2020年1月30日 (木)

「老人」のウソ③ 「国の借金」ではなくて「政府の借金」 「温暖化は沈静化する」

  

今日は令和2年1月30日。

  

昨日の記事の続きで

科学者が解く『老人』のウソ」(武田邦彦著/産経新聞出版)

より引用します。

  

今からの引用文は、社会科教師としても

ほっておけないものです。

長文ですが引用します。

  

今から数年前(この本の発行は2018年4月13日)、政府

が消費税を上げようとしているとき、財務省の要請か、もしく

はNHKの忖度かわかりませんが、NHKが連続的に「国の借

金は1000兆円」「国民1人当たりの借金は800万円」「

子孫につけを回すな」という報道をしました。完全なフェイク

ニュース(意図的な誤報)だったのですが、NHKを信頼して

いる多くの国民はこのフェイクニュースを信じて、消費税を上

げるのに賛成し、さらに将来について強い不安を抱くようにな

ったのです。

第2の人生では、自由に働いて自由にお金を得ることが今のと

ころむつかしいので、その不安から抜け出せず、貯金も使えな

いという人がおられます。さらに大気が汚れたり、ひどく温暖

化したりするといった環境に対する不安もあります。

いずれもフェイクニュースなのですが、第2の人生を支配する

心配ごとでもありますので、ここでそれは全くのウソであるこ

とを整理しておきたいと思います。

まず「国の借金」ですが、これは単に用語の間違い(故意の間

違いだと思われる)で、正しくは「政府が国民から借りた借金」

と言うべきものです。貸したのは国民なのです。NHKが「国

の借金」と表現したのは、日本政府が国民に借用証(国債証書)

を出して、国民から借りたお金のことです。だから「政府の借

金」という言い方なら正しいのですが、国というと政府も国民

も会社も国の一部なのですから「国の借金」ではないのです。

まして「国民1人当たり800万円の借金」というのは真逆の

表現で、正しくは「国民1人当たり800万円の財産」なので

す。

でもNHKが間違った表現を繰り返し使ったために、国民は自

分たちが借金を抱えているかのごとくの錯覚に陥り、「子供た

ちに借金を残したら大変だ」と消費税の増税に応じたというこ

とですから、NHKの罪もかなりのものです。

世界でもギリシャなどのように政府が借金をして財政的な危機

に陥った国がありますが、それは政府が「外国人から借りた」

というケースです。日本では日本政府発行の長期国債を買って

いる外国人は6%にしかすぎず、日本が保有する対外純資産

350兆円と比較すると60兆円ほどにしかなりませんので、

問題はありません。

それでも政府が借りているお金を返せなくなった時にはどうす

るかは残された問題ですが、普通に考えますと、景気が回復し

た時に返すか、日銀券を発行して償還することになるでしょう。

(206~207p)

  

「対外純資産」とは?

三井住友DSアセットマネジメント わかりやすい用語集

ここから引用します。

 

日本の政府や企業、個人が外国に保有する資産から

負債を差し引いたもの。

資産は政府の外貨準備高、銀行の対外融資、企業の対外投資

といった額を合計。

負債としては海外勢の対日投資などがあります。

 

 

なるほど、「政府の借金」という言い方はスッキリします。

教えるときにも参考にすると思います。

  

温暖化については次のように著者は書いています。

  

現在の温暖化もそのうちに沈静化するでしょう。私は物理学者

ですが、私の知識および温暖化するといっておられる学者の方

の計算をチェックしても、そんなことにはならないと思います。

実績としては、1988年にアメリカの航空宇宙局(NASA)

のジェームズ・ハンセン博士が計算し、米上院の公聴会で証言

した「温暖化の予想」は、現実とまったくあっていないことが、

すでに30年を経てわかっています。

そこで、最近の彼の報告書では「すぐウソがばれるとまずい」

ということなのか、30年後の予測から100年後の予測に変

えて、計算結果が間違っていても分からないようにしています

が、そんな細工をせざるを得ない状態になっています。

(208p)  

 

ハンセン博士は少し前に記事にしました。

ここでも道草 ジェームズ・ハンセン氏を知る(2020年1月13日投稿)

  

