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2018年8月15日 (水)

今日は朝から雨柱の中

今日は8月15日。

  

今朝の6時少し前、

急に空が黒い雲に覆われたかと思ったら、

すごい雨が降ってきました。

ちょうど外にいて、屋根のある所までの10mほど

走りましたが、びしょ濡れになってしまいました。

 

その後、雨の中、用事があって車で出かけましたが、

散歩の途中で雨に襲われてびしょ濡れになったと予想される

人たちを何人も見ました。

入道雲はあったけど、青空が広がっていたので、

油断したのでしょう。

  

昨日のテレビ番組で次のようなことを言っていました。

入道雲は、上の方は白いけど、

下の方は黒色です。

(雲の厚みのために、下まで太陽光が届かないため)

  

入道雲が遠くにある時には、

上の方しか見えないので、白い雲だけが見えます。

しかし、近いと、下の黒いところが見えてきます。

雲がこちらに向かってくるのなら、30分ほどで

その入道雲はやって来るそうです。

  

入道雲の下は雨です。

その様子がわかるのが「雨柱」と言われる現象。

動画を探してみました。


YouTube: ものすごい雨柱の映像


YouTube: 東京に竜巻注意情報 局地的に激しい雨

  

きっとさっきの豪雨は、

こんな雨柱の中だったと思います。

CM「エマズウィッシュ物語」が見たい/「彼方」がいい

今日は8月15日。

  

今の生活のBGMは、小田和正のアルバムです。

その中のお気に入りの一つが、「彼方

この曲は、JRA(日本中央競馬会)の

CMのために作られた曲だそうです。

2013年から放映されたCMで、

「エマズウィッシュ物語」という名前がついていました。

チーム八ちゃん エマズウィッシュ物語(2013年1月3日の記事)

このサイトが詳しかったので引用します。

 

箱根駅伝の中継を見ていたら、JRA(日本中央競馬会)

の新ブランドCM「エマズウィッシュ物語」が流れていました。

1頭の仔馬が、たくさんの人の想いを背負って

たくましく成長していくストーリー。

何とそのCMのバックに流れていた曲は、

小田和正さんがこの物語のために書き下ろした新曲! 

競走馬が多くの人々の期待・夢・希望を背負って成長し

競馬場を駆け抜ける様子を、「エマズウィッシュ」

(可愛い馬です)と名づけられた牝馬の生涯を通じて

描いています。いつもながらに素敵な歌声ですね。

タイトルは未定です。いい曲です。小田さんからのお年玉でした。

 

  

歌詞の出だしはこれ↓

 

♪ あふれる愛に 見守られて

 望まれて 今こうして

 この場所 時をえらんで

 生まれてきた このいのちは

 まるで屈託のない その笑顔で

 きらめく朝の光のように

 まわりのすべてのことを

 幸せで包んでゆく ♪

 

赤ちゃんをイメージしていました。

人間の赤ちゃんを。  

でも馬だったのですね。

 

上のサイトには、この曲を作った小田和正さんの

コメントも掲載されていました。

引用します。

  

わりとすんなり作れたんですが、

だんだんもっとこうした方が良いんじゃないかということが、

私特有の何と言うんですか?優柔不断?よく言えば粘り腰、

(笑)追求?まぁどう考えても優柔不断なんですが、

これがあって結局はかなり『クリ約』と重なって、

やり直したり、納品直前にもう1回全部歌を録り直したりして

受け取って頂きました。

自分としては見せてもらったコンテに沿って

わりと書いたつもりですが、

最終的にどんなふうになっているかは自分も

テレビを見た時ができあがりということで、

不安ですが精一杯やりました。(小田さん談)

 

  

クリ約」とは、2001年より毎年

12月25日(クリスマス)前後に

TBS系列で放映されている音楽番組。

小田和正さんが中心であり、

毎年多彩なゲストが登場しているそうです。

(私は今日まで知りませんでした)

 

「彼方」について次のサイトではこう書いています。

引用します。

殿(しんがり)追走ハラヤマジツコ JRA ブランドCM「エマズウィッシュ物語」(全編・120秒)(2013年1月3日の記事)

