2025年2月14日 (金)

暴風が吹いた翌日に風の授業「コアンダ効果」

    

今日は令和7年2月14日。

  

昨日は風が強かったですね。

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ウェザーニュース

  

この天気図のように、低気圧が発達したことで、

風が強かったようです。

  

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ウェザーニュース

 

今日は愛知県のあたりは風が弱まるかな。

  

  

風が強いことから、

今日からの勉強は風の授業をしたくなりました。

この気まぐれ。

 

参考にした動画はこれ。


YouTube: ドライヤーをつかった空気実験!【工作・科学実験】

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丸いものに風を当てると、曲面に沿って風が流れます。

これを「コアンダ効果」というそうです。

また新しいことを知りました。

このコアンダ効果のおかげで、

ドライヤーの風によって、球体は浮き、

ドライヤーを傾けても、ドライヤーを移動させても、

球体は浮き続けます。

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球体が落ちない理由は、この動画がわかりやすいです。


YouTube: 【科学実験】風の力でボールを操ろう【あっとほうむ】

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面白いでしょ。

    

さっそく我が家にあるドライヤーでやってみました。

う〜ん、ちょっと馬力が弱い。

でも大丈夫。

ペットボトルを、送風口に取り付けることで、

風に勢いを増すことができます。

  

電動エアダスターを注文してしまいました。

今日、届きます。

来週はそお電動エアダスターを使っての実験になります。

  

「気まぐれ」「思いつき」と言われますよね。

でもね、自分が知っていることをやるのではなく、

ついでに自分も知らなかったことを知る体験をしながら、

授業をするようにしています。

その方がドキドキします。

  

その他、今日やってみたいのは、

ウメ、モモ、サクラ、カキ、アーモンドの枝を切断して、

教室の花瓶にさすこと。

教室で促成栽培をします。

冬芽の観察ができます。

  

今日もいい日にするぞ。

2025年2月13日 (木)

20250211本城山登山⑤ 白滝で氷柱(つらら)を見る 

   

今日は令和7年2月13日。

  

前記事に続き、2月11日の登山のことを書いています。

  

大仏山頂上から、本城山(ほんじょうざん)を目指します。

木にも寿命があります。

枯れ木を必ず見かけます。

見上げたら、気持ちの良い空でした。

思わず撮影。

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こんな平らな場所もあります。

快適に歩けます。

    

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本城山は、小野城の城址があります。

このような案内板があるのは、本城山が近づいてきた証拠。

  

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この分岐は、本城山の頂上から下りてきたら、

右へ下っていくところ。藤谷経由高澤観音。

  

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この分岐で右に曲がり、白滝を目指す。

往復してこの場所に戻ってきて、頂上を目指す。

 

白滝。

雪のある時には、道がよく分からず、急な道なので、

スムーズには目的地まで行けませんでした。

下の写真は、急な下り道を慎重に下りて行くところ。

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本当はつららがもっと長く、そして落下した水が凍った場所と

つららがくっつくくらいだと迫力があるらしい。

車をとめた駐車場にあった大きな地図の傍に

写真がありました。

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例年より雨が少なかったので、川の水量が少なかったか、

あるいは、今回は寒波が来たけど、それまで暖かかったためか、

今年はこんなものでした。

でもつららも、岩にはりついた氷も良かったです。

ここまで歩いてきたから見ることができた、

普段では味わえない世界ですからね。

ここで動画を1本。

私がこの白滝の場所で撮影したもの。

元気なSさんの声が入っています。


YouTube: 2025年2月11日 岐阜県関市本城山 白滝


  

2日前の2月9日に登った人の報告を見ました。

白滝はこんなものでしたが、私たちが行くのをやめた神滝の

つららはなかなか大きかったようです。

ヤマップ 本城山※氷柱を見に 2025年2月9日

このサイトから1枚転載。

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「太い」とコメントが書いてありました。

確かに太い。


   

20250211本城山登山④ 大仏山頂上を通過 

                                                                                                                              

今日は令和7年2月13日。

    

前記事に引き続き、2月11日の登山のことを書きます。

  

高沢山頂上を通過。

雪道を進みました。

雪は深くなく、凍っていない状態。

アイゼンを使う必要もなく、快適に歩けました。

展望がいい場所がありました。

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見坂峠には向かわず、右後ろ方向、大仏山方面に向かいました。

「大仏」は「おおぼとけ」と読みます。「山」は「やま」「ざん」?

