふれあい館」のWebサイトからも見ることができますので、

浮世絵木版画に興味を持った人は、

ぜひ彫師の仕事への興味を深めてみてくださいね。

日本の伝統を伝える、職人の奥深い世界に触れることができるはずですよ!

  

さっそく見に行きました。

匠木版画工房 ふれあい館 朝香元晴

Photo_13

この工房に行ったら、本当の版木を見せてもらいながら、

浮世絵のことを教えてもらうことができそうです。

でも東京都新宿区でした。

またいつか行こう。

その時には、この記事が役立つかな?

   

  

 

調べていて、こんなサイトを見つけました。

公益財団法人 アダチ伝統木版画技術保存財団

この団体も、浮世絵の勉強にはありがたい存在になりそうです。

何と、ここでは版木の貸し出しがあります。

貸出・情報提供

Photo_14

 

すごい!

でも、でもですね。

料金が高い。

kashidashigaiyou.pdfをダウンロード

kashidashiryoukinhyou.pdfをダウンロード

5万円。

教育関係だと80%になるそうですが、それでも4万円。

う~ん。

 

このような団体があることを知ったのは重要。

でもこの団体も、所在地は東京都新宿区。

地元にもきっと浮世絵関係者はきっといるはず。

探したい。

  

  

  

  

浮世絵の木版画の技術を持っている人たちが現代にいて、

その技術を未来に継承しようとしている人たちがいることを知りました。

少しずつ知らなかった浮世絵の世界が見えてきつつある日々です。

実写版「そば清」が放映されました

 

今日は11月23日。

  

うれしいことに、「超入門!落語 THE MOVIE」で

そば清(せい)」をやってくれました。

実写で「うわばみ」「そばが羽織を着ている」をどう描くか楽しみでした。

「そば清」については、以前書きました。

ここでも道草 「そば清」は怖いお話(2014年2月2日投稿)

落語でお気に入りの話の一つだったので、

放映がうれしかったあ。

11月16日の放映でした。

「うわばみ」はCGで表現していました。

衝撃のラスト「そばが羽織を着ている」は、

実際に見てください。

上記の投稿で紹介した「落語絵本 そば清」(クレヨンハウス)のラストは

衝撃の絵でしたが、今回の方がおだやかでした。

 

もし再放送をやったら、ぜひ録画しておくといいです。

授業でも使えます。

  

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今ならここで見ることができます↓

http://www.dailymotion.com/video/x69iojk

  

  

11月30日放映の

「超入門!落語 THE MOVIE」の落語は「木乃伊取り」

「木乃伊」をどう読むと思いますか?

 

  

実は「ミイラ」と読みます。

なぜ?

わかりません。

次のサイトが参考になるかな。

漢字文化資料館 漢字Q&A

通算5500本目の投稿/二川宿本陣資料館その4/「東海道五十三次 吉田 豊川橋」(安藤広重 作)

  

今日は11月23日。

  

前投稿の続き。

  

Tokaido34_yoshida

文章工房すばる 広重東海道五十三次一覧(周遊の入口)

安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」の中の「吉田 豊川橋」です。

  

二川宿本陣資料館で、疑似摺り体験器具を貸してもらいました。

これは「吉田 豊川橋」編です。

 

Rimg1248  

黒色刷り

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青色刷り

Rimg1250

Rimg1242  

赤色刷り

Rimg1253

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これを摺り重ねていくと・・・

Rimg1241_2

Rimg1246

Rimg1247  

摺ってみて、黒→青→赤の順番ではなくて、

黒が一番最後かなと思いました。

  

シャチハタのインクを使った疑似摺り体験ですが、

なかなかうまく摺れなくて、上の作品を作るまでに、

10回ぐらい試しました。

疑似摺り体験ではありますが、

繰り返して摺ることで、摺師のたいへんさが少しわかる気がしました。

今度授業で、子どもたちにもこの体験をさせる予定です。

  

  

以上で、11月11日の報告終了。

二川宿本陣資料館その3/千両箱の重さ

今日は11月23日。

  

前投稿の続き。

 

こんな体験コーナーがありました。

Rimg1148_2

Rimg1149_2  

慶長小判の入っていると想定した千両箱と、

万延小判が入っていると想定した千両箱との

重さ比べ。

実際に持ってみると、慶長小判の千両箱は重く、

万延小判の千両箱はあっけなく軽かったです。

具体的にどれくらいの重さなのでしょう?

