2026年3月26日 (木)

キミヤーズ塾での教え/生活では活かせれないけど教養として身につく

  

今日は令和8年3月26日。

    

毎年2回キミヤーズ塾が京都で行われます。

最近では3月7日にありましたが、その日は遠来のお客さんと

飲食することが先約で入っていたため、キャンセルしました。

今回行けば16回目でした。

5回ごとにもらえる無料券によって、参加費は0円でした。

次は今年の晩夏にあるので、参加したいですね。

  

15回目に参加したのは、昨年の9月6日でした。

その時に特に印象に残った村上公也先生の言葉を

ブログ上に残しておきたいです。

  

村上先生は、すでにだいぶ前に退職していますが、

その後も支援学級で担任した子どもたちを、

家に招いて今でも授業を行っています。

いちごママ塾という名前です。

その子たちも成長して、社会人になって頑張っています。

最近のキミヤーズ塾では、その子たちが参加して、

活躍しています。

とても読むことができない難読漢字をスラスラ読み、

指数関数など難しい数学の問題も解いて見せてくれます。

その時に村上先生が言いました。

   

  

支援学級の子どもたちにも、順を追ってひとつずつやったら、

ここまでになる。やればできる子たちに教えないのは

教える側がダメだということを証明したかった。

生活として活かせれんけど、教養として身についている。

  

  

支援学級の子どもたちに教えることは、社会に出て困らないようにと、

つい実践的な内容になりがちです。

でもそれって、本当の勉強の面白さを伝えていないと思うのです。

こちらが教えても無理と思わずに、

少しずつ教えていくことで、積み重なって、

子どもたちはすごい力を持ちます。

それをキミヤーズ塾では、目の前で見せてくれます。

でもふと疑問に思っていたんです。

難読漢字がいくら読めても、難しい計算ができても、

生活には役立つことが少ないよなあと。

そんな私の疑問を、村上先生は見抜いたかのように、

今回の言葉を発したのです。急いでメモをしました。

私のやっている通級指導学級でも、この考え方で授業内容を決めています。

「できる」ように教えたいけど、

そればっかりにならないように心がけています。

    

昨年9月6日のキミヤーズ会場での写真を載せます。

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隣に座った男性。

その方と話していたら、「もしかして腕時計が同じでは」と

言ってきました。確かに!CASIOのG-SHOCKで色も全て同じ。

これは面白いと思って、写真を撮らせてもらいました。

手前が私です。

私の時計は、なぜか進みやすいので、私の方が時刻が早いです。

彼の時計の時刻がきっと正確です。

   

  

昨年9月6日。京都市内で撮った写真です。

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「五条別れ」

この交差点の名前が気になりました。

そしていろいろ調べました。

内容が濃かったです。

そこで次の記事に書きます。

設楽町の巨木:イロハモミジ/山伏塚の大杉

    

今日は令和8年3月26日。

    

前記事に引き続き、昨年の8月31日に見た

設楽町での巨木の記録を書きます。

  

設楽町観光ナビ したらの巨木特集 したらの巨木に逢いに行こう!!

このサイトで地図を見ることができます。

設楽町のどこに行けば巨木が見られるかわかります。

今回は3本見たので、その部分の地図を切り取って転載します。

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前記事ではアカガシを記事にしました。

今回は「イロハモミジ」と「大杉」です。

  

「イロハモミジ」

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案内柱に書いてある文章を書き出します。

イロハモミジ

私たちには大変なじみのあるカエデとして知られ、葉の裂片が5〜

7個で「いろはにほへと」と7つに数えられることから、名が付い

たと言われている。県内でも指折りの巨木である。

  

青紅葉もいいけど、やはり紅葉も見てみたい木です。

ここも人工林に囲まれて、知る人ぞ知る状態になっていました。

すぐ近くの道からでも見ることはできません。

  

  

次は「山伏塚の大杉」

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ここから入っていきます。

ここも樹林に囲まれていて、外からはわからない。

どんな巨木があるのかワクワクするのはいいかな。

  

