本「日本国紀 下」/チャーチルの喜び 大東亜戦争という名前 徴用船の悲劇
今日は令和5年11月5日。
前記事に引き続き、
「日本国紀 下」(百田尚樹著/幻冬舎文庫)
から引用していきます。
太平洋戦争に日本が参戦。
これを喜んだのが、アメリカ大統領ルーズベルト。
日本の攻撃を喜んだ人物がもう一人いました。イギリス首相のウィン
ストン・チャーチルです。日米開戦の報告を受けたチャーチルは大喜
びし、すぐにルーズベルトに電話しました。ルーズベルトの「いまや
われわれは同じ船に乗ったわけです」という言葉を聞いたチャーチル
は、これで戦争に勝てると確信しました。
彼はこの時の興奮と喜びを後に回顧録『第二次大戦』で次のように書
いています。
「感激と興奮とに満たされ、満足して私は床につき、救われた気持で
感謝しながら眠りについた」
さらにこうも書いています。
「ヒトラーの運命は決まった。ムッソリーニの運命も決まったのだ。
日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」
ドイツとイタリアに関しては個人の滅亡にのみ言及していますが、日
本に対しては民族全体の運命に言及しています。たまたまの表現なの
かもしれませんが、私はチャーチルの白人種以外への差別意識が表わ
れたと見ています。ちなみに彼は昭和二八年(一九五三)にこの回顧録
でノーベル文学賞を受賞しています。
(220〜221p)
チャーチルはこんなふうに思っていたのですね。
アメリカが参戦する理由を日本が提供してくれたことが、
本当にうれしかったのでしょう。
日本にとっては、やっぱり残念な判断でした。
戦争を煽った新聞社の罪は重い。
開戦四日後の昭和一六年(一九四一) 十二月十二日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」と名付けると閣議決定しました。したがって、この戦
争の正式名称は「大東亜戦争」です。現代、 一般に使われている
「太平洋戦争」という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものなの
です。
(221〜222p)
私たちは「太平洋戦争」と習い、教えています。
「大東亜戦争」は、大人になってから知るようになった名前です。
占領軍の目論見通りになっています。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウ
ムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用すること
に決めていました。 しかし軍が必要とするだけの数を使用すると、
国内の流通に支障をきたすため、軍は「半年だけ」という条件で無
理矢理に民間船を使用したのです。ところが、インドネシアからの
石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によっ
て次々と沈められる事態となります。 それでも海軍は、輸送船の護
衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くこ
とは一切ありませんでした。「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を
撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではな
い」というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でパルチック艦隊を壊滅させて日露戦争
に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させ
れば終結すると考えていました。そのため艦隊決戦こそが何よりも
優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考え
もしなかったのです。 海軍では船舶の護衛任務を「くされ士官の捨
て所」と呼んで軽傷していましたし、陸軍にも「重輸卒(しちょう
ゆそつ)(物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。 戦争が、輸送や生産も
含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。それで「半年
だけ」という約束は反故にされ、軍はさらに民間船を徴用すること
になります。そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行
き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。石油を含む物資
の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になっ
たにもかかわらず、軍はそのあたりをまったく把握・理解できてい
ませんでした。
驚くべきデータがあります。 公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」
の調べによれば、大東亜戦争で失われた徴用船は、商船三千五百七
十五隻、機帆船二千七十隻、漁船千五百九十五隻、戦没した船員と
漁民は六万人以上にのぼります。その損耗率は何と約四三パーセン
トです。 これは陸軍兵士の損耗率約二〇パーセント、海軍兵士の
損耗率約一六パーセントをはるかに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸け
で運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には
満足に行き渡りませんでした。それでも軍需物資の不足に悩む政
府は、昭和十七年(一九四二)五月に、金属類回収令を発動し、寺
の梵鐘(ぼんしょう)、橋の欄干、銅像、さらに一般家庭にある
余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。この時点で、戦争継続
は不可能な状況といえました。
(222〜224p)
徴用船の悲劇は、以前記事にしたことがあります。
※ここでも道草 民間徴用船の調査に関する記事(2020年8月12日投稿)
この記事から、2014年の4本の記事まで飛べます。
関心のある徴用船。
船舶の護衛を重要な仕事であると思っていなかったことを知りました。
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