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2025年1月 3日 (金)

瓶子:鹿ヶ谷の陰謀事件

    

今日は令和7年1月3日。

  

父親が亡くなって間もなく2年。

生前父親がやっていたことで、

できていなかったことがまだ残っていました。

神棚に御神酒をあげること。

昨年末に御神酒を買ってきて、御神酒を入れる壺を洗いました。

この壺、2年間ほったらかしだったので、

黒く変色した何か?が中に入っていて、

少々気持ち悪かったけど、洗いました。

漂白剤も使って、きれいになりました。

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この入れ物を見た時に、あるお話を思い出しました。

この入れ物、「へいし」という名前で、

平安時代に平氏に対して不満に思っていた人たちが、

酒の席で、この「へいし」を馬鹿にした話。

詳しく思い出せないので、調べてみることにしました。

  

この入れ物の名前は、記憶通り「へいし」でした。

漢字で書くと「瓶子」

う〜ん、「びんし」と読んでしまいます。

 

このサイトに注目。

歌舞伎美人(かぶきびと) 歌舞伎 今日のことば 鹿ヶ谷

一部引用します。

  

治承元年(1177年)6月、京都東山の鹿ケ谷山腹にある俊寛僧都(そう

ず)(中略)集まったのは、後白河法皇はじめ、藤原成親、成経(ふじ

わらのなりちか、なりつね)親子、源成雅(みなもとのなりまさ)、平

康頼(たいらのやすより)など、平家に反感を持つ面々。平家打倒の相

談をし、酒の勢いに任せ、瓶子(へいし=とっくり)を倒して「平氏が

倒れた」と猿楽を演じて気勢をあげていたといわれています。しかし、

多田行綱(ただのゆきつな)が裏切って平清盛に注進におよび、ことは

露見します。

成親は清盛の長子・重盛(しげもり)の子に娘を嫁がせ、一方、息子の

成経は清盛の子・教盛(のりもり)の娘を北の方に迎えているいわば

"身内"だっただけに、清盛の怒りは倍増。重盛らのとりなしにもかかわ

らず、成親は備前国に配流される途中謀殺。俊寛、成経、康頼は薩南諸

島の一つといわれる鬼界ケ島に島流しとなりました。

『俊寛』はそこから話が始まります。

  

そうか、思い出しました。「鹿ヶ谷の陰謀事件」です。

ここで「瓶子」が出てきます。

  

さらにこの動画。


YouTube: 「鎌倉殿の13人」第3回解説 『鹿ケ谷の陰謀』と『治承3年のクーデター』

今は欠かさず見ている動画「かしまし歴史チャンネル」ですが、

この時には別名でした。

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私が見始めたのが、大河ドラマ「どうする家康」の解説の時かな。

なので、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時には、

まだ見ていませんでした。

今回、鹿ヶ谷の陰謀、治承3年のクーデターの説明を見ました。

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瓶子は出て来なかったけど、いい勉強になります。

さすがきりゅうさんです。

    



  

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