2024年3月26日 (火)

近所のモクレン/コブシもあった

    

今日は令和6年3月26日。

   

例えば、春になってどこに行ったら、

モクレンに出合えるかというのを知っておくと、

面白いなと思いませんか。

どこか観光地とかではなくて、

どなたかわかりませんが、あるお宅の庭にあって、

毎年そこを通れば、モクレンに出合えるという知識。

いいなと思います。

  

灯台下暗し。

我が家の庭にもモクレンはありますが、

咲くのが遅くて、これから咲きます。

とっくに咲いて、すでに花びらが散っているモクレンは多いです。

  

最近撮影したモクレンを並べます。

みんな近所です。

Img_4469

Img_4470

Img_4471

上の写真は3月16日に撮影したものです。

この家の塀の向こうの樹木は充実していて、

以前はキクモモを撮影した覚えがあります。

検索してみました。

ここでも道草 自動車通勤路の傍らの花(2011年4月17日投稿)

もう13年前のことでした。

その時の写真。

Img_4948

今もあるのかな。またその頃にこの塀に囲まれた家に行ってみます。

  

  

同じく3月16日に撮影したモクレン。

Img_4473

Img_4474

Img_4475

  

  

今度は3月18日の撮影。

Img_4522

Img_4523

  

   

  

これも3月18日の撮影。

Img_4529

Img_4530

来年も、覚えていたら、見に行こうかな。

  

  

  

最後に、昨日コブシを見かけたので、車中から撮影しました。

病院通いの途中です。

Img_4949

ここに行けばコブシに合えます。

そのような知識は私の財産。
  

2024年3月25日 (月)

卒業式の日の弁当 「寛」と書いて「ゆたか」と読む

   

今日は令和6年3月25日。

  

3月19日は勤務校の卒業式の日でした。

卒業式が済んで、会場の片付けなどが済んで、

職員室でお弁当。

この弁当が気になりました。

Img_4760

後で聞くところによると、この料理屋さんは、

豊川市にあり、美味しいお店として有名でした。

私は初めて知るお店でした。

気になったのは、「寛」と書いてあり、

その下にYUTAKAと書いてあったところです。

「寛」は「ゆたか」と読むことがあるの?

  

調べました。

ありますね。

人名漢字で「寛」を「ゆたか」と読めます。

ネムディック赤ちゃん命名・名前辞典

Img_4946

  

細かいことですが、弁当箱の「寛」には点がついています。

これもチェックしてみました。

漢字ぺディア 寛

Img_4947

向かって右の足に点がつく旧字体があるようです。

弁当箱の点は、右の上に気前よく点が打たれています。

  

Img_4761

住所がわかりました。

また行ってみたいです。

  

中身も見せちゃいましょう。

Img_4762

右下の湯葉が異色です。

私は、これが湯葉とわからず、

近くの同僚の先生に教えてもらいました。

乾燥した湯葉は食べたことがあるかな。

こんな柔らかい湯葉は、昔1度だけあったと思います。

料理屋で、表面に浮いた湯葉をすくって食べましたね。

こんな感じで食べたぞ。


YouTube: 【湯葉】フライパンで簡単!とろっとろクリーミーな湯葉の作り方


家でも体験してみようかな。

  

大相撲春場所 新入幕尊富士が優勝 110年ぶりのこと

   

今日は令和6年3月25日。

  

昨日、千秋楽だった大相撲春場所(大阪場所)は、

面白かったです。

横綱や大関がコロコロ負けて、う〜ん盛り上がらないなあと

思っていましたが、だんだん大の里、尊富士(たけるふじ)の名前が、

クローズアップされてきました。

大の里は先場所も活躍していたので知っていましたが、

尊富士はどんな力士なんだろうと思っていました。

私がテレビ観戦ができるのは午後5時からで、

新入幕の尊富士はすでに取り組みが済んでいました。

  

