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2020年5月

2020年5月 8日 (金)

「本物の教養」⑤ 映画『ゼロ・グラビティ』のラストシーン

  

今日は令和2年5月8日。

 

前記事に引き続いて、

「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より

引用していきます。

  

 人生にとって時間は一番大事なものの一つ。

(131p) 

最近読んだ堀江貴文さんの本にも書いてありました。

ただ堀江さんの場合は、時間が最重要でした。

ここでも道草 「本音で生きろ」⑤ 世の中で最も貴重な資源は、時間だ(2020年4月28日投稿)

定年が迫ってきた私も、時間が重要になってきています。

  

 芋づる式というのは、物事の発展の自然な形であるように思います。

(147p)

このブログ上でも、時々起こる芋づる式。

調べることで、次の疑問が起こり、さらに調べる。

それは自然な形ではあるけど、「発展」なのですね。

 

 本を読み人の話を聞くだけでは、分からないことがある

 旅の最大の効用は「百聞は一見に如かず」にあります。ピラミ

ッドの大きさは本を読んでも知ることはできますが、ギザのピラ

ミッドの前に立ち、その場の匂いを嗅ぎ、熱気を感じ、石に触っ

てみて初めて得られるものがたくさんあります。あの場所の熱気

や砂の熱さ、マスとしての量感といったものは本を読んでいるだ

けでは決して分かりません。何よりも生きた情報を五感を通して

 2013年に封切られた映画『ゼロ・グラビティ』のラストシ

ーンで、主人公が地球に帰還し砂浜に裸足で立つ場面が描かれま

したが、二本歩行の人間が足で大地の重力を感じるとても印象的

なシーンでした。旅によって得られる情報量は圧倒的です。人間

は目で文字を読み、耳で人の話を聞くことで情報を得ると思った

ら大間違いです。人は常に五感で情報を得ているのです。

(158p)

  

2016年6月11日放映の「ゼロ・グラビティ」(2013年)より、

そのシーンの写真を載せます。

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 自然発生的なハングリー精神があまり期待できない時代に重要な

役割を担うのは教育です。教育とは、本来、人間が社会で生きてい

くために必要な武器を与えるのです。少なくとも二つのことが教え

られるべきです。

 1つは「考える力」です。自分の頭で考え、自分の言葉で、自分

の意見を言える人間を育てあげること、それが教育の最大の目標で

す。

 もう一つは現代社会をおくるうえで必要な「生きた実践的な知識」

を教えることです。とくに現代社会においては「選挙・民主主義」

「お金」「税と社会保障」など、生活に直結する事柄について実践的

な知識を学んでおかねばなりません。

 ところが、戦後長く続いた「考える必要のない」キャッチアップモ

デル時代の名残で、いまもって「考えない」教育がなされているよう

な気がしています。暗記を偏重していたり、受験を目的とした妙な学

習体系が確立していたりして、生きるのにさして重要ではない知識ば

かりが異様な精緻さで教えられています。民間も「教育産業」の名の

下でそれに拍車をかけています。わが国の教育は本来の機能を取り戻

す必要があると思います。

(162~163p)

 

 

暗記偏重はありますね。

ここは変えていきたい。

「受験を目的とした妙な学習体系」は不明です。

どんなことだろう。

 

 

以上で「人生を面白くする本物の教養」よりの引用を終了します。

「本物の教養」④ 図書館の蔵書は市民の共有財産

   

今日は令和2年5月8日。

 

前日の記事に引き続いて、

「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より

引用していきます。

 

 無法や暴走、不正などに歯止めをかけるのは「常識を疑う」こと

です。市民の一人ひとりが社会常識を疑うことによって、社会は健

全に発展し、自浄作用が機能します。それが近代国家における批判

精神であり、「リテラシー」(leteracy)と言われるものです。リ

テラシーは教養そのものと言っても過言ではありません。

(76~77p)   

 