  

Yahoo!知恵袋の回答が参考になりました。

引用します。

  

小判にも色々ありまして、初期の慶長小判は18グラム弱、

時代が後になるほど軽くなっていき、天保小判は11.24グラム、

最後の万延小判にいたっては3・3グラムしかないという代物でした。

江戸の中期までの小判は大体18グラム弱のものが多かったので、

この時代なら千両で18キロ弱、

そしてそれを入れるのに耐えうる木製千両箱の重量を加えると

25キロは軽くあるとおもわれます。

江戸後期の小判は大体約13グラムから約11グラムの物が多く、

これだと箱込みで20キロ前後の重さだと思われます。

万延小判だと箱込みでも10キロないです。(後略)

inakanokenshiさん

  

25kgと10kg弱。全然違います。

実際に持った時も全然違いました。

 

「万延(まんえん)」という年号について。

この年号だったのは、

西暦でいうと1860年4月8日~1861年3月29日。

「安政」の後で、「文久」の前。

桜田門外の変(1860年3月24日)の直後の改元でした。

1年にも満たない短い年号でした。

  

「万延」をどこかで見たぞと思っていたら、

大江健三郎さんの小説「万延元年のフットボール」がありました。

読んだことはないけど、小説名は見たことがありました。

二川宿本陣資料館その2/参勤交代

  

今日は11月23日。

  

11月15日の投稿の続き。

ここでも道草 二川宿本陣資料館/「末広五十三次 二川」(歌川貞秀 作)

  

11月11日に豊橋市二川宿本陣資料館に行ってきました。

その時に勉強になったことをここに書き留めます。

  

入館してすぐにあるのは、参勤交代のコーナー。

そこにあった説明のフリップは勉強になりました。

 

Rimg1123 

この中の一文。

 

江戸に出て幕府に仕えることを参勤、

国元に帰ることを交代と言い、

合わせて参勤交代と言いました。

  

そうだったっけ?

ハッとさせられた一文でした。

フリップの写真を並べます。

いつかの授業の教材研究に役立つでしょうか?

  

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「津山藩主松平斉孝津山入国行列図」については、

とても長大なものでした。

ぜひ資料館に行って見てください。

  

Rimg1135

Rimg1136  

少しこだわってみます。

 

殿様が乗った籠の後ろに馬が引かれていきます。

Rimg1131a_2  

Rimg1136_2  

この馬は「牽馬(ひきうま)」と呼ばれて、

大名(殿様)が駕籠に飽きたとき乗馬するためのものだそうです。

参考:大名行列の歴史

  

長柄傘(ながえがさ)は、

長柄の唐傘で羅紗地に家紋縫い付けであるそうです。(参考:上記サイト)

  

Rimg1133

Rimg1137 

合羽籠の形が気になりました。

これは何?

 

文字通り、カッパが入っていたようです。

紙合羽(赤合羽)と呼ばれるカッパが入っていました。

道中のにわか雨に備えたそうです。

※参考:コトバンク 雨具

紙合羽についてはここな説明あり↓

※きもの用語大全 紙合羽とは

引用します。

 

ラシャ製の合羽に対し、和紙を張り合わせて桐油や柿渋をひいたものを

「紙合羽」と称しました。

江戸時代初期から参勤交代の武士や中間の間で多く用いられました。

「赤合羽」、「桐油合羽」ともいいます。

  

紙合羽の画像はないかと探しました。

なかなか見つからず。

これらはどうかな?

