2020年1月27日 (月)

「脳科学者の母が、認知症になる」③ 現在の認識が弱まるために昔との区別ができない

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

 

頭は集中して使えば使うほど活性化すると思われているかもし

れないが、実はそうではない。集中すればするほど活動する領

域はもちろんあるが、休めば休むほど活動する領域もあるので

ある。では、休んでいるときに一体脳が何をしているかという

と、主に記憶の整理だ。(中略)

眠っている間、休んでいる間だからこそ、経験の整理整頓がで

きるのである。集中することも大事だが、休憩も、脳は同じく

らい必要としている。

(55p)

  

これは知っているぞ。今まで勉強してきたことの復習。

  

  

アルツハイマー型認知症で委縮するのは「海馬」である。すな

わち、長期記憶の中では、宣言的記憶(言葉で語れる記憶)へ

の影響は深刻だ。しかし同じ長期記憶でも、大脳基底核や小脳

が司る、言葉でなく体で覚えた非宣言的記憶には影響がないは

ずで、覚えているはずだし、思い出せるはずなのである。

(78p)

   

身体で覚えたことは忘れない。

私だったら何がそれにあたるのだろう。

自転車に乗ること。

道草をすること(ブログを書くこと)。(これは無理か?)

  

  

昔のことが現在のことと混ざり合って区別が付かない、という

問題はどうだろう。

これは、海馬の委縮のために、母の中では、「今ここ」のこと

を覚えられず、「現在」についての認識が弱まっていて、だか

ら相対的に、「昔」の記憶が強烈になっているせいだ、と考え

ることができる。母にとっては、今よりは、昔の方が鮮やかで、

頼れるのである。

(85p)

    

父親と話していて、いきなり父親の父親の話が出ることがあります。

私にとって祖父であり、私は全く覚えがない祖父です。

私がものごころつく前に亡くなっています。

「おれの親父はどうなってる?」と聞いてきます。

「もうだいぶ前に死んじゃったよ」

「そうか、死んだか」

きっとその時には、父親は祖父の顔を思い浮かべているんだろうなと

思います。

  

  

健康な人の場合は、現在の物事も鮮やかに知覚され、認識され

ており、現在と昔との区別がされるのだが、アルツハイマー病

で海馬に問題が起こっている母には、現在の認識が弱まるため

に、昔との区別がうまくつかないことがあるのだと思われる。

むかし、私と兄が子供だった頃の母の記憶や、そのさらに昔の、

母自身が子供だった頃の記憶が現在にそのまま侵入してくる。

(88p)

 

なるほどです。

非常にわかりやすいし、父親にあてはまります。 

12年前に亡くなった私の母親の話はほぼ毎日でます。

「お母さんはまだ帰ってこないのか」

「お母さんは調子が悪くて寝ているのか」

などと聞いてきます。

「お母さん」というのが、父親の奥さん。私の母親です。

  

  

つづく 

  

「脳科学者の母が、認知症になる」② 85歳以上では2人に1人はアルツハイマー病

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

   

アルツハイマー型認知症とは、ドイツの精神科医、神経病理学

者のアロイス・アルツハイマーにちなんで付けられた名前であ

る。1907年に彼によって初めての症例「アウグステ・Dと

いう名前の女性)が発表された。つまり、アルツハイマー病は

発見されてからまだ100年少々しか経っていない病気なので

ある。

(35p)

  

Epson224 (37p)

   

アルツハイマー病の一番のリスク・ファイターは年齢である。

年齢が上がれば上がるほど、誰でもなる可能性がある。85歳

以上では2人に1人がアルツハイマー病になると言われる。年

齢が上がると、異常なタンパク質の蓄積が増え、発症しやすく

なると考えられる。

(39p)

 

アルツハイマー病の基礎勉強。

  

  

海馬は、大脳皮質に蓄えられている記憶を呼び起こそうとする

時にも使われる(このプロセスを「リトリーブ」と呼ぶ)。海

馬が損傷しても、記憶は大脳皮質という別の場所に保存されて

いるのだから、記憶自体がきえてしまうことはないのかもしれ

いが、その記憶にうまくアクセスすることができなくなる。

れゆえに昔の記憶が「思い出せない」という現象も起こるこ

があるのだ。

(42~43p)

  

  

回想療法も、思い出を語り合い、他人とコミュニケーションを

取ることで、アルツハイマー病に伴う「孤独感」を減らすこと

ができる。また、大事な記憶を思い出すことによって、昔との

つながりがかんじられて「安心感」を味わったり、その記憶の

中で感じていた様々な感情が蘇ってきたりする。記憶力の改善

は期待できないが、残っている古い記憶を使って、ポジティブ

な感情を活性化できる可能性があるのが回想療法である。

(48p)

