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2018年2月17日 (土)

「21世紀脱・学校論」からの引用/「我慢しない人」を軽蔑する文化

今日は2月17日。

  

 

すべての教育は『洗脳』である 21世紀の脱・学校論

(堀江貴文著/光文社新書)から以前投稿しました。

ここでも道草 「オールドルーキー」の歌詞の意味は、「過去を再利用しない」ということ?(2018年2月13日投稿)

 

今回もこの本からの引用です。

「脱・学校論」というだけあって、教師の立場からどう思うかを

次から次に問われるような内容でした。

  

最初に断っておくと、僕は「我慢」が大嫌いである。

やりたいことがあったらすぐに行動に移すし、

やりたくないことは極力やらない。

現状に不満があるのにひたすら我慢するなんてありえない。

ただし、一度やると決めたことについては全力でやり抜く。

そのための「努力」は惜しまない。

この場合の努力とは、我慢とはまったく別物だ。

僕の言う努力とは、どうしてもそれがやりたくて、

誰に何を言われても走り続けること。

足を止めないこと。

つまり「夢中になること」なのだ。

日本には、僕のような「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。

そして「我慢強い人」を褒め称える文化がある。

どんなに不満があっても、どんなに理不尽な状況に置かれても、

それを耐え忍ぶことを美徳とし、耐えしのいだ先にこそ

「成功」が待っているかのような言説がまかり通っている。

ほとんどマインドコントロールに近い不条理なこの呪いが、

この国全体を覆っている。

その原因は何か?  (5p)

 

5pはここで終わっていて、その原因については、

ページをめくった6pに書いてある状況です。

原因は何だと思いますか?

もう予想がつきますよね。

それではページをめくります・・・・

  

「学校」なのである。

旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。

やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、

自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、

白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。 (6p)

  

 

「我慢しよう」とは日頃、教室でよく言う言葉です。

でもそれが「子どもたちの可能性に蓋をする」つもりは毛頭ありません。

でも「我慢しよう」は言っています。

人には我慢できる力は大事だと思っています。

あるときは我慢して頑張れば、その後は楽しいことが待っている。

そんな使い方をするかな。

我慢せずに、やりたいことだけをやっていては、

将来生活に困ってしまう大人になってしまい、

もし家族をもっていたなら、家族も不幸にしてしまう大人になると

考えてしまいます。

そう考えるのは、私自身も洗脳されてきたからでしょうか?

 

自信をもって「違う!」と言えないところがあるなあ。

  

続く

2018年2月15日 (木)

20180203観音山報告その2/昭和31年生まれの送電鉄塔

今日は2月15日。

  

2月3日に登った浜松市の観音山の報告。

  

山で出会った送電鉄塔の写真です。

Rimg1861

Rimg1867

Rimg1868

Rimg1863  

送電鉄塔のあるところは、送電線展望台と名付けられていました。

送電線があるために、樹木は切り開かれていて、

見晴らしのいい場所でした。

しかし、私がここで注目したのは、

遠景ではありませんでした。

送電鉄塔にあった表示です。

Rimg1860

Rimg1860a

 「昭和31年1月建設」と書いてあります。

昭和31年! 西暦で1956年。

62年前の送電鉄塔? そんなに年数が経っているのに現役?

ビックリしました。

そもそもそんなに古くから、送電線の必要があったの?

その辺りが全く不明。

家に帰ったら調べようと思っていました。

今頃実行。

 

ここに答がありました。

技術探索 送電鉄塔の歴史

ここで見ることができる論文(本郷栄次郎著)によると、

初めて送電鉄塔ができたのは、1907年のことだそうです。

100年以上の歴史がありました。

 

次のサイトも参考になりました。

中部電力 31000基の鉄塔を見守る

ここから引用します。

  

適切なメンテナンスをおこなえば、

鉄塔は100年以上もたせることも可能です。

鉄塔は、風雨や直射日光にさらされるため、

防食性の高い亜鉛めっきを施していますが、

それぞれの建設地点における自然環境の影響により、

時とともに劣化していきます。

山地では40~50年も亜鉛めっきの効果が保たれる鉄塔もありますが、

沿岸部では海塩による腐食により建設後10年ほどで

補修(塗装)が必要となる場合もあります。  

(中略)

