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2025年1月

2025年1月 4日 (土)

ダイオキシン騒動② ダイオキシンの怖さを伝える本

   

今日は令和7年1月4日。

  

前記事の続きで、ダイオキシン騒動のことを書きます。

2005年「ダイオキシン・環境ホルモン問題の顛末」(渡辺正)

この論文に書かれていたことをすこし深堀します。

  

1997年2月 埼玉県のNGOが「産廃焼却で新生児死が急増」と告発。

        以後は報道が白熱し、研究者やマスコミ人が「恐怖本」を続々と刊行。

  

「恐怖本」が気になりました。

どんな本があったのか。  

調べていったら、宮田秀明さんの名前がまず出てきました。

「よくわかるダイオキシン汚染:人体と環境を破壊する猛毒化学物質」

(合同出版)1988年3月

「宮田秀明のダイオキシン問題Q&A:みんなでまなぶ基礎知識」

(合同出版)1998年9月

「ダイオキシン」(岩波新書)1999年3月

  

きっかけは宮田さんでしたが、豊川市図書館で検索すると、

その他、たくさんの本が出てきました。

「奪われし未来」・・ダイオキシンが体内に入るとホルモンを攪乱する

(シーア・コルボーン他著/翔泳社)1997年9月

「ダイオキシン汚染 迫りくる健康への脅威」

(青山貞一著/法研)1998年2月

「ダイオキシンから身を守る方法」

(成星出版)1998年3月

「猛毒ダイオキシンから子どもを守る100の知恵」

(子育てと環境を考える会編著/主婦の友社)1998年8月

「『ゴミ焼却』が赤ちゃんを殺すとき しのびよるダイオキシン汚染を

どうくいとめるか」(「止めよう!ダイオキシン汚染」さいたま実行委員会)

1998年9月

「どうしたらへらせるかこの有害なダイオキシン」

(長崎武昭・鈴木康之著/井上正治絵/大日本図書)1998年11月

「猛毒連鎖ダイオキシン汚染 これだけは知っておきたい”しのびよる危機”」

(大野ゆり子著/学陽書房)1998年12月

「ダイオキシンゼロへの新たな挑戦」

(駒橋徐・玉置真章・三村力著/日刊工業新聞)1999年1月

「構造汚染:史上最強の猛毒ダイオキシンに日本列島を汚染させたのは誰だ」

(草野洋著/日新報道)1999年4月

「ダイオキシンの夏 いのちの地球 アニメ版」

(蓮見けい原作/近藤真理文/岩崎書店)2001年8月

  

まだ全部は書ききれません。ここまで。

1997年、埼玉県で廃棄焼却で新生児死については、

渡辺正さんは、論文の中で統計のごまかしだった書いています。

その新生児死について書いた「『ゴミ焼却』が赤ちゃんを殺すとき」は、

どのように表現しているのでしょう。

その他、歴史の勉強として、当時を生きた人間として思い出すためにも、

この中の何冊かを読んでみたいです。

最後の「ダイオキシンの夏」は映画に沿った本。

1976年に起きたセべソ事件を扱ったもの。

環境用語 セベソ事件には次のように書いてあります。

  

1976年にイタリア北部の都市・セベソの農薬工場で起きた爆発事故。

広範囲な居住地区にダイオキシン類が飛散し、家畜などの大量死や、

2,3,7,8-TCDDの高濃度暴露によると考えられる皮膚炎の発症を招い

た。高濃度の汚染を受けた地域の700名以上が強制退去させられた。

事故により生じた汚染土壌(ダイオキシンなどを含む)はドラム缶に

封入・保管されていたが、1982年に行方不明になり、8ヶ月後に北フ

ランスで発見された。フランス政府はイタリア政府に対して回収を要

請したが拒否され、最終的には事故を起こした農薬工場の親会社がス

イスにあったことから、スイス政府が道義的責任に基づき回収してい

る。

  

今回、ダイオキシンについて調べていて知った事件。

映画もYouTubeで見ることができそう。

2001年の映画。ほぼ2時間。さっそくレンタル。300円。

明日見てみます。日本の映画なんだよなあ。

日本人のダイオキシンへの関心が高まっていたことを感じます。

  

