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2025年3月 5日 (水)

本「仏像のヒミツ」① 円空と木喰 木喰の造る「微笑仏」

    

今日は令和7年3月5日。

  

円空について調べていて、もう一人、

円空と同じように、修行僧が旅先で、

仏像を作っていた人がいました。

木喰(もくじき)。

円空と木喰について書かれた本がこれ。

Img_0765

アマゾン

「仏像のフシギ」(田中ひろみ著/小学館)

  

92pを全文引用していきます。

2つの記事になるかな。

  

本書で紹介してきた仏像は、国や天皇・貴族・武士ら身分の高い人々

が、プロの仏師に造らせたものがほとんどでした。仏師たちは儀軌

(経典に記された造仏のルール)にのっとり、予算と注文に応じて美し

仏像を生み出し、今なお多くの人々を魅了しています。

  

「儀軌」は「ぎき」と読みます。

琵琶湖文化館 儀軌観音

このサイトの文章を一部引用。

  

仏教、特に密教の場合においては、(中略)儀礼や修法の規範・規

則、または本尊や曼荼羅などの造像法を記したものを「儀軌」と

言います。

  

このようなルールがあったのですね。

それにしたがって造られた仏像と、

そうでない仏像が存在していて、

後者の仏像を造ったのが、円空と木喰なんですね。 

「仏像のヒミツ」の引用を続けます。

江戸時代、それまでとはまったく違う仏像が登場します。造ったのは

円空と木喰。仏師ではなく修行僧で、全国を渡り歩き、行く先々で修

行の一環として仏像を造りました。どちらも1本の木から彫り出す

一木造。高貴な人のためでなく、庶民のために彫ったふたりの仏像は、

儀軌のルールに縛られない自由な造形と、素朴な風合いに込められた

祈りが魅力です。

ただし、ふたりの活動時期は100年ほどずれていて、作風もずいぶん

違います。円空仏はデザインも仕上げも簡素。 整痕の残るゴツゴツし

た野性味にあふれながらも不可思議な微笑をたたえ、現代彫刻に通じ

芸術性を感じます。

木喰仏は木肌が磨かれて丸みを帯び、ユーモラスでほっとするような

微笑みから「微笑仏(みしょうぶつ)」とも呼ばれます。

どちらも庶民に親しまれ、 子供のおもちゃ代わりに使われました。

泳ぐときの浮き輪に、雪の日は橇(そり)に使われて、ボロボロにな

ったお像が伝わっています。木喰の像は削って薬のように飲まれたと

もいいます。

  

おもちゃ代わりに使われたのがびっくり。

橇にしちゃうの!

像を削って、薬のように飲まれた!

もう予想外の内容です。

  

ここでこのサイトの紹介。

木喰さんを訪ねる旅

こうやって、木喰さんを追いかけている人がいて、

さらに発信している人がおられるんだなと思いました。

藤枝市の十輪寺にある仏像の写真を転載。

Img_0773

まさに「微笑仏」です。

藤枝市。

行って行けない距離ではないです。

マークしておこう。

「仏像のヒミツ」の引用です。


円空は寛永9年(1632)、今の岐阜県にあたる美濃国に生まれました。

前半生の記録が残っておらず、いつどこで出家したのかは不明。3歳

で造仏を始め、東海地方から近畿、東北、北海道、関東など、仏像

を彫りながら諸国をめぐりました。 初めのうちは丁寧に仕上げてい

ましたが、制作を重ねるうちに簡略化が進み、ダイナミックな造形

になっていきます。円空は木に仏が宿ると考え、装飾や彩色を施さず、

木の癖を生かし、材を無駄にしないようさまざまな工夫を凝らしまし

た。作業中に出る小さな木っ端にも、目鼻を付けて小さな仏像を造っ

ています。 生涯で12万体余りを造ったともいわれ、現在も全国に

5400体以上が伝わっています。

木っ端にも、目鼻をつけて仏像にしてしまうのが、

またまたすごい。

  

続く。 

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