経年劣化のスピードは鉄塔ごとに異なるため、

1基ごとの状況を確実に把握し、

その健全性を保っていくことがますます重要です。

中部電力では1年に700基ほどの鉄塔に塗装を施し補修をしています。

  

  

100年以上もたせることが可能とあります。

私が見た鉄塔は62年。まだまだ。

そしてこの鉄塔は塗装されていました。

Rimg1866  

そうなると、100年以上頑張る送電鉄塔になるかも。

私より5年早く生まれた送電鉄塔ですが、

私より長生きするんだあ。

  

  

私が生まれてからあくせく生きてきましたが、

その間この鉄塔はずっとここに立っていたんだよなあ。

お疲れさん。

これからも頑張って。

2018年2月14日 (水)

今日は何の日クイズ 2月14日「〇〇”〇の日」

今日は2月14日。

  

今日は何の日?

もちろん「バレンタインデー」ですが、

学級でやった「今日は何の日クイズ」では、

「〇〇”〇の日」で尋ねてみました。

「『〇〇”〇』に何が入ると思いますか?」

  

子どもたちに出したヒントととして、

  

2 1  4

〇 〇” 〇

 

と板書しました。

最初の〇は「2」、次の「〇”」は「1」、

最後の「〇」が「2」に関する文字が入ることを言いました。

子どもたちからは「にいし」「ふいよ」「にいよ」「にじし」

などが出てきます。

厄介なのは「1」をどう読むかです。

「1」を「いち」「ワン」と読んでいては、

答えに行きつきません。

10の位であることから「じゅう」と言えれば、

ほんの少し正解に近づけます。

「にじし」は「じゅう」から生まれた発言でしょう。

  

「にじし」という発言は有効です。

「にじし」は意味がない言葉ですが、

その響きは十分ヒントになります。

「『にじし』と言うのはいいヒントになっているよ」

と言うと、子どもたちは考えます。

そして「にぼし」だ!と気づきました。

  

そう今日は「煮干し(にぼし)の日」です。

 

「今日は何の日クイズ」の面白さは、

みんなでたくさん考え、発言し、多くの間違いをした後に、

それまでの間違いをヒントにして正解に行きつく過程です。

今日もその流れがありました。

 

ちなみに「1」から「ぼ」は連想しにくいです。

「1」を「棒(ぼう)」と見なして、「ぼ」なのです。

そんな馬鹿な!と言いたくなる理由です。

ここでは終わりません。

「煮干しは、いろいろな魚でつくられますが、

一般的には〇〇〇〇〇〇〇という魚からつくられます」として

問います。正解は「カタクチイワシ」です。

  

  

さらに問います。

「イワシ」は漢字で書くと魚偏の横に何と書きますか?

正解は「弱」です。「鰯」と書きます。

  

  

次いでにもう一つ。

「鱈」は何と読みますか?

正解は「タラ」

寒い日に食べるといい鍋。その鍋で「タラ」をたべるとおいしいよね。

  

そんな話をして・・・・国語の教科書を開かせました。

  

  

「煮干し」を知らない子がいました。

明日は実物を持っていこう。見せたいね。

Sl_2133 https://tkjm.jp/kanbutsu/1362/

おっと、ビックリ。

6年前にも「煮干しの日」のことを書いていました。

ここでも道草 2月14日は「煮干しの日」でもあります(2012年2月13日投稿)

私にとっては気になる「何の日」のようです。

2018年2月13日 (火)

「オールドルーキー」の歌詞の意味は、「過去を再利用しない」ということ?

