瓶子:鹿ヶ谷の陰謀事件
今日は令和7年1月3日。
父親が亡くなって間もなく2年。
生前父親がやっていたことで、
できていなかったことがまだ残っていました。
神棚に御神酒をあげること。
昨年末に御神酒を買ってきて、御神酒を入れる壺を洗いました。
この壺、2年間ほったらかしだったので、
黒く変色した何か?が中に入っていて、
少々気持ち悪かったけど、洗いました。
漂白剤も使って、きれいになりました。
この入れ物を見た時に、あるお話を思い出しました。
この入れ物、「へいし」という名前で、
平安時代に平氏に対して不満に思っていた人たちが、
酒の席で、この「へいし」を馬鹿にした話。
詳しく思い出せないので、調べてみることにしました。
この入れ物の名前は、記憶通り「へいし」でした。
漢字で書くと「瓶子」
う〜ん、「びんし」と読んでしまいます。
このサイトに注目。
一部引用します。
治承元年(1177年)6月、京都東山の鹿ケ谷山腹にある俊寛僧都(そう
ず)(中略)集まったのは、後白河法皇はじめ、藤原成親、成経(ふじ
わらのなりちか、なりつね)親子、源成雅(みなもとのなりまさ)、平
康頼(たいらのやすより)など、平家に反感を持つ面々。平家打倒の相
談をし、酒の勢いに任せ、瓶子(へいし=とっくり)を倒して「平氏が
倒れた」と猿楽を演じて気勢をあげていたといわれています。しかし、
多田行綱(ただのゆきつな)が裏切って平清盛に注進におよび、ことは
露見します。
成親は清盛の長子・重盛(しげもり)の子に娘を嫁がせ、一方、息子の
成経は清盛の子・教盛(のりもり)の娘を北の方に迎えているいわば
"身内"だっただけに、清盛の怒りは倍増。重盛らのとりなしにもかかわ
らず、成親は備前国に配流される途中謀殺。俊寛、成経、康頼は薩南諸
島の一つといわれる鬼界ケ島に島流しとなりました。
『俊寛』はそこから話が始まります。
そうか、思い出しました。「鹿ヶ谷の陰謀事件」です。
ここで「瓶子」が出てきます。
さらにこの動画。
YouTube: 「鎌倉殿の13人」第3回解説 『鹿ケ谷の陰謀』と『治承3年のクーデター』
今は欠かさず見ている動画「かしまし歴史チャンネル」ですが、
この時には別名でした。
私が見始めたのが、大河ドラマ「どうする家康」の解説の時かな。
なので、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時には、
まだ見ていませんでした。
今回、鹿ヶ谷の陰謀、治承3年のクーデターの説明を見ました。
瓶子は出て来なかったけど、いい勉強になります。
さすがきりゅうさんです。
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