 

2013年、初泣きでした。

今年のJRAのCMです。

この120秒の間に、牧場で生まれて、

育成されて、競馬場で走るまで、

馬1頭に、たくさんの人の手と愛情が掛けられていること、

レース一つ一つには馬券だけじゃない、

いろいろな人の夢が託されていること、

こういったものが見事に表現されています。

たくさんの人に見て欲しいです。

  

見たいけど、見ることができません。

ネット上では、探しましたが見つかりませんでした。

残念。

見たことがあるのかなあ。

でも当時の自分の好奇心には引っかからなかったようです。

 

「彼方」は、映画「氷川丸ものがたり」(2015年)の

エンディングテーマにもなっています。


YouTube: yokoku

H  

この予告編を見ると、映像と曲がマッチしているんです。

競走馬の成長を歌った曲だったのに、

この映画のための曲に聞こえてきてしまいます。

「彼方」のすごさですね。

  

ああCM「エマズウィッシュ物語」が見たい!

2018年8月13日 (月)

「ブラタモリ 10」で勉強/鳴沢歩道橋付近にある溶岩の末端

 

今日は8月13日。

  

前投稿に引き続き、

ブラタモリ 10」(NHK「ブラタモリ」制作班監修/角川書店)

より。

  

「ブラタモリ」では、

貞観噴火の溶岩の端付近を見に行っています。

西田進のHP 富士山の青木ケ原樹海----山の自然学シリーズ(1)

このサイトにあった地図を再掲載。

Photo_2

地図中に示した「溶岩の末端」は火口から約6km。

現在は国道139号の鳴沢歩道橋付近。

「ブラタモリ 10」の記述を引用します。

 

ここ(鳴沢歩道橋前交差点)から西の方角を見ると、

道路が上り坂になっていることがわかります。

この坂道は、かってこのあたりで止まった

溶岩の末端を切り通して造られたものなのです。

(18p)

 

現場に行きたいけど、とりあえずグーグルアースで

行ってみたいです。

グーグルアース 鳴沢歩道橋付近

Photo_3

西(左手側)から溶岩が歩道橋の手前まで流れてきました。 

鳴沢歩道橋付近に下りて、西方向を見ます。

ストリートビュー 歩道橋下から西方向

Photo_5 

ここから上り坂になっています。

ここまで溶岩が流れてきたようです・

 

 

逆に登った場所から振り向て、鳴沢歩道橋付近を見ます。

ストリートビュー 鳴沢歩道橋を見下ろす

Photo_4

けっこう上ってきています。

  

実際に行って確かめたいですね。

 

  

以上で「ブラタモリ 10」で勉強したことです。

「ブラタモリ 10」で勉強/明治時代の富士風穴

 

今日は8月13日。

  

前投稿に引き続き、

ブラタモリ 10」(NHK「ブラタモリ」制作班監修/角川書店)

より。

 

今回は「富士風穴」のこと。

引用していきます。

  

富士風穴が発見されたのは明治時代のこと。

トンネルの落盤によって入口が姿を現しました。

(22p)

 

意外に新しい。

私が撮った8月4日の写真。

Rimg0076  

富士風穴に行くまでに窪地があります。

この窪地に下りるだけで、10度くらい気温が下がるそうです。

風穴内の気温は年間を通して0度前後であり、

風穴からの冷気が、窪地の気温を下げています。

  

風穴の冷気が、明治から大正時代に貢献しました。

そのことが書いてある部分を引用します。

  