 

今日は2月13日。

  

竹原ピストルさんの曲「オールドルーキー」の歌詞について

以前、記事を書きました。

ここでも道草 昨晩から今朝にかけて触れた言葉その3/大晦日にたくさんの人が撃たれた(2018年1月11日投稿)

なかなか刺激的な歌詞です。

あらためて一部引用します。

  

積み上げてきたもので

勝負したって勝てねぇよ

積み上げてきたものと

勝負しなきゃ勝てねぇよ

(中略)

  

いやはや丸くなったよ。。

って笑ってりゃあ そりゃあ酒もやさしくなるさ

だけど俺はやめたんだ

そういうのをもうやめたんだ

オールドルーキー

  

何度でも立ち止まって

また何度でも走り始めればいい

必要なのは走り続けることじゃない

走り始め続けることだ (後略)

  

 

最近読んだ本に、共通した考えがある文章を発見したので、

ここに引用します。その本は

すべての教育は『洗脳』である」(堀江貴文著/光文社新書)です。

  

【過去を再利用しない】

(中略)

自分が今までの努力で得てきたものを、なんとか未来にも活かしたい。

そこに費やしてきた時間を無駄にしたくない。

そういった未練とは潔く手を切ってほしいのである。

あくまでも、「今」あなたが何をしたいのかが出発点だからだ。

メルマガに寄せられる定番の質問に、こういったものがある。

「私は会計士の資格を持っています。

とりあえずこの資格を活かせることをやろうと思うのですが、

何かいいアイデアはないでしょうか」

自分は会計士だ。だから会計士の資格を活かせることをやる。

真っ当な発想に見えるかもしれないが、実はまったくなっていない。

なぜならここには、本人の「これがやりたい」という動機が

一切ないからだ。順序は常に「好き」「やりたい」という動機が

先でなければならない。

この相談者の「やりたいこと」に、会計士資格が活かせるのであれば

もちろんそれでもいい。

しかし、「とりあえず」を理由に何かを始めても、

同じことを「やりたくて」やっている人には絶対勝てない。

「大好きだからやりたい」と

「特別やりたいとは思っていない」の間にある壁は

想像以上に高いのだ。  (155~156p)

 

 

つまり、自分のやってきたことや、すでに持っているものから

「やること」を決めてはいけないのだ。  (中略)

もしかしたら「一見使えそうな」スキルや経験があなたにあるかもしれない。

でも、「これを素材として活かす事業でなきゃダメだ」と思っているのなら、

むしろ捨てた方がいい。

それは、あなたの本当の「やりたい」を妨げる持ち物だからだ。

(中略)

「過去を活かす」のは一見、「経験を無駄にしない」ことのように思える。

でも、それは錯覚だ。

過去は、ただ過ぎ去った時間でしかない。

「再利用できる資源」ではないのだから、それを無理に活かす必要はない。

過去を元手に決断すれば、その時点であなたの可能性は100分の1、

1000分の1に縮まってしまうだろう。  (157~158p)

 

「オールドルーキー」で、きっとこういうことかなと思ったことが、

堀江さんの文章を読んで、こういうことかとわかった気がします。

でも難しいなあ。

何か始める時には、「本当にやりたい」と思っているか、

過去の蓄積に頼っていないか、自問しなければならないと思う。

  

  

今やり始めようとしていることがあります。

情報に関する、動画教材に関することです。

さっそく自問しています。

過去の経験は参考にしています。

過去の経験から、こういうことをやりたいと思うようになりました。

過去の経験がなければ、思いつかないことです。

過去の蓄積の再利用はねらっていません。

「やってみたい」気持ちは確実にある。大丈夫。

2018年2月12日 (月)

20180203観音山報告その1/大王松かな?/花図鑑リニューアル

今日は2月12日。  

2月3日に仲間と久々の登山。

浜松市の観音山を登ってきました。

  

その時のことを書きます。

  

同行した方が、この登山報告を「ヤマレコ」にアップしています。

ヤマレコ 観音山(浜松市:久留女木の棚田経由で周回)

どのようなコースを歩いたかは、そちらでわかります。

私は付け足しで書きます。

  

途中でかわった松を見ました。

  

Rimg1911

Rimg1912

Rimg1916  

以上私が撮影した写真。次の写真は同行者の方の写真↓

Photo_2  

とにかく葉が長い。

 

調べてみました。

どうやら「大王松(だいおうまつ/だいおうしょう)」という松のようです。

英名はlongleaf pine(長い葉のマツ)。北アメリカ東南部が原産地。

松ぼっくりが巨大なようです。

  

地元の豊川市にある豊川稲荷でも大きな松ぼっくり取れることで有名。

そうなると、豊川稲荷にあるのも大王松?

 

なぜ写真のように大量に大王松があるのでしょう?

大きな松ぼっくりを取って、売るのかな?