   

う~ん、イメージが浮かぶ。誰かと共通の思い出を語り合うことは、

心地いいものだと思います。

  

  

現段階で言えるのは、(中略)脳の前頭葉が損傷してしまえば、

人格が変わる可能性はある。しかし、そのようなことは、もし

も起こるとしても、アルツハイマー病では、大分進行してから

である。だから、少なくとも初期のアルツハイマー病患者、そ

して周囲の人たちが戸惑っているのは、本当にその人の人格が

変わってしまったからではなくて、まずは海馬の問題により、

ただ「できない」ことが増えるから、今までの「その人」では

ないように「感じられる」ということなのだ。

(49p)

  

その通りだと思います。

こうやって分析してくれると、客観的に見ることができて

ありがたいです。

  

  

つづく

  

「脳科学者の母が、認知症になる」① 人間にはコントロールできないことがあるのだ

  

今日は令和2年1月27日。

  

またすごい本に出合い、読み終えることができました。

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脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)です。

  

図書館に返す本です。たくさん書き留めるつもりです。

認知症について現時点で関心のない方はすっ飛ばしてください。

認知症に関心をもったときに、思い出してここを読んでみてください。

いや、この本を読んでみるといいと思います。

この本については、以前記事にしていました。

ここでも道草 「脳科学者の母が、認知症になる」/「認知症の第一人者が認知症になった」(2020年1月18日投稿)

☝ この時に読みたいと思い、実行しました。

  

  

一緒に暮らしている脳科学者は、医者よりも、至近距離で患者

に接することができる。医者が患者を診るように、第三者とし

て「病気」に向き合うのではなく、脳科学者であり、もともと

の母の性格をよく知っている娘だからこそ、気付く変化がある。

私は動揺しながらも、母の様子を観察して、どんな行動が現れ、

何が原因でそのような行動になるのか、脳科学の見地から考え

ることを試みた。

日々母にはどんな変化が起きているのか、それは脳の仕組みか

ら考えるとどういうことなのか、二年半の間、日記として記録

し、考えていった。

母を「症例」として見るのではなく、徹底的に母という「個」

に向き合うことによって、「認知症」という病の普遍に触れよ

うと試みた。

「脳にはどんな変化が起こっているのか」という視点から母の

行動を観察し続けていくと、やがて不可解に見える母の言動も、

脳の働きからすると自然なことに御眼てくるようになった。

(10p)

  

やがて私は、「母らしさ」とは、何かについて考えることにな

る。つまりこういう問いだ。

人は、以前で来たことができなくなったら、それは「その人ら

しさ」を失うことになるのだろうか?

その人の記憶こそが、はたして「その人らしさ」をつくってい

るのだろうか?

(11p)

 

このような難しい「問い」に対して、

恩蔵さんは答えを求め続けます。

その答えはとても深かったです。

  

  

母は、かつては1分だって落ち着いて座っている時間がないほ

ど活発で、社交的な人だった。趣味もいっぱい持っていた。そ

んな人がアルツハイマーになるのだから、病気は無慈悲だとい

うことだ。「そんなにだらだらしているといつかボケるからね

!」とか「ボケ防止に趣味をもとう!」とか、世間では自分が

なんとかすればアルツハイマーにならないと思われているよう

なところがあるけど、母のせいなどではなかった。人間にはコ

ントロールできなことがあるのだ。

(25p)

  

だれもがなる可能性のあるアルツハイマー型認知症。

  

  

アルツハイマー型認知症は、初期に、記憶を司る「海馬」の委

縮が起こり、新しいことが覚えにくくなることが特徴である。

それに対して、レビー小体型認知症は、初期に、大脳皮質の中

の「後頭葉」という、視覚を主に司る部位に問題が起こるので、

主要な症状が幻覚で出る。つまり視覚認識に異変が起こる認知

症なのだが、こちらは病気になってから何年も経ってから記憶

障害が現れないことがある。すなわち「認知症」だからといっ

て、必ずしも記憶障害を伴うわけではないのである。

(33p)

 

父親の場合、認知症ではあるが、ルビー小体型認知症の症状も

出てきていると言われています。

  

  

つづく

2020年1月26日 (日)

日めくりより/日本で最初にレコーディングした人物

  

今日は令和2年1月26日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

  

日本で最初にレコーディングした人物は誰?

