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2025年1月 4日 (土)

ダイオキシン騒動① いつ起こったことだったか

   

今日は令和7年1月4日。

  

ダイオキシン。

昔、騒動がありました。

あの騒動はなんだったのでしょう。

燃やした時に発生するダイオキシンが猛毒だと言われました。

各学校にあった焼却炉が撤去され、

家庭で燃やしていたゴミも、

燃やすことなかれという状態になりました。

生活が大きく変わりました。

あれは何年ごろの話でしょう。

  

ネットを見たら、このような情報はすぐに手に入ります。

参考:国際環境経済研究所 平成のダイオキシン空騒ぎは、現在の気候変動危機騒ぎと瓜二つ!

ここから一部引用します。

  

平成初めの当時、子供たちの多動、自閉症、学習障害、キレる行動、

男性の精子の減少、カエルの奇形、卵巣をもったオスの魚など、さま

ざまな異常現象の原因がダイオキシンをはじめとする合成化学物質と

されていた。いまなら、異常な気象災害がすべて温暖化や気候変動危

機のせいにされているのと同じだ。

この種の異常な空気はいったん螺旋階段をかけ上り始めると、もはや

止めようがなく、冷静であるはずの政府も異常な空気の嵐に巻き込ま

れてしまう。当時、政府はダイオキシン類対策特別措置法(1999年)

を制定し、焼却場をはじめ、あらゆるところでダイオキシン類を削減

する行動に出た。その効果は絶大であった。

 ダイオキシン類の排出量は1997年には年間約8000g-TEQ(TEQは、

毒性の最も強い2,3,7,8-TCDDの毒性を1とした場合の29種類のダイ

オキシン類の毒性の総量)だったが、なんと5年後には10分の1以下に

減った。その後も減り続け、2009年からは同100g程度に低下した状

態が続いている。

ダイオキシンの摂取源の大半は魚介類を中心とする食事だが、その食

事からのダイオキシン類摂取量も年々下がり、1999年当時に比べて、

4分の1以下になった。

つまり、この20年余りでダイオキシン類の排出量は激減した。

ところが、子供たちの自閉症や注意欠陥多動性障害、学習障害をはじ

めとする発達障害児の報告数は1990年代から一貫して増えており、

下げる傾向はない。文部科学省の調査(「平成30年度 通級による指

導実施状況調査結果」によると、これらの障害児童生徒数(小・中・

高校)は1998年には約24000人だったが、20年後の2018年には約5

倍の約12万3000人に増えた。前年に比べて減った年はない。

つまり、ダイオキシン類は急激に減っていったのに、子供たちの障害

報告数は一貫して増え続けているのである。どうやらダイオキシン類

を犯人に仕立てあげることはもはや難しくなってきたと言ってよい。

では、ダイオキシン騒動から20年以上がたったいま、何が犯人とされ

ているだろうか。ネットも含めたメディア空間を見ると、世界で最も

安全な農薬といってよい除草剤のグリホサートやネオニコチノイド系

農薬、遺伝子組み換え作物、食品添加物、ワクチンなどが標的になっ

ている。遺伝子組み換え作物が普及し始めたのは1996年からだ。ダ

イオキシン類が騒がれたころは、まだ標的とされるほど普及していな

かった。

こうしてみると、何か特定のモノを犯人に祭り上げる空気の構図は変

わっていないが、攻撃の対象となる悪役は時代によってくるくる変わ

る。ただし、命を脅かす原因を工業活動に伴う産物や工業文明(広い

意味で資本主義)に求めることは共通している。

  

そうなんです。二酸化炭素の削減が、将来“ダイオキシン騒動“に匹敵

するものになるのではないかと予想しています。

  

参考:2005年「ダイオキシン・環境ホルモン問題の顛末」(渡辺正)

ここで論文が紹介されています。

渡辺正さんの本は、今まで2冊読んでいます。

ここでも道草 「地球温暖化狂騒曲」① 1988年IPCCが温暖化を「人類の緊急課題」とした(2021年12月27日投稿)

この記事をスタートにして5本の記事

ここでも道草 「気候変動・脱炭素 14のウソ」を読みました(2023年6月5日投稿)

  

温暖化に振り回される人たちに目を覚ましてほしいという趣旨の本です。

その方が、ダオキシン騒動も切っていました。

日本のダイオキシン騒動がどのように進んだのか、

まとめていました。

引用します。

  

1983年11月 愛媛大学の研究者が「焼却灰にダイオキシン検出」と記者発表。

1983年12月 厚生省が「専門家会議」発足。

1984年〜1985年 同省、焼却炉メーカーと「緊急実態調査」

1997年2月 埼玉県のNGOが「産廃焼却で新生児死が急増」と告発。

        以後は報道が白熱し、研究者やマスコミ人が「恐怖本」を続々と刊行。

1999年1月 公明党が「ダイオキシン法」を提出。

1999年2月 テレビ朝日が「所沢ホウレンソウ」報道。

1999年7月 議員立法で「ダイオキシン法」が成立。

2002年12月 同法、本格実施となる。

 

「ダイオキシン法」はここで読むことができます。 

e-GOV法令検索 ダイオキシン類対策特別措置法

  

この法律によって、地方公共団体は対応の為に、

多額の費用を使い、

小型焼却炉の会社は倒産したといった記述があります。

  

長くなったので、続きは次の記事で書きます。

  

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