Photo_5 百々江戸絵展どどえどえてん 江戸イラストレーターブログ

Img_9 葵区のこと、知ってるつもり!? ~ 静岡市葵区自治会連合会ブログ郷島 和紙漉き体験 

  

つづく

珍味の日/「チーズ鱈」はなとりの商品名

今日は11月23日。

  

勤労感謝の日。

「珍味の日」だそうです。

今日は何の日~毎日が記念日~11月23日から引用。

  

全国珍味商工業協同組合連合会が制定。

この日に皇居や伊勢神宮などで行われる新嘗祭で山海の珍味が供えられることと、

「い(1)い(1)つ(2)まみ(3)」の語呂合せ。

  

そもそも「珍味」とは?

  

コトバンクには次のように書いてありました。

  

めったにない、珍しくおいしいもの。

さきいかやいかのくんせい、チーズたら、ビーフジャーキー、

ナッツなど、乾き物を主とした酒の肴に向く加工食品を

いうこともある。

  

珍味にも2種類あるということです。

何となく使い分けていましたが、

こうやって調べてみて納得しました。

 

「チーズたら」が気になりました。

「チーズたら」ってあのことか?

  

このCMがわかりやすかったです。


YouTube: 【和久井映見】一度は食べていただきたい熟成チーズ鱈TVCM「とびきりの味わい」篇30秒(なとり)

  

Photo

Photo_2 

これこれ、おなじみのこの食べ物が「チーズたら」だったのですね。

名前を意識したのは初めてかな?

  

Photo_3

この映像のように、チーズをたら(鱈)ではさんだ珍味です。

  

Photo_4 

「チーズ鱈」というのは、「なとり」という会社の商品名だそうです。

何にでも歴史あり。

「チーズ鱈」にも当然ながら歴史がありました。

 

なとりでは、最初チーズをはさむのはイカだったそうです。

  

その歴史はここに詳しい↓

ニッポン・ロングセラー考 チーズ鱈

なとりの前身、名取商会は、イカを使った製品を得意でした。

イカの和に対して、洋のチーズを組み合わせて和洋折衷おつまみの

開発に乗り出したのは、初代社長名取光男さん。

チーズを常温保存できるようにするために脱酸素剤を使用し、

チーズとイカを組み合わせた試作品を作りました。

しかし、脱酸素剤によってイカが赤く変色してしまうという問題が発生。

いろいろ試行錯誤したが、解決策はなく「チーズいか」開発は断念。

  

イカ・・・・以下、上記サイトから一部引用。

その志は2代目社長の小一が受け継いだ。

小一を中心とした開発陣は、チーズと組み合わせる別の材料を模索。

自社で鱈をシート状にした製品を作っていたこともあり、鱈を使うことに決めた。

この決断にあたっては、社内に反対の声が多数あったという。

なんといってもおつまみの王道はイカ。

イカなら新商品でも受け入れられるが、鱈では難しいと思われたのだ。

だが、試作品を口にした人々の評価は一変する。

チーズと鱈がマッチした想像以上の美味しさと、

チーズが手に直接付かないという利点。

「これならいける!」と、否定的だった声は絶賛に変わった。

スーパーや小売店の評価も高く、製品化は一挙に進んだ。

 

発売されたのは1982年2月。

まもなく36年ですね。

最初に発売された時のキャッチコピーは、

「北海の鱈が北欧の味を上品に包みます」

だったそうです。

今はいまいちのインパクトですが、

当時としては目をひいたものだったのでしょう。

  

  

以上、気楽な休日の朝、気楽な道草をしました。

  

  

  

2017年11月19日 (日)

「英雄たちの選択 歌川国芳」その2/浮世絵の大量生産の流れ

 

今日は11月19日。

  

前投稿に引き続き、10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

  

浮世絵の基本的な説明を聞き書きします。

 

Rimg1230_2

ナレーター:浮世絵の人気を支えたのは、

   分業制による大量生産だった。

   出版社である版元が、ヒットするであろう題材を

   絵師に発注する。

Rimg1232_2

   絵師が描くのは浮世絵の下絵。

   題材をどう表現すれば買い手の心をつかめるか、

   腕の見せ所だ。

Rimg1233_2

   絵師が描いた下絵をもとに彫師が版木を彫る。

Rimg1234_2

   そして摺師(すりし)によって、色が何色も重ねられた。

Rimg1235_2

   こうして浮世絵は驚くべき速さで大量に生産された。

   その値段は、およそ掛けそば一杯分の16文。

   わずか350円程度で手にできるメディアだったのだ。

Rimg1236_2   

 

大量生産ができたおかげで350円程度となり、

庶民にも手に入れることができたのでしょう。

  

彫師の仕事に注目したい。

本当に色ごとに版木を作ったのでしょうか?