 日本人はリテラシーが低いと言われています。キャッチアップモ

デルで十二分にうるおった戦後の日本社会では、疑うことをよしと

しない風土がありました。また、「一つになろう」とか「みんなで

一緒にゥ」といった集団性を尊ぶメンタリティが一様に礼賛された

ため、なおさら「世間や人様を疑うことはよくない」という気風が

強くなったと考えられます。

 「一つになろう」とか「みんなで一緒に」という言葉は確かに美

しく響き、よいこと、こんましいことというイメージが伴います。

しかし、そこには同時に、一つになろうとしない者や一緒にならな

い者を排除する論理が働きます。それが高じると、「よそ者」への

攻撃につながる恐れがあります。集団のロジックに同調しない者は

否定するという、危険な側面があるのです。

(77p)  

 

「疑うことを良しとしない」風土は

どっぷりつかってきたなと思います。

でも変わってきています。

過渡期ですね。

若い時は親友の結婚式に出席するよりも、

職員旅行が優先でした。

いまは職員旅行すらありません。

昔は2泊3日であったんだよというと驚かれます。

  

  

ゴルフ、テレビの時間を捨てて本を読む時間を確保。

(101p)

 

限られた時間です。これからも読書を重視していくのに、

何かを削らなくてはいけません。

何だろう。

これが難しい。

  

  

『クアトロ・ラガッツィーー天正少年使節と世界帝国』(集英社文

庫)は、天正の少年使節を一つの切り口にしながら、世界史の文脈

のなかで日本はどういう位置に置かれていたのか、日本は世界とど

う対峙しようとしたのかなどが、圧倒的なスケールで描き出されて

います。読み終わったときに深い感動を覚えました。歴史好きの皆

さんにはぜひ一読をおすすめしたい一冊です。

(112p)

  

この本の作者は若桑みどりさんです。

私も歴史好きの端くれなので、試しに読んでみたいと思った文章です。

    

  

 劇作家の平田オリザ氏は、図書館こそ二十一世紀の施設だと語っ

ています。文化の公共性を担い、地域コミュニティの鍵となるポテ

ンシャルを秘めていると図書館の今日的重要性を指摘されています。

私も同意見です。図書館はもっと見直されていいと思います。図書

館の蔵書は私たち市民の共有財産ですから、活用しない手はありま

せん。

(118~119p)

   

「市民の共有財産」という言葉が印象深かったです。

そうだよ、図書館のものではなくて、私たちのものなのです。

堂々と利用するべきなのです。

ちょっと図書館への見方が変りました。

  

しかし、今は新型コロナウイルスの感染防止のために閉館が

長く続いています。

3月初めに予約した本が、いまだ手にすることができません。

4冊あります。

図書館が始まってほしいです。

     

  

 デジタルデータはたしかに大量に蓄えることができますが、

消えるときは全部いっぺんに消えてしまうリスクがあります。

(120p)

  

この心配は、常々心の片隅にあります。

13年かけて蓄積してきたこのブログも、

ブログの運営会社が何か事故で、ブログ抹消なんてことに

なりはしないかと・・・・

ブログを失った後の自分はどうなってしまうのだと、

できたら考えたくないと逃げていることです。

  

つづく

2020年5月 7日 (木)

「本物の教養」③ 「人間はそれほど賢い動物ではない」「単純な動物」

  

今日は令和2年5月7日。

   

前日の記事に引き続いて、

「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より

引用していきます。

  

  

 教養には「知識がある」だけでは不十分で、それに加えて「自分

の頭で考える」ことが不可欠です。しかし、現代の日本人はこれが

不得手です。戦後一貫して「考えない」ほうがむしろすべてうまく

まわる社会システムのもとで生きてきて、その成功体験がしみつい

ているからです。(中略)

 講演などで、日本人は自分の頭で考えることが苦手だと話すと、

「いまさらそんなことを言われても、自分は日本の教育で育ってき

た。これからどうすればいいのですか?」と聞かれます。

 そうした声には、「今日の皆さんが一番若いのです」と答えてい

ます。「一番若いときに始めましょう」と。たとえば「自分は大学

時代にろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」と

思うくらいなら、今夜から読み始めればいいだけのことです。

 いまさらもう遅すぎると努力を放棄する人は、サボる理由を探し

ているだけです。そんなことを考えている時間があれば、一冊でも

本を読んだほうがよほど有益です。人は何歳からでも学ぶことがで

きます。何歳であっても決して遅すぎることはありません。

 そもそも神様でない限り、過去を変えることはできず、人間がど

うにかできるのは未来のことだけです。これまで自分の頭で考える

努力をしてこなかったのなら、今夜からそのための努力を始める。

それよりほかには方法がありません。きわめてシンプルな話ではあ

りませんか。

(62p)