尊富士を初めてみたのが10日目。

筋肉もりもりの力士だなあと思いました。

確か尊富士全勝、大の里1敗で迎えた取り組みです。

すでにこの2人が場所をリードしていました。

どっちが勝つか注目。

尊富士の押しが強く、大の里は土俵から吹っ飛ばされました。


YouTube: 大相撲 尊富士ー大の里 <令和6年三月場所・10日目>SUMO

Img_4937

  

尊富士は11日目に琴ノ若を破ります。

これも早い相撲。琴ノ若の横に張り付いて押し出します。

琴ノ若の腰の重さがあれば、簡単には押し出されないと

思っていましたが、琴ノ若の体が伸びてしまいました。


YouTube: 大相撲 尊富士ー琴ノ若<令和6年三月場所・11日目>SUMO

Img_4938

新入幕11連勝。あの大鵬と並びました。

  

新記録がかかった12日目。相手は豊昇龍。

似た体型の二人なので、楽しみでした。

勝負は早かった。

豊昇龍の小手投げがきれいに決まりました。

この2人、同学年だったのですね。

2人とも24歳。

これからもライバルになるのかな。


YouTube: 大相撲 尊富士ー豊昇龍 <令和6年三月場所・12日目>SUMO

Img_4939

新記録にはなりませんでしたが、新入幕11連勝。

大鵬と並びました。すごい力士が登場しました。

  

13日目は若元春との対戦。

この日は、勤務校の年度末反省会だったので、

テレビ観戦ができませんでした。

飲み会の最中に、話題になり、

結果をスマホで調べてくれた人がいました。

尊富士が勝ち。

   

14日目。対戦相手は朝乃山。

尊富士は対戦前で12勝1敗。

次に続く大の里、豊昇龍が3敗だったので、

尊富士が朝乃山を破れば、優勝が決まる一戦でした。

ここは朝乃山の意地が見たいと思いました。

そして朝乃山は期待に応えてくれました。

尊富士の動きを止めて、寄り切ったのです。


YouTube: 大相撲 尊富士ー朝乃山<令和6年三月場所・14日目>SUMO

Img_4940

ここで波乱。

負けた尊富士が右足を痛めたのです。

足を引き摺りながら歩きましたが、最後は車椅子に乗っての退場でした。

千秋楽に出場できるのか心配しました。

この日、大の里が勝っているので、11勝3敗。

尊富士は12勝2敗。

難しいところです。

  

どこで右足を痛めたのか。

リプレイ映像を見て、奥さんとここじゃないかと言ってました。

土俵際に追い詰められた時に痛めたように私は思えましたが、

う〜んよくわかりませんでした。

 

しかし、世の中はいろいろな人がいます。

ちゃんと分析している人がいました。

もっと早い段階で、尊富士の右足が、

おかしな状態になっているのに気づいた人がいました。

どのタイミングで尊富士は足を痛めたのか考察  

Img_4941

この赤い矢印の瞬間です。

膝が内向き、つま先が外向き。

ここで痛めたと考察しています。

でも尊富士は、最後まで戦います。痛がらずに。

Img_4942

  

   

15日目(千秋楽)

尊富士は出場するのか、休場か?

出場しました。

相手は豪ノ山。

勝てば、もちろん尊富士の優勝。

しかし、右足は大丈夫なのか。

仕切りをしている時の動きには違和感はありませんでした。

いけるのか。

ここまでドラマチックできたので、

ここは勝って優勝を決めてほしいなと応援していました。


YouTube: 大相撲 尊富士ー豪ノ山<令和6年三月場所・千秋楽>SUMO

尊富士が、豪ノ山を押し出し、

豪ノ山は、土俵下に転がりました。

強い!