「現実とまったくあっていない」というのは疑問です。

ハンセン氏の言う「降雨がより強くなる」という予測は

当たっているように思えます。

昨年の台風15号、19号は温暖化の影響と思えます。

しかし、著者の持っている情報はおそらくかなり多く、

その上で語っていることであると思います。

「温暖化」についてはまだまだ勉強が必要です。

     

つづく

  

  

2020年1月29日 (水)

「老人」のウソ② 「高齢になると、ガンと共存して生きていける」「『高齢者』の健康情報が少ない」

  

今日は令和2年1月29日。

  

前記事に引き続き、

科学者が解く『老人』のウソ」(武田邦彦著/産経新聞出版)

より引用します。

  

  

一般的には、皆さん「血圧は130mmHgくらいがいいらし

い。高いのはよくないが、低いのは別に問題がない」と思って

いる人が多いように思います。

でも、これは大きな錯覚です。一般的には50歳まではもとも

と血圧が低いから問題はありませんが、50歳以上、特に60

歳からの第2の人生(50~100歳)の壮年期を迎えたら、

血圧130mmHgという基準は全然ダメなのです。

つまり「年齢に応じた適当な血圧」が必要となります。「年齢

に応じた適当な血圧」とはどういうことか。50歳以上では、

血管壁が硬くなってくるので、もし50歳までの時と同じ血圧

のままの場合は、血流が減ってきて全身に血が回らなくなりま

す。

(108p)  

  

武田教授によると、第2の人生での血圧の目安は

「年齢+90」だそうです。

はたして自分の血圧はどれくらいなんだろう?

自分の最近の血圧を知らない。

薬局で血圧が測れるようなんで、一度測ってみよう。

  

  

ガンの専門医に聞いたところによれば、90歳ぐらいでこの世

を去る人は、体の中に、ガンが5つぐらいあるそうです。言い

方を換えれば、高齢になると、ガンと共存して生きていけると

いうことです。

(145p)

  

ガンは、丈夫な体が病原菌に襲われて発症する病気ではありま

せん。自分の体の細胞の遺伝子が異常を起こしたまま増殖して、

”自殺”する病気です。ガン細胞は、自分自身の細胞です。つま

り、自分の体の中に「死にたい」というものが発生する。「死

んでしまいたい」という気持ちと連動して、体が作るのがガン

なのです。

ところが、第1の人生と第2の人生では、生きる意義が違いま

す。第2の人生の意義を知れば、生きるのに必死になることも

なく、同時に「死にたい」「死んでしまいたい」というような

厳しい気持ちも起こりにくいので、ガンもそれほど増えません。

さらに、ガンを受け流すことができるので、ガンは恐くないの

です。自分の体の中にあるガン細胞に、「もう少しだから、し

ばらく、おとなしくしていてね」という感じで、対応すればい

いわけです。

(149p)

  

「ガン」は心配ごとです。

こういうふうに考えることもできるんだと思って読みました。

  

  

血圧は高いほうが栄養も酸素も、病原菌を殺す白血球やガンを

殺す免疫細胞も、体のすみずみまで送ることができます。その

一方で、血圧が高ければ別のリスクがあって、血管が破れるこ

ともある。だからといって、血管が破れないように血圧を下げ

ると、今度は、体の中に行き渡らせる必要がある酸素と栄養が

不足する。酸素が不足するとガンが増える、と警告しているガ

ン専門のお医者さんは多いのです。

(159p)

  

じゃあどうすればいいのか。

武田教授は「『高齢者』の健康情報が少ない」と書いています。

今のような長寿社会になったのは最近のことなので、

まだ情報不足なのです。

したがって何がいいのかの正解がありません。

今から判明してくる情報を調べて、

自分なりの健康法を編み出していく必要があるそうです。

  

  

つづく

「老人」のウソ① 「骨が必要だよ」「俺は脳を使うぞ」「心が硬くなることにも気をつける」

今日は令和2年1月29日。

  

この本を読み終えました。

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科学者が解く『老人』のウソ」(武田邦彦著/産経新聞出版)

  

さっそく引用します。

  

人間は大脳に支配される動物ですから、毎日のように、自分を

老人、高齢者、物忘れで年を取った・・・などと考えたり言っ

たりしていると、大脳から体の各部分にその指令がいって、本

当に老化していきます。

(8~9p)