 

「何歳であっても決して遅すぎることはありません」というのを

何歳になっても言い聞かせて、やりたいことをやっていきたいですね。

  

  

 西日本で長く気候不順が続いていたという「数字」(データ)。

それにより飢饉が発生したという「ファクト」。そこから導かれる、

窮乏に陥った平家が戦力ダウンし、滅んだという「ロジック」。平

家滅亡飢饉説は「数字・ファクト・ロジック」の観点からきわめて

合理的に説明がつくと思います。

(69p)

 

「ロジック」とは「論理的に語れるもの」という意味のようです。

再び「ロジック」が登場します。

 

 物事の本質は、たいていシンプルなロジックでとらえることがで

きます。なぜなら、人間は本来シンプルな生き物だからです。逆に

言えば、シンプルなロジックで理解できないものは、本質をとらえ

ていない可能性があります。複雑で細かな話は、精緻な議論をして

いるように見えても、意識が枝葉の部分にとどまり、テーマ全体像

(幹)が見えていない場合がほとんどです。

(70p)

  

「人間は本来シンプルな生き物」が印象に残ります。

さらにこう言っています。

  

「木を見て森を見ず」という諺があります。一般に「森」の議論は

シンプルなものです。細かくややこしくなるのは「木」や「枝葉」

の話に終始するからです。そもそも人間はそれほど賢い動物ではあ

りません。むしろ単純な動物です。そうした人間がつくっている社

会も、その本質は単純であるはずです。そうであれば、人間社会の

本質は誰でもシンプルに説明できるはずだと私は思うのです。

(70p)

  

「人間はそれほど賢い動物ではない」「単純な動物」

いいですね、この表現。

ホッとします。

世の中、難しく考えずに、単純に考えましょ。

5月5日の午後7時30分にうちあがった花火

今日は令和2年5月7日。

  

〇5月5日。

 夕食後に奥さんと娘が、外に散歩に出かけた。

 午後7時30分頃、豊橋方面で花火があがるのを目撃。

 「お祭りをやっていないと思うけど、何の花火だろう?」

 帰宅後、その花火のことを私に教えてくれた。

 「何だろうね?」

〇5月6日。

 夕方のニュースで、昨晩花火の企画があったことが報じられた。

 「あ、昨晩の花火のことじゃないか?」と急きょ録画開始。

 そのニュースによると、愛知県・岐阜県・三重県にある4つの

 花火屋さんが、新型コロナウイルスの終息を願って、各地で

 一斉に(午後7時30分)に花火をうちあげたとのこと。

 打ち上げ場所に人が集まらないように、打ち上げ場所とか時間は

 公開されていなかった。岡崎では、「悪疫退散」の紙が

 花火に貼られていた。

 

それではニュースの写真を並べます。

CBC(中部日本放送)のニュース「チャント!」より。

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この苦境の時、 みんなが思いついてできることをやる。

いいことだと思いました。

悪疫退散が叶うといいです。

 

  

偶然花火を見かけ、偶然ニュースで知ったことでした。

2020年5月 6日 (水)

今日の新聞記事より/豊橋が空襲された理由

   

今日は令和2年5月6日。

   

以前、こんな記事を書きました。

ここでも道草 昭和20年6月19日~10月15日の出来事(2011年6月25日投稿)

いかに日本全国の都市が、空襲されていたかがわかります。

せめて地元の空襲はじっくり調べて知っておきたいと

この記事を書いた時に思いました。

私にとって地元は豊橋市と豊川市です。

  

昭和20年6月19日から20日にかけて、

豊橋市に空襲がありました。

今日の朝日新聞朝刊の記事です。☟

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この記事で2つのことを新しく知りました。

豊橋市は昭和20年に少なくとも22回空襲されていたこと。

豊橋市が空襲されたのは、

豊川海軍工廠への労働力を減らすためだったこと。

そこまで考えたのかと思いました。

ここに紹介されている本をさっそく手に入れて、

豊橋空襲の勉強をしたいと思います。

「令和に語り継ぐ豊橋空襲」(人間社)

