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2020年10月

2020年10月11日 (日)

飽きさせない脚本/毎時間の授業の流し方で悩む日々

   

今日は令和2年10月11日。

  

昨日の朝日新聞「be on Saturday」版の「フロントランナー」では

ドラマ「相棒」が始まって20年の主演水谷豊さんへの

インタビューが掲載されていました。

  

一部引用します。

 

問:過去と比べない?

答:ええ、毎年、新シーズンに入るときに前と比べて変えようとか、

  思ったことがない。いつも、さてさてこれから先に何が待って

  いるのか楽しみで、先に向かっていこうと。その時その場で感

  じることが一番だと思っています。

   

今日は何があるか、どうなるかを楽しめたらいいなと思います。

最近の私はどうも未来を楽しんでいないので、

水谷さんのように思えたらいいな。

日々学校で起こることは、

だれにだって予測不能のことです。

その状況で自分のベストを尽くせばいいのです。

とは思います。

 

でも水谷さんが上記のように思えるのは、

次の発言にヒントがあります。

   

問:放送期間は半年、撮影期間は7カ月。

  マンネリ化させないのは大変です(ね?)。

答:やっぱり脚本が飽きさせないのです。監督陣、撮影も毎回、

  何か新しいことをやってくれる。新しい世界が出てくるの

  で、僕を、右京を、飽きさせない。(中略)

  毎回、役者としては今までにない経験ができるんですね。

  台本を読むと意表をつかれ、こんなことがあるんだなあと

  いつも新鮮ですし、緊張もします。

  

「脚本」に注目します。

最近は私は「脚本」にこだわってドラマを見ています。

面白いか面白くないかは「脚本」を重視しています。

昨年が20年目だった「科捜研の女」は脚本が不調でした。

※ここでも道草 「科捜研の女」を見るのを、しばらくやめます(2020年1月8日投稿)

「相棒」では、飽きさせない脚本が、

そしてスタッフの新たな試みがあるようです。

それが水谷さんがこれからを楽しみにしている要因だと思います。

  

自分の仕事で考えるなら、

授業の流し方が脚本だと思います。 

毎時間の授業の脚本で悩みます。

うまくいけば、生徒たちは知的に楽しめます。

次の授業も楽しみにします。

  

ただ最近は脚本に悩むことに少々疲れ気味です。

心療内科の先生には、もっと気楽に授業をやったらどうですか

と言われます。

そうなんですよね。

今の状況を変えたいです。

  

  

そんなことを思った記事でした。

「復活の日」は「見てから読む」でした

    

今日は令和2年10月11日。

  

昨日の朝日新聞では、「角川映画」について書いてありました。

角川春樹社長の下、映画「復活の日」(1980)をはじめとして、

「犬神家の一族」(1976)、「人間の証明」(1977)、

「野生の証明」(1978)、「戦国自衛隊」(1979年)、

「セーラー服と機関銃」(1981)、「蒲田行進曲」(1982)、

「時をかける少女」(1983)、「探偵物語」(1983)、

「Wの悲劇」(1984)、そして「天と地と」(1990)

などの映画が連発されました。

こうやって並べてみても、ほとんど見ています。

映画館で見たものもあれば、テレビ放映で見たものもあります。

  

記事を読んで「角川映画」には次のようなコピーがあったことを

思い出しました。

  

「読んでから見るか、見てから読むか」

  

角川春樹社長の目的は、映画をヒットさせるだけでなく、

本を買ってもらうことでした。

 

私は映画「復活の日」は、1980年に映画館で4回見ました。

最初に1回見に行って、

後日、オールナイトで3回連続で見ました。徹夜でした。

しかし、原作を読んだのは、40年後の先日でした。

「見てから読む」でした。

それも図書館で借りた本でした。

  

AERAdot. 「読んでから見るか、見てから読むか」の時代――角川映画40年

この記事によると、角川春樹社長の目的はもう一つあって、

主題歌をヒットさせることもあったようです。

それに私は乗っかりました。

「復活の日」の主題歌ジャニス・イアンの「ユー・アー・ラブ」を

何度聴いたことか。ここでまた1回 ☟

You Are Love【訳詞付】- Janis Ian

    

上記「AERAdot.」の記事から一部引用します。

  