長い葉を取って売るのかな?

盆栽で使われるようです。

生け花でも使うようです。

需要はありそうです。

こんな写真がありました↓

Dscf5323 ちぃ道場〜なんたって好日〜 お正月の花(松、竹、アンスリウム)

  

  

久々に「みんなの花図鑑」を訪れて、

この松のことを教えてもらおうと思ったら、

すっかり様変わりしていました。

みんなの花図鑑 powered by goo

せっせと投稿した写真は、全て消えてしまいました。

久々だったのがいけなかったです。

もっと早く訪れていたら、投稿した写真のデータの引っ越しもできたのに・・・。

残念。

昨年の9月1日に変更されたようです。とっくの昔のことでした。

  

初めての整体に行く予定/本證寺に行きたいなあ

今日は2月12日。

  

今日の午前10時から、生まれて初めての整体に行ってきます。

腰痛で苦しむ私の姿を見て、周囲の人から整体に行くことを

何度も勧められましたが、今までは一度も行きませんでした。

でも、昨年の腰痛はちょっと今までとは違う痛さでした。

まずは足の付け根上付近が痛み、

その痛みと表裏した腰下付近が痛烈に痛みました。

お医者さんからは「仙腸関節」の痛みと診断されました。

ここでも道草 今回の腰痛は辛い!/「仙骨」「腸骨」の語源(2017年10月25日投稿)

これはどうにかしないといけないと思うようになり、

今回整体に行く決心をしました。さあどうなるか?

  

  

 

整体に行った後に、息子と名古屋に行く用事があり。

その帰りに、安城市にある本證寺に行きたいと思っています。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の「直虎紀行」(昨年10月15日放映)で

紹介されたお寺です。

直虎紀行 愛知県安城市 本證寺

徳川家康の家来である本多正信に関係するお寺です。

1563年に起こった三河一向一揆。

家康の家来であった正信は、一向一揆の一向宗側について戦いました。

なぜ正信は、一向宗側についたのか?

本多家は貧しく、家康ではなく仏の力にすがったとか、

その頃はまだ家康との絆ができていなかったという説があります。

一向宗が立てこもった拠点のひとつが、本證寺です。

寺は内堀と外堀、二重の堀に囲まれ、敷地内に今も残る土塁が、

当時の様子をとどめているそうです。それを見てきたい。

  

  

翌年一向一揆は家康に負けます。

家康の家来で、一向宗側についた者たちは許されて、

再び家康の家来になりました。

しかし、本多正信は家来に戻らず、諸国を放浪したと言われます。

その中で、松永久秀にも仕えたようです。

戦国時代の稀代の戦略家である久秀に仕えたことで、

正信は多くのことを学んだのではという説があります。

久秀が正信のことを次のように褒めているそうです。

「剛に非ず 柔に非ず 非常の器である」

良い褒め言葉です。

  

 

こうして20年近く諸国を放浪した正信は、家康の元に戻ります。

その後は、家康の天下取りの参謀として活躍します。

以上の正信に関する記述は、次の番組を参考にしました。

※参考:「にっぽん!歴史鑑定 徳川家康の知恵袋 本多正信」(2018年2月5日放映)

  

「おんな城主 直虎」がきっかけで、本多正信のことを知ったと思います。

名前を聞いたことはあっても、このような素性を知ったのは初めてです。

気になったお寺、本證寺を見てきたいなあ。

内堀、外堀の位置はどうだったのか?

内堀は、今も残っていて地図でもわかりやすいです。

Photo

Yahoo!地図

  

外堀は?

この地図がいいです。

Tyosaiti 安城市HP 87年ぶり、安城市で3件目の国史跡指定へ

  

本證寺

〒444-1165  愛知県安城市野寺町野寺26
0566-99-0221

2018年2月11日 (日)

お父さん、お母さんを教えた教師の立場

今日は2月11日。

  

この記事で書いたことを実行しました。

ここでも道草 雪の中を走って帰りました/運動不足解消をめざす(20182月6日投稿)

 

2月5日~9日と自転車通勤を達成。有言実行しました。

そして2月10日にはバスケの大会で審判をしました。

コートを走り回りました。

自転車通勤のおかげでしょう。

  