かつて富士風穴には、国内最大規模の蚕卵(さんらん)の

貯蔵施設があったのです。

蚕の繭を原料にする生糸や絹織物の生産は明治以降、

日本の主要な輸出産業でした。

しかし蚕の卵は春にふ化するため、養蚕は春にしか

行えないという大きな課題がありました。

この問題を解決する方法として注目されたのが、

蚕の卵を冷蔵保存し、ふ化の時期を遅らせる技術でした。

しかし冷蔵庫はまだ一般的ではありません。

そこで利用されたのが、夏場も冷気が保たれる洞窟や

風穴でした。

同様の施設は全国に造られましたが、

なかでも規模が大きかったのが富士風穴内に造られた施設で、

遠く福岡県からも蚕卵が運ばれたことが

記録に残されています。

明治時代に描かれた富士風穴の断面図には、

風穴の入口がある窪地には作業者が寝泊まり小屋、

風穴内には3つの貯蔵庫が描かれています。

そこから風穴内にはレールが敷かれ、

氷づけになって残されていた台車を使って

蚕卵が運ばれていたのでは、と

(案内の)栗林さんは推測しています。

風穴は、日本の養蚕業を支えていたのです。

(23~24p)

 

「ブラタモリ 10」で紹介されている風穴の図は、

ありがたいことに次のサイトで見ることができました。

山梨デジタルアーカイブス

風穴の図の写真を載せます。

Photo 明治時代の風穴断面図 「富士風穴略説」より

  

今度行った時には、この図の景色を思い描きながら

風穴内を歩いてみたいです。

  

  

最後に、「ブラタモリ」でタモリさんたちを案内した栗林さん。

フルネームは栗林秀旭(しゅうき)さん。

 

写真家・樹海ガイド。

富士山に魅せられ平成19年に

山梨県精進湖畔に移住。

富士をテーマにした写真集を2冊出版している。

(23p)

  

本に載っている栗林さんの写真を見て、

この栗林さん、私は8月4日に見ていることに気がつきました。

Rimg0078a  

窪地で記念写真を撮っている人たち。

手前でカメラを構えているのが、栗林さんです。

その時には全く知りませんでした。

  

  

以上、「ブラタモリ 10」でいい勉強ができました。

でももう一つ、投稿したい。

2018年8月12日 (日)

「ブラタモリ 10」で勉強/貞観噴火 青木ヶ原樹海の範囲

今日は8月12日。

  

ブラタモリ 10」(NHK「ブラタモリ」制作班監修/角川書店)

が入手できたのでさっそく書き留めます。

※参考:ここでも道草 20180804樹海を歩いてきました3.富士風穴へ(2018年8月10日投稿)

  

まずは、「青木ヶ原樹海」の範囲について。

富士山の麓にある樹林帯は、

全て「青木ヶ原樹海」と思っていました。

違いました。

 

引用します。

 

単に「樹海」と略されることも多い青木ヶ原樹海ですが、

実は富士北西麓に広がる森の一部。

大室山(おおむろやま)という展望台の

南西方向に見えるお椀形の山から

本栖湖にかけての一帯が青木ヶ原樹海です。

(8p)

   

その青木ヶ原樹海の範囲について書かれた場所が、

13pにありました

引用します。

  

青木ヶ原樹海の正体は、1100年前の大噴火

「貞観噴火(じょうがんふんか)」で流れ出た

大量の溶岩の上に、長い年月を経て再生した

森だったのです。

(13p)

(大室山の裾野を流れた溶岩)

この溶岩を流した噴火は、

864~866年に起こった「貞観噴火」。

平安時代の歴史書にも、

その巨大さが記されています。

「富士山の噴火で、文字記録に残っているなかでは、

最大級の溶岩を出したんです」と吉本さん。

(13p)

吉本さんは、タモリさんたちを案内した

山梨県富士山科学研究所主任研究員。

 

平安時代の歴史書とは「日本三代実録」(国立公文書館)

その中に「炎の高さは二十丈(30m)」

「長さは三十里(14.5km)」と記録されています。

(13pに写真あり)

※このサイトで見ることができました↓

サブやんの気まぐれ調査研究 富士山噴火 貞観6年 864の大噴火

  

では、どのくらい溶岩が広がったかがわかる地図を

見つけました。

そのサイトはここ↓

西田進のHP 富士山の青木ケ原樹海----山の自然学シリーズ(1)

その地図です。

Photo

この地図は、このサイトでは

「レーザープロファイラによる立体画像」と呼ばれています。

「ブラタモリ 10」では、「赤色立体図」と呼ばれ、

その発明者である千葉達朗さんも、タモリさんたちの

案内人で、番組に登場していました。

 

