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2014年9月15日 (月)

第一竪坑(シャフト)を見に行く3.インクライン/疏水の完成

 

今日は9月15日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす

~千年の都 復興ものがたり」から。

  

シャフトの建設には苦労があったことを書いてきました。

琵琶湖疏水について、もう一つ問題が生じました。

そのことを書きます。

  

いくつかのトンネルが掘られましたが、

トンネルの京都側出口から先が急勾配になることがわかりました。

このままでは、荷物を積んだ船が、勢いがつきすぎて転覆してしまいます。

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そのために導入されたのが、「インクライン」と呼ばれる施設です。

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その仕組みを、番組ではわかりやすく説明してくれました。

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まず急勾配の手前に船溜まりを作り、別に水路を作って水を逃がします。

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船は船溜まりでいったん陸に上げられ、滑車で動く台車に載って、

ゆっくり急勾配を下りていきます。

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急勾配の下で、船を再び水に浮かべ、京都の町をめざします。

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当時世界最長のインクラインによって、船は荷物を積み下ろしすることなく、

安全に急勾配を登り下りできるようになりました。  

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着工から5年たった1890年(明治23年)4月、全長20㎞、延べ400万人が従事した、

琵琶湖疏水はついに完成しました。

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田邊朔郎の言葉

工事で亡くなった仲間たちに、見事に完成したこの疏水を見せてやりたい

  

田邊朔郎にとって、疏水工事の犠牲者に対する思いは死ぬまで消えませんでした。

  

  

琵琶湖疏水の完成によって、京都には大量の物資が

安全かつ迅速に運ばれるようになりました。

年間5万隻の船と22万トンの物資が疏水を行きかい、

京都復興の牽引力となっていきました。

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この琵琶湖疏水を使って、日本初の事業用水力発電も行われました。

その電力によって、日本初の電車も京都に誕生しました。

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京都の工業は、いち早く近代化に成功しました。

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インクラインの施設の横には、田邊朔郎が自費で立てた石碑があります。

その石碑には、琵琶湖疏水の工事で命を落とした17人の名前が刻まれていました。

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田邊は、尊い犠牲の上で成し遂げた疏水工事を、自らの原点として、

生涯忘れることはなかったそうです。

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この番組で、琵琶湖疏水のことがよくわかり、特にシャフトに行って見たいと思いました。

(つづく)

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