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説明文をここに書き写します。

  

山伏塚の大杉といわれ、逞しく荒々しさを感じさせる。

この木は自然に生えたようで、根元から二本に分かれ

上部は六本の樹幹となっている。

  

根元から2本に分かれているので、幹周りも2つあります。

  

幹周り: 4.65m

   : 6.64m

  

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設楽町が出しているパンフレットには、モデルさんの入った写真が

ありました。この大杉の写真を転載します。

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今回の3本の巨木は、どれも予想を上回る大きさでした。

  

巨木観察も楽しいなと思いました。

設楽町の巨木:豊邦のアカガシ/クラガシ(暗樫)と呼ばれていた

    

今日は令和8年3月26日。

   

春休み。ブログの投稿を増やしたいですね。

  

昨年撮影した写真を記事にします。

昨年8月31日に設楽町にある巨木を見てまわりました。

ここに記録として残します。

  

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「豊邦(とよくに)のアカガシ」

植林されたヒノキに囲まれて、

なかなか全体像を写しにくい場所でした。

でもよくぞこんな植林された場所で、この木が残されたなとも

思いました。

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これは次世代の幼木かな。

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ここが主幹。ここから何本かの幹が四方に伸びています。

キラッと奥三河観光ナビ 豊邦のアカガシ

このサイトからの転載です。

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「全体は雄たけびをあげているような姿」とあります。

なるほどの表現です。

悲鳴のようにも思います。

これも折れた幹のようです。

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案内板の文章を引用します。

幹周り一一・六〇m、根回り一〇・五m、樹高約一八・〇m。日本で

も指折りの大きさ。文化一二年(一八一五)の村絵図に「クラガシ」

と記載されている。

  

「赤樫」ではなく「クラガシ」なんだ。

その村絵地図が見たいですね。

  

「クラガシ」の名前についてGeminiに聞いてみました。

  

結論から言うと、「クラガシ」は漢字で「暗樫(くらがし)」と書き、

この巨木の下が昼間でも暗くなるほど葉が鬱蒼(うっそう)と茂って

いたからだと言われています。

詳しく解説しますね。

🌳 なぜ「暗樫(クラガシ)」と呼ばれたのか?

巨大な樹冠による日陰: 画像の案内板があるのは、愛知県設楽町にあ

る「豊邦のアカガシ」という木です。アカガシは常緑広葉樹で、革質

で厚みのある葉が密に茂る特徴があります。 この木は日本でもトップ

クラスの巨木(枝が四方に約15メートルも広がる)であるため、日光

を大きく遮り、木の下に広い「暗がり」を作っていました。

地元の愛称が定着: その圧倒的な暗さや存在感から、地元の人々の間

でいつしか単なる「アカガシ」ではなく「暗い樫=暗樫(クラガシ)」

と呼ばれるようになりました。

歴史的資料への記載: その呼び名が地元で完全に定着していたため、

案内板にある通り、1815年(文化12年)の村の絵図にも、まるで正

式名称のように「クラガシ」として記録されています。

つまり、生物学的な品種名ではなく、「強烈な日陰を作るほどの巨大

な樫の木」という、この木ならではの特徴を表した地元特有の愛称だ

ったというわけです。江戸時代からそう呼ばれて親しまれてきたと思

うと、歴史のロマンを感じますね。

  

なるほどです。

出典なども教えてもらいましたが、確かなようです。

文化12年の村絵地図を見たいのですが、

Geminiに聞くと、ネット上にはないとのこと。

設楽町奥三河郷土館に行って、調べることを勧められました。

見たいな村地図。

昔はこんなヒノキに囲まれることなく、

住民から目に見える場所だったのではと思います。

  

地図で場所を示します。

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さらに詳細な地図。

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2026年3月24日 (火)

初めて見に行った雨山ダム/雨山合戦跡地

    

今日は令和8年3月24日。

  