あんな細かい下絵を、正確にずれなく版木に写して

彫ることが本当にできたのでしょうか?

そこが多いに疑問であります。

カーボン紙のようなものがないとできないと思うのですが・・・。

下絵→彫るの中間の作業がもっと詳しく知りたいです。

  

  

番組の中で、色ごとに版木が作られた証拠の映像がありました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に、

奇跡的に残された国芳の版木が保管されていました。

Rimg1237

その版木の画像写真です。

Rimg1238

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Rimg1240  

この浮世絵の場合、13枚の版木で作品ができあがるそうです。

確かに色ごとに版木があります。

でももう少し具体的に見たいです。

欲を言えば、現物の版木を見て確かめたいです。

  

そんなことはできないのでしょうか?

  

   

  

放生会の「放し鰻」の浮世絵/「英雄たちの選択 歌川国芳」

  

今日は11月19日。

  
前投稿に引き続いて、放生会のこと。

「放し亀」の浮世絵はわかりましたが、

「放し鰻」の浮世絵はないのか探しました。

その結果、番組「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」(9月18日放映)

で紹介された絵ではないものがありました。

  

作品名は「山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)にがしてやりたい)」

1 鰻雑学 

↑このサイトから引用。

  

右の絵は嘉永5年(1862)歌川国芳「山海愛度図会 

にがしてやりたい」という浮世絵です。

当時は神社仏閣で行われていた「放生会」という、

捕獲した小動物を放し、殺生を戒める宗教儀式が大衆でも大流行し、

橋の脇で「放し亀屋」などと呼ばれる露店で売られている

「亀」「鰻」「小鳥」などを買い求めて橋の上から逃がしてやっていました。

そこで逃がした亀などは再び橋のたもとの「放し亀屋」が回収し

再び売っていましたが

「ウナギ」はというと主に鰻屋では料理に使えない、

小さいウナギなどを鰻屋から安く買い使用していたそうです。

  

この浮世絵の作者、歌川国芳については以前「英雄たちの選択」で

紹介していました。

話をそらして、その番組について書きます。

  

10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

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Rimg1223  

ここで疑問。

没年が1861年になっています。

ところが上記の「山海愛度図会 にがしてやりたい)」は

1862年の作品。

つまり、刷られたのは国芳死後のことだったのでしょうか。

またいつか解明したいことです。

    

  

番組中に随所で勉強になるシーンがありました。

できるだけ書き留めたいです。

  

番組冒頭の磯田道史さんの言ったこと。

参考までに、天保年間は西暦だと1831年から1845年のこと。

Rimg1224  

磯田:国芳が一番活躍したのは、天保(てんぽう)(年間)なんですね。

   「天保世代」 僕、「天保エイジ」とすごく言いたい。

   なぜかと言うと、幕末維新の志士たちとかは、

   実は天保時代に生まれて青少年期をそこでゆりかごのように

   育った人が多い。

Rimg1225

   だから本当は、天保はとっても大事な時代で、

   不穏な時代だったんだけれども、民の力も絶頂に上がってくる時代であって、

   天才も生まれるわけですよね。

   天保という時代はどんな時代なのかとわからないと、

   実は日本近代の出発点がわからない。

   それを(その時代を)象徴する核?として

   国芳をぜひ今日は紹介したいんです。 

 

天保時代と言えば浮かんでくるのが「天保の飢饉」「天保の改革」「水野忠邦」

といった言葉。

この時代に歌川国芳は活躍していました。

教科書には載っていなかった勉強ができた番組でした。

また後日の投稿で。

2017年11月18日 (土)

放生会の「放し亀」の浮世絵

今日は11月18日。

  

前投稿に引き続き、

9月18日放映の「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」より。

  

放生会(ほうじょうえ)についてやっていました。

Rimg1217

  

食べ物に対する感謝の念を表すために、

江戸時代には放生会というのが行われていました。

殺生(せっしょう)を戒めるための仏教由来の儀式、放生会です。

生き物を逃がすことで功徳を受ける会だそうです。

「功徳を受ける」とは、善行を行うことで報償を受ける権利をもらうこと?