この溶岩を出した火口は、地図中の氷穴火口列と、

大室山の麓の北西付近にあった火口列だそうです。

「ブラタモリ 10」を参考にして、

上記地図に「樹海を生んだ火口」を書きこんでみました。

Photo_2  

火口列から出た溶岩は、大室山に迫りますが、

大室山にかけあがることなく、その山麓を流れます。

上の地図を見て、黄色の部分が溶岩が流れた跡です。

大室山は溶岩に覆われていません。

そのことがわかります。

そのことが、大室山と周囲の植生に影響しています。

引用します。

  

実は樹海と大室山は、植生自体が異なっています。

樹海の木々がヒノキやツガなどの針葉樹である一方、

大室山にはブナやミズナラといった

広葉樹の森が広がっているのです。

ではなぜ、2つの性質が異なる森が隣り合っているのでしょう。

その理由もまた、溶岩にありました。

結果、大室山にはもともとの豊かな土壌が残り、

それが広葉樹の森へとつながりました。

一方、溶岩が流れた土地には厳しい環境にも

適応できる針葉樹が根を張ったのです。

(11p)

  

 

私たちは、4日に大室山の山麓を歩いて、

本栖風穴まで歩きました。

今思えば、広葉樹と針葉樹の境界を歩いていました。

もったいなかったなあ。

知っていたら、もっとしっかり観察していたのに!

  

  

「ブラタモリ」でいい勉強ができました。

録画していなかったのが残念。

  

次は富士風穴について書きます。

カルピスは「Since1919」

今日は8月12日。

  

この夏は、カルピスをよく飲んでいます。

そのボトルを見ると・・・

Rimg0055  

Since1919とあります。

来年で100年なのですね。

ちなみに1919年(大正8年)の7月7日が

カルピス販売スタートの日。

ちゃんと7月7日は「カルピスの日」になっています。

※参考:今日は何の日~毎日が記念日~7月7日

  

1919年は、よく覚えた年代です。

歴史上何があったのか覚えていますか?

順を追て主な出来事を見ていきます。

  

 

3月1日 朝鮮で「三・一独立運動」

  日本からの独立運動。

5月4日 中国で「五・四運動」

  抗日・反帝国主義の大衆運動。

6月28日 ベルサイユ条約締結

  第一次世界大戦の勝者連合国と敗者ドイツが締結した条約。

  この条約が結果的に、ヒトラーの台頭を促した。

7月7日 カルピス販売開始

 

  

カルピスの歴史については、

カルピスのHPがわかりやすいです。

カルピスHP カルピスの歴史

その中で気になった記述を引用します。

  

1923年

ドイツ商業美術家救済事業として

 

ポスターデザインを募集(春頃)

 

1924年

 

オットー・デュンケルスビューラー図案の黒人マークの

 

「カルピス」広告を新聞で初めて掲載

 

(*1990年1月、差別問題から自主的に使用を中止しました)

  

 

黒人マークとはこれ↓ 

H08115253 平成8年商標登録願第115253号

 

このマークのもう少し詳しいいきさつが

次のサイトにありました。

Yahoo!知恵袋 

 

黒人マークは1923年(大正12年)に制定されたが、

これは第一次世界大戦後のインフレで

特に困窮している美術家を救うため、

ドイツ、フランス、イタリアでカルピスの

ポスターの懸賞募集が行われた。

その中から選ばれたのが黒人マークで、

作者はドイツのオットー・デュンケルスビューラーという

図案家であった。

黒人マークは1980年代になると国際化時代の背景から

人種差別的な問題を提起されたり、黒人差別をかかえる

国々から反対意見を展開されるようになり、

企業イメージの面で不利ということで1990年に使用を

中止することとなった。

 

 

このマーク、私には覚えがあります。

1990年使用中止ですから、

当然ですね。

困窮している美術家を救うためというのは初めて知りました。

何にでも理由(わけ)あり。

何にでも歴史あり。

 

 

「BVLGARI(ブルガリ)」に関するニュース

今日は8月12日。

  

先日初めて知ったブランド「BVLGARI(ブルガリ)」

参考:ここでも道草 ポンペイ9/アルファベットの歴史を少々勉強する(2018年7月26日投稿)

  

その「ブルガリ」に関するニュースに目がとまりました。

Yahoo!ニュース ブルガリのアンバサダーは、史上最年少でモデルのKoki,に決定!