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新冠町HP レ・コード館 レコードの歴史年表

☝ このサイトによると、

明治12年の3月28日のことだったようです。

1879年のこと。141年前のこと。

 

今では録音だけでなく、

簡単に録画もできてしまいます。

タブレット端末でちょちょいのちょいです。

そして録画したものを世界に発信できてしまいます。

 

  

新聞はまだ残っています。

でも141年前に、今の状況は予想できなかったことでしょう。

福地桜痴(源一郎)さん、今はすごいことになっています。

※参考:Wikipedia 福地源一郎

 

 

「アナログすぎる日本の授業形式」という「声」

今日は令和2年1月26日。

  

今日(1月26日)朝日新聞朝刊の「声」の記事です。

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日本の教育はやっぱりもっとIT化すべきだと思います。

アナログのいいところは維持しつつ、

1人1台のタブレット端末を使っての授業を

私はやってみたいです。

間に合わないかな。

 

無線ランの設置を強く願いします。

私のブログで「無線ラン」が初登場したのはいつなのか

検索してみました。

6年前でした。

ここでも道草 タブレットが役立つ状況 「NHK for school」(2020年1月13日投稿)

この時にも「教室の無線ラン化が必要です」と書いています。

来年度はどこまで進むのか。

「貸出禁止の本をすくえ!」あらすじは内緒

今日は令和2年1月26日。

   

昨日は浜松市に行って、

大学時代のメンバーとの飲み会に参加。

休職している私の身体を心配してくれていました。

ありがたいことです。

見かけは「なんで休んでいるの?」と

いぶかしがられるほど自然とニコニコできています。

私のブログにも日々目を通してくれていて、

これまたありがたいことです。

読んでくれている人がいることは、

励みになります。 

 

今朝も、読み終えた本のことを書こうと思います。

昨日の飲み会の後、浜松からの帰りの電車の中で

読み終えることができました。

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「貸出禁止の本をすくえ!」(アラン・グラビッツ著/

ないとうふみこ訳/ほるぷ出版)

  

主人公の名前はエイミー・アン・オリンジャー。

女の子です。

この女の子に事件が起こります。

図書館にあったお気に入りの本を今日も

借りたいと思って出かけたら、本棚から消えていました。

お気に入りの本の名前は「クローディアの秘密」

その理由を図書館員のジョーンズさんに聞いたら、

「あの本は、棚からはずさなきゃならなかったの」

「なぜかというと、保護者が何人かで話し合いをして、

あの本が小学校の図書館にふさわしくないという結論を出し、

教育委員会もそれに同意したからなの」

(9p)

という答え。これがお話の始まり。

ここからどのようなお話になるかは、内緒にしておきたいです。

なぜなら、予想を上回る面白い展開になるからです。

これから読む人は、その展開を楽しんでほしいのです。

 

したがって引用も、あらすじがわからない部分のみにします。

  

 

うそみたい。頭で考えていたことを口に出していって、そのせ

いでみんなが動くなんて、はじめてだ。少し胸がどきどきする。

まるでジェットコースターでレールをのぼっていって、てっぺ

んから下を見おろす、あの瞬間の気持ちみたい。

(32p)

  

思っていることを口にしないで

我慢することが多かった主人公が、

この時は口にしました。

そしたら、家族が動き出しました。

主人公の変化が始まった時です。

何と言ったのかは内緒です。

  

   

なんで「   ※内緒    」なんか始めちゃったんだろう

と思った。こんなふうによびだされたりしないよう、これまで

はずっとおとなしくして、なにもしないできたのに。自分の考

えをはっきりいったり、やったりする人ほど、めんどうなこと

に巻き込まれるんだから。

(114p)

何を始めたのかは内緒。114pの時点では、

自分のやったことを後悔しています。

  

   

ラストの文章。

  

スペンサーさんは、私の大好きな『クローディアの秘密」を貸

出禁止にしたとき、あの本が子どもいうそつきや、ぬすみや、

大人への反抗のしかたをおしえるから、といっていたし、たし

かにわたしは、その三つをぜんぶやらかした。でも、本でおそ

わったからやったんじゃない。本を貸出禁止にされたから、う

そをついたり、ぬすんだり、大人にさからったりしたんだ。そ

う考えるとすごくおかしくて、パパとママにもそのことを話し

たくなった。

だから、話したんだ。

(326p)

  

どんなお話なんだと興味をもった方は読んでみてください。

小学校中学年以上なら読めてしまう本です。

登場人物は小学四年生だったと思います。

子どもたちにもお薦めの本です。

  