インターネットで注文できました。

すみません、郵便局の職員さん。

また仕事を増やしてしまいました。 

「にっぽんの廃線100」 花巻電鉄・京都市電の映像

 

今日は令和2年5月6日。

  

5月4日に見始めましたが、

千葉県北東部を震源とする地震の

緊急地震速報で放送が延期してしまった

「アーカイブ秘蔵映像でよみがえるにっぽんの廃線100」。

ここでも道草 「匝瑳市」「行方市」は何と読むか?(2020年5月5日投稿)

  

再放送が今日の午前中ありました。

見ました。

廃線の映像が実際に100❢ 紹介されました。

その中で3つの廃線の写真を載せます。

Rimg2191  

国鉄湧網線。オホーツク沿岸を走っていました。

この線路は思い出があります。

廃線になったのは1987年3月。

その2年前の冬に、線路の横の道を歩いていました。

ここでも道草 1985年の流氷の写真(2020年1月6日投稿)

「湧網線(ゆうもうせん)」という名前は覚えています。

雪の中を走る列車を見たような・・・気がします。

見たはずです。

 

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2019年12月放映の「ブラタモリ 花巻編」

この花巻電鉄のことが紹介されていました。

ただ「ブラタモリ」で紹介された車両は、幅が狭かったです。

Photo テレビドガッチ

映像の車両とは違うなあ。

  

  

最後に京都市電の写真。

Rimg2194  

京都市電については以前勉強しています。

琵琶湖疎水について調べた時です。

疎水を使った水力発電でつくられた電力で、

日本初の市電が走りました。

6年前のこの記事↓に京都市電のことが書いてありました。

ここでも道草 第一竪坑(シャフト)を見に行く3.インクライン/疏水の完成(2014年9月15日投稿)

  

  

新ネタです。☟

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Rimg2196  

京都市電は1978年に廃線しています。

その前は、祇園祭の時に、山車の高い鉾を通すために、

市電の架線を毎年切断していたそうです。

そりゃすごい。

   

 

 

 

残念ながら、愛知県の田口線は、

「廃線100」の中に入っていませんでした。

  

日めくりより/「ゴリ押し」は以前調べたぞ

  

今日は令和2年5月6日。

  

 日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

「ゴリ押し」の「ゴリ」の正体とは?

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「ゴリ押し」は以前調べたぞと思って検索しました。

あった!

ここでも道草 「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ/ゴリ押し」を見た(2013年5月11日投稿)

7年前でした。

7年前の記事はその他に「フィギアスケート」

「大人になると丸くなる」「もぬけのから」「ホラを吹く」

について書いてあり、勉強になりました。

 

今回の日めくりのように、きっかけになって

昔の記事を読んで、再勉強するのはいいな。

「本物の教養」② かつてなく、「個の力」が問われている

  

今日は令和2年5月6日。

   

前記事に引き続いて、

「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より

引用していきます。

  

 

日本人が自分の頭で考えないようになったのは、

戦後の復興のやり方に原因があるというのが出口さんの考えです。

日本はアメリカに追いつけ、追い越せと動き出しました。

  

 ルートが見えているということは、どこをどうやって登ればよい

かが分かっているということです。新たに自分の頭で考える必要は

ほとんどありません。余計なことを考えて遠回りでもしてしまった

ら、むしろロスが発生します。つまり、戦後の日本は、自分の頭で

考えることを必要としない、もっと言えば、自分の頭で考えないほ

うが都合がいい社会だったのです。

(51p)

  