角川書店の二代目社長・角川春樹が映画製作に乗り出したのは

1976年の「犬神家の一族」からだ。

しかし角川書店が「映像化によって原作の本が売れる」ことを

実感したのはその7年前の69年だ。

この年のNHKの大河ドラマは「天と地と」で、

海音寺潮五郎の原作は角川書店から出ていた。

当時、同社は経営不振に陥っていたが、

『天と地と』がベストセラーになったことで立ち直った。

翌70年、角川は無名の作家エリック・シーガルの

『ある愛の詩(うた)』の日本での版権を取得し翻訳出版すると、

映画が大ヒットしたので、翻訳小説としては異例の

100万部を超えるベストセラーとなった。

テレビドラマや映画がヒットすればその原作も売れる──

そんなことは出版界の人間なら誰でも知っていた。

だが、自分で映画化しようと考え、実行した出版人はいなかった。

角川春樹はそれをやってのけた。そして成功した。

角川映画が生んだ最大のスターとは、薬師丸ひろ子でも原田知世でもなく、

角川春樹その人だった。

あの時代、そしていまにいたるまで、映画プロデューサー、

あるいは出版社社長で角川春樹ほど知名度のある人はいない。

講談社や小学館の社長の名は出版業界では知られていても、

一般の人は知らない。しかし、角川春樹は有名だった。

その点でも、角川はアップルのジョブズに先駆けている。

    

なるほどです。

当時、角川春樹社長は目立っていて、

名前も顔もわかっていました。

映像化によって原作の本が売れることに実感したのは、

1969年の大河ドラマ「天と地と」だったのですね。

1990年に「天と地と」を映画化したのは、

こんな因縁があったのですね。

  

その時代を過ごしてきた身として、「角川映画」について

もっと知りたくなりました。

角川映画 1976-1986(増補版) (角川文庫)

この本が面白そうです。

きっと読みます。

  

 

2020年10月10日 (土)

日めくりより/「柚子胡椒」には胡椒が入っていない?

    

今日は令和2年10月10日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

Epson498

   

「柚子胡椒」には胡椒が入っていない?

  

そうだったのですね。

今まで、胡椒が入っているものだと思っていました。

現に黒い粉が入っているように見えます。

 

これはすぐに確認できること。

家の冷蔵庫にある柚子胡椒を調べました。

ハウス食品の「柚子こしょう」です。

Rimg2342  

あの黒い粒は胡椒ではありませんでした。

 

そうなると、「柚子こしょう」という商品名にも引っかかります。

「胡椒」と漢字ではなくて「こしょう」とひらがな表記にしたのも、

胡椒が入っていないことをやわらかく示したように思えます。

  

 

インドが数学教育に力を入れた理由

   

今日は令和2年10月10日。

  

地理の教材研究でこの動画を見ました。

NHK for school 10min.box 地理 なぜインドではICT関連産業が急速に発展したんだろう?~アジア州~

  

なぜインドにICT関連産業が急速に発展したのだろうかという

問いに対して、いろいろな角度から理由を考える番組でした。

その理由の一つに注目しました。

それは教育。

インドは数学教育に力を入れました。

以下、番組から引用します。

  

どうして数学教育に力を注いでいるかというと、それは、1947年、

インドがイギリスから独立したときにさかのぼります。

独立した当時、インドには第一次産業以外に大きな産業は

ありませんでした。そこで教育に力を入れ、

頭脳で国を興そうと考えました。

その答えが、長い歴史を持つ数学です。

そして、パソコン技術者の教育、育成にも力を入れることで、

ICT関連産業が飛躍的に発展したのです。

1

  

  

少し前に、ガンジーのことを調べて関心があったインド独立。

ここでも道草 マハトマ・ガンジー、原敬を教えたくなりました(2020年8月23日投稿)

数学教育に力を入れたのは、そのインド独立に関連があったのです。

このつながりがうれしかったので書き留めました。

 

 

  

思い出しました。

ブログのサブタイトルに書いてある「明日迄の命の気持ちで、人生を!

/ 不老不死の気持ちで、知識の習得を!」は

ガンジーの言葉が基でした。

ここでも道草 あの言葉はガンジーの言葉が基でした(2018年12月31日投稿)

再認識しました。

  

2020年10月 8日 (木)

日めくりより/「stain(さび)」「less(ない)」

  

今日は令和2年10月8日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

ステンレスがサビにくいワケは?

