2025年10月28日 (火)

糸でぶら下がって揺れるキンモクセイの花

   

今日は令和7年10月28日。

  

キンモクセイの咲く時期は、同じ市内でも違うようです。

勤務校にも2本のキンモクセイがあり、

最も花盛りだったのは、

10月21日(火)の写真です。

Img_4654

オレンジ色が濃く、良い香りを発していました。

でも花の命は短し。

10月24日(金)には、もう花の色はあせていました。

ちょっと早すぎですよ。

写真を撮りました。

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花がだいぶ地面に落ちていました。

  

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しばらくこの木の下にいたら、花がポロリポロリと落ちてきます。

風が吹くと、落ちるペースが早まります。

  

ふと気がつきました。

落ちずにぶらぶらぶら下がった花が、あっちにもこっちにも。

あれは一体どうして?

クモの糸がはりめぐらされていて、

花が落ちようとしても、その花についていた糸が、

そうはさせじとしているのでしょうか。

  

些細なこととは思いつつも、花がぶら下がっている様子を

映像に撮りたいと思いました。

それもスローで。

実行しました。


YouTube: 2025年10月24日 揺れるキンモクセイの花


毎年見ているキンモクセイの花。

今年は違う視点で見ることができてよかったです。

  

2025年10月27日 (月)

2025年の春 登る!登る!シャクトリムシ

    

今日は令和7年10月27日。

  

以前、シャクトリムシが糸を登っていく動画を作成しました。

この記事の中に載せました。

ここでも道草 20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山⑥ シャクトリムシが糸を登っていくシーンを目撃(2025年4月13日投稿)

この時のシャクトリムシは、腹筋を使った登り方でした。

頭を支点にお尻を持ち上げて、頭上の糸をお尻で挟みます。

次はお尻を支点にして、頭をお尻以上に持ち上げて糸を

確保します。

びっくりです。

  

その他の登り方を撮影したいと思い、

シャクトリムシがぶら下がっていたら撮影、

葉っぱの上にシャクトリムシを見かけたら、

わざと落として、登ってくるところを撮影。

ひどいことをやっていました。

 

今頃ですが、4〜5月に撮影した

3匹のシャクトリムシが糸を登っていくシーンを

つなげて1本の動画にしました。


YouTube: 2025年4月〜5月 登る!シャクトリムシ 3選


この動画の3匹目のシャクトリムシは、

写真でも撮影しました。

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手繰り寄せた糸の塊がわかります。

  

  

写真や映像はあるのに、記事にできていないものを、

記事化しました。

こんなのがたくさんあり。

うれしい悲鳴!

  

  

  





  

2025年10月26日 (日)

「機械半分、人半分」/ナガノインテリアの信念

   

今日は令和7年10月26日。

  

前記事の続きで「ナガノインテリア」の

動画のことを書きます。

これが2本目。


YouTube: ドキュメント「メイドイン朝倉を世界へ」【ナガノインテリア工業】

   

Img_4706

大川市のことを調べてきましたが、ナガノインテリアは

その大川市の凌ぐ家具生産力九州No.1なんですね。

このことは他の動画でも紹介され、

ナガノインテリアが今、流行っていると表現した動画もありました。

びっくりです。

  

Img_4707

ナガノインテリアで作られた製品には、

この表示がされるそうです。

Made in Japan ではなくて、Made in Asakura。

大川市に負けずに、日本で、そして世界で

「朝倉市」の名を売る気持ちが出ています。

10月31日に届くチェアにこの表示があるのを

ちゃんと確かめたい。

 

Img_4708

この方が3代目社長。祖父が創業して、父の後を継いでの3代目。

「朝倉市でずっとやっていく覚悟もできている」

この覚悟がいいですね。

  

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家具屋さんの評価も高い。

  

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「機械半分、人半分」の考え方は、ナガノインテリアの

考え方の中心ようです。

ナガノインテリアが機械化したのは、他のメーカーよりも

早かったようです。

しかし、製品は機械が作るのではなく、人も関わることで、

いい製品が作られるというのです。

社長も言っています。

Img_4715

人の作業で差別化できるのが家具だという信念みたいなものを

社長さんは持っています。他の動画でも詳しく出てきます。

その考え方が、作業している人と共有できているのがわかります。

  