  

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また展望のいいところに来ました。

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恵那山方面。

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いるんだなあと、ありがたく思います。

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また雪道を歩きます。

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木漏れ日のある雪道。

「これはいい道だ」と思うと、飽きずに撮影します。

  

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大仏山頂上。

ここには大きな反射板がありました。

ちょっと興醒めしてしまう状態。

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地元の人が言うには、合併前には関市の最高峰だったとか。

434.5m。

合併後は、高賀山でした。1224m。

合併前は洞戸(ほらど)村に高賀山はありました。

もともとこの付近の町村は武儀(むぎ)郡でした。

武儀郡の5つの町村が関市に合併して、

V字の新しい関市が誕生しました。

2005年2月7日のことでした。

ほぼ20年が経過したんですね。

  

  




















  

20250211本城山登山③ 飛騨千光寺に行きたい

    

今日は令和7年2月13日。

  

前記事の続きで、2月11日に登った山のことを書いていきます。

  

前記事で調べた飛騨千光寺(高山市)は、俄然行きたくなりました。

円空作の両面宿儺像は、魅力的です。

しかし、現在、この像は千光寺にはありません。

東京にお出かけしています。

この動画で知りました。


YouTube: ここに注目!「円空展」(三井記念美術館)

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三井記念美術館にあるわけです。

  

両面宿儺像のことを書いた本を、

動画のYouTuberの田中ひろみさんが書いています。

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この本、さっそく図書館に予約しました。

東京はなかなか行けませんが、

岐阜県はお隣の県。

登山も兼ねて飛騨千光寺に行きたい。

4月以降ですね。

   

それでは登山の続き。

高澤観音本堂のすぐ裏から登山道がスタートでした。

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「龍神の池」

この案内板には、両面宿儺と北条政子にまつわる

故事が書かれています。

  

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高多山頂上を目指します。

  

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むむ、これが頂上なのか?

あっけない頂上でした。

  

続く

20250211本城山登山② 両面宿儺(りょうめんすくな) 

   

今日は令和7年2月13日。

  

昨日の記事の続きです。

  

この地図は、一緒に登ったKさんが用意してくれた地図です。

この地図を見ながらの登山でした。

右手の日竜峯寺を出発。反時計回りで高沢山ー大仏山ー白滝ー本城山

ー藤谷集落ー日竜峯寺コースでした。

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上のにメモした時間は、Kさんが予想したコースタイム。

今回は、予想を少し上回るペースでした。  

   

  

高澤観音本堂の写真を載せます。

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名古屋鎮台は陸軍の部隊です。

明治22年(1988年)に廃止され、第3師団に移行されたらしいです。

この絵がどういう場面なのかは、わかりませんでした。

  

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今回はその第3師団の絵。

これらの絵は「奉納絵」と呼ばれるそうです。

日本陸軍の奉納と思われます。

    

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びんずる様。

自分の調子が悪い場所をさすると、

治ると言われる像です。

頭を触りました。ボケたくないですからね。

  

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本堂は、京都の清水寺を思い出す建物。

「美濃清水」と呼ばれているそうです。

本堂から見下ろした景色です。

雪によって、一層神秘的な景色を見ることができ、

澄んだ空気を感じました。

  

高澤観音日龍峯寺は、両面宿儺(すくな)という飛騨の豪族が、

開いたお寺と言われます。

この両面宿儺。

今、教えている子どもが知っていました。

アニメに出てくるとのこの。

「呪術廻戦」

私は見ていないので、全く知りませんでした。

ピクシブ百科事典 

ここから引用・転載。

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漫画『呪術廻戦』の登場人物。史上最強最悪の呪いの王にして本作に