 

その会場の応援席で、見知らぬ男の子に声をかけられました。

苗字を呼ばれました。

「誰かな?」と尋ねたら、「お母さんに頼まれた」とのこと。

それでも意味がわからずいたら、

その子のお母さんらしき人が現れて、

「先生ですよね」と確かめられました。

何と、20年ぶりくらいの再会。

以前、中学校勤務の時に教えた子、Kさん・・・今は立派なお母さんでした。

35歳。

大会に子どもが出場していて応援に来た模様。

そうなんだ、かつて教えていた子が親になり、

このような大会で出会うのですね。

私だと確認するために、まずは息子に尋ねさせたようです。

笑えました。そんなことを頼まれてやってしまう息子さんが偉い。

知らないおじさんに声をかけるのは勇気がいることでしょう。

 

いろいろ話をして、学級通信「道草」の話をして、

このブログの名前も教えました。

新任から続いている通信「道草」は今も続いていて、

”ブログでも”道草をするから「ここでも道草」

ふと浮かんだ名前ですが、お気に入りです。

見てくれているかな?またコメントをたのむね。

  

 

大会の会場では、もう一人S君にも声をかけられました。

同じく子どもの応援に来ていました。

彼は父親。42歳。

審判をやっているのを見て気がついたようです。

「先生、若いねえ」と冷やかされました。

自転車通勤のおかげで、動けているところが見せられてよかった。

  

 

 

立派なお母さん、お父さんをになった人たちを

かつて教えていた教師。

生きているとこういう立場を味わうのですね。

何か嘘みたいです。

 

 

  

でも初めてではありません。

今の勤務校にもいますよ。

かつての教え子が。

その子は父親です。

※参考:ここでも道草 意外な再会/教え子のお母さんが、孫の授業を見に来ていました(2012年12月4日投稿)

 

なぜ核兵器はなくならないのか?その3/ポツダム会談直前に行われた世界初の核実験

  

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、1月7日に放映された番組

「ニチファ! 池上彰緊急SP なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」より。

  

聞き書きします。

  

ナレーター:この計画を率いていたのは、ロバート・オッペンハイマー博士。

Rimg1921

  科学者・技術者など、総勢12万人が携わっており、

  この中には、後のノーベル賞受賞者が何と21人も。

  そしてこの計画の予算が20億ドル。

  現在の価値にして約2兆円でした。

Rimg1922  

池上彰:この計画、全米各地に分かれて、様々な実験を行っていました。

  こちらをご覧ください。

Rimg1923  

  オッペンハイマーが所長を務めていたのが、ロスアラモス研究所。

  そこでは主に爆弾の設計を行っていたんですね。

  そして、実際に原爆を造るためには、

  このオークリッジでは、ウランの濃縮、

  それが結局、広島に落とされる原爆に繋がっていきます。

  こちらのハンフォードでは、プルトニウムを作る、

  これは長崎に落とされた原爆に繋がっていくというわけですね。

  それぞれを細分化して、それぞれの研究者は、

  いったい何を造ろうとしているのかをわからないようにしていた。

  全体像をつかんでいるのは、このロスアラモス研究所の一握りの

  学者だけであった。それぞれこれが何に繋がるのかわかっていなかった。

  広島に原爆が投下されたニュースを見て、  

  あ、自分たちがやってきた研究がこういうことになったんだ、

  と初めて知った人が多かった、ということなんですね。

   

  こうしてアメリカはドイツに先を越されないようにと、

  国をあげて原爆開発に邁進し、原爆を造ることに成功した、

  ということ、つまり、ヒトラー率いるドイツで

  ウランの核分裂反応を発見したというのが、悲劇の始まりだったのです。

  

  このつづきはどうなったかというと、

  プロジェクトチームに衝撃的な出来事が起きます。

Rimg1924

  