「訳者あとがき」からの引用です。

 

作者のアラン・グラッツは、1972年、アメリカのテネシー

州で生まれました。2006年に『サムライ・ショートストッ

プ』(未訳)でデビューしたあと、第二次世界大戦を題材にし

た歴史物や、19世紀アメリカを舞台にした歴史改編ファンタ

ジーなど様々な作品を書いています。昔から日本に関心があっ

て、広島カープのファンだというグラッツさん。邦訳は今作が

初めてですが、これからも注目の作家です。

             2019年6月 ないとうふみこ

(331p)

  アラン・グラッツさんの次に読む本は決めています。

 

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/福音館書店)です。

図書館に入らないかなと期待しています。

※参考:ここでも道草 来年読みたい本9冊(2019年12月31日投稿)

 

2020年1月25日 (土)

「山海記」④ こんな終わり方をする小説があるんだ

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

次は「長殿」です、というアナウンスに続いて、十津川村の歴

史にひじょうに古く、とふたたび女声の説明が流れた。伝説に

拠りますと、神武天皇御東制の際に、道案内に立った八咫烏(

やたがらす)が祖先ともいわれています。672年の壬申の乱

の折には、天武天皇の吉野御軍(みいくさ)に参加し、戦功に

よって租税を免除されたといわれ、これは明治の地租改正まで

続き、これだけの長期にわたる御赦免地であることは全国でも

珍しいことです。

(151p)

   

何度も書いてしまいますが、これは小説ですが、

このような社会科の勉強がたっぷりできる内容です。

  

  

最後に、明治二十二年の十津川豪雨災害によって、

北海道移住を決断した人たちが交わした

移民誓約書を引用します。

 

そこには、集団移住した者たちが交わした誓いの冒頭部が記さ

れてあり、それに続く七箇条の誓約条目を資料で見ると、移住

住民ハ故郷ヲ去リ骨肉ヲ別レ遠ク絶海ニ移住スル上ハ、と始ま

る第一条(原文は條)には、以下現代語に意訳すると、頼れる

者は移住者同士だけなのだから、これまでにも増して一致団結

すること、とある。第二条には、移住住民は、移住・開墾の費

用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千

坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはならないこ

と。第三条には、恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、

新十津川村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを

各自に分割して消費すべきものではないこと。第四条には、質

素倹約に努めることとして、具体的には、不急のものは購入し

ない、家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さな

い、家族以外に二人以上加わる会席・酒宴に行ってはならない

(ただし、新村の記念日大祭祝日はその限りではない)、村内

に飲食店を開いてはならない、衣服はなるべく木綿のものを着

ること。第五条には、学校を興して教育を盛んにし、児童を就

学させることを怠ってはならないこと。第六条には、各自が礼

節を厚くして、いやしくも風儀を乱し世間の笑いを受けるよう

なことがないようにお互いに慎み合うこと。第七条には、各条

項に背く者があるときは、村のリーダーたちがこれを懲戒し、

改悛の見込みがない者は、官に請うて米や金の支給を減らし、

それでも直らなければ村中から交友を絶つものとすること。そ

れらが事細かく取り決められ、全員の署名捺印があるというこ

とだった。

(206~207p)

 

集団移住を絶対に成功させたいという気持ちが伝わってくる

誓約書だと思いました。

  

  

「山海記」は、途中で2年のジャンプはありますが、

基本、バスから見える景色と、その景色をきっかけにして

著者の体験や思い、知識が書かれている私小説でした。

ページが少なくなるにつれ、心配になってきました。

最後はバスの終点の新宮駅に着いて

旅の終わりが小説の終わりになるのか。

でも、このペースだと新宮駅は遠いぞ。どうするんだろう?

  

そして最後の1ページ。

最後の文章を見て、仰天しました。

  

ではまた。

(262p)

   

  

あっけなく終わってしまったのです。

この終わり方はすごい!