おけるラスボス。

  

これがアニメに出てくる両面宿儺。

これは2つの顔、4本の腕と足といった

そんな異形の人物ではありませんでした。

とにかくこのアニメで有名となり、両面宿儺ゆかりの場所として、

この高澤観音日龍峯寺を訪れる人もいるそうです。

  

では元の両面宿儺はどうなんだ。

この動画が参考になります。


YouTube: 両面宿儺は実在した!?飛騨に残る宿儺伝説の謎!

  

仁徳天皇即位六十五年

飛騨の国にひとりの人がいた

「宿儺(すくな)」という。

その姿は、一つの体に二つの顔

顔はそれぞれ反対を向いていた。

頭は合わさりうなじはなく、

それぞれに手足があり、

膝はあるが膝裏とかかとがなかった。

力が強く、身軽で素早く、左右に剣を帯びて、

4つの手で、弓矢を用いた。

そうして天皇を命令に従わず、

人民から略奪して楽しんでいた。

それゆえ和ニ(わに)の先祖、

難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わせ

殺させた。

ー『日本書紀』現代語訳ー

  

300年代後半ごろに実存したという両面宿儺。

全国を従えようとしていた大和朝廷にとっては、

邪悪な存在として語られていました。

大和朝廷に服従しようとしなかったことが

うかがわれます。

  

飛騨地方の伝承では「民を救う英雄」と

されています。

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顔が2つ、腕と足が4本といった人間離れした姿は、

朝廷に仇なす怪物として描かれる傾向があったようです。

他にも、「土蜘蛛」と呼ばれた反勢力もありました。

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参考:Wikipedia 土蜘蛛

両面宿儺が生きていたのは、仁徳天皇の治世の時代。

(313〜399年)

ずっと後の729年に編纂された「日本書紀」に、

上記のような記述がありました。

高山市丹生川町の伝承によると、

両面宿儺は武術に優れた飛騨の豪族であり、

神祭の司祭者、農耕の指導者という面もあったそうです。

飛騨の山地を開拓し、弱き者を守った人であったようです。

中央集権から守ろうとしたと言われます。

飛騨千光寺は両面宿儺が古代信仰の祈りの場として

開いたお寺。

377年に両面宿儺が開山しました。

800年ごろ弘法大師の弟子の一人の真如親王が寺を建立。

1598年 開祖の両面宿儺を祀った宿儺堂が建立。

高さ2メートル20センチの両面宿儺像安置されています。

  

この動画が参考になります。


YouTube: 【呪術廻戦】両面宿儺の生まれた地 寺に「指」も奉納 岐阜県高山市、関市 【#聖地@現在地】

丹生川町の千光寺が前半に出てきます。

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これが宿儺堂。

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千光寺には、宿儺堂のこの石像だけでなく、

他に3体の両面宿儺像があるそうです。

4月〜11月の期間なら、土・日・月・祝日に見られるそうです。

千光寺にも行きたくなりました。

円空作の両面宿儺がいい。

この動画にも出てきます。

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円空らしい彫刻だと思います。

  

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アニメ「呪術廻戦」の両面宿儺に興味を持って訪れるが、

アニメのようなラスボスではなく、飛騨の人たちの守護神であった

両面宿儺を学んで帰るのはいいことだと住職は言っています。

  

この動画の後半は、私たちが行った日龍峯寺が出てきます。

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日龍峯寺では、11月に両面宿儺の像を拝めるようです。

賑やかだろうけど、行きたいなあ。

  

  

両面宿儺。

いい勉強ができました。

山に行ったおかげで、勉強ができたとも言えます。

2025年2月12日 (水)

冬芽・葉痕を楽しむことを始めます

   

今日は令和7年2月12日。

  