  

  

50歳以上の女性は「生物として生きている意味」はないけれ

ども、「お世話」をすることで生きる意味ができると言いまし

た。

では男性はどうなのでしょうか。残念ながら男性の50歳以上

は、生きる意味が今のところ見つかっていません。次章で生物

の「寿命」について整理しますが、男性も女性の「お世話」と

同じで、第2の人生では「自分」ではなく、「仲間、社会」な

どに貢献することがその中心になるべきなのでしょう。

(44~45p)

  

  

「骨がまだ必要だ」と自分に言い聞かせる

(中略)

骨に含まれているカルシウムはだいたい大人で1日200ミリ

グラム(日本人の場合は130~150ミリグラム、女性110

~120ミリグラム)が溶けて、尿から排出されています。

だからその分だけ食べ物を食べてカルシウムを摂取する。小魚

の小骨や小松菜などから摂取する必要があります。そうしてカ

ルシウムを補充していかなければなりません。

そして必ず1日に3時間以上は立って、「骨が必要だよ」とい

うことを自分の体に訴えなければならないのです。

(84~85p)

  

  

驚くことと笑うこと、この2つが重要だということです。です

からどんなに高度なことをしていても、毎年毎年、同じことを

している人は認知症には要注意です。

(93p)

  

 

このように認知症はその種類や病理的な理解がむつかしい、や

っかいな病気ですが、認知症を予防する方法は簡単です。方法

には2つあります。

1つは、脂肪分をよく摂ることです。もう1つは、先にも述べ

たように常識外れの知識を仕入れたりして「俺は脳を使うぞ」

とシグナルを送ることです。

(94p)

   

  

第2の人生では、心が硬くなることにも気をつける必要があり

ます。電車に乗っていると、よく老人が若い人たちに腹を立て

たり、小言を言ったりしているのを見かけますが、これは、第

2の人生(50~100歳)の生き方としてはダメでしょう。

今の自分が、第1の人生(0~50歳)の延長上にあると思う

から、「今の若い奴らは」「俺が若い頃はそうじゃなかった」

「たるんどる」などと思い違える。すでに自分は違う人生を生

きているのに、別の第1の人生を生きている人を否定してしま

うわけです。

血管が硬くなるのなら血圧が上がるだけで大したことはないの

ですが、心が硬くなって頑固になると、周りに疎まれるように

なってしまいます。そうd¥なれば、せっかくの第2の人生が、

社会的に意味のないものんあり、孤立化を深めてしまう。する

と、ますます心が硬くなるという悪循環に陥ります。

ですから自分は若い人と異なる人生を生きているのだというこ

とを認識しなければなりません。そうすると第1の人生を送っ

ている人たちに対して、腹が立ちません。次元が違うところに

いる人達なのですから、腹を立てても仕方がないということが

わかります。

(104p)

  

   

ふ~、今回はここまで。

休職していて週1回登山しているけど、

それ以外の日は3時間以上立っていないなあ。反省。

  

つづく。

2020年1月28日 (火)

令和2年大相撲初場所が面白かった

今日は令和2年1月28日。

  

大相撲初場所がなかなか面白かったです。

忘れたくない場所だったので、記事を並べます。

 

1月25日朝日新聞朝刊です。

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1月26日朝日新聞朝刊より。

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1月27日朝日新聞朝刊より。

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Epson226  

今なら読めますよ。

  

徳勝龍 とくしょうりゅう

正代  しょうだい

炎鵬  えんほう

阿炎  あび

貴景勝 たかけいしょう

豪栄道 ごうえいどう

阿武咲 おうのしょう

御獄海 みたけうみ

   

 

 

今なら、どの対戦も頭の中で浮かびます。

   

炎鵬 × 阿炎   

徳勝龍 × 正代

徳勝龍 × 貴景勝

   

 

来年の今頃、まだ覚えているかな。

「脳科学者の母が、認知症になる」⑨ 豊かな感情が大脳皮質を刺激する

  

今日は令和2年1月28日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

アルツハイマー病が進行しても本能と感情が残ります。

 