続く。







  


 

2025年10月25日 (土)

900店のファンの家具店が、全国に広める「ナガノインテリア」

   

今日は令和7年10月25日。

  

前記事の続きで「ナガノインテリア」のことを書きます。

  

YouTubeで「ナガノインテリア」で検索すると、

思ったよりたくさんの動画がヒットします。

  

印象に残ったものを載せます。

まず1本目。


YouTube: 職人技と革新で世界に挑む朝倉発の家具メーカー@福岡【ナガノインテリア工業】【3分企業研究】

  

Img_4699

「ナガノインテリア」は3つのブランドを持つメーカーだそうです。

私はこの「NAGANO  INTERIOR」のブランドで、チェアを

作ってもらっていると思います。

2つの目のブランド。

Img_4700

「THE FACTORY」

どうも「NAGANO  INTERIOR」と「THE  FACTORY」の区別が

よくわかりません。

きっと10月31日に届くチェアに、ブランド名が記されていることでしょう。

それを確認しよう。

  

Img_4701

「SKLID」

これではないでしょう。

  

「全国900店の家具店が取り扱う」

とのこと、その家具店のことをこの講師は「ファン」と

表現していました。

Img_4703

Img_4704

そのファンが、ナガノインテリアの家具を、

お客さんに薦めているということでしょう。

家具店がファンになるメーカーなんていいじゃないですか。

私たちもきっとナガノインテリアのファンであるM家具屋さんに

勧められました。

  

M家具屋さん。名前を紹介しちゃおうかな。

マルス家具(豊川市正岡町流田)さんです。

  

ナガノインテリアは、イタリアのミラノで行われている

家具展に2022年から今年まで3回出品しているそうです。

MADE IN ASAKURA(朝倉市)を知らしめたいと

考えているようです。

家具といえば大川市だったのが、ナガノインテリアの頑張りで

朝倉市が台頭してきました。

  

今回の動画紹介はここまで。

まだまだ動画あり。

続く。

2025年10月24日 (金)

「ナガノインテリア」創業の地は朝倉市(でも以前は甘木市でした)

    

今日は令和7年10月24日。

  

前記事の続き。

  

今回、M家具屋さんでチェアを購入します。

届くのは10月31日。

そのチェアが、九州で作られると聞いて、

好奇心を持ち、M家具屋さんから情報をもらいました。

大川市のこと、「ナガノインテリア」のこと。

我が家に届くチェアは、「ナガノインテリア」という

メーカーで作られているそうです。

大川市の勉強は済みました。

今度は「ナガノインテリア」です。

  

大川市のメーカーと思いましたが、

創業は同じ福岡県の朝倉市。

現在も総本店は朝倉市にあります。

大川市に縁がないかといえばそうではなく、

大川市には、「ナガノインテリア」の

アウトレット店があるようです。

参考:NAGANO INTERIOR HP

  

このサイトが「ナガノインテリア」に詳しいです。

国産家具GUIDE ナガノインテリアとは?

  

先ほど、企業は朝倉市と書きましたが、

朝倉市の甘木という場所が創業した場所でした。

引用します。

  

1946年、福岡県朝倉市の「甘木」で誕生したナガノインテリア。今

も拠点を置く甘木の地は、家具の産地として有名な「大川」と日本

三大美林と言われる「日田」の間に位置しています。

その昔、甘木の南側を流れる九州最大河川の「筑後川」は、大川~

日田間の重要な流通ラインだったと言われています。そしてその間

の甘木にも、自ずと木工に関する文化が根付いていきました。

そんな中誕生したのがナガノインテリア。しかし創業当時、甘木に

は大川のように身近に頼れる同業者がいませんでした。創業者の

永野良蔵氏は『ないものは自ら作る』体制を整えていくことで、

ナガノインテリアを発展させていったのです。これが今も誇れる自

社工場での一貫生産へつながっていくと共に、商品開発への自由度

も高めていきました。

  