笑っちゃいました。

このような本もあるのですね。

  

「山海記」③ ショーソンの「詩曲」を初めて聴く

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

  

 

地名をよく見せたいという思いは、何も戦後に始まったもので

はなく、すでに奈良時代にその先駆が見受けられるようだ。元

明天皇の世、713(和銅六)年に発せられた勅令、いわゆる

好字令である。それまでの旧国名や郡名、郷名の表記は大和言

葉に無理に漢字を当てたもので、漢字の当て方が一定していな

かったり無理があるものもあった。そこで漢字を当てるさいに

はできるだけ好字を用い、二字の名称になるようにしたので好

字二字令ともいう。泉が和泉に、近淡海(ちかつあはうみ)が

近江(おうみ)に、遠淡海(とほつあはうみ)が遠江(とおと

うみ)というように・・・・。

これは、遣唐使が唐で日本の地名を説明するときに、粟(あわ)

国や木(き)国、无耶志(むさし)国などという文字に引け目

を感じ、洛陽や長安などの中国の地名に倣ったからだとされる。

そして、阿波国、紀伊国、武蔵国などとしたというのである。

(49~50p)

  

こんな勉強ができる「小説」なんですね。

  

   

  

十九世紀末のフランスの作曲家ショーソンは、1899年に別

荘のあったパリ郊外のセーヌ河畔の小村で自転車事故で死んだ。

長女と一緒に自転車で、パリから着く夫人と子供たちを迎えに

近くの駅まで行く途中、先に走っていた長女がしばらく行って

振り向くと、父親の姿が見えず、引き返すと門柱の根元にショ

ーソンは倒れていた。こめかみを砕かれて即死だった。目撃者

がいなかったことから、その死因は謎として残され、自殺とす

る説もあったことを、病床で彼は思い出した。クライスラーは、

亡友イザイから譲られたショーソン自筆の詩曲の原譜をアメリ

カ議会図書館に寄贈するまで所有していたことでも知られてい

た。

(110~111p)

  

この謎の死で興味をもち、ショーソンについてWikipedia

調べてみました。次のように書いてありました。

 

41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと

管弦楽のための『詩曲 』が群を抜いて有名だが(後略)

  

その群を抜いて有名な「詩曲」を知りませんでした。

「山海記」でもこの曲が何度か出てきます。

聴きたくなりました。


YouTube: Chausson: Poème, Akiko Suwanai (vn), Dutoit & PO ショーソン「詩曲」諏訪内晶子 & デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団

  

群を抜いて有名な曲を私は初めて聴きました。

いくら群を抜いていても、立ち寄らなかった範囲なので、

やっと知ることができました。

生活のBGMにしてもいいなと思いました。

  

 

降り過ぎる雨も困るが、雨が降らないのも農作業に被害をもた

らす。十津川で大水害が起こった明治二十二年は、夏に入ると

猛暑となり、八月は日照り続きで村民は黍(きび)などの穀物

や野菜が枯れるのを心配して雨を待ち望んでいたというから、

雨乞いも行われたのだろう。そして八月十五日になってやっと

空が曇り出し、十六日は蒸し蒸しする不安定な空模様となり、

十七日になって待望のにわか雨が降った。村人たちは喜んだが、

それが大豪雨の予兆だった・・・。

(119p) 

  

昨年末まで読んでいた「新十津川物語」(川村たかし著)の

話の発端になった明治22年8月の十津川豪雨災害。

それまでは日照り続きだったのですね。

  

  

つづく 

2020年1月24日 (金)

「山海記」② 蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した場所に付く

  

今日は令和2年1月24日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

待合所にあったチラシを見ると、高速道路を使わない路線バス

としては日本で一番長い距離を走り、全長166,9メートル、

何と百十七もの停留所を数えるという。

(13p)

  

奈良県の「八木駅」から和歌山県の「新宮駅」までの

奈良交通株式会社の路線バスのことです。

※参考:奈良交通(株)運行系統図

☝ ここを見ると、日本一長い路線のバス停を

見ることができます。

全てを停まるバスの運転手さんはたいへんだと思います。

  

  

それから三年後(2014年)、広島市でも七十四名の死者を

出した大規模土砂災害が発生した。特に被害が大きかった安佐

南区八木三丁目の旧地名は上落地芦谷で、さらにその前は蛇落

地悪谷(じゃらくじあしだに)だったと知って、前の話との類

似に驚かされ、暗然たる思いに沈んだ。

土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山

津波が発生した場所に付けられる。大きな蛇が頭上から落ちて

きたときの恐怖を彼は想った。昭和四十二年八月に羽越水害に

襲われた荒川が流れる新潟県の関川村を訪れたときにも、村に

は大蛇による洪水伝説のある蛇喰(じゃばみ)という集落があ

った。東京の目黒区にもかつては蛇崩(じゃくずれ)という地

名があり、大水で崩れた崖から大蛇が出たという伝説があった

が、昭和七年の目黒区誕生を機に姿を消した。交差点にはいま

でも名前が残されているので、彼は電気工として都内を駆け巡

っていた頃に目にして、妙な名前だと思ったものだった。確か

に蛇と付くと、耳触りのよい地名ではないので、「あし」を「

よし」と言い換えるのと同じように、名前を変えたい思いもわ

からないではないが、地名の改竄(かいざん)は歴史の改竄に

繋がる。

(48~49p)