実は、本能にこそ、感情にこそ、個性がある。

何を好きと思うか、何を嫌いと思うか、何にどう反応するかは、

生まれた瞬間から個人によって違う。

何が大事で、何が大事でないか、生まれながら持っているのが

個性で、その個性がまた、それぞれの人生の経験によって、さ

らに違うものに育っていく。

(190p)

   

人生で培ってきた感情が、「その人らしさ」となっているのです。

従って、アルツハイマー病が進行しても、

患者に「その人らしさ」は残るのです。

そんな見方を、父親にすることができるのはホッとします。

私は現在、父親の「父親らしさ」を良いものと感じています。

まだ言葉で表現できませんが、笑顔で味わえるものです。

  

  

  

著者はさらに「感情の豊かさ」について述べています。

これも書き留めたいです。 

  

感情の豊かさが我々の人生の役に立っているという証拠はある。

たとえば、たくさんの種類の感情を感じられる人ほど、挫折か

らの立ち直りが早い、と言われている。

パートナーがエイズを発症し、もう看取るしかない、という状

況に置かれた人々の感情の研究がある。このような絶望的状況

に置かれた人々は、本当に、ただ絶望しているしかないのか、

どうやってこの状況を乗り越えていくのか、ということを調べ

た研究がある。

これによると、パートナーの死まで看病した人々の99%以上

は、そんな絶望的な状況にあっても、明るい感情を持つことが

できていた。

たとえば、「こうなってしまったことには何らかの意味がある

に違いない」と状況を分析することによって、良い面を見つけ

出して、「肯定的な感情」を得た人がいた。また、「ベッドの

シーツを替えたら、とても気持ち良さそうにしてくれて嬉しか

った」と、病気の進行は止められなくても、自分のできること

を見つけて、「喜び」を見出した人もいた。また、「病院の帰

りに、ドアを開けたら夕日がとても綺麗だった」「友人が気分

転換に連れ出してくれた」と暗い気持ちで沈んでいるときに予

想外に飛び込んできた一瞬の太陽光、他者の助けに、「感動」

した人もいた。

辛い状況だからといって、辛い感情だけが生じるわけではない。

っして一番大事なことに、この絶望的状況に対して、より多様

な感情を持つことができた人ほど、パートナーが亡くなった後、

その絶望から早く立ち直ることができていた。

絶望的な状況の中で感じた小さな明るい感情が、自分を支える

力にまで育つのである。一つの出来事に、どれくらい多くの感

情を感じることができるか、それはこの世の中を生き抜く一つ

の知性である。

(197p)

  

「感情の豊かさ」が役に立った例でしたが、

著者は「豊かな感情が大脳皮質を刺激する」という章で

次のように書いています。

   

新しいことに出会うと、最も感情が動く。その場での対処を迫

られる。また、その自分の反応で事態はどうなったか、それに

対する反省も迫られる。つまり、新しいこととの出会いは、そ

の場で感情を使うだけでなく、「もっと何をすれば良かった?」

と大脳皮質に詳細な分析、反省を促すことにもなる。

また、今まで経験したことがないことに出会うことは、その場

ではすぐに言語化できないようなたくさんの感情を感じること

である。その場では「なんだこれは」と圧倒されるばかりだが、

それゆえに「なんだったのだろう」と長くその経験をを反芻し

て、なんとか理解しようとする。新しい物事との出会いで、大

脳皮質は、自分の経験したことに説明を与えようと必死になる

のである。

感情の刺激が、結局、感情のシステムと、大脳皮質の両方を発

達させることになるのだ。

(202p)  

 

これはアルツハイマー病の人でも同じだと著者は書いています。

 

今まで見たことのないものを見て、味わったことのない感情を

感じれば、まだ残っている大脳皮質が必死になってそれを分析

しようとする。そういうことで(病気の)進行が遅れるという

ことは、まだ検証されていないが、十分にあり得ることではな

いかと私は思う。

(203p)


賛成です。

天気のいい日に、車いすを押してあげて近所を散歩する。

いつかやろうと思ってやっていないことを、

やってみようと思わせてくれました。

  

  