ここにもドラマがあったのですね。

日田と大川の中間にあったことで、

木工業が発達。

う〜ん、ここは地図で確認したい。

Img_4697

Googleマップ利用。

説明通りですね。

甘木という地域は、朝倉市に合併したのかなと思い、

確かめました。

なぜなら子どもの頃に見ていた地理の百科事典で、

1968年の地図で「甘木市」は見た覚えがあるからです。

調べました。

Wikipedia 甘木市

予想が当たりました。

「甘木市(あまぎし)」は2006年に、朝倉町と杷木町(はきまち)と

合併して朝倉市になっていました。

ちなみに甘木市誕生は1954年。

私が見た覚えは正しかったです。

   

脱線しましたが、なぜ甘木市、朝倉町、杷木町が合併で、

なぜ甘木市ではなく朝倉市になったのでしょう。

私の先入観では、市と町の合併では、市に吸収合併される

イメージです。

いや、実体験かな。

私の住んでいた小坂井町は、豊川市に吸収合併でした。

  

いい資料に行きつきました。

公益財団法人日本都市センターの資料です。

朝倉市(2006年7月31日現在) 

  

ここに次のようにありました。

Img_4698

「旧甘木市も以前は朝倉郡であったこと、また、将来的に

朝倉郡内の自治体との合併を視野に入れて選定した。」と

あります。

なるほどです。

甘木も、広く朝倉と呼ばれる地域の一つだったという理由。

地域全体を象徴する広域的な名前として「朝倉」がふさわしいと

判断されたのでしょう。

さらに「朝倉」という地名が、由緒あるようです。

ここはChatGPTの文章を引用します。

  

 歴史的・地名的な重みが「朝倉」にあった

「朝倉」という地名は、古代から続く非常に由緒ある名前です。

奈良時代には**朝倉郡(あさくらぐん)**があり、

『日本書紀』にも登場するほど古い地名です。

聖徳太子が筑紫に行った際に滞在した「朝倉宮(あさくらのみや)」

もこの地域にあったとされ、歴史的な知名度が高かったのです。

  

地域の方が悩んだ末に考えた新地名。

こういう地域の事情があるのですね。

こだわって、豊川市とは違う地域のことを知りました。

  

続く


  

2025年10月23日 (木)

大川市の家具を全国で有名にしたのは河内諒さんの功績

    

今日は令和7年10月23日。

  

福岡県大川市のことをもう少し書きます。

なぜ大川市なんだ。

なぜ大川市が家具の町になったのか。

まだまだ解決していません。

そもそも大川市はいつ誕生したのでしょう。

室町時代に家具の生産地になるきっかけがありましたが、

その頃には大川市ではもちろんないですからね。

  

Wikipedia 大川市

ここで調べました。

  

「大川」という地名が登場したのは、明治22年(1889年)の

町制施行で「大川町」が生まれた時でした。

そして大川市が誕生したのが、昭和29年(1954年)。

思ったより大川市の誕生は古い。

私は子どもの頃、地理の百科事典を眺める変な癖があり、

1968年頃の全国の市はおおよそ頭に入っていました。

それなのに、「大川市」の覚えがなかったので、

もっと新しく生まれた市であると予想していました。

  

株式会社プロセス井口 【大川家具480年の歴史】なぜ大川の家具は世界最高水準なのか

このサイトにも大川市の家具生産の歴史が書かれています。

特に印象に残ったのが、戦後に登場した工業デザイナーの河内諒さん。

サイトから引用します。

 

大川には新たな革新をもたらす人物が現れます。河内諒という工業デ

ザイナーは大川家具の名を一躍日本に知らしめた「引き手なしタンス」

の発案者で知られており、瀟洒で洗練されたデザインと高度な職人芸

の組み合わせで誕生したこのタンスは日本にブームを巻き起こしまし

た。

  