奥さんの実家に行くのに、千万町経由で行くようになって、

いつかは行きたいねと奥さんと言っていたのが、

雨山ダムです。

3月20日にミツマタ群生地を見ることができなかったので、

その代わりに、かねがね行きたいと言っていた雨山ダムに

行くことにしました。

今回走ったのは、地図の緑のコース。

ふだんは黄色のコース。

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雨山ダムは、そこを出発点にして本宮山に登れることで、

話題になったことがあります。

いつかはやってみたいと思っていました。

その第一段階で、雨山ダムを見るのが今回ですね。

  

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一度ダムを右手に見て、通り過ぎて上流側から

撮影したものです。

御多分に洩れず、このダム湖も水がかなり減っているようです。

  

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こんな広場があるダムなんだなあ。

でも自動車だと行き止まりの場所にある広場なので、

そんなにたくさんの人は来ないだろうな。

  

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旧額田町の水道供給のためのダムで、平成7年に出来たようです。

そりゃあ、宇連ダムや大島ダムに比較したら、

小規模だと一目でわかるダムです。

驚いたのは矢作川水系だと言うこと。

ここは矢作川水系なんだ。

矢作川の流域を地図でみたいと思って探しました。

国土交通省HP

ここにあった図を転載。

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雨山ダムは、旧音羽町の萩のすぐ近く。

なのに、雨山ダムがある場所は、

降った雨は矢作川に行くんだと思いました。

もう一つ気がついたのは、流域の頂点に大川入山があること。

矢作川の源流は大川入山なんだ。

親しみが湧いてきました。  

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ダムの上から撮影。

ダムこの名前は三和湖(みつわこ)。

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ダムから下流。田畑が広がります。

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ダムのすぐ下流にも小さな公園。

ちょっと怖いかも。

  

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興味を持ったのは雨山合戦。

織田信長の台頭によって、今川義元についていた者たちが、

織田型につくようになってきた。

それを防ぐために、寝返ったものたちを打ち取れという

今川義元の命令が出た。

織田方についた雨山の領主阿知波修理定直と五郎右衛門兄弟の

立て籠もる雨山砦を、義元の命に従った野田城主菅沼新八郎定村が

攻めた戦い。

雨山側には、作手の亀山城から本宮山を越えて奥平氏が援軍。

野田軍を打ち破ったが、その後攻めてきた伊奈城の本多軍に

敗れ敗退する。

伊奈城とは地元旧小坂井町の遺跡。

戦国時代の身近な現場です。

  

史跡夜話 雨山合戦地

ここから一部引用。定村が打ち取られるシーン。

  

敵味方必死の攻防が続き、やがて右の木戸が破られそうになった。

その時、五郎右衛門の目に谷の上で指揮する定村の姿が見えた。

砦を救うには敵将を討取るほかなしとみた五郎右衛門は谷底に下

り立ち、上げ矢で定村を射た。矢は定村の左の咽から耳の根へ射

通したという。さすがの勇将定村も落馬して息絶えた。享年三十

六歳であった。定村討死後も野田勢の攻撃は続き、定村の弟定貴

(宇利城主・二十九歳)、同じく定満(二十五歳)、その他多くの家

来が討死してしまった。

  

今川義元と織田信長の戦いといえば桶狭間の戦い。

その前哨戦でこのような戦いがあったのですね。

山に遮られているが、確かに雨山は作手、野田、そして伊奈などから

直線距離は遠くない。山をもろともしないだろうから、

この雨山に集まってくるんだろうなあ。

  

雨山ダムと雨山合戦。

勉強になりました。  

  

 

千万町のミツマタ群生地に何が起こった?②

  

今日は令和8年3月24日。

  

前記事の続きです。

  

千万町のミツマタ群生地に何が起こったんだろう?