Epson497  

昨日の日めくりです。

久々「そうか!」と思えて、ここに記録しようと思いました。

ステンレスのあの銀色の光沢は、

サビによって作られているのですね。

「ステンレスがサビに強いのは、もともとさびているからなのだ」

いい結論です。

  

「そうか!」と思える気持ちがまだあることがうれしかった。

そろそろ好奇心も老いるのではと不安に思っていました。

  

2020年10月 7日 (水)

「復活の日」原作を読破

   

今日は令和2年10月7日。

  

「復活の日」を読破しようと、昨晩から思っていました。

昨晩までに「第一部 災厄の年」302pまで読みました。

残す「第二部 復活の日」は76p。

それを先ほど読み切りました。

 

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「復活の日(新版)」

(小松左京著/早川書房)

  

「復活の日」が発刊されたのは1972年10月。

この「新版」が発刊されたのは2018年1月です。

装丁がなかなか格好のいい本でした。

  

映画「復活の日」は思い出があります。

その思い出はここに書きました。☟

ここでも道草 「復活の日」が放映される(2017年2月6日放映)

やっと原作を読みました。

  

ほぼ50年前の作品なのですね。

たった3カ月で人類が滅亡することを表現してしまう筆力に驚きです。

人類の断末魔を見させてもらいました。

心臓麻痺でポックリ死んでいく様は恐怖でした。

新型コロナウイルスはそうではないことに

ホッとしている自分がいます。

ラストのホワイトハウスでの出来事や、

南米まで歩くところは、

映画のシーンがどんどん浮かんできました。

原作に忠実に描かれていたことを知りました。

大きな違いは、原作では初老の女性だったのが、

映画ではオリビア・ハッセ―でした。

  

  

休職中に習慣になった読書は、今も続いています。

でも仕事の時間を確実に奪っています。

これでいいのかと自問します。

でも6分以上の読書も魅力は捨てがたいです。

ここでも道草 「6分の読書でストレス7割減!」・・・確かにそう思います(2020年8月17日投稿)

 

印象に残った文章を1つだけ引用します。

  

「どんなことにも・・・終わりはあるさ・・・」

土屋医師は、はっきり寝言とわかる声でいった。

「ただ・・・どんな終わり方をするかが、問題だ」

(210p)

  

「辛いことがあっても、どんなことにも終わりがある」と

自分を励ますことがあります。

でもその次に「どんな終わり方をするかが、問題」と

付けたことがありませんでした。

いかんなあ、知りたくなかったセリフかもしれません。

  

  

  

さあ仕事をしよう。

きっと効果があると信じている仕事をまた一つ積み重ねます。

2020年10月 6日 (火)

右足ふくらはぎ外側痛/整形外科に行く

   

今日は令和2年10月6日。

  

先週から右足ふくらはぎ外側が痛み出しました。

今週になっても治らず、歩行も困難になってきたので

整形外科に行きました。

お医者さんからは筋肉が硬い。

ストレッチが必要だと言われました。

そうか自分の筋肉は硬いんだと認識しました。

硬い状態で、先週は体育でバレーボールを頑張ったりしたので、

そら見たことかと体が悲鳴をあげたようです。

 

筋肉の固さを和らげる漢方薬を処方してもらいました。

ヒマさえあればストレッチをこころがけたいと思います。

でもやっぱり病院に行ったのはよかった。

リハビリをしてもらったり、痛み止めの軟膏を処方してもらって

患部に塗ったりしたら、痛みがやわらいだように思えます。

もちろん漢方薬も飲みました。

明日にはスタスタと歩けるのではと思えてしまいます。

  

痛みを我慢するのではなく、病院に行くのがいいですね。

  

  

そうだ、今回私が痛めた場所は、

兵隊さんがたくさん歩き過ぎた時に痛める場所だとも教えてくれました。

だから兵隊さんは、ふくらはぎにゲートルを巻いているのだそうです。

0m0e126620e84d280e363e604c2561657e2 北村有起哉公式ブログ

 

 

2020年10月 4日 (日)