 青田買い、終身雇用、年功序列、定年制というワンセットの労働

慣行のなかでは、大学で何を勉強したとか、教養があるとかないと

か、そのようなことは一切問われませんでした。極論すれば個人の

個性や主体性などは、じつはどうでもよかったのです。むしろ、言

われた通りに働く没個性な集団のほうが都合がよかった。そのよう

な社会システムのもとで日本は高度成長を謳歌し、復興を果たして

きたのです。

 このように考えてくると、戦後の日本がいかに特殊な社会であっ

たかがよく分かります。半世紀以上も戦争がなく(明治維新から第

2次世界大戦まで戦争の連続でした)、平均実質成長率で約7%と

いう高度成長が40年近くも続き、人口も増え続け、しかも平均寿

命(男性)も50歳そこそこから80歳にまで延びるという夢のよ

うな社会は、世界史のどこを振り返ってもあまり例がありません。

例外中の例外、私たちは「ガラパゴスのなかでガラパゴスの夢を見

ていた」のです。冷戦がとうの昔に終結し、人口が減り始め成長が

止まり、あらゆる指標が頭打ちになったいまの日本こそ、普通の国

に戻ったと言うべきです。

 夢の国から普通の国に戻った以上、日本も他の国々と同様、普通

の国としてやっていかなければなりません。世界を見渡せば、グロ

ーバル企業の幹部たちは、みんな必死に勉強し、いろいろなことを

知っていて、自分の頭で考えている、というのが実相です。

(54~55p)

  

やっぱり日本は「個の時代」になったのです。

もはや企業は守ってくれません。

自分で考えて、未来を生きていかなければなりません。

藤原和博さんはその境目は1997年だと言っていました。

ここでも道草 「本を読む人だけ」① 「それぞれ一人一人」という時代に変わった(2020年1月7日投稿)

私の年代は両方の雰囲気を体験しているわけです。

昔にとらわれず、かと言って、昔のよいものは残しつつ、

自分を変え、身のまわりを変えていく変革者に

なろうと思えばなれる立場にあると思います。

 

大事なのは、勉強して、自分で考える。

  

さらに追い打ちで引用します。

  

 このような状況下で、私たちには教養が求められているのです。

ただたんに物事をたくさん知っておいたほうがいいというのとは

わけが違います。行き詰まりをブレイクスルーするオリジナリテ

ィ、さまざまな相手を惹きつける「面白さ」「人間的魅力」、自

分の頭で考える力など教養の力を全開することが、切実に必要と

されています。戦後このかた、私たちは「みんな一緒に」を好ん

で得意としてきましたが、いまやかつてなく、「個の力」が問わ

れているのです。

「はじめに」で述べたように、私は教養とは人生を豊かにするも

のだと考えています。ですが、日本社会という大きな観点から見

ると、いま教養は、日本人の生き残りのための必要不可欠な条件

になっていると言えるのです。

(57p)

  

今は新型コロナウイルスのために、

前代未聞のことが起こっているときです。

実は頭の使いどころなのです。

一人一人が頭を使って、何かアイデアを作り、

それを持ち寄るときだと思います。

勤め先が守ってくれるわけではありません。

教師の給料だってどうなるかわかりません。

文科省や教育委員会の指示を待っているだけではダメで、

教師ができることを考え、実行する時だと思います。

「待ち」ではなくて「動」です。

  

先日、提案が一つ却下されたけど、今日はまた何か考えよう。

「本物の教養」① 端的に言えば、勉強不足です

  

今日は令和2年5月6日。

  

今度はこの本を読みました。

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「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)

  

 「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、

どうでもいいことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつ

けたりするためのものではなく、自分の人生を彩り豊かにするため

のものだと思います。ですから、教養を高めれば人生をもっとエン

ジョイできるのに、どうしてそうしないのか、という逆の問いかけ

もまた可能です。

 日本人は、”心の幅”が不足しているように感じます。とくに戦後

の日本人はそうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とに

もかくにもアメリカにキャッチアップしなければという時代が長か

ったので仕方がない面はあります。だとしても、関心事が経済やビ

ジネスに偏りすぎているように思えてなりません。

(20p)

 

「キャッチアップ」は「追いかける」「追いつく」の意味です。

※参考英語部

「心の幅」が狭いという指摘です。

私たちより一回り上の世代はそうかもしれません。

いや私たちもそうかな。とにかく仕事中心に時間を使っていました。

  

  

 別に興味の範囲を広げようなどと思わない。面白いことは一つあ

れば十分だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それは

それでいいのですが、興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分

の好きなものや、打ち込めるものが見つかる確度が高まります。つ

まり、選択肢が広がるのです。自分が本当に好きなものは案外見つ

からないものです。面白いことが多いのは決して悪いことではない

でしょう。

(21~22p)   

  

食わず嫌いをせずに、興味の範囲を広げ、本当に好きなものに出合う。

自分は出合っているのかな?