そんなことを思って、ミツマタ群生地を後にしました。

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帰りは左側に耕地を見ながら歩きました。

よく整備された耕地なので、いい気持ちになりました。

  

下から林道を上がってきたら、この分岐で右側に行きます。

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左の道は、昨年11月に観戦したラリーのコースです。

この道を爆音を立ててラリーカーが走ったんだなと思います。

  

往路で見逃していた「ミツマタ」の入った看板を見つけました。

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棚田の説明板ですが、ほんの数年前にまでは確実に

ミツマタの群生地があった証拠でもあります。

どうなっちゃったんだろう?ミツマタ群生地。

これが県道から林道に入る入り口。

昔の写真に写っていた黒い建物があります。

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でもこの入り口から入って奥にミツマタの群生地があるなんて、

書いてあるものは全くありませんでした。

  

千万町楽校への帰路、印象に残ったものを写真に撮りました。

紹介します。

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公民館と思われる建物の窓には、何やら紙が貼ってありました。

近くで撮影。

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なんで貼ってるのだろう?

TOSTEMの宣伝かなと思いました。

Geminiに聞いてみました。

先入観に気がつかせてもらうのも生成AIだと思っています。

回答を載せます。

  

千万町(ぜんまんちょう)の公民館ですね。歴史を感じる木造の建物

の雰囲気に、真新しいTOSTEMのシールがずらりと並んでいるのは確

かに目を引きますし、まるで宣伝のように見えますよね!

実はこれ、純粋な広告目的というよりは、窓ガラスが出荷された時か

ら貼られているメーカーの製品シール(養生シール)なんです。

本来は工事が終わって引き渡す際に剥がすものなのですが、公民館の

ような場所でそのまま貼られ続けているのには、いくつか理由(目的)

が考えられます。

1. 衝突防止のため(安全対策)

一番大きな理由はこれです。新しくてピカピカの透明なガラスは、特

にご高齢の方や子どもには認識しづらく、開いていると勘違いしてぶ

つかってしまう危険があります。このシールをそのまま残しておくこ

とで、目印になり、衝突事故を防ぐことができます。

2. リフォームの「証明」として

公民館の改修は、町内会費や市の補助金を使って行われることが多い

です。「皆さんの予算で、これだけ立派な新しいサッシ(LIXIL/TOS

TEMブランド)に交換しましたよ」という、わかりやすいアピールや

報告の意味合いを兼ねて、あえて残しておくケースが田舎の公共施設

ではよく見られます。

3. 単なる剥がし忘れ・手間

単純に業者が剥がさずに引き渡し、施設を管理している地元の方々も

「まあ貼ったままでもいいか」と気にせずそのままにしているパター

ンです。

ちなみに、このシールは数年貼ったままにしておくと、紫外線でガラ

スに焼き付いてしまい、いざ剥がそうと思った時にはボロボロになっ

て非常に剥がしにくくなってしまいます。

  

私としては「2」がなるほどと思いました。

「田舎の公共施設ではよく見られます」は本当かな?

でも本当のようにも思えます。

この建物の前は、これからもちょくちょく通るので、

貼り紙がどうなるか観察していきたい。

  

ちなみにTOSTEMの歴史をWikipedia トステムを参考に

書き並べます。

1923年 妙見屋商店創業

1949年 日本建具工業株式会社設立

1971年 トーヨーサッシ株式会社設立

1992年 トステム株式会社に商号変更

2001年 INAXと経営統合

      株式会社INAXトステム・ホールディング

      (後にLIXILとなる)

このような歴史があって「リクシルの窓・ドアブランド」と

なったのですね。納得です。

  

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右を走るのが県道。ここでもミツマタが咲いていました。

  

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一面水がはられて、田んぼになるところです。

見応えのある景色です。

  

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散歩するには、本当にいい場所、いい季節でした。

  

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よっく見てください。ツクシが生えていました。

子どもの頃に、たくさん採ってきて母親に調理を頼みました。

山のようにあったツクシが、少量になってしまいがっかりでしたが、

醤油味のツクシは忘れられないなあ。

  

  

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農道の横を流れる川が乙川だと知ったのは、この看板のおかげです。

   

以上が千万町で3月20日に見てきたことです。

ミツマタ群生地に何が起こったのか?