上に挙げた本も予約します。どれにするか。

まずはこの2冊ですね。

「ダイオキシンから身を守る方法」

(成星出版)1998年3月

「『ゴミ焼却』が赤ちゃんを殺すとき しのびよるダイオキシン汚染を

どうくいとめるか」(「止めよう!ダイオキシン汚染」さいたま実行委員会)

1998年9月

  

 

 

ダイオキシン騒動① いつ起こったことだったか

   

今日は令和7年1月4日。

  

ダイオキシン。

昔、騒動がありました。

あの騒動はなんだったのでしょう。

燃やした時に発生するダイオキシンが猛毒だと言われました。

各学校にあった焼却炉が撤去され、

家庭で燃やしていたゴミも、

燃やすことなかれという状態になりました。

生活が大きく変わりました。

あれは何年ごろの話でしょう。

  

ネットを見たら、このような情報はすぐに手に入ります。

参考:国際環境経済研究所 平成のダイオキシン空騒ぎは、現在の気候変動危機騒ぎと瓜二つ!

ここから一部引用します。

  

平成初めの当時、子供たちの多動、自閉症、学習障害、キレる行動、

男性の精子の減少、カエルの奇形、卵巣をもったオスの魚など、さま

ざまな異常現象の原因がダイオキシンをはじめとする合成化学物質と

されていた。いまなら、異常な気象災害がすべて温暖化や気候変動危

機のせいにされているのと同じだ。

この種の異常な空気はいったん螺旋階段をかけ上り始めると、もはや

止めようがなく、冷静であるはずの政府も異常な空気の嵐に巻き込ま

れてしまう。当時、政府はダイオキシン類対策特別措置法(1999年)

を制定し、焼却場をはじめ、あらゆるところでダイオキシン類を削減

する行動に出た。その効果は絶大であった。

 ダイオキシン類の排出量は1997年には年間約8000g-TEQ(TEQは、

毒性の最も強い2,3,7,8-TCDDの毒性を1とした場合の29種類のダイ

オキシン類の毒性の総量)だったが、なんと5年後には10分の1以下に

減った。その後も減り続け、2009年からは同100g程度に低下した状

態が続いている。

ダイオキシンの摂取源の大半は魚介類を中心とする食事だが、その食

事からのダイオキシン類摂取量も年々下がり、1999年当時に比べて、

4分の1以下になった。

つまり、この20年余りでダイオキシン類の排出量は激減した。

ところが、子供たちの自閉症や注意欠陥多動性障害、学習障害をはじ

めとする発達障害児の報告数は1990年代から一貫して増えており、

下げる傾向はない。文部科学省の調査(「平成30年度 通級による指

導実施状況調査結果」によると、これらの障害児童生徒数(小・中・

高校)は1998年には約24000人だったが、20年後の2018年には約5

倍の約12万3000人に増えた。前年に比べて減った年はない。

つまり、ダイオキシン類は急激に減っていったのに、子供たちの障害

報告数は一貫して増え続けているのである。どうやらダイオキシン類

を犯人に仕立てあげることはもはや難しくなってきたと言ってよい。

では、ダイオキシン騒動から20年以上がたったいま、何が犯人とされ

ているだろうか。ネットも含めたメディア空間を見ると、世界で最も

安全な農薬といってよい除草剤のグリホサートやネオニコチノイド系

農薬、遺伝子組み換え作物、食品添加物、ワクチンなどが標的になっ

ている。遺伝子組み換え作物が普及し始めたのは1996年からだ。ダ

イオキシン類が騒がれたころは、まだ標的とされるほど普及していな

かった。

こうしてみると、何か特定のモノを犯人に祭り上げる空気の構図は変

わっていないが、攻撃の対象となる悪役は時代によってくるくる変わ

る。ただし、命を脅かす原因を工業活動に伴う産物や工業文明(広い

意味で資本主義)に求めることは共通している。

  

そうなんです。二酸化炭素の削減が、将来“ダイオキシン騒動“に匹敵

するものになるのではないかと予想しています。

  