「引き出なしタンス」

このタンスの写真がないか探しました。

大川市観光なび 大川家具

このサイトにありました。転載します。

Img_4670

これは親の世代のタンスも私の世代のタンスも

この引き出なしタンスでした。

だからこれが当たり前だと思っていましたが、

大川市の河内諒さんのアイデアだったのですね。

これがビックリ。

大川観光なびのサイトには次のように書いてありました。

引用します。

  

昭和30年、大阪で開かれた西日本物産展で河内諒デザインの「引き

手なし箪笥」が最高賞を受賞。デザイン性と技術の高さが評価され、

「家具の町大川」として全国的に知られるようになりました。

  

より詳しい河内諒さんのことが、このサイトに書かれていました。

大川のあゆみ

部分転載します。

  

Img_4671

Img_4672

  

大川家具を全国で有名にしたのは、

河内諒さんの功績が大きかったようです。

   

  

でも今の時代、苦しいのではないかな。

家の中にタンスがあるのが当たり前の時代ではなくなったと思います。

大川市が家具の大産地であり続けるのは大変だと思います。

でも、私が心配しなくても、すでに考えて、

動いておられると思います。

  

M家具さんが教えてくれた「ナガノインテリア」も

大川市のメーカーだと思っていましたが、

調べたら違いました。

「ナガノインテリア」については、また別の記事で書きます。

秋ですね/アカメガシワの葉の変色とアケビの実

    

今日は令和7年10月23日。

  

10月21日の撮影。

Img_3394

アカメガシワがたくさん生える交差点。

夏に一度伐採されているのに、こんなに大きくなっています。

アカメガシワに変化が出てきました。

上の写真を部分的にアップにします。

  

Img_3394_2

葉っぱの色に注目。

緑色が抜け始めています。

紅葉が始まるっているのでしょうか。

アカメガシワの紅葉は黄色です。

こんな感じで色が抜けていくのかと思いました。

  

同じ町内会の地区でアケビを庭で育てている方がいます。

ますは10月1日撮影のもの。

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実ができているなあと思いました。

そして昨日、アケビの実が開いているに気がつきました。

  

今日、撮影しました。

Img_3399

Img_3400

中が食べられています。

誰の仕業?

持ち主さんが教えてくれました。

鳥が食べていくそうです。

ちゃんと鳥はわかるんだなあと思いました。

ただ今年の実の色が悪いと言っていました。

本当はもっと鮮やかな紫色になるのになあと言ってました。

  

鳥に食べられていない実が1つありました。

奇跡的です。

「持っていくかい?」と持ち主さん。

「いえいえ、持ち主さんのお宅で食べてくださいよ」

「誰も食べないんだよ」

ということで、1ついただきました。

Img_4668

昨年もJA直販店で買って食べましたが、

今年もアケビの実を食べる経験ができます。

おかげさまです。






  

アメリカザリガニは、やっぱり夜行性

    

今日は令和7年10月23日。

  

通級指導教室でザリガニを飼育しています。

勤務校の池で、メダカが激減しているので、

用務員のお姉さんが探ったところ、

ヤゴがたくさんいたことと、

アメリカザリガニがなぜか1匹いたことが

原因だと結論。

それらを捕まえて、私の教室に持ってきてくれました。

メダカにとっては厄介な生き物ですが、

捕まえたら捕まえたで、殺すのは忍びないと思い、

私の教室に持ち込んだのです。

(この話は以前も書きましたが、今一度書きました)

  

アメリカザリガニの飼育は、15年ぶりですかね。

懐かしさがあります。

15年前は普通学級での飼育ですが、

今回は小さな教室での飼育。

私の座ってるすぐ近くに水槽はあり、

授業でもアメリカザリガニを教材として使います。

そのため、15年前には見えなかったものが見えてきました。

  

アメリカザリガニの水槽には水草が入れてありましたが、

一晩経つと、必ず水草が減っています。

ヤゴも何匹か水槽に入れておくのですが、

やはり一晩経つと、減っていることが多いです。

なぜ?