う~ん、引用はここまでにしよう。

たくさん書き留めました。

私が現在、認知症の父親を介護している状況であったことで、

引っかかる文章がたくさんあった本でした。

父親をどう見て、どう接していけばいいか参考になりました。

また私も認知症になって本能と感情のみになった時に、

恥ずかしくないような生き方をしたいとも思いました。

キーワードは、「豊かな感情」です。

そして私にとって最強のアイテムが、このブログです。

感情が動いて大脳皮質が刺激された結果、書いています。

書きつづけたいですね。

「脳科学者の母が、認知症になる」⑧ 根本的な感情の作る「その人らしさ」

  

今日は令和2年1月28日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

私は、認知機能の作る「その人らしさ」と、もっと根本的な感

情の作る「その人らしさ」と、二つのその人らしさがあるので

はないだろうか、と考えた。

(159p)

  

脳科学者らしい視点だと思いました。

なるほどです。

   

  

さらに話は深まっていきます。

  

物事を論理的に理解する能力や理性をなくして、感情や本能だ

けになるなんて、動物と一緒なのではないか?認知症の人たち

が、いくら最後まで残っている力を使って精一杯問題に対処し

ようとするからと言って、感情や本能だけになっては、人間ら

しさがあるなんて言えないのではないか?と考える人もいるか

もしれない。

一体、身体や感情の何が希望であるのか、ここから考えてみよ

う。

(169p)

  

ここから「感情」についての論が始まりますが、一部のみ引用。

  

我々は、恐怖を適切に感じるからこそ、痛い目に遭う機会を減

らすことができる。不安や、それ以外のうまく言語化できない

ような微妙な感情が動くからこそ、自分にストップがかけられ、

理性的な振る舞いができる。

「感情的になるな」「絶対に良いこと、絶対に悪いことは何か、

理性で分析してこそ、適切な行動ができるのだ」などと言われ

た時代は長く、私自身、そう思い込んできたのだが、ここ数十

年の脳科学研究により、これらは必ずしも正しくないことが明

らかになった。脳科学の今の常識はむしろ、「感情がないと理

性的には行動できない」となっている。

本当は、理性だけでは、何が良いのか悪いのか、どうしても決

着がつかないことが人生の中ではたくさんあって、だからこそ、

私たちは感情を頼りに行動する必要がある。

(179p)

 

理性ではどうしたらいいのか決定できない状況というのは、我

々の人生にもたくさんある。たとえば、どちらの学校に行くべ

きなのか、誰を恋人に選ぶべきなのか。実際に選んで先に進ん

でみなければ、本当にそれで良かったのか決定できない問題ば

かりである。あれこれとそれなりに条件を比較することはでき

るけれども、結局は「感情」に頼って選び取るしかない。

感情は、理性だけではとても対応できないような、不確実な状

況で、なんとか人間を動かしてくれるシステム、意思決定をさ

せてくれるシステムなのである。

(181~182p)

  

どんなに物事の理解力が衰えても、彼らの感情的判断は、尊重

するべきなのかもしれない。

アルツハイマー病であっても、感情的反応は健康的な人と同じ

であり、それはやはり、生物として進化してくる上で膨大な時

間をかけて獲得してきた、生存に役に立つ「正しい」判断なの

であり、なかなか失われないものなのだ。

(189p)

  

感情による判断(反応)は、意外にも正しいようです。

  

つづく

「脳科学者の母が、認知症になる」⑦ 幸せに暮らすために、脳は努力をする 最期まで

  

今日は令和2年1月28日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

  

アルツハイマー病で起こる認知的問題で、本人や家族が恐れて

いることの一つは、「友人や家族の顔を見ても、それが人だと

わからない」という現象だろう。

アルツハイマー病が進行すると、名前が思い出せない。そして、

その段階も超えて、顔を見ても誰だかわからないし、親しみさ

え湧かない、という状態になることはある。

起こるとするならば、それはどのようにして起こるか?