参考:2005年「ダイオキシン・環境ホルモン問題の顛末」(渡辺正)

ここで論文が紹介されています。

渡辺正さんの本は、今まで2冊読んでいます。

ここでも道草 「地球温暖化狂騒曲」① 1988年IPCCが温暖化を「人類の緊急課題」とした(2021年12月27日投稿)

この記事をスタートにして5本の記事

ここでも道草 「気候変動・脱炭素 14のウソ」を読みました(2023年6月5日投稿)

  

温暖化に振り回される人たちに目を覚ましてほしいという趣旨の本です。

その方が、ダオキシン騒動も切っていました。

日本のダイオキシン騒動がどのように進んだのか、

まとめていました。

引用します。

  

1983年11月 愛媛大学の研究者が「焼却灰にダイオキシン検出」と記者発表。

1983年12月 厚生省が「専門家会議」発足。

1984年〜1985年 同省、焼却炉メーカーと「緊急実態調査」

1997年2月 埼玉県のNGOが「産廃焼却で新生児死が急増」と告発。

        以後は報道が白熱し、研究者やマスコミ人が「恐怖本」を続々と刊行。

1999年1月 公明党が「ダイオキシン法」を提出。

1999年2月 テレビ朝日が「所沢ホウレンソウ」報道。

1999年7月 議員立法で「ダイオキシン法」が成立。

2002年12月 同法、本格実施となる。

 

「ダイオキシン法」はここで読むことができます。 

e-GOV法令検索 ダイオキシン類対策特別措置法

  

この法律によって、地方公共団体は対応の為に、

多額の費用を使い、

小型焼却炉の会社は倒産したといった記述があります。

  

長くなったので、続きは次の記事で書きます。

  

2025年1月 3日 (金)

瓶子:鹿ヶ谷の陰謀事件

    

今日は令和7年1月3日。

  

父親が亡くなって間もなく2年。

生前父親がやっていたことで、

できていなかったことがまだ残っていました。

神棚に御神酒をあげること。

昨年末に御神酒を買ってきて、御神酒を入れる壺を洗いました。

この壺、2年間ほったらかしだったので、

黒く変色した何か?が中に入っていて、

少々気持ち悪かったけど、洗いました。

漂白剤も使って、きれいになりました。

Img_9756

Img_9758

この入れ物を見た時に、あるお話を思い出しました。

この入れ物、「へいし」という名前で、

平安時代に平氏に対して不満に思っていた人たちが、

酒の席で、この「へいし」を馬鹿にした話。

詳しく思い出せないので、調べてみることにしました。

  

この入れ物の名前は、記憶通り「へいし」でした。

漢字で書くと「瓶子」

う〜ん、「びんし」と読んでしまいます。

 

このサイトに注目。

歌舞伎美人(かぶきびと) 歌舞伎 今日のことば 鹿ヶ谷

一部引用します。

  

治承元年(1177年)6月、京都東山の鹿ケ谷山腹にある俊寛僧都(そう

ず)(中略)集まったのは、後白河法皇はじめ、藤原成親、成経(ふじ

わらのなりちか、なりつね)親子、源成雅(みなもとのなりまさ)、平

康頼(たいらのやすより)など、平家に反感を持つ面々。平家打倒の相

談をし、酒の勢いに任せ、瓶子(へいし=とっくり)を倒して「平氏が

倒れた」と猿楽を演じて気勢をあげていたといわれています。しかし、

多田行綱(ただのゆきつな)が裏切って平清盛に注進におよび、ことは

露見します。

成親は清盛の長子・重盛(しげもり)の子に娘を嫁がせ、一方、息子の

成経は清盛の子・教盛(のりもり)の娘を北の方に迎えているいわば

"身内"だっただけに、清盛の怒りは倍増。重盛らのとりなしにもかかわ

らず、成親は備前国に配流される途中謀殺。俊寛、成経、康頼は薩南諸

島の一つといわれる鬼界ケ島に島流しとなりました。

『俊寛』はそこから話が始まります。

  

そうか、思い出しました。「鹿ヶ谷の陰謀事件」です。

ここで「瓶子」が出てきます。

  