知りたいところですが、GeminiもChatGPTも

公式に観光を止めたようなことはネット上にはないと

答えてくれました。

何が起こったのかご存知の方は、ぜひコメントで教えてください。





 

  

2026年3月23日 (月)

千万町のミツマタ群生地に何が起こった?①

    

今日は令和8年3月23日。

  

岡崎市千万町にあるミツマタ群生地。

この場所のことを聞いたのは昨年かな。

奥さんの実家に帰る時に、千万町を通るようになり、

看板とかを見かけるようになり、知りました。

ただ昨年知った時には、すでに花が終わった時なので、

今年の春は行きたいと思っていて、

3月20日に実行しました。

奥さんとドライブ。

  

イメージは、私たちと同じか、それ以上の年輩の方が

たくさん来ていて賑やかだと思っていました。

駐車場は群生地から2キロメートル離れた千万町小学校跡地の

千万町楽校。

早くもここで違和感。

楽校のグラウンドが駐車場だと思いましたが、

全く案内がありませんでした。

なぜ?

とりあえず邪魔にならないところに自動車をとめて、

ミツマタ群生地に向けて農道を歩き始めました。

県道を歩くと交通量が多く、観光客が多いと危険だという配慮から、

少し大回りですが、農道を歩くのだと思います。

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楽校のグラウンドには開花したミツマタが何本かあり、

きっと群生地は咲いているとは容易に予想ができました。

なのに、歩く農道にも全く案内がない。

すぐに2人の方とすれ違いましたが、

それ以後は誰ともすれ違わず。

なんか変だぞ。

  

その農道で見た景色です。

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乙川にかかる橋です。

この橋を渡るのはスリルあるなあと思いましたが、

後からもっと怖い橋がありました。

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農道から、千万町の家々も見ながら歩きました。

個性的な家もありました。

上の写真の右端の建物は印象的でした。

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歩いていました。

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この橋が見えてきた時から、

奥さんとの間でザワザワしてました。

「あれってもしかして、隙間だらけじゃないか」

「ええ、まさか。でもそんなふうに見える」

「ありゃあ危険だよ。下の石の上を歩いた方が安全jかないか」

などなど。

そして予想は当たりました。

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怖い橋でした。

  

農道を歩いて、県道に合流。

目印は郵便ポスト。

郵便ポストがある場所の手前を山に向かっていくと

ミツマタの群生地があるはずです。

心のふるさと千万町楽校 千万町ミツマタ群生地黄金郷

このサイトによると、次のような写真です。

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写真も右手に郵便ポストがあるでしょ。

そして黒い建物もありました。

でも、。この写真ような看板がありませんでした。

昨年見た看板はこれかな。

ちょっと自信なし。でも内容は同じだったと思います。

しかしその看板もなし。

とにかく「ミツマタ」と書いたものがなかったのです。

この道でいいのか、迷いました。

  

参考にしたのは、上記サイトのこのマップ。

Img_7703

赤丸のところに看板がなく、それでも林道を北西に進みました。

の分岐は右に入るように、ここにも看板がマップにはあります。

でもないんですよ、この看板が。

とにかく千万町楽校を出てから「ミツマタ」のついた看板、

案内板が1枚もありません。これは異常です。

  

それでも進むしかありません。

すれ違う人は、最初の2人だけ。

3連休の初日、天気も上々。

でも観光客がほぼいない。

  

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私の住んでいる豊川市の住宅街にあったら、注目されるだろうな。

この千万町にあると、そうは目立たず。

でも気になったので撮影しました。

  

文字の入ったものを発見。

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「ミツマタ募金箱」と書かれたものです。

半信半疑でしたが、ミツマタ群生地はここだったのではと

この募金箱で確信しました。

しかし、椎茸のホダ木はありましたが、ミツマタがわからず。

どういうことだろう?