それは、脳の萎縮が海馬に留まらず、大脳皮質にまで大きく及

んだときであると考えられる。繰り返し述べてきたように、大

脳皮質は、記憶の貯蔵庫と考えられている。

(138p)

    

そうなんだ。

覚悟をしておかなくてはいけないと思います。

  

  

本当にアルツハイマー病になったらどんな気持ちになるのかが

明らかにされていないからこそ、事前のイメージにより、「そ

んな状態になったら生きていても仕方がない」「それだったら

殺してくれ」と安楽死を希望してしまう人たちが出てきたので

ある。

そのような人の一人にマルゴという名前で知られている人がい

る。しかし、マルゴは実際に病気が進行していくと、自分がか

つてそのような意思表示をしたことを忘れて、毎日施設で提供

されるピーナッツバターサンドイッチを幸せそうに食べていた

という。彼女は、記憶力、理解力を失っても、幸せに暮らして

いた。

このように、他人が想像するアルツハイマー病、また、まだ病

気になる前に想像するアルツハイマー病と、今現在アルツハイ

マー病である人の実感は違う可能性がある。少なくとも、アル

ツハイマー病の人には、幸せを感じる能力が残っている。

(142p)

  

ここにも大きな問いがあります。

アルツハイマー病になってしまったら、

記憶がなくなり、自律性が失われ、周囲に迷惑をかけてしまう。

自分が自分でなくなってしまう。

それでは辛すぎないか?いっそ死んだ方がいいのではないか。

アルツハイマー病が進行したら幸せを感じられないのか。

  

著者は、幸せが感じられると言っています。

  

特に、海馬以外の脳部位が比較的正常に働いているアルツハイ

マー病「初期」の人々は、感情的な危機に立たされていると言

える。自分の症状にまだ慣れておらず、たくさん戸惑うことが

ある中で、人の反応は正確に読み取ってしまうからだ。記憶以

外は正常だからこそ、いたたまれない。耐えられない。この時

期に自殺願望を持つことが多く、オランダでは安楽死の意思を

示す人たちが多く出るのだという。

しかし、重要なのは、その時に想像する悲観的未来と、実際の

未来は違って、「人は適応する」ということだ。人間は、自分

の状態を必死で理解しようとし、間違いを受け流す方法、でき

ることをやろうとする方法など、なんとか対処方法を見出して

いく。同様に、家族も、その人の状態に慣れ、その人を守る方

法、自分が動揺しない方法など、対処方法がわかっていく。だ

から、事態は改善されていく。まだまだ、幸せは残っているの

である。

(148p)

 

萎縮が海馬だけに留まらず、大脳皮質のさまざまな領域に広が

ってなお、残っている脳部位を使って、人間は、自分の置かれ

ている状態に最後まで適応しようとする。家族のこと、友達の

ことを忘れてしまってもなおだ。死ぬまで残るこの適応の能力

を、また実際にどうやって最後まで生きたかというその全てを、

「自分」あるいは「その人らしさ」と言ってはいけないか?

他人から見れば、その状態は惨めかもしれない。

現在の自分も、未来のさまざまな認知能力を失った自分を想像

して、やはり惨めだと思うかもしれない。

しかし、どれほど脳が委縮しても、何がわからなくなっても、

幸せに暮らすために、脳は努力をするもので、その過程は十分、

尊重されるべき「その人」なのではないだろうか?

(149~150p)

   

 

「残っている脳部位を使って、人間は、自分の置かれ

ている状態に最後まで適応しようとする」

「幸せに暮らすために、脳は努力をする」

 

特に印象に残った言葉です。

このことを信じて、

私は父親を介護していきたいと思いました。

そして自分の脳も信頼しようと思いました。

「脳科学者の母が、認知症になる」⑥ 介護という状況自体が権力関係を作り出す

  

今日は令和2年1月28日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

役割については、ミルグラム実験と呼ばれるもので、強制され

たり、あまりにもこだわったりすると、非道な結果を引き起こ

すことがあると示されている。その現実的な例として、第二次

世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の所長を務めた、アド

ルフ・アイヒマンがいる。彼は、権力者からその役割を任され、

数百万のユダヤ人を殺害してなお、着実に任務を果たしたこと

を誇った。彼がもともと極悪な人物であったのかといえば、そ

うではなく、ごく普通の、凡庸な人物だった、と哲学者ハンナ・

アーレントが分析している。普通の人物でも、自分に与えられ

た「役割」を背負いすぎて、本当に非道なところまで行ってし

まうことがあるのである。

(136p)

  

  

これが認知症の介護とどのように関係するかというのが、

下の文章です。

  

