民間徴用船の調査に関する記事
今日は令和2年8月12日。
新任の年の夏にあった日本航空の
ジャンボジェット機墜落事故は忘れていません。
職員旅行から帰ってきて、
豊橋駅の西側にある食堂のテレビで、
この事故のことを知りました。
あの日から今日で35年。
私の教員歴は35年4カ月余りということです。
次のことも忘れてはいけないこと。
今日(2020年8月12日)朝日新聞夕刊の記事に注目。
「徴用船」という言葉で、過去の記事を思い出しました。
※ここでも道草 「戦時徴用船」1/「あるぜんちな丸」「ぶら志る丸」(2014年3月27日投稿)
☝ この記事を含めて、4本の記事を書きました。
その時の記事から引用します。
太平洋戦争中、民間の船は軍の管理下におかれ、
物資や人員の輸送に船員ごと投入されたそうです。
そのような民間の船のことを「戦時徴用船」と言いました。
戦時徴用船は対した武器ももたずに戦地に向い、
敵機や敵潜水艦から狙われました。
多くの船が沈められ、6万人の船員が戦死しました。
戦死率は43%。これは海軍軍人の3倍近くにのぼります。
昨日の同紙夕刊にも、海底に沈むたくさんの徴用船のことが
書かれていました。
その船がどの船であるのかを特定することが難しいのだそうです。
つまり誰がどこで死んだのかが特定できないということです。
現在、海に沈む徴用船の調査が進んでいるようです。
2014年の記事には、今日の夕刊でも紹介されている
「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)のことも
載っていました。
民間徴用船について勉強するなら、この資料館ですね。
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