勝った後の尊富士の顔は、NHKの動画が良かったです。

NHK sports. 大相撲取組動画

Img_4944

  

伯桜鵬、北青鵬、熱海富士、大の里、そして尊富士。

最近、次々に若手が出てきて、相撲が面白くなってきました。

北青鵬は残念だったけど、他の力士は期待ができます。

群雄割拠状態になってきたかな。

上位の力士だから強いわけではなくなってきています。

  

今年も名古屋場所は見にいきます。

待ち遠しい。

番組「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷」/インクラインに乗って高度を稼ぐ

   

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

1月20日に放映された「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷 黒部の絶景は

電源開発の軌跡にあり?」より。

   

黒三ダム(千人谷ダム)から黒四ダムに向かいます。

ここで高低差を減らすために、工夫が見られます。

Img_4921

インクラインです。

この響きを聞くと思い出すのが、京都の蹴上インクライン。

現地に行って調べたりしました。ちょうど10年前のことでした。

話を戻して・・・

Img_4923

Img_4925

インクラインを使って、高度を稼ぎます。

Img_4926

いろいろな手を使って移動することに、タモリさんも感心していました。

Img_4927

Img_4928

Img_4929

離合とは?

Img_4930

「離合」は漢字2文字で、方言ぽくないんだけど、

方言のようです。

参考までにこの動画を見てください。

離合ってどういう意味!?

Img_4933

インクラインに戻ります。

Img_4931

インクラインで456m上がって、次はバス。

それで黒四ダムに行き着きます。

Img_4932

ああ、行ってみたい。

今年の10月。

全国から応募があるだろうなあ。

  

  

疑問に思っていたのが、新柳河原発電所。

番組の最初に出てきたこの発電所は、

どこから取水しているか?

Img_4934

調べました。

  

宇奈月ダムができたことで、

柳河原発電所が水没するので、新しくできたようです。

しかし、猫又堰堤から取水して柳河原発電所に水を送っていたので、

猫又堰堤がなくなって、もう発電所の機能がなくなったと思っていました。

謎だ。

  

わかった!

土木ウォッチング 排砂機能を有する「出し平ダム」と西洋の城を思わせるフォルムの「新柳河原発電所」

このサイトでわかりました。

出し平(だしだいら)ダムから取水して、

新柳河原発電所で発電しています。

写真を上のサイトから転載。

Img_4935

これも黒部川にできたダム。

黒部川にはたくさんのダムがあるようです。

4つだけではありません。  

番組「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷」/黒三ダム(千人谷ダム)黒四発電所

  

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

1月20日に放映された「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷 黒部の絶景は

電源開発の軌跡にあり?」より。

  

いよいよ千人谷ダム(黒三ダム)を見ます。

Img_4905

Img_4906

Img_4907

Img_4908

戦後の関西地方の電力供給の役割を果たしたダムです。

Img_4909

300名以上の犠牲者を出した難工事でした。

  

この橋の下には大きな管があります。

Img_4910

この鉄管の役割は後で説明があります。

タモリさんたちは、地下にある黒部川第四発電所に向かいます。

Img_4911

Img_4912

Img_4913

Img_4914

この発電所、行かんかったかな、子どもの時。

家族旅行で黒部ダムに行った覚えがあります。

この空間も見たような・・・。

写真で見たのかな。

Img_4915

なんと、黒四発電所で使った水が、鉄管を通って、

次の発電所まで落ちていくのでした。

Img_4916

新黒三発電所は確かにありました。

さらにそこで使った水は、下に落ちていきます。

Img_4917

新黒ニ発電所は、黒ニ発電所の地下にあるそうです。

黒部川の水が有効に利用されて、発電が行われています。

Img_4918

なるほどです。

次がラストになります。

番組「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷」/高熱隧道

   

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

1月20日に放映された「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷 黒部の絶景は

電源開発の軌跡にあり?」より。

   

欅平(けやきだいら)から黒三ダム(千人谷ダム)に向かいます。

Img_4875

急勾配だったので、トロッコ列車が無理なコースを

トロッコ列車可能にするためにつくられたものとは?