理由は一つしか浮かびません。

アメリカザリガニが食べてしまっているのです。

それを確かめたいと思いました。

  

でもアメリカザリガニは夜行性。

私が教室で授業をしている時間に、

アメリカザリガニが、ヤゴを食べたり、

水草を食べたりするのを目撃することがありません。

  

そう思っていたら、にわかにアメリカザリガニが、

水草を食べ始めたのを見ました。

急いでiPadでの撮影を始めました。

10月21日撮影です。

  


YouTube: 2025年10月21日 ザリガニが水草を食べ始めました

そうか、水草を縦にして次々に口に入れていくのですね。

  

夜行性のアメリカザリガニなので、

夜の活動を撮影してみようと考え、

iPadのタイムラプス撮影に挑みました。

 

10月21日に水槽を家に持ち帰りました。

21日の就寝時間の10時半に、水槽のある部屋の電気を消し、

薄暗くしました。

そしたら、それを待っていたかのようにアメリカザリガニが

移動を始めました。

すぐにタイムラプス撮影開始。

翌朝の5時半までの7時間。

iPadでは7時間を27秒で録画してありました。

ちょっと動きが速すぎなので、スピードを調節。

4倍以上の2分15秒にしてみました。

  


YouTube: 2025年10月21日〜22日 深夜のザリガニの頑張り タイムラプス撮影


  

ここでも水草を食べているのがわかりました。   

ただヤゴをアメリカザリガニは追いかけますが、

捕食するところまでは行きませんでした。

  

こんなに動くのですね。

やっぱりザリガニは夜行性です。

2025年10月21日 (火)

家具の五大産地の一つ、福岡県大川市について

  

今日は令和7年10月21日。

  

前記事の続き。

福岡県大川市。木製家具の5大産地の一つ。

まずは、5大産地を調べました。

このサイトが参考になりました。

株式会社プロセス井口HP 日本の誇る木製家具の5大産地の歴史と特徴について

ここから引用します。

  

日本には「家具の5大産地」と呼ばれる地名があります。480年の歴

史をもつ大川家具の大川市、徳川家光に端を発する漆塗の静岡市、

飛騨家具の名で知られる高山市、備後キリの使用で有名な府中市、

近代日本のフロンティア精神を継ぐ旭川市、などの名が一般的に挙げ

られ(かつて大川・静岡に次いで家具生産3位の座にいた徳島市を加

えて6大家具の産地と呼ぶこともあります)、日本の家具生産をリー

ドしている形です。 

  

日本全国、家具はいたるところで作られていると思っていました。

突出して作っている街があったのですね。

  

大川市。

福岡県のどのあたりか。次は場所を調べました。

オンド日記

ここに載っていた地図を転載。

Img_4660

確認しました。

ではなぜこの大川市で家具製造が盛んになったのか。

これも上記の「株式会社プロセス井口HP」に

詳しく説明してありました。長いけど引用します。

  

日本で最大の家具生産地として知られるのが福岡県大川市です。人口

4万人規模の小都市ですが、年間約330億円(令和元年、インテリア

産業関係統計資料調べ)の家具生産売上高を誇り、数十年近く日本の

家具生産のマーケットリーダー的ポジションを維持している存在です。

歴史的に見ても、大川市は家具生産地としてお手本のような好条件を

備えていたと言ってよいでしょう。木材運搬に適した広大な筑後川と

五ヶ浦廻船で知られる海運ネットワーク、日田をはじめとする九州の

豊潤な森林資源、貿易の玄関口として栄えた福岡の持つ経済的安定性、

と、このような好条件に恵まれた大川市が日本の家具生産を牽引する

ようになるのも、地政学的に見ると自然な流れだったのかもしれませ

ん。

  

