鏡に天井を映して歩くことは懐かしい
今日は令和7年11月4日。
昔、鏡を見ながら歩いた覚えがあります。
ここから転載。
こんな鏡遊びです。
このサイトにもあります。
文章を一部引用します。
小学生の頃、よくした家の中の遊びの一つに、「天井歩き」というの
があった。直径が30センチくらいの母の大きな手鏡を、顔のすぐ下、
胸の少し上のあたりで鏡面を上にして持つ。自分の顔はなるべく映ら
ないようにして、天井を映している鏡の中を見る。すると、自分がま
るで天井に立っているような錯覚に陥る。
でもちゃんと立ってはいない。自分の足の裏と"床"であるはずの天井
との間に、隙間がある気がする。子どもなので持った鏡の高さが天井
より床に近いために、そういう錯覚が起こる。
木目模様の天井から、細いコードに支えられた電灯の丸い傘が真っす
ぐ上に向かって突き出し、そこから紐がまた垂直に伸びている。見た
ことのない光景だ。鏡の下から手を伸ばして触ろうとするが、もちろ
んそこには何もない。
天井の鴨居も、低い塀のように下から突き出している。それを"跨ぐ"。
そこにあるのは実際は引き戸の薄いレールや敷居だが、「よいしょ」
と脚を上げて、鏡の中の鴨居を"跨ぐ"。
かと思えば、何もないと思って歩いていって、ちゃぶ台に脚をぶつけ
る。鏡を覗き込んだまま、よろよろと家の中を彷徨い歩く。
上が下で。下が上で。あるのにない。ないのにある。
上下逆転の興奮と、視覚と触覚の不一致による混乱の感覚に、私と妹
は夢中になった。
妹と交替で鏡を使って、「天井歩き」を楽しんだ。天井を歩いている
つもりになっている人間の動作は滑稽で、見ていて笑えた。自分もあ
んなふうに間抜けに見えるんだ。
「天井歩き」というのは、このブログの書き手が作った言葉だろうか。
ネットで検索しても、このブログでの使用しかヒットしません。
こんなことやったよなと思って、最近他のことをやろうと思って
手に入れた縁なし鏡を使ってやってみました。
でも面白くない。
なぜだろう。
スリルがないのです。
授業でやってみてもいいなと思っていたのに。
なぜ鏡を見て歩くのが面白くないか。
よく見たら、ブログの引用した文章の中に、答えがありました。
子どもなので持った鏡の高さが天井より床に近いために、そういう
錯覚が起こる。
そうか。
私はもうこの遊びをするには大きくなり過ぎているんだ。
それもとうの昔に。
小さな子どもならではの遊びだったのです。
最後にこのサイトがとても参考になりました。
天井に逆さに設置した作品が、
鏡に天井を映すようにすると、正常に見えるというもの。
皆さん、いろいろ考えるから面白い。
今日は鏡を使って、いろいろやりたい。





















