この時期だからできることを授業でやってみたいですね。

冬芽・葉痕観察は今ならでは。

勤務校で観察できるのはなんだろう。

今日は探してみようかな。

この動画が参考になります。


YouTube: 冬芽・葉痕ウォッチング

ここの木ならあるぞ、たくさん。

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何であるかわかりますか。

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イチョウでした。

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積み重なった葉痕がいいですね。

  

これを生で見たいですね。

  

やっぱりこの本でしょう。

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この本に出てくる木が、校庭にはないのが残念。

でも葉痕の楽しさがわかる本です。

  

我が家のモクレンを教室に持って行こうと思います。

いまいち成長が鈍く、小さめの花が咲くモクレンですが、

教室で冬芽(花芽)が大きくなるのを観察したいです。

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冬から春。

日が日々長くなる季節。

前向きになれる季節ですね。

20250211本城山登山① 高澤観音本堂

   

今日は令和7年2月12日。

  

昨日の登山は雪山でした。

雪山の良さは、別世界感が味わえるのがいいです。

ふだんの生活環境とは全く違う場所を、

歩いて味わう。

あらためて登山の、それも雪山登山の魅力を味わうことができた日でした。

写真をどんどん並べていきます。  

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行きは美濃加茂SAに寄りました。

寒いと思ったら、氷点下でした。

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これが今回の駐車場。高澤観音日龍峯寺(にちりゅうぶじ)の駐車場。

岐阜県関市です。

ここまで上がってくる道は細く、雪道でした。

轍の部分が解けていた道でした。

フォレスターの4駆とスタットレスタイヤが活きた道でした。

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わかりやすい地図でした。

よく整備された登山道なんだろうなと、

この看板を見て思いました。

今回歩いたコースは、後の記事で載せます。

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歩き出したのは午前8時16分でした。

  

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千本桧(ヒノキ)。

この案内板を読むと、この寺院を造るきっかけになった人物の

両面宿儺(すくな)という人が絡んだ桧でした。

ヒノキの漢字は2つ。「檜」「桧」でした。

その千本桧の向こうに見えるのが本堂。

登山が始まった直後に、もうすごい場所に来てしまいました。

  

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左手の階段を登って本堂へ。

もうワクワクする体験でした。

日本はまだまだ知らない場所があります。

お隣の県に、こんな建造物がありました。

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本堂内にある大きな絵に注目しました。

「清国海城縣大激戦之図」

明らかに日清戦争の絵。

どのような戦いだったのか。

描かれた日清戦争

このサイトで、この戦いの記述がありました。

引用します。

  

明治27年(1894年)12月13日、奉天方面に向かっていた日本軍は

天府内の海城を攻撃しこれを占領しました。しかしその後、交通の要

衝でもあるこの海城を奪還しようと清国軍もたびたび反撃を繰り返し、

両軍の間では冬の厳しい寒さの中での戦闘が続きました。

  

「海城」についてさらに引用します。

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日清戦争。

知らなかったことを知りました。







  

2025年2月11日 (火)

今日は今年4回目の登山/WEB版Microsoft365/Officeの名はもう古い?

   

今日は令和7年2月11日。

   

今日は登山に行きます。

岐阜県の愛知県寄りの近い山なので、

集合時刻がふだんよりも1時間遅いので、

こうやって記事を書く時間的余裕が生まれました。

ただいまの時刻は午前4時52分。

  

今日、一緒に登る人の中で75歳の方がいます。

同年齢の方に比べて、山を登ってしまう方なので、

健脚です。もう20年一緒に登っています。

その方の登りを見ると、私もその歳までは登山、行けるぞと

自分の目安に勝手にさせてもらっています。

  

1月の登山の時に、その方から宿題をもらいました。

最近、新しいPCを購入して、ワードとか使って、

いろいろ文書を作成しようと思っているとのこと。

75歳からその気になったのがすごい。

それに当たって、マイクロソフトのWEB版オフィスを

教えて欲しいとのこと。

WEB版?