しばらく探しました。

そして、まばらに育っているミツマタを発見。

これか?

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いったいミツマタ群生地に何が起こったんだ?

そう思いました。

私が間違ったところを見ていたらすみません。

また教えてください。

「心のふるさと千万町楽校」サイトにはこんな写真も

ありました。

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これが見たかったけど、存在しませんでした。

  

わずかにあったミツマタを撮影。

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他の木の黄色の花が目立ちました。

私にとってはお馴染みの花でした。

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クロモジです。山に入るとよく見ます。

独特の形をしているので、目に入りやすいです。

この花と「クロモジ」は連想できません。

クロモジとなぜ言うのでしょう。

PSJ日本薬学会 クロモジ

このサイトが参考になりました。

名前の言われは、幹が関連しました。

上のサイトから幹の写真を転載。

Img_7705

同じくサイトから文章を引用します。

和名は樹皮の斑紋を文字になぞらえてクロモジと

名付けられました。

    

なるほど、文字に見えないこともなし。

クロモジは爪楊枝の原料であることも有名。

たまにこうやって復習ができる、知識も追加できていい。







  

  

  

2026年3月21日 (土)

ダンプカーの語源/三転ダンプカーの見分け方

   

今日は令和8年3月21日。

  

仲間と山登りに行く往復で、高速道路を走っていたら、

「最近はコンテナを載せたような大きなトラックばかりだなあ」

とHさんがつぶやきました。

そう言われてみたら、確かにそうだと思いました。

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写真のようなトラックが多いです。

高速道路だからかもしれません。

  

そういえば、「ダンプカー」という言葉を

最近、あまり聞かないなあと思いました。

ダンプカーの語源を知りたくなりました。

WEダンプ ダンプとは?由来・種類・現場での役割をわかりやすく解説

ここには次のように書いてありました。

  

「ダンプ」は英語の dump が語源です。dump には 「ドサッと落

とす/一気に下ろす」という意味があり、 dump truck(ダンプ

トラック)=積荷を一気に落とせるトラック、という呼び名になりま

した。 日本では dump truck の “dump” が省略され、「ダンプ」

として定着しています。

  

「ダンプ」もあるけど私は「ダンプカー」ですね。

「ダンプ」というのは、こういう意味だったのですね。

    

ダンプカーについて調べていて、三転ダンプを知りました。

後ろのみならず、左右にも荷台が傾斜する三転ダンプ。

これは便利だなと思いました。


YouTube: トラック紹介シリーズ「日野レンジャー三転ダンプ(平成25年式)」編

  

何枚かスクリーンショットを載せます。

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このようなレバーがあるのですね。

  

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ダンプアップのレバーはここにあるんだ。

  

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先入観で、後ろへのダンプアップが浮かびますが、

左右にダンプアップできたらいいですよね。

  

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これもなるほどと思ったこと。

三転ダンプであるかどうかは、このプロテクターのサイドが

カットされているかどうかでわかるなと思います。

ダンプカーを見る楽しみの1つになりそうです。  


  

2026年3月20日 (金)

雪印メグミルク豊橋工場のための鉄塔を辿る

    

今日は令和8年3月20日。

  

前記事の続きです。

  

私は教えてもらいました。

同じ町内会に住むAさんに教えてもらいました。

1月中旬にペンキを塗り替えた鉄塔は、

公的なものではなく、

雪印メグミルク豊橋工場に、

高電圧の電力を送るための鉄塔だと言うのです。

豊橋の大村にある中部電力パワーグリットの

豊橋変電所から雪印メグミルク豊橋工場まで

高電圧線を鉄塔で繋いでいるというのです。

  

本当か?