さらにこの動画。


YouTube: 「鎌倉殿の13人」第3回解説 『鹿ケ谷の陰謀』と『治承3年のクーデター』

今は欠かさず見ている動画「かしまし歴史チャンネル」ですが、

この時には別名でした。

Img_8869

私が見始めたのが、大河ドラマ「どうする家康」の解説の時かな。

なので、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時には、

まだ見ていませんでした。

今回、鹿ヶ谷の陰謀、治承3年のクーデターの説明を見ました。

Img_8870

瓶子は出て来なかったけど、いい勉強になります。

さすがきりゅうさんです。

    



  

叔父さんの発した言葉について考察「どさまく」「さなえる」

   

今日は令和7年1月3日。

  

車で10分ほどのところに住む親戚の叔父さん。

設楽町生まれで、私と同業の教師でした。

勤務地は蒲郡市。

もうじき76歳。

  

その叔父さんが発する言葉が、2つ印象に残りました。

  

「どさまく」

  

設楽町と同じ北設楽郡の東栄町で、

お葬式があり、親戚が集まった時のこと。

焼き場に行って、骨になるまで待つ休憩室でのこと。

「どさまくもらった」という叔父さんの発言。

意味は予想がつきます。

「たくさんもらった」という意味でしょう。

「どさまくって、北設(ほくせつ/=北設楽郡)の言葉なの?」

と聞きました。

周りには東栄町、設楽町の人たち。

「どさまく?知らんぞう」との回答。

叔父さんもびっくりしていました。

北設の言葉と思っていたようです。

しかしどうやら、蒲郡市に勤めるようになって身についた言葉だと

結論になりました。

  

ネットで調べてみました。

クイズキャッスル 三河弁一覧100選

「どさまく」はここに載っていました。

意味は「たくさん」です。

三河弁です。

三河弁と言っても、三河地方全体で使われているわけではなく、

限定的です。

  

  

「さなえる」

  

設楽町の奥さんの実家から頂いた自然薯。

叔父さんにも持って行ってほしいと頼まれました。

自然薯を叔父さんの家に持って行った際に、

叔父さんが「じゃあ、さっそく自然薯を畑にさなえるよ」という発言。

「さなえる」はどんな意味?

これは叔父さんに直接聞きました。

「自然薯が長持ちするように、土の中に埋めること」です。

さあ、これはどうなんだろう?

設楽町の奥さんの実家で聞いてみました。

  

現在60代後半の奥さんのお兄さんに聞いたら、

「知らんぞう」とのこと。

むむ、設楽町の方言ではないのかな?

そうそう奥さんにはすでに聞いていて、

知らないとのこと。50代後半です。

設楽町の方言ではないと結論づけようとしたら、

奥さんのお母さんが知っていました。

「よく使っているぞ」とのこと。

80代後半。

つまり「さなえる」は設楽町の方言でした。

ただ使っている人は、75歳以上の人。

消えかかった言葉と言えます。

  

ネットに出てくるのか調べました。

「さなえる」を説明している唯一のサイト。

カタツムリの唄 さなえる?早苗流?(Have you ever heard these words?)

引用します。

 

 

「さなえる」って私は言っているのだけれど・・・・・先輩にそう言

われたので自分のそう言っていたのだけれど、ブログにアップするこ

とになったら少し心配になって調べてみた。

早苗(さなえ)とは「稲の苗で、苗代から田に移し替えるころのもの。

」なのだそうだ。「さなえる」という動詞は見つからなかったのだが、

大分近い感じはする。

要は、写真のように種が発芽して、ある程度まで大きくなった苗を(

そのままでは根が絡んでしまうし、栄養が行き渡らずに大きくならな

いから)一本ずつに植え替えることを「早苗る」と言うのだ。

Img_8868

  

う〜ん、この説明では、不十分です。

自然薯の場合とは違います。

この人が書いているように、動詞「さなえる」は、

ネット上にはなかったです。

Xの発信者「さなえる」さんはいました。


    

方言だとは思いますが、下手すると、

「長持ちさせるために、土の中に埋める」意味での

「さなえる」は消えていく運命なのかな。

ここに書き留めておくことは、思ったよりも大事なことかも。

  

   

     

    

今年で1万本投稿予定 どんな「境地」?/ハヤブサはインコの仲間

   

今日は令和7年1月3日。

  

昨年の1月1日の記事から引用。

  

これが9022本目の投稿。

昨年は585本の記事を書きました。

よく書きました。

きっとこの1年で500本の記事は書けるかな。

なんせ、週に半分しか働かないからね。

令和7年には1万本!