「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」/撮影前後を想像する

   

今日は令和2年10月4日。

  

前記事に引き続き、

「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」

(庭田杏珠・渡邉英徳著/光文社新書)より。

  

  

Epson487

1942年2月15日 無条件降伏の白旗とイギリス国旗を掲げ、

日本軍陣営に来たシンガポール防衛のイギリス・マレー軍総司令官

のパーシバル中将(右端)ら。朝日新聞社提供。

  

この写真の人物は生き生きと写っており、

この写真の撮影後も行進を続けている様子が目に浮かびます。

降伏の調印がなされ、イギリス兵は捕虜として収容されたことでしょう。

撮影後を想像してしまいました。

  

  

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1944年 フィリピンでくつろぐ「勤皇隊」隊員たち。右から

片野茂伍長、加藤和三郎伍長、増田良次伍長、大村秀一伍長、入

江直澄伍長、白岩二郎伍長。勤皇隊は12月7日、フィリピン・

オルモック湾で特攻を敢行した(加藤氏は10日にレイテ湾で特

攻)。朝日新聞社提供。

  

表情がわかる写真です。

真面目そうな笑い、お調子者のような笑いなど、

それぞれの人の性格がわかる表情です。

どのような生き方をしてきたのか想像したくなります。

そして同じような人が身近にいるよなと感じます。

でもこの人たちは、撮影後、特攻で命を失っています。

撮影後を想像したくない写真です。

 

  

  

カラー化は効果的だと思います。

白黒写真より、現実に近づくのだと思います。

「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」/カラー化によって今に近づく

   

今日は令和2年10月4日。

  

この本を読みました。

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「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」

(庭田杏珠・渡邉英徳著/光文社新書)

  

 

この本に載っていた写真を5枚、トリミングして載せます。

写真全部を見たい場合は、ぜひこの本を購入してください。

   

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糸満漁師のふか捕り名人、上原亀さん。孫の準之助さんによると、

身長180cm余りで筋骨たくましく「仁王(ニワー)」という

あだ名だった。息子は数隻の船主として稼いでいたが、本人は小

型の木造船「サバニ」での漁にこだわっていた。沖縄戦を生き延

び、1954年、74歳で生涯を閉じた。(朝日新聞提供)

 

1935年の写真のようです。

この本にはページ数が記されていないので、

ページ数は紹介できません。

  

カラー化によって、ぐっと今に近づいてきます。

この写真が85年前の写真であって、

写っている上原亀さんは、

私が生まれる7年前に74歳で亡くなっていることに驚きました。

次の写真も同じように思いました。

 

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1943年カリフォルニア州のマンザナー日系人強制収容所で体操

する人々。Ansel Adams撮影。

  

77年前の写真。

少女が、中学生くらいの年齢だとしたら、

現在は90歳前後となります。

カラー化によって古さを感じない、

というか、真実の景色に近づいたということなのでしょう。

 

  

前記事の「ファットマン」運搬映像と同じ時の写真がありました。

Epson484

1945年8月8日 翌日の長崎への投下に備えて組み立てられた

原爆「ファットマン」にサインする、開発者のノーマン・ラムゼー

博士。

  

この小さな「ファットマン」に、

7万人以上を死に至らせる力が詰まっているのですね。

原子爆弾はやはり恐ろしい。

  

  

つづく

  

  

  

  

長崎原子爆弾/ファットマン塗装運搬投下

   

今日は令和2年10月4日。

  

1945年の8月9日に長崎市に落とされた原子爆弾は、

「ファットマン」と呼ばれるものでした。

そのファットマンが運搬され、爆撃機に搭載され、

投下されるまでを映した映像がありました。

原子爆弾の運搬から長崎市に投下までの映像

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上半身裸の兵士らが、ファットマンを塗装しているようでした。

爆撃機への搭載は、一度滑走路の地下に埋めてから、

引き上げるのだなと思いました。

街をこなごなにして、7万人以上の人命を奪い、

その後も多くの被害を生みつづけた原子爆弾が、

たったこの1発なのですね 。

この小さな1発と甚大な被害が釣り合わないなと思いました。 

  

  

※参考:ここでも道草 長崎原子爆弾/炸裂地上空500mから俯瞰(2020年9月29日投稿)

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