  

  

 「知っている」だけでは十分ではないのです。知識に加えて、そ

れを素材にして「自分の頭で考える」ことが教養なのだと思います。

(24p)

 

この本の中で何度も「自分で考える」「自分の意見を持つ」ことを

言っています。日本人は苦手です。なぜ苦手であるかも説明してい

ます。

  

 

 そもそも、意見を決められないとき、私たちはどのくらいその問

題について真剣に考えているでしょうか。そのテーマに関する本の

一冊でも読んでいるでしょうか。大して考えることのないままに、

「決められない」と言っているだけではないでしょうか。

 日本人の教養不足の一因は、このような「手抜き」にあるように

思います。端的に言えば、勉強不足です。わずかな努力を惜しんで、

お手軽な「答え」に乗っかろうとする風潮が強すぎます。これでは

「自分の頭で考える」ことなど夢物語です。

(28p)

 

「勉強不足です」が痛快でいいですね。言い訳無用の結論です。

「300冊読めば、何か言いたくなる」と書いた藤原和博さんを

思い出します。

勉強することで、自分で考えることができるようになるのでしょう。

その言葉を信じて、休職からの読書の目標は300冊です。

  

  

 「ボキャブラリー」があって、「広く、ある程度深い知識」を持

っていても、それだけではまだ十分ではありません。それらに加え

て「自分の意見」を持つことが決定的に重要です。

 日本では、知識自体は豊富でも、「自分の意見」を言えない人が

たくさんいます。あれこれ評論家のように語ることができても、そ

の問題についてあなた自身はどう考えますか、と尋ねると、それま

での舌峰(ぜつぼう)がともすれば鈍りがちになります。

 日本にはもともと、「異論」を論じにくい風潮があります。周り

と同じ意見、同じ考え方のほうが生きやすいというか、摩擦が生じ

なくていいと思われるふしがあります。それがさらに「みんなで一

緒に」とか「一つになって」という一種のスローガンとして、叫ば

れたりもします。しかし、異論が存在できない社会はきわめて不健

全です。

 世界では、ユニークなものの見方やパーソナリティが際立った考

え方は、それだけで一目も二目も置かれます。彼らは「こんなこと

を言ったら恥ずかしいのでは、周囲からういてしまうのでは」など

と金輪際考えません。むしろ、いっぱしの大人が「自分の意見」の

一つも持たないほうが恥だと思っています。

(41~42p)

  

日本にドップリの私にとって、目を開かせてくれる文章です。

中野信子さんも同じようなことを書いていたと思います。

このブログで、いろいろなことを考えて、

自分なりの意見をどんどん生産していきたいです。

  

  

つづく

2020年5月 5日 (火)

「アナザーストーリーズ 東海村臨界事故」③ だれ一人、大内さんのようにしてはならん

  

今日は令和2年5月5日。

  

前記事に引き続き、

2019年12月3日放映の「アナザーストーリーズ 

東海村臨界事故 終わらない闘い」より。

  

〇2011年3月の東日本最震災。

 その時に起こった福島第一原発爆発事故。

 原子炉を冷却するために、ハイパーレスキュー隊による

 注水作業が行われることになった。

 そこに、大内さんの治療にあたっていた医師山口芳裕さんがいた。

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〇山口さんは、東海村臨界事故の治療の後、アメリカに留学。

 最先端の被爆治療を身につけていた。

〇福島では、レスキュー隊の被爆管理を担当。

 隊員たちが大量の被爆をしないように奔走した。

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〇聞き書き

 

山口:あの若者たちをだれ一人、大内さんのようにしてはならん

   という思いは、とても強く頭に浮かびました。

ナレーター:しかし、隊員たちは、自分の健康を心配して

   活動を制限したら、被災地に来た意味がないと

   山口と激しく衝突した。

山口:彼らは「命を捨ててきた」と言うけれども、

   ちゃんと生きて帰るんです。生きて帰った後、

   それから長い長い人生が待っている。

   私はともかくJCO(東海村)のイメージがあるので、

   絶対に被曝させたくない。

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ナレーター:隊員たちは皆、健康への影響が確認されている線量を

   上回ることなく、無事に任務を終えた。

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目に見えない放射線が、人体にどのように影響を与えるのかが、

よくわかった番組でした。

生徒に見せたい番組がまたひとつ増えました。

最近の写真

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