私は使ったことがないソフトでした。

WEB版だと、家でも職場でも、そこにあるPCで

仕事ができる利点があるというのです。

なるほど。

75歳で現在も学童で働いておられます。

その点もすごい方です。

  

次の登山までにWEB版オフィスを調べてくることが宿題でした。

  

この宿題のおかげで、私は新しい情報を得ることができました。

今はオフィスとは言わないのですね。

2022年11月から、Microsoft Officeが、Microsoft 365に、

名前の変更が始まったことを知りました。

そしてその頃から、WEB版Microsoft365は、性能が良くなったようです。

2年前の動画です。


YouTube: 【Microsoft】Office365を無料で使う方法!もう有料版はいらない【超簡単】

  

私もずっと使っていなかったMicrosoftのアカウントを使って、

試しにこのWEB版Microsoft365を使ってみました。

なるほど便利です。

One Driveというクラウドにデータを入れておけば、

確かに、場所を変えて、PCを変えても、

インターネット環境であれば、

データを呼び出して仕事ができます。

  

2年前以上は、ソフトの動作に遅延があって、不評だったそうです。

それが改善され、基本的なことなら十分できるとのこと。

それはよかった。

今日は、登山後に、75歳の心身健脚の方に

WEB版Microsoft365を説明しようと思います。

  

午前5時半に家を出ます。

今日は天気予報によると登山日和。

岐阜県の山ですから、低山とはいえ、雪があるかもしれません。

楽しみです。

2025年2月10日 (月)

本「南海トラフM9地震は起きない」⑧ 熱移送説概略

  

今日は令和7年2月10日。

  

前記事の続きで、

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

   