う~ん、善い行いをして殺生を許してもらおうということかな。

 

新暦だと9月・10月の頃に当たる旧暦8月15日に

毎年行われていました。

この日、神社や寺の境内には逃がすための生き物、

「放し亀(がめ)」「放し鰻」「放し鳥(どり)」を売る露店が

軒を連ね、おおいににぎわったそうです。

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左上の絵に見覚えがあります。

 

安藤広重の浮世絵作品にありました。

 

名所江戸百景 第56景 深川万年橋」 

20100117173153908 広重 Hiroshige 「名所江戸百景」 時空map 

  

↑このサイトから引用

  

亀は万年。その名を冠する萬年橋で桶につるされた亀は、

今、売りに出されている亀である。

といっても、ペットとして売られているのではなく、

放すために売られている。

これは、放生会(ほうじょうえ)という儀式を

モチーフにした絵であるのだが、

これは、万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、

後生の安寧を願うために、生きた動物を自然に返す行事であり、

古くから全国の八幡宮を中心に行われてきた。

放たれるのは、鳥や魚であることが多く、

この行事のために、わざわざこうした小動物が売りに出されていたという。

描かれた亀は、深川八幡宮の放生会に供される亀であろう。

隅田川越しに富士山を望み、いま放たれんと鼻息も荒い。  

「放生会」「功徳を受ける」の説明も含んでいて

勉強になりました。

この絵が身近になりました。

さんまと大根おろしの組み合わせ

 

今日は11月18日。

  

今日は勤務校で学芸会のある日。

  

9月18日放映の「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」より。

秋刀魚(さんま)のお話。

  

秋の味覚として外せないさんま。

Rimg1205  

しかし、江戸時代は違ったようです。

「秋刀魚は下魚(げざかな)にて 食(しょく)する者なし」

Rimg1206  

このように書かれるように、さんまは不人気でした。

なぜか?

  

Rimg1207

江戸の歳時記に詳しい長沢さんの説明を聞き書きします。

 

長沢さん:江戸時代の食事というのはね、割合に淡白でして、

   脂を多く使った料理はあんまりありませんでした。

Rimg1208

   だから、江戸っ子の胃というのは、油が消化しにくくできていたんです。

   だから、さんまのように脂がギトギトの魚は

   どちらかというと嫌われていました。

Rimg1209  

そうだったのですね。

それではどんな魚が人気があったかというと、

次のような淡白な魚が人気だったそうです。

Rimg1210   

脂ののったさんまは食用にはせずに、

行燈(あんどん)などに使う油を採っていました。

Rimg1211

  

ところが、そんなさんまを食べざるをえない事情がありました。

江戸の人口の急増、飢饉により、

深刻な食糧不足に陥ってしまったからです。

大量に獲れて値段が安く、

脂によって大きなエネルギー源にもなるさんまが

注目されるようになります。

苦手なさんまをどうやって食するか。

江戸の人たちは考えました。

Rimg1212    

そのヒントをくれたのが、江戸時代に登場した天婦羅(てんぷら)。

Rimg1213

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当時の天婦羅の屋台には、必ず大根おろしが置いてあったそうです。

これは、油で揚げた天婦羅をさっぱり食べようという

江戸っ子の知恵でした。

実際に大根には油を分解して消化を助ける酵素が含まれていて、

理にかなった組み合わせでした。

脂ののったさんまを食する時も、同じように食べればいいのではと

考えた江戸っ子は、実行。

Rimg1215

こうしてさんまは秋の味覚の代表になっていきました。

  

さんまに大根おろし。

このような歴史があったのですね。勉強になりました。

  

思い出します、「目黒のさんま」

いい機会です。

聞いてみました。

 

  

さあ道草終了。お仕事しよう。今日の準備。

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