  それはこちら。

Rimg1925

  ドイツの降伏です。

  ドイツが先に原爆を造ったら大変だ、といって一生懸命に造っていたら、

  ドイツが降伏しちゃった。

  もうドイツに対して使えなくなった。

  じゃあ、もう核兵器を使わなくてもいいじゃないか、

  という選択は当然あったんですよ。

  当然この計画を知っていた科学者の中には、

  もうこれ以上は止めるべきだ、と言っていた人もあったんですが、

Rimg1926

  ドイツ降伏から3ヶ月後の1945年の8月6日、

  広島に原子爆弾が投下されてしまった。

Rimg1927_2

  ドイツのために開発されていた原子爆弾が、なぜ日本に投下されたのか。

  その理由がわかりますと、なぜ核兵器がなくならないのかが、

  見えてくるんですね。

  (中略)

  (戦争を早く終わらせるために原爆を落としたというアメリカ側の説明)

  しかい、アメリカの真意は別の場所にあったんではないか、

  と言われています。

  そのことが読み取れるあるエピソードがあります。

  広島に原爆が投下される少し前に時計を戻しましょうか。

Rimg1928  

  1945年7月17日から8月2日にかけて、

  連合国の首脳陣が集まり、ドイツのポツダムで、

  会談が行われました。

  まだ日本は戦争をしていたんですけど、

  日本の占領政策について話し合われていたんですね。

  で、このポツダム会談、7月の始めから始まる予定だったと

  言われているんですが、アメリカのある理由から、

  日程の変更をしたんではないかと言われています。

  それはなぜか。こちら。

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Rimg1930  

ナレーター:これはアメリカで行われた初の核実験の様子をおさめた

  貴重な映像。実験は長崎と同じプルトニウム型の原爆でした。

  その威力はおよそ20kt(キロトン)。

  こうして核の時代が幕開けしたのです。

池上:世界初の核実験が行われた日にちを見てください。

Rimg1931

  トリニティと呼ばれる実験場で(核実験を)やったんですが、

  それがポツダム会談の前日。つまりアメリカはポツダム会談の前に、

  核実験に成功すれば、よその国に対して、とりわけソ連に対して、

  優位に立てると考えたのではないか。

  ポツダム会談中に、アメリカのトルーマン大統領は、

  ソ連のスターリン首相に対してこう言ったそうです。 

  「我々は、とてつもない破壊力を持つ新兵器を手にしました」

  つまり、アメリカはこれだけの力を手に入れたんだぞ、

  というのをソ連に対して、アピールしたかったんではないか、

  ということなんですね。

Rimg1933

  つまり、アメリカとソ連は、連合国として一緒に戦っていたんですが、

  しだいに亀裂が走ってくるわけ。どうもソ連はアメリカとは違う方向に

  行こうとしてるんじゃないか。第2次世界大戦が終わったら、

  アメリカはソ連と対立することになるんじゃないか。

  じゃあ、その前に、アメリカの力をソ連に見せつけておこうと

  考えたんではないか。そして1ヶ月後、実際に広島に原爆を投下した。

  実際に原爆がどれだけ恐ろしい力を持っているのかを、

  ソ連に見せつける、戦後、ソ連を抑えつけようと考えていたのではないか。

   

  ドイツで発見された新しいエネルギーを使って完成した核兵器。

  使わないという選択肢もあったはずなのに、

  アメリカは核兵器という悪魔に誘惑されてしまった。

  核兵器を持つことが大国の証であるという時代になってしまった。  

  だからこそ、核兵器は世界からなくならない、ということになっていると

  いうわけですね。

Rimg1934

ポツダム会談の日程を変更してまで行った世界初の核実験。

これまた初めて知りました。

核兵器が、早くも相手を脅すためのカードになってしまったのです。

それほど強力なのです。 

  

 

「なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」

1つ目の理由は「ドイツで世紀の発見がなされたから」でした。

この発見が、原子爆弾を造るきっかけになってしまいました。

ここまでの引用は、この1つ目の理由に関することでしたが、

2つ目の理由はもう顔を出しています。

核兵器が外交のカードになってしまったから」です。

そして3つ目の理由は

核兵器の技術はビジネスになるから」です。

 

全てをブログに書き留めたいのですが、時間的に無理です。

ここまで。

勉強になったいい番組でした。

なぜ核兵器はなくならないのか?その2/アインシュタインからの手紙

 

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、1月7日に放映された番組

「ニチファ! 池上彰緊急SP なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」より。

  

聞き書きしていきます。

 