「できる人」「できない人」、「面倒を見る人」「見られる人」

という意味で、介護という状況自体が権力関係を作り出す可能性

がある。「介護者」「被介護者」という役割を担ううち、介護者

には「やってあげている」という意識が、被介護者には「やって

もらっている」という意識が、いつのまにか作り上げられて、「

私がやってあげているのだから逆らうな」「私が悪いのだから逆

らってはいけない」となってしまうことがあるかもしれない。

これは、病気になってしまった人の主体性の感覚、自由を奪うこ

とである。そして、介護者の自由も奪うことである。「なんで私

がやってあげなければならないの?私には私の生活があるべきな

のに、あなたのせいで奪われている」という気持ちになるからで

ある。

だから、互いを守るために、きっと何もかも大まじめに「私がや

ってあげなくては」と引き受けようとしない方がいいのである。

互いに一生懸命になってしまうことによる害というものもあるの

だ。負担にならないあ範囲で自分にできることをすればいい。そ

れを強調しておきたい。

(136~137p) 

  

陥りやすいことだと思います。

私自身もその危険もあるけど、他の人たちにも声かけをしていきたい。

「脳科学者の母が、認知症になる」⑤ 脳は徹底的に効率化を図るもの

  

今日は令和2年1月28日。

  

昨日の記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

  

脳の中では、他人と自分を同一視するのが基本ではあるのだが、

人間は発達するに従って、本当に他人のことを理解するために、

徐々に他人と自分との切り離していかなければならない。

この切り離しは、家族など、親しい間柄であればあるほど、難

しいのだと思われる。

脳の中には、たとえば、人が痛みを与えられているのを見ただ

けで、自分が実際に痛みを受けているように活動する部位があ

る。自分の体には直接痛みは受けていなくても、他人が痛がっ

ていると、本当に「痛い!」という反応が自分の中に起こる。

これがいわゆる「共感」の脳活動だ。

この「共感」の脳活動の度合いは、痛みを受けているのが誰か

ということで変わる場合があることが知られている。自分にず

っと優しかった人が、痛みを与えられているところを見れば、

自分に冷たかった人が痛みを与えられているのを見るよりも、

私たちの脳は、ずっと強く共感して「痛たたた!」という活動

をする。

同じように、自分のパートナーや、自分の子どもに何かが起こ

ったときは、赤の他人に対するよりもずっと強い共感を持つこ

とは、想像に難くないだろう。夫婦や親子は脳の中でがっちり

と一体になっていると考えられ、それゆえに、切り離しが必要

になったときには、難しいことがあると思われる。

アルツハイマー病になった後、もともとの関係性が親しければ

親しいほど、その人と自分との切り離しがうかくいかず、「こ

の人には伝わるはずだ」「自分が思っている通りに受け取って

くれるはずだ」と仮定し続けてしまう。

私は、母が自分の意図や感情を汲んでくれることはどうしても

当然だと思ってしまう。だからこそ伝わらなかったときのショ

ックが強いのである。

(129~130p)

   

この話を読んで思い当たることがあります。

一緒に住んでいる大学生の息子のこと。

結構無茶なことをします。

夜遅く出発して長野県まで自動車で出かけたりします。

気が気じゃなくて、お守りを渡したりして事故らないことを祈り、

無事に帰ってきたらホッとします。

もし、これがどこか遠くの大学に入学して、

そちらに住んでいれば、ここまで心配しないように思えます。

一緒に住んでいるが故に心配になっていると思うのです。

「共感」の度合いが強くなっていると思います。

父親とも長年同居しているので、

父親の変化は当初はショックであり、

早急にどうにかしなければと動いた覚えがあります。

一緒に住んで、顔を突き合わせている家族というのは、

自然と「共感」は強くなり、うれしいこともつらいことも

一緒に感じられるのでしょう。

  

  