熱移送説

私は前述したマントルトモグラフィの画像を基に熱移送説を構築しま

した。 その概略をかいつまんで説明してみましょう。

熱移送説の中で主役を務めるのは、「プレートの移動」ではなく、

「熱エネルギーの伝達」です。その大本の熱エネルギーは、地球の地

核(特に外核)からスーパープリューム(高温の熱の通り道)を通って地

球の表層に運ばれ、表層を移動する先々で火山や地震の活動を起こす

というものです。

火山の場合、熱エネルギーが伝わると熱のたまり場が高温化し、そこ

にある岩石が溶けマグマ(約1000度に溶けた地下の岩石のこと。この

高温溶融物が地表へ噴出したのが溶岩)と火山ガスが生まれます。そ

して高まったガス圧を主因として噴火が起きます。

地震の場合は、地下の岩層が熱で膨張して割れることにより発生しま

す。 溶接でくっつけた鉄を力ではがすのは大変ですが、熱すると簡単

にはがれることを皆さんはご存じだと思います。熱エネルギーの量が

多いほど、大きな破壊(地震)が発生します。

スーパープリュームは、地球の中心(外核)から、南太平洋 (ニュージー

ランドからソロモン諸島にかけての海域)と、東アフリカの2か所へ出

てきます。

これは、地球の中心から表層に向かう流れの本流です。これ以外の無

数の小さな支流は、隙間を見つけて地球の中を上へ上へと向かってい

るようです。日本の地震や火山の噴火に関係するのは、南太平洋から

太平洋の周りを流れる本流のほうです。

南太平洋から出てきた熱エネルギーは、西側に移動し、インドネシア

に到達すると3つのルートに分かれて北上します。

1番目のルートは、インドネシアを経由してフィリピンから西日本に

到達する流れで、フィリピンのP、ジャパンのJをとって「PJルート」

と呼んでいます。

PJルートは、大きな噴火や地震が頻発しているフィリピンや台湾、

沖縄から九州にかけた霧島火山帯へと続いています。2016年4月の

熊本地震を起こしたのは、この熱の流れです。

2番目のルートは、南太平洋からの道筋はPJルートと同じですが、

フィリピンで枝分かれし、マリアナ諸島→伊豆諸島→東日本という

流れです。 マリアナのMとジャパンのJをとって「MJルート」と呼

んでいます。伊豆諸島に沿って北上した熱は、南関東→東関東と、

日本海溝→東北太平洋岸に枝分かれします。伊豆諸島北部で火山が

噴火すると、1~2年後に首都圏南西部で地震が起きます。南関東→

東関東の熱の流れは、多摩川や埼玉・東京都県境などの決まったゾ

ーンを西から東へ順に「飛び跳ね」ながら地震を起こすと考えてい

ます。

3番目のルートは、インドネシアのスマトラ島→中国というルート

です。スマトラのS中国のCをとって「SCルート」と呼んでいます。

この熱の流れが、2008年5月の中国の四川大地震を起こしました。

火山の噴火と地震の発生場所はずっと同じです。約10億年前の地球

の大変動により、環太平洋地域は深く裂けて熱水が上がってきて、

岩石をすっかり変えてしまいました。その後もマグマが噴き出し続

けて火山をつくり、 地震を頻繁に発生させる場所になったのです。

それが今も続いていて、環太平洋火山・地震帯と呼ばれる、火山と

地震がペアで起きる場所になったのです。

熱エネルギーが通りやすく、たまりやすい場所でもあるので、高温

化する場所や岩盤の割れやすい所が、10億年間もほとんど変わら

なかったのです。このため熱エネルギーが移送されることによって

生じる火山の噴火地点や地震の起こる場所はいつも同じです。

熱エネルギーは1年に約100kmの速さで移動します。このため、

インドネシアやフィリピンで地震や火山の噴火が起きた場合、その

何年後に日本で地震や火山の噴火が起きるかが、ある程度予測でき

ると考えています。火山の噴火から地震発生の予兆を捉えることも

可能です。

東アフリカにも南太平洋以外のスーパープリュームの湧昇場所があ

ります。 東アフリカからの熱移送ルートは、地中海→イタリア→

トルコを経由して、ヒマラヤ山脈に行き着きます。

2つのスーパープリュームからの熱移送は、どちらもヒマラヤに辿

り着き、地下700kmあたりで合流して地面を押し上げることで、

世界最高峰の山々の形成を後押ししたと考えています。

以上が熱移送説の概略です。

(109〜113p)

  

図も転載します。

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(111p)

  

たくさん引用しました。

OCRを使うと、簡単に文章を引用できるので、

ついついたくさん引用してしまいます。

後で読むのは大変ですが、これは大事だと思うものは、

詳細まで記録しておきたいと思うので、長文になります。

熱移送説。

この考え方ならば、少しは日本の地震の予知ができる可能性が

出てくるぞと思いました。

さらに、インドが大陸にぶつかってヒマラヤ山脈ができたと

ずっと思ってきたのですが、

高熱によって地面を押し上げることができるのなら、

熱移送説も納得できます。

高熱が及ぼす地面の膨張は、予想以上に大きいようです。

2025年2月 9日 (日)

本「南海トラフM9地震は起きない」⑦ 1965年から5年間続いた松代群発地震

    

今日は令和7年2月9日。

  

1月30日の記事の続き。

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

  

しかし、地震学者の正論に待ったをかけたのは、行政担当者や防災

の専門家でした。彼らは「今さら数値を下げるのはけしからん」と

猛反発しました。

「現在のモデルでやれば2040年頃だが、他と同様のモデルにすると

地震発生は今世紀後半になってしまう。巨大地震への危機感が薄れ

てしまう」というのが表向きの理由ですが、本音は「発生確率が低

下すると南海トラフ地震関連の予算が減ってしまう」ことへの懸念

だったと思います。

南海トラフ地震による災害規模は220兆円と言われており、東日本

大震災の被害総額(約20兆円)の10倍以上だとされています。

「南海トラフ地震の危機が迫っている」と言うと予算を取りやすい

環境にありました。南海トラフ地震対策は2013年度から2023年度

までに約5兆円が使われ、さらに2025年度までに事業規模1.5兆円

の対策が講じられる国土強靱化計画の重要な旗印の1つで、地震調

査研究関係予算は年間約100億円が使われています。

これまでの前提が崩れてしまえば、「飯の食い上げ」だというわけ

です。心ある地震学者からは「科学と防災をちゃんと分けないと、

科学者はいずれ『オオカミ少年」と呼ばれてしまう。政府が間違っ

た道を進もうとしているときは、突っ込みを入れる人が必要だ」

との声が聞こえてきます。

残念ながら、南海トラフ地震対策は利権の道具にされているよう

です。

(96〜97p)