池上彰:核分裂の発見を利用して、

  「ドイツが新型爆弾を造るのではないか?」と強く考えたのは

  アメリカに亡命していたユダヤ人科学者たちだったわけですね。 

Rimg1912

  大勢のユダヤ人科学者がヒトラーの迫害を恐れてアメリカに

  亡命していたわけですね。その人たちにしてみれば、

  その発表(核分裂の発見)を見れば、新型爆弾が造れるのではないか、

  ということがわかるわけです。

  もしナチスドイツが先にこんなものを造ったら、

  ユダヤ人が根絶やしにされるという危機感をいだいたんですね。

  そこで彼らはある人に相談しました。

  

  この人です。

Rimg1913   

  アルベルト・アインシュタイン。

  当時60歳でした。

  すでに相対性理論で世界的に有名な物理学者でした。

  彼もユダヤ人でしたから、アメリカに亡命していたわけですね。

  アメリカに亡命していたユダヤ人の科学者たちが、

  何とか発言力のある人、それはアインシュタインだろう、

  アインシュタインが声を上げてくれれば、

  大きな影響力があるんじゃないか、と言って、

  第2次世界大戦が勃発する1ヶ月前の1939年8月に、

  ある行動を起こします。こちらをご覧ください。

Rimg1914

Rimg1915

  これ(上の写真)は、歴史的出来事だったと言うことで、

  後に当時の様子を再現した写真です。

  当時の写真じゃないんです。こんなふうにしたんですと、

  再現して撮った写真です。

  アインシュタインの向かい側にいる人は、レオ・シアード。

  この人も、ユダヤ系の物理学者なんです。

  この後の出来事に関わる歴史的に重要な手紙を書いている、

  これから手紙を書いているということなんですが・・・

  さあ、いったい誰に手紙を書いているんでしょうか?

  その人がこちら。

Rimg1916  

  ルーズベルト大統領に手紙を出しました。

  どんな手紙だったかといいますと、こちらですね。

Rimg1917

  2枚からになる手紙ですが注目すべきはこの部分ですね。

Rimg1918

  新たに発見されたこの現象、ウランの核分裂のことですね、

  これは爆弾の製造にもつながるでしょう。

  これにより極めて強力新型爆弾が造られることが考えられます、

  と書いたんですね。

  ドイツがこの研究発表を使えば、

  ドイツが新型爆弾を造ることができてしまうんですよ、

  危険性を知ってください。という手紙だったわけですね。

  ということは、結果的に、アメリカもドイツに負けずに

  新型爆弾を造る必要があるんじゃないでしょうか、

  ということに繋がっていく、と言うことになるんですね。

  そして、アインシュタインが訴えていた脅威が、

  現実になるかもしれないという出来事が起こります。

Rimg1919  

  ドイツのポーランド侵攻、第2次世界大戦というわけですね。  

  

  この状況になりまして、新型爆弾の開発研究が、

  (アメリカで)できるのかという調査を始めさせたんですね。

  アメリカだけではありません。同盟国のイギリスの協力もありまして、

  調査開始の3年後の1942年に本格的にプロジェクトが始まりました。    

  そのプロジェクトの名前、ご存じの方も多いでしょう。

  こちら。

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  「マンハッタン計画」というものですね。

  

  

「マンハッタン計画」の名前は、

「存じの方」の1人で知っていました。

今までにも勉強をしてきました。

この計画が始まるまでに、マイトナー博士とハーン博士の発見、

アインシュタインとユダヤ系科学者たちとのやい取りがあったことを

知りました。

後の歴史を知っている立場から見たら、

ヒトラーがアメリカまで攻めて、アメリカを支配下にするとは思えませんが、

当時のユダヤ系の人たちにとって、ヒトラーはどこまでやるのかわからない、

恐怖の存在だったと想像します。

  

つづく

  

なぜ核兵器はなくならないのか?その1/リーゼ・マイトナー博士

  

今日は2月11日。

  

今朝は、昨年12月に放映された

北斎ミステリー ~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」を見ました。

面白かった。

面白かったけど、こんままほっとけばまた忘れてしまうことでしょう。

また読み物化したいです。

しかし、その前に読み物化しておきたい番組があります。

今日はそちらが先。

   