一部引用します。

 

モデルとしてだけでなく作曲家としても活躍する

今注目のKoki,(コウキ・15)。

そんな彼女が、本日、日本人初、そしてさらに史上最年少で

就任したのはでブルガリ(BVLGARI)のアンバサダー!

幼少期からフルート、ピアノを学び、

その才能で現在作曲家として活躍する一方で、

モデルとしてのキャリアも着実に歩む彼女。

「夢を叶える」という意志を持ちひたむきな努力を続ける強さ、

そして美しさを兼ね備える彼女は、

ブルガリのパイオニア精神を完璧に体現してくれることでしょう。 

 

Img_1150_2 

 

Kokiは木村拓哉さん工藤静香さんの次女。

 

就任に対してのコメントを、再び上記サイトから。

 

イタリアを代表する世界的なハイジュエラーである

ブルガリのアンバサダーに就任する事を大変光栄に思います。

私には、様々な キャラクターを演じ、

人を魅了できるようなモデルになりたいという夢があります。

その夢は簡単には叶わない事も知っています。

ですが、 勇気を出してその夢の扉を開けて、

温かく迎えてくださるブルガリ ファミリーの一員として、

精一杯チャレンジを続けて行きたいと思います。

  

 

私の今までの人生で全く縁がなかったブランド、

今回もアルファベットの学習からの広がりで知った

ブランド。

でもキムタクの次女は、縁がすでにあったんだろうなあ。

「ブルガリ」の商品もきっと身につけたことがあるのでしょう。

 

世の中の人は、「ブルガリ」と聞いて、

すぐに思い浮かぶのだろうか。

 

  

ちなみに「アンバサダー」とは?

「アンバサ」と聞いて、昔飲んだ日本コカ・コーラの飲み物が浮かびます。

カルピスのライバル? カルピスと似た味でした。

 

調べてみると、どこでも意味の説明は短いです。

 

大使 使節 代表

  

そのような意味でした。

どのような仕事をするのでしょうね。

  

 

 

2018年8月10日 (金)

20180804樹海を歩いてきました3.富士風穴へ

 

今日は8月10日。

  

前投稿に引き続き、8月4日の登山報告。

  

本栖風穴からブナ広場に戻りました。

その途中で見た大きな木↓

Rimg0069

Rimg0070

まわりに立派な木がありすぎて、あまり目立ちません。

よく見たら、さらに立派な木であることに気がつきました。

 

次は富士風穴へ向かいました。

ここは、あらかじめ許可をもらわないと入ることができない風穴。

富士河口湖町HPから申請書をダウンロード。

必要なことを書いて、町役場に提出。

許可をもらうようです。

HPを見てみました。

富士河口湖町HP 申請書ダウンロード

Photo 

申請書の文面を見てみましたが、

けっこう書き上げるのはたいへんです。

この手間という負荷をかけて、むやみやたらと、

たくさんの人たちが風穴に入らないようにしているのでしょうか。

危険なので、それなりの覚悟をしてくださいということかな。

風穴の傍らのいた監視員の方が言っていました。

「鳴沢の氷穴は観光、富士風穴は探検」

 

撮影許可もいります。

今回は上から眺めただけですが、いつかは入ってみたいですね。

 

それでは8月4日の写真。

Rimg0028_2

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Rimg0075 

風穴の近くにいると涼しいのですが、

時には冷気のかたまりがすっと上がって来ます。

「来た!来た!」とみんなで大騒ぎしてました。

 

しばらくして、許可をもらって風穴に

入っていく人たちがいました。

上着を着て、ヘルメットをかぶり、

ヘッドライトをつけていました。

Rimg0076

Rimg0079

やっぱりうらやましかった。

次回はぜひ。

監視員の人が、中に入ると

氷の「ひょうじゅん」があるよと教えてくれました。

「ひょうじゅん」?