  

「利権」が絡んでくると、おかしいことが起こると最近思います。

南海トラフ地震対策と言えば、予算は出るのでしょう。

これで地震が起こらないと、かつての東海地震のように、

忘れられてしまうことになるのかな。

  

松代群発地震

私は地震の原因は、プレートや活断層ではなく、「地下の熱(マグマ

) 移送」であると考えています。

このことを如実に示す約60年前の地震をご紹介しましょう。

その地震とは、長野県埴科郡松代町(現・長野市) 付近で1965年8月

から約5年もの間続いた松代群発地震のことです。それは世界的に見

てもまれな長期間の群発地震でした。

皆神山(標高659mの溶岩ドーム)を中心に約5年間に起きた地震は合

計で7万回を上回り、このうち有感地震は約6万3000回(震度5が9回、

震度4が4回)でした。

震源が浅かったこの地震は、「ハチの巣」のように震源が集中する

「地震の巣」を持ち、これが川中島あたりから現在の中央高速道路

沿いに北東方向へ移動していきました。

武田信玄と上杉謙信の古戦場の地下約10㎞のところにある高温部が、

群発地震を伴いながら千曲川の上流側へ向かって移動していること

がはっきりとわかりました。

高温部は更埴市の地下12㎞あたりから松代町の皆神山へ上がってい

き、その後、須坂市の地下に下がっていったのです。

興味深いのは、松代群発地震が起きている間に何度も発光現象が観

察されたことです。

震源地に近い皆神山は、真夜中なのに夕暮れのようにボーと明るく

なったのです。

地元の人々の間では「皆神山からゴーという音が聞こえた」との伝

承が残っています。

この発光現象は、地面が熱くなって光ったと考えなければ起こらな

い現象です。

群発地震を引き起こしていた高温部が、皆神山の地下1㎞まで上昇

してきたことがその原因で、熱せられた鉄が光る現象と同じです。

群発地震は火山のそばで発生しやすいことから、「熱が関係してい

る」と言われていました。詳しいメカニズムはわかっていませんで

したが、現場で調査した東京大学地震研究所のスタッフを中心とす

るチームがこのことをつきとめたのです。  

(100〜102p)

   

松代群発地震。

この地震名で検索すると、「松代群発地震50年特設サイト」が

発見されました。

そこを見ると、発光現象の写真を見ることができるし、

「ゴー」という地鳴りの音も聞くことができます。

松代群発地震50年特設サイト

  

松代群発地震の記述は続きます。

  