1月7日に放映された番組

「ニチファ! 池上彰緊急SP なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」

3時間のスペシャルでした。

  

この番組中の忘れてはならないことはここに書き留めたいと思います。

  

番組のタイトルである「なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」

迫る内容のところを書き留めます。

  

理由は3つ紹介されました。

その1つ目は、

ドイツで世紀の発見がなされたから」でした。

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池上彰さんの説明を聞き書きしていきます。

  

池上:世界から核兵器がなくならないその1つの理由が、

  「ドイツで世紀の発見がなされたから」ということなんです。

  どういうことか。その世紀の発見をした人がこの人です。

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  ドイツ人科学者のオットー・ハーン博士ですね。

  彼は1938年、ウランの原子核が分裂をする、そしてその時、

  膨大なエネルギーが生まれることを発見し、翌年に論文で発表したんです。

  莫大なエネルギーが生まれる。

  人類にとって、一見、有意義な発見だと思われたのですが、

  さあこれによって、莫大なエネルギーが得られるって

  喜んだ人たちがいる一方で、

  ちょっと待てよ、このエネルギーを使えば、

  強力な爆弾がつくれるんじゃないか、

  と考える人たちが出てきたと言うわけですね。

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  というのも、この少し前、1933年からヒトラーが政権を握り、

  独裁政治が始まっていたわけです。

  ナチスドイツの時代になり、ユダヤ人の迫害が始まっていた、

  その頃時代は戦争に向かっていた、となると、

  ドイツがもしこれによって新型爆弾を開発することができたら、

  それこそ世界中のユダヤ人が絶滅してしまうのではないか、

  ヨーロッパをドイツが占領してしまうのではないか、

  と、心配する科学者が、大勢いたと言うことなんですね。

  

  オットー・ハーン博士は、核分裂の発見により、   

  1944年にノーベル化学賞を受賞しているんですが、

  実はあまり知られていないんですが、この研究には

  一人、ユダヤ系物理学者も関わっていました。

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  その人が、こちら・・

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  リーゼ・マイトナーという女性の物理学者です。

  実はこの研究を最初に始めたのが彼女だったんですが、

  ハーン博士が加わり、共同研究となったんですが、  

  マイトナーはユダヤ系だったから、

  ヒトラー政権の迫害から逃れるため、研究を途中で断念して、

  スウェーデンに亡命したんですね。

  その後、ハーン博士が論文を発表し、

  ノーベル賞を受賞したということだったんですが、

  実は、このオットー・ハーン博士、研究の途中で、

  どうしてもわからないことがあった、これはどういうことなんだろうか、

  といって、スウェーデンに亡命したリーゼ・マイトナーに疑問をぶつけた。

  それに対して、彼女はこういうことじゃないですか、と答えてくれた。

  これによって、研究を成功させた、ということなんです。

  ところが、リーゼ・マイトナーという人はユダヤ人です。

  ユダヤ人と一緒に共同研究をしたということになると、

  自分も立場が悪くなるので、彼女のことを一切隠したまんま、

  オットー・ハーン博士がこの研究を発表し、ノーベル賞を受賞する

  ということになったというわけなんですね。

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興味深い2人です。

生年月日を見て、よく似ていると思いました。

ハーン博士が生まれたのは1879年。マイトナー博士はその前年。

そして亡くなたのは同じ1968年。

調べたところ、マイトナー博士が1968年10月27日。89歳。

ハーン博士が亡くなったのはその3ヶ月前、

1968年7月28日。89歳でした。

Wikipediaで調べると、リーゼ・マイトナーの説明は長く、

オットー・ハーンの説明は短かったです。

※参考:Wikipedia リーゼ・マイトナー

※参考:Wikipedia オットー・ハーン

それも、オットー・ハーンの説明のほとんどは「マイトナーとの関係」の章。

ノーベル賞は得たものの、マイトナーの方が関心が高い人生なのでしょうか。

人はきっと賞とかよりも、物語を求めている証拠かな。

  

  

しかし、たった80年前。ウランの核分裂によって

膨大なエネルギーが生じることが発見されなかったら、

広島や長崎での悲劇はなかったし、

今のような核兵器があふれる世の中にはならなかったんですよね。

 

つづく。

 

 

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