生来、家具づくりの地として恵まれた大川が家具づくりのマーケット

リーダーとして飛躍するのは、今から遡ること480年前、室町時代後

期1536年の時代のことです。榎津久米之介という、当時の足利幕府

幕臣の弟が、出家後地元の職人たちの船大工技術を活かし指物家具を

作らせたことがきっかけで、大川市に家具づくりが定着しはじめたと

言われています。

今でこそイメージが湧きにくい「船大工」ですが、船での物流・運搬

が一般的であった当時としては、交易の道具としても戦争の道具とし

ても船は重要な役割を担っており、戦国大名も兵糧・兵器の運搬を支

えるために多くの海軍を要しました。戦国時代が終わり、戦争利用の

船の需要が減ると、こうしたかつての船大工たちは、次第に平和な家

具づくりに己の技術を転用し始めたのではないかと考察します。

  

船大工が家具作りを始めた。なる程です。

  

豊川市内にもかつて牛久保地区は家具の街でした。

道の両側にたくさんの家具屋があったことを、

子どもの頃の思い出として覚えています。

今は家具屋さんは残っていますが、昔の賑わいはないです。

   

そんな地区を見ているので、

現在も家具製造が盛んな市があるのは、

衰退に見慣れた昭和の男としては、嬉しいですね。

今度購入するチェアは、九州で製作されて届きます

    

今日は令和7年10月21日。

  

家の一部をリフォームしたことで、

ダイニングチェアを新調することにしました。

これからは奥さんとの2人の生活が中心になる予定。

どれくらいの期間になるかわからないけど、

座りたいダイニングチェアを手に入れようと考えました。

私はベンチ式がいいと主張。

市内のあちこちの家具屋さんに行って物色。

私のベンチ式チェアは、改装のための処分市をやっていたH家具屋さんで、

いいベンチ式チェアを見つけて、処分市でお値打ちになっていたので

購入しました。

その同じH家具屋さんで、もう1脚購入。

お客さんや息子や娘が帰ってきた時に座るチェアも1脚購入。

いいタイミングでの処分市で、納得のチェアを安く購入できて

良かったです。

残るは奥さん用のチェア。

  

気になっていたのは、M家具屋さんで見かけたチェアたち。

値段は少し高いけど、これから長く使えそうな作りのチェアでした。

M家具屋さんのチェアを見ると、他の家具屋さんのチェアが、

安っぽく見えてしまいます。

大量生産で安価にしたチェアと思えてしまいます。

しばらくしたら、どこか不具合が出て、

短期間の使用で廃棄することになるんだろうなと

思えてしまいます。

これが困った。

M家具屋さんに行かなければ、この発想はなかったでしょう。

  

奥さんと相談。

奥さんの座る1脚だけ、贅沢して購入しようと決断しました。

M家具屋さんへ行って、お店の方のアドバイスを聞いて、

だんだん絞り込んできました。

奥さんが実際に座って座り心地を確認。

チェアの高さ、座る場所の素材、使われる木の質や色、模様。

相談して決めていきました。

奥さんが高齢になっても、このチェアに座ってのんびりしている

姿が浮かんできました。

  

決めました。

10月4日のことでした。

M家具さんは展示品のお持ち帰りではなく、

ここから発注して製作して届けられます。

九州に発注して製作するので、

1ヶ月ほどお待ちくださいとのことでした。

この地域で製作するのではなく、九州!

びっくりです。

  

先日、M家具さんからLINEで連絡があり、

納期が決まり、受け渡しは10月31日以降とありました。

待ってましたのチェアなので、10月31日の仕事が済んだら

受け取りに行くことにして連絡しました。

  

その際に、かねて気になっていたことを聞きました。

なぜ九州なのか?

店員さんから、回答が来ました。

内容を簡単にまとめます。

・福岡県には大川市を中心に家具製作が昔から盛んな地域であること。

・我が家のチェアを製作しているのは「ナガノインテリア」であること。

 福岡県のメーカーであること。

・大川市は日本の木製家具の5大産地の一つであること。

  

大川市のことを全く知りませんでした。どんな歴史があって、

家具製作が盛んな街になったのか。

そして実際に製作してくれている「ナガノインテリア」が、

どんなメーカーなのか。

好奇心が湧いてきました。

  

連絡を受けて2晩、ネットで調べてみました。

勉強になりました。

その内容を次の記事で書きたいです。  

  

  

  

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