Img_4876

Img_4877

それはエレベーターでした。

Img_4878

Img_4879

Img_4880

Img_4881

標高600mから800mに上げるエレベーターでした。

Img_4882

このエレベーターのおかげで、トロッコ列車が走れる勾配になります。

Img_4883

Img_4884

欅平から200m上がったことで、景色が変わります。

Img_4885

Img_4886

実際に行ったら、見てみたいなあ。

Img_4887

エレベーターで上がって、再びトロッコ列車に乗ります。

今度の列車は小さめです。

隧道が狭いためです。

Img_4888

Img_4889

まさに本で読んだ高熱隧道に行くところです。

Img_4890

Img_4891

Img_4892

Img_4893

Img_4894

Img_4895

最高に高くて160度の高温になったようです。

Img_4896

Img_4897

作業員は60度の熱気にさらされていました。

Img_4898

小説「高熱隧道」でも描かれていた方法です。

Img_4899

Img_4900

なぜ岩盤がこんなに熱かったのか。

番組で説明してくれていました。

Img_4903

Img_4902

地質が違っていたので、隙間が空いていて、

その隙間にマグマの熱さが上がってきていたと考えられるそうです。

Img_4904

ぜひ、実際に行って、この熱さを体験したいと思います。



























   

番組「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷」/トロッコは欅平まで そこからは水平歩道

   

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

1月20日に放映された「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷 黒部の絶景は

電源開発の軌跡にあり?」より。

  

猫又から再びトロッコ列車に乗って終点を目指すタモリさんたち。

終点の直前で、タモリさんが「黒三」を発見します。

Img_4846

黒部川第三発電所です。

そして終点の欅平(けやきだいら)駅。

Img_4847_2

Img_4848

ここは観光スポットです。

Img_4849

Img_4850

Img_4851

この奥鐘橋から2つの発電所が見られます。

先ほどの第三発電所が手前にあります。

Img_4852

奥に新黒三発電所があります。

この発電所については、番組の後半に説明があります。

  

Img_4854

Img_4855

Img_4857

戦争が大量の電力が必要になり、国策で黒三発電所・ダムは

造られました。

Img_4858

欅平から上流にダムが造られましたが、それが困難を極めました。

どんな困難だったか。

それがわかる映像を、タモリさんたちは見ました。

Img_4859

Img_4863

Img_4864

Img_4865

Img_4866

なぜ人力なの?

どうして、欅平までのようにトロッコにしなかったのか。

  

Img_4868

Img_4869

欅平からダム建設地までが急勾配だったので、

トロッコで上がれなかったのです。

  

じゃあどうしたのか?

Img_4870

Img_4871

欅平から千人谷ダム建設地まで、隧道(トンネル)が掘られました。

この隧道は、作業員用でしたが、今年開放されるようになりました。

Img_4872

Img_4873

6月からの開放予定でしたが、以前記事に書いたように、

橋の破損があって、10月に延期されました。

いよいよ次の記事で、隧道のこと、つまり高熱隧道のことを書きます。

番組「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷」/黒一の堰堤と発電所

   

今日は令和6年3月25日。

  

1月20日に放映された「ブラタモリ 秘境!黒部峡谷 黒部の絶景は

電源開発の軌跡にあり?」がよかったです。

この番組から、書き留めます。

  

昨年末に映画「黒部の太陽」を観て、映画の中で「黒三」が

出てきました。そうか「黒四」と言うからには、

「黒三」「黒ニ」「黒一」があるわけだと気がつきました。

今回の「ブラタモリ」では、その4つのダム・発電所を巡ります。

  

Img_4832

宇奈月からトロッコ電車に乗ると、この発電所を見かけます。

お城のような形の発電所です。

Img_4833

タモリさんたちを案内してくれているのが、この方。

Img_4834

トロッコ列車は、猫又という駅に到着します。

作業員用の駅で、観光客は下車しませんが、

タモリさんたちは特別に下車します。

Img_4835

Img_4836

ここに黒ニの発電所があります。

実はここに黒一のダムがかつてはあったのです。

Img_4839

橋を渡って、写真の左手にあるのが、黒部第二発電所。

この橋の部分が、かつては猫又堰堤と呼ばれたダムでした。

Img_4840

ここで発電所とダムの関係を説明。

Img_4837

ダムで水を取水して、下方にある発電所に水を落とします。

この落差で、水に勢いがついて、タービンを回すのです。

それでは、猫又堰堤で取水した水は、どこの発電所に落ちたか。

Img_4845

Img_4844

昭和2年に完成した柳河原発電所は、現在はなく、

痕跡が残っています。

お城のような新しい柳河原発電所の隣でした。

Img_4843

猫又堰堤と柳河原発電所が、黒一の施設のコンビでした。

 