   

新潟県関川村の「蛇喰」にグーグルアースで迫ります。

グーグルアース 蛇喰

1  

羽越(うえつ)水害については、ここを読みました。☟

Wikipedia 羽越豪雨

関川村では、堤防の決壊によって34名の死者が出たそうです。

堤防決壊の歴史は今に始まったことではないのです。

  

つづく

「山海記」① 現代日本の私小説の名手

  

今日は令和2年1月24日。

  

この本を読破しました。

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山海記(せんがいき)

(佐伯一麦(かずみ)著/講談社)

  

初めて佐伯一麦氏の小説を読み、戸惑ってしまいました。

奈良県の大和八木駅からバスに乗って十津川村へ向かう主人公。

バスから見える情景が詳細に語られているかと思うと、

何かのきっかけにいきなり主人公の過去の体験や、

主人公の知識がどんどん割り込んできます。

そうかと思うと、再びバスの車窓景色や乗り合わせた人のことに

話が戻ります。

空白の行がなく、章立てもなく、ずっと続きます。

(193pで初めて空白の行があり、*印が打たれ、

話は2年跳びます)

上記のアマゾンの解説を読むと「現代日本の私小説の名手」と

ありました。

「私小説」は懐かしい言葉。田山花袋が思い浮かびます。

高校生の時に、これが私小説かと「布団」などを読みました。

そうか、これは著者が実際にバスで旅をして見たこと

思ったことを詳細に書いた私小説なんだと思いました。

虚構がほとんどない小説。主人公は元電気工事関係の仕事を

していたのは虚構かな?と思った程度。

戸惑いつつ読み始めましたが、1/3ほど読んだくらいで

この筆致に慣れてきました。慣れてくると楽しくなり、

タブレット端末でグーグルマップでルートをたどりながら、

一気に読んでしまいました。

  

これも図書館に返す本です。

手元に置いておきたい文章を書き留めます。

  

今回は仕事の合間を縫って四年間続けてきた水辺の災害の記憶

を辿る旅の締めくくりだ、と彼は自身に言い聞かせた。東北の

太平洋沿岸が大地震と大津波に襲われてからというもの、彼は

これまで日本各地で起きた災厄についていかに無知だったかを

思い知らされた。

地震一つ取ってみただけでも、年表をめくると五世紀の416

年に現在の明日香村にあった遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)

で揺れがあったという日本最古の地震の記述が『日本書紀』に

見られるのを皮切りに、599年には大和国で地震があり家屋

が倒壊したという地震被害の最初の記録が見られ、684年に

は南海トラフ巨大地震だったと推定され土佐で津波被害もあっ

たとされる白鳳地震が起きている。九世紀には五年前(201

1年)の大地震との関連がよく指摘される869年の貞観三陸

地震、その十八年後には京都・摂津を中心に多くの死者を出し

津波もあった仁和南海地震があり、十世紀にも京都、山城、近

江には死者が出て高野山の建物が損傷するような地震が何度か

起こり、十一世紀に入ると1096年に東大寺の鐘が落下し伊

勢・駿河で津波があり死者一万人以上と推定される永長東海地

震、その三年後にも興福寺が被害に遭い土佐で津波があり死者

数万と推定される康和南海地震、十二世紀には1185年に法

勝寺や宇治川の橋などが損壊し余震が三カ月近く続き鴨長明が

『方丈記』で詳述した文治京都地震・・・、とそれ以降も枚挙

にいとまがない。

時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千

六百年ほどの間に、死者が出た地震は日本全国でざっと数えた

だけでも百七十回以上も起きており、均(なら)せば少なくと

も十年に一度の勘定にはなると知ると、どういう国土に住んで

いるんだ、と彼は嘆息を洩らした。いっぽうで、曲がりなりに

もそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた者たちの末裔であ

る、という思いも兆した。

(5~6p ※西暦は漢数字を数字にしました)

   

愛知県に住んでいると東海地震、南海トラフ地震と聞くと、

ドキッとします。

著者が言うように、すごい国に住んでいるんだなと思います。

残りの人生で大地震を味わうのか、

息子や娘たちの時代は大丈夫かと思いました。

  

  

つづく

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楽餓鬼

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