  

確かめました。

電力を受け取る側の雪印メグミルク豊橋工場の写真です。

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他の用事で撮影したものです。

3本の高電圧線で電力がやってきます。

3本のツノがある印は、ガス絶縁開閉装置だそうです。

スイッチのようなものだそうです。

Img_6899参考にしたこの図は、中部電力パワーグリットのHPから転載しました。

  

ここから高電圧線がどのように鉄塔で導かれているのか、

辿ってみました。

地図で表してみます。

地図のベースはGoogleアースです。

Img_7666

辿ってみたら、19本の鉄塔によって、豊橋変電所から

雪印メグミルク豊橋工場まで高電圧の電力を送っていました。

雪印メグミルクはそれだけの電力を必要とする工場のようです。

冷却装置は24時間必要であるし、きっと大型なのだと思います。

この工場の生産を成り立たせるための、それだけの理由で立った

鉄塔だったのです。

鉄塔の近くに住んで30年を越えています。

今頃気がついたことです。

  

いくつか鉄塔の写真を載せます。

雪印メグミルク豊橋工場から辿った順番で行きます。

  

1番の鉄塔です。

私の住む町内会の集会所前に立っています。

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こうやって辿ることをしたことで、この鉄塔の存在を意識しました。

今までさんざんこの鉄塔の前を通っているのに・・・

そんな体験を、今回はいくつも体験しました。

ここに鉄塔があったのか、そういえばここに鉄塔があったな、

そうかこの鉄塔も雪印メグミルク豊橋工場に電力を送る鉄塔だったのか、

そんなことを思いながら変電所まで行きました。

    

 

6番。

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地元の小坂井中学校の体育館が左にあります。

  

10番。

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この鉄塔から高電圧線は左に行きます。

高架の小坂井バイパスの上を超えます。

  

12番。

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この鉄塔の右下から来た高電圧線が、豊川放水路を超えてきたもの。

3本が1組のようですので、この鉄塔で3組の高電圧線が

合流しています。

  

 

15番。

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手前が15番の鉄塔。向こうに16番、17番と鉄塔が続きます。

  

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左奥が18番の鉄塔。右が19番です。
   

  

そして高電圧線は豊橋変電所に辿り着きます。

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左上から来ている高電圧線は、右の腕の多い鉄塔に辿り着きました。

この鉄塔のあるのは、豊橋変電所の敷地です。


      

ペンキ塗り直し工事があったおかげで、気がつき、

調べて、わかったことです。面白かった。

面白いことは身近にあります。

高圧線の鉄塔のペンキ塗り直し作業

    

今日は令和8年3月20日。

  

私の近所にある高圧線の鉄塔。

1月中旬にペンキの塗り直す工事があると聞いていました。

うまくいったら、その作業を撮影したいと思っていました。

午後2時には戻ってくるので、撮れることもあれうかなと

楽観視していました。

しかし、2日間作業日があったのですが、

午前中作業で、終わってしまったそうです。

寒い風の吹く中、高所での1日作業はきついので、

午前中で終わってしまうのかなと予想します。

撮影ができなくて残念と思っていたら、

なんと、撮影した方がいました。

写真を譲っていただきました。

掲載します。

  

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大変な仕事だなと写真を見て思います。

こういう仕事をしている人たちのおかげで、

世の中は滞りなく営まれていくんだよなと感じました。

生でみてみたかったなあ。

  

こういった高圧線の鉄塔というのは、

電信柱のように、電気を届けるためのものであって、

公的なものだと思っていましたが、

今回こだわったら、違うということがわかりました。

回覧板で、ペンキ塗り直し作業のお知らせが、

周りました。

そこには高圧線の鉄塔の名前が書いてあり、

名前に「雪印」が入っていたことにこだわりました。

  

次の記事に続く。

2026年3月19日 (木)

商店名が交差点の名前になった「権七」/いつ閉店したのか?

    

今日は令和8年3月19日。

  

クラウドに写真がたくさんたまっています。

いつかはブログの記事にしたいと思っている写真です。

その中の1枚。

  

Img_0461

昨年(2025年)3月13日の写真です。

浜松市にある交差点の写真。

赤信号で止まっている時に撮影。

この交差点の名前が面白い。

「権七(Gonhichi)」です。

なぜこの名前?