黒部川は、谷が深く、水量が多いので、ダムを造る好適地でした。

  

  

続く

本「黒三ダムと朝鮮人労働者」⑧ 朝鮮人を描かなかった吉村昭さん

   

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、

印象に残った文章を引用していきます。

  

今回も引用が長いです。

この本の一番言いたいことが書いてあると思うので、

引用します。

  

清水弘さんは、「真説『高熱隧道』」を書いた人です。

書いた当時は北海道大学低温科学研究所に所属していました。

現在は故人です。

  

清水弘さんは聞き取りのときに、話者の記憶と「高熱隧道」の記述が

異なると知らされたことがあると書いている。著名な小説によって自

らの記憶を疑ったり上書きすることはありうることで、すぐれた文学

とはそれほど読者に大きな影響を与えるものであり、公の文書に用い

られることもある。 現実にあった出来事を扱う歴史文学では、ノンフ

ィクションとの境界が曖昧になりやすいうえに、読者は事実より真実

を求める。さらにいえば、「黒三」 ダムは戦争や雪崩事故、植民地の

人々といった一見ネガティブな要素を持ち、「黒部の太陽」で有名に

なった「黒四ダムの影になってしまいがちだ。だが、歴史を省みると

き、影にこそ学ぶべき真実が存在する。

吉村昭は「精神的季節」で、高熱隧道の工事に携わった人々に対して、

「一生の間にそれほど印象深い仕事を持ち得たそれらの人々は、人間

として最も幸せな人々だといっていい」と書く。だが、それらの人々

とは日電や佐藤組の所長や監督であって、「黒三」建設に動員された

延べ二八〇万人の労働者ではない。 実際、現場労働者は自然を征服し

ようとする主人公たちの壮大な挑戦の素材として描かれている。 現場

所長が切り端のダイナマイト事故でバラバラになった遺体を集めて整

える場面がある。 労働者たちが騒ぎ出し工事が中断されないように、

黙々と作業を続ける所長の苦悩は描くが、事故で死傷する労働者の心

情には触れない。労働者は描かれる対象ですらないのだ。 記録をもと

に、吉村昭はテーマに合わせてストーリーを構想し、聞き取りと入念

な資料の読み込みにより、事故のディーテイルと所長の心理だけを描

写する。 主題は、大自然に挑む電社員や所長・現場監督にあって、

死を強いられる労働者にはない。 主題の展開のための素材は必要だが、

属性や意思をもつ存在としてではなく、顔や名前のない「人夫」とし

てだ。

「人夫たちは、同僚が死体になっても悲しむことしか知らないように

みえる。その死が、なぜ起こったのかというに、かれらは怠惰だし、

それに工事には死はつきものだという長い間培われてきた諦めが、か

れらの眠りをよびさまさないでいるのだ」と吉村昭は書く。 だが、労

働者の主体性を奪うような表現はどうなのだろう。 事故が起これば命

を失うこともあり、家族が困ることを一番よくわかっているのは労働

者自身だ。だから、見舞金や葬儀料を要求し、安全な労働環境を整備

するように抗議した。 しかし、戦争のためだから、国策事業だからと、

大事故で大きな犠牲を出しても直後に工事を継続するように陰に陽に