「ひょう」は「氷」だろうけど、「じゅん」は?

漢字が浮かびません。

同行者が「たけのこ(筍)」だと教えてくれました。

なるほど、「氷筍」か!

夏の氷筍は、前投稿で紹介した「そうだ山と廃墟へ行こう」

で見ることができました。

そうだ山と廃墟へ行こう 富士風穴の氷筍

 

2016年10月に放映された「ブラタモリ」で、

青木ヶ原樹海のことが扱われ、

今回私たちが出向いたところが出てきたそうです。

自宅に戻って調べましたが、録画してありませんでした。

その当時は、興味関心がなかったようです。

本がありました。

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amazon

 

これを読んでみよう。

図書館でさっそく予約完了。

  

  

以上で8月4日の登山報告完了。 

  

20180804樹海を歩いてきました2.本栖風穴へ

 

今日は8月10日。

  

夏休み、前半の最終日。今日は管理当番。

  

前投稿に引き続き、8月4日の登山報告。

精進口登山道を歩いて、1合目まで。

そこで昼食。

裾野が緩やかな富士山。

実際、今回歩いてみてそれを感じます。

緩やかな登り坂でした。

昼食後、来た道を戻りました。

Rimg0046

 

帰りは、登山道を時々はずれ、道草をしました。

通称、ブナ広場という場所に来ました。

Rimg0051

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Rimg0049

↑これが広場らしいかな。

ブナ広場から本栖風穴を目指して歩きました。

その途中で立派な木を見ました。

Rimg0053

次は縦にして撮りました↓

Rimg0054

 

本栖風穴に行くのは難しかったです。

道標は、途中に全くありませんでした。

赤テープもつけてはいけないルールの区域。

思ったよりもたくさん歩いて、

あきらめかけた頃に、同行者の方が、

右に曲がる踏み跡を見つけ、

そちらに向かっていったら、

本栖風穴がありました。

同行者の方が踏み跡を見つけてくれなかったら、

行きつくことはできませんでした。

ブナ広場から行ったなら、下の写真の場所で右折です。

Rimg0068a

↓本栖風穴です。

近づいただけで、冷気を感じました。

Rimg0064

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Rimg0063

Rimg0062

調べたところ、国土地理院の25000分の1の地図に

示されている本栖風穴の位置は、

実際とは400mほどずれているそうです。

思ったよりも遠いと感じたのは、この400m分でしょう。

※参考:そうだ山と廃墟へ行こう 本栖風穴第一洞窟での事故

 

次は富士風穴に行きました。

 

つづく

2018年8月 9日 (木)

20180804樹海を歩いてきました1.1合目まで

今日は8月9日。

  

8月4日の登山報告です。

  

富士山の麓を歩いてきました。

Epson858 ※国土地理院25000分の1の地図をベースにしました。 

今回は、上の地図の県道71号線から樹林帯の中に入り、

1合目までを往復しました。

下山途中に、本栖風穴や富士風穴を見てきました。

登山口付近をストリートビューで↓

ストリートビュー 今回の登山口

Photo  

  

では私が撮った写真を並べていきます。

Rimg0024

↑登山スタートの場所。

暑い日々。でも今回のコースは涼しそうです。

青木ヶ原樹海ですが、登山道を外れなければ大丈夫とのこと。

  

Rimg0026

Rimg0029

↑大きく曲がった木。

Rimg0037

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Rimg0040

Rimg0044  

ふだんの生活圏ではありえない光景の中を歩いてきました。

別世界です。涼しいです。

暑さの厳しい真夏に歩くのがいいですね。

  

涼しいのですが、30分も歩くと汗をかいてきます。

そのタイミングで休憩をとると、

とたんに涼しくなってきます。

汗が引きます。

その感触がとても心地よかったです。

 

Rimg0045

↑この先に1合目があります。

  

つづく。

  

今日はたくさんの道草できるかなと思ったけど、

2本の投稿で終了。また明日。

  

  

最近の写真

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