どんな気持ちになるのだろう。

ここでも道草 令和6年能登半島地震(2024年1月1日投稿)

  

今年も、投稿数を確認してみよう。

この記事が9679本目の記事です。

昨年は658本の記事を書きました。

意外に書いていました。

書きたい!と思っているのに書けていないネタが、

たくさんあるので、もっと少ないと思っていました。

あと322本で大台の1万本となります。

昨年の予想通り、今年、令和7年で1万本になるでしょう。

どんな境地になるのでしょう。

「境地」とは「ある段階に達した心の状態」

久々に使った「境地」

でも1万本はずっと憧れていた数字だったし、

かねがね1万本を書いたら、何か変わるのではと思っていました。

あまり「境地」には縁がなかった人生ですが、

ブログの1万本は、稀に訪れる「境地」体験ができる時でしょう。

1万本近く書いてきたことで薄々感じている感覚を、

1万本目の記事の時には書きたいなと思っています。

   

最近、前置き長し。

  

山仲間のKさんが勧めてくれた動画を見ました。


YouTube: 【まだ教科書にない人類のルーツ】ノーベル賞「ゲノム研究」でわかった人類史/ネアンデルタール人とホモサピエンスは「子供」を作っていた/謎の人類デニソワ人/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く


YouTube: 【9割は「外来種」日本人のDNA】縄文人と弥生人は違う種だった?/人類は1万年前よりバカになっている?/沖縄3割・アイヌ7割「日本人の二重構造モデル」/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く

  

動物の遺伝子情報を読み取ることができるようになってきました。

遺伝子情報を読み取ることがゲノム解析。

このゲノム解析によって、今までは見かけが似ているので、

同じ仲間だろうと括(くく)られていた動物の分類が、

変わってきたそうです。

その例として、国立科学博物館館長の篠田さんが挙げたのが、

ハヤブサ。

タカの仲間とされていましたが、

インコの仲間だそうです。

  

心当たりがあります。

ハヤブサの目とタカの目は違うなとは思っていました。

Img_8863

救護センターブログ

  

Img_8865

MENTOR‘S BLOG

   

黒目の大きさです。
    

怖さを醸し出すのはタカの目であって、

ハヤブサの目は、可愛い雰囲気です。

違う種類と言われると、ここが違うと浮かびました。

  

インコはどうでしょう?

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ちまま セキセイインコの豆知識メディア

インコは黒目が大きいです。

共通しています。

ただ、このサイトを見ると、

インコは黒目を小さくする時があるそうです。

Img_8867

動画もあります。


YouTube: テンションが上がっているセキセイインコ オス

ただインコの目は左右に広がっています。

敵から襲われそうになるのを早めにわかるためでしょう。

ハヤブサの目は、前方を見るのに適した目の位置です。

これは獲物にロックする目です。

    

この記事を発見。

日本経済新聞 ハヤブサはインコの仲間 意外な間柄、DNAで判明

これは2013年3月の記事です。

一部引用します。

 

鳥の世界に異変が起きている。日本鳥学会は、外見などからタカやコ

ンドルに近いとしていた猛禽(もうきん)類のハヤブサを「インコ、

スズメの仲間」と変更。特別天然記念物のトキも、コウノトリ目から

ペリカン目に変わった。DNAの研究が進み、大きさや性格が異なる鳥

たちの意外な間柄が分かってきた。

国内の自然界で確認されている鳥は約630種類。同学会は昨年9月、

「日本鳥類目録」を12年ぶりに改訂し、DNA分析の結果などを基に、

分類を大幅に見直した。

  

つまり2012年9月に、ハヤブサはインコ、スズメの仲間とされています。

12年以上前のことです。今日、知りました。

  