圧力がかけられ、運よく生き残っても逃げ出すこともできず、黙々と

工事に就くしかなかったのだ。

三〇年以上も前のことだが、「実在したのに、なぜ朝鮮人労働者を書

かなかったのか」と吉村昭に手紙を送った知人がいる。 何度出しても

返事がないので予告して訪問したが、門を閉められ相手にされなかっ

たと話していた。話ができたにしても、朝鮮人が働いていたことは知

っている。テーマにとって必要ではないから書かなかっただけだ。

それがどうした」と吉村昭は言ったであろう。労働者の国籍を書けば

書いたで説明が要る。 それでは話が複雑になり、表現したいテーマが

薄れる。 他にも、資料がなかった、取材できない、書くとまずいこと

がある、書かない約束だったなどが考えられるが、本当のところは謎

である。吉村昭は、大自然や国家プロジェクトに関心があっても、影

の存在である労働者には関心がないのであろう。

吉村昭の考えを批判はできるが、 小説 「高熱隧道」を変えることは

できない。だが、生きている私たちの考えを変えることはできる。

峡谷の電源開発で多くの労働者が犠牲になった。日本人もいれば、朝

鮮人もいた。過去にはそうした犠牲者を悼み、慰霊してきた電力会社

や建設会社もあった。この谷を父親の墓だと思っている金鍾旭さんも

いた。峡谷で働く朝鮮人たちは、よい仕事をしようと努力し、家族を

養い、自分の命を守るために労働条件を交渉し、自分たちの尊厳を保

ってきた。そうした人たちが町の一員となって町は栄えた。記憶を記

録しなければ、人間は忘れる。日本の敗戦で故郷に帰ったにしても、

存在したという事実を埋れさせてはならない。

二章でも書いたが、近年ダークツーリズムといわれるものが提唱され

ている。負の歴史を無視するのでもなく、隠すのでもなく、そこを起

点として新しい歴史観や人間関係の再構築をめざす。関電は社員に、

黒部市は地域の人たちに、そして旅行客に、「黒四」ばかりでなく、

「黒三」の事実を伝えてはどうだろう。町の歴史 、住民の奮闘のス

トーリーこそ観光資源になる時代だ。

(204〜205p)

  

「高熱隧道」を読み終えた時には、なんと素晴らしい作品なんだと

思いました。

でも、人夫に顔や名前がない、主体性がないと言われたらその通り。

ラストシーンで、無闇に人夫たちを恐れる技師たちに、

違和感がありました。

黒三ダム、発電所の歴史を後世に残す役割はあるけど、

正確ではないのが致命的です。

「黒三ダムと朝鮮人労働者」と合わせて読むのがいいなと思いました。

この本を読んでおかなければ、私は誤解したままでした。

  

  

思えば、昨年の12月まで、全く知らなかった黒三。

わかってきました。

こういうのが楽しい。

本「黒三ダムと朝鮮人労働者」⑦ あったことをなかったことにするのはおかしい

   

今日は令和6年3月25日。

   

前記事に引き続き、

「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、

印象に残った文章を引用していきます。

   

  

長いけど、大事なことが書いてあるので、

引用します。

   