松代地域には幸いなことに気象庁の地震観測所がありました。

これには、第二次世界大戦末期、松代町に皇居や軍の参謀本部を移

転する計画(松代大本営)があったという戦前の経緯が関係していま

す。

硬い岩盤のある松代町に地下壕が掘られ、皇室が居住する建物も完

成していましたが、終戦を迎え、これらの施設は「無用の長物」に

なっていました。

しかし、気象庁は「硬い岩盤に掘られた横穴は地震計の設置に最適」

と判断し、松代地震観測所を設置したのです。

立地条件のよさに加え、設置された地震計も当時世界最高を誇って

いました。

米国は、旧ソ連の地下核実験を探知するため、世界124か所に最新

鋭の地震計を設置しましたが、そのうちの1つが松代地震観測所に

置かれていたのです。

そこに当時の日本の地震学を代表していた学者が集いました。調査

チームの中心的存在は東京大学地震研究所の松澤武雄氏でした。

難しい熱力学の計算が得意だった松澤氏は、1962年頃に「熱機関

説」を唱え始め、1966年に英語の本を出版していました。

その計算とは、「地下の熱エネルギーがどのくらい増えれば、地下

の岩盤は何度になる」「その温度で岩盤が何%膨らむから、岩盤は

何センチ切れて裂け、地震が発生する」というものでした。

熱機関説というのは、熱せられて岩盤が膨らんで裂け、地震が起き

るプロセスをすべて計算で確かめたものです。つまり、岩盤を膨ら

ませたり、裂いたりするときに使われる熱エネルギー量が、すべて

計算で確かめられたのです。

言い換えれば、地震が発生するまでのプロセスにおけるエネルギー

収支をきちんと計算で確かめたのです。これは誰もが認める力学の

法則に則った地震論です。

このような理論がほぼまとまった頃に、松代群発地震が起きました。

松澤氏が率いる調査チームは、地震はもちろん、地形、地質、重力、

地磁気、地質ボーリングなどの分野で当時最も進んだ技術を総動員

しました。

調査チームは最初に地下の温度状態を調べました。 このために使わ

れたのが全磁力計です。

この器械は、数百度になると磁力がなくなるという、キュリー夫人

の夫であるピエール・キュリーが発見した「キュリー点」の原理を

応用したものです。磁力の強弱で地下の温度の高低がわかるのです。

地下から溶岩のもとである1000度のマグマが上がってくれば、磁

力計の値はどんどん下がります。

松代地域は東に浅間山と草津白根山、北西に新潟焼山(にいがたや

けやま、南西に焼岳と、火山にぐるりと囲まれた温泉地帯です。こ

れらの火山群が地震発生の2年前の1963年に一斉に噴火したのです。

中信越地域から群馬県西部に至る地域で地下のマグマが高温になり、

火山活動が活発になっていたと考えられます。

浅間山と焼岳をつなぐような地下の溝があり、松代地区はその中に

位置しています。しかも、キュリー点はその溝沿いで低くなってい

たので、溝は熱い状態にあったと言えます。さらに、これらの火山

は地震の1~2年前に噴火しており、溝の温度は通常よりもずっと高

かったのです。

つまり、いつ火山性群発地震が起こっても不思議ではない状況でし

た。

発生から1年半弱経った1967年1月頃から、地震は減り出しました。

磁力計の数値も上がり、地下の熱い部分が15㎞ほど下降したことで、

ようやく火山性群発地震が終わっこのことは地下の熱が群発地震と

関係があることの決定的な証拠だと思います。

(103〜106p)

  

長い引用になってしまいましたが、

このブログに残したい内容でした。

  

結論の文章。


松代地震のことを知っているのであれば、なぜ地震学者たちは改め

て熱機関説を研究しないのでしょうか、私は不思議でなりません。

人は知りたくないことに耳を貸さず情報を遮断するものです。 プレ

ートという名の「バカの壁」が邪魔をして、あえて熱機関説を無視

したのかもしれません。

松代群発地震の調査チームは「火山と地震は共通の原因(マグマ)で

起きる。 地震の原因はマグマ(熱)だ」と確信しました。

松澤氏は「マグマが実際に移動して地震が起こる」と考えていまし

たが、松代群発地震の際、溶岩などの高熱流体が動いた事実はあり

ませんでした。このことを踏まえて私は、「物体の移動を伴わず、

熱だけが移送される」と考え、「熱移送説」を唱えています。

当時、日本では最初の地震予知研究計画もスタートしていました。

松澤氏の熱機関説が浸透、発展していれば、日本の地震予知に関す

る状況はまったく変わったものになっていたのではないか。そう思

うと残念でなりません。

松澤氏の熱機関説と私の熱移送説はほぼ同様の結論に至っていたの

ですが、その直後に日本に紹介されたプレート説のせいで、その調

査結果がすっかり忘れ去られてしまったのです。

(107〜108p)

   

プレートという「バカの壁」と表現し、辛辣です。

でもこの本の作者の、特に角田史雄さんは、悔しいのでしょう。

  

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楽餓鬼

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