  

「七」を「ひち」と読むのも異色です。

ここでも道草 20250309納古山/空ふさがり⑨ 花や蝶、草に地名(2026年2月7日投稿)

ここで岐阜県七宗(ひちそう)町のことを書いています。

「し」を「ひ」と言ってしまうことは経験ありです。

これは方言の可能性が高いです。

岐阜県〜愛知県〜静岡県遠州地方の方言ではと思っています。

  

場所を地図で示します。

Googleマップを利用します。

Img_7630

浜松市の姫街道と呼ばれる道の交差点です。

この時には、地図の村櫛三方原線を南西から自動車で走ってきて

姫街道と合流する状態でした。

その交差点のすぐ南に「権七店跡」があります。

この「権七店」の店の名前が、交差点の名前になったようです。

ねこじゃらし・Kの懐かし処 百年以上商っている商店が地名に・・・権七(姫街道沿い)

このサイトに説明がありました。

  

スクリーンショットの写真を載せます。

Img_7632

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Img_7634

この記事は2013年に書かれたものです。
  

真ん中の看板の文字をここに記します。

  

葵町

権七店(ごんひち店)

三方原追分(おいわけ)で左に折れると、うっそうとした松並木が続

いている。ここから権七店までは家がほとんどなく、寂しいところで

あった。約一〇〇年以上も続いた権七店は、近隣の人々の寄り合い所

となり、井戸端会議に花が咲いた社交の場所でもあった。店先には山

桃の木があって、そこに馬方(うまかた)は牛馬をつないで休憩した。

店では、駄菓子だんご・お酒等を売っていた。

  

13年前にはあった看板は今はどうなっているのか。

地図には「権七店跡」となっているので、

13年前には商いをしていた権七店は閉店してしまった可能性高し。

今はどうなっているのか。

その辺りを調べてみました。

  

まずGoogleアースを利用。

Img_7636

「権七店跡」にストリートビューで降りてみました。

Img_7637

最初に見た画像。

「権七」と書いたバス停があり、左手に先ほどの看板がありました。

この画像の撮影は2025年7月です。

看板はきっと今も存在するでしょう。

そしてお店はどうなっているのか。

左の方向に進むとお店はありました。

Img_7638

う〜ん、営業していないようです。

窓には白いものが貼られて、中が見られないようになっています。

やはり「権七店跡」になっています。

  

ストリートビューで過去の写真を見ることができました。

最も古い写真。

2012年5月撮影

Img_7642

営業しています。

  

Img_7641

明らかに営業をしています。自販機が1台無くなりました。

  

Img_7640

Img_7639

「ゆうパック」の幟があるので、営業しているのかな。

店さきに置いてあるのはタマネギ?

  

この後の写真が、最初の2025年7月なので、

Googleアースのストリートビューの画像から判断して

閉店は2023年9月以降、2025年7月前と予想します。

どうなんでしょう。

  

ここでGeminiに聞いてみました。いつ閉店したのか。

回答の一部です。

   

権七商店(現代の店舗)が正確にいつ閉店したのかについて、公的な

記録や明確な年月は残念ながら残っていません。個人の商店であった

ため、市の歴史書などにも閉業の記録までは記載されていないようで

す。

  

その後、年月を経てお店を閉じられ、現在では店舗の建物自体もなく

なってしまいました。今は写真に収めていただいたあの看板と、「権

七」という交差点やバス停の名前だけが、かつての賑わいを伝えてい

ます。

  

Geminiでも閉店した時はわかりませんでした。

新事実。昨年7月にあった建物は現在無くなってしまったそうです。

それはびっくり。

こうなると現場に行きたいですね。

現場に行けばわかることもあり。

近所の人に聞けば、閉店がいつ頃だったかもわかるはず。

  

そもそも「ごんひち」という店名のいわれも知りたいです。

きっと最初の店主が権七さんだったのでしょう。

  

1枚の写真を記事にできてよかったです。

読んでいただきありがとうございます。

  






  


  

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