宇奈月の町史など公式の地域史に朝鮮人の存在が書かれていない。理

由はいろいろ考えられる。一つは、和田さんが書いているように、リ

スペクトがないこと。日本近代史において、朝鮮人が鉱山や炭鉱から

土木工事の現場まで、ツルハシとスコップとダイナマイトを手に最底

辺で働いたのは紛れもない事実である。そうした植民地の労働者を酷

使した事実を問題にされたくないために、存在や事実を否定したり、

隠した。それを記録に残さないのは差別であり、リスペクト=人権の

尊重や仕事への感謝がないからだと私も思う。

日本では、一九九〇年代後半から「歴史修正主義」なるものが台頭し

てきた。学術的に歴史的事実とされていることを、ある種の考えや思

想をもって否定し、思想に合わせて都合よく作ったあらたな「事実」

で上書きする歴史観を、「歴史修正主義」という。修正の意味は正し

く直すということであるが、実際には、天皇中心の政治思想=皇国史

観によって過去の植民地支配や戦争を肯定し、歴史を捏造することで

ある。植民地朝鮮を近代化した、東南アジアへの侵攻によって欧米列

強の支配から解放した、南京事件はなかった、日本軍「慰安婦」はい

なかった、など加害の歴史を無視し、否定する。また、植民地責任や

戦争責任を問う歴史認識を「自虐史観」として批判する。事実に基づ

いて反省し、憲法の前文に則り平和な未来を志向する歴史認識のどこ

が自らを貶めることになるのだろう。

黒部電源開発でたくさんの朝鮮人が働き、家族が宇奈月町で暮らして

いたという事実は、地域史に記録しないことで、年月の経過とともに、

また住民の世代が変ることで、いま消えようとしている。これは宇奈

月町だけでなく、全国の同様の歴史をもつ地域で起きている。さらに、

すでにある記念碑や追悼碑など公共の空間から排除しようという動き

もある。負の歴史をわざわざ書き残すことはないと考えたかどうかは

わからないが、こうした地域史における事実の不記載=抹消は、地方

における保守政治のもつ政治思想と一体になって、歴史修正主義とい

う国全体の思想運動に回収されている。さらに、国政においても戦争

を体験していない世代の国会議員によって歴史的事実が否定されてい

る。二〇二一年四月に、日本軍「慰安婦」問題や強制連行問題で、

「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」を使うように、また「強制連行」

を使わないように変えるように閣議で決定したことはその一つの動き

である。その一方で、呂野用墓や霊のというような構造物から歴史を

学ぼうという市民の動きがあるのも事実である。

(202〜203p)

  

「過去の植民地支配や戦争を肯定」

昨日、記事にしたことに関連してきます。

お国のために出征した人たちのことを考慮すると、

戦争を悪いことと全面否定するのは気が引けてしまいます。

でも戦争は、未来、絶対に起こしてはいけないことであり、

そのことについては、戦争で命を落とした人たちも、

賛同することだと思うのです。

その一方で、戦争は、勝者の歴史となりやすいことも注意です。

結局事実を調べて、教えることが大事なのでしょう。

なぜ戦争を起こしてしまったかに始まり、

戦争の現場でどんなことがあったかを教え、

とてもたくさんの人たちが命を落としたことを

淡々と教えるのがいいのでしょう。

朝鮮人を強制連行したことは事実なので、決して修正させない。

  

「強制連行」を使わない。

閣議で決定したの?

日本弁護士連合会 政府見解により教科書の「従軍慰安婦」「強制連行」等の記述を変更させる動きに関する会長声明

ここには次のように書いてあります。

  

内閣は、2021年4月27日、「『従軍慰安婦』という用語を用いる

ことは誤解を招くおそれがある」、「単に『慰安婦』という用語を用い

ることが適切である」、「朝鮮半島から内地に移入した人々(中略)に

ついて、『強制連行された』若しくは『強制的に連行された』又は『連

行された』と一括りに表現することは、適切ではない」、「『強制連行』

又は『連行』ではなく『徴用』を用いることが適切である」などとする

2通の答弁書を閣議決定した。

  

ふむふむ、強制連行されたと一括りにするのは、

確かにいけないかもしれないが、

「強制連行」という言葉を削除する動きはどうかと思います。

群馬の森の追悼碑撤去も、関連団体が「強制連行」という

言葉を使ったことを、県は問題にしていました。

強制連行はあったのだから、この言葉は残すべきだと思います。

  

記念碑や追悼碑など公共の空間から排除

群馬の森の動きが思い出されます。

撤去を要請していた市民団体の態度が解せません。

こんなのは嘘っぱちだという声は、

絶対おかしいです。

その大きな声に屈したのなら、撤去はおかしいと思います。

  

あったことをなかったことにするような歴史修正主義との

せめぎ合いの時代なのかなと思います。

  

呂野用墓

「よやんぼ」と読むそうです。

本書の記述によると、富山地方鉄道内山駅の山側にある

雑木林の中にあるお墓です。

堀江節子さんは、だいぶ前からこの墓の存在を知っていて、

30年以上前に書いた著作にも触れています。

黒部川の電源開発工事の犠牲者のお墓です。

ネット上にも、関係記事がありました。

写真も転載してみます。

チューリップテレビ 85年前の墓標…戦時体制の黒部峡谷 ダム建設事故の犠牲者を悼む 市民グループが調べた朝鮮人労働者とは【戦争の記憶とやま】

Img_4831

本書63pに、このお墓のことが書いてあります。

最近の写真

  • Img_4949
  • Img_4948
  • Img_4530
  • Img_4529
  • Img_4523
  • Img_4522
  • Img_4475
  • Img_4474
  • Img_4473
  • Img_4471
  • Img_4470
  • Img_4469

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