そもそも脳は、徹底的に効率化を図るものである。

それはこんな実験から説明することができる。

美術館に行って、彫像を見て帰ってくる。このとき、ただ見て

帰ってきた人と、みた上で最後に写真を撮って帰ってきた人と、

どちらの方が後々までその彫像のことを細部にわたって覚えて

いるか、ということを調べた実験がある。

結果は、前者の、ただ見て写真を撮らずに帰った人の方が、彫

像のことを後々まで詳細に記憶していた。写真を撮ると、写真

に残っているから、わざわざ自分の中に残しておく必要はない、

と脳は記憶を手放してしまうのだ。

人の話を録音したり、メモしたり、ということも、写真を撮る

のと同様で、録音機やノートという、脳が記憶の外部装置とし

て使える物があることになるので、脳は記憶を手放してしまう。

(133p)

  

これは実感としてそう思います。

私はこうやって書き留めていますが、その分、

脳はきっとこれは覚えなくていいなと思っている可能性があります。

そうならないためにも、読み直しが必要なのです。

読み直すことで、脳が「これは必要な情報」と

認識してくれるでしょう。

  

  

う~ん、脳の話はやっぱり面白いなあ。

  

まだつづく。

  

2020年1月27日 (月)

「脳科学者の母が、認知症になる」④ 脳は記憶を編集し続ける

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

「今これをやっているのは私だ」「これは私がやったのだ」と

いう感覚は、脳科学では、「主体性の感覚」と呼ぶ。これは、

人間の幸福に重大な影響をもたらすことが知られている。

主体性の感覚を奪われた人は、たとえば鬱病になりやすい。人

間は何にでも自分の作用を見たがるところがあり、自分が絶対

にコントロールできないランダムな事象、たとえば、宝くじの

ようなものにすら、「自分でよく考えて番号を選べば当てられ

る」と思い込んでいる。たとえ錯覚であっても、物事が自分の

おかげで良くなった、自分の影響を与えられた、と感じること

で、自分の意味を確認する。「自分で物事が決められている」

という実感は大切なのである。それが全く得られないと、自分

は無力だと落ち込んでいってしまうことになる。

(89p)

  

アルツハイマー型認知症の患者の主体性は奪われやすいのです。

父親は、ショートスティやデイサービスに行くことを、

「仕事」と認識しています。

家族のために働きに行っていると思っているのです。

「もう俺は身体が辛いから、そろそろお前が行けよ」

と父親から声をかけられることもあります。

父親なりに、出かけることに主体性を持たせているのだと

思いました。

  

 

全ての人の中に、忘れがたい大事な記憶があるだろう。そうい

う「絶対に忘れない」という自信がある、いつでも鮮明に蘇る

記憶でも、実は新しい経験と共に、また再び思い出すと共に、

変化を受けていると言われている。(中略)

全部覚えている方が良い、記憶は正確である方が良い、と思う

人もいるかもしれない。しかし、脳のサイズが有限だからこそ、

膨大な量の情報の中から少しでも有用なことを抽出しようと、

脳は記憶を編集し続けるのだ。

記憶内容が変わることは、脳が私たちがうまく暮らすために工

夫した結果なのである。

(99~100p)  

  

過去の記憶は都合よく変わっているもんなあ。

自分のために編集されているのだと思いました。

  

  

  

アルツハイマー型認知症で、大きな問題になっているのは、そ

の人の役割を家族は肩代わりすることが増えて、自立した者同

士の関係でなく、依存関係にどうしてもなってしまうというこ

とだ。つまり、アルツハイマー病を患った本人(自己)と家族

(他者)との区別があいまいになってしまうのである。

(中略)

その人の仕事を家族が引き受けすぎて、互いの線引きができな

くなることは、互いにとって、精神的にも、体力的にも苦しこ

とは事実だ。

本人にとって、自分で自分の生活を営めなくなることは、非常

に自尊心を傷つけられる。また、家族にとっても、自分の時間

がとれなくなっていくこと、相手に合わせた生活になっていく

ことは、病気の本人と同じくらい、「自分で自分の人生を導い

ている」という感覚を感じにくくなる。

(中略)

アルツハイマー病では、家族以外のたくさんの人にかかわって

もらって、本人も含め家族一人ひとりが、自分自身の時間を作

ることは、とても大事だ。

(中略)

本人は「家族に自分のことを管理されている」という気持ちか

ら解放されるだろうし、家族の方も自分の人生をちゃんと進め

ている気持ちになれる。

(114~116p)

  

  

老々介護のように、2人だけで介護する・介護される状況は、

危険なんです。

  

  

まだつづく

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