  

「猛禽類」について調べます。

「猛禽類」は「鋭い嘴と爪を持ち、他の動物を捕食する鳥の仲間」

「猛禽」の「禽」は鳥の総称だそうです。

獰猛(どうもう)な鳥なので「猛禽」ということでしょう。

ハヤブサは猛禽類ではあります。 



  

2025年1月 1日 (水)

設楽町への新ルートでの新発見 二宮金次郎像

   

今日は令和6年12月31日(令和7年1月1日)

  

今年最後の記事は、「設楽町への新ルートでの新発見」

シリーズ3本目。二宮金次郎像編。

  

12月28日。

設楽町に向かう時に、右側に続く森がパッと切れて、

一瞬、二宮金次郎像が見えたのです。

その像の向こうには、赤い屋根の小さな建物。

あれ?と思った時には、また森になっていました。

細い山道なので、自動車を停めて確認できませんでした。

帰りにまた確かめようと思いました。

  

帰り。

具体的に場所がよくわからず、この辺りかなと思っていましたが、

見事に見落として、通過してしまいました。

気になりました。

  

12月29日。

翌日、再び設楽町に行くことになったので、

事前勉強をすることにしました。

場所は岡崎市。千万町を過ぎてからの場所でした。

そこで、グーグルアースで調べました。

森の中の赤い屋根の建物。

見つかりました。

Img_8837

本当にここでいいのか?

ストリートビューで確かめられるかどうか。

Img_8841

OKでした。

こうなったら地上に降りてみます。

毎回、この地上に降りるのが、ドキドキします。

Img_8842

これです。

私はこの景色を一瞬見たのです。

そして建物の前には、二宮金次郎像。

Img_8843

   

本物を見てみたい。

グーグルアースで引いた画面で見ると、こんな感じ。

Img_8840

位置は特定できました。

今度は見逃しません。

  

でもなんでこんなところに二宮金次郎像があるのだろう?

閉校した小学校の名残り?

そこを調べたい。

  

このサイトがとても役に立ちました。

金次郎像データ 2020年 5月現在へ

Img_8844

二宮金次郎像について調べる時には、参考にしているサイト。

もちろん各地の学校にある二宮金次郎のデータですが、

今回の二宮金次郎像もあるかもと期待して、

調べました。

ありました!

このサイトの運営者に感謝。

切山町 田舎茶屋 琴音学校 

このサイトによると、この二宮金次郎像は、

岡崎市切山町にあった田舎茶屋「琴音学校」の前に立つ像でした。

学校ではなく田舎茶屋。

写真を転載します。

Img_8845

像の大きさは120cm。

ただ設置年月日、碑銘、寄付者、製作者は書かれていませんでした。

写真は4年以上前と思われます。

他にも数枚転載。

Img_8846

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Img_8848

「田舎茶屋 琴音学校」

どんなところ?

「琴音学校」だから二宮金次郎像?

どんな学校?でも田舎茶屋?

閉店したことはわかりましたが、それ以上のことが、

ネットでは調べがつきませんでした。

もう少しネット上に情報があるかと思っていましたが、

ほぼなかったです。

謎です。

事前勉強は終了。

次は本物を見ること。

  

12月30日。

設楽町に行く時には、買い物もあって、新城市経由で設楽町へ。

そして帰りは新ルート。

事前勉強のおかげで、場所が分かり、建物の前のわずかな空間に、

自動車を滑り込ませることができました。

実物を見ることができました。

  

撮影しました。

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これが2024年12月30日現在の二宮金次郎像と建物です。

「琴音学校」の看板はありません。


いつ頃作られた建物、像なのでしょう?

そしてここでどんな営みが行われていたのでしょうか。

  

これからは、森の中に埋もれていくのでしょうか。

とても興味深いゾーンです。

一瞬でしたが、発見できてよかったです。

 

 

  

令和6年にうち始め、この記事をうちながら令和7年を迎えました。

この記事が令和6年最後の記事と令和7年最初の記事となりました。

今年もこのブログ、よろしくお願いします。

  

さあ寝ます。

朝の初日の出が楽しみです。






  

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